神の御告げでヒャッハーしながら文明地域を略奪するなど
どう考えても黒歴史なのに
なぜ三韓征伐は事実ということにしたがるのか
ぶっちゃけ古代なんて侵略戦争する側にマイナスイメージないだろ
中世ヨーロッパだって戦争は勝った側に神の御意志があったって言うし
事実かどうかは物証出てからだね
神功皇后の先祖は新羅の王族やで
三韓征伐は単に父祖の地を取り戻して倭と韓両方に君臨する女帝になりに来ただけや
なんぞ類似点があるかね
死んだイザナミを迎えにいき結局失敗する話は、似たようなんがギリシャ神話にもあるが
古事記、日本書紀は当時の皇室の正当性を主張した偽りの系譜
に海幸山幸などの伝承を強引に結び付けた書物
戦前は神話は史実として歴史の教科書に載せられていた
神話の虚構性を説いた津田左右吉「日本上代史研究」は発禁処分、
起訴されて有罪判決が出た(のち、免訴)
神功皇后の三韓征伐は戦前は史実とされていた
戦後、神功皇后は存在を疑問視されて日本史の教科書から消えた
広開土王碑に、日本が韓国に兵を送っていたのを朝鮮半島側の資料で確認できるので
神功皇后の実在性はともかく、彼女の伝説のような事態は実際になっただろう確認できる。
神功皇后(170年‐269年)
好太王(374年 - 412年)
仲哀8(199)年9月条に仲哀天皇は神功皇后とともに熊襲討伐のため儺県の香椎宮を訪れる。
そこで、神懸りした神功皇后から神のお告げを受けた。託宣では熊襲よりも宝のある新羅を
攻めよとされた。しかし、仲哀天皇は、これを信じず、高い丘にのぼり、海を見ても、そんな
国は見えないとして、神になぜ欺くのかといった。
神功皇后はお腹に子供を妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。
新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという。
好太王碑
太王の業績を称えるために子の長寿王が(西暦414年10月28日)に建てた。
倭に関する記述
そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・
新羅を破り、臣民となしてしまった。(欠損部分を部分を日本学会による通説により校訂し訳す。)
399年、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平壌に出向いた。ちょうどそのとき
新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので高句麗王の救援をお願いしたい」と願い
出たので、大王は救援することにした。
400年、5万の大軍を派遣して新羅を救援した。新羅王都にいっぱいいた倭軍が退却したので、これを追って任那
・加羅に迫った。ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。
404年、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に侵入してきたので、これを討って大敗させた。
まず時代が一致しない
神功皇后の夫である仲哀天皇は新羅を知らず宣託を信じなかったため急死、神功皇后が新羅を攻めると新羅
は戦わずにして降伏、高句麗・百済も臣下になったというのが「日本書紀」の記述
倭が百済、新羅を攻めたが高句麗が撃退したというのが好太王碑の記述
戦前は史実とされていた神功皇后の三韓征伐は史実とみなされず戦後教科書から消えた
ちなみに南北朝時代も天皇が同時に二人存在したというのは天皇の権威を貶めるので教科書には載せられなかった
日本が半島を植民地にしてたんじゃなくて
半島の弱小部族が日本に逃げて来たんじゃないの