初めてTHE ALFEEを見た妹が出だしでヒゲが歌って「お前が歌うんかい!!」と突っ込んでた
“バカ言うもんがバカ”とっ高見沢氏が心の叫び
“ファンからの貴重なご意見頂きました”
と事務所を通じてコメントがありました。
因みに私よく“嘘つき太郎”と言われます。
あしからず…
この人は全く知らんが
世の中どこをみても曲は難しいメロディーばっかり
何年も前から、覚えている技術を自慢するために難しい技術の曲を作ると言われる。
何事も中級レベルはやたらと難しいことをしたがる
勉強としてはある意味、仕方ない部分もあるが
勉強していない人にとっては、自慢に見えることがある
勉強している人たちの間でも先輩は絶対崇拝するから
レベルが高い人が調子に乗る
ギターならものすごく速く引くことだけ重視したりするから
難しいメロディーになる
完成した曲には、バイエルとかの基本メロディーはみあたらないはずだ
練習曲は退屈で死ぬと思うくらいつまらないからだ
優しいメロディーの曲はある
ハリウッド映画のたくさんの映画メインテーマは
作品によっては単純なメロディーだったりする
日本でも複雑な技術を自慢するのではなく
単純なリズムを繰り返すような作品は、ほぼ安定して人気が出やすい
人気ある曲には同じリズムばかり繰り返す曲が含まれていることが多い
(曲が進むにつれて音階だけが変わる、リズムはほとんど同じで、大部分が全く同じだったりすると
意外と人気が出る)
だが今よく作られる曲は無理をしたものが多い
或るボカロの曲は息継ぎが無いものもある
音楽や楽器を勉強していると、やたらと難しことをしたくなるのはわかる
私も外国語勉強で、ついつい欲張っていろんなことをしたくなる
そうすると、ほぼ確実に身につかず、後につながっていないように感じている
だが欲張らないで、出来ることを確実にやるというのは、死にたいくらい退屈だ
だから勉強していると、ついつい難しいことや、面白いことを先にやりたくなってしまうのはわかる
さらに、ビジネスで曲を売ってるから、オーディエンスには過剰に面白くしてあげないといけない
それを言い訳に、ついつい難しいことをしてしまう。
オーディエンスも難しいほうが面白いと思う。
ここで、勉強して曲を提供しているほうの謙虚さが必要になってしまう。
謙虚さがなく、オーディエンスの声に応える部分と
自分が調子に乗らないバランスを保つのは、思い付きでできるものではないし
論理的思考でひねり出してもできない。
そもそも論理的思考はわがままを通す言い訳として使われやすい。
謙虚になるというのは、今やりたくてしょうがないのをやらないように我慢する
このイライラを感じなくなるまで冷静になれなければいけない。
しかもしょうがない気持ちが強いこの場で、やらない方がいいと思ったらすぐに何も感じなくなるまで
一気に弱められないといけない。
そんなことは、普段から、求めるままに暴走している人には出来ないわけだ。
ビジネスは欲望を肯定するから発展する。
謙虚に、いったいどこがおもしろいんだと思うくらい
欲望を否定して、いきすぎないようにする。
同時に、ビジネスで欲望を肯定し、オーディエンスの気が狂って麻薬中毒くらいになるまで
暴走させてもまだまだ作り出す。
謙虚と、仕事で作るのを同時にやれなければ、調子に乗ったことを際限なくやるだろう。
どうすればいいかといえば、謙虚を優先する。
日本でもてはやされる謙虚とは「なにもするんじゃねー」である。
そうではなく、焦らされてもすぐ平気になれるくらいに
欲望を調節できるのが良いのだ。
ビジネスは欲望を肯定し、ぎゃはははと気が狂うまでも止めようとも商品を提供する。
だから、トランス状態に陥る人が続出するのだ。
ビジネスは儲かればどうなっても知らない、となりやすいので
ぎゃはははと気が狂った状態になってでも求めようと、企業は商品を提供し続ける。
「ウェーイ」な人がいるのも、おそらく薄っぺらな社会のせいだ。
ギャルが意外と物事の深いところに疑問を抱くことが多い。
あんな頭がなさそうな見た目を演出しているのに、本心は知性と
物事の深い意味に飢えていて、世の中の矛盾には気が付いているのだ。
もうちょっとで哲学者のようなとも言えるようになるくらい、ギャルは良く気付いている。
このギャルたちを見下す人のほうが無知ではないかと思う。
世の中がおかしいと、多くの人が、一人でひそかに思っているのだ。
調子に乗ってしまうのは、本質が欠けていて、
行動に深い意味がない。
売るための権力闘争のための工作くらいしかないからだ。
ギャルは、物事のおかしいところに気づいているが、考えてもわからない。
難しい知識を見ることに慣れていないからだ。
テレビやアニメ、いくつかの映像でギャルとの会話を見てギャルは難しいところに興味はあると思った。
