レイジアゲインストザマシーンが1st albumを出した歴史的な年
リアルで好きでした
同じバンドサークルのやつがボーカルの声が好きじゃないとか抜かしてましたが、ボーカルの声がむしろカッコいいんじゃんと見抜いていた…自分に乾杯!
レッド・ホット・チリ・ペッパーズに対抗できるのは、レイジアゲインストザマシーンしかないと、1992年の1st聴いて即思った
1992年1番売れた洋楽はBoyz II Men、TLCか、
マイケル・ジャクソンの後ろでスラッシュがギター弾いてたのも1992年
Mr.BIGが1番売れた年
忘れてはいけない
フレディマーキュリーが死去したのも1992年
レッチリのアンダーザブリッジがベスト10内に入ってきてびっくりした
でも92年って91年より傾向掴みにくいな
93年くらいだとはっきり変わってきたのわかるんだけど
レッド・ホット・チリ・ペッパーズが世界的なバンドになるための大切な年
アンダーザブリッジのPVも話題になり一気に世界的なバンドに
Guns N' Rosesもこの頃は世界の頂点にいた
5万ドルくらい、はした金だった時期
ジョージ・マイケルとエルトン・ジョンがデュエットして売れたのも、この年
あ、1番売れたalbumってもしかしたらホイットニーヒューストンの「ボディガード」のオリジナルサウンドトラック盤か、
シェクスビアズシスターとかスウェードとか何故かこんなの思い出すw
ニルヴァーナが最後というが、レイジが僅かに最後のリアルロックバンドかもね
あのグルーヴ、クオリティ、ライブも圧倒的に良いバンドはその後出ていない…。
アリスインチェインズ/ダート
これで一気に飛躍したが…
パールジャムのテンが気がついたら売れてた
最初聞いた時はなんでこんなもっさりなのがと思ったな
ダートもテンも一発ノックアウトだったけどな
レッチリのブラシュガは凄さが分かるまで数ヶ月掛かった
あれほど極端なラップと融合された音楽に免疫がなかったからね
レッチリがあったからレイジにもすんなり入れたのかも
まさか、まさか、レッド・ホット・チリ・ペッパーズがあそこまで売れるとは
エイフェックスツインのアンビエントワークスもこの年だな。当時、全く理解できなかったが、聞いてる俺カッコいいという1点で聞いてた。去年フジのヘッドライナーだからまた聞いたけど、20数年ぶりに聞いても全く理解できなかった
いい歳してルールも守れない馬鹿いい加減にしろよ
売れたとか売れないとか洋楽初心者丸出しでダセー会話しやがって
ダセい奴は民度も低い
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
その代り一方には生を見ること死の如く、形而上幽明有無の区別を知らなかった。実に平々淡々としている
。こういう修養が出来た人が、一番エライんじゃないかと私は思う。
である。けれどもこれは生の一段階に過ぎないのじゃないかという気がする。聖書にもある通り、麦の種が死ななければ穂が出ない、
ちょうどあんなようなもので、朽ちるところはなるほど麦の種が素人言葉でいう朽ちるように朽ちるであろう。が、それがために新たに
種を結ぶところの根だの茎だのが生える。幽明とか、有無とかいうものは形而下の話で、精神上からいうたならば、生と死というもの
はさほど区別のあるものでないかも知れんと思う。メーテルリンクの『青い鳥』――あれは読んでも面白い戯曲であるが、私はあの実演
を亜米利加アメリカで見たが、実に今でも忘れられない印象を受けた。爺さんと婆さんが小屋の前に腰を掛けて眠っている。
そこに孫が二人走って来て「お爺さん、お婆さん」と声をかけると、二人が眼を覚まして孫を抱いて大変に喜ぶ。すると孫は、
「お爺さん、お婆さん、あなたたちはよほど前に死んでしまったんじゃないんですか」というと、お爺さんがいうのに、
「世の中では私たちを死んだというんだが、いわゆる死んだ人も世の中の人の忘れている間は死んだというんで、紀念してくれる人
があるとその度ごとに生き返るんだ。」という所がある。それから同じ『青い鳥』の中に――あすこは芝居で見ぬと分らぬ所と思うが
――子供ら二人が墓場に行き、妹は「こんな淋しい所に来て怖い怖い」と大きな声して泣く。すると兄貴の方が
「何怖い事があるものか」というてちょっと頭に被っている帽子に手を触ると、墓場が急に花園に変る。詰り世の中に死という
ものがないということを現わした所で、即ち頭の使いようによって死ぬる生きるという事が定まるんで、多く主観的の現象
と見做してよいように思われる
>>21
>>22
よお、糞粘着
あっちの1991年の洋楽を語ろうを埋めてこいよ >>21
>>22
よお、糞粘着
あっちの1991年の洋楽を語ろうを埋めてこいよ
はやくしろよ
糞粘着 アフィカスってさあ、生きてる価値無いよな、人に依存してだらけで自分じゃ何も出来ない、まさに人間のクズみたいなものじゃないか
依存する人間は自分が無いとか言うけどこの場合っていうのは自分が無いと言い訳して楽してるだけだよね、依存生活、楽しいですか?
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ、と常日頃から考えてるよ俺は、アフィの全滅について真剣に考えてるよ俺は
大体自演とかしてまでスレ作って何が楽しいのかが判らないよ、俺ぐらいになると何個ものクソアフィスレと対立してきたわけだが
そのたびにクソアフィの自演とクソアフィの自演とクソアフィの自演とあからさまなクソアフィが出てきてうんざりするわ、クソアフィは生きる楽しみもしらないのか
自演は俺も何百回とやったことあるから言えるけどあれは全然つまらないよ、正直何が楽しいのかわからないまっとうな人間なら拒否反応しめすレベルのつまらなさだよあれは
そんなことをしちゃうあたり
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ、と常日頃から考えてるよ俺は、アフィの全滅について真剣に考えてるよ俺は
大体自演とかしてまでスレ作って何が楽しいのかが判らないよ、俺ぐらいになると何個ものクソアフィスレと対立してきたわけだが
>>25
>>26
聞こえないの?糞粘着
あっちの1991年の洋楽を語ろうを早く埋めてこいよ
早くしろよ
糞粘着 マニックストリートプリーチャーズ
1992年「ジェネレーションテロリスト」を発売
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
死の価値を定むるものは生であると思う。しかして生の価値を定むるものは義務である。死を軽んずるということは義務を軽んずるという事になると僕は思うている。己れの為なすべき事を為して天にも地にも愧は
じない人は、死を見ること帰るが如くなるべきで、これは古来の聖人君子の死方を観てもよく分る。これに反して己れの為すべき事をも為さずして死を怖れぬという。その辺の熊だの八だのと択ぶところがない。こう
いう風に死を軽んずるという事は決して褒ほむるに足らぬと思う。
誰でも死を怖れるということは普通であるが、この死を怖れるという観念は、ただ生理学上あるいは生物学上のみの現象であろうとは僕には思われぬ。これには深い倫理的の意味のあるものと思う。死を怖るる
とは即ち生を重んずるの意味だろうと思う。生を重んずるというは生きて為すべき義務を重んずる意味である。譬えていえば少女が男子に近ちかづくことを怖れる、その理由を訊ただせば知らない。この無意識に怖わ
いということは少女の節操を重んずる理由であるんで、人が死を怖れるのもこれと同じもので、無意識に生の義務を重んずるに由るものと思う。
己れの義務を全うした人には、死は怖くも恐ろしくもないものじゃないかと思う。かつまた死というものが、果してそう明かに生から区別すべきものかどうかという事も僕にはちょっと信じられない。無論死ねば肉体が朽ちる。
物を言うておったものが言わなくなる。動いたものが静かになる、というような点からいうと
私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
その代り一方には生を見ること死の如く、形而上幽明有無の区別を知らなかった。実に平々淡々としている
。こういう修養が出来た人が、一番エライんじゃないかと私は思う。
1992年だったらこの辺が好き
Chaka Khan - Everything Changes
Corduroy - Dad Man Cat
Debbie Gibson - Love or Money
Garth Brooks - The Chase
Glenn Frey - Strange Weather
Go West - Indian Summer
Jamiroquai - Emergency on Planet Earth
k.d. lang - Ingenue
Leon Russell - Anything Can Happen
Marie Fredriksson - Den Standiga Resan
Peter Cetera - World Falling Down
Peter Gabriel - Us
Prince - The Love Symbol Album
Restless Heart - Big Iron Horses
Roxette - Tourism (Songs From Studios, Stages, Hotelrooms & Other Strange Places)
Sade - Love Deluxe
Swing Out Sister - Get in Touch With Yourself
Suzanne Vega - 99.9 F°
Toto - Kingdom of Desire
Youssou N'Dour - Eyes Open
番外:ジャズフュージョン系なので除いたけど名盤
Pat Metheny - Secret Story
しばしば紙上に述べた通りデモクラシーは現時世界の大勢である、これに背く民はその末甚だ憂えられる。
ただに流行なるが故にこの勢に乗ずべしとは吾輩わがはいの主張するところでない。吾輩の主張は今回に
始った事でなく二十年已来の所信であった。たまたまこの事を述べてもとかく誤解を来し勝がちであるため
に遠慮をしておった位な事であるが、吾輩の所信は已すでに数多き著書の中うちにあちらこちらに漏らしてある。
かつて十余年前大阪で演説した時の如きは聴衆の中にあった米国のウエンライト博士が演説後僕に言われた
ことに「君は武士道の鼓吹者とのみ思っていたに、今日その反対の説を聴いて驚いた」と。その時僕は同博士に
拙著『武士道』の巻末を熟読せられたなら、吾輩の真の主張が理解されるであろうと答えた。この一話によっても
読者は察せられるであろうが、今日僕の論ずるデモクラシーは決して今日に始った事ではない。デモクラシーなる
字が如何にも流行語になったからこれを説くものも流行を追うものの如く思われ、またこの字を民主主義とか
民本主義とか訳するから国体に反そむくような心配を起すけれども、僕はこれを簡単に平民道と訳してはドーで
あろうかとの問題を改めて提議したい。
武士の階級的道徳を武士道という
武士なる語も言うまでもなく古くから使用さるる語である。然しかるに武士道と三ツ並べた熟字は一般に
用いられなかった。僕は度々この文字の出所でどころを尋ねられたけれども、実は始めて用いた時分に
は何の先例にも拠よった訳ではなかった。然るに今日は武士道といえば誰一人この字の使用を疑うもの
はない。元来武士道は国民一般に普遍的の道徳ではなく、少数の士の守るべき道と知られた。しかし
武士の制度が廃せられて士族というのはただ戸籍上の称呼に止る今日には、かくの如き階級的道徳は
踏襲すべくもない。これからはモー一層広い階級否な階級的区別なき一般民衆の守るべき道こそ国の
道徳でなくてはなるまい。また国際聯盟なんか力説される世の中に、武に重きを置く道徳は通用が甚だ狭い。
また仮りに国際聯盟が出来ないにしても武に重きを置かんとするよりは、平和を理想としかつ平和を常態
とするが至当であろう。しかのみならず先に言う如く士は今日階級としてはない、昔の如く「花は桜木、
人は武士」と謳うたった時代は過ぎ去って、武士を理想あるいは標準とする道徳もこれまた時世後じせい
おくれであろう。それよりは民を根拠とし標準とし、これに重きを置いて政治も道徳も行う時代が今日まさに
到来した、故に武に対して平和、士に対して民と、人の考がモット広くかつ穏かになりつつあることを察すれば、
今後は武士道よりも平民道を主張するこそ時を得たものと思う。
92年思い出そうとクロスビートの表紙をググったらキースの月があって
メインオフェンダーもこの年だったか
丁度徴兵令を施行して国防の義務は武士の一階級に止まらず、すべての階級に共通の義務
、否権利だとしたと同じように、忠君なり廉恥心れんちしんなり仁義道徳もただに士さむらいの
子弟の守るべきものでなく、いやしくも日本人に生れたもの、否いなこの世に生を享うけた人類
は悉ことごくく守るべき道なりと教えるのは、取りも直さず平民を士族の格に上のぼせると同然である
、換言すれば武士道を平民道に拡げたというもこの意に外ほかならない。
武士があって武士道が興るのは歴史的の順序と思われるが少しく歴史の隠れたる力を研究したなら、
たとえその名がなくとも武士道あって始めて武士が出現したと言うのが過言であるまい。道の道と
すべきは常の道にあらずとやら、武士の道を武士道と名付ける間はまだ武士の守るべき常道を穿う
がったものではあるまい。いわゆる武士道なるものはその名の起る前に忠君の念、廉恥心、仁義、
人道なる思想が少数の先覚者に現われて彼らはいわゆる士さむらいとなって、その後武士の階級が
起り以て武士道が鼓吹されたものであろう。今日この武士の階級が廃せらるるといえども、根本の
いわゆる常道は決して失わせることなく広く施されて万民これを行えばこれが少数の武士階級に
行わるるより遥はるかに有力な、かつ有益な道徳となるに違いはない。して万民普あまねくこれを
行えば最早もはや武士道と言われない、これが即ち僕の平民道と命名をした所以である
かく言いえば僕は時代とともに始終考えを変えて行くように聞えるであろうが、時代について用語が異なったり
また重きを置く所も異ことなるのは至当の事である。根本的の考えは更に変らない、恐らく昔の聖人といえども
時と場合によって説きようを自在に変えたであろう。人にんを見て法を説くとは即ちこの謂いいである。同じ文字
を使っても内容を変えれば一見貫徹している如く見えても意味が異る。その反対に用語を違えても思想に至って
は一貫していることもある。
今日とても士道なる文字をそのままに書いてなおその内容に従来の意味と異る思想を含めることは甚だ容易た
やすい。たとえば明治になって新に士籍とはいわれまいが、広い意味に於ける士の族に昇格したものが沢山ある。
学士を始はじめとして代議士もあれば弁護士もある。モット広く用ゆれば国士もあれば弁士もある、即ちこの新らしき
士族は昔のそれと違って武芸を営むものでない。然しかるにいわゆる平民なる一般国民に比してより高き教育を受けた
輩やからである、随って彼らは名誉ある位置を占め、社会の尊敬を受けるものであるから、誰人たれも士たらんこと
を望むであろう。さすればやはり「花は桜木、人は士さむらい」なりと歌っても、あな勝ち時代錯誤ではあるまい。
しかし今日のいわゆる士さむらいは昔の武士のように狭い階級ではない
すべての階級に共通の義務、否権利だとしたと同じように、忠君なり廉恥心れんちしんなり仁義道徳も
ただに士さむらいの子弟の守るべきものでなく、いやしくも日本人に生れたもの、否いなこの世に生を
享うけた人類は悉ことごくく守るべき道なりと教えるのは、取りも直さず平民を士族の格に上のぼせる
と同然である、換言すれば武士道を平民道に拡げたというもこの意に外ほかならない。
武士があって武士道が興るのは歴史的の順序と思われるが少しく歴史の隠れたる力を研究したなら
、たとえその名がなくとも武士道あって始めて武士が出現したと言うのが過言であるまい。道の道と
すべきは常の道にあらずとやら、武士の道を武士道と名付ける間はまだ武士の守るべき常道を穿う
がったものではあるまい。いわゆる武士道なるものはその名の起る前に忠君の念、廉恥心、仁義、
人道なる思想が少数の先覚者に現われて彼らはいわゆる士さむらいとなって、その後武士の階級が
起り以て武士道が鼓吹されたものであろう。今日この武士の階級が廃せらるるといえども、根本の
いわゆる常道は決して失わせることなく広く施されて万民これを行えばこれが少数の武士階級に行わ
るるより遥はるかに有力な、かつ有益な道徳となるに違いはない。して万民普あまねくこれを行えば
最早もはや武士道と言われない、これが即ち僕の平民道と命名をした所以である。
分析的なものとして論じられている精神の諸作用は、実は、ほとんど分析を許さぬものなのである。
ただ結果から見て、それらを感知するにすぎない。そのなかでもわかっていることは、精神の諸作用を
過分に身につけている人にとっては、これこそなによりも生き生きとした楽しみの源泉である、ということだ
。ちょうど、強健な人が筋肉を働かせる運動を喜んで自分の肉体的能力を誇るのと同じように、分析家はもの
ごとを解き明かす知的活動に熱中する。彼は、この才能を発揮できることなら、どんなつまらない仕事でも
楽しんでやるのだ。彼は、謎なぞや、難問や、象形文字が好きで、凡人の理解力では超自然とも見えるほど
の明敏さで、それらを解き明かす。しかも、彼がありとあらゆる方法を尽して得た結論は、実のところ
、まるで直観にしか見えないのだ。
分析の能力は数学の研究によって、おそらく大いに活躍させられるだろう。ことに、その最高の部門であって
、ただ逆行的なやり方をするというだけで、不当にも、とくに解析学と呼ばれているものによってだ
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
その代り一方には生を見ること死の如く、形而上幽明有無の区別を知らなかった。実に平々淡々としている
。こういう修養が出来た人が、一番エライんじゃないかと私は思う。
しかし、計算することはもともと分析することではない。たとえば、将棋チェスをさす人は、計算はするが
、分析しようとはしない。だから、チェス遊びが心的性質に与える効果などは、ひどい誤解だということになる
。私はいま、なにも論文を書いているのではない。ただ、たいへん勝手なことを述べて
、いささか風変りな物語の序文にしようとしているだけである。ここでついでに、手が込んでいるわりに
つまらないチェスなどよりは、地味な碁ドラフツのほうが、もっと確実にもっと有効に、思索的知性の
高い力を働かせるものだと、断言しよう。チェスは、駒がいろいろと奇妙な動き方をするし、その価値もさまざまで
、しかも変るものだから、ただ単に複雑だというだけで(よくある誤謬ごびゅうだが)、なにか深奥なもののよう
に誤られる。この場合、注意力こそ強く要求されるのだ。ちょっとでも注意がゆるむと、しくじって、
大損するか負けになる。しかも駒の動きがまちまちで入り組んでいるために、しくじりのチャンスは
ますます大きくなる。そして、十中の九までは鋭敏な人よりも、集中力の強い人のほうが勝つ。
その反対にドラフツでは、動きが一様ユニークで変化が少なく、しくじる率も少ないし
すべての階級に共通の義務、否権利だとしたと同じように、忠君なり廉恥心れんちしんなり仁義道徳も
ただに士さむらいの子弟の守るべきものでなく、いやしくも日本人に生れたもの、否いなこの世に生を
享うけた人類は悉ことごくく守るべき道なりと教えるのは、取りも直さず平民を士族の格に上のぼせる
と同然である、換言すれば武士道を平民道に拡げたというもこの意に外ほかならない。
武士があって武士道が興るのは歴史的の順序と思われるが少しく歴史の隠れたる力を研究したなら
、たとえその名がなくとも武士道あって始めて武士が出現したと言うのが過言であるまい。道の道と
すべきは常の道にあらずとやら、武士の道を武士道と名付ける間はまだ武士の守るべき常道を穿う
がったものではあるまい。いわゆる武士道なるものはその名の起る前に忠君の念、廉恥心、仁義、
人道なる思想が少数の先覚者に現われて彼らはいわゆる士さむらいとなって、その後武士の階級が
起り以て武士道が鼓吹されたものであろう。今日この武士の階級が廃せらるるといえども、根本の
いわゆる常道は決して失わせることなく広く施されて万民これを行えばこれが少数の武士階級に行わ
るるより遥はるかに有力な、かつ有益な道徳となるに違いはない。して万民普あまねくこれを行えば
最早もはや武士道と言われない、これが即ち僕の平民道と命名をした所以である
この頃のマニックストリートプリーチャーズを見て、誰がこの先国民的なバンドになろうとは誰も予想してなかっただろう
ネッズアトミックダストピンはゴッドフォダーだけで消えてしまったな
ホイスト(2)は、いわゆる計算力を養うものとして早くから知られていて、最高級の知力を持つ人々はチェスを
つまらないものとけなして、ちょっと不思議なほどホイストに凝ったものだ。たしかに、この種のものではホイスト
