新型コロナウイルスの感染が拡大してから、様々なものがネットでもリアルでも非難の的となってきたが、その最たるものはパチンコ店ではないか。避けるべき密集、密接、密閉の「3密」の象徴的な存在として責められてきた。しかし、遊びのひとつとして根強いファンがいるのも現実だ。仕事や人生がいまひとつうまくいかないと鬱屈する団塊ジュニアやポスト団塊ジュニアを「しくじり世代」と名付けた『ルポ 京アニを燃やした男』著者の日野百草氏が、今回は、営業休止について、47歳パチンコ店幹部の本音をさぐった。
「言ったとおりでしょ日野さん、私たちの勝ちですよ」
電話口の相手は西口真ニさん(仮名・47歳)。5月13日、やっとつながった電話口で、得意げな声が弾んでいた。西口さんは関東の地場のパチンコ店の幹部だ。これより以前、4月のゴールデンウィーク前にお会いしている。自粛要請真っ只中、日本中でパチンコ店が悪とされたあの日、西口さんはこう言っていた。
「大丈夫ですよ、私は楽観的です。私たちは固定客を相手にしています。みなさんパチンコから離れたりしません。お客さんに支持されてればいいんです」
西口さんの会社は店舗数こそ少ないが、長く営業している地場のパチンコチェーンである。4月16日緊急事態宣言に伴う県の休業要請はしっかり守って臨時休業していた。
「新台で萌えパチが入るたびに昔を思い出しますよ。時代は変わったなと」
彼とは高校時代、各校のパソコンゲーム好き同士でひっそり柏の某店に集まっていた時期に知り合った。あの時代、柏は千葉だけでなく茨城の県南や東京東部、野田寄りの埼玉の高校に通う連中まで帰宅途中に集まる遊び場で、とくにオタクにとって秋葉原ほどではないにせよ、マニアショップが充実していたし乗換駅なので学校帰りにちょうどよかった。そんな昭和末期から平成初頭、オタクが差別された時代の隠れキリシタン状態の集まりに西口さんもいた。彼の家はお金持ちで、当時にしてNECのPC-9801RX4とSHARPのX68000PRO-HDを持っていた。前者は20MB、後者は40MBのハードディスク搭載、いまでは笑ってしまうような性能だがディスプレイ込みで50万円以上するマシンで、当時の高校生からすれば持っているだけで神だった。もちろん8ビット機はあらかた持っていた。SHARPのX-1Fがやっとの私には本当に羨ましかった。もう30年以上前の話だ。
「オタクはもちろん、ゲーセンだって叩かれた時代はありました。なんでもそうです」
彼は社会人になってから同じく地場のゲームセンターの店長だった時期もあり、私も1990年代、ゲーム誌のゲーセン取材でお世話になったこともある。会うのは20年ぶりだった。
「日野さんね、パチンコしない人は仕方ないですよ。そりゃいろいろ言ってきます」
4月のあの日、西口さんとは自粛で閑散とした駅前のカフェで会った。もともと背も高く年齢より上に見える人だったが、さらに貫禄がついていた。高級バッグの革艶が凄い、いくらするのやら。時計好きの私にはその時計が超高級ブランドのいわゆる雲上時計だということがわかる。
「関係ない人は仕方ないんです。こちらとしてもお客様でないならスルーするしかありません。打たない人はいくらでも言えますし」
私は西口さんの言葉に「砂漠のインド人は魚を食わぬことを誓う」というゲーテの格言のことを話した。
「そう、それです。自分がしないわけですから、パチンコなんかどうなってもいいでしょう。なんでもそうです、人それぞれ、優先順位は違います」
それ以前に延々と昔のパソゲーの話をしたのもあるが、西口さんは終始リラックスしていた。店舗営業中よりは仕事も少なく、心の余裕もあるのだろう。
「営業するって手もあったんですけど、うちは休みました。別に日本のためとかじゃなく、すぐにほとぼり冷めるだろうと。ゴールデンウィーク明け以降はどうせみんな我慢できないと。それくらいまでならなんとかホールも持つと」
続く
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20200517_1563154.html
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「言ったとおりでしょ日野さん、私たちの勝ちですよ」
電話口の相手は西口真ニさん(仮名・47歳)。5月13日、やっとつながった電話口で、得意げな声が弾んでいた。西口さんは関東の地場のパチンコ店の幹部だ。これより以前、4月のゴールデンウィーク前にお会いしている。自粛要請真っ只中、日本中でパチンコ店が悪とされたあの日、西口さんはこう言っていた。
「大丈夫ですよ、私は楽観的です。私たちは固定客を相手にしています。みなさんパチンコから離れたりしません。お客さんに支持されてればいいんです」
西口さんの会社は店舗数こそ少ないが、長く営業している地場のパチンコチェーンである。4月16日緊急事態宣言に伴う県の休業要請はしっかり守って臨時休業していた。
「新台で萌えパチが入るたびに昔を思い出しますよ。時代は変わったなと」
彼とは高校時代、各校のパソコンゲーム好き同士でひっそり柏の某店に集まっていた時期に知り合った。あの時代、柏は千葉だけでなく茨城の県南や東京東部、野田寄りの埼玉の高校に通う連中まで帰宅途中に集まる遊び場で、とくにオタクにとって秋葉原ほどではないにせよ、マニアショップが充実していたし乗換駅なので学校帰りにちょうどよかった。そんな昭和末期から平成初頭、オタクが差別された時代の隠れキリシタン状態の集まりに西口さんもいた。彼の家はお金持ちで、当時にしてNECのPC-9801RX4とSHARPのX68000PRO-HDを持っていた。前者は20MB、後者は40MBのハードディスク搭載、いまでは笑ってしまうような性能だがディスプレイ込みで50万円以上するマシンで、当時の高校生からすれば持っているだけで神だった。もちろん8ビット機はあらかた持っていた。SHARPのX-1Fがやっとの私には本当に羨ましかった。もう30年以上前の話だ。
「オタクはもちろん、ゲーセンだって叩かれた時代はありました。なんでもそうです」
彼は社会人になってから同じく地場のゲームセンターの店長だった時期もあり、私も1990年代、ゲーム誌のゲーセン取材でお世話になったこともある。会うのは20年ぶりだった。
「日野さんね、パチンコしない人は仕方ないですよ。そりゃいろいろ言ってきます」
4月のあの日、西口さんとは自粛で閑散とした駅前のカフェで会った。もともと背も高く年齢より上に見える人だったが、さらに貫禄がついていた。高級バッグの革艶が凄い、いくらするのやら。時計好きの私にはその時計が超高級ブランドのいわゆる雲上時計だということがわかる。
「関係ない人は仕方ないんです。こちらとしてもお客様でないならスルーするしかありません。打たない人はいくらでも言えますし」
私は西口さんの言葉に「砂漠のインド人は魚を食わぬことを誓う」というゲーテの格言のことを話した。
「そう、それです。自分がしないわけですから、パチンコなんかどうなってもいいでしょう。なんでもそうです、人それぞれ、優先順位は違います」
それ以前に延々と昔のパソゲーの話をしたのもあるが、西口さんは終始リラックスしていた。店舗営業中よりは仕事も少なく、心の余裕もあるのだろう。
「営業するって手もあったんですけど、うちは休みました。別に日本のためとかじゃなく、すぐにほとぼり冷めるだろうと。ゴールデンウィーク明け以降はどうせみんな我慢できないと。それくらいまでならなんとかホールも持つと」
続く
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20200517_1563154.html
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