あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 64laps
http://2chb.net/r/f1/1548069055/
次スレッドを立てる時、本文(テンプレート)の最初に以下の1行を追加してください。
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured では早速。。。
テオ・ファビはポールを3回も獲得しているのに一度もトップを走ったことがない。
何故?
<992音速の名無しさん (ヒッナー 25f8-Q9lp [182.22.132.165])2019/03/03(日) 21:14:18.23ID:lbSGv7X300303
>>685
>>685
当時のF1はステアリングがクソ重たかったそうだ
中嶋は握力が弱くて
雨の中嶋と言われるのは、グリップが弱くなってステアリングが軽くなったから
もっと握力があれば成績は良くなったと言ってる
当時はナンバーワンドライバーとのマシン差が大きかった
それに積載カメラはいつも中嶋、当時のカメラは重くて空力にさえ影響を与えた
日本人のフル参戦ドライバーは初でパイオニアなのは間違いない
差別的な扱いだって当たり前の時代 >
ロータス時代はいじめられてたのとスポンサーとFIAからの色々な圧力もあり
表彰台などは取らせてくれなかった
何度も有ったのが、ウイング、サス、などへのセッティングをかなり決めてあったのに
決勝予選の前に全部ばらばらにいじられていた
で、予選14番手やモナコ予選落ちやウイリアムズを抜いてはいけないと無線で脅迫など
対、外人に対して日本人が通用しなうように画されていた不遇な5年間だった >>4
> ロータス時代はいじめられてたのとスポンサーとFIAからの色々な圧力もあり
> 表彰台などは取らせてくれなかった
> 何度も有ったのが、ウイング、サス、などへのセッティングをかなり決めてあったのに
> 決勝予選の前に全部ばらばらにいじられていた
> で、予選14番手やモナコ予選落ちやウイリアムズを抜いてはいけないと無線で脅迫など
> 対、外人に対して日本人が通用しなうように画されていた不遇な5年間だった
これはどこで入手して情報なん?
俺は本人の著書とTVインタビューだけど。 長谷見さんは腰でステアリング切るんで全日本F3000でも手にマメすら出来なかったと聞いてるが
もしくはF1に出て成功するとすれば星野さんでも中嶋さんでもなく…
いや、マーチ87Bでシート合わせに苦労したというのだからデザイナーが頭を悩ます事になったか。
>>6
そりゃ長谷見さんはKE007のサスペンションが壊れなけりゃF1デビュー戦でポール取れてた人だしw >>4
具体的な話は初めて聞いた。
真意の程は別として
1989のモナコの突然の車検、リアウィング規定違反や
ポルトガルの予選10位前後イケるセッチングを勝手にメカに
いじられたりは、おそらく嵌められてるやろな。 >>8
予選中のいきなり車検は普通にあるだろ。
そのせいで最後のアタックができなくなったなんて話も枚挙にいとまが無い。
ポルトガルのやつは、シャシー底面の擦り板な。
新品に換えたら底打ちしてタイムが出なかったということだが、交換時期の擦り板を換えなきゃシャシー底面を路面に直接打ち付けることになるんだよ。クルマ壊れるね。 ピットロード入ってきた時の抜き打ち重量計測はアレ通り過ぎちゃうとペナルティだからね。
当該セッションのタイム抹消+罰金だったか。
擦り板換えたらタイム出なくなったってことは「決まってる状態のセッティング」だと
車高が低かったり姿勢変化が結構大きい状態だったんでガンガン当たっちゃったという事で?
確かに換えないとアンダートレイ1枚は駄目になる可能性があるんで
そこはチームの懐事情とかによっちゃ迷いどころ。
望外の物凄い上位から行けるとかいうんならこの際アンダートレイの1枚くらいってなるにせよ
10位前後っていうんだと何とも。
>>8-9
モナコのは、抜き打ち車検でリアウィングが規定より大きいのが分かって、その場で、ノコギリで切ったんだよね。
そりゃあ、衰退していくわけだ、ロータス。 そんな目に遭っても対外的には紳士的なコメントを貫くのがナカサンで、
「捨てちゃえよ!」とかなんとかいうのがスズキサンだった89年。
確かザクスピードも翼端板の寸法が駄目でフロントタイヤに当たったとかある。
問題はそれで予備予選にせよ合同テストにせよ何かの機会に
チームメイトに拮抗するタイムを出せるかどうか。ただそれだけに尽きる。
あとは粘り強く担当スタッフをやる気にさせるかどうかとか。
有名なのは予選が始まってセナには全員のメカニックが寄り添ってて
ナカさんのには誰も付いていない状態でそのまま乗っかったままで20分とか
決勝当日にナカさんの車が壊れてセナのTカーに乗り換えたレースだけは何故か入賞や完走と
上位に食い込む
87年のモナコではTカーを主体にナカさんが予選では金曜日までは物凄くよかったのを見てか、
取り上げられ、ぼろぼろのどう見ても去年のつぎはぎだらけのマシンに交換
あと、福田マネージャーにはこっっそりと「俺の車を見張っててよ」と頼んでいたい位だったそうだ
なんか色々とロータスでは有ったらしい
ってか「去年のつぎはぎだらけのやつ」って
比較用と初期段階のナカサン練習用に使ったパッシブテストカーか
もしくは発表会用(カウルが違うだけ)じゃないの?
プレシーズンテストでセナが派手なアクシデント起こして修復したやつで
左右のバランスがおかしいってのは確かに1台あったはずだけど、そりゃ87年仕様のアクティブカー。
中嶋が88年のブラジルでピットインした際にバイザーを拭いてくれと合図したらボロ雑巾がヘルメットに飛んで来たのを見て日本人として初めて悲しい気持ちになった
>>8
あの有名ないじられてたって話しにはその前があって
”何回もあって、もういじらないで、このままでね、お願いねって頼んだのにーもうー(怒り)”
という何回もあったらしいよ
言えない事も多々あったと でも結局チーム内での地位を確固足るものに出来るかってのもF1ドライバーとしての技量そのものだからね
その点で中さんは人当たりが柔らかすぎて生き馬の目を抜く世界で勝てなかった
>>17
でもアレはピットレーンに居るクルーの人数とか作業終了のタイミングとかによっては
バイザーはドライバー自ら拭いて終わったらその雑巾ほっぽり投げてくれってのは
対応としては間違ってないんでないかな。
タイヤ交換終わってジャッキ降ろした時にまだ「バイザーお拭き係」が居たら危険極まりないし。
むしろあの場合、捨てバイザー1枚めくる方が手っ取り早い気もするんだけど
その点ではアライのレーシングサポートも何やってたんだって疑問はある。
通常付けて出る枚数をめくり尽くすくらいコースコンディション悪かったり荒れ模様だったんかね。 デーモンヒルのテーマ曲をYouTubeからダウンロードしたけど良いなこれ
>>23
確かそんな名前だった
F1中継でヒルが優勝したら流れたやつ テーマ曲は飽きるほど流れたマンセルの曲か
一矢報いたセナの曲しか覚えてない
ホントに全員分あったんだったら
シーズン終わった時点でアルバムにまとめて出してくれりゃー良かったのに。
儂、セナプロのテーマ曲の入ったF1中心のT-スクエアのベスト盤買った
最近知ったが、今年のBSフジのSF中継で元フジの野崎さんが実況を担当してあさってのGPニュースも担当するって聞いて懐かしいと思う人も多いのかなって思ったわ
>>2
F1 YEARBOOK 1987-88にツガーさんが寄せてたイラストエッセイの内容によれば
ファビが全盛期に乗ってたあのB186は、速さと引き換えに信頼性をギリギリまで削ったような車だったとのこと。
なのでファビが渾身の走りでポール獲得したのに、縁石踏んだ衝撃でギア抜け起こして
オーバーレブしてそのままエンジン壊れちゃうとか、
そうじゃなきゃバッテリートラブルで後退とかそういうことで失うレースが多かった。
むしろベルガーがメキシコシティで勝てたのは、標高の高さゆえの気圧の低い環境に
ベネトンの図抜けた空力性能がぴったり当たったこと、
さらに路面状況にもピレリタイヤがぴったり当たって、無交換作戦を敢行出来たとか
そういう全ての条件がそろってこその面が大きい。 >>32
2019年のアゼルバイジャン、野崎さんが実況してて驚いた。 岡田美里「ピットの永田さーん!」 ブラジルGPジャカレパグアサーキット
当時、ピットレポーターの永田と川井に確執はあったのだろうか?
自分だったら仕事欲しいから、フジのディレクターに売り込むけどな。
スレチだけど、おれがF1見始めた頃、ラウダハント時代の
ニキ・ラウダ氏逝く享年70歳
CART がトヨタにホンダの図面を横流しして、圧力解析させた事実は無視して何書いてんだこの糞虫。
92モナコのセナマンバトルも今ならペナ食らうのかな
あのレースでセナは並びかけられて幅寄せしたり、コーナーでインに飛び込まれているのに閉じたりしたっけ?
87スペインのセナも強烈
サンパウロのタクシードライバーだからな
ベルガーが死ぬと思って渾身の実況付けてた大川アナがっかりの巻
92年のモナコ、セナはフェアだったってマンセルが言ってたから
トップを走ってるなら当然のブロックでは?
>>51
マンセルは気分屋さんだからね。一応2位にはなったから、そう言ったんだろう。
途中でウォールに刺さっていたらセナの事ボロッカスに言ってただろう。
実際、次のカナダはそうなったし。 あの頃はネットがそれほど発達してなくて地上波放送があったら
コメンテーターの話を良く聞いてたな。トーチュウや速報雑誌を
読みあさってた。
A.ナニーニを応援してた。ベネトンB188も格好良かった。
レーシングオンの最新号JTCC特集。『激突』した本山と中子の対談。よく実現したw
「セナとプロストもそう。やったもん勝ちですよね?」だとw
>>13
>ぼろぼろのどう見ても去年のつぎはぎだらけのマシンに交換
ホンダエンジン搭載でキャメルカラーの98Tって珍車がレースに出てたのか >>58
98Tと99Tって見た目は色以外ほとんど一緒だしな F1日記読み返すと張り切ってテストに出向く、予定ではセナがアクティブ98T中嶋が
パッシブ98Tで走りこむはずだったがセナの「パッシブと交互に乗って比較したい」の一言
で中嶋は終日見学みたいなパターンが多かったみたいだね
そういえば1987ブラジルGPのときのリアウイングは98Tのものっぽく見えるね
87サンマリノでグリッドに並ぶ前にトラブル発生で、セナのTカーに乗り換えピットスタート。
それで走って6位初入賞でしょ、中嶋。
そこで知っちゃったんじゃない、セナの車別物じゃんって。
>>64
フォーメーションラップ中じゃもう遅いって。
グリッド着く前にピットロードを通過すれば、何ラップか出来るんだが、その時にトラブルが出ないとTカーに乗り換え出来ないからピットスタートすら出来ないよ。 >>64
シーズン後半のポルトガルではスタート直後の多重クラッシュに巻き込まれて壊れたけど、再スタートでは(乗り換えはルール上許可されていたけど)スペアカーに乗せてもらえなかったよ。
割れたカウルをガムテープで補修して、アライメントの狂った車両で出走した。 補強テープでカウルくっつけたりフロントウィングの吊下げステーをボルトナットで
とめたりとかいつのまにかそういう光景は見なくなった
Youtubeに89ブラジルの当時物としては画質がいいのがあったので見たら、
フェラーリ640はシックスフォーティーと呼んでた。英語放送なのでBBCかな。
>>67
89ブラジルのスタート直後にベルガーと接触したセナがピットインして
フロントウィングを交換したけど、ブラケットからもげてたのか
メカニックが白いガムテープで押さえまくってた。 80年代前半のF1で、そのVTRを身ながら津川氏が解説してたが、下位チームだとフロントウイングが壊れたらメカがアルミ板を曲げて新規に作るって言ってたな。
モノコックのバラつきというか、細部が違うのがあって、2台走らせてもカウルを共用できないとか普通にあったって。
レース中に接触してフロントカウル壊しても、取り付け部の形状が違ってスペアのカウルがそのまま付かないなんてザラだったってさ。
このスレ使う事にすんの?
今なんて本当細かく気流をコントロールしてるから
ほんのちびっと壊れてもダウンフォースの損失がデカい
>>89
95年のティレルで
一号車と三号車でちょっと作り方を変えたんだけどこんなに違いが出るとは思わなかったんだ
ってエンジニアが言ってたな
それなのに右京には1号車がしばらくあてがわれたままで三号車はスペアカーw
ノキアの持ち込みってそんなデカかったのかね? 87年に10月にやった鈴鹿のレースの事が雑誌に載るのは11月の下旬から12月の頭に出る号だったから
今となっては考えられないくらいのんびりしていたな
>>64
フォーメーション中では遅いね。
まあ91年サンマリノはティフォシたちには悪夢だったろうけど。 名前は忘れたけど、レース後の木曜日に発売される速報誌が、内容が薄い(本も薄い)けど一番早かった
メジャーどこの速報誌は、みんな金曜日発売だった気がする
勝利へのプログラムと走ってない奴は黙ってろ!は持ってた
ここじゃアカンの?
前のスレと違って全然盛り上がらんね、このスレ。
ワッチョイ無いから?
ラルトのロン・トーラナック死去か。
中嶋悟のF3000挑戦手記で良く見たなあ。
>>82
ラルトのお父は優しかったと良く中嶋が言ってたな。大往生だが、ご冥福をお祈りします。 >>82
そうか、60年代からホンダとも関り合いがあって良く語られる人物だから残念だな。 >>60-61
98Tのアクティブ仕様か…
まあ、当時はモノコックを次のモデルに使うなんてのもままあったね。
1985年のフェラーリ156/85も、1台はF186に転用されて1986年に再登場したんだよね…
98Tのアクティブサスのテスト車両が99Tの中嶋車に転用されたのかは分からないけどさ。 >>52
横だが、食らうだろ
だって今のあのルールだもん
バカなの? 時々思いつめるしな、あかねちん
今など女優への転身を考えててさまよっててもおかしくない
89年のマンセルはマージンを残して1シーズン走ってたんじゃないかと思うね
たぶん640というかセミオートマをそこまで信用していなかった
91年の序盤もたついたのもハイテク1年目のFW14に不安を感じてたんじゃいかと
マンセルは車に対する懐疑心は人一倍大きいと感じるんだよな
ギアのHパターンの配置がレースごとにバラバラだったというのは亜久里のインタビューで見たな
>>94
ロータス時代に自分だけアクティブに乗せられて、レース中にそれがシャックリ
起こして死にかけたみたいな経験があるからね。 よく92年のアクティブサスを使いこなせたと思う
プロストはマンセルは鈍感だから使いこなせたみたいな半分揶揄した回想をしてるけど
マンセルの勇気と度胸はもっと評価していい
ヘッドだか誰かが他のドライバーが感覚的にアクセルを抜く所をマンセルはリアクティブのシステムを理解してるからこそ理性で本能を捻じ伏せて踏んで行ける的な事を言ってたな
マンセルはああ見えて頭いいらしいぞ
ポカしたりややる気がないとダメだけど
気分にムラがあるからな
ずっと集中力を保てるタイプならもっと勝てたかも
92年はパトレーゼがサンマリノのテストでアクティブ誤作動で事故ったんだよね
89年のベルガー炎上直後といい、マンセルはそれでも走るんだから凄いよ
1990サンマリノのマンセルの有名なシーンだが
この海外版の動画は何回観ても理解できない。
タンブレロ明けでのスピンのシーン。左右逆なのは分かるが、
中嶋の残骸からして後ろからの映像じゃないとおかしくね?
俺の空間認識が間違ってるのは間違いない。でも理解できない。
ダウンロード&関連動画>>
>>106
中嶋の残骸も含め完全に左右反対なだけでした。おわり 前スレでアレジの019にHBって話があったけどバンク角が違うから無理だろう
外観も全く違うからもし積まれてたら30年も未来の噂話で終わるレベルじゃなくその場で話題になってる
極端に言えばティレル020にホンダV12積んでたのに発覚しない位ありえない話だ
>>102
プロストやパトレーゼ(と言うか多くのドライバー)は意外と本能的に走っているんだろうな。
彼らもアクティブのシステムと言うか理屈はちゃんと理解してたはず。
でも頭で理解していても、長年体に染みついた感覚はそう簡単に変えられないよな。
それを出来たというある意味特殊技能が運良くガチ嵌りして、圧倒したんだろう。
ただ嘘のセッティング情報教えたりとか、やる事がセコ過ぎて素直に称賛出来ない部分はある。
序盤でほぼチャンピオン決まってたのにフランスでチームオーダー出してパトレーゼに譲らせたり、白けたシーズンではあったし。 >>111
セナ嫌いヒル好きな俺だが、それはそうだと思う セナも数年後には引退していただろうけれども、
ヒルがチャンピオンになることはなかっただろう
クルサードレベルのドライバーで終わっていたかな
クルサードはウイリアムズ出ちゃったのが失敗だったと思うね
あのまま残ってたら少なくともヒルは凌駕出来てたろうね
セナがウィリアムズでタイトルを獲ったとして
その後の動向が諸説あるんだよな
ミナルディで趣味的にレースやって終えるとか
後藤といずれフェラーリで組もうと通じていたとか
>>113
マンセル程のタイトル争いにおいて辛酸をなめるキャリアだとオーダーを出したくなる気持ちもわからなくはない
ハンガリーで決定するまで常に不安だったんじゃないかな 92年のライバルはセナじゃなくパトレーゼになると早い段階で判断していたようだしな
嘘のセッティングを教えるのはやりすぎな感があるけども
惜しいところで逃してきたから早く獲って終わりにしたかったんだろう
2年連続で負けるわけにはいかなかった89プロストとか ものすごいストレスだったはず
パトレーゼには前年に予選で負け越したし前半戦もちょっと劣勢だったからね
前年までの6シーズンのうち3回を2位に甘んじて来たマンセルだしな
警戒するのは当然と言えば当然だったかな
リアルタイムで見てた方に聞きたいんですが、91年の最終戦アデレードでFW14のアクティブサス仕様を持ち込んでいたことは当時話題になってたんですかね?
>>123
なってたよ
速報誌でもちゃんとフォローしてた
ただ先行開発を持ち込んだってだけでみんながあっと驚く新兵器!って扱いじゃなかった
翌年の開幕戦が始まるまであれ程の飛び道具になるなんて多分ほとんどの人が思ってなかったんじゃないかな >>123
フリー走行で使っただけだっけ?