ほど分析能力を働かせるものはほかにない。キリスト教国中で一番のチェスの名人だといっても、つまりは
ただチェスの名人だというにすぎない。ところがホイストの上手じょうずということになると、心と心とがたたかう
すべての、もっと重大な事業にも成功できるということを意味する。この上手というのは、正当な利益をもたら
すすべてのつぼを、それぞれちゃんと知り抜いているといった、技わざの完全な精通を意味するのである。
これらのつぼは多種多様で、しかも多くの場合、普通の理解力ではぜんぜん近づきがたい思考の奥深くに
隠れているのだ。注意深く観察するということは明瞭に記憶することであって、そこまでなら集中力の優れた
チェスの棋客もホイストを十分うまくやるだろうし、またホイル(3)の法則だって(それがゲームの単なる
メカニズムに基づいたものである以上)誰にでも十分に理解できるものなのだ。だから、よい記憶で、「方式」
どおりにやるということが、うまく勝負をする秘訣ひけつだと一般に考えられている点である。ところが、
分析家の腕の見せどころは、単なる法則の限界を越えたところにあるのだ。彼は黙っていながら多くの
観察や推理をする。また、たぶん彼の仲間もそうする
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
である。けれどもこれは生の一段階に過ぎないのじゃないかという気がする。聖書にもある通り、麦の種が死ななければ穂が出ない、
ちょうどあんなようなもので、朽ちるところはなるほど麦の種が素人言葉でいう朽ちるように朽ちるであろう。が、それがために新たに
種を結ぶところの根だの茎だのが生える。幽明とか、有無とかいうものは形而下の話で、精神上からいうたならば、生と死というもの
はさほど区別のあるものでないかも知れんと思う。メーテルリンクの『青い鳥』――あれは読んでも面白い戯曲であるが、私はあの実演
を亜米利加アメリカで見たが、実に今でも忘れられない印象を受けた。爺さんと婆さんが小屋の前に腰を掛けて眠っている。
そこに孫が二人走って来て「お爺さん、お婆さん」と声をかけると、二人が眼を覚まして孫を抱いて大変に喜ぶ。すると孫は、
「お爺さん、お婆さん、あなたたちはよほど前に死んでしまったんじゃないんですか」というと、お爺さんがいうのに、
「世の中では私たちを死んだというんだが、いわゆる死んだ人も世の中の人の忘れている間は死んだというんで、紀念してくれる人
があるとその度ごとに生き返るんだ。」という所がある。それから同じ『青い鳥』の中に――あすこは芝居で見ぬと分らぬ所と思うが
――子供ら二人が墓場に行き、妹は「こんな淋しい所に来て怖い怖い」と大きな声して泣く。すると兄貴の方が
「何怖い事があるものか」というてちょっと頭に被っている帽子に手を触ると、墓場が急に花園に変る。詰り世の中に死という
ものがないということを現わした所で、即ち頭の使いようによって死ぬる生きるという事が定まるんで、多く主観的の現象
と見做してよいように思われる
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
その代り一方には生を見ること死の如く、形而上幽明有無の区別を知らなかった。実に平々淡々としている
。こういう修養が出来た人が、一番エライんじゃないかと私は思う。
ガンズ・アンド・ローゼズが東京ドーム3DAYS
マイケル・ジャクソン/デンジャラスツアーで東京ドーム
全て1992年
LUSHもきた、RIDEもきた、デイジーチェインソーもきた、ティンマシーンもきた、
>>61
ガンズは見たけど大物感がもう出ちゃってね
マイケルはもう関心なかった、口パク前に見てる
ラッシュはミキちゃんかわいかったねw 東洋人の發明と云ひますが、東洋と云ふ言葉が餘程曖昧な言葉であつて、内容がはつきりしませぬ。私が茲に申す東洋とは
、極めて狹い意味に解して、東亞若くは極東と云ふのと同じ意味で、主として支那人を指すことと御承知を願ひます。
東洋人の發明と云ふ中で、第一に注意すべきは印刷のことであります。支那の印刷術は何時出來たかと云ふと
、いろいろの議論がありまして、今日でも學説が一定して居る譯でもありませぬ。併しながら普通では隋の時分
に出來た、少くとも隋の開皇十三年(西暦五九三)に出來たことになつて居ります。無論之には異議を申立てる
學者もあります、私なども之に絶對的信用を置くことは躊躇いたすのでありますが、其次の唐の時代になると、
最早印刷術が發明されて居つたことは疑のない事實であつて、當時の記録にも明瞭にその事實が記載されて居るし
、又近年新疆や敦煌方面から出て來た佛典のうちに、確に唐時代の刊本と認定されるものもあります。我が日本の
稱徳天皇の御代(西暦七六四―七七〇)に作られた、例の百萬塔の中に納められた陀羅尼ダラニの印本も、時代
は丁度唐の中頃に當り、西暦八世紀の半頃のものであります。日本の稱徳天皇の御代の印刷は、
日本で發明したものか、唐から傳へたものかといふ事については、いろいろ議論がありますが、日本の印刷
の歴史のことを餘程調べて居つた、もとの英國の公使のサトウといふ人が、日本の印刷はどうしても支那から
傳へたものだと申したことがある樣に記憶しますが、私も同樣な考をもつて居ります。そは兎も角も。
この陀羅尼の印刷といふものが、今日世界に現存して居る印刷物の中で、最も古くて尤も年代の確な
ものであることは、爭ふべからざる事實であります
ソクラテスを読んで、一番に面白く思うところは、かのダイモンというものを常に信じて、絶えず
、自分の心の中うちに、善悪邪正を区別する、我にあらざる一種の力を蔵している。訳して
これを鬼神とも称すべきか。とにかく、この一種の力が、たとえ自分の欲することでも、
これを行為に顕あらわさんとする場合には、予あらかじめこの鬼神に伺いを立てて、
允許いんきょを受けることにしていた。そして、もしその允許が出ない時には、結局実行
を見合わすということになっていた。――これが私の注意を深く惹付ひきつけた点で、
また私もかくあろうとして、平生から夙つとに戒心しているところである。
私も随分無遠慮な口を利く方で、それが故には、如何いかなる時に、如何なる誤解
を発生せしめ、如何なる迷惑を受けなければならないかも知れぬ。しかしながら、
腹に確乎たる覚悟と信念とさえあるならば、さほどびくつくにも及ばない。ただし、
考えてみれば、私などの主張するところは、存外穏やかなものである。一つの主義
に固持して終世世に容いれられなかった人もあり、あるいはソクラテスの如く刑罰に
処せられたり、あるいは、大塩平八郎の如く、世に反抗して反叛を起したりするのに
比べては、私は気の弱い所以ゆえんでもあろうか、甚だしく穏やかである。思った事
を実行するといっても、故意に社会の原則を無視したり、折角せっかく生立おいたって
来た習慣を、無闇と破壊するというほどの意気込はない。また一面には、自分の所信に
してもし俗情に全然かなわない時に於ては、私は出来るだけ譲って、主張を枉まげること
もする。そして、最後に、これ以上は譲られないというところまでは、自分の力を保留しておく
考えである。
キェルケゴオルはその誠実な人格的生活、真生活築造の情熱、及びプラグマチズム風の認識論
、特に主意的な人生観、著しい宗教的傾向、ただ宗教心の内にのみ真実になる個人主義、――など
において十分注意せられる価値がある。
私がキェルケゴオルを読み初めたのはきわめて偶然に菅原教造氏の勧めに従ったのであった
。そして最初はあまり引きつけられなかった。ところが昨年の六月の初めに、突然彼の内部へはいったような
心持ちを経験した。その後私はほとんど彼のみを読んだ。私は自分の問題と彼の問題とがきわめて近似していることを感じた
。ついには彼の内に自分の問題のみを見た。
その問題は概括すれば「いかに生くべきか」に関している。自分の性質と要求との間の焦燥。自己を真実に活かすための
種々の葛藤。自己の価値と運命とについての信念、情熱、不安。個性の最上位を信じながら社会的勢力との妥協を
全然捨離し得ない苦悶。(金、地位、名声などに因する種々の心持ち。)愛の心と個性を重んずる心との争い。
(女、肉欲、愛、結婚生活、親子の関係、自分の仕事などについての種々の心持ち。)個性と愛とを大きくするため
の主我欲との苦闘。主我欲を征服し得ないために日々に起こる醜い煩い。主我欲の根強い力と、それに身を委せよう
とする衝動と。愛と憎しみと。自己をありのままに肯定する心と、要求の前に自己の欠陥を恥ずる心と。誠実と自欺と。
努力と無力と。生活を高めようとする心と、ほしいままに身を投げ出して楽欲ぎょうよくを求むる心と。――
私は近ごろほど自分が日本人であることを痛切に意識したことはない。そしてすべて世界的
になっている永遠の偉人が、おのおのその民族の特質を最も好く活かしている事実に、私は
一種の驚異の情をもって思い至った。最も特殊なものが真に普遍的になる。そうでない世界人は
抽象である。混合人は腐敗である。――しかも私は真に日本的なものを予感するのみで、
それが何であるかを知らない。私は我々の眼前にそれが現われていると信じたくない。
なぜなら私は悪しき西洋文明と貧弱な日本文明との混血児が最も栄えつつあるのを見ているのだから。
――しかし私は西洋文明を拒絶することによって真に日本的なものが現われるとは信じない
。偉大な西洋文明を真髄まで吸収しつくした後に、初めて真に高貴な日本的がその内
に現われるのではないだろうか。
この際このことを言うのはやや自己弁解に類する。しかし私はそう信じている。
今度の世界戦争は恐らく Menschheit の向上に何ら貢献するところがないだろう。
物質主義はますます勢力を得るに相違ない。しかし断然たる反動は必ず起こらねばならぬ。
我々は第二の Renaissance を期待する。新しい価値、自由にして剛健な内よりの道徳、
個性の尊重、真の意味の実行、享楽の卑下、より高い者を実現するための誠実なる悩苦の生活。
世紀末から世紀始めへかけて五六の偉人がその礎石を置いた。
>>63
あんな大所帯できたらね、
初来日の武道館と全く別のバンドになってたからなぁ カントは独り哲学界に不朽の功績を残したばかりではなく自然科学者としても重大な位置を占めるものである。その最初の
論文「活力の真の計算の考え」はデカルトとライプニツとの相反発すると考えられた二つの見方に就いて論じたもの
であるが、其は独自の思想という点に於けるよりも寧ろ厳密な鋭利な或いは煩瑣とも云うべき批判の傾向と能力とを示した
という点に於て価値があるであろう。之に反して「地球の回転は時の経つに従って其の速さを変えるか」に就いての
ベルリン・アカデミーに提出された懸賞論文はカントの独創的天才を示すものである。カントによれば月及び太陽の引力
によって引き起こされる潮の満干の運動が地球の回転の速さを緩める事が明らかとなる。たとえその計算があまり厳密で
はなかったにしても、又たとえ速さがこの外の更に多くの原因によって緩まるということをカントは注意しなかったにしても、
カントが簡単な疑うことの出来ぬ力学的関係の考察から出発したという点での此の論文の価値は依然として変るものではない
。さて自然科学者としてのカントをして最も有名ならしめるものは「一般自然及び天体論」に述べられた所謂
カント・ラプラス仮説である。凡ゆる遊星は略々同一平面の内に同一の方面を以て運動し太陽も又この平面に垂直な軸の回り
を同じ方向に回転するが、カントによればかかる偶然とも云うべき一致は太陽と遊星とが本来空間に拡っていた同一の物質であり
、後に至って始めて分離したものであるということを示すに外ならない。勿論カントが太陽系の成立を説明して引力と排力とが
密度の大きい多数の塊を造り同時に又全体に回転運動を与えるとしたのは誤りである。後者は力学上不可能でありラプラス
の如きは回転運動は始めから与えられたものと見た。併し此の点を除いてはたとえ今日に至るまで天体の発達史の確実な見方
が得られないためにこの仮説が如何なる範囲に於て正当であるかを決定することは出来ぬとしても、この仮説の核心
そのものの正しい事は疑うべくもない。風の理論其の他に関するカントの仕事を数え尽すことは茲では不可能であるであろう
。ただ最後に生物界に就いての研究を一言しなければならぬ
カントの最も一般的な思想の一つは吾々の精神生活の内に這入る凡てのものは吾々の意識の内に与えら
れねばならぬということである。「主観性」とは之である。然るに吾々の意識の見渡し得ない程の多様
の内吾々の知覚の或る特殊のものは常に不変であり、経験の或る特徴は必然性と厳密な一般性とを持っている。
さて感性知覚の空間的な形式は之に属するものであり、カントはまずかかる意味に於て空間はアプリオリな
必然的表象であるという。吾々はかかるアプリオリをアプリオリの概念の心理発生的解釈と呼ぶ。
併しこのアプリオリテートを個々の対象が互いに順序づけられて現われる方即ち視覚の optische Lokalisation と
考えるならばヘルムホルツがカントを攻撃したようにかかるアプリオリテートは明らかに否定されねばならぬ。
吾々の今アプリオリテートと呼ぶものは之とは異って一般に感性的知覚は空間的な形式をとるという意識の性質、
即ち空間表象は始めから与えられた不変な意識内容を表わすということでなければならぬ。
併しカントのアプリオリは単に之だけでは尽されない。寧ろ多くのカント学徒によればカントのアプリオリ説
は心理発生的な意味でのアプリオリではなくして論理的な関係を取り扱うものなのである。吾々の知識の種々なる
部分の間にその妥当の論理的な関連があるということを主張するものなのである。それ故ある命題に論理的な
アプリオリテートがあるとはそれが経験の特殊の内容から論理的に独立でありその妥当が経験内容に依らずして
他種の明白さを持っているということである。かかる意味でのアプリオリに解すればもはや概念や表象の
アプリオリテートなどとは云うことは出来ない。論理的アプリオリテートはただ判断に就いてのみ云い得ることである。
それ故ただ空間に関する一定の命題即ち幾何学の公理のみが論理的アプリオリテートを持ち得る筈である。
そしてこの公理の持つ明白さは空間表象の性質そのものに基く明白さなのである。
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
>>62
さすがや
その1行が後追いにはなかなかできない >>34
多種多様ジャミロクワイももういたんだねー >>74
結局エアロスミスの大傑作は
・permanent vacation
・pump
・get a grip
なんだよ 私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります。
さらに私は、多数の不信者が神の存したまうこと、人間の精神が身体から区別せられることを信じようと欲しない原因は
まさに、この二つのことがらは従来何人によっても論証せられ得なかったと彼らが申しますところに存することを知って
おりますゆえに、もちろん私は決して彼等に同意するものではなく、反対にこれらの問題に対して偉大なる人々によって
持ち出されましたほとんどすべての根拠は、十分に理解せられます場合には、論証の力を有すると考えておりますし、
従って私は前に他の何人かによって発見せられなかったような根拠はほとんど何も与え得ないと信じておりますとはいえ
、しかもひとたびそれらすべての根拠のうち最もすぐれたものを克明に考究し、そして厳密に明瞭に解明し、かくてすべて
の人々の前に今後これが論証であることを確かにいたしますならば、哲学においてこれにまさる有益なことは為し得ない
と思慮いたすのであります。そして最後に、私がもろもろの学問におけるあらゆる難問を解決するための或る方法を完成
いたしましたことを知っております或る者は―――もちろんこの方法は新しいものではありませぬ。と申しますのは、
真理よりも古いものはないのでありますから。けれども彼等は私がそれをしばしば他のことがらにおいて使用して実の
り多かったことを見ているのであります。―――この仕事が私によって為されることを切に請い求めましたゆえにかように
して私はこれについて若干試みることが私の義務であると考えた次第であります。
さて私が為し遂げ得ましたほどのことはことごとくこの論文の中に含まれております。もっとも、かのことがらを証明すべきものとして持ち出され得るであろう種々の根拠のすべてをこの中に集録することに努力いたしたわけではありませぬ。と申しますのは、かかることは、何ら十分に確実な根拠を有しない場合にしか、労力に値しないと思われるからであります
>>76
俺もその3枚だと思う
ずっとそればっかり聴いてるもん かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
かるがゆえに、私の根拠がいかなる性質のものでありましょうとも、ともかく哲学に属しているのでありますから、
諸賢の庇護によって助けられるのでなければ、それらの根拠をもって労力に値する大きな効果を挙げ得ようとは
、私は期待いたしませぬ。しかるに諸賢の学部につきましてはすべての人が深く尊敬の念を抱いており、
またソルボンヌの名ははなはだ権威を有しており、かくて単に信仰に関することがらにおいて聖なる公会議に
亜ついで諸賢の団体ほど信頼せられているおよそいかなる団体も存しないのみでなく、また人文的な哲学におきましても
、他のいずこにも[#「いずこにも」は底本では「いずこも」]さらに大きな明察と堅実性とが、また判断を下すにあたってさら
に大きな健全性と叡智とが存しないと看做されているのであります。かるがゆえに、もし諸賢においてこの書物に対しまして
、まず第一に、それが諸賢によって訂正せられますように、―――すなわち、単に私の人間的な弱さのみでなく、
何よりもまた私の無知を想起いたしまして、この書物の中に何らの誤謬も存しないと私は確信いたしませぬ。―――
次に、欠けていることがら、あるいは十分に完全でないことがら、あるいはさらに詳細な説明を要求することがらが、
諸賢みずからによりまして、それとも、諸賢から告げられました後に、少くとも私によりまして、附け加えられ、完全にせられ、
闡明せられますように、そして最後に、神の存したまうこと、また精神の身体とは別のものであることを証明するこの
書物の中に含まれる根拠が、実にこれを極めて厳密な論証と看做さねばならぬほどまで、明瞭性に達せしめられました後に
、―――私はそれがかかる明瞭性に達せしめられ得ると確信いたしております
>>76
ちゃうちゃう
傑作〜名盤は1st〜5th、パーマネント、PUMP、ライブ!ブートレックと相場が決まっとる
ワイが思うに乳牛入れるのは超ニワカっち 諸賢がまさにこのことを言明し、公に証言して下さいますように、かように高配を賜りますならば、その場合には
、これらの問題についておよそ存しましたすべての誤謬はまもなくもろもろの人間の精神から拭い去られます
ことを、私は疑わないのであります。すなわち、真理そのものは容易に余の智能の士並びに博学の士が諸賢の
判断に同意いたすようにするでありましょう。また権威は、智能の士とか博学の士とかであるよりもむしろ多くは
一知半解の徒であるのを慣わしといたします無神論者が、反対する心を棄てるように、それのみかは、おそらく
すべての学識ある人々によってそれが論証と看做されていることを彼等が知っているところの根拠を、理解せぬ
と思われたくないために、彼等みずから弁護するようにさえ、するでありましょう。そして最後に、その余のすべての
者はかくも多くの証拠に容易に信をおくでありましょう。そしてもはや世の中には神の存在とか、人間の霊魂と肉体と
の実在的な区別とかを敢えて疑う者は誰もないでありましょう。そのことがいかほど有益であるかは、諸賢みずから、
諸賢の並々ならぬ叡智において、すべての人のうちで最もよく評価せられることができる次第であります。
つねにカトリック教会の最大の柱石であらせられた諸賢に、神と宗教とに関することがらをこれ以上の言葉を費し
てここに推薦いたしますことは、私にふさわしくないでありましょう。
Sugar のIf I Cange Your Mindが翌年にフジテレビの深夜ドラマのオープニングに使われたな
ゲットアグリップはグランジ旋風の中どこ吹く風で売れたのが大きい
ここ見逃したらあかん
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
>>82
えーーー、録音がショボすぎて聴いてられないよ
曲も代表曲以外は糞以下でしかない
昔のヴァン・ヘイレンと同じだよ >>85
ワイはメタリカのドラムが神格化されてる真っ只中でも凡ドラだと見抜いていた神耳
いやマジな話、乳牛で好きな曲1曲もない
だせーなーと思う曲が過半数
しかしPUMPには心底痺れたし、ライブもPUMPツアーは最高だった
だから乳牛はまさにワイにとっては奈落の底w >>85
だよね、
武道館を追加の再追加、再再追加だもんな >>89
エアロスミスのリアルタイムは何albumっすか?
