IBMが1964年に発表したメインフレーム「System/360」は、「OSの共有が可能で拡張性の高い汎用目的コンピューター」という、現代に近い形のコンピューターを商用として市場に送り出した最初のモデルといわれています。そんなSystem/360に使われていた「磁気コアメモリ」について、古いコンピューターの修復を手がけるエンジニアのKen Shirriff氏がブログで解説しています。
A look at IBM S/360 core memory: In the 1960s, 128 kilobytes weighed 610 pounds
IBMはSystem/360に280億ドル(当時のレートで約10兆円)、その中でも磁器コアメモリに対して50億ドル(約1兆8000億円)ものコストをかけたといわれています。System/360に補助記憶装置として搭載された磁気コアメモリは当初の容量が16KBだったものの、すぐに32KBや64KBに改良されたとのこと。アポロ計画を超える規模の予算で開発されたSystem/360は大成功を収めて、IBMはその後のコンピューター業界をけん引する存在となりました。
磁気コアメモリは半導体メモリチップが登場するまで、1950年代から1970年代にかけて主流となった記憶補助装置でした。磁気コアメモリの1単位は円環状のフェライトコアと書き込み線・読み出し線という2本の電線で構成され、コアの内部に生じる磁束に応じて0か1かを記憶させるという仕組みです。そのため、磁気コアメモリは多くの半導体メモリと異なり不揮発性で、さらにランダムアクセスが可能で破壊読み出し型という仕様となっています。
実際の磁気コアメモリのユニットを見るとこんな感じ。まるで織物のように電線が縦と横に交わっていて、その交差点にフェライトコアが装着されています。指の大きさと比較して分かるとおり、1単位の大きさは非常に小さいもの。
このフェライトコア1つで1ビットの情報を収納するため、64KBの磁気コアメモリユニットは必然的に巨大なものとなります。
最も人気のあったSystem/360モデル40は月額9000ドル(約320万円)から1万7000ドル(約610万円)で借りることができ、1972年までにIBMはモデル40だけで10億ドル(約3600億円)の収益を得たとのこと。System/360ではCPU・電源・ストレージというコンピューターのシステムが1つのフレームに収められていて、当時としてはかなりコンパクトなサイズにまとめることに成功しました。それでも1つのフレームサイズはおよそ150cm×60cmで、その重さは610ポンド(約270kg)はあったそうです。
次期モデルとなるSystem/360 モデル50は、月額1万8000ドル(約650万円)から3万2000ドル(約1150万円)で借りることができました。磁気コアメモリのストレージはIBM 2361 Large Capacity Storageで、その容量は最大256KB。ストレージフレームを追加することで512KBまで拡張できたそうです。
モデル50の磁気コアメモリユニットはこんな感じ。水平方向に積み重ねられた18枚の磁気コアメモリで構成されていて、接続に用いる大量のハーネスが正面に写っています。フェライトコアと電線で構成されるコアメモリ本体は組み立てた状態だと見えません。
当時はまだトランジスタ・抵抗・コンデンサーを1つのチップにまとめた集積回路は商用には導入されておらず、抵抗やコンデンサを形成してトランジスタと組み合わせた基盤を複数つないだ部分がコンピューターのコアユニットとなっていました。以下の写真は、32個のトランジスタをつんだドライバゲートボードを16枚接続したコアユニット。
https://gigazine.net/news/20190506-ibm-magnetic-core-memory/
続く) 続き)>>1
ドライバゲートボードはこんな感じ。
ダイオードとトランジスタで構成されるドライバゲートボードはかなりの熱を発生させるため、以下の画像のように、金属製のケースにファンを取り付けた大型フレームに収められました。
こうしたコアメモリシステムは1950年代後半から1960年代にかけて、コンピューター時代の到来を支えたといえます。製造技術が向上するにつれて、磁気コアメモリの価格は1ビットあたり数ドル(1000円前後)だったものが、数セント(数十円)にまで急速に値下がりし、1970年までIBMは年間200億以上の磁気コアメモリを生産したといわれています。
しかし、1960年代後半から集積回路の進歩と半導体メモリが導入され、1968年にはIBMは磁気コアメモリから半導体メモリに開発の主流を移行。1971年には半導体メモリを搭載した世界初の商用コンピューターであるSystem/370 モデル145を発売しました。ムーアの法則に従うように、集積回路メモリの容量は値段が下がるにつれて急激に増大。その結果、1970年代の終わりには市場に出回るメモリのほとんどが磁気コアメモリから半導体メモリに置き換わりました。
https://gigazine.net/news/20190506-ibm-magnetic-core-memory/ 高校のころ習ったけど、図しか見てないからイマイチ理解してなかったけど、こんな実物なのね。
あとバブルメモリってのも習ったな。あれも理解不能な代物だった。
のぞいてみればコアいかに。月日がたつのも夢のうち♪
磁気コリアメモリーかと思った
相当毒されているこのごろ
バブルメモリーなんて、知ってる奴少ないんだろうな
初期の不揮発
>古いコンピューターの修復
こんなことしてる人いるんだな
あまり意義を見出だせないけど
磁気コアメモリ=ワイヤーメモリー
全く使い物にならなかったコンピュータ
史上最悪のコンピュータとして名を留めた
なんかコナミの基盤がバブルシステムうんたら言ってたけどあれか?