日本のF1メディアは日本でのタイトル決定と中嶋の引退に寄っていたからか
自分は当時知らなかったよ >>118
そりゃ本人はそうだろうけど、流石に興醒めだったわ。
中断前のバトルは久しぶりに見ごたえがあったのに。
あんなつまらないシーズン無かった。
翌年の方がまだマシなぐらい。 開幕6連勝は、やりすぎだと察してモナコじゃわざと負けたとか何とか
92年はタイトル争いが無かったからな
でもマンセルがモナコで負けてカナダでリタイアしてちょっと潮目は変わったんじゃないかと
その時点では思ったもんだよ
>>124
>>125
ありがとうございます
リアルタイムを知らない自分としてはとても興味深い事実ですね >>127
本人でなくフランクウイリアムズが不安で仕方なかったんだろ 92年はマクラーレンが弱すぎた
パトレーゼもマンセルに負けまくってたし
93年は雨やfiaの嫌がらせで多少接戦になったけど
92年はFW14Bとマンセルの組み合わせが異次元だったと思う
パトレーゼ相手ならマクラーレンからでも背中ぐらいは見えていた
あとMP4/7はマシントラブルが多かったな
>>114
わざわざセナ嫌いヒル好きとか書くからセナ信者だってバレるんだよ。 まあマンセルがFW14Bにあれだけ頑張ってのれたのは、本人が言ったわけでは
ないけど、1987年のチャンピオンシップを落としたことが遠因だろうな。
あの年ウィリアムズはアクティブを開発しててピケにもマンセルにも乗れ乗れ言って
たんだけど、ロータス時代のことがあるからマンセル断って、イタリアGPでピケだけ
が使ってマンセルをたたきのめしちゃったんだな。結局鈴鹿でドカンってやっちゃって
終了だったけど、イタリアGPでのピケのクルマはマンセルのよりフロアで数百キロ
ダウンフォースが大きかったらしいから、そのときのことは覚えてたんだろうね。
>>134
大変な誤解だからキチンと言わせていただきますけど、俺はセナ嫌いだよ。
プロストに2度も特効するし、アーバインをぶん殴るし、ベルガーに抜かせる茶番を演じるし、アンドレッティとかハッキネンをイビるし、すぐに人種問題にして被害者ぶるし、聖書を片手にパドックを歩くとかキモいし、ホントどうかしてると思う。
ただそれと速いのは別問題で、セナがクソ速かったことは事実ってこと。 92年のマンセルは減量して顔つきも精悍だったな
今年逃したら後がないという決意が伝わってきた
>>117
ミナルディで後方の争いとか耐えられんと思うので乗らなかったと思うんだよな
それならアメリカ渡るんじゃないかと
フェラーリ再建はあったと思うけど性格的にセナでは難しかったと思う あくまでもパスタは一流だがミナルディのマシンをドライブするかは別問題ってことなのかな
あくまでも想像だけど
今宮より熊倉のほうが好きだったわ
1年だけだったけどユーチューブで今聞いてもいいと思うわ
>>140
土屋との言い争いは漫才みたいでマジで面白かった
二人が嘘くさい笑顔で本当は仲いいんですよも面白かったわ それにひきかえ実況アナウンサーはともかく、年くった今宮さんと森脇さんが
映ると恐怖新聞かよっていうくらいに死相が現れてて夜中におしっこに行きづらかった
こと。
熊倉はドライバーでも現場でもない体制寄りの大局的な視点で新鮮だったけど
いちいち「自分はこれまでの他の解説者とは違う」みたいな当てつけっぽい発言が鼻に付いたな
もっと解説そのもので勝負してほしかったよ
熊倉はカーグラフィックのモータースポーツ班の編集長で87年のF1ブームより前から
ジャビー・クロンバックとかの大物記者に仕事発注してる側だったんだもの
本来今宮や川井なんてチンピラ記者扱いだよ
フジテレビの仕事は俺たちが先に取りついたってチンピラどもが必死に抵抗してたんだよw
>>133
パトレーゼは結果的にランキング2位だったけど、終盤顎にリードされてたり結構ギリギリだったな。
でもそれは逆に言えばマンセルが勝ち過ぎてポイント独占したから。
モナコのスタートとかドイツでのブロックとか、流石と言えるレースもあったけど、セナと言えどもMP4/7ではアクティブサスに苦しんだパトレーゼに全然太刀打ち出来てなかった。
それぐらい圧倒的にマシンの差があったよ。 >>134
おい!
俺をセナ信者扱いしやがって謝れw セナやる気なくなってた説が本当で95年に引退
エース昇格でFW18、だったらワンチャンあったかもしれない
MP4/8とFW15はセナが文句言うほど差は無かった印象。
実際にFW16のルノーV10がフォードV8と大差なくてセナがショックを受けたとか受けなかったとか
>>149
セナがプロスト相手に予選で1勝15敗する競争力だぞ >>145
そういう自負やプライドを持つのはいいんだけど、俺は奴らとは格が違うみたいなアピールをされても
視聴者には関係ないんだけどねw
情熱は解説に向けてほしかったな 学校の図書館にCGのバックナンバーがあって78イタリアGPのレポートを現地から送ってくる熊倉の名前に人に歴史あり、と思った
あとクラークの訃報記事も読んだけどクラークの部分をセナに変えても違和感ない内容だったのを覚えてる
セナが予選で2秒差とかつけられてた
ロータス時代よりひどかったくらいかも
>>151
どっかの博物館に展示してあった古いF1マシンを熊倉が解説してたら横にいた川井はダサいとか古いとか
小学生みたいな茶々入れて邪魔くさかったよ、変な対抗心抱いてたのはあっちだろw >>154
それは笑うw
子供みたいなケンカしあってたんだね 聖書もってるやつが200km/hで特攻とか 言葉と行動が伴ってない
まあ後に故意だと認めたのは救いだけどな 鼻曲がりの人は墓場まで持っていくんだろう
>>147
「そりゃそうだ」「その通り」みたいな短いレスで済むのに、わざわざ頭にあんなこと書くからだろ。 >>156
墓場にもっていくもなにもシケインからピットに向かう途中ルーバックに「セナを追い出した」と言っとるがな
プロスト自身も本当の事を言ったのはあの時だけだ、とこれまたルーバックに告げたそうだが >>157
言い訳すげえな!
素直にごめんなさいしたらいいのにw >>152
CGって
チェザーレ・ガリボルディだっけか? >>159
このスレはセナと中嶋の話題になると目の色が変わる人がいるからな
謂れのないレッテルも貼られるぜ シートシェアでズケズケ割り込んできた印象
5戦も多く乗ってやがる 亜久里もよく契約確認しろよ
95年の亜久里はほぼスポット参戦に近い状況でよく1ポイント取ったと思うよ
亜久里も91年くらいに怪我でもして引退してたら日本人最高の悲運のドライバーと後世まで語り継がれる存在になれたのにな
亜久里が乗ったフットワークは日本人F1ドライバーが乗ったマシンの中でもかなり上位にくるんじゃないかなあ
アルボレートやワーウィックと組ませたのはドライバーとしての引き出しを学ばせるため?
実際の亜久里は二人は上手く乗りこなすけど俺には無理っていう若手社員みたいな言い訳しかしてなかったけど
既に30を過ぎていたし活きのいい若手と組ませて自覚を促したほうが本人のためになったような
ワーウィックは引退間際なのにレース週末は日付が変わるくらいまできっちり
担当エンジニアと打ち合わせを続けてたそうだけど
亜久里は 「よっしゃ、打ち合わせすっか」
Aグリーン 「いいよ、俺がちゃんとやっとくから心配すんな」
亜久里 「 あっそう、じゃあお先〜」 みたいな調子だったらしい
これじゃあチームメイトにすら勝てないよね
亜久里氏はセッティングの好みが似てるベルナール希望してた
ただ大橋オーナーはベテランと組ませて亜久里氏に学習させたかった様で希望は却下されワーウィックが呼ばれた
ワーウィックもFA13乗って「これは乗りづらいわ」と言ってた
93年は結構マシントラブルも多かったのが残念ではある
まぁノーポイントは流石に…とは思うけど
因みにミケーレの亜久里評は「速いけどプレッシャーが掛かった時は信じられない程脆い」だった
>>165
ブランドルは別に悪くないと思うんだよ
元々半々でシェアの予定が亜久里氏が期日までに入金出来なかったので乗れなかった
って言うかどんな契約になってたんだろうね >>173
追い詰められてでサーキットに居るのが嫌だったらしい
川井ちゃんとかがレースの話振っても「レースの話なんか止めようよ」って話切り上げさせてたりしたそうだよ
アクティブ投入後は表情も明るくなったけど >>173
技術云々以前にレースに臨む姿勢の問題だな
飽くなき探求でどんどん成り上がっていくシューマッハと仲良くトレーニングする関係だっただろうに、彼からも何も刺激を受けなかったのかね >>165
当時は色々思ったけど、ブランドルの方が速かったから仕方ないよね
逆に亜久里がブランドルを上回る速さを見せてたらブランドルが押し退けられてたはず ブランドルはレースによっては顎を突っつき回したりしてた実力者だから比べるのが失礼
予選遅いと言われてたけど、それはS級A級と比較しての話だからね
>>165
ちゃんと50:50で契約締結してもトムウォーキンショウなら後からいくらでも
難癖付けて来て契約捻じ曲げてブランドルを重用したと思う 言い訳大王のイメージもフットワーク時代で定着しちゃったね
ラルースまでは言いたくなるのはまだ理解出来た
入金が間に合わなくて乗れなかったってのも良く判らなくて
スポンサーの財政が悪化したんだろうか?
それとも当初の契約からゴールポストが後ろに動かされたパターンなのかしら?
亜久里氏も無限も弁護士入れて契約結んでるだろうから
そんなに大穴が空いてたってのが中々に不思議
>>177-178
予選でも普通にパニスより速かったのみて
やっぱ速いと思った
>>176
刺激は受けてたと思うよ
あの頃の亜久里氏はフィジカル面では強かった
ただメンタルがですね…
初期のARTAプロジェクトとか見てるとシューマッハを作りたいんだろうな
と思ったよ まあ、ブランドルと亜久里じゃそりゃブランドルを使うわな
>>180
今になってもアランジェンキンスのマシン作りが悪いって言い訳してるからなあ オーナーの意向でドライバーの人生がメチャクチャにされたら敵わん
アーパーアグリだって準備不足のまま発足した 井出は磨けば光ったんじゃないのか
数年雨ざらしマシンとかパニス中野の比じゃない 誰だって腐るわ
95年の無限は先にミナルディと契約していて訴訟沙汰になったみたいだし
色んなやり口がダーティなウォーキンショーそのものって感じが
ブリアトーレのリジェ買収、ルノーエンジンをベネトンに移行、そのあとリジェはウォーキンショーに譲渡
リジェのマシンデザインはベネトンの流用
色々とスレスレなことをやってのけるね
まさにマフィア
そういやリジェも半ばマフィアだった
>>178
歴史上最強とも言われてる顎に予選で一番ついていけてたドライバーだと思うわ ブランドルは良いドライバーだと思うけど、シューマッハに唯一食らいついたドライバーみたいには思わないかな
だって当時のシューマッハは実質1年目だぜ
>>183
井出さんかわいそうだった
ってレスを書いてたら長文になったので自重w
雨晒しでミラーの後方視界ゼロで自分のシートも作ってもらえなかった
とかマジ悲惨 ブランドル96年もいい走りしてたから引退勿体なかったな
噂があったスチュワート乗ってたら良かったかもな
井出の代わりにモレノ乗せておけば整備までこなせるかも
ブランドルはちょくちょく表彰台に上って結果を出してるんだけどな
優勝しないとどうも一皮剥けないのかな
自分の才能もチームの評価も
後にヤマハに「これからハートさんエンジン作ってくれるからアンタお金だけちょうだいね」って言ったら見事に断られたけど資金潤沢で開発もきちんとできるハートも見たかったかも。
93年にHBエンジン使ったミナルディもエンジンの権利持ってたウォーキンショウに
ひどい目にあわされたと言ってたな
提示された金額払っても「ポンドじゃなくて米ドルじゃないと駄目」とかいって
レースウィークギリギリまでエンジン渡さなかったり中古のメンテナンスは超手抜きだったり
チームがクレーム入れようとしたらブルナーが「やめとけ、相手が誰かわかってんだろ?」
と諭したとか。「エンジンオーバーホールしたと言ってるけどせいぜいオイル交換と
表面を磨いたくらいだ」とブルナーはあきらめてたらしい
表面磨いてくれただけ親切w
>>195
ハートと言うかTWRがハートを買収してたので
金渡してもポッケに入れられた可能性高い
TWRも相当金欠くさかったし
ヤマハの開発力に懐疑的で切ったのではなく金欲しさだと思ってる デカい金が動けばそれだけ悪党も動く 昔からマネーロンダリングの温床だった
何年も雨ざらしで屋外展示されていたマシンを実戦で動かすようにするのって凄いな
ディスカバリーチャンネルあたりでドキュメンタリーが撮れそう
俺その手のクルマレストア番組好きなんだよ
実際使えるのはモノコックだけだとは思うけど
それ以外はレギュレーションに合致する様に改修と開発
SA06が出来るまでの繋ぎだったから
見てくれだけ整ってたらOK
ってレベルでもスケジュールは綱渡りw
>>191
96年もバリさんに引けとってなかったから
あっさり身を引いたのは驚いた
早くから契約更新なしとか言われてたのかな… 2005年って中盤まではシューマッハもそこそこ強かったんだね
新レギュに対応しきれなかったからな
翌年は強さを取り戻してチャンピオン争いしてる
井出も自分で売り込んだくらいだから待遇には納得してたんだろうけど
まさかスーライ剥奪まで予想しなかっただろう
亜久里も悪いと思ったのか、国内の自チームから参戦させてるな
>>187
リジェってのは金があるのかないのかよく解らん お金があるならジョン・バーナードくらいパパッと雇って車作らせたらよかったのに
>>207
大金払って雇って妙なハリボテを作られてオシマイ
赤い車はそれで苦労してた 車体だけじゃダメだって 一つの部品だけ良くてもダメ
全体のバランスで仕上がってないと ドライバーとの相性も
パトレーゼの息子がイタリアF4モンツァでポール獲得だって。
モントーヤの息子も同じシリーズで走ってる。
やっぱりF1は二世三世だらけやな。
ヒル、ビルヌーブ、ロズベルグはチャンピオンにまでなったし。
ファンジオ、ブラバム、フィッティパルディ、アンドレッティ等
この世代の息子たちもレーサーが多いよな。
セナ(甥)、プロスト、ピケ、アレジ、シューマッハ、中嶋…
何かしらレース業界と繋がりがある立場でないとチャンスも巡ってこないんだろうな
あと何しろカネがいる
何と言っても金、そして親の理解と協力。
その親が一流レーサーなら指導者として知識もコネも持ってる。
やはり二世が有利なのは当然だな。
昔から金とコネの世界だからな
底辺には縁がない世界だわ
>>212
アメリカだとアンドレッティ家とファッティバルディ家とアンサー家でシリーズ作れそう >>212
アメリカンモータースポーツを代表するレーサーの一人、NASCARのリチャード・ペティが2世レーサーだし。 >>217
その世代の二世レーサーはヨーロッパだとハンスヨアヒムスタックとかね
アメリカだとビルブコビッチ二世もそうだね
その息子ビルブコビッチ三世もレーサーだったけど亡くなったのは残念 >>212
マンセルの息子2人ともレーサーなのに
無視されれてワロタw >>219
無視っつーか知らなかった。
パトレーゼとモントーヤの息子の事も割と最近知った。
マンセルの息子たちはどのカテゴリーでやってんの? フェルスタッペンといえば今やタイトル争いをしている息子のほうだけど
このスレの世代からすると給油炎上事故の父親だな
マンセルの息子ってもう引退してない?親子3人でル・マンに出た後知らないんだけど
息子二人とも顔つきが柔和なんだよな あら
画像見れないかも
こっちで
息子二人とも顔つきが柔和なんだよな 自分のリベンジを息子に託してしまうパターン
積極的には勧めないけどやりたいなら応援するパターン
キツい世界だからやらせない・やらせたくないパターン
(けど最終的に了承しちゃったパターン)
とか色々よね
世界的に、運動神経優れた子は野球サッカーに
吸い取られるけど
その子がモータースポーツやったらハミやシューマッハ
超える才能がゴロゴロしてそう
格闘技も似たようなこと言われてるな
一般スポーツは命の危険もないし うっかりミスも死に繋がらない
野田もよく許したよなあ 女の子だぞ・・・
>>229
親の復讐の念が強かったんだろう
インディとかで活躍できるといいね >>228
パワーやスピードと言った一般的な運動能力はあんまり関係無さそうじゃね?
ただ機会がゼロで埋もれてる才能はゴロゴロいるだろうな。
足が速かったり力が強かったりってのは見つけ易いけど、運転の才能なんて子供の頃はわからないし。 10歳からカートで英才教育なんていうし、モータースポーツは他と比べてハードルが高いな
持論だけど
自分の才能は自分で見つけないと 埋もれたら埋もれたでいい
親が引き出すのは良くないと思うんだよね
>>233
モータースポーツの才能なんて自分で見つけられる人は稀だと思うぞ。
親の影響や協力無しでF1まで上り詰めたドライバーなんてほぼ居ない。 >>234
親の影響や協力なしでF1まで上り詰めた代表のプロストも
フランス国営企業というどでかい親代わりがいたしな
今だったら自前のカートでどんなに才能を発揮させても多分上がってこれなかっただろう 野球やサッカーなどと違ってモータースポーツはおいそれと自分の向き不向きを試せないからなあ
>>228
ARTAの最初のオーディションがまさにそれだったけど
結論は「才能があっても本人のやる気がなかったらどうにもならない」だったよw
Web上に初期のARTAの話とか全然ないんだよな・・・ 女だから格闘技するなとかどれだけ差別主義者なんだよ
有名人が言ったらネット炎上で人生終了だぞw
何もなくさあカート始めようとはならんからな普通ww
スーパーGTですら若手はカートとジュニアフォーミュラ経験してるし
>>237
虎之介がそういうタイプ?
あるいはもう10年早く生まれてれば。 >>244
だからほぼで、全く居ないとは書いてないだろ。
琢磨は奇跡的に数少ない例外。 右京は自力だろ
普通の高校を出て、サーキットでホームレスしながら古タイヤ売って安いフォーミュラーカー買って結果を出し、フランスでカミカゼになってF1
亜久里のwikiを読むと改めて恵まれた立場だったんだなあと思う
>>244
鈴鹿のスクール通ったのは親の金じゃないの?