自分はぶっちゃけpermanent vacation >>88
ニルヴァーナのブリーチ的で良いけどな
90年代リアルだったが、8トラックの生々しさが逆に良かった
まあそれはずば抜けた音楽しか成せない事なんだろうが かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
カントの最も一般的な思想の一つは吾々の精神生活の内に這入る凡てのものは吾々の意識の内に与えら
れねばならぬということである。「主観性」とは之である。然るに吾々の意識の見渡し得ない程の多様
の内吾々の知覚の或る特殊のものは常に不変であり、経験の或る特徴は必然性と厳密な一般性とを持っている。
さて感性知覚の空間的な形式は之に属するものであり、カントはまずかかる意味に於て空間はアプリオリな
必然的表象であるという。吾々はかかるアプリオリをアプリオリの概念の心理発生的解釈と呼ぶ。
併しこのアプリオリテートを個々の対象が互いに順序づけられて現われる方即ち視覚の optische Lokalisation と
考えるならばヘルムホルツがカントを攻撃したようにかかるアプリオリテートは明らかに否定されねばならぬ。
吾々の今アプリオリテートと呼ぶものは之とは異って一般に感性的知覚は空間的な形式をとるという意識の性質、
即ち空間表象は始めから与えられた不変な意識内容を表わすということでなければならぬ。
併しカントのアプリオリは単に之だけでは尽されない。寧ろ多くのカント学徒によればカントのアプリオリ説
は心理発生的な意味でのアプリオリではなくして論理的な関係を取り扱うものなのである。吾々の知識の種々なる
部分の間にその妥当の論理的な関連があるということを主張するものなのである。それ故ある命題に論理的な
アプリオリテートがあるとはそれが経験の特殊の内容から論理的に独立でありその妥当が経験内容に依らずして
他種の明白さを持っているということである。かかる意味でのアプリオリに解すればもはや概念や表象の
アプリオリテートなどとは云うことは出来ない。論理的アプリオリテートはただ判断に就いてのみ云い得ることである。
それ故ただ空間に関する一定の命題即ち幾何学の公理のみが論理的アプリオリテートを持ち得る筈である。
そしてこの公理の持つ明白さは空間表象の性質そのものに基く明白さなのである。
>>91
同じだね、パーマネントから入って70年代復習で完全にノックアウト、PUMPで更にぶっ飛んだ
だから乳のダサダサ凡々は寝耳に水だった
未だに聴けないが、その後の飛べないエアロの凡ぶりでワイの耳は確かだったんだと確信し、今日に至る
ただ2017年のライブはつべで観ただけだが良かった、だから来日したら行くよ! >>89
自分はpump Japanツアー
武道館2回行きましたが
心底痺れに痺れましたよ
そりゃ、この頃のエアロスミスは神でしたから、はい
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
PANTERAの俗悪とALICE IN CHAINSのDIRT
>>95
えーーー、、このalbum最初に聴いた時は一発で痺れたけどなー
まぁ、ライブでしつこくやるアメイジングは糞曲ですがw エアロはパーマネントから聴いたからその前のアルバムには思い入れがない。傑作とは思えない。
ゲットアグリップで頂点まで行ってナインライブスでこけた。
PUMPは確かに復活後の最高傑作だが、やっぱロックス、ファーストのヤバさがエアロの真骨頂だろうなと
勿論3rdやパーマネントの充実振りも堪らないし、ライブ!ブートレックがエアロライブの良さ、勢い、グルーヴを封じ込めてるね
今度こそ有終の美を飾って欲しい、と言いつつ後三回くらい来日するかもだがw
>>98
この来日で全ての日本のスラッシュバンドをパンテラ化にさせましたから、
>>100
まさしく、まさしく、まさしくです
本コケしました
全く興味が失せてしまった 本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
ダンウィズミラーズの一曲目は最高傑作なんだよなぁ、一曲目は
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
後ドローザラインも好きだなー、あれもヤバさがあって美味
ドラッグ漬けヨタヨタの状態でシングル的にもアルバム的にも充分ヤバい内容のアルバム作ったのは個人的にかなり評価してる
ロックスの後だが、がっかり感はほぼ無い
カントの最も一般的な思想の一つは吾々の精神生活の内に這入る凡てのものは吾々の意識の内に与えら
れねばならぬということである。「主観性」とは之である。然るに吾々の意識の見渡し得ない程の多様
の内吾々の知覚の或る特殊のものは常に不変であり、経験の或る特徴は必然性と厳密な一般性とを持っている。
さて感性知覚の空間的な形式は之に属するものであり、カントはまずかかる意味に於て空間はアプリオリな
必然的表象であるという。吾々はかかるアプリオリをアプリオリの概念の心理発生的解釈と呼ぶ。
併しこのアプリオリテートを個々の対象が互いに順序づけられて現われる方即ち視覚の optische Lokalisation と
考えるならばヘルムホルツがカントを攻撃したようにかかるアプリオリテートは明らかに否定されねばならぬ。
吾々の今アプリオリテートと呼ぶものは之とは異って一般に感性的知覚は空間的な形式をとるという意識の性質、
即ち空間表象は始めから与えられた不変な意識内容を表わすということでなければならぬ。
併しカントのアプリオリは単に之だけでは尽されない。寧ろ多くのカント学徒によればカントのアプリオリ説
は心理発生的な意味でのアプリオリではなくして論理的な関係を取り扱うものなのである。吾々の知識の種々なる
部分の間にその妥当の論理的な関連があるということを主張するものなのである。それ故ある命題に論理的な
アプリオリテートがあるとはそれが経験の特殊の内容から論理的に独立でありその妥当が経験内容に依らずして
他種の明白さを持っているということである。かかる意味でのアプリオリに解すればもはや概念や表象の
アプリオリテートなどとは云うことは出来ない。論理的アプリオリテートはただ判断に就いてのみ云い得ることである。
それ故ただ空間に関する一定の命題即ち幾何学の公理のみが論理的アプリオリテートを持ち得る筈である。
そしてこの公理の持つ明白さは空間表象の性質そのものに基く明白さなのである。
>>98
この二枚で世界中のメタルバンドが重さグルーヴにシフトチェンジせざるを得なかった
やらないとレコード会社から契約切られるから
みんな髪を切り、軍パンを半分に切り、エンジニアブーツを履いた 本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
>>109
この頃のカリフォルニアジャム最高にイカシテたよね
ヤバさが半端なかった カントは独り哲学界に不朽の功績を残したばかりではなく自然科学者としても重大な位置を占めるものである。その最初の
論文「活力の真の計算の考え」はデカルトとライプニツとの相反発すると考えられた二つの見方に就いて論じたもの
であるが、其は独自の思想という点に於けるよりも寧ろ厳密な鋭利な或いは煩瑣とも云うべき批判の傾向と能力とを示した
という点に於て価値があるであろう。之に反して「地球の回転は時の経つに従って其の速さを変えるか」に就いての
ベルリン・アカデミーに提出された懸賞論文はカントの独創的天才を示すものである。カントによれば月及び太陽の引力
によって引き起こされる潮の満干の運動が地球の回転の速さを緩める事が明らかとなる。たとえその計算があまり厳密で
はなかったにしても、又たとえ速さがこの外の更に多くの原因によって緩まるということをカントは注意しなかったにしても、
カントが簡単な疑うことの出来ぬ力学的関係の考察から出発したという点での此の論文の価値は依然として変るものではない
。さて自然科学者としてのカントをして最も有名ならしめるものは「一般自然及び天体論」に述べられた所謂
カント・ラプラス仮説である。凡ゆる遊星は略々同一平面の内に同一の方面を以て運動し太陽も又この平面に垂直な軸の回り
を同じ方向に回転するが、カントによればかかる偶然とも云うべき一致は太陽と遊星とが本来空間に拡っていた同一の物質であり
、後に至って始めて分離したものであるということを示すに外ならない。勿論カントが太陽系の成立を説明して引力と排力とが
密度の大きい多数の塊を造り同時に又全体に回転運動を与えるとしたのは誤りである。後者は力学上不可能でありラプラス
の如きは回転運動は始めから与えられたものと見た。併し此の点を除いてはたとえ今日に至るまで天体の発達史の確実な見方
が得られないためにこの仮説が如何なる範囲に於て正当であるかを決定することは出来ぬとしても、この仮説の核心
そのものの正しい事は疑うべくもない。風の理論其の他に関するカントの仕事を数え尽すことは茲では不可能であるであろう
。ただ最後に生物界に就いての研究を一言しなければならぬ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
>>98
この2作越えるメタルアルバムはその後出てないかもなー
マシヘのBlackeningはまずまずか
Opethの音作りのセンスやメシュガーのObzen、マストドンはライブも良かったけど >>117
このalbum一曲目しか聞かないからw
ありがとう カントは独り哲学界に不朽の功績を残したばかりではなく自然科学者としても重大な位置を占めるものである。その最初の
論文「活力の真の計算の考え」はデカルトとライプニツとの相反発すると考えられた二つの見方に就いて論じたもの
であるが、其は独自の思想という点に於けるよりも寧ろ厳密な鋭利な或いは煩瑣とも云うべき批判の傾向と能力とを示した
という点に於て価値があるであろう。之に反して「地球の回転は時の経つに従って其の速さを変えるか」に就いての
ベルリン・アカデミーに提出された懸賞論文はカントの独創的天才を示すものである。カントによれば月及び太陽の引力
によって引き起こされる潮の満干の運動が地球の回転の速さを緩める事が明らかとなる。たとえその計算があまり厳密で
はなかったにしても、又たとえ速さがこの外の更に多くの原因によって緩まるということをカントは注意しなかったにしても、
カントが簡単な疑うことの出来ぬ力学的関係の考察から出発したという点での此の論文の価値は依然として変るものではない
。さて自然科学者としてのカントをして最も有名ならしめるものは「一般自然及び天体論」に述べられた所謂
カント・ラプラス仮説である。凡ゆる遊星は略々同一平面の内に同一の方面を以て運動し太陽も又この平面に垂直な軸の回り
を同じ方向に回転するが、カントによればかかる偶然とも云うべき一致は太陽と遊星とが本来空間に拡っていた同一の物質であり
、後に至って始めて分離したものであるということを示すに外ならない。勿論カントが太陽系の成立を説明して引力と排力とが
密度の大きい多数の塊を造り同時に又全体に回転運動を与えるとしたのは誤りである。後者は力学上不可能でありラプラス
の如きは回転運動は始めから与えられたものと見た。併し此の点を除いてはたとえ今日に至るまで天体の発達史の確実な見方
が得られないためにこの仮説が如何なる範囲に於て正当であるかを決定することは出来ぬとしても、この仮説の核心
そのものの正しい事は疑うべくもない。風の理論其の他に関するカントの仕事を数え尽すことは茲では不可能であるであろう
。ただ最後に生物界に就いての研究を一言しなければならぬ
>>118
やっぱりマシンヘッドは1枚目と2枚目な、感が、
ブラッケニングって無理矢理メタル意識してるように聞こえてしまうんだが 本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであり
>>118
自身でも越えられなかったしw
パンテラはファービョンド〜でネタ切れ&世間が飽きた
アリスインチェインズはレコード作りたくてもレイン・ステイリーが違う意味でヤバくてレコード作れなかったし かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
1992年はオジーオズボーンが引退宣言して
やめるやめる詐欺を始めた年
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
>>113
あの頃ドラッグでボロボロだったのにね
如何にエアロの70年代が凄いものだったのか、その勢い、余韻だけでドローザラインにもってくんだから化け物だったんだなと
勿論勢いだけじゃあの域までは行かない、クリエイティブの力が無いと
だからドローザラインは自分に取っても特別なアルバムの1つ、理解不能なエアロスミスの実態が浮き出たが、やっぱり理解できない凄さがあったね
それに追い付く為に後のハードロックバンドはがむしゃらに立ち向かったがやっぱエアロスミスとZEPには勝てなかったな
ただ違うスタイルでACDCは極めたし、ヴァン・ヘイレンも良かったけど カントは独り哲学界に不朽の功績を残したばかりではなく自然科学者としても重大な位置を占めるものである。その最初の
論文「活力の真の計算の考え」はデカルトとライプニツとの相反発すると考えられた二つの見方に就いて論じたもの
であるが、其は独自の思想という点に於けるよりも寧ろ厳密な鋭利な或いは煩瑣とも云うべき批判の傾向と能力とを示した
という点に於て価値があるであろう。之に反して「地球の回転は時の経つに従って其の速さを変えるか」に就いての
ベルリン・アカデミーに提出された懸賞論文はカントの独創的天才を示すものである。カントによれば月及び太陽の引力
によって引き起こされる潮の満干の運動が地球の回転の速さを緩める事が明らかとなる。たとえその計算があまり厳密で
はなかったにしても、又たとえ速さがこの外の更に多くの原因によって緩まるということをカントは注意しなかったにしても、
カントが簡単な疑うことの出来ぬ力学的関係の考察から出発したという点での此の論文の価値は依然として変るものではない
。さて自然科学者としてのカントをして最も有名ならしめるものは「一般自然及び天体論」に述べられた所謂
カント・ラプラス仮説である。凡ゆる遊星は略々同一平面の内に同一の方面を以て運動し太陽も又この平面に垂直な軸の回り
を同じ方向に回転するが、カントによればかかる偶然とも云うべき一致は太陽と遊星とが本来空間に拡っていた同一の物質であり
、後に至って始めて分離したものであるということを示すに外ならない。勿論カントが太陽系の成立を説明して引力と排力とが
密度の大きい多数の塊を造り同時に又全体に回転運動を与えるとしたのは誤りである。後者は力学上不可能でありラプラス
の如きは回転運動は始めから与えられたものと見た。併し此の点を除いてはたとえ今日に至るまで天体の発達史の確実な見方
が得られないためにこの仮説が如何なる範囲に於て正当であるかを決定することは出来ぬとしても、この仮説の核心
そのものの正しい事は疑うべくもない。風の理論其の他に関するカントの仕事を数え尽すことは茲では不可能であるであろう
。ただ最後に生物界に就いての研究を一言しなければならぬ
あとデフ・レパードのヒステリアだけは異常に出来が良かったw
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
>>128
確かに、Guns N' Rosesでも無理だった
スキッド・ロウでも無理だった
越えられない何かがあるんだろうなぁ 理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
>>130
400万枚売らないと赤字のalbumだったから、
ヒステリアの完成度は異常 ソクラテスを読んで、一番に面白く思うところは、かのダイモンというものを常に信じて、絶えず
、自分の心の中うちに、善悪邪正を区別する、我にあらざる一種の力を蔵している。訳して
これを鬼神とも称すべきか。とにかく、この一種の力が、たとえ自分の欲することでも、
これを行為に顕あらわさんとする場合には、予あらかじめこの鬼神に伺いを立てて、
允許いんきょを受けることにしていた。そして、もしその允許が出ない時には、結局実行
を見合わすということになっていた。――これが私の注意を深く惹付ひきつけた点で、
また私もかくあろうとして、平生から夙つとに戒心しているところである。
私も随分無遠慮な口を利く方で、それが故には、如何いかなる時に、如何なる誤解
を発生せしめ、如何なる迷惑を受けなければならないかも知れぬ。しかしながら、
腹に確乎たる覚悟と信念とさえあるならば、さほどびくつくにも及ばない。ただし、