コアダンプの語源はコアメモリから来ている。
豆な。
バブルメモリは全く原理が違うし時期も違う
1980年ごろだと大容量のROMが高かったので、書き換え出来るようにすれば良いんじゃねということでコナミが採用したけど
結局不安定で使い物にならんかった
KONAMI morning music が生まれただけでも価値はあったがw
>>15
磁性体を記憶素子に用いているので、コアメモリの子孫には違いない。
>磁気コアメモリは半導体メモリチップが登場するまで、1950年代から1970年代にかけて主流となった記憶補助装置でした。
ウソだろ。
× 磁気コアメモリは半導体メモリチップが登場するまで、1950年代から1970年代にかけて主流となった記憶補助装置でした。
○ 磁気コアメモリは半導体メモリチップが登場するまで、1950年代から1970年代にかけて主流となった主記憶装置でした。
磁器コアメモリは画期的だった。
それまでのメモリより格段に速かった。
昔のコンピュータは、ハードウェアの精密工業技術が今のように良くないので、
ハードウァアの故障・障害が多かった
そのため、ハード障害でコンピュータのダウンが今より多く、
障害対応後にコンピュータの再稼働をするのだが、
このコアメモリの時代は、仕掛り中の状態がそのまま
メイン・メモリに残ってるので、大した対応なしに簡単に
続きを再実行できたと聞いた
メモリが磁気コアから半導体に変わったことで、安価かつ高速にはなったが、
ダウンするとメモリ内容が飛ぶので、障害対策は仕掛り経過のログが必須になり、
障害対策が複雑になった
>>12
その磁気コアメモリは宇宙に飛んで月まで行けたよ。
なお、半導体メモリでは問題があるらしく人を乗せる宇宙船では採用されていない模様。 >>18
それまでのメインメモリ・アクセスは、電気制御ではなく機械式ですからね
磁気コアも登場時には高速大容量メモリ
それまでのメモリは、磁気ドラムという
HDDの絶滅した御先祖をつかってました
HDDは通常、円盤の両面に中心から位置が同じヘッド複数を使って
円盤上の磁気媒体を読み書きするもの
必要な容量によって円盤の枚数が変わります
磁気ドラムは、円盤ではなく円筒(ドラム)上の
磁器媒体をヘッドによって読み書きするもの
高速化するのにヘッドを複数配置するのですが、
円盤よりドラムの方がヘッドの数を簡単に増やせる利点がありました
そして、ドラムが機械的に1周する時間が、
メモリアクセスの周期になります
メモリが磁気コアから半導体に変わったことで、安価かつ高速にはなったが、
ダウンするとメモリ内容が飛ぶので、障害対策は仕掛り経過のログが必須になり、
障害対策が複雑になった System/360はアポロ計画にも使われ、活躍する
>>25
System/360は、それまでの用途限定特化型のコンピュータではなく、
商用も科学技術計算もできる全方向(360度)汎用コンピュータだから 懐かしいマシンだなぁ、今でも現役で使ってる企業 あるの!?
磁気コアメモリーも水銀遅延線も動いているの見たこと無い。
磁気コアメモリ、紙テープ、テレタイプ、ECLなどなど
あの頃のコンピュータ世界は、田園風景。懐かしいッス。
これ人海戦術、人の手で編み編みしてんだよな
工員がドイツモコイツも品質条件を自分勝手に解釈劣化させる様な文化圏では生産不可能な製品ね
>グラディウスは起動ミスが多かった。
起動もクソ遅かったしな。
それよりさらに遅いDECOシステムっつーのもあったが...
