1970年11月18日 創価学会結成
その後オイルショックを機に徐々に会員を増やしていく
他の宗教からくら替えさせるのは史実よりも簡単になってたでしょうか?
部落差別、在日差別、家庭における婦人差別などの問題は戦後すぐよりは緩和してたろうけど、オウムのことを思えば別のターゲットが狙われていたんじゃないかという気はするね。
リストラされそうなサラリーマンや就職難の学生の他にどんなのがターゲットになってたかな
当時の若者たちはそんなに濃密な人間関係を求めてたのか
現代と真逆だな
村の「寄合い」などで語らうのは、娯楽だったんだな。
今だと大学のサークル活動が近いんじゃないかと思う。いまでも布教活動にサークル結成して学生引っ張るってド定番だな。
バブル崩壊の1991年夏ごろから大々的な布教に乗り出す
早ければその翌年には学生部結成かな
ちょうど18歳人口もピークに達するわけだし
団塊ジュニア以降の世代に「日蓮」はキャッチしないんじゃないかな?
まぁ、創価学会よりだいぶと新しい幸福の科学は、イタコで布教してるんだから
可能かも知らんが。
自分なら原始仏教とかで原語のカタカナにするかな。オウム風。
CoCoの「夢だけ見てる」やZARDの「負けないで」を口ずさんで精神を鼓舞しようとする学会青年たち
政治進出を決断するのは自民党長期政権陥落の1993年辺りか
スレタイが現実のものになったら大石寺の観光地化が堂々とまかり通ってた
真面目に仕事励む サラリーマン リストラの試練が迫る
こぼれそうな人生の 幸(さち)は はかなく消えるのか
バブルの売り手市場 気付けば乗り遅れたみたい
日本経済の冬の冷たさを それでも暖かく感じたハズ
戸田城聖時代の 創価学会があれば
女子大生次第に 大石寺に救いを求めたよ
熱意の誘いに心 奪われて 無邪気に信仰できる
世紀末の世の中で そんな宗教を 一度は見たいと願った
真面目に仕事励む サラリーマン 穏やかに試練乗り切れ
失われた10年の そう冬は必ず 春となる事を知ってる
そびえ立つビル囲まれて 信濃町で燃える会長…
創設者つまり初代会長はどんな人がなってただろうか
そしてその後二代会長は誰が継いでいたのかな
興味は尽きないぜ
本格的に勢力拡大するのは海部内閣退陣以降になってただろうけど
海部さんとかはもう創価学会の組織力に目を付けてたかもな
史実みたいに参議院で公明政治連盟作ってから公明党結成させるんじゃなくて
いきなり新進党に合流してたかもね
80年代に創価教育学会があったら校内暴力問題にどう立ち向かっていたか
創価学会の勢力拡大の歴史的意義は、戦後、日本共産党に吸収される可能性が高かった層を
信者として取り込んでいったことにある。
スレタイ通りなら戦後日本は左翼な若者だらけになってたかもね