考えてみれば、私などの主張するところは、存外穏やかなものである。一つの主義
に固持して終世世に容いれられなかった人もあり、あるいはソクラテスの如く刑罰に
処せられたり、あるいは、大塩平八郎の如く、世に反抗して反叛を起したりするのに
比べては、私は気の弱い所以ゆえんでもあろうか、甚だしく穏やかである。思った事
を実行するといっても、故意に社会の原則を無視したり、折角せっかく生立おいたって
来た習慣を、無闇と破壊するというほどの意気込はない。また一面には、自分の所信に
してもし俗情に全然かなわない時に於ては、私は出来るだけ譲って、主張を枉まげること
もする。そして、最後に、これ以上は譲られないというところまでは、自分の力を保留しておく
考えである。
かるがゆえに、私の根拠がいかなる性質のものでありましょうとも、ともかく哲学に属しているのでありますから、
諸賢の庇護によって助けられるのでなければ、それらの根拠をもって労力に値する大きな効果を挙げ得ようとは
、私は期待いたしませぬ。しかるに諸賢の学部につきましてはすべての人が深く尊敬の念を抱いており、
またソルボンヌの名ははなはだ権威を有しており、かくて単に信仰に関することがらにおいて聖なる公会議に
亜ついで諸賢の団体ほど信頼せられているおよそいかなる団体も存しないのみでなく、また人文的な哲学におきましても
、他のいずこにも[#「いずこにも」は底本では「いずこも」]さらに大きな明察と堅実性とが、また判断を下すにあたってさら
に大きな健全性と叡智とが存しないと看做されているのであります。かるがゆえに、もし諸賢においてこの書物に対しまして
、まず第一に、それが諸賢によって訂正せられますように、―――すなわち、単に私の人間的な弱さのみでなく、
何よりもまた私の無知を想起いたしまして、この書物の中に何らの誤謬も存しないと私は確信いたしませぬ。―――
次に、欠けていることがら、あるいは十分に完全でないことがら、あるいはさらに詳細な説明を要求することがらが、
諸賢みずからによりまして、それとも、諸賢から告げられました後に、少くとも私によりまして、附け加えられ、完全にせられ、
闡明せられますように、そして最後に、神の存したまうこと、また精神の身体とは別のものであることを証明するこの
書物の中に含まれる根拠が、実にこれを極めて厳密な論証と看做さねばならぬほどまで、明瞭性に達せしめられました後に
、―――私はそれがかかる明瞭性に達せしめられ得ると確信いたしております
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
>>142
じゃ、オレが渋谷公会堂にZIGGY見に行ったのは1989年の夏だったのかw ZIGGYのイーストサイド、ウエストサイドは笑った
エアロスミスをパクりすぎw
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
>>137
つうことはガンズのチャイデモ(1曲1億かけたって話題になったよね)より予算掛けたってこと? >>148
チャイニーズdemocracyのガッカリ感は半端なかった
確か一回流して終わり
全く耳に残らなかった >>148
デフ・レパード/ヒステリアはスタジオ作業が四年半 >>135
70年代のエアロスミスはアルバム毎年出して傑作連発ってのも凄いが、それを裏付けるようにロックスとか9曲書いて全部採用されてるってもう神ってるよねw
野球で言えば10割バッター 私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
1番イチロー
2番イチロー
3番イチロー
4番イチロー
5番イチロー
6番イチロー
7番イチロー
8番谷繁
9番大谷翔平
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
ヒステリアの時は事情が事情だったしね〜
なんとか当たってよかったじゃないww
宣伝費も目一杯掛けたんだろうが、話題性もあって当時のメディアのプッシュも凄かったよ
業界巻き込んで売れるべくして売れたアルバム
俺はPV、ドラムの腕ばっか見てて楽曲がいいの悪いのって印象がまるでなかったけど間違いなく売れてたよ
つか事情があったにせよ、売ろうとして仕掛けて素直に売れたいい時代とも思うな〜
>>149
チャイデモ意外に良いよ
あれはB級でも良さがあるっていう典型
掛けた年月と予算はS級だけどねw 私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
>>155
あのサウンドになってるのはリックの影響もあるんじゃないかね この前出たGuns N' Rosesのアペタイト〜のリマスター盤
リマスター具合にガッカリして次の日に売ってしまった
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
>>159
完全にジョン・マット・ラング
この人がプロデュースすれば全部ヒステリア
ブライアン・アダムスがヒステリアになるんだからw クリスクロスのジャンプがヒットしたよな 92年はオルタナ、ヒップホップが大フィーバーして楽しいイメージしかない 91より好きかも
B級の神はポイズンってバンドだけどねw
なんか、あれはあれで凄い、なんかホッとする、つまり多様性の勝利だねw
>>163
いやそうじゃなくてリックの腕の影響でよりあの音にしたんじゃないかと
マットランジが同じなのはビリーオーシャンでもわかってる あ、アレステッドディベロップメントのファーストも92年か
普通ならロックの特性上、時間掛けすぎると死ぬんだけどね(乳牛)
ヒステリアは珍しい
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
レイジも3rd力作なんだが、凝りすぎて勢いが無くなっちまったもんな
普通はそうなる、レイジは1stがやっぱすんなり入ってくる
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
アレステッドあったな アグリーキッドジョーも楽しかった バッドカンパニーのhow about thatがハードロック勢最後のヒットかましてたな
>>165
武道館でCCがヨダレ垂らしながらひたすら長いギターソロ弾いてた記憶しか残ってない
ドミナッシンハヴァグッターム >>167
あー、シモンズのドラムセットになったからね、 かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
Mr.Bigのトゥビウィズユーって92年にNo. 1になってたか
まだHR/HM系の余韻もあったね
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
ちゅうかプロング最近までアルバム出してるね
聴いとこ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
>>173
ステーヴ・クラークの時にはもう終わった、と思ったが
まさかのヴィヴィアンキャンベルに当時ビックリした
つーか、ヴィヴィアンキャンベルっておいしい橋しか渡ってないよなw
DIO→ホワイトスネイク→デフ・レパード Brand New Heaviesよく聴いてたな。
Acid Jazzのアナログよく買ってた。
クワトロWAVEでコンピレーション買ったり。
それらのリミックス繋がりでMasters At WorkとかDef MixとかUK物のハウスも聴いてたな。
日本のバンドはOriginal Love。
>>175
アドレナライズのレコーディングまでスティーヴ・クラークだったか、 >>174
つーか、レイジアゲインストザマシーンは1stのインパクトが凄すぎてそれ以降のalbumに注ぎ込めなかった
それは、コーンにもいえる >>185
そうそう、当時なんでビッグインジャパンのMr.BIGがアメリカでNo.1になるんだ?と、
この曲のおかげでエクストリームのモアザンワーズも売れた 本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
>>187
最新album凄いよ
つーか、プロングのメンバーってCBGBに寝泊まりしてたスタッフ連中なんだよね
日本でいえば神楽坂エクスプロージョンのスタッフだったDOOMみたいな感じ ロスロボスがキコでその実力を知らしめたよな ピーターガブリエルのusも好き
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
>>198
意味分からんが、スタジオミュージシャン達が集まった感じ?ヘヴィメタルのTOTOかいな >>199
ピーターガブリエルのUSの中古盤
いまだにBOOK・OFFの500円コーナーでしょっちゅう見るから
当時、国内盤かなり売れたんだよな ピーガブのUSもか
個人的に聞いてたのはINXSのウェルカムトゥ〜
スプリングスティーンの2枚同時も92年
>>202
いや、スタジオミュージシャンではななく
バンドマンの兄ちゃんがライブライブに住み込みしてた感覚 >>204
あのスプリングスティーン2枚同時も同時国内盤売れまくりだとたよな
持ってるけど全く聴いた記憶がない
結局スプリングスティーンはカヴァーミーとボーントゥーラン >>204
ウェルカムトゥー売れなかったけどおれもめちゃ聴いてた ヒューマンタッチも92かあ やっぱり91より好きだわ 1992年ジャックブルースがサイモンフィリップス、ブルースサラセノで川崎クラブチッタで来日してた
>>205
ピッピーみたいな奴らかなw
じゃあフルデッドやフィッシュみたいな野外ライブの神的要素あるかもね
そういう視点でも聴いてみるわい >>207
そうそう
スプリングスティーンのは水みたいなアルバムだったw >>210
INXSはイギリスのほうでは売れたんだよね 私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
REMのオートマチックフォーザピープル92年だった
93年のイメージだったが記憶適当になってるなw
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
オートマチックもかあ ストテンのコアもだな ビースティの傑作チェックユアヘッド
日本の洋楽シーンはJ-WAVE系みたいのがあったな
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>224
ストテンもか
プラッシとかのヒットは翌年になるのか かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
1992年
スティングがソウルケージツアーで武道館
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
ポップス&ロック最後の年は92だな とにかく楽しい
>>224
未だにきくよ
ストーンテンプルパイロッツ/コア
これ全曲スゲーわ かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
つーか、この頃のブレンダン・オブライエンって神がかってたわ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
>>234
スティングは次のテンサマナーズで音楽性が一回りしたと思ったわ 本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
ブレンダンオブライエンはレッチリのブラッドシュガーもエアロのゲットアグリップもそうだわ
>>243
でもスティングって時代時代に合わせてきて尚且つバカ売れするから凄いよな
チンピラ丸出しだったスティングがイングリッシュマンニューヨークだもん >>245
当時はメタルバンドはテリー・デイト
ロック系はブレンダン・オブライエン
自分もこの頃はプロデューサー買いしてたw >>246
デビューもパンクに乗っかってきてるしねw かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
このalbum
大傑作だったけど
よくみたら1993年だったよ
たしか、マドンナのレーベル第一段アーティストだった記憶が
、
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>246
現存するミュージシャンで一番ボーカル好きだわ
洒落てるし、上手いし、多様なジャンルにも対応できるし、それを自ら生み出す質の高いクリエイティブを優先させながら実現してるからね
もうビートルズに迫ってるし、ボーカルの上手さでは上行ってるし
あと最新ライブ行ったけど、体幹にロックレジェンドのプライドや凄みが鋼のように強固に入ってたから、ますます惚れ込んだよ
最高のミュージシャンだね、来日したら絶対行く 理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
>>252
マーベリックか
ニューロティックアウトサイダースもそうだったな
この辺はその年のスレがあったら語ろう 本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>251
このバンド良いね!
ブラインドメロンのボーカル、サウンドを聴きやすくした感じ
個人的にシャノンフーンは最も好きなボーカリストの一人っす 理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
>>260
ブラインドメロンは不思議な魅力があったなぁ
シャノンはGuns N' RosesのドントクライのPVにも出てたし
ハードロックバンドがグランジやりました、時代だよな 本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
>>255
そのスティングに「お前」と、言えるのは一人だけ
ヘアバンド、スチュワートコーブランドだけ 私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
しかしSTINGが偉大なボーカリスト100に入って無いんだよな
世界の耳も大したことないわ
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
ブラインドメロンも4ノンブロンズも92年だった
デビューアルバムは売れるまでに少し時間がかかるのか
曲を耳にするのは93年に入ってからだったな
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
>>246
有名な話だが元教師だぞww?
残念ながら高校教師じゃなかったらしいww かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
ゴーストインザマシーンツアーでの野外ライブDVDは凄すぎた
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
1992年
Guns N' RosesとMetallicaとのダブルヘッドライナーでのスタジアムツアーが始まる
サポートアクトはフェイスノーモア
>>279
最初、ニルヴァーナに前座のオファーを
出したけど、アクセルが嫌だとカートが
断ったんだっけ
実現してたら面白かったのに 91年にグランジや次の時代になる名盤多発
92年はまだHR/HM系の名残りある
93年はもうグランジ
こんな感じかな
ブリットポップ前夜くらい
ブラーのモダンライフとかが先陣だよね
エアロスミスのパンプやガンズのユーズを聴きながら新作を待ってたころかな?
1992年4月3日
東京ドームでプリンスライブ
ラブ&セクシーツアー
1992年
3月27日
3月28日
NHKホール
エブリシングバットザガール
1992年8月23日
渋谷クアトロ
ヴェルヴェット クラッシュ
エリッククラプトンがアンプラグドのalbumを出して大ヒット
アンプラグドブームの火付け役に
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
1992年
ジェフポーカロ、アルバートキング
死去
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
スウェードって最初スミスの後継というかそういう期待感もたれてたよね
え?それにしては中身陰鬱だった気がw
スミスってノーテンキな歌じゃなかったかい?