いくつかの映像でギャルにちょっと本質を突いたような話や、
深い意味の話をしていると、意外と何か言ってくれる。
普段は頭がないように振る舞い、そのように考えている。
だが、人間というものは、ちょっと突っ込んで聞けば
普段みせている表のウエーイな「仮の顔」の奥から
実はこんなことを考えている、という顔が出てくる。
これができなければ、社会は薄っぺらになるのだ。
ビジネスのような表面的なことだけで過ごすので、
一体自分は何のためにここにいるのかと思えてくる。
ビジネスには自分の存在意味なんてどうでもよく、売れれば後は知ったことではない。
だから人間がそのように振舞えば、本質が欠けた社会を作る。
ギャルが考えることは意外と抽象的で、頭が悪い人間にしては抽象的なことを考えている。
しかも、ギャルはなぜか、雲をつかむような問題への質問を、案外すぐに言える。
なぜこうなのか、
ここはこうなっているのに、別のところは反対で矛盾するのはなぜか、と質問の言葉が出てくる。
知識がないのに、ここがおかしいと気付くのは、あるていど考える力がある。
ケバケバした化粧をして、アホそうにしたり、セクシーにしていても演技だから、実はよく見ている。
ギャルとはアホなもの(?)だからやっているだけである。
なんでそうするかといえば、普段話している人たちは、見たまま、その話をしても通じないと思っているのだ。
アホそうにしているのは演技だが、みんなが難しいことを一人で考えている。
だがそのことを確かめられないので、こいつはアホだなと思って一緒に「ウエーイ」と言っている。
だが、実は、中身のない会話ばかりなのがつまらない。
ギャルは才能以下のことしかしていないから、才能を持て余しているのだ。
能力ある人間が、人を小ばかにしたような単純なことだけやらされるというのは、拷問である。
だからつまらないのだ。
だが、友人ギャルも実は難しいことを考えていると確かめる方法がわからない。
それでギャルが世の中を斜めに見ることがある。
ギャルにどこか優しさが見え隠れするのは、物事の本質を求めているところから来るかもしれない。
別に人を困らせたいのではなく、自分を自分でどうしたらいいかわからないのだ。
勉強している人は解ると思うが
自分が今、どのレベルで、どんな状態にいるかを一人で確かめるのは、非常に骨が折れる。
他人が他人のレベルを確かめるのは意外と易しいのに。
ギャルの話をしたのは、薄っぺらな社会に悩む人の一人がギャルだと思うから。
普段の演技から、難しいことを考えにくいが
実は、一人で世の中の矛盾に疑問を持っている。
ちゃんと調べれば、そのギャルが「ミス・ニュース」になれたかもしれないし
ソクラテスやアリストテレスやプラトンやスピノザやカントのようなことを言ったかもしれない。
だが、それほどごちゃごちゃ考えるのでもない。
気になったら理由を考えているうちに、ちょっとずつ、こうなっているんじゃないかと思う程度だろう。
おそらく、知識がなくても、大きく外さないようなことを言うんじゃないかと思う。
知識が少ないので、時間をかけてゆっくり気づくのである。
(知識があっても、自分よりレベルが高いことに関しては似たようなものだが、
知識があるおかげで、知識がない人間とは雲泥の差で速くわかっていると思い込むのが普通だ。
雲泥の差でわかるのは、すでに理解していることだけである
ほんのちょっと考えたらわかるくらい優しく感じるレベルでも同じ結果になる
物事の本質的な理解は、知識に左右されない。
それをどうやって理解するかの効率的な方法がないから、膨大な知識を持つだけのことである
人間、本当は、感覚で知っているのである。
それをあえて言葉にして言うとすれば、方法がないから知識があるのd)
ギャルは見た目のままの人も多いだろうし
一人一人を確かめていたら、ギャル全員をうっとおしがらせてしまい、敵に回してしまう。
そこまではしない。
だが、人数が多いということは、いろんなタイプがいることになる。
アホそうな見た目でも難しいことを考えている人が、一人はいると思う。(当たり前か)
映画「スーパーマン」でちゃらちゃらした女性が化粧ばかりしている演技を
レックス・ルーサーの前でしていた。
だが、彼女は、カントの「純粋理性批判」をこっそり読んでいて、隠している。
おそらく、堂々と読めばルーサーたちから馬鹿にされると思うのだ。
一人で考えることがあって、そのことを人には見せない。
ついつい、ギャルのイメージに合うことをしてしまう。
イメージに合わないことをしたら、人がひどいことばかり言ってくるのがわかっているからだ。
そうやって、見た目を演じていると、世の中が薄っぺらに感じてくる。
