作風や本人の風貌、また安彦良和との比較から陰湿で難しい性格だと思われがちだが、
実際は人当たりが良くサービス精神旺盛な性格で、アニメーターとしては珍しく作品のイベントやトークショーには積極的に参加している。
東日本大震災の義援金活動も頻繁に行っているほか、最近では舞台役者としても活躍している。
ファンとの交流も手厚く、イラストを描いたり絵の指導をしたりと、アニメ業界以外の人脈も幅広い。
また、若くて綺麗な女性に慕われやすい独特のチャーミングさを持つ。
これは、北海道弁のなまりが完全に抜け切っている安彦良和とは対照的な点である。
アニメーターの名は湖川友謙(こがわとものり)(69)。「巨人の星」などに関わった後、1978年の「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版や、同年のテレビ版「銀河鉄道999」で作画監督を務めた。アニメ業界ではちょっとした有名人なのである。
業界関係者が言う。
「70年代に活躍された方で、実は未だにファンクラブが存在しています。所属しているのは80人ほど。本人を交えて飲み会をやったり交流を深めているのですが、最近の湖川さんの行動には眉を顰めるファンも少なくないと聞いています」
元ファンの男性に聞くと、
「湖川先生は最近はあまりアニメの仕事はしておらず、実は3年ほど前から直筆のイラストを『ヤフオク!』に出品して荒稼ぎしているのです」
「1作品、3万円から5万円ほどで落札されています。デザインを手がけたとはいえ、著作権を持つはずのアニメの制作会社から許可は得ていません。何より『銀河鉄道999』のメーテルなども彼の直筆で出品されているのです。価格は20万円がつくこともあります」
数年前までは飲み会の代金すら払えないこともあった湖川は、急に羽振りが良くなったのだという。
「これまでに1千万円以上は稼いだのではないでしょうか。旅行に出たり、ブランドものの服も着るようになりました」
この件、メーテルの生みの親、松本はご存じか。
「失礼ですけども、湖川さんという方を存じ上げませんでした。昔、作画担当として参加した大勢のスタッフの一人だったのでしょう。本来であれば、私に許可を得なければならないところ、彼が接触してきたことはありません」
アニメーターwiki本文
1950年1月3日生まれ。北海道紋別郡遠軽町出身。
別名が非常に多く、
為家尽人、藍葉古卯、園田美世、花畑まう、薪モユ、下井草伊井乃弼、枯葉紅葉、馬巳家林果、丹重谷鉄人、斉藤広道
小国一和、亥間我子、重塚我子、江塚我子、駅間我子、音間聞、日和咲未喩、小馳那乃國広道、広道一輪、など多数。
『新世紀エヴァンゲリオン』などで使用した花畑まうが最もよく知られている。
近年は、以前よりは本名での作品参加も増加傾向にある。また元の本名は湖川滋であり、改名している。
テーマ:ブログ
どうも、主にこのブログを見てるであろう本事務所主属の本村作監と愉快な仲間たち、こんにちは僕です。
この度、来年度1月1日を持ちまして晴れてアニメーターとしてデビューさせていただく事が決定しました事をこの場を持ってお伝えします。
この間お会いした田中さん他方々に後押しや推薦させていただきましたおかげで実力を多少なりとも認めていただいたのかもしれないと厚かましいながら実感しております。
思えば今年五年、イラストレーターをしてきまして、今年シナリオライターも皆々様方のおかげでさせていただいてます。
感無量です。ですが少しばかり重圧や不安もあります。自身もまだ青二才故にたくさんの先輩方の支え、推薦、あって晴れて成り得ました。
日々精進致します事を誓いながら失礼させていただきます。
著作権って侵害された側が申し出なきゃ成立せんのやろ
伝説のスタジオ「ビーボォー」(解散)を主宰。パースやデッサンを重視し、多くの名アニメーターを輩出。
パースを使った作画法は当然ながら以前から存在し個人的に採用しているアニメーターもいたが、現在のようにパース作画が主流になったのは湖川がビーボォーで教え、広めていったことによる影響が大きい。
スタジオバードの兼森義則、稲野義信とも999で親交があり、ある意味弟子筋。
じゃあ当時のアニメの999本とかは全部盗作なのか?
牛丼ガイジの作者が自分のwiki作ってたの思い出した
湖川でも生活苦しくてオクで絵売らんと生活できないんやな