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
スウェードの国内盤はかなり売れた特にファースト
でもすぐに中古の山
自分も馴染めなかったから即ユニオンで売った
この時代はまだ街のCD屋で予約してポスターもらったりしてた
それでは綱を切って、落してやれば良いわけであるが、厄介なことには、自由落下の速度は非常に大きく、百メートル落ちるのに
、五秒もかからない。それで何十階のビルディングの上から落してやっても、せいぜい五秒か十秒程度しか実験ができない。
それくらいの短時間内の生理的状態を調べてみても、あまり参考にはならない。それでもっとうんと高いところから落し
てやって、その落下中の生物の状態を研究する必要がある。それにはロケットがいちばんいいので、五十マイル以上も
上昇したロケットは、落ちてくるのに、二分ないし三分間かかる。そしてその間は、中のものにはぜんぜん重力が感ぜら
れないのである。それだけの時間があれば、いろいろな生理作用の研究がかなりできるので、猿をロケットに入
もっともただ打ちあげただけでは、なんにもならないので、いろいろな自記測定装置を設置しておく必要がある。脈搏と血圧と呼吸運動とを
、それぞれ自記させる装置を入れてやって、落下中の猿のそれらの生理要素を自記させ、その記録をあとから調べてみた。
その結果によると、初めにちょっとした変動が見られたが、ぜんたいとしては、目だった変化が認められなかった。現在までの結果では
、重力の働かない世界でも、少なくとも循環系統と呼吸作用とは、正常に働くものと認めてよいようである。生理的には、
この二つがいちばんたいせつなものであるから、今のところ、重力のない世界でも、生物の身体はだいたい普通どおりに働くも
のと見てよい、という結論になっている。エレヴェーターで降りる時のことを考えてみると、あのスーッとする感じがいつまでも続いては
、なにか身体の作用に変化が起りそうに思われるかもしれない。しかしどうもあれは、重力のある世界から、ない世界へ移りかわる
途中の状態の感じらしい.。
というのは、この猿を打ちあげる実験と平行して、いま一つ別の研究がなされているのである。それは鼠を
ロケットに入れて打ちあげる実験である。鼠の場合は、生理作用の研究というよりも、むしろ心理状態の
研究といったほうがいいようなものである。それは鼠をかごに入れて、それをロケットの中にしこむ。そして
映画の撮影機を装置しておいて、自由落下中の鼠の行動を、映画に撮ってみるという、少々変った研究なのである。
撮影機や照明装置などは、もちろん自動的に働くようになっている。
こういう装置をしたロケットを打ちあげて、それが落ちてきてから、フィルムを回収して、それを現像してみた。
そうしたら、鼠が宙に浮いた状態で、悠然として気持よさそうに空中を歩いているところが、画面に現れて
きたそうである。その鼠の行動や表情には、宙に浮いているという点以外には、なんら変ったところが見られなかった。
それで重力の無い世界は、生理的に安全であるばかりでなく、神経的にも決して心配する必要はないらしいとい
うことになった。もっとも人間と鼠とは違うかもしれないが、もし違ったとしたら、それはどうも、人間は心配性と
いうよけいなものをもっているため、ということになりそうである。
こういう研究は、超音速飛行に関する航空医学の研究としてなされているのであるが、同時に宇宙旅行用ロケットの研究の一部にもなる。
宇宙旅行の研究に、猿を八十マイルの高空まで打ちあげたり、鼠が宙に浮いたまま遊んでいる映画を撮ったりするというのは、ちょっと俳味があって、なかなかよろしい。アメリカの科学者の中にも、しゃれた研究をする男がいるものである。
>>309
だよね〜
スミスの後継ってヴィジュアルって意味だったのかな 季節は移つてきて、香水の欲しい初夏はつなつとなつた。シヨウ・ヰンドウにも、美しい香水の瓶や、香水吹き
が列ならべられる。デパートの香水売場で、若い婦人だちの香水撰択の情景が繁くなる。
けれど、香水の複雑した表情に就いては、割合に無関心であるらしい。香水の表情とは、
香水の良否の見分け方以外のことです。香気のもつれに出る細かい幻想の糸の織り成す感情の
展開のことです。例へば、五月の表情を持つ香水もあり、六月の表情を持つものもあり、又は月光の表情
を持つものもあり、霧の明方の表情を持つのもある。または、十七歳の少女の表情、廿歳の青年の表情、
街の妖婦の表情、微風の表情、求愛の表情、青き夢の表情、水の流れの表情、森林の真昼の表情、
処女の肌の表情、蛇の眼の表情、海のさざなみの表情、輝く指の表情、風にゆらぐ牡丹の表情、草間に
かくれる苔花の表情、アメチストの表情、ゴールドン・サフアイヤの表情、ヂルコンの表情等数へきれない
ほどである。
例へば、坊間行はれてゐるロジアアの赤箱などは、さしづめ、散りかかつた紅薔薇べにばらのやうな
甘い媚の表情を持つてゐる。だから、この香水には、すこしばかりの濁りがある。清澄さは無い。けれど
、この表情を理解して用ゐれば申分ない。
香水も、英国製、米国製などは、何といつても、フランス製品には及ばない
フランス製品は、あるか無しかの、おぼろげなさを特長としてゐる。それほど迄に、リフアインされてゐるのだ。
その表情の線を掴まうとしても、掴めないほどの柔かさを具へてゐるのだ。さはらうとすれば、逃げてゆくやうに思は
れる頼りなさのところに評価しても評価しきれない貴重さが存する。
コテイーの香水のロリガン・エメロード巴里パリーなども、この表情を巧たくみにつくりあげてある。
アリスの「夜よるの花園はなぞの」「目を閉ぢて」「心のなかの愛」「最初の承諾」なども、全くこの表情
を生かしてゐる。単なる花の香水、ジヤスマン、リラ、ローズ、ヒヤシンス、シプル、シクラメン等も、
その表情がそれぞれ違つてくる。
同じホワイト・ローズでも、コテイーのと、ウビガンのとでは、その表情が非常に異つてゐる。「森林の香か」とか
、オリエンタル・ブウケエなどは、比較的男性向な表情をもつてゐる。リラなどは、極めて低く一般的意味で若き婦人向の表情だ。
一体、表情といふのは、その香気が、あまい、かたい、やわらかい、にがい、くせがある。素直だ、強い、弱い、ふるい
、新しい、あらい、こまかい、永く保つ、保たない、遠くへきく、遠くへきかない等といふ現実なものの見分け方の上に
、更に、さういふ種々なものが綜合されて、ほのかに煙つてくる夢幻的感情の見分け方なのである。
だから、吾々は素人として「香水の表情」を見分けるには、闇のなかがよい、騒音の絶対に聞えない所がよい
プリンスはラブセクシーから陰りが見え始めダイヤモンド&パールズで音楽性が二周目に入って
ラブシンボルは苦しそうだった
人生の道程でいくたびか出会った分かれ道、そのどこかひとつが変わっていれば、私はいまとは全く違ったものになって
いたであろう。初めの奉公先を飛び出した十五のころ、汽車賃が足らず伊勢参りをやめて横浜へ流れたとき
、木曜島に売り飛ばされる寸前、香港で阪大佐太郎ばんだいさたろうに救われたあの日。まるで鉛筆を立てて、
その倒れぐあいで人生航路を決めていたような私だったが、私と段ボールとをつなぐ見えない糸はいつもたぐられ
ていたのであろうか。
段ボールを手がけてからは、人生のサイコロの目は、まずまず順調に出た。しかしそれまでの私はなんと遠回り
をしたことだろう。そんなとき「寝れば一畳、起きれば半畳、五合とっても三合飯」という明るさと『いまにえろなったるぞ』
との人一倍の意欲が、私の力になった。――話をさらに二十年ほど戻して、私のふるさとの村へ返そう。
播州平野に流れる揖保川いぼがわは鮎の産地として名高い。私はその揖保川の堤から二、三町ばかり行った
百戸ばかりの一寒村で、農業を営む長谷川家の三男坊として生まれた。戸籍では明治十五年十月三日生まれと
なっているが、実は明治十四年の盆踊りのあった翌朝のことだったという。二歳のとき、当時は家系の跡つぎは鎮台
(兵役)をのがれる特典があったので、米二俵を持って遠縁の井上家の死籍相続人になった
ある日、浜町はまちょうの明治座の屋上から上野公園を眺めていたとき妙な事実に気がついた。それは上野の
科学博物館とその裏側にある帝国学士院とが意外に遠く離れて見えるということである。この二つの建築物の
前を月に一度くらいは通るので、近くで見たときのこの二つの建物の距離というものについてはかなりに正確な
概念をもっている、少なくもそのつもりでいたのであるが、今度はじめて約三キロメートル半の遠方から眺めて
みると、この先入概念がすっかり裏切られてしまって、もう一度改めて科学博物館対帝国学士院の空間的関係
というものを考え直さなければならないことになってしまった。
どうしてこういう空間的認識の差違が起こるかと考えてみたがよく分らない。色々な原因があるであろうが、
その一つとしてはあるいは次のようなことがありはしないか。すなわち、接近して仰向いて見る時には横幅に
対して高さの方を大きく見積り過ぎるような傾向があって、そのために二つの高い建物の間隔がつまって見える
のではないかということである。これに反して遠方から見る場合にはもはやふり仰いで見る心持はなくなって
、眼とほぼ同水平面にある視角の小さな物体を見ることになるので、それで上下と左右の比率が正しく
認識されるのではないかというのである。この解釈は間違っているかもしれないが、しかしいくらかこれを
支持するような事実が他にも若干ある。
太陽や月の仰角を目測する場合に大抵高く見過ぎる。その結果として日出後または日没前の一、二時間には太陽が特別に早く動くような気がする。
山の傾斜面でもその傾斜角を大きく見過ぎるのが通例である
>>307
今は亡きダイエーのCDショップでは予約せず新譜買うと一人3っつまでとか言われて
レジ横のダンボール(余り物ポスターが刺してある箱)から好きなポスターくれてた
だから買ってもいない洋楽アーチストのポスター貰って帰ってたよ
なっつ〜 自然に反するどころではなかった。鉄造船は同じ図体の木造船にくらべてかえって総重量は軽いことがわかった。
当時の技術をもってして鉄造船の場合船体および艤装ぎそうを合わせて重量は排水トン数の三十パーセント
で済んだが、木造船の場合は四十パーセントだった。
鉄造船は同一トン数の木造船より四分の一だけ軽く済んだ、したがってそれだけ貨物積載量が殖ふえた。
耐久力の上ではいうまでもないが、一八三四年に鉄造船ガリイ・オーエン号が処女航海で暴風を喰った
。ほかの木造船は完全に難破したがこの船だけは無傷だった。
それでもまだ諸国逓信ていしん省は郵便物の托送を頑として鉄造船にたいしては拒みつづけた。
「自然に反する――浮ぶはずがない」という以前の曰いわくの代りに「自然に反する――コンパスを狂わせる」
という信条だった。一八五四年にメルボルン行の鉄造帆船テイラアがラムベイ・アイランドで霧のため難破して
三百三十四人死んだ。もってコンパスにたいする憂いの実証とされた。
世界に君臨する大英国海軍ですら、鉄造戦艦をはじめて持ったのが一八六〇年である。
ところで木造船では三百フィートというのが構造上の極限だった。大西洋に就航した木造(汽)船で
は長さ二百八十二フィート三千トン(一八五〇年)というのが最大である。汽船帆船を問わず激化する競争は
否応なしに大船を要求した
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
それでは綱を切って、落してやれば良いわけであるが、厄介なことには、自由落下の速度は非常に大きく、百メートル落ちるのに
、五秒もかからない。それで何十階のビルディングの上から落してやっても、せいぜい五秒か十秒程度しか実験ができない。
それくらいの短時間内の生理的状態を調べてみても、あまり参考にはならない。それでもっとうんと高いところから落し
てやって、その落下中の生物の状態を研究する必要がある。それにはロケットがいちばんいいので、五十マイル以上も
上昇したロケットは、落ちてくるのに、二分ないし三分間かかる。そしてその間は、中のものにはぜんぜん重力が感ぜら
れないのである。それだけの時間があれば、いろいろな生理作用の研究がかなりできるので、猿をロケットに入
もっともただ打ちあげただけでは、なんにもならないので、いろいろな自記測定装置を設置しておく必要がある。脈搏と血圧と呼吸運動とを
、それぞれ自記させる装置を入れてやって、落下中の猿のそれらの生理要素を自記させ、その記録をあとから調べてみた。
その結果によると、初めにちょっとした変動が見られたが、ぜんたいとしては、目だった変化が認められなかった。現在までの結果では
、重力の働かない世界でも、少なくとも循環系統と呼吸作用とは、正常に働くものと認めてよいようである。生理的には、
この二つがいちばんたいせつなものであるから、今のところ、重力のない世界でも、生物の身体はだいたい普通どおりに働くも
のと見てよい、という結論になっている。エレヴェーターで降りる時のことを考えてみると、あのスーッとする感じがいつまでも続いては
、なにか身体の作用に変化が起りそうに思われるかもしれない。しかしどうもあれは、重力のある世界から、ない世界へ移りかわる
途中の状態の感じらしい.。
U2がアクトンベイビーから紙の無駄使いだからロングケースをやめる宣言を出して
それで一斉になくなった
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
>>322
あったな〜長細い箱ww
当時スティングのイングリッシュマン買ったわww
あれあっちのキッズが万引きするんでああなったんだけれど、
デザインっつーか、見た目が良かった かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
>>325
へ〜、初めて聞いたよww
そうだったんだww >>322
ブリスターケース
昔のタワー渋谷はよく行ったなぁ
帰りは斜め前の吉野家で大盛牛丼 かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
まだ渋谷のタワーは移動する前だね
外資系や輸入盤扱う店が盛んになってきた頃かな
でも洋楽情報は能動性が必要だったと思う
>>303
あくまでブレッドのバイセクシャル戦略ね
でもドラムのサイモンは本当にゲイで度重なるブレッドの発言にうんざりしてカミングアウトしちゃった。 かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
スミスの後継ではなかったがブリットポップの先導ではあったかもね
この頃のイギリスはアメリカに向かいてない印象
この前メタリカが再発したメタルガレージはブリスターケース仕様だった
CDのロングケースは捨てないで部屋に飾ってた。
タワレコ渋谷は移転したら道路を渡らなくちゃいけなくなったからさっぱり行かなくなった。
宇田川町の他のアナログ盤店にはその後もよく通ったけど。
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
>>341
>CDのロングケースは捨てないで部屋に飾ってた。
そうだよな〜、あったあったww
なっつー^^ 本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>340
モノ持ちいいなぁ
自分も飾ってあるのもあったけどすっかり処分してしまった 私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
>>348
これは、メタリカの自主レーベルから出た
最近発売のもの かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>348
いやいや、この前メタリカが廃盤だったメタルガレージを再発したんだよ、
で、当時を意識してのブリスターケースでの発売 本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
アリスインチェインズのダートは最高だった。次の3rdは同じような曲ばっかりでいまいちだったが、ダートとフェイスリフトは良い。
アリスインチェインズはこの二枚でお腹いっぱい
レインステイリーがアレだったからalbum作れなかったし
1stもかなり魅力あるが、あのレベルの傑作ならたまに出てた
2ndは神盤に近いな、あのレベルは滅多にでないし、アリチェンのオリジナリティも炸裂してるからまさに金字塔だね
勢いって凄いよね
何故かクラッシュオブザタイタンズのツアーに帯同してた
92年ってまだグランジ確率も確定した評価もされてなかったよね
最初の数枚がいいのかな
満を持しての作品ってあまりよくなかった
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
結局、世の中から期待された時のalbumって駄作が多い
めちゃくちゃ解りやすい例えは
スキッド・ロウ/サブヒューマンレース
ホワイトスネイク/レストレスハート
ガンズ・アンド・ローゼズ/チャイニーズデモクラシー
ハロウィン/カメレオン
まぁ、きりがない
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
レストレスハートは好きだったな
アルバムのトーン上バンデンバーグが思いっきり弾かせて貰えてないのが残念だったが
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
それでは綱を切って、落してやれば良いわけであるが、厄介なことには、自由落下の速度は非常に大きく、百メートル落ちるのに
、五秒もかからない。それで何十階のビルディングの上から落してやっても、せいぜい五秒か十秒程度しか実験ができない。
それくらいの短時間内の生理的状態を調べてみても、あまり参考にはならない。それでもっとうんと高いところから落し
てやって、その落下中の生物の状態を研究する必要がある。それにはロケットがいちばんいいので、五十マイル以上も
上昇したロケットは、落ちてくるのに、二分ないし三分間かかる。そしてその間は、中のものにはぜんぜん重力が感ぜら
れないのである。それだけの時間があれば、いろいろな生理作用の研究がかなりできるので、猿をロケットに入
もっともただ打ちあげただけでは、なんにもならないので、いろいろな自記測定装置を設置しておく必要がある。脈搏と血圧と呼吸運動とを
、それぞれ自記させる装置を入れてやって、落下中の猿のそれらの生理要素を自記させ、その記録をあとから調べてみた。
その結果によると、初めにちょっとした変動が見られたが、ぜんたいとしては、目だった変化が認められなかった。現在までの結果では
、重力の働かない世界でも、少なくとも循環系統と呼吸作用とは、正常に働くものと認めてよいようである。生理的には、
この二つがいちばんたいせつなものであるから、今のところ、重力のない世界でも、生物の身体はだいたい普通どおりに働くも
のと見てよい、という結論になっている。エレヴェーターで降りる時のことを考えてみると、あのスーッとする感じがいつまでも続いては
、なにか身体の作用に変化が起りそうに思われるかもしれない。しかしどうもあれは、重力のある世界から、ない世界へ移りかわる
途中の状態の感じらしい.。
フランス製品は、あるか無しかの、おぼろげなさを特長としてゐる。それほど迄に、リフアインされてゐるのだ。
その表情の線を掴まうとしても、掴めないほどの柔かさを具へてゐるのだ。さはらうとすれば、逃げてゆくやうに思は
れる頼りなさのところに評価しても評価しきれない貴重さが存する。
コテイーの香水のロリガン・エメロード巴里パリーなども、この表情を巧たくみにつくりあげてある。
アリスの「夜よるの花園はなぞの」「目を閉ぢて」「心のなかの愛」「最初の承諾」なども、全くこの表情
を生かしてゐる。単なる花の香水、ジヤスマン、リラ、ローズ、ヒヤシンス、シプル、シクラメン等も、
その表情がそれぞれ違つてくる。
同じホワイト・ローズでも、コテイーのと、ウビガンのとでは、その表情が非常に異つてゐる。「森林の香か」とか
、オリエンタル・ブウケエなどは、比較的男性向な表情をもつてゐる。リラなどは、極めて低く一般的意味で若き婦人向の表情だ。
一体、表情といふのは、その香気が、あまい、かたい、やわらかい、にがい、くせがある。素直だ、強い、弱い、ふるい
、新しい、あらい、こまかい、永く保つ、保たない、遠くへきく、遠くへきかない等といふ現実なものの見分け方の上に
、更に、さういふ種々なものが綜合されて、ほのかに煙つてくる夢幻的感情の見分け方なのである。
だから、吾々は素人として「香水の表情」を見分けるには、闇のなかがよい、騒音の絶対に聞えない所がよい
>>367
エイドリアンヴァンデンバーグってほんと運が無いギタリストだよね