薄っぺらで、中身のない状況を埋めるための、物欲である。
そうやって欲望が暴走し、いろんなところで求めまくる。
「だめだ」と頭でわかっているのに、気持ちでは止められないのは、悩んでいるのである。
それで、やらないほうがいいのにやってしまって、自分は欲望にまみれていると思ってしまう。
でも気持ちをどうしようもないので、物体のような「自分の中にはないもの」で気持ちを満たそうとしてしまう。
それをビジネスが肯定するので、ビジネスでやっていることはほとんど全部が、
求めて求めて、求め続けている。
音楽は、心を満たす曲はあまり作れない。
だが大丈夫、そんな人間だらけでも、人気が出る曲は作る。
欲望が暴走した範囲で、意外性でもあれば人気が出るかもしれない。
ビジネスはどうやらほとんどが意外性だけで売ろうとしている気がするので
いままでなかったものだけを作ろうとしている。
全部の作品が、ぜんぜん違うものにするのはほとんどムリなので、
どうがんばっても似たようなものができるのだ。
心を込めるのではなく、セオリー通りに売れるものを作る。
心のコメ方を知らないから、なんとなく精神的に力んでいるしかできない。
ふんふん力んでいるだけで、心はこもらないというわけだ。
日本は大声で叫ぶだけで過ごしており、心のコメ方がわからずに、
ぐわーっと筋力を使っているだけに見える。
オーディエンスを相手にすると、曲の質だけを重視していられなくなる。
奇抜にすればするほど一時的に売れるから頼ってしまう。
今まで言ったことが全部あるのだから、実力が無くてもごまかせてしまう。
奇抜なものに頼らないでやるということは、
思い付きの「雄叫び」で驚かせて売ることをしない。
ここで叫んでやらないと盛り上がらないなどと考えるということは
心を込めていることになるだろうか。
たとえば文字だけで書くというのは、叫んで驚かせて注意を引き付けられない。
棒読みで読む人もいる。
それでも、喜怒哀楽、奥深くから感じる何かを感じさせるとはどうやるのか。
困ったら叫んでばかりいる人には、考えること自体ができないだろう。
おそらく、自分が相手に伝えなければいけないと考えているので
どうすれば相手のほうが感じてくれて伝わるかは考えていない。
自分が相手に、とばかり考えているから、押し付けになる。
だから、文字しかない、他にほとんどないのを、どうやって工夫して伝えるか。
曲を作るのも同じだ。
あえて受け狙いの複雑なことをしないで、どうやって感動してもらうか。
極論すれば、作る人が伝えたいことがたしかに表現されていると
オーディエンスが思ったらいいのだ。
そんなことはどうするのか。
いろんなものをみて、人間は感じるものなのかを知ることだ。
「オーディエンス」と書いたら、あなたはオーディエンスと確かに思った。
これだけの単純な事実を、どんなことでもそうだと思うようにするのだ。
腹が立ったり、感動したり、いろんな感情が出てくるときも、
表現した、それを見た、そうだと思った、まずはここから始めるのだ。
それを確認したら、一人一人の違いに入る。
一度、あえて、そうやって確認しなおしてみると、伝え方のヒントになる。
この言葉は、一般的にはこうだが、個人的には違って解釈するだろう。
だが、一般的にこうだからこれを理解しているはず。
だから、相手は、一度は、こう理解しているんだ。
あなたは、これで一度考えを止めるのだ。
個人差はまだ考えない。
それから
「一般的な理解を、もうちょっと進めて、個人の解釈になったはずだ」という風に考えるのである。
あなたは、一人一人理解は違うでしょ、と正しいことを思う。
だが、その前に、一般論を理解した後で、という前提を考えないようにしている。
きっと、あなたは、人間関係のわずらわしさから、相手は
一般論なんてものを理解しないで、一人の解釈をしたと思うはずだ。
ところが、相手は、最初から一般論を無視しただろうか。
一般論、普通の理解を知って、しばらくして自分の考えができたはずだ。
その後で、今のねじまがった解釈をするようになったと考えるのだ。
そのように言ったから見た、それから思った、という単純なことを
あえて確認しなおす。
いちど、上記の「見たから伝わった」という単純な事実の確認をやってみるといい。
これすらも、ときどきできていなかったりするのだ。
だから、みんながみんな「言っても伝わってなかったら」と思ってしまうのだ。
この確認をするようにすれば、「言っても伝わってなかったら」と確認しないで
思うことが減るはずだ。
だから、日本は基本的に「伝わっていないんじゃないか」という不安が前提になり、
人に物を伝える時、感情的になっていない、ありのままの部分がわかっていないのだ。
確かめもしないで、思うだけで「事実だ」とまで言い張るのだ。
