「餓死しても生活保護は嫌」コロナ禍で困窮、でも彼女は
「生活保護は餓死しても受けたくない」。コロナ禍の貧困危機を昨春から取材してきて、最も衝撃を受けた言葉だ。
命を守る「最後の安全網」であるはずの生活保護。どうしてこれほど忌避されるのか。
「餓死しても」と言ったのは、月2万円の低年金を補うため非正規で働き続ける60代後半の女性だった。
コロナ禍のなかで仕事が途切れ、暮らしの見通しが立っていない状況だった。
この女性1人ではない。ネットカフェや路上で寝起きしながらアルバイトをする20代男性、派遣先の工場を雇い止めになって寮を出ざるをえなくなった派遣社員の20代男性――。
「炊き出し」に並ぶ若い世代に話を聞いたときにも、仕事や住まいを奪われ所持金もわずかという苦境にあるにもかかわらず、「生活保護はいやです」と抵抗感を示す人に出会った。
要因のひとつは、家賃補助にあたる「住居確保給付金」など、生活保護手前の安全網を国が大きく拡充したことと考えられる。
だが一方で、生活保護利用が必要なのに制度利用を拒む人が多くいることへの懸念が支援現場で広がっている。
なにが利用を妨げているのか。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASP1V4305P1QULZU01Q.html ねらーは開設当初から社会の底辺が生活保護勧めてたから抵抗ないだけだろ
バブルを生きた人間にとっては貧乏人の象徴だからな
日本人の鑑だな
たとえ死んでも恥知らずにはなりたくないもんね
当然の権利を恥と考えるこの日本人精神
滅ぶべくして滅ぶ民族
いいんじゃないの?
孤独死するとこうなりますよって知らせてその上できったない死体を晒したいんなら
受給者数を絞る為の「親戚に言いふらすぞシステム」だからな
しかもそれで絞りに絞っても、受給者数は増える一方という闇
菅ちゃん分かってるよなw
これで底辺ジャップを一掃できる
プライドがあるか無いかだろ、プライドでは飯が食えないっての本当だな
少なくとも婆さん捕まえて煽ってるクズよりはマシな人だな
生ポはせめて125以下のバイクと軽位所有OKにしてくれ
こういうのって生命が個人の所有物でなく社会の共有物だという意識がそうさせるんだってね
だから日本は個人の権利を易々と侵害できるし子供と無理心中も起こる
その世間はそいつが生きようが死のうがなんとも思わない
当然、生活保護受けててもなんとも思わない
>>14
偉いこと言ってるように見えてなんか胸糞悪いなと思ったが納得したわ
他者への敬意も欠けてるんだよな まあでも生きることを最優先にするのもいいが、彼女のように生きるより大事な誇りを持つって生き方もありでしょ。
自分で狩りができなくなったら一人で群れを離れて死んでいったりする野生の動物もいるわけだし、
ある意味、自然本来の生き方ではある。
人様やお上に迷惑をかけないというのが日本人の倫理観の根幹だからな
法律で認められた権利とかそんな皮相的な話ではなくて日本人ならできないんだよ
非国民は知らん
日本人は世間が神になってるからな
そして原罪を知らない
原罪を知らないという事は
人間はどこまで行っても悪であって罪を犯すものだということを知らない
つまり人間はどこまで行っても完全にはなれないという事を知らないという事であり
そんな罪深き人間を神は許しているということを知らないという事だ
世間という神は生活保護を働かざる者食うべからずとか言って許さないかもしれないが
本当の神はいかなる罪をも許すというか
現に許しているから食事の為に殺生を重ねてもなお
俺らは生きているのである
生活保護が必要なら受けろ
世間は許さないかもしれないが神は許す
>>14
日本には個を確立する為の神が存在しないんだから社会がそれを代用するのはあたり前だろ 個の確立という概念についても言わなければならないことがある
日本においては個は公の概念と対比して語られがちなものであるが
より本質的な意味において個の確立とは
自我中心なモノの見方考え方から
無意識まで含めた心の全体性を中心とした
つまり全人格的なモノの見方考え方を確立することを言う
何故なら人間には意識だけでなく無意識もあるのだから
それを無視した自我中心なモノの見方考え方しかできないのであれば
それは個として確立されたとはとても言えないからである
上で人間はどこまで行っても悪と書いたが
しかし全人格的な個の確立という観点からはその限りではない
確かに人間の自我のみにおいては本質的に悪といえる
しかし無意識まで含めた心の全体性を中心とした全人格においては
人の本質は神の愛なのである
つまり本質的な意味において個の確立とは
自らの内に決して揺るぐことのない神の愛、
別の言葉で言えば揺るぎのない内なる良心を確立することを言うのである
自分が受けないということは他者にも受けさせないということだからな
不寛容で自分の首を締めてるだけ
>>29
私がそうだったんだからお前もするな!ってクソ以下の考えだよな
何をするにしても下がる一方になるだけだし 命よりも尊厳を大切にするって立派な考えだと思うけどなあ
だってこの人を見て立派だと思う人間がいても生活保護受けてる人を見て立派だと思う人間はいないだろ
>>32
立派かね?