自前で稼いだ金か奨学生だったなら謝るが >>244
数少ない例外を引っ張り出してきてドヤるやつの魅力 井上もな マスコミには見事にハブられてたけど
他と同じことをしないと仲間はずれ、島国根性の醜さだよな
>>249
亜久里はオートマ用オイル売って儲けてレース資金にしたりフットワークの社長に好かれたり持ってる人だと思う 鈴木は恵まれてるなんてもんじゃないよ。最初のクルマがロータスヨーロッパ
(もちろんおやじに買ってもらった)買ってもらって早々暴走運転してトレーラーの
荷台の下にもぐりこんで廃車。ヨーロッパじゃなかったら死んでた。と
あっけらかんと雑誌のインタビューでぬかすボンボンちゃんだよ。
息子のレースでもゴネたらしいな 亀父みたいに
右京の親は医者、可夢偉の寿司屋も貧乏人にはできない商売
やっぱ平凡な家庭から上がってきた例なんか無い
右京は親が家売った金で・・・とかあったし楽でもなさそう
でも行く先でスポンサーになってくれる人現れるし持ってるんだよね
角田は4歳からカート 「乗らされて」た気がしてならない
バイオリンみたいに、果たしてそこに自分の意志はあったのかって話
>>259
それってあなたの感想ですよね?
家庭が裕福なのか一般なのか訊いてるのに… >>260
出た〜wひろゆき信者w
あなたの感想ですよね?
が口癖になってそうw 始めるきっかけはなんであれ、本人のやる気が無ければ、その後伸びないし大成もしないんじゃね
チャンピオンやそれを争うレベルのドライバーはみんなモチベーション高いよね
別に出てもいいけど…裕福だと語ってるも同じっしょ
無線での口の悪さが問題になってるけど ボンボン学生にF1乗らせたら当たり前だ
このくらい尖ってなければやっていけないとか擁護するファンまでいる
速さより大切なこと習得させてたら間に合わないんだろうな 色んな意味で
芸術や音楽の世界もそうだけど永遠のテーマだなこりゃ
>>261
別に信者でもなんでもいいけど、どっちなんだよ? まあ、アレだ
92〜93年で1ポイントも取れない亜久里って何やねんてことよ
どちらかと言えば、あなたの感想ですよね?
ってひろゆきを小馬鹿にする時につかわね?
感想を回答として受け入れる器量も大切 言いたいことは分かってるはずなんだから
論破ってのは自分も相手も不快にさせないまま完遂しなきゃ
シューマッハとブランドルはブランドルのほうが速かったな
予選は全敗だけど決勝は9対7だからほぼ互角だし
カナダやハンガリーなんかでも普通にシューマッハに勝ってるし
>>262
やる気という意味では琢磨が一番だった
ついでに言うと琢磨はちょっと発達障害的なところもあるんじゃないかと思う >>271
負けたレースでも速いレースも結構あった気がする
カナダでも普通に追い抜いてたし ベテランの意地でかなり健闘してたけど
シューより速いと言うのは言い過ぎかと
また出たよ、ブランドルが顎と互角だったとか無理筋な事言う奴w
判官贔屓でブランドルを応援したのはあるけど、まあ判官贔屓という感情が出る程度にはシューマッハとブランドルの間に差があったということ
>>268
いや、>>261は回答になってないからw
知らないなら知らないと言えばいいのにその辺も気遣って汲み取ってやって「そうですね」とか言うの?
子供かよw もういいじゃないですか
アンカー合戦をやり出したら収拾付かないぞ
いや、回答の成否は問題にしてないぞ そういうものだと言ってるだけで
知らないと言えないプライドも汲んでやって、いい方向に導いてやるわけよ
相手が何も言えなくなったら勝ちじゃない ゴメンと言わせたら勝ちじゃない 恨みを買ってるからね
本当の勝ちってのは相手を納得させたとき
>>243
いや、虎之介はやる気はあったよ
>>277
結果的にリジェでのびのび出来て良かった気もする >>249
亜久里は歴代日本人F1ドライバーの中では
本田宗一郎と家族ぐるみの付き合いで一番親しいんだよな
しかしホンダのコネ使わずにF1まで到達したのは評価したい >>282
リジェ在籍はいい思い出だろうね、ベネトン時代はシュー目当ての報道陣でいつも
ピットがごった返しててブランドルはそういう連中から空気のように扱われてたそうだし
リジェ時代にオーナーのシリルドルーブルと釣りに行ったときにルーブルがやたらと
「昔金持ちだった頃にはね〜』という話をやたらするので「昔?じゃあ今はどうなんだ?
ここにいれるのもそう長くないかも」と感づいたらしい ブランドルがウィリアムズに乗ってたらマンセルと同レベルだったかもな
パトレーゼよりは上だっただろ
>>286
アクティブサスに順応できればあり得えそう
というかマンセルって晩年のピケと互角だったりベルガーとトントンだったりポッと入りのプロストに惨敗したり二流のイメージがどうしても拭えないのよね >>281
お前が言ってるのは説明する側の話じゃん。
納得させてほしいのは質問してるこっちなわけで、その話は論点がズレてるよ。
裕福じゃないとF1に行けない。亜久里も可夢偉も琢磨も右京もそうだった。
↓
角田は?
↓
角田は4歳からカート 「乗らされて」た気がしてならない
バイオリンみたいに、果たしてそこに自分の意志はあったのかって話
↓
オメェ何言ってんの???
それってあなたの感想ですよね?w
↑これだもの。
正否も納得もクソも無いよ。 >>286
ねーよwww
アホかw
もしかしてお前わざと必要以上にブランドルを持ち上げて、こうやって突っ込ませるのが目的か?
>>287
ピケは87年では言うほど晩年じゃねーだろ。
そもそもマンセルより一歳上なだけだし、3度チャンピオンのピケと互角だったら上出来。
プロストには負けたと言っても惨敗って程でもないし、あのプロスト相手に健闘した方だろ。
つーかお前また自演してね? パトレーゼってそんなにすごいのか?
90年代しか見てないけど
>>291
普通に凄いだろ。
本当に90年代見てたのかよ? >>289
マンセル評は概ね同意だが、今スカパーフジで87イギリスGP見てたが、肝心かなめの地元でサンマリノの大クラッシュ以来体調不良が続くピケにシーズン初めて予選負けたのがな
日本GPも、ピケに予選で上回れてからの大クラッシュチャンピオン争い敗退だった マンセルはスタートもホイールスピンして失敗しとるな
前年イギリスGP同様、ピケに頭押さえられて苦労するはめになる
パトレーゼ88年から93年までチームメイトに1度しか勝ってないし
それでも速いのかな
細かく覚えてないけどさ
パトレーゼはポイントでピケを上回った年も有ったんだよね
パトレーゼは90年サンマリノは値千金だし、91年の快走の印象も強いな
93年の凋落が評価を落としていると思う
>>288
悪ィ、読んだまんま理解する人の土俵には上がれない
スタートからコケてたらズレ以前の話だよ 87年はスタートでセナがプロストに出し抜かれるレアケースの一つ
意外とここだとブランドル評価低いのが意外だった
叩かれるかもわからんけど
>>287
のマンセル評って俺は結構その通りだと思う マンセルと組んだ頃のピケが晩年ならひとつ違いのマンセルも晩年だろう
わざわざ「晩年」とつける必要もないだろう
>>302
一部に異様にブランドルを持ち上げる人がいて
いやそれほどじゃないだろうって流れが多いと思う >>302
評価は別に低くない。
異常に持ち上げる奴に対して皆がそれを否定的に言うから低いように見えるだけで、大体正当に評価してる。
優勝、PP、FL、さらにリードラップすらゼロの割には評価高いぐらいじゃね? 高い引くいとかじゃなく優勝はできないし表彰台を狙えるマシンにも1度しか乗ってないから
わからない
それを言うならベネトンで勝てなかったことが全てだと思うよ
F1デビューイヤーにレース中の事故で足を骨折したので
事故前に比べて細かいペダル操作ができなくなった。
だから
>>305の人が挙げた4項目のうちのどれかを数回達成することはあってもチャンピオン争いに加わる可能性は低い。
というのが当時の欧州でのブランドル評でしょ。 92年ベネトンで勝てたシューマッハーが異常だよ
速さだけでなく戦略も合わせての勝ちだからね
シューマッハー以外にはできない
チームになれてない最初の4戦ぬけばブランドルのほうがポイントで勝ってる
フル参戦1年目で年間ランキング
セナ抜いてるのな
怪物だと思ったわ
シューマッハはチームどころか大半のコースすら初めてなんだけどね
そういう恣意的な解釈が持ち上げすぎだって言ってるわけ
シューマッハの初優勝レースはブランドルにブチ抜かれてタイヤ交換したのがバチッと嵌った結果なんだよね
先行するブランドルのタイヤにブリスター出てたの見てタイヤ交換に入ったんでしょ
>>310
ほうら、そんなレスしかできない
そのザマじゃ素でも自分の土俵には上がらせないよ 格付けとかやらないの?
プロ>セナピケ>>マン
パト>ベル>ブーツ
単純にチャンピオン回数やランキング順だとこんな感じになるけど
>>318
まあそれで順当じゃないかな
人によってベルガーとパトレーゼが入れ替わるかもしれないが >>319
じゃあブランドルはパトレーゼより上じゃないかって書いてみるテスト それよりもワーウィックとブランドドルの比較の方が気になる
どちらもキャリアハイが2位
>>317
もういいよ
その土俵とかいうやつキモいしw ワーウィックはトップクラスと組んで無いからなぁ
自分は未勝利ドライバー最強はブランドルかニックの何れかだと思っている
>>318
プロストとセナは最低でも同格だろ。
セナとピケが同じはないわ。
セナ嫌いな奴でもまともな感覚ならそんな不等号付けねーよw
ピケは80年代前半はプロストと同格かちょい上ぐらいだろうけどトータルではやはり負けてる。
>>320
何を受けてじゃあなんだよ?
お前の中ではブランドルがベルガーより上という事になってるのか?
だからベルガーがパトレーゼより上ならブランドルが上?
間違いなくベルガーもパトレーゼもブランドルより上だよ。
そんな事言ってるのお前だけだからもうアキラメロン あれだけ車が変わりながら3回タイトルをとったピケがホンダ固め打ちのセナより下とは思わんね
違うチームで複数チャンピオンてのは確かにステイタスだわね
>>325
あれだけって、ブラバムとウイリアムズの2チームだけやん。
セナだって死ななきゃウイリアムズルノーでチャンピオンになってただろうし。
そう言えば3チームでチャンピオンになった人はいないのかな?
顎はそれを目指せば出来ただろうな。 >>325
ピケはマンセル派閥が強いチームでまんまとチャンピオン掻っ攫うあたりが仕事人って感じで好き
他だとラウダ プロスト シューマッハ ハミルトンあたりが2チームでチャンピオン?
強かな連中ばかりで頷ける 4輪で2チームチャンピオンってそこまで価値が上がることかな?
勝てるクラスのドライバーで運が良ければあり得ると思うんだよな。
2輪の2チームチャンピオンはすごいと思うけど。
マンセルも割と汚いことしてた フェラーリでプロストに因果応報された感じ
>>330
ピケが87チャンピオン取れたのは、サンマリノGPで大クラッシュしてから無理ができなくなり、勝ちを狙わないでポイントゲットを重視したのが功を奏した
あとマンセルの自滅とマシントラブル頻発な
その中でも、ハンガリーGPのもうちょいで勝利って時にナットが飛んだのは酷いトラブルだった
あと87のブランドルは、ザクスピードなんて酷過ぎるチームしかシートを確保できなかったのが意外 トラブルが多くて負けたっていいわ毛っぽい
89年のセナも取れるレースはいくつかあったと思うし
だから亜久里は毛がフサフサなのか
電気毛ェ統の亜久里
年齢は関係ない 老若男女だれでも来いや
トラブルは言い訳していい てか言い訳って言葉は必ずしもマイナスなイメージじゃない
「言い訳はみっともない」は日本人だけ
その場で言わず後でブツブツ言うのも もう国民病だな
それはさておき、亜久里の言い分がもっともだと思ったことはあんまりないなあ
「次ないんだ」ぐらいかな
>>346
そんな事ねーよw
世界中の全ての国で言い訳はみっともないと思われていないか確認したのか?
普通に英語でもexcuseってのがネガティブな意味で使われる事があるし。 またブランドルネタ蒸し返すけど92年はカナダもハンガリーもイギリスもイタリアも
すごかったわ
やっぱりブランドルが史上最強のドライバーだわ
>>353
お前いい加減うぜえわ
ちょっと黙っとけ これもうブランドルアンチのディスりだろw
昔褒め殺しってのあったよなw
カナダはシューマッハぬいて、イギリスはセナを抑え込んで
ハンガリーはシューマッハを蹴散らして、イタリアは2位で
そのほかのレースもいいレースあったと思うわ
YouTubeで見てるだけだけど
>>356
一回あったことで評価を決めるのはどうなのかね
1990のフェニックスでセナとバトルしたのだから、アレジはセナと同等レベルのドライバーだとか、
1987.のイモラでセナを抜いたアルボレートはセナと同等だと言われてもねえ >>352
クルサードクラスでも自力で購入しないと手に入らないんだね
150台ならそういうもんか ロベルト・モレノを評価するのは分るが
ターキーニを評価できないね
本山哲だってGT300で頑張っているし
>>362
よいチームのシートを獲得する力もドライバーには必要
なので、AGSのシートしか獲得できなかったので評価は低くなってもしかたなし セナが86〜89までハンガリーで4年連続2位で驚いた
>>353
ブランドルばかりじゃなくウォーウィック評価も頼む ウィリアムズのトロフィー無記名問題も?
ありゃロータスに車体ノウハウ流してた仕打ちだよ 一方的に悪者にしちゃいけない
>>368
発売予定日、2026年・・・
本当に発売されるか怪しい >>366
マシントラブルの93年以外全て1位か2位
モナコ以上にハイアベレージで成績残してる 92年の動画を見てるとレース中に川井ちゃんがいないことが何回かあるんだね
>>374
南北アメリカ大陸とか、たまにスタジオ解説だったり不在だったりした記憶が。この時期だったかは忘れたけど。 この時代は必ず帯同していた印象だけど川井ちゃんが居ないレースもあったのか
よく覚えてないな
森脇さんがレース直前のスターティンググリッドに降りてMP4/7とFW14Bの出来の違いを
マシンを指差しながらリポートしていたのは覚えてる
結構あの頃色々実験的な事してるよ
何故か今宮さんがずっとスタンドでリポートしてたり古館が解説というトチ狂った事したり
古舘が解説に入ったのは93年だっけ
とんねるず石橋のモナコも同年か
F1ブームがひと段落してあれこれ模索していたね
アクアミネラリで今宮さんレポートとかあったような記憶が
92年だったかな
古舘さんがオールージュを歩きながらレポートするシーンがあったな
改めてアップダウンが凄かった
>>373
セナはオールラウンドタイプだったけど、特にコーナーが多い市街地や低速レイアウトコースが大好物なんだろうね
ピットリポートは永田氏が詳細なリポートを手早くしてくれて良かった
川井はとにかく滑舌の悪さと変な声が嫌だ 片山右京も94年に20ポイントくらい稼げただろうな
保奈美の抱き心地がどーのこーの 夜の生活までバラすか普通・・・
今はネット炎上や誹謗中傷や無差別殺人しまくる時代だから
何でもありかもね
>>382
低速コーナーがとにかく上手い、とは当時のF1雑誌でも読んだ気がする
セナの低速コーナーのさばき方で「速い!」と思ったのは90年鈴鹿予選のシケイン
あそこまでタイヤを残すマネジメントといいセナの腕が光る
そんなセナのコンマ2落ちだったプロストも相当に車決まってたんだろうね 高速コーナーだけならベルガーも大差無いとかなんとか
むしろベルガーの方が速い事も多いが中低速コーナーが雑で
高速コーナーで得たマージンでも足りないw
なんかピット入ったときもセナに比べてベルガーのほうがすごい気をぬいて走ってるみたいな感じだとか。
ピットからコース復帰するまでのタイムで2秒くらい違うとか言われてた。
91年フジの番組でセナとベルガーのピットロード走行時間を比較してたな
比較ケースは鈴鹿だったかな?
>>382
ポルトガルのエストリルも得意だったような >>392
初ポール初優勝こそエストリルだが
多分チームメイトに予選で2回敗北したセナの数少ないコースの一つの筈 84年は予選決勝ともに3位
85年はポールトォフウィン
3回負けたね
88と91と93年
めちゃくちゃ苦手かもしれない
3人全部違うチームメイトか。
とは言え、苦手って印象はないな。
関係ないけどYouTubeで昔の津川と今の津川が見れて面白いな
93年のイギリスはセーフティカーはいったのに
セナはガス欠したのかな
SCと言えば動画では92年当時からコースマーシャルの横にSCボードが置かれてたのね
91年の途中から見始めたせいかセナはやたらガス欠になってるイメージが付いてる。
実際には91イギリスドイツ93イギリスくらいなんだけど。
NAになってガス欠なんて殆ど起きなくなってたからな
2年ちょいで3回もガス欠してたら多いイメージを持つものわかる気がするよ
>>395
93年忘れてた
多分3回はキャリア最多敗北
あとパッと思いつくのはアンジェリスとプロストに負けたカナダとプロストに2回負けたフランス、ベルガーに2回負けたメキシコ位かな でもポルトガルは少し苦手っぽい
マシン特性もあると思うけど89も90もフェラーリにやられてたし
ハンガリーのパトレーゼみたいに異様に得意なパターンも
ハンガリーが得意と言えばデイモンヒル
あそこのコースだけはトップドライバーだった
>>405
あの180°コーナーの走り方を見つけたって言ってたな そういやアレジはモンツァで速くて、ベルガーはホッケンハイムで速かったな。
偶々かも知れないけど。
アレジとベルガーは仲良しだったな
人のいい奴はチャンピオンになれないって思ったわ
ベルガーは87年ポルトガルや94年オーストラリアや最後にミスって負けてたな
96年ドイツはマシントラブルだったけど
>>408
今思うとコンビ結成当初はそれなりにピリピリしてたのかもね
アレジはフェラーリ3年目だけどそこにno1待遇でベルガーが出戻ってきてさ
しかもアレジシンパだったハーヴェイとミジョーはいなくなり同じく出戻ってきた
バーナードはベルガーびいきで「アレジは速いんだろうけどプロストと親交があるって
本当なの?チームメイトだったのになんで何も彼から学んでないの?とにかくまず
1勝すればポンポン勝つようになるのかも知らんけど」とか結構塩評価だった プロストはアレジが組し易い相手でホッとしただろうな
自分より遅いし政治的な動きもしないし
アレジはもう少し下位チームで下積みしたほうがよかったな
野球でも早く出世してその後伸びない人がいるし、まあ逆もいるけどね
アレジはあのタイミングでフェラーリ入りしてなかったら未勝利ドライバーで終わったかもね
>>411
ドライビングも超一流とは言えなかったことに加えて
ドライビング以外のスキルがあまりに低くてプロストは困ってた。 チャンスの神様は前髪しか無いと言う話もございまして…
フェラーリ行ってなかったらもっと早く引退する事になってた気がするわ
まあ、何だかんだいって長いキャリアだったから成功の分岐点はいくつもあったと思う
最初の躓きはプロストが抜けてナンバーワンを引き継いだ点
早すぎたと思うよ
>>417
言わんとすることは分からなくもないが、トップドライバーになる素質があるヤツなら、トップチームのナンバーツーは1年もやれば充分と思うわ >>413
いやー、F1に関しては下位チームで下積みってのはあまり意味無いんじゃないの?