>>30
確か裁縫のおばちゃんを大量に雇って生産してた。 >>29
データ保管のファイル(データセット)は、磁気テープが普通
磁気テープを腕に通して運ぶのも普通で、嫌でも腕の筋トレになるw 破壊読み出しだから使う前に 位置についてよーい的に設定しないとスタートできなくてな・・・
ちっちっちっ・・・・・って鳴る打ち上げ花火みたいなやつ・・・
横で文字がくっついたゴルフボールみたいのがでかい箱でぼこぼこぼこ轟音を・・・
懐かしい
>>35
フェライトコアと細い電線を編み込む技術が、後のスイッチング電源に活かされたとかなんとか。 この時点で結構なハイテクに見えるねぇ。
今後磁気コアメモリなんざ使う事はなかろうが完全にオーパーツのロストテクノロジーだね。
まぁ必要になれば20年くらいで大量生産できそうだが。
他にも水銀遅延線だのパラメトロンだのいろんな謎技術があったね。
現状のフラッシュメモリやDRAMやその他諸々も置き換えられる運命だろうな。
05の画像がモーレツだね、コンピューターって感じがいい
>>29
ゴルフボールプリンターの爆音思い出した
>>38
コアを食べるマークのお話は好き >>41
ゴルフボールプリンター
元は事務機器の製造販売企業だったIBMが、電子タイプライターで
従来はバー状の字を打つハンマーという部品をゴルフボール状に置き換えたもの
単に形状を変えただけでなく、オプションのゴルフボール部品と交換することで
1台のプリンターで複数のフォント打鍵を可能にした優れもの
この電子タイプライターは、コンピュータのプリンターとしても接続でき、
イギリスのSFドラマ「謎の円盤UFO」のオープニングで、
コンピュータ接続プリンターとして印刷する様をアップで流された >>42
情シス(電算課)へ配属されて、オペレーターやってた頃は、音で正常に処理が進んでるか、分かったよ(笑) >>42
これが壊れると、システム・ダウン(停止)だったわ(笑) >>44
それは360のシステム構成による
あなたのケースでシステムダウンしたのは、最小構成かそれに近いケースのため
360のシステム構成では、システムログ出力用のプリンタが必要
プリンタが2台接続されていれば、システムモニタ用のプリンタが
使用不能になっても、もう1台にスイッチすれば良い
また、お金持ち利用者で、当時は高価だったHDDに余裕があり、
システムログの出力先にHDDを指定していれば、
プリンタが一時的に使用不能でもシステムは止まらない
貧乏利用者はシステムログの出力先にプリンタを指定するが、
この時にプリンタが使用不能になるとシステムが止まる
これは故障でなく、用紙切れになっても止まる
・・・ある程度はシステムに出力バッファがあるので、
用紙切れになっても直ぐには止まらないが、
バッファが一杯になったら止まり、
システムコンソールにエラーメッセージが出る
用紙切れは、裏紙でも紙をセットして印刷再開すれば稼働再開するが、
故障で交代プリンタもないとシステムは止ったまま、実質のダウンになる この時代から見ると
いまなんてすさまじい状態だけど
コンピュータ関係の進歩はひと段落なのかな
パソコンケータイスマホで膨大な資金が業界に流れ込んで
研究開発が進んだけど
物理的な限界はあるだろうし
これっていまでいう
半導体メインメモリ的な物なのか
それとも、ハードディスクとかフラッシュメモリとかそういうものなのか
>>42
リアルタイムで見ていたジジイだが、当時はただ印刷しているだけなのに、「何という高速!」
感涙もののかっこよさだった。 >>48
そのどれでもないこの時代固有のハードウェア
>>1にも書いてある通り、実体はドーナツ状の小さなビーズ位の大きさの
フェライト磁石で、磁石1個が1ビットになる
この磁石の穴に電線を通して一定電気を流すと、
フェライト磁石が磁気が変わったり、
それまでの磁気が電流に影響する性質を利用して、
情報の書き読みに利用する
電線は、アドレスを特定するための縦横マトリックスに線と
読み出し用に斜めに通す線の3本がある フラッシュメモリの次のメモリに
磁気スピンドルメモリってのが
あるらしいが原理的にはこれと
同じって聞いたなぁ
クラウドなんかも大型時代なら
当たり前だし、コンピュータの
世界もリバイバルしてる感じ
自動車の黎明期を支えた蒸気自動車とは
19世紀末のタクシーとして栄えた電気自動車とは
>>49
東京ブギウギの笠置シヅ子はAKBどころの騒ぎじゃなかったな >>43
音が止まった時の「雰囲気」をものすごくリアルに思い出しました
初めてアメリカに行った時、夕方以降は勉強会?で使えてお遊びゲームの
出力に用紙を物凄い量で浪費するのOKで驚いた。あと、当時の彼女の
名前を出力して、それを便箋代わりにお手紙書いた(´∀`*)ポッ。
>>45
国産某のHDDがやっと届いた時(遅れに遅れた)、神主さん呼んでお祓いしました。 プログラムは紙テープにパンチで穴あけてたんだよなこの時代
