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http://president.jp/articles/-/22596?page=4
「シャッター街」の住人たちは貧しいのか
交通史観の軽視は活性化の失敗の元
「中心市街地の活性化」は、地方都市の共通する課題だ。かつての賑わいを取り戻そうと、再開発の誘致が繰り返されている。しかしそれでいいのだろうか。
大和総研主任研究員で、地域経済が専門の鈴木文彦氏は「中心地は交通手段の変化で移転する。その事実を受け入れなければ、市街地活性化はうまくいかない」という。
集中連載「生き残る街、消え去る街」の第1回は、青森と石巻の事例からヒントを探る――。
青森市は「失敗」で職員給与を削減
青森駅から西に広がる中心市街地の活性化の起爆剤として期待され、2001年に開業した再開発ビル「アウガ」だったが、初年度の店頭売上高が目標の半分に満たない23億円で、
その後も業績低迷が続いていた。何度か再建策を講じたが業況は改善せず、いよいよ運営会社を清算することになった。
![シャッター街住民達は貧しくない?街の中心は駅前からバイパス道路、高速IC付近へと移動する。東京の真似をして失敗していく地方都市 [無断転載禁止]©2ch.net [157776492]->画像>11枚](http://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/f/465/img_ef6e6d1ea3599a1b4564cf54a42788b864561.jpg)
「賑わい」は必要なのか?
それでも県庁所在地はまだマシなほうで、それ以外の中小都市を中心に、中心市街地の顔ともいえる商店街のシャッター街化が目立つ。多少の例外はあるが、全国の地方都市で
市街地活性化が苦戦している。どうしてだろうか。活性化のプラン構築にあたって街の特性を的確に把握していなかったのではないか。これが本連載の仮説である。
ここでいう街の特性とは何か。連載の前提にある考え方は、第一に都市の人口、いわば街のキャパシティはときの産業構造によって決まること。第二に街のスタイルは
その時代の主要交通手段で決まることだ。とくに1990年以降、街のスタイルを大きく変えたのは乗用車の普及で間違いない。
「交通史観」で街のスタイルを考える
街のスタイルはその時代の主要交通手段で決まる。これを私は「交通史観」と呼んでいる。主要交通手段の変遷によって、街の中心地は旧街道・河川沿いから駅前、バイパス道路沿いを経て
高速道路のインターチェンジ付近に遷移してゆく。モデル化したのが次の図である。図表3の丸数字はその時代の中心地と発生する順番を意味している。
![シャッター街住民達は貧しくない?街の中心は駅前からバイパス道路、高速IC付近へと移動する。東京の真似をして失敗していく地方都市 [無断転載禁止]©2ch.net [157776492]->画像>11枚](http://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/a/610/img_5aac030d2d53be8dc3744cefb563141066562.jpg)
第一は街道・舟運の時代である。主要交通手段が徒歩や舟運であったころ、市街地は街道や河川に沿って発展した。
第二は鉄道の時代である。明治期に入り、旧市街の外縁をなぞるように鉄道が敷設されはじめる。そして駅が整備される。これが駅前市街地のことはじめである。
まるで駅前が昔から賑わっていたように思われているが、当時の駅前は今でいうところの「郊外」だったのだ。鉄道路線は市街地を迂回して他の都市と結ぶ「バイパス」として機能した。
中心地は駅前からバイパス沿いへ
第三はバイパス道路の時代である。旧市街の混雑を避けるために、市街地の外周にバイパス道路がつくられる。あわせて、バイパス道路から市街地に向かうアクセス道路が整備される。
そして、新しい商業集積がバイパス道路とアクセス道路の交差するところに発生する。旧市街や駅前の商店街と激しく競合するが、所得が向上し乗用車が家庭に普及するにしたがって、
バイパス道路の商業集積が優位になってくる。
最後に、高速道路の時代である。市街地のさらに外縁を高速道路が通るようになる。広域から誘客できるため、とくに車社会化が進んだ地域でバイパス道路よりも魅力的な商業集積地になる。
商業のみならず病院その他の公共施設が郊外に移転し、郊外に新しくできた中心地がますます栄えるようになる。
交通の中心が鉄道から自動車になるにつれ駅前からバイパス沿いへ中心地が移転する。大規模ショッピングモールが郊外に進出し、そこを中心に車社会に適応した新しい街ができる。
中心市街地の活性化を講じるにあたっては、その街の発生史と、その時代に支配的な交通手段について思いを巡らすことが重要だ。