そのパターンでのチャンピオンって近年ではハッキネンぐらいだし。
いや、ハッキネンもロータス2年でトップチームのマクラーレンに移籍したから、下積みが長いとも言えないな。
運悪くチームの低迷期の始まりだったけど。
いきなりトップチームに乗れるならそっちの方がいいよ。
最初からトップチームだったヒル(数戦はアロウズだけど実質)、ビルヌーブやハミルトンはチャンピオンになってるし。
セナ、アロンソ、ベッテルなんかは速さを見せて、早い段階で上位チームに移籍してチャンピオンになってる。
アレジも同じパターンの筈だったんだけどなw >>414
マジか
シーズン前の予想だと
予選はアレジ、決勝はプロスト優勢
セナプロ時代のようにアレプロでチーム内闘争
が起きると言われていたのにね >>419
ヒルのF1デビューは末期のブラバムだぞ アレジにとって最悪のパターンはフェラーリとウィリアムズを天秤にかけてるうちに
両方ともシートが埋まってしまってティレル残留だったのかな
ティレルホンダで2〜3回表彰台からの旧知のジョーダン入りで改めて速さを見せて
本来より2〜3年遅れでフェラーリ入りは有りそう、でもウィリアムズ入りはないか
>>419
ミナルディでデビューして一旦TD落ちしてるアロンソの初期なんて下積みも良い所だろ
バトンとかニコだって勝てる車を手にするまで何年も待った アレジの初期は知らないな
フェラーリでたまに優勝争いしてる頃を見てたわ
>>423
1991ティレル無限ホンダ
1992ジョーダンヤマハ
もろモデナコースじゃんw >>422
ごめん、そうだった。
時々混同するんだよw
>>424
だから、下積みしたから良かったってわけではないだろ?ってのが言いたい部分なんだけど。
バトンはチャンピオンになったけど、下積みしてトップチームに移籍じゃなくてブラウンが予想外に圧倒的だったからだし。
しかもバリチェロが車に合ってなかったのか、これも予想外に差があったし。
ニコだって、チームメイトハミルトンはきついが、最初から速い車の方が良かっただろうし。 R'onのアレジ&ベルガー インタビューの中、ベルガーは実力相応の評価を受けていないドライバーとして、モデナを挙げえていた
>>418
それも言えるけど、フェラーリは特に癖が強いからなあ
少なくとも組むのがカペリじゃダメだったかなと思う
なんて言いつつもアレジ贔屓の体制を言い出したらキリがないんだけどね
結局は手持ちの駒で大成しなかった当人の問題だったりもするしな >>428
ブラウンではバトン優遇させるために、バリチェロ車を速く走れないようにしていた
それに気づいたバリチェロが「同じように走らせろ」と直談判
ブラウン「わかった」とバトンバリチェロを同待遇にした後半戦はバリチェロの勝ち アレジもベネトンで勝てなかったからダメだったな
96年はそれなりにいいマシンだったと思う
B195はハーバートも2勝してるからB196の方が遅くなってる事は確かなんだろうけど顎が残留してたらタイトル争ってたろうね
下位カテゴリーでコマスと互角以下だったらしいのでアレジはあんなもんじゃないの?
ティレルでのアレジはピレリタイヤが市街地コーススペシャルな面もあったから
ティレル019ってセナプロ乗ってれば毎戦入賞
年間1、2勝はできたレベルの車だったんだろうね
アレジのマネージメントを90年当時担当してたエディは人気物件アレジをベネトンへ
押し込んで恩を売っといてあわよくば91年に自分のチームがHBエンジンを無償で使わせてもらえるような流れで絵図を書いてたみたいね、それが上手く行ったらピケアレジで
ナニーニがフェラーリに行ったのかそれともピケがお払い箱になったのか
でもド新規チームが有償でもHBを引っ張ってこれるあたりジョーダンて優秀よね
>>433
ハーバートをなめちゃいかん
98年は衰えていたのと、本人もやる気がなかった ハーバートもよかったかもしれんけど
ベネトン時代はひどい扱いだっただろうな
ミハエルのセカンドは全部同じだけど
>>430
カペリじゃダメなのかなー
むしろ、カペリだったからこそチーム力が分散せずにアレジ一人に注力されたんじゃないかなー ただ、アレジ自身がそのチャンスを活かせないまま成績を残せず求心力も失って悪循環にハマったような印象
結局ベルガーと大差なかったしな
セナもマンセルもベルガーよりは速かったし
>>442
競争相手としてもっと切磋琢磨しあう相手でないとダメだったのかも、と思うんだ
なんかカペリは重圧で毎戦お葬式みたいな顔をしていた 最後はチーム批判して解雇だっけか プロストに吹き込まれたかw
イタリア人なら国を背負って立つも同然だからな 純じゃないアレジに負け越してたし
>>433
96年のベネトンは出がらしだったからFW18相手だと難しいかもしれない
サードダンパーによるピッチコントロールなんかは95年にフェラーリが初めててウィリアムズも追従したけどベネトンはそこら辺が遅れてた
95年ASF総集編でも森脇さんがベネトンの弾切れを予想してた >>447
ナニーニのフェラーリが見てみたかったなあ >>450
90年の前半位?
予選ではセナと抜きつ抜かれつの
タイムの出し合いしてた気がする
最後セナ勝つけど 近年ベルガー自身が振り返ると89サンマリノ事故以降は
端的に言えばイップスがあったそう
なぜベルガーとピケが助かってセナだけ死んだのかなあ 当たり方?
当たり方もあるしスピードと進入角度かな
それとセナの場合はシャフトが頭に突き刺さったのが致命傷になった
>>455
運が悪かったとしか言いようがない。
折れたアームが刺さらなければ普通に自力で出て来たんじゃないかな?
モノコックはちゃんと原型留めてたし。 運悪く刺さらなくても
シーズンつぶしていただろうし
あるいはそのまま引退になっていたかも
内臓も提供できない位のダメージって話だろ?
突っ込んだ時点で厳しかったんじゃないかね
そうだっけ
体に大きなダメージはなかったと何かで読んだような
セナが生きてたらシューマッハとタイトル争い面白かったのにね
>>459
ソースある?
角度もそんなに深くなかったし、跳ね返って回ってたから頭以外のダメージは少ないだろ。
モノコックがちゃんと残ってるのに何で内臓がダメージ受けるの? >>462
なんだっけな複合事故だったかな
ちょっと本棚探してみるよ
それまで>>459は眉唾でよろしく >>440
アレジとアーバインに負けてれば十分です
そいつらとは殆ど同年代だし >>459
最初は脳死判定だった記憶。
>>450
91年から見てる自分としては97ドイツ。96も惜しかった。 その辺りはベテランの末期の輝きって感じで全く全盛期ではないでしょ
印象の残るレースなのは間違いないけど
ハーバートもチームがちゃんとサポートしてたら
95年にもう1〜2つ勝ってたかな
ランキングもヒルと同じくらいだったかも
コンクリートウォールに衝突した衝撃で壊れたサスペンションアームが頭部を貫通したって話を信じてる人って、ゴルゴ13の見過ぎじゃないかと思う。
あの衝撃でサスペンションアームのパーツが当たったら頭部が破壊されると思うのだが。
>>450
ベルガーの凄いのはドラマ性の高い勝利が多い事かなと思う
初開催鈴鹿での勝利から連勝、88年モンツアのエンツォ弔い、4年ぶりのフェラーリ
復活勝利、97ドイツお父さんの弔い勝利とかは1勝は1勝だけど2.5〜3勝くらいの価値がある ちょうどバイザーのとこを突き抜けて・・・じゃなかったか
あまり注目されないしレジェンドでも取り上げられない87オーストラリア…
唯一の連勝なのにね
サンマリノの後に決まったレギュレーション改正がサスペンションに関してだったと
どこかで見た記憶がある。なので頭部にサスペンションが当たったんだと思う
>>468
お前こそ陰謀論に毒され過ぎだろw
信じてるも何もそういう発表だし、嘘をつく理由があんのかよ?
実際頭部へのダメージが致命傷で別に矛盾しない。
大体あの衝撃でって意味がわからん。 刺さったなこりゃ
というヘルメット写真はあったな
95年開幕前位にどこかの速報誌に掲載されてた
中が血だらけになってるやつだよね
俺も同じのを見たんだと思うが雑誌名までは覚えてないな
実は即死に近い状態だったのも最近になって分かってるし通説で特に矛盾もないわな
尾○正博
違うよ!セナの顔はキレイなものだったんだよ!
ボクは見たんだ!片山右京と勘違いした看護婦がセナの遺体のところに案内してくれたんだ!!
www
こんなヤツでも記者ができるんだから、日本のモータースポーツマスコミなんてチョロいんだろうな
89年のベルガーとマンセルはマシントラブルがベルガーに集中したけど
速さは互角だったろ
ゲルハルト・ベルガー
ミヒャエル・シューマッハー
速そうでかっこいい名前だよね
>>479
キレイとは言ってない
突き刺さったような傷はないが顔の形は変形していたと言ってる
ソースは「セナと日本人」な 片山右京と間違えられたw
尾張正博は明るいところでまじまじ
セナの遺体を観察したのかって言う話よね
ヘルメットがプアだった論もあったけど脳挫傷でどうにもならなかっただろう
助かっても今のシューマッハみたいな状態
大口径ステアリングにしろってゴネたらしいが無理して改造する必要あったのかなあ・・・
セナくらいなら小径でも合わせた運転できたはずなのに
ウィキにアイルトン・セナの死ってページがある
事細かにまとめてあるよ
頭部の損傷は
・右フロントホイールがセナのヘルメットに当たり衝撃で逆側のヘッドレストに押し付けられた頭がい骨骨折
・その部品がヘルメットを貫通して刺さった
・さらに鋭利な破片がヘルメットのバイザーを貫通し右目の上に突き刺さった
複合的なダメージではなく、どれもそれ一つで致命傷だったそう
パーツが日本刀のような鋭利な破片だったとしても、ヘルメットを貫通ってありえるかな?
みなさん、バイクのヘルメットなら手に取ったことがあると思うけど、
あれを貫通するのは弾丸でも相当な威力の銃じゃないと無理だと思わない?
バイザーを貫通なら考えられるけど。
時速200キロ超からの衝突なんて想像が付かないので
無理とかどうとか疑う余地はないかな
新幹線に轢かれたら体はバラバラになるみたいだし
>>468の人かね?
なんか最初から陰謀に違いないって思い込んでるから
何でもかんでも疑うんじゃない? >>490
市販のヘルメット被ってると思ってるの?
特にセナは超軽量を要求するぐらいだから相当ペラペラで薄いよ >>491
ヘルメットに刺さったとされるパーツは飛んできたパーツだよ?
クラッシュで破損したパーツが弾丸並みの威力で飛ぶかね。
>>492
レース用の基準は市販品より厳しいよ。
というか、当時のアライやショーエイはレース規格、国際規格で最も厳しいレべルをパスしたものを
市販していたけどね。
セナが相当ペラペラで強度が無いものを使っていたなら、レギュレーション違反でしょ。 で、君は一体何が言いたいの
死因は全部でっちあげの陰謀ってこと?
>>495
バイザー貫通だろうね。
ヘルメット貫通はないと思う。 そういうことを言ってるんじゃなくて、なんで公式発表を疑うの?って言ってるんだよ
専門家でもない君の想像なんて取るに足らないって思わない?
>>494
ヘルメットメーカーが販売店経由でユーザーに販売する物と、
ドライバーへ直で供給する物は帽体から違うんよ
それが「レギュ違反だ」って主張したところで調べようが無いのが実情 95〜96年に掛けて頭部を守るためのレギュレーションが強化されたことが全てだと思うけどな
>>500
それはベンドリンガーの件の方が影響あると思った セナは94年はベルのヘルメットで、確かヘルメットに問題(欠陥)が無かったか調べられたんじゃなかったかな?
それでヘルメットのせいではないとされたはず。
>>490
だからバイザーを貫通で、右目の上付近に穴開いてるやん。
結局、実際はどうだったって言いたいの? 今もヘイローができて
この前ハミルトンが助かったな
セナが苦手なのはエステルライヒリンクだな
いつも予選の成績が悪い
ロータスのせいかもしれんけど
あと86年も87年も終盤の成績が悪くてチャンピオン逃したな
これもロータスのせいかもしれんけど
あの時代のロータスって表面上はそう見えないけどかなり困窮してたんだろうな
JPSからのスポンサー料は年々減額され続けたらしいしセナは意外に金にうるさいし
ドゥカルージュの高額年俸を捻出するのに四苦八苦してるとか
シーズン後半になるとアップデートにかける予算がなかったか
当時のベネトンの予算はマクラーレンのおよそ半分
ロータスはベネトンよりもっと金がなかった
そう考えれば、あれでもよくやった方
ジャンプはマクラーレンに1億円スホンサードしてたのかな。
>>503
ハッキネンの時はもう翌年からプロテクター導入が決まってた
あと1レース(期間なら半年だけど)ずれていれば…と当時思ったよ >>508
細かい事言うけど、スポンサードするって言い方は変だな。
それを言うならスポンサーする。 セナと語り合ってるのかな あの日何があったのか
ウィリアムズ関係者はすべて真相を知ってるらしい 直前の無線を聞けば分かるとか何とか
ふと思ったが、リアルタイムで当時を知らず動画とかで後追いしてる者としては当時のイモラサーキットの路面はとんでもなく酷いなと思うわ
>>512
今宮の英語が通じなくてセナが
「何言ってんだこいつ」
みたいな感じで適当に作り笑い
そんな雰囲気で語り合ってると思うよ >>506
その後キャメルに変わってスポンサー額は増えたのに
アクティブサス開発とセナのギャラでカスカスになってしまう運営力よ セナ的には「JPSの約束でしょ?camelに変更は契約にないからギャラ増額ね」
という感じだったのかな、言いがかりにしか見えないけど
ウィリアムズに乗れるならノーギャラでもいいって言ってたのに
>>516
その話は今は亡きグランプリ特集でピーターウォーが語ってたな。 >>517
そんなこと言われたマクラーレンスタッフ達
がどんな気持ちだったか。。
デニスがセナを評して「究極に利己的な性格」
と言っていたのが解る。
シューマッハみたいなチームと一心同体
みたいなのはないよね。 93年はセナに支払った法外なギャラのせいで近代マクラーレンの中で
唯一赤字転落した年らしいね、それまではホンダがかなり出してたんだろうかね
>>517
彼はパーソナルスポンサーのワッペンをペタペタつけるから、言うほどではないよ。
とかプロストがコメントしたと、雑誌で読んだんだけど。
当時でも、ベルガーのスーツにはないナシオナル銀行、あっ察しと思いました。 >>516
現実問題、ドライバー的にスポンサーがJPSからキャメルに変わることで
何か不利益があるんだろうか セナのころはバトルが多かったな
今はあんまりバトルが少ない気がするな
まあジジイのたわごとか
最近のF1は全然追えてないんだけど、空力が乱れるからスリップストリームも使えず
コース上のオーバーテイクが激減した問題って、レギュレーション改定でマシになったんだっけ?
>>523
JPSカラーはブランド力高かったのかもね,キャメルは当時パリダカ優勝なんかで
露出が激増してたけどモータースポ―ツ界では新興ブランド扱いだったかも
ホンダもロータスとの契約で「ドゥカルージュの継続起用、日本人がセカンド、JPS
がメインスポンサーの3点が守られなかった場合は契約破棄できる」という条項があった
らしい、それと社内にロータスへのエンジン供給に消極的な重役が少なからず存在した
そうだが(第1期で提携交渉の際裏切られた恨みか?)彼らにロータスが作成した
JPSロータスホンダのグラフィックを見せたら一気に賛成に転じたとか
「そのくらいJPSカラーには力があった』と櫻井が言ってたな シューマッハのころから給油やピット戦略で追い抜くのが主流になった気がするな
セナのころはタイヤがすり減るのを我慢比べてしてた感じかな
>>526
フェラーリみたいな伝統名門に重きを置くチームならさておき
カネを出してくれるスポンサーのためなら色でもカラー構成でも変幻自在っていうのが
ある程度のF1通念かと思っていたよ
JPSは確かにかっこいいけど、そこまで重視していたのか 後の偽ロータスがJPS関係ないのに黒金にしてたのはダサかったな
自分が小学生の頃は筆箱とか手提げかばんとかJPSの使ってたな
もちろんタバコのブランドとはわかってなかったがかっこいいとは思ってた
ビニルコートされた手提げ紙袋なんかもセブンスターとか赤ラークなんかがあったけど
JPSの黒金が一番子供心にカッコよかった覚えがある
でもがきんちょの学用品にタバコのマークが入ってるって今じゃあり得んね
>>531
プラモにロゴ載せる事すら許されないこんな世の中じゃな 当時のタバコロゴは宣伝を超えてアートやデザインだったもんな
ジタンの踊り子の影絵は今見ても妖しさや艶っぽさを感じるよ
自分の周りではドライバーネームの入ったマールボロのステッカーをカバンに貼るのが流行ってた
ああいうステッカーも今は売ってないのだろうな
>>528
ソースが桜井ってところで話は半分か1/4くらいに聞いておくのが良さげ 桜井ってなんか宇宙戦艦ヤマトの西崎とイメージ被るんだよな
業界ゴロって感じ
大人になっていろいろと試してみたけどJPSはまずかった、辛すぎ
マールボロキャメルラッキーバークレイウェストジタンゴロワーズチェスターフィールド
ウィンフィールドetc,個人的ベストはロスマンズだった(但し青でなく赤)
金正日もお気に入りだったそうだけどアジア人の味覚に合う辛さいがらっぽさの
ない柔らかい味だった
>>528
そのF1通念を生み出したのがロータスで
ブリティッシュグリーンからゴールドリーフタバコに変えた途端にフェラーリ以外はみんな追従した。 JPSは格好いいだけでなく、当時はロータスと言えばこれって印象が強かったんじゃないかな?
