主人を亡くして7年が経ちますが、去年知り合いにバツイチ男性を紹介してもらい、関係を持ちました。私は息子も2人いて再婚は望んでおらず、彼も気ままに付き合いたいという雰囲気だったので、食事をして体を重ねる仲でした。
ところが1ヶ月経った頃、彼が「自分には10年来付き合ってる人(私と同年齢)がいる、土日に彼女が会いに来て“嫁みたいな存在”」と言われました。ただ、彼女とはもうレスだそうで、私は悩みましたがそのまま1年も土日以外彼と会い続けています。
私の思っていた関係とは違うし、その彼女とは法的な結びつきはないけど嫁のような存在なわけだし、もうこの関係をやめた方がいいのか迷っています。
彼をこのまま愛していいのかわかりません。
結論を出すのは私だとは思うのですが、こんな年になってもどうしていいかわかりません。何か助言があれば頂きたいです。
森林の回答
結婚を考えず気ままに付き合いたいということですが、これは、社会的責任や役割を求められたくないということだと思います。トキメキや快楽は欲しいけど、義務や役目、親族からの認知はいまさら面倒といったところでしょうか。
一方で、自分の他にパートナーがいることが納得いかない気持ちもありますよね。これは、一対一で完結する関係を築きたいという願望の裏返しです。
整理すると、夫婦という一対一で完結し社会的責任を負い合う関係性は望まないけど、感情においてお互いがお互いの一番になっている関係性ではいたい、という矛盾があなたの悩みの出発点です。
矛盾という言葉を使いましたが、実はこれ、制度と感情を切り離せれば、矛盾せずにいられるものです。
制度は、社会が決めたルールです。その社会によってルールが違うので、現在の日本のように一夫一妻の婚姻制度ところもあれば一夫多妻、多夫多妻のところもあり、どのルールが正解かは決められません。
ただ、僕たちは、一夫一妻制に慣れ親しんでいるので、これが正解だと思い込まされています。一対一の関係で完結するものが人としてあるべき姿で、そこにあるものだけが本当の愛だと思いがちです。
このルールが間違っているわけではありませんが、唯一の正解ではないと俯瞰的に捉えられることが大切です。そうしないと、感情や欲望という常に揺れ動き、自分でコントロールできないものを一対一の関係の中に閉じ込めなければならないとなり、それが難しくなったときに、自分はダメな人間なんだ、人として間違っているんだ、愛ではなかったんだ、と自己否定したり、愛を履き違えることになってしまいます。
ここで改めて原理的に考えてみると、人間にとって感情や欲望が先にあり、制度は後から作られたものです。後から作られたものに当てはまらないからといって感情や欲望を否定すると、愛が愛でなくなってしまいます。
愛とは制度の中に収まるものでしょうか? それとも、制度の外にあるものでしょうか?
続く
以下ソース
https://joshi-spa.jp/1031636
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