短期間で飢えて死んだら税金が浮いたなとは思うけど5分で忘れると思う >>32
神の前において全ての存在は平等である
何故ならいかなる存在であれ、神の承認なしには存在し得ないからだ
つまり本質的には
命よりも尊厳を大切にするって立派だなという感覚は絶対と言えるものではなく
そう思う個人の価値観に基づいた個人的感想に過ぎないのである
何故なら繰り返しになるが、命よりも尊厳が大事だという価値観は
神の前において全ての存在は平等であるという本質に反するからである 個人の意思を尊重するってならば
生活保護のハードルを上げる必要などないのでは
>>34
俺はこの人を立派だと感じたよ
みんながみんな俺と同じようには思わないだろうけど俺と同じように思う人もいると思うよ
なんらかの理念を持って生きるってすごい立派だと思う
生きてりゃなんでもいいでしょってそれこそまさに獣の生き様じゃないかね?
食えりゃなんでもいいのか? >>1
そりゃナマポ出さないように徹底的に国民を馬鹿にしてるからな
日本政府は悪の権化だよ 乞食になるくらいなら死を選ぶ
そんなにおかしなことじゃない
>>37
人はパンのみにて生きるにあらず
つまり獣の生き様を神は推奨しない
パンだけ食ってりゃいいよとは言ってないわけだ
神はただ愛に基づいて生きることを推奨している
君が生活保護受給者を軽蔑する時
そこに愛はないという事に気づいて欲しい
それは決して立派なことではない 神だかなんだか知らねえけどさ
人の世話になる、負担をかける、迷惑をかける、誰の役にも立てない
そういうことを恥ずかしいことだと思えない人間を俺は心底軽蔑する
確かにそいつらに対しての愛はないだろう
でも俺がそいつらを軽蔑する理由は俺が自分や他人を愛しているから
その愛している人たちに負担がかかるのをきっと苦々しく思っているんだろう
そこに愛はある
>>40
その通りだ
人はパンのみにて生きるにあらず
プロテインとビタミン、ミネラルも必要だ。 安楽死解禁しろよ
死ぬ権利奪ってまで強制的に生きさせて何が楽しいんだ
人間は命の奴隷じゃない
>>41
その愛は神の愛ではなく執着である
その執着によって
君は君が執着する以外のものに(この場合精神的に)負担をかけているのである
しかし確かに人間は自分が執着するものを特別に扱うものだ
だから人間は罪なるものであり原罪を背負う者であると言えるのだ
この意味で俺も同様に執着する者でありアンチキリストなのである
だからこそ
逆説的に自らの内に内なる良心を確立することが必要なのだ
それをかくりつするからこそ
みずからの執着への正当化以外の景色が見えるようになるのである >>44
なんで執着を捨てることが良心なんだよ
お前さっき愛に生きろって言ってたじゃん
愛とは執着だろ
どうして誰かをなにかを大切に想う心が悪に思えるんだ
尊厳だってある種の執着なんだよ
自分への愛…自身の生き様への愛なんだよ
このナマポ拒否おばあさんみたいな立派な生き方に感銘を受けるのは
そこに愛を感じるからなんだよ 受けたくないって人は勝手に死ねばいいが
受けたい人に受けさせない圧力はかけるな
ジャップらしい傍迷惑な精神病患者
サラリーを貰っていたならこの理論は通じない
ブルジョワで常に金を使って労働者を雇っていたならわかるが
労働者でお給料をもらっていたならただの偏屈だ