俺らが見てた頃、マクラーレンと言えばマルボロカラーみたいに。
リアルタイムでは当然知らないけど、写真ではセナの黄色いヘルメットが黒い車にめっちゃ映えてる。
黄色い車に黄色いヘルメットも悪くはないけど、やっぱりJPSの方がいいな。
>>530
見せかけだけ真似たインスタント食品みたいな安っぽさがあったな
ウィリアムズも近年ロスマンズカラー風の時期があったけど、その後のマルティニカラーのほうが遥かにかっこよかった >>541
ウイリアムズ史上最悪なのは現行のカラーリングだけどねw >>542
見てみた
ウミヘビみたいでキモいなw
今そんなことになっているのか スポンサーカラーといえばジョーダン
初年度のグリーンが美しかったけど
今見ると92年のサソルカラーも悪くない
>>545
カラーデザインのセンスがよかったよね、ジョーダン。
191の効果か、日本でも7upが売られたし。
サソルカラーも沢山の色をバランス良く配置してた。 >>525
来年からタービュランス対策された新レギュレーション導入予定
ホントは今年の予定だったけどコロナのせいで一年延期 >>546
あれだけのスペースグリーンに染めて当時の邦貨換算で1億5千万円は新参チーム
といえ破格に安いよね
エディは「ガショーがやらかしたからペプシに足元見られて値切られた」と言ってるけど
実際は締結前なのにエディが「ペプシの契約取り付けたぞ!」って方々でしゃべりまくったから
結果ペプシの言い値で契約する以外なくなったのが真相らしい 91年のジョーダンはアイルランド政府もスポンサーになっててアイルランドのナショナルカラーは緑
ついでに富士フイルムもコーポレートカラーは緑、7upの金だけで緑色だったわけでもない
>>549
話が逆だ
ジョーダンは最初からナショナルカラーの緑でやるつもりだったから、緑色になる企業と自国に働きかけた そんな強い信念があったのに次の年はガソリンとも言えない燃料使ってマシンも真っ青、変な話だw
最初の計画だとf3000時代から付き合いのあったキャメルと組めると思ってた
みたいね、クルマまっ黄色にするつもりでイーストマンコダックとスポンサー
交渉してたとか。結局キャメルはベネトンにかっさわれたけど
>>551
ヤマハが無償じゃなければチームが消える位火の車じゃ信念も曲げるしかあるまい >>551
初年度だけで良かったのかもね。
ずっと緑がコーポレートカラーのメインスポンサーだけでやっていけるとは思ってなかっただろうし。
しかしジョーダンは色がコロコロ変わったよね。
ベンソンヘッジスの黄色期間はまあまあ長かったけど。 エディのような煮ても焼いても食えないモンスターが睡眠導入剤が必要になるんだから
得にデビューイヤーは経済的に綱渡りの連続だったんだろうね
どこかのgpでさあこれから予選、というとこで精神統一してるガショーに「次のレース
も乗りたいんなら金をもっと持って来てくれ」って言ったというのは鬼だな
言われたガショーは泣いちゃったらしい
ネトフリのシューマッハのドキュメンタリーでジョーダンのシートが空いたときにウェバーが
シューマッハを売り込みに行ったらエディ・ジョーダンは「シューマッハ?誰それ?」だったらしい
でもベルギーの予選が終わったら「ワシが見つけた」と
7up懐かしいな
ボーリング場の紙コップ自販機によく置いてあったよ
メキシコだったっけ?
ジョーダンの二人とも入賞したのって。
あれで後半予備予選免除ってのはチームにとって相当大きかったんだろうな。
1991年、メディアのインタビューにて、「好きなドリンクは?」との質問に、エディ・ジョーダン、チェザリス、ガショー三人は声をそろえて「セブンアップ!!」と答えたそうな。
エディが「91年にうちのクルマに乗った中で純粋に一番速かったのは
ザナルディ、一番速く一番マッドだった」と述懐してるのが興味深い
確か川井ちゃんも下位カテで見た時に一番ヤバイコーナリングしてたのがザナルディだった
って書いてた様な
>>561
91年閉幕後も「シューマッハが凄いと言われてるけどザナルディも同じ位凄い走りしてるよ」とか何かに書いてたよ 今ザナルディどんな具合なん?
事故が無ければ東京パラリンピックでメダル獲得の可能性高かったのにな。
ウィリアムズ時代がひどかった。もう少し来ても良かったんじゃないかと。
アンドレッティ、ザナルディ、ファーマン
三大外れドライバー
アメリカに腰下ろしてる期間が長いとやっぱ駄目になる気がするのよね
2年が限界なんかな〜?
ザナルディは98年後半は流石のwillでさえも同情的だった様に見えたよ
せめてスリックタイヤだったらまだ良かったのかも
ベルガーって89・91・92・93年でパトレーゼに負けてるんだな
ベルガーのほうが格上のイメージだったわ
チームメイトのアレジにも1勝4敗 セナにも全敗
パトレーゼもチームメイトに勝ったのはほとんどなかったな
でも二人ともそこそこの評価だな
>>567
ファーマンはあの状態のジョーダンのルーキーならあの程度が妥当
スチュワートF3で王者になったのに回り道しちゃったのがマズかった >>570-571
何を以って勝った負けたって言ってるのか知らんが、パトレーゼは予選も決勝もチームメイトよりいい成績の方が多い。
ベルガーはチームメイトはほぼ優勝経験者ばかり。
セナに全敗って、セナに一回勝てたのはプロストだけだろ。
ピケもマンセルもセナとチームメイトで勝てるとは到底思えない。
二人とも爆発的に速い時はあったが、やはり同時代のチャンピオンたちは安定していた。
アレジは一勝しかしてないし竜頭蛇尾感があるので評価低いが、やっぱり速いドライバーだったよ。 数字だけ並べて眺めるいつもの人でしょ
相手にしちゃだめ
ベルガーは勝った事が無いベネトンで勝って87年の終盤にウイリアムズに完勝してメチャ速いと思ってたよ
マクラーレンに来てセナに勝てなかったのが意外過ぎた
disってる奴は本当にリアルタイムで見てたの?と思う
ベルガーは身長がセナより15センチくらい高かったからかな
ニードルノーズ全盛だったからね、クラッシュテストがはじまる前だ
ヒルはちゃんぴをんだし
ディニスもはあまあ速くなったよね
今の育成システムだと、いきなり速いひとだけ生き残るけど
関係ないけど1994年ドイツはシューマッハがリタイヤしてなかったら
ベルガーは抜かれてたのかな?
ヒルはタイトルホルダーなので一定の評価されて然るべきとは思うが。
アロウズの2位とジョーダンでの初優勝で株上げたよね。
実は97最終戦も予選で3人同タイムが話題になったけど、4位が確かヒル。ハンガリーのインパクトで話題にも挙がらんが、地味に健闘してた。決勝は奮わなかったけど。
>>576
そんなに差はない。
公式ではセナ174p、ベルガー185p
でも当時の狭いコクピットの車で長身がハンデだったのは間違いないだろうけど。 >>575
見てたよ?
イモラで炎上してセナに負け続けて、鈴鹿で勝ちを譲られてヘリコプターからトランクを投げ捨てたり、ヒルにモナコでぶつけてドヤ顔してたり、フェラーリでもベネトンでもヌルいままで終わった印象。 中堅ドライバーの比較は面白いな
ベルガーパトレーゼブーツェンナニーニブランドルアレジとか
>>558
一応モデナランボも予備予選免除になったけどこっちは予選通過そのものがラリーニとヴァンデポールで各一度ずつだったから「あれ?予備予選走ってない」て感じだった。 ベルガーはイモラの炎上大クラッシュがなかったらまた違った未来だったかもね
チャンピオンは無理でも通算10勝+7〜8くらいはいけたかも
>>589
俺が見た頃はもうポンコツだったってこと? >>583
俺が見た頃はもうポンコツだったってこと? >>575
90年も予選だけ見たらセナから離されてないし速かったよね
91年の開幕前テストで、
90年は気負いすぎたからダメだった。みたいな事言い出したのは微妙だな〜とは思った
セナには勝てねぇって事を受け入れちゃった感じする
>>580
予選で右京がヒルの前でスピンしたんだよね。アレ無かったらポールだったとか
だからヤマハ切ったのはマズかったと思うんだよなぁ
98年もマシンは悪く無かったのに ベルガーはモントーヤ的なポジションなのかな
モントーヤはウィリアムズ時代はすごかったけど、マクラーレンに来たら良くなくなった(´・ω・`)
>>589
ウォーキンショーって結構バカなんだよな
周りの人に助けられた部分が大いにあると思う ベルガー自身がセナの才能に圧倒されてしまったと振り返っているね
89年の事故の後遺症、チームメイトがセナってことで精彩を欠いた感は否めない
まあベルガーはあの事故で同国の某先輩みたいな顔にならなかっただけでも儲け物だろうな
プレイボーイだし
ベルガーはタイヤの使い方が二流
なのでチャンピオン争いに加われなかったっと思ってる
89年イタリア
フェラーリ乗って快調に走りながらマクラーレンのプロストにじわじわ追い上げられ最後はキレイに抜かれる
90年イタリア
マクラーレン乗って快調に走りながらフェラーリのプロストにじわじわ追い上げられミスを突かれてやっぱり抜かれる
こういうの見るとやっぱドライバーの能力差ってあるんだな思わざるを得ない
ベルガーはマクラーレンに移籍してセナが24時間全てをレースに捧げてるの
見せつけられて「自分にはとうてい無理」と悟ったみたいね
それでも「高速コーナーでは俺の方が断然速かった」というあたりでプライドを
保ってたのかも、130Rの帝王
モデナランボってラリーニは結構決勝に進んでなかったかな?と思ったが調べてみたらアメリカ以外は全部後半戦だった
たまにベルガーは集中力が増す
節目で勝つのはそんなところだと思う
個人的にはセナの死の直後で引退に揺れていた時に3位完走した94モナコが印象深い
低速コーナーは根性で曲がるイメージだな
高速コーナーはテクニックで曲がる感じ
ウォーキンショウは下に居た片腕的なポジションの人がイカれてたっぽい
類友なのか被害者なのかは判らんがw
>>595
クルサード先生もRB移籍したら
RBの育成ボコってたから流石だわと思った
>>600
モナコはレース降りても誰も文句言わんだろ
って位に滅入ってたよね >>600
トップドライバーは皆嵌ればとんでもなく速く走れる能力はあるんだと思う。
結局集中力をどれだけ維持出来るかで差がつくんじゃないかな?
ベルガーも91鈴鹿みたいに会心の走りをしたセナを上回ったり、パトレーゼも3連続ポールとか凄い速さを見せたけど安定感が無い。
セナやプロストは逆にほぼ毎回それで、時々ミスる感じ。
>>601
逆じゃね? 「鈴鹿のシケインは気合で曲がるのよ!」っていうようなゴクミのCMあったな
可愛かったよなあ 自然な美って感じで
今の、同じ顔してるガキどもの多さといったら。。。
今は厚化粧が極限まできてるから、昔よりも同じ顔が増えているのは本当。
昔と今の空力みたいなもん。
今も昔も同じだろ
ワンレンボディコンとか全員同じに見えるわ
顔というか化粧な すっぴんが別人みたいに化ける どいつもこいつも二重二重二重 そんなに尊いか・・・?
子供産んで似てないってトラブルになる例が多いらしい
子供生まれてえっ?てなるの
化粧じゃなくて整形でしょ
すっぴんも見ないで結婚するかよ
>>581
俺は身長172なんだが身長184の人と並んだ際ベルガーつらいなこれ
と思ったよ >>602
追い打ちを掛けるようにグランプリ中に後輩のベンドリンガーも意識不明の重体になっちゃったしね >>595
三人ともレッドブルから給料をもらっていた偶然 93年の鈴鹿の予選はベルガーがトップタイム出してからもら上がったなぁ
鈴鹿の予選もう一回放送してほしい(´・ω・`)
>>614
興奮してTシャツ裏表間違えて着ちゃったやつねw そういえば川井ちゃんってレース中にリタイアしたドライバーをつかまえてインタビューしてたけど、ベルガーには仲が良かったのかその回数が多かったよね
年1〜2回は勝つけれども3勝4勝以上することはほぼない
最終的にランキング上位に食い込むがチャンピオンシップ争いにはほぼ絡まない
時にナンバー1を上回る走りを見せることもあるが絶好調が長く続かない
最初からナンバー2だったわけではないが自動的にそうなった
あたりは共通してるか
年間5勝、6勝、5勝挙げたけどチャンピオンになれなかった人がいた
最後は9勝してチャンピオンになったけど
一方チャンピオンになったときすべて3勝のドライバーもいた
ベルガーもクルサードもウェバーもボタスも絶対的エースと組む直前くらいまでは本当に輝いていたんだよね
コレはもしかして…なんて思わせといてサクッとポチ化
>>612
そこで即GPDAの立ち上げだっけ?
>>617
リタイヤしてもピリピリしてる事が殆ど無いんだろうね
良くも悪くもさっぱりしてて
>>614
復活の狼煙って感じで燃えた
ただ狼煙は湿気ってたw 4強チームから下位チームに都落ちしてキャリアを終えるドライバーが多い中
ベルガーは脱落しなかったからな
しかも特筆すべきはフェラーリやベネトンに出戻りするところ
>>617
川井はちゃんとベルガーの要求に対応できたからねぇ(某アナを紹介) >>622
ペヤングと組んだ絶対的エースってハッキネンの事?
そんな事なかったよ。
ハッキネンがチャンピオンになった前年の97年はペヤングの方が勝ってたし、カーナンバーも逆になった。 >>626
チームの空気が明らかにハッキネンに寄ってたでしょ
ハッキネンの初優勝だってクルサードに譲らせて勝たせたくらいだもの
確か対ハッキネンで2シーズンは勝ってると思ったけど、その年もエースはハッキネンだったよね ブランドルは94年にハッキネンにもう少し善戦してほしかったな
>>627
初優勝は顎がジャックにぶつけに行って自爆して、守りに入ったジャックがマクラーレンを抜かさせたからでしょ。
あの時ってペヤングに譲らせた?
その次の開幕戦はチームが譲らせたんじゃなく、二人の紳士協定って言われてる。
本当かどうかは知らないが、最初の周にリードしていた方を無理に抜きに行かないって決めてたと本人が言ってるし。 >>627
>ハッキネンの初優勝だってクルサードに譲らせて勝たせたくらいだもの
クルサードに譲らせたのは98年の開幕戦
理由はチームのピットミスで入れ替わった順位を戻すため 今思うとマクラーレンプジョーは善戦していたなぁ
ルノーの看板の前でブローしたのが運が悪かった(´・ω・`)
>>630
いや、譲らせてたよ
後年クルサードが語ってた筈 93年にハッキネンがセナと戦ったらそこそこいい勝負だったのかな
>>632
だとしたら予選で負け越したクルサードの格付け完了だな
引退するまで予選が下手なのは変わらなかったし あの開幕戦は事情を鑑みてデニスは優勝者ボーナス100万ドルをちゃんと
2人にそれぞれ払ったらしい、ただクルサードと交わした「この星はいずれちゃんと
ミカに返させる」という約束は最後まで履行されなかったとか
98年開幕戦は逆の立場だったらハッキネンはクルサードに譲ったか疑わしい
と思ってたりする
>>631
翌年メルセデス載せる事が確定してからは
マクラーレンはプジョーに対して適当な対応だったらしいので
ちゃんと組んでたらまた違った結果だったと思う いずれにせよ、ハッキネンが絶対的ナンバー1という事は無かったと思うけどな。
97年までは互角で、寧ろペヤングの方が勝ってたし。
やはりマクラーレンでセナのあおり食って93年ほとんど棒に振ったり
死んでもおかしくない大クラッシュから復帰したりとかチームの全員がそういう
ミカの姿をずっと見て来たゆえのシンパシーはあったと思う
クルサードはなんだかんだいっても決してロンの評価の高くないヒルのセカンドだし
ジョイントナンバーワンといいながら
片方を贔屓ばかりしてたとウィキペディアに書いてあった
>>641
93年の不遇、94年のダメエンジンの不遇、95年の大けが
才能があるのにハッキネンは苦節何年みたいな世界だもんな
ロンデニスのマズい処世の犠牲みたいな面もあるから肩入れはあったと思う 正直顔もあると思う
いかにも北欧の貴公子って感じでスターの要素十分
そういえばそば粉をこねるハッキネンの動画見つけたわ
ロータスファンとしては、もう1年ロータスで走ってほしかった
ハッキネンとしたらうまく将来に不安があるロータスに見切りをつけてマクラーレンに移籍したってことだよね
想定外だったのはセナのわがままで93年の大半を棒に振ったってことか
>>644
それはあると思う
特にロンデニスはそういう耽美的なのが好きそう >>646
ロータス自体は嫌いじゃないんだけど、ハッキネンのウィリアムズ移籍を阻んだり
ジョニーの移籍を契約で縛ったり、当時の首脳陣にはあんまりいいイメージがないな
ピーターウォーだかピーターコリンズだかだっけ
二人いていつもどっちか解んなくなる どっちだかのピーターはマンセルとも酷く折り合いが悪かったとか
同待遇でもどうしても私情は入る 同じメカニックが担当するわけでもないし
アホンダはとうとうプロストの誤解を解けなかった エンジンに目が眩んだデニスも救えなかった
>>650
コリンズだな
ウォーは中嶋時代に更迭くらった
あとロータスにはライトもいてピーターだらけだ セバスチャンベッテルとセバスチャンブルデーが走っていたのはトロロッソ
サードドライバーはセバスチャンブエミ
ライトもいたね
エンジニアだっけ
ピーターってのはイギリスのスタンダードネームなのかな
太郎みたいな
片山も94年に20点くらいとってれば
ベネトンくらいに行けてたかもね
>>657
あの年20点越えたのはトップ5だけだぞ >>658
でもそれくらい速かったよ
表彰台だって何度かいけたと思うわ
まあ15点くらいかな 4強が強い時代に、コンスタントに5〜6位を取ってたまに上位に食い込まないと20点なんか取れんよな。
ただ、右京あの時それくらい速かったし、ポチ役でもベネトンかウィリアムズ行けてればねー
>>649
ハミルトンバトン時代に「これからはヴィジュアルや!」とTVに映る位置の
ピットのメカを若くてイケてる男で固めたりしてただけにそういうのもあるかも ポチでも優勝は優勝だからな 今でも破られない伝説になったはず
シューミとは懇意だったから助けてくれたはず 前年と違って余裕でチャンピオンになったし
バブル後でガタガタ経済の日本 フラビオもシャレで迫ったのかもしれんが
1994年の20点ラインというと、ハッキネン26、アレジ24、バリチェロ19か
可能性があったとしたらジョーダンのバリチェロのポジションかな
ティレルで4強レベルに食い込むのは土台無理だったと思う
ドイツgpで一時2位走ってたからな
ハンガリーは予選5位だったし
どっちも結果はあれだけど
充分評価に値する走りだったよね
ベネトンとは契約書にサインすればいいだけの段階まで進んだし
デニスはミカに心情的に肩入れしてる
って明言してたな。95年の事故が原因だってね
98年は当初はジョイントでも流れ的にハッキネン寄りになって来た感じ
んで翌年以降はその流れ継続
>>664
ドイツが
メカがアクセルワイヤー増し締め忘れて戻らなくなったのと
ハンガリーが
オープニングラップのバリチェロ撃墜だっけ?