サーペンス後の絶好調期に腱鞘炎になりスリップオブザ〜は全部スティーヴ・ヴァイに全部持っていかれる始末 サーペンスもhere i go againのギターソロだけ
サーペンスはジョンサイクスのalbum
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
サブヒューマンレースは好きなアルバムだ。
でも期待を裏切ったのは確かだね。みんなグランジっぽくなって失敗した。
>>377
ウォレントのチェリーパイ→ドッグイートドッグ
皆が腰抜かしたくらい駄作 かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>378
それもわかるわ。ウォレントはホントにこけた。
チェリーパイはよく聴いてたな 私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
メタリカのサッドバットトゥルーなんてモロにアリスインチェインズだしw
確かにアリスの影響受けてるかもしれんが、モトリーのDr.feelgoodもそうだろ
しかしDr.はエアロのドローザラインの匂いがするからな
結局アメリカのバンドリフはエアロスミスが原型じゃないかな
そりゃあんだけ70年代に名盤連発して、名リフだらけだったら何らかのパクりになっちまう
世界的にはZEPやACDCのが標準かな
ボブロックだとボンジョビに行き着くのかな
スリッパーはその後いろいろと影響与えてるな
92年だとここまでキープザフェイスの話題が何故かない
ボン・ジョビはブルースフェアバーンとボブクリアマウンテン
ボブロックが1番いい仕事したのはカルトとブルーマーダー
>>385
そう、キープザフェイスはとんでもない名盤なんだけどね
冒頭の2曲がヘヴィで少しダークだから敬遠されがちなんだが
それ以降は名曲のオンパレード ボンジョヴィはキープザフェイスが最高傑作。そしてジーズデイズ。この2枚は今でもヘビロテしてる。アメリカを感じる。
キープは他のバンドと同様、グランジぱろぷんてでバグった駄作だと思うが、次のジーズデイズは良いアルバム
ボンジョヴィはその後、より普通のPOPSRockになったが元々の音楽性とジョンのソングライティング能力の賜物でまともな音楽活動が出来てると思う。
>>386
カルト&マーダーにはお世話になったわー 考えてみたらカルトってボブ ロックとリック ルービンでメタリカに先駆けてるな
元ケラングの記者が、カルトの「ラブ」のデモテープ
をお土産にして、デンマークでレコーディング中の
メタリカの取材に行って、皆で酒盛りしながら聴いて
気に入った(特にクリフが)という話がバーンに載ってた
ボンジョビはアイドルバンドやけどほとんどのバンドがボンジョビ以下だからバカにできない
ダイナソーJr.の傑作グリーンマインド出したのが1992年か、
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
>>394
しかし、メタリカのalbumの中では1番のセールスだが1番飽きる、今は絶対に聴かない かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
それでは綱を切って、落してやれば良いわけであるが、厄介なことには、自由落下の速度は非常に大きく、百メートル落ちるのに
、五秒もかからない。それで何十階のビルディングの上から落してやっても、せいぜい五秒か十秒程度しか実験ができない。
それくらいの短時間内の生理的状態を調べてみても、あまり参考にはならない。それでもっとうんと高いところから落し
てやって、その落下中の生物の状態を研究する必要がある。それにはロケットがいちばんいいので、五十マイル以上も
上昇したロケットは、落ちてくるのに、二分ないし三分間かかる。そしてその間は、中のものにはぜんぜん重力が感ぜら
れないのである。それだけの時間があれば、いろいろな生理作用の研究がかなりできるので、猿をロケットに入
もっともただ打ちあげただけでは、なんにもならないので、いろいろな自記測定装置を設置しておく必要がある。脈搏と血圧と呼吸運動とを
、それぞれ自記させる装置を入れてやって、落下中の猿のそれらの生理要素を自記させ、その記録をあとから調べてみた。
その結果によると、初めにちょっとした変動が見られたが、ぜんたいとしては、目だった変化が認められなかった。現在までの結果では
、重力の働かない世界でも、少なくとも循環系統と呼吸作用とは、正常に働くものと認めてよいようである。生理的には、
この二つがいちばんたいせつなものであるから、今のところ、重力のない世界でも、生物の身体はだいたい普通どおりに働くも
のと見てよい、という結論になっている。エレヴェーターで降りる時のことを考えてみると、あのスーッとする感じがいつまでも続いては
、なにか身体の作用に変化が起りそうに思われるかもしれない。しかしどうもあれは、重力のある世界から、ない世界へ移りかわる
途中の状態の感じらしい.。
>>404
労働者階級の人達が好んできく一般大衆向けのわかりやすいロック
このalbumなんかわかりやすい
900万枚のモンスターalbum
フランス製品は、あるか無しかの、おぼろげなさを特長としてゐる。それほど迄に、リフアインされてゐるのだ。
その表情の線を掴まうとしても、掴めないほどの柔かさを具へてゐるのだ。さはらうとすれば、逃げてゆくやうに思は
れる頼りなさのところに評価しても評価しきれない貴重さが存する。
コテイーの香水のロリガン・エメロード巴里パリーなども、この表情を巧たくみにつくりあげてある。
アリスの「夜よるの花園はなぞの」「目を閉ぢて」「心のなかの愛」「最初の承諾」なども、全くこの表情
を生かしてゐる。単なる花の香水、ジヤスマン、リラ、ローズ、ヒヤシンス、シプル、シクラメン等も、
その表情がそれぞれ違つてくる。
同じホワイト・ローズでも、コテイーのと、ウビガンのとでは、その表情が非常に異つてゐる。「森林の香か」とか
、オリエンタル・ブウケエなどは、比較的男性向な表情をもつてゐる。リラなどは、極めて低く一般的意味で若き婦人向の表情だ。
一体、表情といふのは、その香気が、あまい、かたい、やわらかい、にがい、くせがある。素直だ、強い、弱い、ふるい
、新しい、あらい、こまかい、永く保つ、保たない、遠くへきく、遠くへきかない等といふ現実なものの見分け方の上に
、更に、さういふ種々なものが綜合されて、ほのかに煙つてくる夢幻的感情の見分け方なのである。
だから、吾々は素人として「香水の表情」を見分けるには、闇のなかがよい、騒音の絶対に聞えない所がよい
メタリカはもう全部飽きた。凄く好きだったんだけど繰り返し聴けないな。
というかメタルは飽きた。
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>411
最初に大好きで何回も繰り返して聴いたalbumって年数たつとツラいよな
デラックスが出て所有するだけの満足感 >>409
ZZトップのアルバムがトラック運転手向けにカセットが売れてたって話があったな ある漫画で谷村新司とアルフィーって聞いた
意味合いとしては商業ロックってことらしい
言ってる側としてはロックってのは孤独でストイックで酒と暴力で・・・と、云云かんぬんで真面目に別物なんだとさw
>>411
メタルに未来は無い
今のガンズ・アンド・ローゼズとか見たいとも思わない
要は見た目がほとんどのアーティストが豚になってるから見るに耐えられない
マイケルシェンカーフェストにかなり行きたいんだが、ベースの奴が度を越えた糞家畜ブタ
こんなの見れないキモい ソウルアサイラムのアルバムは92年なんだな
ランナウェイトレインのヒットは93年
>>405
ブラックアルバムは、バンドの育ての親のマネージャーが
「いつもカバーしてるミスフィッツみたいに3分代の
短い曲を書いてみて」の要求で作ったから、
自分達の好みではなさそう >>418
ロックに反抗的なモノ求める人もいるしなぁw
もうだいぶ上の世代だけど >>421
それ凄い名盤だったよな
日本では売れなった
コレクティブソウルも好きだった >>420
メタルはベテラン勢の終活始まってる
ジューダスプリーストなんか一部には評判よかったみたいで >>423
おー、初耳だw
justiceの後があのalbumだからなぁ
同じバンドとは思えん >>420
なんかわかる。ドッケンも好きだったけど今はあの状態だからな。 それでは綱を切って、落してやれば良いわけであるが、厄介なことには、自由落下の速度は非常に大きく、百メートル落ちるのに
、五秒もかからない。それで何十階のビルディングの上から落してやっても、せいぜい五秒か十秒程度しか実験ができない。
それくらいの短時間内の生理的状態を調べてみても、あまり参考にはならない。それでもっとうんと高いところから落し
てやって、その落下中の生物の状態を研究する必要がある。それにはロケットがいちばんいいので、五十マイル以上も
上昇したロケットは、落ちてくるのに、二分ないし三分間かかる。そしてその間は、中のものにはぜんぜん重力が感ぜら
れないのである。それだけの時間があれば、いろいろな生理作用の研究がかなりできるので、猿をロケットに入
もっともただ打ちあげただけでは、なんにもならないので、いろいろな自記測定装置を設置しておく必要がある。脈搏と血圧と呼吸運動とを
、それぞれ自記させる装置を入れてやって、落下中の猿のそれらの生理要素を自記させ、その記録をあとから調べてみた。
その結果によると、初めにちょっとした変動が見られたが、ぜんたいとしては、目だった変化が認められなかった。現在までの結果では
、重力の働かない世界でも、少なくとも循環系統と呼吸作用とは、正常に働くものと認めてよいようである。生理的には、
この二つがいちばんたいせつなものであるから、今のところ、重力のない世界でも、生物の身体はだいたい普通どおりに働くも
のと見てよい、という結論になっている。エレヴェーターで降りる時のことを考えてみると、あのスーッとする感じがいつまでも続いては
、なにか身体の作用に変化が起りそうに思われるかもしれない。しかしどうもあれは、重力のある世界から、ない世界へ移りかわる
途中の状態の感じらしい.。
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
>>428
今のドンドッケンに金出せん
1988年のバックフォージアタック来日公演見といてよかった ガンズなんかも後追いの追体験やあの時をもう一度的に見るにはいい機会だったね
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
>>418
アルフィーって言われるとなんとなくわかるかも。ホントのロックじゃないライトなロックなのかな。 理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
再結成スラッシュバンドは98%糞デブ
来日しても行きたいとも思わない
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>424
それ言ってたの狩撫 麻礼
迷走王 ボーダーって漫画でブルーハーツ聴いての感想
モロにそうゆう人だった。先日お亡くなりになったがww 理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
ブルーハーツ初めてみたのは1985年地方のライブハウス
人にやさしくの自主制作盤にメンバー全員にサインしてもらった
実家に帰れば多分出てくる
ジャーニーのベスト発売して間もない頃好きで聞いてたが、
あれこの間500週くらいチャートインしてるってニュースがあった
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
>>434
当時は谷村新司もJR青春18きっぷでCMやってたから・・・
曲が壮大で黄昏れてたんでアリスの路線じゃないって憤慨してたのかもね
チャンピオンとか気に入ってたかな〜? 私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
1992年発売のボディガードのサウンドトラック盤
全世界総売上4205万枚
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
ま、PCやスマホの普及が音楽をダメにしていってるよね
自分の脚を使って探さない玄人気取りばかりの世の中
よく音楽楽しめるよな
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>462
元旦那に薬漬けにされてDVされてボロボロに
なって立ち直れず死んだ これからTVKセーソクの番組でアリスインチェインズやる
え?ジェリーカントレルが歌うの?
曲はモロにアリスインチェインズ
カッコいいぞ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
当時は学生だったけど、
毎週渋谷にレコード買いに行ってたなぁ
>>473
92年当時は19歳。
DJの真似事を始めた頃だったのもあってレコードがメイン。
CDも買ってたけど、元々子供の頃からこずかいやお年玉はレコードに消えてってた。
渋谷のロキノンは興味無かったな。
当時はクロスビートとリミックス読んでた。 つーかロキノン世代ってよくわからんけど実際いくつぐらいなの?
年も同じくらい、クロスビーと派も同じだがワイはバンドやってましたね
お決まりのパンクから始まりビートルズ、ニルヴァーナ、エアロ、ACDC辺りコピってまずまずそこそこのオリジナルw
>>477
当時20ぐらいだったらニルヴァーナみたいなのってもう飽きてなかった?
自分より年下のが夢中になってた感じで。
メロディは良かったけど曲調はもう今更感があった。 >>476
ちょっと信者みたいのってもう少し下なんじゃないの?
陰な感じが入った音楽ファン ニルヴァーナはアングラの雰囲気で陰影付けてたし、バンドでも楽しめたけどな
エアロスミスやACDCもやっぱり気持ち良かったですが、ZEPできない技量だったんで
やっぱZEPできたら広がったんでしょう
大体ドラムからして無理っすからねw
同じゲフィンレコードならソニックユースの方が面白くて聴いてたなぁ
ニルヴァーナは何だか変に神格化され始めてたのが抵抗があった。ガンズの事嫌ってたけどお前らも変わんないじゃんって思った。
ガンズもゲフィンだったね
ソニックはライブにも行ったが、結構訳が分からなかったw
マッドハニーのが純粋に楽しめたっすね
ペイヴメントも訳が分からなかったw
ジョンスペやサウンドガーデンは抜群でしたね。
バンドやってたからレコードや脳内だけの世界じゃなく、ヴェルヴェットアンダーグラウンドがあの年代であのシンプルさで既に両立は可能だという事を証明していた
多くのバンドがリスペクトして実践できたバンドもあるから,ヴェルヴェットだけでなくドアーズとかジャニスとかもそうだけど
ジミヘンは訳分からんですね
ソニックユースは普通に曲がつまらない
代表曲も一曲もないくらい
曲が最悪につまらない
>>482
訳がわからない音楽は売れない
訳がわかる音楽は売れる >>483
ライブに行ったぐらいだからアルバムは気に入ってたんすよ
Gooは普通にカッコいいし、Dirtyは充実した傑作だったから
今のソニックならまた一味違うライブかも とにかくロキノンはつまらなかった。クロスビートのがまし
ソニックユースのDirtyが92だったね。
これはソニックの中で一番好きだな、割とメジャー志向でリズムも攻撃的で良い、質も量も中々の充実作
ロキノンは古くから渋谷のラジオ聴いてたようなおっさん爺さんも買ってるから、
「世代」で括れるほど一枚岩でもないんでしょ
アイスキューブの92年The Predatorはなかなかカッコいい
ラップ系好きなミュージシャンは限られるがこの頃前後の気分は充実期でアルバムも佳き
バーンは余り編集長が代わらないけど
ロキノンは7人ぐらい代わってる
UKは国土が狭いから、半年単位で音楽の
流れがかわるらしいし
REMのオートマチックが92か
あのアルバムは名盤らしいが、オートマチックとモンスター以外は全部好きだ
たまに世間とズレるw
ブラインドメロンの1stが92か
良いバンド&ボーカルだった、2ndも良かったなー
何気に再結成のボーカルもシャノンフーン似で割と傑作を出してる
トムウェッツ、ボーンマシーンも92
中々の力作、しかしトムさんはほとんど力作w
トムさんはたまに聴きたくなる
サウンドガーデンのバッドモーターは最高だった。その後のスーパーアンノウンで期待してたのと違うってこけたけど。
バットモーター良かったよな
確かにスーパーはあれ!?と思ったな、スプーンマンとかサウンドガーデンが演っちゃいかんやろって思ったが、一番油乗ってたから来日は最高だった、やっぱりジーザスが良かったね
ガンもカッコ良かった、やっぱ2nd,3rdがライブ映えするわ
スーパーは確かに膝カックンだったが、エアロの乳牛ほど酷くはなかった
やっぱりこの時代はREMがハイライトじゃないかなとは思う
結局、デヴィッドボウイはティン・マシーンをやらないともっと早く死んでたかも
あそこでガス抜きしといたから良かったんだよ
REMはオートマチックもその後もピンと来なかったな。日本人には合わないのかなと思った。
日本人向けではない、
地味すぎるし曲が良くない
全部同じに聞こえる
島国民族には合わない
SUGERのCOPPER BLUEって聞いてた人いる?
>>505
はい、ボブモウルドに西新宿のエアーズで遭遇しました a good ideaとか、今でも最高にカッコよく聞こえます
世の中ではウィーザーのほうがはるかに人気あるが自分は断然にsugarです
いやオートマチックは中期だけど末期までのアルバムが実は傑作揃いなんだよなー
名盤までは行かないかも知れないが、完全に傑作以上
だからREMってビートルズみたいに初期、中期、晩期と聴けるアーティストなんだよね!
まあREMは大いに盛り上がって欲しい話題だが、ブラインドメロンと共にディープにハマったバンドがある
それが「サブライム」だ、バンド名を冠にした96年の名盤が有名だが、実は92の1stも格別だ
このアルバムはめちゃカッコいい、残り少ないサマーに使ってくれたまえ!
ジョンレノンはレゲエが音楽を制すと言ったくらいだからね
まあそこまではならなかったが、そのレゲエとロック、アコースティックを見事に融合させた天才がサブライム。
またかなり見事な調和だが、サーファーが楽しめるようなフランクさも全面に出ていて堪らん
個人的にはニルヴァーナクラスに巧みさと官能さを両立したバンド、最高だね。
>>509
REMは80年代後半からメインチャートで売れてきて、90年代は象徴するバンドの一つになったかな
裏が表になっていく感じ
ドラムが抜けるあたりまではよく聞いてた ポストマローンが来日したときに
カラオケ屋でサブライムを歌ってたな
>>511
レゲエではないけどリズム中心になってきたのは当たってるな >>513
俺も歌ってる
サブライムのカラオケ最高だぜ!! sugar 初来日
1993年 2月4日 渋谷オンエアー
1993年 2月5日渋谷クアトロ
5500円
渋谷オンエアーってw懐かしすぎだろ
シュガーもティンマシーンも仙台公演があった
どっちも見てる
ティンマシーン東京では
NHKホール2日
日本武道館1日
横浜文化体育館
大宮ソニックシティ
考えられない、
>>511
でも結局ジョンはあの発言のレゲエをやらずにファンクっぽい事やってた
What you gotとかFameとかね >>488
俺もNevermindよりもDirtyとかGooの方をよく聴いてた。Dirtyの中のNic Fitとか繰り返し聴いてた。
Dirtyからのシングルのアナログ盤も全部買ってたな。
ただニルヴァーナのクラブチッタ川崎は後々行っといて良かったなって思う。
彼らのライブはもう経験出来ないからね。 >>523
自分も中野サンプラザは行っといて良かった 自分は名古屋クアトロがソールドアウトで行けんかったな
パジャマでライブしてたらしく、精彩は欠いてたらしいが
故人となってまったクリスのサウンドガーデン、タバコ吸いながら驚異の美声を披露していたジェフバックリーは内容も最高だったな
>>488
ああ、買ったなDirty
毛糸の手編みぬいぐるみの顔のジャケだよね
デペッシュのアルバムソングス・オブ〜だったかな?あのアルバム前後買った覚えある
Dirtyはソニックユースの中では一番メジャー盤じゃないのかな?
グランジって言葉を俺はここいらで覚えたかな? Dirtyはボンジョヴィで言うニュージャージー、Gooはおっぱいかな
あれ?注目盤はGooですか?
Daydream Nation、Gooは聴いてないんだなぁ・・・話を聞くに評価がいいね!
