
平壌から届いた「朝鮮文学」(朝鮮作家同盟中央委員会機関誌)8月号に掲載された「白砂の浜の赤い夕焼け」がそれだ。
日本海側にある「豆彦(トゥオン)海水浴場」を舞台に、金正恩が軍の思惑をはねのけ、いかに人民がくつろぎ、楽しめる海水浴場へとリニューアルしたかを描いている。
驚くべき事実がいくつかあった。まず舞台の豆彦海水浴場である。これまでこの海水浴場の存在が北朝鮮のメディアに現れたことは一度もない。
金正恩が現地指導したとの報道もない。一般の地図にも載っていないが、詳しく調べると、咸鏡南道端川市海岸1洞に実在する海水浴場だった。
1985年まで、辺りは「豆彦洞」と呼ばれていた。
なぜ地名が変わったか分からないが、古くから白砂に松原の美しい「名勝地」であったらしい。金日成も金正日もこの地を訪れていたようだ。
さらにこの海水浴場、海岸防護の要塞(ようさい)(衛戍区域)で、軍事家たちの関心を集めていると記されている。
〈海岸線に沿って広がる白砂の浜に防風林のように延びる松林が海岸砲陣地を隠す、それこそ天然偽装物になっている〉。恐らく軍事機密上、明かせなかった重要エリアだったのだろう。
そんな海水浴場をあえて小説の舞台に選び、金正恩の「偉大な人民愛」を伝えている。軍事優先の「先軍時代」には考えられない大きな変化である。
こんなストーリーだ。
かねて金正恩は豆彦海水浴場をリニューアルしたいとの構想を持っていた。ここではH市(咸興市と推察される)をはじめ、首都圏の人民も海水浴を楽しんできた。
ある年の三伏節(夏至以降の最も暑い時期)までに改修を終えるよう、管轄する海岸砲大隊に命じる。
だが、この地で東海岸軍部隊管下のほぼすべての砲兵隊が参加する砲撃訓練計画が金正恩に上がってくる。
彼はこの海水浴場の改修を優先させるため、訓練場を移させる。くだんの海岸砲大隊は改修工事に集中させた。
改修をめぐって若い女性設計家が、松林にある砲陣地にシャワー室をつくるアイデアを出すが、大隊長は却下する。しかし、金正恩はこのアイデアを採用する。金正恩は言う。
「軍事基地も重要だ。軍事基地は国と民族の守る決定的要素になるからだ。そうだとしても、海水浴を楽しむために訪ねて来る人たちに砲陣地のせいで物々しい雰囲気をつくってはだめだ。
設計家同志が砲陣地をほかに移すと言ったそうだが、ハナからそのアイデアをボツにするのはどうか。
砲陣地が一つなくなったとしても、恐れることなどあるのか。砲陣地の威力を火力密度で測るのは重要だが、
人民に対する愛の密度で測ってみることがより重要ではないかと私は思う」
金正恩は海水浴場の施設にも気を配る。人民がここで焼き肉を楽しんでいるのかと問うと、
遊園地管理所の女性支配人は、各自で肉や鉄板、薪を持参してくる、と答える。それを聞いた金正恩はこうアドバイスする。
「せっかく疲れを癒やしに来ているのに、それではかえって疲れるし、不便じゃないか。そんな海水浴場は面白くなく、また行こうとは思わない」。
すると支配人は「今年からガスを使う焼き肉の鉄板を用意します」。
ところが金正恩はさらにこう言うのだ。
「ガスは手間がかからずサービスも楽だろう。だが、昔から自分の土地の米も自分の土地の水と薪で炊くのが格別の味だというではないか。
松原の薪で焼く焼き肉の味が真の味だ。先祖代々の風習を守るのもまた愛国心の表現です」
ラストでは砲陣地を移動させた女性設計家と海岸砲大隊長が確執を乗り越え、金正恩に見守られながら、めでたく結ばれる。
金正恩は完成なった海水浴場を眺める。海岸ではあちこちに楽しい踊りの輪ができ、うまそうな焼き肉の匂いがただよう。
そして、次第に辺りが夕焼けに包まれていく。〈幸せそうな笑い声、歌声はそのまま数千、数万門の大砲と同じ、軍隊の威力示威のように響いている〉。
それは全世界がうらやむ人民の国をつくろうとする金正恩の決心を固くする希望の夕焼けだったというのだ。
いかにも通俗小説っぽいが、この物語のミソは金正恩の人民愛だけではない。軍がいばり散らしていた時代は過去のものになったことをはっきり示している点だ。
小説では、女性設計家が学生時代、この砂浜で写生していると、若き将兵に軍事基地を偵察していたスパイと見なされ、有無を言わさず拘束されたというエピソードが出てくる。
この将兵がのちに海岸砲大隊長となり、過去の不明をわび、結婚する。金正恩は冗談交じりにいう。「この設計家の心の衛戍区域を解放するのだな」
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