帰りの飛行機では前の席のバリチェロにずっとおしぼり投げつける些細な嫌がらせしてた程にムカついてた模様w
>>685
ティレルがナンバー1契約持ってきて浮かれて速攻でサインしてのが不味かったと思うんだよね…
他からも声掛けられてたんだから引き延ばせば良かったのにと思った 右京はチャンスはあったんだよなぁ
角田もチャンスを活かしてほしい(´・ω・`)
当時のポイントシステムで20点て上位チームでないと難しいだろ。
3位が5回分て考えたらわかる。
順当に行けば、4番手チームですらポイント取れないぐらいなんだし。
94年はシートが安定していないから、比較的ポイントは狙いやすかったかもしれん
4強全てのシートが固定じゃない年って珍しいのでは
混乱の年を象徴している
しかし95年の右京、新人にも負けるダメっぷりを見てフラビオは契約しなくてよかったとほっとしてただろうね
>>670
94年はシーズン中に次のレースまでにラム圧下げろとかディフューザーを短くしろ
とかの無茶なレギュレーション改定があってトップクラスも苦慮した中で
ティレルは結構うまく対応したという印象があるな、柔軟な人材が揃ってたんだね >>671
97年にミナルディの建て直し依頼で契約してるから
案外評価はそれなりにされてるんだと思うよ
ティレル023って一周走って戻ってくるともう足回りのセッティングが変わってる位無茶苦茶なくるまだっ 詳しい金額は知らないけどミナルディの時はチームリーダー、トゥルーリのお守り役
とかも込みで右京クラスの戦績のドライバーにしては破格のギャラだったと聞いた
とりあえず当時の歴代日本人f1ドライバーの最高額が出たとか
医者の待合室でレス書いてた途中で呼ばれて描き掛けが送信されてて草
>>674
凝ったギミック無かったのも功を奏したかなとも思う
フットワークとか結構攻めた空力処理してたけど改修リソース無くてダメージデカかったね
給油口の開閉すら手動の車とかティレルしか無かったらしいね
逆に他は開閉ギミック付けてるって川井ちゃんが教えてあげたら驚いてたとかw >>676
え、あのチーム
チームがドライバーに給料出せたの?w 94右京はガン宣告受けたり身内が死んだりで捨て身で走ってた部分もあったはず
右京はレギュレーション変更でダウンフォースが削られなければ
022はもっと上を狙えたと振り返ってるね
関係ないけどここで書かせて
フェラーリはシューマッハの後アロンソとライコネンとマッサとベッテルが乗ってたけど
マッサとライコネンは負け続けて、アロンソとベッテルがずっと勝ってた
でもタイトルとったのはマッサとライコネンの時代だった
>>682
wiki見るとレギュ改定でダウンフォース減ってリアが滑りやすくなって自分には向いてた
ってなってるけど、改定前のテストタイムみても特に苦にして無いんだよね、むしろ速い
改定前にポジション近かったであろう空力マシンのフットワークやザウバーが相対的に下がったのも良かったんだと思った 元々床下に頼ってないマクラーレンは恩恵受けた気がする
実際スペインじゃ速かったし
>>683
日本人関係者に一番人気だったアマトリチャーナとタリアテッレアララグーは食べてみたい
全然違うけどナポリタンとミートソースみたいな感じだったのかな
それとアルボレートとベルガーが「そればっかり食べてた」というヌテッラなるものに
興味がある、調べてみたらチョコ風味のピーナッツバターのようなものらしいが
どうやって食ってたんだろう どっちも全然知らない味付けだった
本格イタリアンだったんだね
イタリアのチームだから当たり前かw
右京はイタリア住んでた時は、
街中のその辺の店に適当に入ってもメシが旨い
それで毎日オリーブオイルどばどは掛けて食べてたら体壊した
って言ってたよw
なんかオリーブオイル取りすぎると良くないらしい。イタリア人は平気なのかも知れんけど
そら、ミナルディのメシもさぞや旨いのだろう
スクーデリアイタリアやフェラーリのメシはどうなんだろうな?
88年当時のグランプリ特集で「鈴鹿でオゼッラの食事に仕入れから完全密着」みたいな
特集があってパンから肉から麺から調味料まで全部市内のスーパーで現地調達で
イタリアチームなのに貧相でマズそうなメシだったのを覚えてる
>>687
Nuttella(スペル間違ってるかも)は欧米では普通にあるよ。
パンに塗って食べる。 マクドナルドのハンバーガーが食事のチームもあるんだろ?
贅沢言っちゃいけないよ。
チームの規模の割にミナルディは食費に振り過ぎって感じだったのかな
その拘りが愛すべきチーム気質か
イギリスのチームは規模関係なくメシがまずそう
>>691
有り難うございます、見るからに高カロリーなんだけどまだそういう事にうるさい
時代じゃなかったのかな >>693
モーターホームの食事に関してはジャンカルロが「関係者なら誰でも食事OK」という
コンセプトを提案して食材などの費用はアジップが持ってくれたらしい ウィリアムズってなんであんなに弱くなったんだ?
マクラーレンはたまに勝ってるけど
簡単に言うと資金難
家族経営を貫きドライバーやデザイナーを大切にしてこなかったツケ
困ったとき誰も助けてくれない環境を自ら作ってたわけよ
マンセルもプロストもヒルもチャンピオン取ってすぐに解雇してたね
逆にすごいと思ったけど
そりゃ前年と同じ契約金では雇えないからな
大成しそうな若手を安く雇ったほうがいい チャンピオンになったらまたポイ
ブーツェンなんか笑いが止まんねーだろうよ
あれだけ貢献したニューウェイも雇われデザイナーの域を出なかったからな
せめてドライバーの人選に加わらせてほしいと言っても蚊帳の外よ
>>687
ヌテッラは結構普通のスーパーにも置いてないか?
オーストラリア産になったけど やっぱ人の扱いなんだな
ウィリアムズはあの時にマンセルとかヒルを残してたらニューウェイが残っただろうから歴史が変わっただろうね
ジャックが15年ぶりにウィリアムズのマシンにカーナンバー1をつけた途端
チャンピオンと縁がなくなったのは皮肉(争った年はあるが)
前年と同じギャラでは雇えないからね
大成しそうな若手を安く雇ったほうがいい チャンピオンになったらまたポイ
強豪チームだからこそできた
ドライバーいらね
デザイナーいらね
エンジンほしい
ホンダがが離れてからこんな感じだったのかな
私の履歴書 中嶋回で80年代のレーサーはピケ、セナ、マンセルは
レース後に体力を使い果たしてほとんど口もきけないくらい
ぐったりしていた、シューマッハが表彰台で飛び跳ねていたのを見て
衝撃を受けたと書いていた。
>>707
gpカーストーリーfw22のラルフインタビューは
「ドライバーに過度の負荷をかけるのが彼らのスタイル、時代に合わせた経営手腕を
持ち合わせてないのだからフランクもクレアももっと早く退場すべき人物だった」
ウィリアムズ家には「こいつらのせいでチャンピオン獲り損ねた」級の恨みつらみ満載だった
まあヘッドはじめウィリアムズ側もラルフの態度(bmwべったりでチームに馴染もうとしない)
を批判してたが。ラルフのジャーマネだったトストなんか「あいつはラルフの爺やみたいな
もんで朝サーキットにやってくるとまずやる事はラルフの朝食のシリアル皿からレーズンを
一粒残らず取り除くんだぜ?『ラルフはレーズンがキライなんだ』とか言ってさ」と
今現在の立場がなくなるような暴露をされてた ラルフもコクピットに乗り込んで集中していたのに
スポンサーに挨拶してくれとかやられてクルマから
降りられされたらしいしね
そんなラルフも
アレジみたいにワイナリー所有まで行ってるかは分からないけど
今ではワインを造ってるらしいね
兄貴は相手を殺してでもチャンピオン取ろうとしたけど
弟はそういう奴じゃなかったな
弟は感情に流されやすいというか、レース運びに冷静さが足らない印象だった
ラルフの曲者っぷりは有名じゃなかったっけ?
気難しい傲慢わがまま
そんな話ばかりが聞こえてきた印象
レーオンかASか忘れたけどf1チーム女性スタッフ座談会みたいなので
当時モントーヤとラルフがいたときのウィリアムズの女性マネージャーは
血尿が出るくらいのストレスをふたりから受けたって言っていた。
長男はしっかりもの、次男は甘えん坊っていうテンプレみたいな兄弟だった
F1ではロクなキャリアが無いヒルやヴィルヌーヴがあっさりチャンピオンになったんだから
車さえ良ければドライバーなんてある程度のスキルがあれば誰でもいいってなるわな
>>716
アンブラドショーだな
俺も読んだ記憶があるが旧三栄は肌に合わず読まないからニーズ系かグラ特だと思う ヘッドはニューウェイが無造作にオフィスに置いていったマクラーレンとの
連絡書簡を偶然見てしまってそこにはニューウェイが移籍に当たり希望する事柄〜
年俸、優勝ボーナス、有給長期休暇、地位と職権、株式譲渡、必要な最新機材、
人材、〜そのどれひとつとってもウィリアムズでは実現不可能な話なのにマクラーレンは
ニューウェイの無理筋なすべての要求にokを出してることにショックを受けたらしい
>>706
複数年契約の場合ってないのかな?
それにチャンピオンになったからって、そんなに年俸は上げないでしょ。
最強マシンあってこその結果だし、ドライバーもそこは理解してる。
チャンピオンになったんだから年俸上げろとか言ったら、じゃあ他のドライバー乗せるわってなるんじゃないかな?
90年代前半のウイリアムズに関しては、ドライバーよりチームの方が立場強いと思う。
90年頃のトップドライバーが居なくなった後の顎なら大金積んででも乗って欲しいと思うだろうけど。
実際フェラーリはそうしたし。 >>697
トトウォルフがいた時代は良かったよ
中段トップと言って差し支えなかった
パットシモンズが辞めてボッタスの人的補償っぽい感じでパディロウがメルセデスから来て技術部門のトップになったんだが
この人事がトドメを刺したっぽい
マクラーレンはトップのザイドルが超有能で持ち直した >>723
93年プロストは複数年契約だったはず
でも自身のモチベーション低下とFIAによる仕打ちと
翌年からセナが乗るかもしれないってことで契約を切り上げた >>723
ヒルは元々ギャラが安かったんだよ
マンセルやヒルなんかはWC取ったんだから他のWCの様に自分も尊重してくれ
って言う主張をして足蹴にされた結果だね
プロストやセナが「乗りたいで〜す!」って立候補してたからチームは強気で対応しちゃったんだろうなぁ
多分マンセルに出ていかれる事は全く想定外だったと思う
プロストはセナとチームメイトになる選択肢は無いから辞める
ヒルは居なくなってから失敗に気が付いた程舐められてた fiaの嫌がらせは93年94年はすごかったな
シューマッハがグレタのも仕方ないって思ったわ
ヒルなんかはだいぶ安いギャラで契約してたんかな、ウィリアムズ放出が決まって
色んなチームと交渉したそうだけどザウバーは1レース100万ドル提示してきたので
自分の値打ち、相場がわからなくなったと言ってた
ザウバーの提示は複数年が前提だったので1年後にニューウェイのいるマクラーレン
に移籍したいので単年契約希望のヒルとは折り合わず結局アロウズになったが
>>726
マンセル離脱は想定外ではないと思うよ。
プロストとの契約時点でマンセルは別に要らないってなったんじゃ?
実際仲悪いし、まさかチャンピオンになったばかりのマンセルにプロストのサポートしろとは言えないだろうし。
結果的にはテストドライバーでマシンの事も熟知し、あれこれ言わないヒルで正解だったと思う。 ウィリアムズ側が処世術が下手というか、交渉の仕方が悪いんじゃないかな
契約で揉めるのは互いの妥協点を探れないからだろう
>>727
94年は特に見苦しく感じたな
もう今年は早々にシューマッハのタイトル決定でいいじゃんて思った
操作されたポイント争いに辟易したよ
あれはライバルに担ぎあげられたヒルも気の毒だ ヒルは97,98は良かったのに、99は急に引退するとか言い出してたな(´・ω・`)
下位カテゴリーでもほとんど実績ないテストドライバーがいきなりチャンピオンマシン乗って簡単に優勝争いの常連のトップドライバー扱いなるって当時は興ざめしたもんだ
トップチームのドライバーなるにはそれなりの順序があるだろうと
それをいきなり土足で踏み込まれてきたようななんとも不快な感覚
当時のウィリアムズはクソドライバーでセナを倒すのが目標だったかもね
じゃぁ別にマンセルやプロストと契約する必要なかったやん
>>729
条件全部飲むから記者会見止めてくれ
って言いに来る必要無かったのでは?と思う
体裁とメンツの問題かも知れんけど
最終的にwillはどうしたかったのだろうねぇ
>>731
溝付きタイヤに対応出来なくて心折られたんかなと思う
近年のインタビュー見ると一刻も早くF1から離れたかった勢いだった 92年5連勝なんて気分良かっただろうなあ シーズン半ば前にもう王手をかけちゃったから
>>723
違約金払ってでも追い出したかもしれないし、自分から出るよう冷遇したかもしれない
殿様経営で無敵になっちゃうと手がつけられない マクラーレンでも1993年のセナに1レース100万ドルで
合計1600万ドル以上支払ったら
その年だけ赤字だったってウィットマーシュが言っていたな
マクラーレン史上で赤字出したのあの年だけだったって
>>729
プロストはマンセルがチームメイトでOK出してたから
フランク自身はマンセル、プロストで考えてたと思う 92〜93年当時のウィリアムズは誰が乗ってもタイトルを獲れるんじゃないかという空気がF1界全体にあった
だから契約にしても「別にあんたじゃなくても」という強気の提示だったし
他のドライバーをチラつかせて交渉を有利に進めようとしたんじゃないかな
>>734
マンセルを切るのにイギリスのメディアやファンからの反発が凄かったらしい
声が大きくなるとスポンサー確保にも関わるから慌てたんじゃないかな 今みたいに一人で100勝するようなツマラン時代じゃなく面白かったわ
マンセル:
セナでもプロストでも渋々OK
でもジョイントナンバーワンは嫌
序列は明確にしてくれ
プロスト:
(マンセルなら御しやすいから)どんな待遇でもいいよ
何なら俺のギャラ減らしてマンセルに回してくれ、という余裕の態度
ちなみにセナと組むのは絶対に嫌
セナ:
誰がチームメイトでもいい。何なら無給でもいいから乗りたい
F1―ナイジェル・マンセルの光と影
って和訳本がでているけど
1992年開幕前にマンセル記者会見で翌93の契約を促しているんだよね。
93年はプロストがチームメイトだよと、ウィリアムズ側に言われて
それがイヤでズルズル引き伸ばしてハンガリーでチャンポン。
栄光のウィニングラップでテレビ解説のジェイムス・ハントに
「セナが今、ウィリアムズならノーサラリーで走りたいという
コメントがありまして」と栄光の瞬間を台無しにされた
>>734
まあ実際の所フランク始め首脳陣の考えはわからないし一般に知られてない事情もあったのかも知れない。
プロストと契約したならマンセル要らないってのは俺の予想だから。
上に書いたように、チャンピオンのマンセルにプロストのサポートしろとは言わないだろうし、逆もないだろう。
そうするとジョイントナンバー1って事になると思う。
可能性は低いけど、86年のように二人に自由に戦わせた結果別のドライバーにタイトルをさらわれるかも知れないし。
もしかしたらプロストマンセルの布陣にしたかったのかも知れないけど、考えづらいんだよな。 >>738
フランク・ウィリアムズが「私たちはここまで英国の支援無しに
チームを運営してきました、ナイジェルを雇うための資金を
皆さんは1ポンドでも出していただけるのですか」と
デモのあとに言ったら沈黙していた 与えられたのは前年とはまるで別車の神経質カーというオチ・・・
なんだかんだ言ってもセナはしっかりポール獲ってた 非ハイテクで戦える車に仕上げたチームも流石だと思う
コンストは死守できたしシューとヒルはたったの1点差だった
ジェイムス・ハント→へスケス卿のチームでデビューで後に王座
ナイジ・マンセル→アホみたなとこからf1王者
マンセルの会見に首脳陣が乱入したのって、単に強気に出てたら本当に辞めるって言い出したから慌てただけだと思ってたが、別の解釈するひともいるんだな
セナとシューマッハはちゃんと世代交代できなかったのが
つらかったな
>>740
100勝って言っても今はレース数も1.5倍ぐらいだしこのスレ時代も16戦で8勝とか9勝とかしてるしな。
顎だってレース数多かったら100勝超えてただろうし。 お値段据え置きでマンセルやや有利程度の条件で契約狙ってたんじゃ無いかとは思うのだけど
マンセルからしたらプロストがチームメイトって事は自分に不満があるのか?
って事にも思えるからマンセルのメンタルだと嫌だろうなぁ
>>747
もしかしたら自分の事かも知れないけど
自分も慌てただけだと思ってるよ 自分の車で、命を懸けて走ってくれるってのに軽視するか普通
そりゃーそれなりの金は払ってるだろうけども
今やTOP2チームにいないと優勝はほぼ無理だからね
そりゃ 人気もなくなるわ
昔はミスやトラブルでリタイヤが多かったから
それでシャッフルされる楽しみはありました
>>692
15年まで参戦してたロータスルノーかな?