日本人は確かめる前から「こうなったらどうしよう」という気持ちが
「こうなってしまっている」になっているのが前提になっている。
心配していることは、すでに起きているのだ。
だから日本人は、ちゃんと考えることが出来ないと言っているのだ。
日本人はそんな考えを持って当然みたいな態度になっている。
事実をよく見ないので非論理的になるのである。
そのつもりでシステムを作るから、いくら考えてもなぜか現実が考えた通りにならないのだ。
そもそも、現実と違うことをわざわざ考え出しているのだから当たり前なのだ。
だが、日本の政治屋ビジネスはこのことを知らされたくないのだ。
動物がこうだから「この子もうれしそう」なんていう
わからないことを、事実であるかのように言ってばかりいる。
どう思えるかなんてどうでもいいのだ。
どうせ間違っている。
これをあえて言うのは、洗脳でもしているのだろうか。
相手がどのように受け取るのか、相手は、事実をありのままに見ている部分と
自分の立場での考えを同時に思っている。
そうやって受け止めた内容と、伝えたい内容が合っているほうが重要だ。
日本のほとんどの創作活動家は「自分が」いかに伝えるか「だけ」を考える。
伝えようとするあまり、オーディエンスが受け取ってくれたかよく見えていないので、ただの押し付けなのだ。
如何に「自分が」伝えるかではなく、如何に「相手に」伝わるかである。
人はどのように物事を見て、理解し、表現するのかに合わせて、自分のやることを決めるのだ。
この逆が、売り手市場といって、欲しがる前から押し付ける方法である。
すると、必要以上に複雑なことをして、奇抜なものを見せて興味を引き付けようとする。
ビジネスはそういうことをするものだと思っている。
ビジネスに愛情が欠けていることはうすうす気づいているが、そのことは明かされない。
本当に心のこもったものを、と言っているのだが、やり方をわかるようにはなっていない。
それどころか、わからなくてもいい態度である。
だが「本当に伝わる方法」をよく考えて、伝えたいことが「確かに表現されているね」と感じてもらえる方法を探るべきだ。
今、日本でオーディエンスが条件反射的に褒めるが、そうではなく、ちゃんと確かめて感じ取るのが前提だ。
(条件反射的に褒めるように企業が洗脳しているからだ)
ちゃんとよく見て、本当にいいものが「いい」と思う。
そうすると、おのずと、創作者が複雑なことばかりをしなくなる。
オーディエンスが喜ぶ形を探して曲を作るので、複雑さが後回しになる。
感動してくれる範囲内で、ほどよいレベルの曲を設定することになる。
ビジネスの考え方だけに頼るときは、売れればあとは知ったことではない。
人間が、その都度、心を込めて、感動する曲を作ることになる。
それをやらないかぎり「薄っぺらじゃない曲」にはならない。
今ここで、本当に感動できる曲が創れればいいのであって、複雑な必要がない。
身体能力的には、言葉は悪いが、楽ができるはずである。
実戦は練習と違って、力を使い、体がつらければいいというものではない。
できれば、教養を感じられて、いい曲なだけではなく、深い意味を感じられるものが良い。
そこまでできれば、いつまでも聴きたいと言うだけでなく、本当に聴くだろう。
その範囲で心を籠めるのは、体がつらければいいわけがない。
ビジネスが筋力を使わせ続けるだけなのは、海軍式罵詈雑言訓練にすぎない。
世界で最もひどい政治形態で作られたものである。
曲作りは難しいことをせず、相手のことを理解しようとして心を込めて作る。
この優先順位が狂っているから、体がつらいだけの拷問をしなければならない。
しかも他人の体を痛めつけるだけなのだから、悪に決まっている。
心を込めるとは、私が今言ったことである。
私が言ったことは、一般には聞きなれないかもしれない。
だが、聞きなれないのはおかしいのである。
聞いたこともないという事実が、中身のない薄っぺらな社会であるという証拠だ。
普段から、下らんものばかりで、何も感じないなーと思っているということだ。
くだらんもの、必要ないものばかり作っている世の中だから、良いものを作ってほしいのだ。
薄っぺらなことだけやって複雑怪奇な、必要ないものばかり作っているから、
いったい、なんでここにいるんだろう、とまで思うようになる。
人間は、どうしても、そこまで気になるのだ。
そういうことで
そこまでの深い意味を考えて行動していれば、
きっと、大勢の人が充実感を覚えるような楽しい社会になると思う。
そんな世の中で、難しいだけの曲を自慢し、奇策に頼るよりも、
創作者の伝えたいことがちゃんと伝わる曲が聴けるようになってほしい
おわり
そうなの?
この人の歌声だけ抽出して聴いた事無いから知らんわ