>>45
神の愛と普通に言われてる愛は違うもの
神の愛は与えること、許すこと
誰かをなにかを大切に想う心自体は悪ではない
しかし何かを特別視するという事は
それ以外を軽視するということなのだ
善があれば悪があり、光があるから闇がある
いわゆる分別心だな
先にも書いたように、君が誰かを愛する(この場合分別からの執着)時
同時に君の中で他の誰かへの軽蔑や憎しみも生まれているのだ ナマポ拒否おばあさんみたいな立派な生き方に感銘を受けるだけならいい
しかしそれは必然的にナマポ受け取りおばさんへの軽蔑とセットになるのである
その罪を肯定するべきではない
因みに人間である以上完全に執着を捨てることなど出来ない
そんなことは不可能なのである
先に書いたように俺もそのような原罪を背負う者としては何ら変わりはないのだ
俺だって家族や大事な人への執着があるのである
しかしまたもや逆説的であるが、
そのような本質的にアンチキリスである俺を含めた人間をも
内なる良心は神の愛によって許すのである
分かるだろうか
俺がナマポおばさんを許すのではない
俺が自分の罪を自分で許すのでもない
本質的に罪ある者である俺にはそのようなことなど出来ない
ただ内なる良心こそが
ナマポおばさんや俺の罪を許すのである
自分で自分を許すことは出来ない
強さを尊敬する時、弱さはそいつにとって悪となる
だから弱い奴を憎む
しかしそれは本当は誤魔化しなのだ
完全に強いと言える人間などこの世にはいないのだから
自分を強いと思っている人間だって弱さを内に抱えているのである
そしてその自分の弱さを他者に投影しているにすぎないのだ
つまりそいつは他者を憎んでいるつもりで本当は自分自身の弱さを憎んでいるのである
彼が他者を憎む時、本当は自分自身を憎んでいるのだ
長いから続く
実に仏教的じゃん
悟ったんだろ
大乗仏教では救えない
>>54
自分を救うという事は他者を救うという事とイコールだよ本当は
何故なら例えば自分だけが救われたところで自分の愛する家族が救われていなければ
どうして自分が救われたなどと言えるのか
ということ つまり愛する家族も、それどころか世界中の全ての存在が、
否
既にこの世から消え去った死者の魂までまとめて救われなければ
本当の意味での個人の救いとはならないのである
これを分かりやすく?言えば
個人の心の中の全存在、つまり心の中にある世界観そのものが
余すところなく救われて初めて本当の意味で自分は救われた
となるのである
ここまでも宗教的だったがここから先はさらにというか宗教そのものになる(笑)
何故ならすべての存在が救われる…それこそがキリストの十字架の贖いの本質だからである
正直これをちゃんと説明できるかは分からない
自分の中のイメージを言葉にするのは骨が折れる
しかしだからこそ直観的なイメージを言葉にするために俺は書いてるのである
と思ったけど正直どこから手を付けていいか分からん(笑)
続くとか書いてスマンがメンドイわ
てことで気が向いたら書くわ
ジャップはお互いを恐怖しあってるわな
どう思われようと大したことできねえ連中にビビってるというのも滑稽な話だが
当事者としては大真面目なんだよね
日本人は世間体気にしすぎ
こいつら見習え
>>60
親戚に受給者いるけど何も嫌な思いしたことないぞ