ブーリエがマックに買い出しに行くのが上手くて評価されてボスになったとか 優勝できなくなったのは完走率が上がったのも大きそう
今は上位がマシントラブルでリタイヤとか、全くと言っていいほど見なくなったしな。事故くらいじゃない?あとはタイヤ周りかな。ピット引き伸ばしてパンクとか。
ウィリアムズはけっこう人事面でバーニーに手突っ込まれてる印象がある
セナの事故の後マンセル復帰とかビルヌーブ抜擢、期待の新人バトンを1年で切って
モントーヤとかはバーニーが無理言ってねじ込んだ印象がある
まあもちろん相応の見返りは受けてるんだろうけど
デニスにお願い事すると後々面倒くさそうだし色々ゴネそうだしフランクは
交渉相手としてイージーだったのかなという気はする
リタイヤ少ない
参加台数少ない
ポイントは下位まで貰える
ポイントは得やすくなったけど、リタイヤが少ないから多くのポイントを得るのはキツくなっているのかな
ICEにギアボックスと壊れたらペナルティ掛かるからそりゃねぇ…
だからFIAも予選レースとかでどうにか不確定要素ブチ込もうと苦慮してる
それじゃ無い!って突っ込み多数だけどw
>>757
正に昨日のレースやんけw
川井ちゃんが「チームは平気でピレリの忠告無視するw」って言ってたな
ピレリの予告通りに30周越えてのバースト祭だったから正確な解析である意味優秀w
>>758
古くからの知り合いって面も大きいんだろうねぇ
持ちつ持たれつってお互い良く分かってるだろうし プライベーターが通用する時代はとっくに終わってる
去年なんてノーポイント 早く退場すべきだったんだよ
>>761
オーナー変わったけど今のウィリアムズはプライベーターじゃね? >>762
だからウイリアムズみたいなプライベートチームの出番は終わったって言ってるんでしょ >>763
今年は20ポイント以上とってるし、Q3までいくこともあるし、復活の兆しはあると思うけど? 名称だけで中身は別モノだけどな 買った先はネームバリューのために残しただけさ
ブーツェンなんか気分いいだろう つーか円満に契約終えたドライバーは少ない気がする
ボッタスとマッサのころは結構強かったんだね
そのころ見てなかったけど
>>714
デビューの年にスピンして7位まで落ちたが兄貴がわざと抜かせて同一周回に戻してくれたおかげで6位に入れたレースがあったがそれ言われたときもあからさまに怒った感じで歩いてたw 兄弟コンプレックスが強いんだろうね
自分も弟だから気持ちは解らないでもないけど気合いが空回りしていたな
この業界、スレタイの頃は弟の方が兄貴より速い、が定説だったけどね
ロドリゲスとかフィッテパルディとかヴィルニューブとか
今宮純も自分より弟の方が速い理由に上の例を挙げてた
同じ競技で兄や姉が弟や妹より才能があるか、またはその逆かってはっきりした傾向ってあんの?
F1では偶々弟の方が優れてたパターンが多かったってだけじゃね?
子供の頃に同時期に同じ競技を始めたら年下の方がより早く始めた事で有利かもしれんな。
スポーツにしても芸術や将棋などのゲームや語学など、ほぼ何でも早くから始める程上達するしな。
兄弟で同じ競技っていうとスキーの荻原兄弟ぐらいしか思いつかない
そのうちメカドックの話題がぶっこまれそうw
影山兄弟はどうだったんだっけ?
>>767
この話はホント驚愕する
ファイナルラップでチームに無線で「ラルフいまどこにいる?」って聞いて
「君の後ろ*秒を走ってるよ」って返事からラルフに抜かせて一周チャンス与えた話だよね
レースを俯瞰で見てるのがよく判るわ
ラルフはちゃんとそのチャンス物にしたんだから誇っていんだけどなw ポルトガルgpは毎年マンセルが主役だったな
89年はセナに突撃、90年はプロストに幅寄せ、91年はタイヤポロリ
86・87・92年は優勝、88年もセナと接触だっけ?これが翌年とリンクするかな
87年はプロストが優勝してスチュワートの最多勝を越えた。
28勝が記録更新ってところに時代を感じる。
50勝から90勝とか100勝突破とかありえない記録の更新のされ方になったよね
マンセルの年間最多優勝9回はシューマッハが13勝まで更新したけど
その後は意外と更新されないね
壊れないし新しいアイデアはほぼガチガチのレギュレーションでハネられるし
一度速いマシン作られたら余程の大改正行われない限り他がひっくり返すのは今の時代至難の業
おまけに全くと言っていいほど壊れないから同じマシンばっか勝ちっ放しなるのはまあ当然
この頃までは速いマシンは壊れやすいとのトレードオフだったな
マクラーレンなんかは2005年くらいも速いけどよく壊れるってイメージだった
>>777
91の開幕4連勝のどこかで、スチュワートに並んだって言われたのは覚えてる。その上にプロストがいたけどね。
>>779
あの年、早々と9勝に並んだときはビックリしたわ。 >>781
来年は変わるぞ。
ハースにもワンチャンあるかもしれん。 壊れないイメージといえば92年ベネトンと
2012年ライコネンのロータス
今は滅多に壊れない代わりにペナルティとセイフティーカーで番狂わせが起こるけどな。
後メカニカルトラブルだけじゃなく、コースアウトしても復帰出来る場合が多いのも大きい。
昔は高確率でその場でリタイアか、戻れてもダート走ってダメージ負う事が多かった。
6セナ 4プロ 0マン モナコ 5シュー
6プロ 4マン 0セナ フランス 8シュー
3セナ 1マン 0プロ ハンガリー 2ピケ 8ハミ
2セナ 0プロ 0マン 鈴鹿 6シュー ベルガー2
5セナ 2プロ 1マン ベルギー 6シュー
3プロ 3マン 1セナ ポルトガル
5プロ 4マン 1セナ イギリス 8ハミ
3セナ 2プロ 2マン ドイツ 3ピケ
3プロ 2セナ 1マン イタリア 4ピケ
2プロ 2セナ 1マン オーストラリア
2プロ 2マン 1セナ メキシコ 3フェルス
2セナ 1プロ 1マン カナダ 7シュー・ハミ
6プロ 2セナ 2マン ブラジル
3プロ 3セナ 2マン サンマリノ 7シュー
4セナ 1プロ 0マン アメリカ 6ハミ
スレ汚しスマン セナプロマンのグランプリ別成績
気になる人の勝利数も書いた
昔はアスファルトのランオフエリアなんてあんまり無かったもんな
サンドトラップに突っ込んでおしまいってパターンが多かった
ランオフ無いから、鈴鹿デグナーふたつ目でアウトする最近のドライバー
この前なんかコース外でバトルしてるもんな
あんなのありかよって思った
追い抜きの変なルールが曖昧なまま導入されて気持ち悪い
まあバレーボールのルールが見る度に変わってるのよりはマシだけどw
ラクビーもキック合戦だもんな
ようはF1も変化だということか
安全への配慮は遅かったな コクピットなんて肩まで張り出してた
今のF1だったらセナは無傷だったと言われてるね
それまで12年間死人が出なかったってことで安全意識が弛緩していたと思う
そもそもラッツェンバーガーが事故死した時点でレース中止にすべきだった
興行を優先したFIAの罪は重い
ラッツェンバーガーじゃなくセナ事故死してたら中止になったのかな
バーニーは中止にしないような
ドライバーかあらするとどうなんだろう?優勝候補筆頭のポールシッターが
いなくなったんだから自分の勝つ確率は上がるし繪ドライバーだって
上の方が何人か戦意喪失してレース欠場、もしくは中途半端に走ってリタイアして
くれれば入賞できるかもしれんし
>>797
前の年は「F1は肩まで露出していて危険だ」と言った
マイケル・アンドレッティを笑ってたんだけどな。 トップドライバーが死なないとレギュレーション自体がヤバいという考えにならない
ウイングカーのヴィルヌーヴ然りGr.Bのトイヴォネン然りセナ然り
下位ドライバーが死んでもヘタだからで済まされてしまう
カーボンモノコック神話だよね
90年のドネリーはカーボンモノコックの強度がレギュレーション満たしてなかったんじゃね?
とか言われたけど、
ラッツェンの時はどうだったっけ?
ニキラウダとか自分が事故るまでは
事故った奴は下手だったか前日酒を飲みすぎたのだろう
って思ってたって言うからね。
そこまで頭がぶっ飛んでないとF1まで上がらないのかもね
カーボンモノコック神話てのは、ドライバーやチーム関係者ではあまり浸透してなかったようには思うけどね
セナがカーボンモノコックは安全だと主張していたのも、危険なドライビングへの非難に対するエクスキューズや話をそらせる方便という理由もあるんじゃね
ただ、マスコミの人たちの一部は安全神話信じていて、その発言や解説を聞いた視聴者(の多く)も信じていたという感じ
カーボンモノコック時代も、年々安全基準は強化されていってたよ。セナが死ぬまで何もしなかったとは思わないかな
まあ、95年を境に徹底して安全に目を向けたレギュレーション改定が始まったからそれまでは手緩かったかなと思う
タンブレロの改修なんて、やりゃできるじゃないかって感じだったし
グロージャンの事故でさえ重篤な後遺症も無く生還させたF1の安全性は驚異的なレベルに有るな
今後は死者なんて出ないかもね
下位カテゴリーでは死人出てるみたい
あんまり知らんけど
ただ、ユベールの事故はF1マシンでも無理だったかも知れんね
インディでのダン・ウェルドンのもこりゃダメだと見た瞬間に分かった
逆にジャスティン・ウィルソンのはえ、こんなんで死ぬんか?という感じがした
まあ、死ぬようなことやってるから面白いんだよね。
軽自動車で時速80キロのレースやっても面白くないわけだし。
>>803
ドネリーの場合、カーボンモノコックがより多くの衝撃を吸収して破壊されたから死なずに済んだ。
あの衝撃の多くがドネリーに伝わっていたら内臓が潰れて即死したのではないか?
という説もあった。 89年仏のグージェルミン空中一回転クラッシュは派手だったけど再スタートして
たしかFLも記録したしクルマトロールバーの安全性ってすごいなと思ったけど
ドネリーのは本当にヤバいと感じた、足が向いちゃいけない方にねじれてたし
>>797
今のF1でもヘイローの間からアームが刺さったら死ぬだろ。
寧ろラッツェンベルガーが今のF1だったら助かってたかどうか興味あるわ。 >>810
こんなんで死ぬんかって言えば、オープンホイールではないけどNASCARのアーンハートだな。
事故の映像見ても、あれでドライバーが死んでるか命に関わる重傷を負ってるとは誰も思わなかったし。 >>813
カーボンモノコックが広まっていった経緯を考えると、その文脈でロータスを擁護するのは詭弁の類よね。
吸収の役割はモノコックの外側に付いてる部品類の仕事。 >>815
死ぬようなことやってるから面白いなら軽自動車の80キロレースも面白い筈だぞ
下手すりゃF1より危ない=死ぬような事やってんだから 危険なら危険で帳尻合わせながら走り切るのがプロ
セナはなぜ走り続けたんだろうなあ 溶接してまで変えたいハンドルだったのかなあ
勇気と度胸が試されるようなスポーツは好きだけど
生死を掛けるのが当たり前になるとそれはスポーツじゃなくて見世物小屋と変わらないな
>>819
この年代知ってる世代なら、JTCC見てるだろ >>816
今のF1はサスアームがドライバーに向かって飛んでく様な事は無いだろ >>775
たぶん5位走ってるときにスピンして7位まで落ちて結局兄に助けられて入賞みたいな形になったから怒ってるような感じだった。 97年のヨーロッパなんて巻き添えリタイヤでチャンピオンの邪魔してたな
兄夫婦の荷物運びやらされてた時はちょっとかわいそうだと思ったw
にーちゃんの嫁って凄いブスだなとか思っていたのかな
セナとシューマッハの同時表彰台は4回だけなんだな
全部セナが上で全部シューマッハは3位だった
94年は最後までセナとシューマッハの戦いを見たかった(´・ω・`)
>>830
セナはあそこで伝説になった方が良かったんだよ多分
生きてたら有る意味死ぬより残酷な展開を見せられたかも >>832
自分も晩年のアルヌー化してたんじゃないかと思う どういう結果であれ決着はついてほしかったのがファンの共通認識だと思う
94ブラジルはベネトンが給油の不正をやってなかったらセナがギリ勝ってたかな(´・ω・`)
シューマッハ当人ですら、本来ならセナがタイトルを獲っていたはずとコメントしているからな
まあ、お決まりの優等生発言の印象もあるけども
史実のFW16Bの出来の良さから最終的にはかなりのデッドヒートになったんじゃないかな
>>836
給油の不正ってのもなー
実際にはフィルターを抜くことはFIAが許可してたから、ドイツまでは不正じゃないのよ
その後不正だとなったけど、不正とされたあとのレースで同じことをウィリアムズがやってたのにそちらは不問
給油フィルタの問題は、要はシューとヒルのポイント争いを操作するためのFIAの方便だからな ベネトンの不正はTCSであって、そっちを証拠不十分で暴けなかったから
あの手この手で貶めようとした感があるな
給油フィルターの件然り、フォーメーションラップで前車を追い抜いたとか
スキッドブロックが薄いとかペナルティとして重すぎると思う
>>820
例のシリーズのBT55本でゴードンマーレイが語っていたが、MP4/4についてプロストは
「寝そべるような姿勢で運転しづらい。もっと身体を起こした姿勢になるようにしてほしい。」
と言ったのに対しセナは
「この姿勢で運転してチャンピオンになれるならこのままでいい」って言ってたから
FW16はホントに運転しづらいクルマだったんだろう。 ベネトンb194は異常の強さだったな
88年のマクラーレンや92年のウィリアムズを超えてたかもしれん
不正は抜きにしても、ベネトンはシューマッハを中心に綿密にレースの組み立てや
給油戦略を練って常に先を行っていたからなあ
ウィリアムズは総距離を2で割って給油するぐらいのざっくりした計算だったそうだから
そりゃ勝てないと思う
ましてドライバー軽視のチームじゃそのドライバーの特性に合った戦略なんて立てようもない
>>840
まあその発言はまだセナが一回も戴冠してない時のものだからな
それから6年経って3回戴冠して通算勝利も40回越えて
わがままも言うよ 給油でのピット戦略はシューマッハ時代にはまったな
給油量を減らしてピットタイム短くしたり、最初の搭載燃料を多めにしてスティントを伸ばしたり
途中でピットストップの回数かえたりあらゆる作戦を繰り出してたイメージがあるわ
>>836
無理だと思う
前年同様多分ホームストレートでかわされれたんじゃないか セナが生きてたら後20勝30PP以上、2回チャンピオンぐらい行けたんじゃね?
死亡時34歳だったから大体後4年ぐらいやったと思うけど、キャリア晩年に関しては予想が難しいな。
大体30代後半は見ていて衰えがわかるぐらいだけど、個人差が結構あるから。
マンセルは20代の頃パッとしなくてピークが30代後半だったし、プロストもモチベーションが保てればまだやれただろうしな。
セナもどこまでモチベーションを保てるかがポイントだと思う。
ブランクがあって40歳過ぎていたとは言え、あの顎があそこまで冴えなかったのはある意味ショックだったし。
>>846
セナ自身が衰えなくてもウィリアムズにはもって2年(95年まで)
下手すると94年で離脱もありえるからその時勝てるシートがあるかどうかも問題かな 弘法筆を選んでしまったかセナ・・・ 3連リタイアしたって取り返せたはず
コンストは守れたしヒルとシューはたった1ポイント差だった
序盤以降きちんと仕上げてきたウィリアムズはさすがだと思う
>>844
素人目にも給油を主体にしたレース戦略の次元が違うと思ったよ
給油前後は明らかにマージンを計算して走っているラップタイムだった >>849
あのころはタイヤ交換はおまけで燃料の重量によるラップタイムの変化をどれだけ見極めるかが勝負だったんだろうね
それまでと全く違う次元のレースに代わった気がする
それをしっかり研究したシューマッハが他チームを圧倒してたんだと思う
テクニックより頭脳を要求された時代だったかも
まあこれすべて妄想だけど ロス・ブラウンがル・マンでのジャガーの戦略を
1994ベネトンに持ち込んだって言われていたね。
TWRに一時期いたし、シューマッハーはザウバー・メルセデスで。
ロス・ブラウンはある意味耐久レース的な要素で力を発揮したね。戦略要素が強まった。
その点、ニューウェイは戦略家としてはダメだったってヘッドは言ってるね。ニューウェイがレースエンジニアも兼ねてるウィリアムズもどうかと思うが。
この時期のフェラーリはこの手の話はあんまり聞かないな。
シューマッハが強いのはその手の頭脳戦を自ら舵取りしているところ
94年からしばらくは「戦略」という程、給油が作戦の中心じゃなかったぞ。
シューマッハはとにかく全力疾走で、これをやり続ける体力が
他のドライバー(特にセナを筆頭にしたベテラン)との圧倒的な違い。
給油が本格的に戦略になったのは、2000年頃のシューマッハとフェラーリからだろ。
ドライバーが燃料(重量)とタイヤを考慮しながら300kmをどう走るか戦略を組み立ててたけど
給油時代になってスプリントレースをどう区切るか?みたいにはなったよね
>>848
ベネトンとFIAが色々悶着あっての1ポイント差とWillコンストだからなぁ・・・
大幅なレギュレーション改定でB194の特性も変わってるし
セナが生きていると仮定するとこの辺の不確定要素が無くなってしまう様な 94年95年はウィリアムズがいつもシューマッハに
オーバーカットやアンダーカットをされまくってやられまくってた
ウィリアムズはそれに全く対応できなかった
Willは馬鹿正直に半分で区切ってた印象だな
逆にそういうの前提で車の設計やセッティングしてたのかもしれんけど
なのでニューウェイはそこから抜けられんかったのかも
94年のフランスやヨーロッパは相手より多いピットストップでアンダーカット作戦
95年イギリスみたいに大きく差をつけらたらピットストップを減らしてオーバーカット作戦
臨機応変を絵にかいたようなレースをしてた
どのチームも基本、3等分して2回ストップか2等分の1回ストップで、
前が詰まって抜けない時は早めに入ることもあったぐらいかな。
ガチンコで競ってる状態で予定より早くとか遅くは、そんなになかった印象。
今みたいに、全車の位置やセクタータイムの詳細がはっきり分かるシステムでもなかったし。
94年のシューマッハは2戦失格、さらに2戦出場停止だからな
4戦ゼロポイントは大きいよ
シューマッハは2ストップならフルタンクの4割弱くらい燃料積んで
3ストップなら3割弱くらい積んでとかピット作戦を柔軟にやってたな
あとはインラップアウトラップで稼いでコース上でないところで追い抜く
耐久やってた人達には当たり前に考える事だったんだけど、ベネトン時代のロス・ブラウンが敵の無策ぶりに逆に驚いていたね。
ヘッドはレース戦略面でベネトンの後塵を拝したことの責任を全部ニューウェイに
なすりつけてたな
「エイドリアンは製図板の前に座らせて鉛筆にぎらせりゃあそりゃすごかったけど
ピットレーンでヘッドフォン付けてクリップボード持たせるとちょっとな。適材適所
というのはやっぱりあるんだ、それと彼は自分の三氏をドライバーに正直に打ち明ける
事を怠った』と言ってるけど適材適所を遂行するのはお前の仕事では?って感じだけどな
フランクがあんな身体になったからチーム運営はもうひとりの株主の
ヘッドがやらざるを獲なくなったのだろうな
現場はニューウェイで、手が足りなかったのだろう
戦略担当を他からヘッドハントしてくるとか考えなかったのかな・・・
現代のF1でも戦略担当はチーム内で適当に立候補してきた奴を指名してる所もあるようだけど
この頃ってピット内の人数制限とかあったんだっけ?