Experimental Jet Setを聴いたんだけれども
いいこと聞いた。今度買って聴いてみますww
>Experimental Jet Setは聴いたんだけれども
一応ソニックユースで名盤とされているのはDAYDREAM NATIONだね
インディーズ時代の最後のアルバムで一番勢いがある時期というか
ちょうどこの辺はREMのドキュメントと被るイメージかな
サウンドガーデンって来日評判良くなかったみたいね
最終日の名古屋クアトロはこじんまりしたライブハウスだが、めちゃくちゃ良かった
ただクリスがずっと機嫌悪かったな、多分俺らは本気だしたらこんくらいのライブできるんだぜと無言の抵抗してたのかもしれん
他の公演では機嫌が悪かったベンも最高にカッコ良かったし、ドラムは相変わらず糞上手かったし
まあキムはメサブキの前でマイペースw
92の話じゃないからこの辺で
>>530
まあ本当に評判良いのはそのアルバムだね
個人的にはちょっと難解 Sonic YouthってBad Moon Rising がリアルタイムで国内盤出てんのな
>>535
それもいわゆるインディーズの雄として名盤だね
個人的には難解というか、録音がちょっと粗雑だからな
ヴェルヴェットアンダーグラウンドみたいにルーが太い声で渋く決めてくれたらあんまり関係ないんだけどね >>534
二回来てくれただけでもラッキーだったね
サウンドガーデンも東京ガラガラだったらしいから92年にパールジャム来ても糞耳島国だからしゃあない
パールジャムのライブ安定感はやっぱり凄いな
二回ともハイクオリティ
一回目の大阪で二階の壁よじ登って行った事件あったけど、あれは阪神淡路大震災を勇気付ける為だったみたいね
ほんと大物なのに人格者だよ、パールジャムは
次いでに書くがアメリカの大物マストドンも最高だったが、糞耳島国の日本はガラガラ
アホばっかだよ、マジで >>531
サウンドガーデンのメンバーはみんな日本嫌いだったらしいね。
実際Superunknownで来日した時は客の入りもノリも悪く、
メンバーも結構いい加減な演奏で、
日本の音楽雑誌も来日時の特集は確かミュージックライフ以外は取り上げ方が微妙だった様なの覚えてる。
今は評価されてるんだろうけど当時日本では正直売れなかったんだよね。 日本以外ではアルバムが売れてライヴの客の入りも好調、フェスでもノリノリだったのに、
当時の日本ではオルタナだかメタルだか当時はわかんないって感じだったんだろう
>>538
ほとんどの来日アーティスト外国人は最初は日本人を糞バカに見下してるよ
で、日本が金になるのがわかれば手の平かえすんだよ
BIG in JAPANって呼ばれてるバンドはほとんどがそう
最初は日本人なんか糞以下でしかない >>537
わかりにくい音楽は日本人にはウケないんだよ Primal Screamの初来日はヘッタクソだなぁって思ったけど、
その後バンドが大きくなるとボビー達にとっては日本は重要な国になった。
>>538
しかしその鬱憤を晴らす様にあんな小さなライブハウス名古屋の最終日でプライド、ノウハウ全て晴らすようなライブだったからその場に居て大ラッキーだったよ
あれはいわゆる音が映像化されるくらいのリアリティーがあった、音が織り成すペルシャ絨毯って感じで薬もやってないのに音が視覚化されるなんて凄いわなw
カートコバーンが完全に降伏したと云われるサウンドガーデンライブのそれをまざまざと観たね
同じくらいエアロスミスのパンプツアーも良かったけど、同じくらいの凄いもんが小さなライブハウスで観れただけにサウンドガーデンのが凄かったかもな
まあやっぱり当たりハズレはあるけど、何十倍も価値があるライブがたまにあるから安くないチケット買って行ってしまうんだよね 92年は確かFishboneがクラブチッタ10日間やったんだよね。
1日だけ行ったけど、凄く楽しかったな。
前座のJump With Joyも良かった。
1992年くらいだとチケット代って
スタンディングで5500円
座席指定のホールで6000円〜6500円
>>544
奥田民生がフィシュボーン大好きなんだよな >>538
クリスは日本嫌いだったらしいよね。でもオーディオスレイヴで来日したんだっけ? フィッシュボーンとレッチリって同じような感じだったのにw
>>549
メタルに走った時点でフィシュボーンの終了が見えた
が、1番売れた
自分はリンボーマニアックスを渋谷クアトロで見といて良かった ビル・ラズウェルがプロデュースしたalbumスティンキーグルーヴは名盤
そういやこのスレ頭に出てたレイジもライブ行ったでー
富士ロック第1回はレイジもレッチリもめちゃカッコ良かった、まあ唯一富士山麓でやった回だったからそれだけでも価値あったかな
まあ詳細は92年じゃないから割愛
レイジはほぼロッチャ脱退状態で一回来日して行ったが、案の定、金稼ぎに来た感じで熱くないライブだったなぁ
ロックバンドは旬に観るのがやっぱ大事だな
>>550
それも行ったw
最前列で見たけどライブの構成酷くなかった?
曲と曲の間が間延びしたり、
新しく入ったキーボードの奴のダンスタイムがあったり。
あれは正直ガッカリライヴだった。
前座は日本のシアターブルックで、
まだアマチュアレベルで下手くそだった。なんでこんな奴らに前座やらせてんの?
って思ったらリンボーのライブ構成も何かアマチュアな感じだった
Fishboneはあの後イマイチになったのはあの来日の後にギターのケンダルが脱退してバンドの面白みが薄れてしまったのもあるね だから、ガンズ・アンド・ローゼズは行かなかった
初来日みとけば十分
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
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昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
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バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
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どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
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そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
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そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
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悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
このスレはボンジョヴィのキープザフェイス最高ってことで終了です。
ボンジョビはグランジ旋風来なかったらもう少し違う方向へ行ったんじゃないかと思う
エアロスミスとAC/DCとスレイヤーだけグランジ方面には一回もいかなかったな
ま、グランジバンドのほとんどのお手本がピクシーズな訳なんだが
当時、4ADのアーティストばかり買ってた時期があったな
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
スレイヤーはalbumの最初の曲は神だから残りがカス曲ばかり
リックルービンってスレイヤーが最新のロック系プロデュースだっけ?
あれエンジニアがアンディウォレスだったんだよね
グランジにはそんなにハマらずにハウスとかテクノとかのクラブ系に行ったので、
ニルヴァーナとサウンドガーデンとソニックユースぐらいしか関心は無かった
ディジーチェインソー92
イジーやキースの渋いソロが出た92
94年までは明るい印象なんだけど95年から全体的に曲調が暗くなっていくんだよな 結局暗い音楽は流行らない
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
残念だが、このマドンナの名曲は商品化されてないんですよね
後、名曲ギャンブラーも
やっぱり映画の版権があると難しのかね、
昔…写真屋に勤めてた時にさ、ある老婦人が人の伝で、「ビートルズのメンバーとツーショット写真撮ってきた」って言ってさ…当時はジョージ・ハリスンも生きていたから…ポールかジョージかリンゴか……で現像してみたら…
エリック・クラプトンだったというw
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう
>>600
そろそろ93年に行きたいから埋めちゃって >>597
息子が亡くなって…それで出来た曲だし…当時はギターの出だしをみんなよく真似てたよなあ… いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>608
毎日毎日荒らして楽しいか?
早くここ埋めとけよ、粘着カス >>607
原因ってマンションの窓からの転落だっけ? >>606
わかる、とにかくユーズユアイリュージョンばっかり聴いてた >>598
当時もだけど、久しぶりに聴いても
これは良さがわからんわー。 ある日、浜町はまちょうの明治座の屋上から上野公園を眺めていたとき妙な事実に気がついた。それは上野の
科学博物館とその裏側にある帝国学士院とが意外に遠く離れて見えるということである。この二つの建築物の
前を月に一度くらいは通るので、近くで見たときのこの二つの建物の距離というものについてはかなりに正確な
概念をもっている、少なくもそのつもりでいたのであるが、今度はじめて約三キロメートル半の遠方から眺めて
みると、この先入概念がすっかり裏切られてしまって、もう一度改めて科学博物館対帝国学士院の空間的関係
というものを考え直さなければならないことになってしまった。
どうしてこういう空間的認識の差違が起こるかと考えてみたがよく分らない。色々な原因があるであろうが、
その一つとしてはあるいは次のようなことがありはしないか。すなわち、接近して仰向いて見る時には横幅に
対して高さの方を大きく見積り過ぎるような傾向があって、そのために二つの高い建物の間隔がつまって見える
のではないかということである。これに反して遠方から見る場合にはもはやふり仰いで見る心持はなくなって
、眼とほぼ同水平面にある視角の小さな物体を見ることになるので、それで上下と左右の比率が正しく
認識されるのではないかというのである。この解釈は間違っているかもしれないが、しかしいくらかこれを
支持するような事実が他にも若干ある。
太陽や月の仰角を目測する場合に大抵高く見過ぎる。その結果として日出後または日没前の一、
二時間には太陽が特別に早く動くような気がする。
山の傾斜面でもその傾斜角を大きく見過ぎるのが通例である
というのは、この猿を打ちあげる実験と平行して、いま一つ別の研究がなされているのである。それは鼠を
ロケットに入れて打ちあげる実験である。鼠の場合は、生理作用の研究というよりも、むしろ心理状態の
研究といったほうがいいようなものである。それは鼠をかごに入れて、それをロケットの中にしこむ。そして
映画の撮影機を装置しておいて、自由落下中の鼠の行動を、映画に撮ってみるという、少々変った研究なのである。
撮影機や照明装置などは、もちろん自動的に働くようになっている。
こういう装置をしたロケットを打ちあげて、それが落ちてきてから、フィルムを回収して、それを現像してみた。
そうしたら、鼠が宙に浮いた状態で、悠然として気持よさそうに空中を歩いているところが、画面に現れて
きたそうである。その鼠の行動や表情には、宙に浮いているという点以外には、なんら変ったところが見られなかった。
それで重力の無い世界は、生理的に安全であるばかりでなく、神経的にも決して心配する必要はないらしいとい
うことになった。もっとも人間と鼠とは違うかもしれないが、もし違ったとしたら、それはどうも、人間は心配性と
いうよけいなものをもっているため、ということになりそうである。
こういう研究は、超音速飛行に関する航空医学の研究としてなされているのであるが、同時に宇宙旅行用ロケットの研究の一部にもなる。
宇宙旅行の研究に、猿を八十マイルの高空まで打ちあげたり、鼠が宙に浮いたまま遊んでいる映画を撮ったりするというのは
、ちょっと俳味があって、なかなかよろしい。アメリカの科学者の中にも、しゃれた研究をする男がいるものである
>>613
えー、そうかなぁ
この曲、当時物凄くインパクトあったよ
曲も最高だしなぁ 季節は移つてきて、香水の欲しい初夏はつなつとなつた。シヨウ・ヰンドウにも、美しい香水の瓶や、香水吹き
が列ならべられる。デパートの香水売場で、若い婦人だちの香水撰択の情景が繁くなる。
けれど、香水の複雑した表情に就いては、割合に無関心であるらしい。香水の表情とは、
香水の良否の見分け方以外のことです。香気のもつれに出る細かい幻想の糸の織り成す感情の
展開のことです。例へば、五月の表情を持つ香水もあり、六月の表情を持つものもあり、又は月光の表情
を持つものもあり、霧の明方の表情を持つのもある。または、十七歳の少女の表情、廿歳の青年の表情、
街の妖婦の表情、微風の表情、求愛の表情、青き夢の表情、水の流れの表情、森林の真昼の表情、
処女の肌の表情、蛇の眼の表情、海のさざなみの表情、輝く指の表情、風にゆらぐ牡丹の表情、草間に
かくれる苔花の表情、アメチストの表情、ゴールドン・サフアイヤの表情、ヂルコンの表情等数へきれない
ほどである。
例へば、坊間行はれてゐるロジアアの赤箱などは、さしづめ、散りかかつた紅薔薇べにばらのやうな
甘い媚の表情を持つてゐる。だから、この香水には、すこしばかりの濁りがある。清澄さは無い。けれど
、この表情を理解して用ゐれば申分ない。
香水も、英国製、米国製などは、何といつても、フランス製品には及ばない
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
>>603
もうね、クラプトンをビートルズって言っちゃう婆さんに(ま、ある意味ビートルズみたいなもんだけどね)、なんてもったいないっ、て言っても通じないだろうし…一応「この人、エリック・クラプトンですよ」って言ったら「とにかくいい人だったよ」だってw 腹ふり 町田町蔵
GALAX 4 オムニバス
LIVE MANDARA SPECIAL 友川かずき
ANARCHY IN THE JAP
DRY PJハーヴェイ
NME ジンブロ
GREATEST MISSES PE
SOMEWHERE BETWEEN HEAVEN AND HELL ソーシャルディストーション
END OF SILENCE ロリンズバンド
BABE RAINBOW ハウスオブラブ
NERVE NET ブライアンイーノ
をよく聴いてました1992
というのは、この猿を打ちあげる実験と平行して、いま一つ別の研究がなされているのである。それは鼠を
ロケットに入れて打ちあげる実験である。鼠の場合は、生理作用の研究というよりも、むしろ心理状態の
研究といったほうがいいようなものである。それは鼠をかごに入れて、それをロケットの中にしこむ。そして
映画の撮影機を装置しておいて、自由落下中の鼠の行動を、映画に撮ってみるという、少々変った研究なのである。
撮影機や照明装置などは、もちろん自動的に働くようになっている。
こういう装置をしたロケットを打ちあげて、それが落ちてきてから、フィルムを回収して、それを現像してみた。
そうしたら、鼠が宙に浮いた状態で、悠然として気持よさそうに空中を歩いているところが、画面に現れて
きたそうである。その鼠の行動や表情には、宙に浮いているという点以外には、なんら変ったところが見られなかった。
それで重力の無い世界は、生理的に安全であるばかりでなく、神経的にも決して心配する必要はないらしいとい
うことになった。もっとも人間と鼠とは違うかもしれないが、もし違ったとしたら、それはどうも、人間は心配性と
いうよけいなものをもっているため、ということになりそうである。
こういう研究は、超音速飛行に関する航空医学の研究としてなされているのであるが、同時に宇宙旅行用ロケットの研究の一部にもなる。
宇宙旅行の研究に、猿を八十マイルの高空まで打ちあげたり、鼠が宙に浮いたまま遊んでいる映画を撮ったりするというのは
、ちょっと俳味があって、なかなかよろしい。アメリカの科学者の中にも、しゃれた研究をする男がいるものである
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります
かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として
提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟おもうに、人間の智能
にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け
加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の
習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、
私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは
信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くの
ことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、
またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人に
よって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、
そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。
あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるい
はこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる
次第であります。すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、
また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの
精神を要求するからであります
>>624
GALAX 4はdipが秀逸だったなあ いつか月世界旅行の映画が、日本へもきたことがある。あの中に、人間も物体もみな宙に浮いている画面があったが
、あのとおりのことが、ほんとうに起るのである。映画の場合は、ふわふわと宙に浮いていて、いかにもきらくそうに
見えたが、あれはもちろんトリック撮影である。映画ならそれでよいが、ほんとうにそういう超音速の飛行をする場合、
身体が宙に浮いていては、操縦になにか支障が起るかもしれない。それで重力のない世界での人体の生理という
問題が、今後の航空医学では、たいせつな問題の一つになってきたわけである。
こういう研究は、実験をしてみるよりほかに道がない。温度や圧力はもちろんのこと、たいていの物理的条件は
自由にかえられるが、重力の働かない世界を、実験室内でつくることは絶対にできない。唯一の方法は、実験者を
、自由落下の状態にしておくことである。自由に空中を落下している間は、そのものには、重力が感ぜられない。
エレヴェーターが降り始める時に、スーッと背筋をみょうなものがはしるような感じになるが、あれが重力が弱く
なった時の感じである。
それならエレヴェーターの中で実験をしてみたらよい、と思われるかもしれないが、あれでは時間が短かすぎる。
エレヴェーターでゾーッとするのは、降り始める瞬間だけで、あとすぐああいう感じはなくなる。自由落下の場合は、
速度がどんどん増していくのであるが、エレヴェーターでは、すぐ一定速度になってしまう。速度が一定になれば、
それは力学的には動いていないのと同じことで、重力は普通どおりに感ぜられる。普通のエレヴェーターで、
重力が弱くなって感ぜられるのは、降り始めの瞬間だけである。それでエレヴェーターの綱が切れて、
箱が自由落下をする場合でないと、今の目的にはかなわない
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
季節は移つてきて、香水の欲しい初夏はつなつとなつた。シヨウ・ヰンドウにも、美しい香水の瓶や、香水吹き
が列ならべられる。デパートの香水売場で、若い婦人だちの香水撰択の情景が繁くなる。
けれど、香水の複雑した表情に就いては、割合に無関心であるらしい。香水の表情とは、
香水の良否の見分け方以外のことです。香気のもつれに出る細かい幻想の糸の織り成す感情の
展開のことです。例へば、五月の表情を持つ香水もあり、六月の表情を持つものもあり、又は月光の表情
を持つものもあり、霧の明方の表情を持つのもある。または、十七歳の少女の表情、廿歳の青年の表情、
街の妖婦の表情、微風の表情、求愛の表情、青き夢の表情、水の流れの表情、森林の真昼の表情、
処女の肌の表情、蛇の眼の表情、海のさざなみの表情、輝く指の表情、風にゆらぐ牡丹の表情、草間に
かくれる苔花の表情、アメチストの表情、ゴールドン・サフアイヤの表情、ヂルコンの表情等数へきれない
ほどである。
例へば、坊間行はれてゐるロジアアの赤箱などは、さしづめ、散りかかつた紅薔薇べにばらのやうな
甘い媚の表情を持つてゐる。だから、この香水には、すこしばかりの濁りがある。清澄さは無い。けれど
、この表情を理解して用ゐれば申分ない。
香水も、英国製、米国製などは、何といつても、フランス製品には及ばない
>>1 >>2 >>3
ファッションインスタグラマー
http://2chb.net/r/fashion/1533225553/
Selena Gomez - I promise you - Music Video
Selena Gomez The Way I Loved You
Selena Gomez - Summers Not Hot
Selena Gomez - Live Like There's No Tomorrow [HQ] (lyrics)
インスタ史上最多いいね保持者のセレーナ・ゴメス
フォロワー数:120,495,883人
フォロワー数世界1位の歌手、「インスタグラムの女王」とも呼ばれるセレーナ・ゴメス
「インスタグラムで最もフォロワーの多いセレブ」として、
前人未到の1億人以上のフォロワーをもつシンガー兼女優のセレーナ・ゴメス。 デンジャラスでのツアーで、確か年末に東京ドームを1週間くらいやってた
お前らロックンロールの名作
ブラッククロウズの2nd、サザンハーモニー(92')
こいつは忘れちゃいけないから記す!