ニューウェイが現場監督の適正があるのか解らないけど
フラビオ指揮下のベネトンは役割分担がはっきりしていたな
「自分に何ができて何ができないかよく解っているのがフラビオの強み」って評を聞いて
なるほどなと思ったよ
>>868
ティレルなんかは戦略担当を誰がやるかで候補が3人、ケン御大、ハ―ヴェイ、ガスコイン、消去法でガスコインになったとか
戦略担当専門の人材が必要という発想がまだなかったのかな >>865
零細企業は気楽に働ける大企業は自分の担当範囲がハッキリ区別されててその中で働ける
中小企業はあれもこれもと任されて目が回るように忙しい、ウイリアムズは中小なんだろう >>873
病名は公表されてないけど、今朝病院で家族に囲まれて静かに息を引き取ったとF1公式は伝えてる 入院していた、と記事にあるから何らかの病かもね
79歳か
健康でもあと数年という年代だけどF1の一つの時代の区切りだな
往年のウィリアムズには熱狂したよ
お悔やみ申し上げます
>>875
まだ79歳だぞ
バーニーなんて1回り上の91歳で、しかも89歳の時49歳年下の妻とで子供作ってる 脊髄損傷の下半身麻痺から35年、F1界で築いた富に裏付けされた万全の医療体制が
敷かれてたからこそここまで長生きできたんだと思う、天寿を全うした感じ
ご冥福をお祈り申し上げます
ジョーンズ ロイテマン ロズベルク マンセル ピケ ブーツェン パトレーゼ
プロスト ヒル ビルヌーブ フレンツェン ラルフ モントーヤ マルドナド
抜けてたらゴメン
2000年の鈴鹿で車椅子で長旅をして
ブリヂストンタイヤに訪問し
「来年からミシュランに移りますけど、ブリヂストンには
本当に良くして頂きました、ありがとうございます」って
挨拶しに来てくれたんだよ、義理を忘れないフランク
合掌
>>881
ウィリアムズ在籍時に優勝したドライバーかな?
セナの名前がないのが寂しく感じるね。
ちなみにクルサードが抜けてる。 フランクはチーム内の揉め事、ドライバーからの苦情を実に真摯な表情で親身になって聞き
重く威厳のある口調で「それはけしからんな、即刻対処し厳正に改善しよう」と
言っておいて何もせずほっぽらかしておくのが大得意だったというがそういう食えない
狸っぷりがなんともいとおしかった
チャンピオンになるとチームから追い出されるんだっけ
チャンピオンになる前に事故死させられることもあった
ヘッド爺さんも縁側での茶飲み友達いなくなって寂しかろうな
>>873
イギリス人で79は十分年だし、チームも手放して一気に衰えが来たんでしょう。 >>884
ジョーンズ、ロイテマンから学んだんでしょう、無駄だって >>885
チャンピオンにすると、チームの許可なく引退会見しちゃうから このスレタイの頃は40代半ばだったのか、あのころから爺さんだと思ってた
同じハゲでデニスとは5歳しか違わない、デニスが若々しかったのもあるけど
老け過ぎだ
ブルーのセナも乗ってたな
そのころ見てなかったけど
スレタイの頃中学生だったけど当時から
「長老」
って感じだったなw
ジジイが率いる最強軍団って感じ
バーニーの妖怪ぶりが一層際立つな…
いやいや元気で何より何だけど
こんな状況下だとホンダの関係者も葬式にも行けんな…
またイギリスとんでもねぇ事になっとるし
>>888
ケンティレルも手放してからあっという間だったよな >>895
ああいうちっこい人は心臓の負担も少なくて長生きしそう
バーニーは若返りのため定期的に血液の総入れ替えをしてるって噂もあったな >>895
ホンダからウィリアムズに不義理を働いたのだから、どのツラ下げて葬式行くのよと思わなくもない
参列しにいって歓迎されるのは川本氏くらいじゃねえのかな 昨日ネットのf1記事でベネトンb194は違法だったとか書いてあったから
ここで書こうと思ったけどそういう空気じゃなくなった
>>898
どの本で読んだのか忘れたがb194の違反ギミックについては92、93年に続いて
ウィリアムズが独走して退屈なシーズンになることを恐れたバーニーが一心同体の
モズレーFIAに働きかけ阿吽の呼吸でお目こぼししてた、だがセナの事故があり
状況が変わったためFIAはベネトンに対し抑え込みを始めたがベネトン側が言うことを
聞かないでそのまま逃げ切ろうとしたためああいういびつな事態になったというのが
事の真相だ、という記事があったな GPCARのB194号でチラっと触れていたな
・94年シーズン前にウィリアムズの独走を懸念したFIAとベネトンが違法マシンの密約をした
・セナの横死によりFIAは違法マシン使用をやめるようベネトンに打診
・文書?書簡?があるから聞き入れないとベネトンは突っぱねた
・FIAはあの手この手でベネトンをバッシング
・シーズン後、主導したウォーキンショーがベネトンを抜けリジェのオーナーになることで手打ちにした
なんか陰謀論ぽい話だけどね
何だかなぁ〜な話だねぇ
TCSに関しては右京が「そんなのどこのチームもやっとるがな、まぁティレルは上手くいかなかったけど」
って話しとるからワークス系はどのチームもかなり危ない橋渡ってたんじゃ無いかとは思う
トラコンに関してはフェラーリもプジョーも(ルノーは失念)同様に疑惑持たれてたし、ECUのプログラムを提出するようFIAから指示されてたね
結局どのメーカーも罰金食らってたでしょ。罰金の名目は「指示された期限までにプログラムを提出しなかった」ではあったけど、ね。
当時のベネトンは、まだ「二流チーム」だったことも厳しく扱われた理由かなとは思うよ。
二流とうのは実力のことではなく、F1の中でのブランド力と言った感じのものね
当時はフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズあたりが一流かねえ
80年代の頭くらいだと、ウィリアムズは二流扱いだったね
>>896
てかあのじいさん別名マモー、いや誰か来たようだ。 ECUの統一って2007年くらいで、それまでは違反を検地できないから
トラコン再解禁とかやっていたもんな
ベネトンは給油リグの不正改造もあったよな。あれが出場停止の理由だっけか。
今岡山のパシフィックGPの録画みてたんだが、古館こえーわ。「若きベネトンの
シューマッハ、ターミネーター走法で・・・」ってやってたけど、ホントにトラコンで
ターミネーターだったとはね。
>>901
何だかなぁ、だよね
件のムックもそんなに本気にしていなくて、そんな説もあったなんていう程度の扱いだったよ
どのチームも他チームを出し抜くために規則の穴を突いた技術を盛り込もうとしていたし
バレないイカサマはイカサマじゃないって意識はあったと思う
メゾネットウイングなんて屁理屈みたいなデザインだったし メゾネットウイングはアランジェンキンスさんの発明だったなw
>>907
フィルタ取り外しは事前に確認取ってOK貰ってた
給油機にガソリン入れる時に予めフィルタで濾しておけは問題ないよね?→OK
なのに、いきなり違反と
05年のBARと同じで解釈違いで吊るされたのかもね
あの時のBARも事前に確認取ってたんだけど
アレはエンジン二戦連続使用義務の裏側付いてゴール直前のホームストレートで止める
ってFIAにわざわざ喧嘩売ったせいだと思ってたりするw >>912
83年と84年辺りもメゾネットウィングやサブウィングがあったみたいよ
85年に禁止されたはずなのになぜかレギュレーションがいつの間にか緩くなってたんだな 勝手に緩くなるわけない。それぞれの設置場所を見るとそれぞれ違う場所についている。
禁止領域が設定されるとそこではない部分に新たな追加ウイングが設定されるという
いたちごっこが行われていただけ。
>>914
それな
でもまあ、許可範囲に追加ウイングをつけるという意味では、80.年代前半から中盤までの追加ウイングとメゾネットウイングは全く同じことよねよね、とは思う。
なので、90年代に新しく出てきた考え方とも思わないし、ジェンキンスの発明って感覚も全く無いかなあ ↑酔っぱらって書いてたから変な文になっちゃった
でもまあ、という言葉は無視しておくんなまし
>>916
16時に酔っ払っている爺さんの書き込みなんですね >>903
「ベネトンは年間1〜2勝のチームと見なされていて、それ以上勝つと目を付けられる」と当時の中嶋さんが言ってたのが印象深い 目を付けられる
ってのが何処から?なのかの文脈が気にかかるけど
他のチームからマークがキツくなるって事かも知れんし
それでシューマッハは勝ちすぎても吊るされないチーム=フェラーリへの移籍を撰んだ
フェラーリがF1から撤退するぞと脅せばお上は黙るしかないけど
ベネトンが撤退をチラつかせても、どうぞどうぞって感じになるな
>>920
今でもかも知らんけどこのころのチーム間の疑心暗鬼は凄かったんだろうな
なんかフリー走行でずば抜けたタイム出しただけで「あそこは絶対不正やってる」みたいな >>924
ただし移籍時点では勝てるチームではなくて自分で勝てるチームにする、というのがスゴいよね 今もメルセデスとレッドブルがお互い不正だって言ってるし
同じことやってるな
今年最後のgpカーストーリーは8日発売のSF3、スレタイ時期からはずれるけど
アランジェンキンスのインタビューがあったらいいな
ジェンキンス、ダ―ニー、リンランドあたりの微妙なデザイナーのクルマ大好物なので
そこら辺をまとめて一冊にしてくれたらうれしい
アンダーソンもその範疇の人なんだけどやたらインタビュー記事が多いのでどうでもいい
>>927
シューマッハ自身は当初マクラーレン入りを希望していたのに
なんでこんなチームとの契約を薦めたんだよと
マネージャーを恨めしそうな目で見ていたそうw あの頃はどのチームもマクラーレンそっくりの車をつくってた。
>>929
いいね
90ラルースやレイトンハウス、92ロータスに関わったクリスマーフィーも好きだな SF3ついに来たか
アンダーソン、ジェンキンス、ハミディの三人が関わって
その後の御活躍が皆微妙な為に誰の功績かさっぱり不明な名車&迷車
>>921
つまり他所からマークがキツくなるって事でわ?
今でも変わらんよね >>932
Cマーフィー忘れちゃいかんな、それにGブルナー、Aコスタも
コスタは大出世しちゃってこのグループじゃないんだろうな >>930
でも言うほど95年頃のマクラーレン良かったか?棚ぼたでも94-95で勝利挙げてるフェラーリの方が良くない?
と書いてて気付いたが顎は元々メルセデスドライバーだったか。ハッキネンもいたしな。マクラーレン行きはアリだったかも。 ハッキネンがシューマッハのポチになっていた可能性もあったのか
マクラーレンはジョイントナンバーワン体制だから
シューマッハは行かない希ガス
>>935
当時は不振だったとはいえ、チームとしてはフェラーリよりマクラーレンの方が遥かにしっかりしてたからじゃね? >>930 ほか
1995の時点ではシューよりマネージャー(ウィリーウェバーだっけ?)のほうが先を見通す力があったということかね
マクラーレンでは、ベネトン時代のメンバーを呼び集めてチームシューマッハを作り上げることはできなかっただろうね フェラーリ トッド体制 バーナード 低迷期を脱しつつある
マクラーレン メルセデスエンジン獲得で返り咲きあるかも
けっこうどっちも移籍先としてはアリだな
ハッキネンとシューマッハのコンビならかなりハイレベルな争いが見られたか
あるいはチームが崩壊したか
99年ヨーロッパとか、シューマッハがいないだけでフェラーリでもこんなグダグダになるのかと思うけど。
>>942
普通にどっちかがチャンピオンになっていたでしょ。
ピケ・マンセル時代のプロストに匹敵するようなドライバーはいない >>943
引退して1年後ぐらいのフェラーリでロリポップの操作ミスが頻発したけど
シューマッハ時代では考えられなかったな
そういうミスが起こらないよう普段から徹底していたと思う 元々シューマッハはメルセデスのドライバーだったからマクラーレンに行きたかった
多分ウィリーウェバーはフェラーリ行く以外にイメージを払拭出来ない
と考えたんじゃないかと思う。移籍前にベネトン首脳陣がフェラーリ移籍するなんて頭に無かったハズなので
マクラーレンとフェラーリを比べて〜ってのは可能性低いかなと思う
ただ数年後にシューマッハのインタビュー記事でメルセデスへの移籍の可能性聞かれて
ロンデニス体制と自分は合わないと思う
って言ってはいた
>>944
クルサードが何か言いたそうだぞw 多分フェラーリの提示した条件も破格だったんだろうな
当時在籍してたバーナードは新しい機材買い足すのに経費請求しても一度も満額出して
もらえたことがなかったそうだけどシューマッハ加入が決定した途端満額支払われる
ようになったうえトッドが「ほかに必要な機材があったら遠慮なく申し出ろよ」と
言ってくるようになったらしい
万全の受け入れ態勢を整えてたんだろうね
マルボロがフェラーリ一本にスポンサーを絞ったのも予算増額の煽りかな?
シェルのロゴもでかくてスポンサー額が大きいように思えるし
それまでと比べてかなり資金増額したんだろうな
シェルといえばマクラーレンのイメージだったのにな
結局92年最後に一度も契約してないのか
マクラーレンは94年までシェル
95年メルセデス積んだ際にモービル
多分シェルから貰ってたのと同じ位の金はメルセデスが出してたんじゃないかな
フェラーリファンにとっては
シューマッハはスーパーヒーローなんだろうな
あれシェルってドイツシェルなんだよね
シューにも金が行くし、フェラーリもアジップから変えて大幅増額
5年かかってタイトル取り戻して、そのまた5年維持したからな
プロストも90年は惜しかったな
鈴鹿で大人しくセナを先に行かせてれば・・・やっぱどこかで突っ込まれたかなあ
>>942
顎の圧勝じゃないかな?
ハッキネンは政治力の面で全然敵わないだろうし。
ただ、デニスはハッキネンを贔屓しそうだからやっぱりチーム内で色々揉めそう。 >>954
セナは最初から当てに行ってるんだから、セナを先に行かせるはムリよ
プロストご左によけたらセナも左にハンドル切るだけでしょ
セナはノーブレーキだから、プロスト車がいなかったらオーバースピードでコースアウトするしかない >>954
セナは最初からスタート直後にぶつけるつもりだったと翌年のインタビューで告白したから
スタート直後がダメでも接近戦になりそうだったらすぐにぶつけたんじゃないか? へレス戦法がベスト
ぴたりと後ろにつけてアンダーカットないしオーバーカットで交わす
車の仕上がり具合からいって鈴鹿でも可能だった筈
セナのプロストへのライバル心はトールマン時代、モナコで勝ったと勘違いして
手を上げながらウイニングランさせられ恥をかかされたところから来てる気がする
ピットスタートしておけば避けられた
あるいはフォーメーション前にエンスト
>>958
セナが先頭なら、ゆっくり走って大きな集団にしておいて、トリッキーなブレーキでも掛けて行き場を無くしたプロストに体当たりで一丁上がりかね >>957
予選前にセナが希望していったん了承された「ポールポジションをレコードライン側に」
がちゃんと履行されてればクリーンなレースになってたかも F1走る魂 読んだら中嶋の消極的な姿勢にイライラしてきた。速いとか遅いとか以前だろ、あんな周りに遠慮した奴なんか勝負の世界に加わる資格がないよ。
やはり日本人初のフルタイムF1ドライバーは燃える闘魂 星野であるべきだった。
>>961
後ろにいるプロストがセナに追突する形になった方がセナ、後藤、セナ信者にとってはよかったな。
「またプロストがやりやがった」って言えるからな。 >>954
89年タイトルこそ獲ったが速さでは完敗だったプロストが、
90年は速さでセナを上回ったのが熱かった。 プロストのチーム掌握術というのもすごいんだろうね
フィオラノでのテストの時プロストが「こうこうこういうパーツを作ってここにくっつけたら
ちょっとは効果があるかな?」とか雑談のつもりで軽口叩いたら翌朝そのパーツが本当に
その場所にくっついててびっくりしたと言ってたけどそういう無理な要求にでも応えよう
とさせる何かがあるんだろうな
プロストが一番萎えたのは、自分をクビにしてセナを招き入れようという動きがあったから
>>966
F92A本見ると
チーム全体として全く統率は取れてはいないけど
個人個人が好き勝手にやってる印象あった
何か「んじゃ作ってやっか」って人が居ただけって気がしないでもないw >>971
ヘレスで惨敗したから、その後鈴鹿でぶつけて勝負を付けようと考えたわけだろ 最初から当てる気だったら後ろで様子見たってダメだ スピード合わせてドカンで終わり
故意だと見抜いてたのはピケだけじゃないはず
>>960
「予告」聞いたベルガーが耳打ちすべきだったな 仲は知らんが ピケははじめ2回のタイトルはどっちも大逆転なんだね
3回目は逃げ切りだったけど
86年にリアルタイムで見てた人のピケの印象ってマッサに押されるライコネンみたいな感じだったのかな?
>>973
90年総集編でも見られるけどレース前ドライバーズミーティングで
ピケがエスケープゾーンから直進禁止で逆走の危険性を指摘してたけど
後年の本山が待ち伏せしてドッカーンと行ったみたいに
セナがやるんじゃないかという予感があったと思う このスレ80年代前半からシューマッハ5連覇前くらいまで語れるね
当時の空気としては正義の戦士セナ対プロストバレストルのf1界を牛耳る悪の枢軸連合
という感じだった
ジャンプの漫画的には、マンセル・パトレーゼも悪役顔だった記憶があるぞw
>>963
爺さんは日産がいまだにトヨタの次の位置と思ってそうだよね。
・フジスペシャルのコジマに乗っての体たらく
・中嶋に負けるのがいやでベネトンのオファーを断った
日本一速い男(笑)はタキ井上よりも遅いと思うよ スーライ剥奪してれば死ぬことはなかった
シューミも後に真似しなかった 説教中の「オメーが言うな」的な顔・・・
いまのF1で90年鈴鹿のセナみたいな特攻やらかしたらスーライ剥奪になるかな?
1997のシューマッハは全ポイント剥奪で
ランクギンから抹消だったね
シューマッハは負けたからはく奪された
89プロスト90セナ94シューは勝ったからはく奪されなかった
97年て実質ペナルティなしだよな
ポイントは有効で個人ランキングだけ剥奪でしょ?
コンストラクターは有効だし、入賞記録も取り消しじゃない
まあ、そんなことしたら繰り上げで他のドライバーの順位がややこしくなるけど
フェラーリ復活させたくて必死だったんだろうな
関係ないけど翌年のWGP250も特攻で決着 バイクでやるか普通・・・
>>989
あれほんと意味無いよな。
個人成績は有効で、ランキングからのみ除外とか。
一応形だけのペナルティ。 今年もタイトなチャンピオンシップだけどクラッシュで最後終わりとかはやめてほしいわ(´・ω・`)
>>783
ファッキンメルセデスって言われてたからなぁ。今では信じられないけど ダゾーンの番組で中嶋がセナより速かったことは無かったけど、ピケより速かったことはあったって言ってたけど、これマジ?
lud20230206003126ca
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