全部イカしてるけど、特にギターがカッチョいい
やはりロックンロールの名作
ライオン結構好きだった
しかしなぜか受けなかったなー単純なアメリカ人が喜びそうなアルバムだったのに
アモリカはギャグだなw
ライオンってカル・スワン、ダグ・アルドリッジ、マーク・エドワーズの?
パワーラブ
ブッラククロウズの1stはほとんどブレンダンオブライエンがギター弾いてる
豆な
ブレンダンってジョージアサテライツのころドラマーで
ディランのディグニティって曲でベース弾いてて
ディランのMTVアンプラグドでキーボード弾いてるな
マジか、プロデュースはコテコテなのにプレイは凄くシンプルー
92年に出たダン ベアードのソロもブレンダン
がギター弾いてたような気がする
The Frank and Walters / after all
良いバンドだった
ブラッククロウズはスティーヴンタイラーとロッドスチュワート混ぜたらウンコが出てきたみたいなボーカルじゃなくてもう少し歌えるやつだったらなあ
ほんと惜しいバンド
アモリカのアナログ持ってるけど、
当時あのジャケットはさすがにねぇなぁって思った
シングルスって映画93年くらいかと思ったら92年だったか
90年代にも見てるけど311直後の深夜にやった時のがやけによかった
ポールウェスタバーグの曲がいい
本当にアフィカスという人種は生きてる意味すらもないような奴らだよね、自分じゃ何も生まないし、その癖他人のものをさも自分のもののように扱う
何度も繰り返してるようで悪いけれどもアフィっていうのはやっぱりそういう劣等人種なんだと思う、劣等っていうか生まれつき劣ってるっていうか
そう、いわゆる障害者なんだよ、自分で稼ごうとしても稼げないみたいなアイディアが無いみたいな哀しい哀しい生きてる価値もない障害者
つまらない人間と言い換える事もできるね、とにかく幼い頃からきっと他人に依存しないといけないみたいな障害に悩まされてきたんだよ
一種の青春病であって、そこを責める事は出来ないとも最近思い始めてきたよそういう病気だもん、そういう人種だもん、クズだもん、そういう障害者だもの
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ
私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
その代り一方には生を見ること死の如く、形而上幽明有無の区別を知らなかった。実に平々淡々としている
。こういう修養が出来た人が、一番エライんじゃないかと私は思う。
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな
どんなに悪行をしてきたことか、どんなに人の迷惑だったことかお前らも考えてみろよ
アフィカスが全滅したらきっと世の中はより平和になることだろうなあ、と常日頃から考えてるよ俺は、アフィの全滅について真剣に考えてるよ俺は
大体自演とかしてまでスレ作って何が楽しいのかが判らないよ、俺ぐらいになると何個ものクソアフィスレと対立してきたわけだが
そのたびにクソアフィの自演とクソアフィの自演とクソアフィの自演とあからさまなクソアフィが出てきてうんざりするわ、クソアフィは生きる楽しみもしらないのか
自演は俺も何百回とやったことあるから言えるけどあれは全然つまらないよ、正直何が楽しいのかわからないまっとうな人間なら拒否反応しめすレベルのつまらなさだよあれは
そんなことをしちゃうあたり
ガンズ・アンド・ローゼズ/ユーズユアイリュージョンって音が悪すぎる
マイク・クリンク、トンプソン&バービエロのチームはダメ
全くアーティストとCHEMISTRYが産まれない
ガンズ・アンド・ローゼズとメタリカがスタジアムをツアーするって
ストーンズとエアロスミスがツアーするみたいなもんか
マドンナとマイケル・ジャクソンが一緒にツアーする、みたいな
ユーズは迫力がないよな。リマスターは嫌いなんだけどこれはリマスターしてもいいかもな。
ガンズ・アンド・ローゼズとメタリカのツアーには中和剤的なフェイスノーモアの存在が欠かせなかった
メタリカはdamage justice tourにも二回動向させたくらいだし
>>666
アペタイトのリマスターにはホンとガッカリしたからな
ユーズユアイリュージョンには期待したい
音が汚すぎるし雑 この頃のアクセル・ローズの格好をもろパクりしたB'zの稲葉もダサいセンスがない
トレーシー・ガンズの格好をモロパクりした戸城憲夫のほうが100倍センスある
LA GUNS/ハリウッドバンパイアはもっと評価されてもいいalbumだった
1992年、この頃のウドー系メタルアーティストの来日は勢いあったよな
フェイスノーモアは一回目の来日の時にメンバー会ったが、ジム・マーティンはのけ者扱いだった
屋形船の取材もジム・マーティンだけあからさまにメンバーが無視されてたし
やはり、1992年のalbumはこれでしょ
このalbumで全てのメタルを殺した
パンテラはホントにホントにホントに見といて良かった
もう全てが規格外だった
1992年、このalbumも何百回と聴いた事か、ストロングな完璧album
このストリートハードコアの傑作albumも1992年
albumの発表は1991年だが、このアーティストは1992年1番輝いてた
スレイヴトゥザグラインド
ワールドツアーを日本の代々木第一体育館からスタートしてワールドツアーファイナルは日本武道館
1989年の初来日には伝説のNHKホール3連チャン
やっぱりメタルだよなぁ、
おやすみなさい
また明日
今朝届いてたポイズンのライブDVD観てるがめちゃ当たり
昨日パンテラ全部聴いてたけど、最後のオリアルも大分カッコいい
まあ3rdがドライブには一番合ってたけど全編ひたすらカッチョいい
リッチー・コッツェンが弾いてるからすげえんだな
ワイナリードッグのギターやもんな、そりゃ凄いわ、まあポイズンの曲もボーカルも良いから尚更なんだが
L.A.Guns / Hollywood Vampire
De La Soul / De La Soul is Dead
Nirvana / Nevermind
この3枚をHMVで同時に買った1992年
/: : /: : : : : : :\: : : : \: :\
/: :/: :.|: : : : : ! : : : \: : : :.ヽ: : ヽ
/: /: : 八: :!: : :|\: : : : ヽ: : : :',: : :.',
,': /ニ7⌒!:.!: : :| ⌒ : : : : : : : : |: : : :!
/: :.|: :./ V\: ! ヽ: :!: :.|\|: : : :.\__, うんたん♪ うんたん♪
/: : :ハ: :| ヾ ∨!∨: : : : : : : : :ヽ
/: : : : :.V:! x=ミ x=ミ. !: : : : ハ: : : : : :.ハ
/:/: : : : /: :! 、、 、 、、 !: : !: : :!: : : : : : :.}
// |: : : /| :八 - 、 ,ィ: :/: : /: :ハ: : :|V
{! 从: i'´ ̄::::>、 `ー ' イ!V /: : /: / |: :/
_人_ /N::::_:::::/::| ` r ' //:/: /‐く V うんたん♪ うんたん♪
`Y´ /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ *
/::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉
. /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ
//:::::::\__ノ〉::〈:::::::|/ ∧〉::::〉::::::::/::::∧ , ィ´
/:::::::::::::::::::::/::::::::\::! /:::::>'´::::::::/::::/:::い.ノ):〉 うんたん♪ うんたん♪
!:::::::::::::::::::/:::::::::::::::::ヾ厶イ:::::::::::::/:::/:::::::ヽノ:/
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`ー七:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::/
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|雲|雲|雲|雲|雲|雲|雲|雲|雲|雲|雲|雲|雲| |雲|
|丹|丹|丹|丹|丹|丹|丹|丹|丹|丹|丹|丹|丹| |丹|
└―┴―┴―┴―┴―┴―┴―┴―┴―┴―┴―┴―┴―┘ └―┘
1992年
ウェンブリースタジアムにてフレディマーキュリー追悼ライブ
・メタリカ
・ガンズ・アンド・ローゼズ
・デフ・レパード
・エクストリーム
あのトリビュートはデヴィッドボウイはいいところ持っていってたな
ミックロンソンとの共演がよかった
翌年亡くなっちゃうし
ジョージマイケルもよかったね
トリビュート系はあのイベントが火をつけたかもしれない
ジョージ・マイケルがクイーンのボーカル候補って話しもあったよね
すぐ好きにはなれなかったけど最高傑作はコラビモトリーなんだよな
コラビの声は今でも好き
ヴィンスのモトリー・クルーは飽きる
コラビのモトリー・クルーは何回でも聴ける、今聴いてもカッコいいものは変わらない
フィールグッドなんか大好きだったけどなんか飽きるんだよな
やっぱり自分はヴィンスの声が好きじゃない
スティーヴン・パーシーの声は好き
>>703
モトリークルーとは別物って考えた方が良いのかもね
今聴いても飽きない >>710
シンデレラってスキッドロウと並んで今はもう恥ずかしいバンドだな
ライヴ行ったけど セバスチャンはやっぱ声カッコいいね
ヴァンはサミー派
タイラーは癖あるけど始めから受け入れられた
TMネットワークってガンズ・アンド・ローゼズ→G'N'Rに影響されてTMNにしたんだと、
ガンズ・アンド・ローゼズが世界一になってからガンズやローズやンドを付けるバンドでろくなのいなかった
シンデレラもハートブレイクステーションでホーンセクションやゴスペル調の女性コーラス入れた時点で終わった
アコースティックの割合増やして大失速
ロングコールドウィンターで完成しかけた「シンデレラ、トム・キーファー」ってカテゴリーが一気に崩れたalbum
ハートブレイクステーション
スティルクランブリングで原点回帰するも時すでに遅し
世間から忘れ去られてた
世間一般のファンが求める事をするバンドと自分の好みを押し通していくバンドで明暗が別れる
自分の好みを押し通して成功し続けたバンドは存在しない
時代に逆らうとロクな事はない
時代にすり寄ってもロクな事はない
例えば、今のメタリカやガンズ・アンド・ローゼズが東京ドームで出来るか、って言ったら100%無理
見といて良かった
真冬のcinderella
昭和から平成に、
よく中止にならなかったよ
日本武道館なのに
1988年12/31〜1989年1/1
東京ドームでカウントダウンライブが始まった
ボン・ジョヴィ
ラット
キングダムカム
ブリトニーフォックス
89年だとデュランデュランをドームで見てる
前座に成田勝でデュランのライブでは小室哲哉がゲストで出てきたw
ボンジョビはこの時単体で見たかったな
つーかHR/HM系語りたかったから80年代のスレ立てたら?
>>740
マジかぁ、いいなぁ
ビッグシングのtourだっけ? >>742
確か1989年1/3に横浜アリーナで単独やった、と記憶 これ見たかったなぁ
1990年12/31〜1991年1/1の東京ドームカウントダウンで来る予定が直前にボーカル抜けて解散した
パンフレットもチケットもなんもかんもスティーヴスティーヴンス atomicplayBoyz になってたのに
救急の代役にマイク・ヴィセーラのラウドネス
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
>>743
うん
これもTV放送分がある
MAHARAJAが協賛でバブルっぽさがあったけどデュランはハウスっぽい要素を少し取り入れてた >>745
92年語りたい人もいるだろうから別スレ立て思いっきりやればいいのに >>745
>>745
つーか、
8〇年9〇年でいくつもスレ立てやめーや
最初は勢いあったからそれで良かったけどこのまま残骸残ったら目障りだわ
やるにしても勢い落ち着いたらいずれ80年90年でまとめてくれ
本来このスレは懐かし板カテゴリなんだから現状荒らしてるのと同義なんだわ
懐かし板にはこの手のはいくつも既にあるしな
しかも中身は基本がHR/HM/グランジ/インディーとこれまた専門板の話題に
特化しそうなネタばかりだし・・・ あ、
新スレのタイトルいいな
今後、これで行ってくれ
>>754
まぁ、ニルヴァーナ/ネヴァーマインドが出た年だからね グランジもメタルも好きって人が多そうでうれしい
バーンに毒されてないな
メタルからグランジへの転換していくのをリアルタイムで経験してる世代が多いような
端からクロスビートでした、ちゅうかミュージックライフの正統継承者でしょw
>>759
ミュージックライフからバーン始め雑誌が派生していって
母体のほうが廃れていっちゃったな
でもそれは洋楽シーンとはシンクロしてた >>760
特にメタルギアはグランジに力いれてたね LAメタルから素直にグランジに移行したよ。そしてブリットポップも聴いてた。
それ、LAメタルのアーティストも同じようになってた
えっ?あのウォレントが?
えっ?あのウィンガーが?
えっ?あのリリアンアクスが?
80年代から聴いてた人のほうが状況の変化を掴めてたんじゃないかな
音楽シーンはたまにムーブメントが起こるからグランジが出て来た時はそうきたかと思った
ウォレントは見事に失敗作を出しちゃったけど、グランジにチャレンジしたのはまあ良かったのかもしれない。
メタル系のグランジ転換はやっちゃいけない変化だったな
ちょっと違うがポップなラップ系のギャングスタ転換も
>>765
dog eat dog出してきた時にレコード会社は何も言わなかったのだろうか?不思議で仕方なかった ウィンガーのプルってalbumを大好きって奴がいるのかね?
ネルソンもエマジネーター出してきた時はどうしようか、と考えた
当時はがっかりしたがプルは今聴いたら好きではないけどまあまあ聴ける。
でもそれは自分がグランジになれたからだと思う。
ウォレントとネルソンのあれは今聴いてもダメだね。最悪。
メタルからグランジに移行したバンドはパールジャム
だからパールジャムは偽物って言われる
グランジのイメージを最もシンプルに体現していたのはダイナソーJrかな
逆に他のカテゴリーに入らない
ダイナソーはインディやカレッジチャートのイメージがあるな
モトリーにヴィンスが戻った時、てっきりもろLAメタルなガールズx3風の
パーティソングで攻めると思ってたら、出したシングルがオルタナ風の
Afraidだったもんなあ
>>767
だからむしろレコード会社が「今時メタルなんてやるな、グランジしろよ、グランジ!」
って言ってた可能性がある >>781
短命だった言葉だしね
日本の洋楽メディアでもごく一部でしか使われなかったかも?
でもKym Simsをよく表してる言葉だと思う ネルソンのあれはこんな音楽やるなよって突き返されて一旦お蔵入りになったよね。
新宿二丁目にあったディライトってクラブで中村直やDJ新川がかけてたハッピーハンドバッグの事では?
イギリスのトニー・デ・ヴィットとかがが作ってたハッピー系のトランスとかニューエナジーとかあったね
それがもっと大きく出てくるのは94年から96年あたり。
その頃クラブラブリーってパーティを新宿のAutomatixってクラブで普段ゲイナイトでDJやってた中村直とSAWAが始めて
その後大きなクラブに移ってその手のジャンルがメジャー化する
97年のRAINBOW2000では遊園地の方のステージで土砂降りの中ガンガンかかってて凄く良かった
>>783
なった、時がたちリリースした
あれも酷いalbumだったよ >>784
ハッピーハンドバッグってあったなあw
ここで名前が出なければ一生思い出すことも無かったかも >>789
そう
と言う自分もデビューアルバムは92年に数カ月遅れで聴いたから
微妙に後追いなんだけどw
(セカンドからはリアルタイム) にわか洋楽ファンにありがちなことw : 速報
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GUで「買ってはいけない」ワースト。問題作も | ブロガーMB
●グラフィックT(半袖)Tour(DL1) 790円(+税) ←※DL=Def Leppard
▼我慢せよ!! 特に「買ってはいけない」アイテムを選出しました 残念ながら「おしゃれ」にはならないのです!!
色彩もやや強め、面積も広く残念ながらおしゃれに着るのは難しい。 唇噛み締めて我慢しましょう。選ばないほうが無難です。
「おっさん世代」
としてはかなり惹かれるグラフィック。イギリスのロックバンド「デフレパード」の名盤ヒステリアをプリントしたロックTシャツ。
GUはこれ以外にも「ヴァンレイヘレン」「ガンズアンドローゼス」や
「ニルヴァーナ」
など「おっさんヘヴィメタラー殺し」なプリントTシャツをガンガン発売しています。
5つ星のうち1.0 1時間後、ごみ箱行き。 投稿者キタロク2007年4月15日 形式: CD Nevermind
当時ハードロックを中心に聴いていて、雑誌の評価が高いので購入しました。曲良くないし、演奏下手。
これを名盤といったら昔のアーティストに失礼だと思います。グランジというジャンルを確立したぐらいという認識しかありません。
このバンドを最高と言う人は他のバンドあまり知らないのでは…これ最高とか神アルバムという前提で聴いてるとしか思えません。
ちなみに好きなバンドでも曲悪かったらボロクソ言います。客観的な視線を持って欲しいと思います。
今なら中古で300円で購入できます。世間の評価はこんなもんです。
にわか洋楽ファンについて意見ください。 にわか を見るとすごくイライラします。
歌詞の意味がわかっていないのに歌う そもそも歌詞を見ない 特に気に入っている理由があるわけでもなく
ファッション性や
ビジュアルが良かったり、海外で人気なアーティストしか聴かないなどのにわかファンを見ると我慢できませんし
それが自分の好きなアーティストだったりすると虫酸が走ります...
そもそもアーティストは楽曲に何かしらのメッセージ性を持たせていて、それを無視して人気だからとか
いい雰囲気のメロディーだからといってる人を見ると心底滑稽ですよね
とにかくにわか洋楽ファンが私は虫酸が走るほど嫌いなので Whipped Cream / Tune in the Century
Silver Part 3は晴れた午前中の車で聴くと最高
>>801
これ何気にいいのがポールウェスターバーグの2曲 >>802
その2曲、それぞれ映画のオープニングとエンディングで使われていて、テーマ曲的な扱いなんだよね
どちらもアコースティックバージョンがDisc 2 に収録されてるんだけど、これまたいい感じです 1992年全米年間アルバム売上top3
1位『Ropin' The Wind』Garth Brooks
2位 『Dangerous』Michael Jackson
3位 『Nevermind』Nirvana
マイケルがdangerousでテディライリーと組んだらラップ「取り入れたのは衝撃だった
それが見事に融合してた