当時、暇なとき”聖母マリアの像”とかプリントして喜んでたわ(笑)
>>57
この時代のメインメモリ現物なんて、メーカーのハード保守担当でなければ、
企業とかのシステム部門の人でも、滅多に見れるものじゃありません
何かの伝手で、メーカーの工場見学で見れればラッキー アポロもこれで月に行った。
熟練お針子の手作業で大幅な性能アップが達成されたんだとか(笑)
>>58
機能的には、今のPCのメインメモリ(SDRAM)そのもの ゲームミュージックを10曲選べと言われたら
モーニングミュージックは絶対入れる
イースの草原
イースUのエンディング
ダライアスのラスボス
ダライアスUの最終面
沙羅曼蛇の4面
「あの未来に続く為」だけ、の戦いだった
グラディウスVの最終面 Mechanical Base
アフターバーナー
アウトラン SPLASH WAVE
>>60
私は20年以上前にデンソーのトランジスタを基盤に組み付ける機械のそれの最初の内部を目にすることがあって
そのときでも骨董品でその後廃棄されたらしいので幸運だったかもですね。
ゴルフボールはコロンボにも出てたぞ。「最新式」とか言ってた。
実際にはその頃なら最新式でもなかったけどね。
結局、
インクリボンが打ち抜き式で何を打ったかバレて足がついたという落ちだった。
仕事始めた当時はまだCOCOMがあったんで中国向けにはデカいファミコンみたいなスペックで設計したぞ
ディスプレイも無いテープパンチャー付きテレタイプのコンソールには笑ったわ
もっとも国内向けも8インチフロッピー&文鎮みたいなサイズのMC68000だったが
何で複数本ワイヤ通すのかと思ったらコアメモリをROMとして使うって話なんだな
>>72
ROMだよ
プログラムを記憶しておくためのな >>73
何か勘違いしてるのでは?
System360プログラムは、カートリーダ、紙テープ、磁気テープ、磁気ディスクなど
外部記憶から随時ローディングするもの
磁気コアメモリは、プログラムをローディングする場所でもあり、
CPUの作業領域として読み書きにも使用する
そして、System360では、プログラムをローディングする場所と
CPUの作業領域でメモリ上の事前区分はない
必要時に確保したメモリ領域が、必要に応じてどちらにも使える コアメモリーとか、現役で空飛んでる飛行機のシステムに使われてるし
ワイヤラッピングで配線していたと言っても分かってもらえないだろうな
70年代のメインフレームの蓋を開けた時の驚きは・・・想像を絶する
>>77
コアメモリは不揮発性だけど用途は現在のRAMだよね ジャンク屋で現物見たことあるけど、割といい値段してたな
それも、もう半世紀近く前の話だけど。
>>57
ウチの会社に現物がある。
配線切れてて使い物になりそうもないけど。 >>83
ROMとは、、Read Only Memory 、、、だ。、 F社K崎工場で棚に放置されてあったコアメモリをみつけておおっと感動したのもはるか昔
>>85
スレ違い
素材に磁気フェライトを使ってるのが共通してるだけで、
このスレで対象としてる汎用コンピュータの磁器コアメモリとは
違うシステムのメモリ装置 >>52
MRAMとかSTT-MRAMのことかな
流石に破壊読み出しじゃないよw 最初にシステムを起動するための
ブートストラップローダーが壊れるたら、機械語を手でコアに入力する
コンソールパネルからパチパチ
>>88
磁気使うのはどれも不揮発、非破壊メモリじゃないの? 初めてコンピュータゲームをしたのは、鉄腕アトムのアドベンチャーゲームだった。System/360で動いて、世界初の漢字プリンタでストーリーを印刷するとんでもないゲーム機だった。大阪万博少年より
実物見るまで写真だけだったので、使われているフェライトコアは直径1cmくらいのをイメージしてた
ちなみに、破壊型なので読み込むたびに書き込まなければならない
32KBてどんな?
new int[8000]とか動かすと落ちるの?
>>94
自分の正確な値段は知らないが、のちの半導体メモリの時代で、
その位の感じだったので、磁気コアだと更に0がついたと思う
>>95
イメージ的には合ってるが、この時代C系はあるわけがなく、
アプリケーションですらアセンブラが主流の時代
当然のようにシステムコールは全てアセンブラ
まず、ジョブ(JOB)というアプリ起動単位で、
仮想記憶での使用メモリ量MAXを定義して、
そのアプリが使用するメモリが定義量を超えると落ちる
普通のアプリでは実行時にメモリの追加要求はないので、
経験的に少し多めの割り当てをしておけば、本番で落ちる事はほぼ皆無
ただし、そのときの需要に応じてメモリ要求するOSや、
OSに近い制御系では、使用後の開放漏れ(メモリーリーク)の
バグで落ちることはある(極まれ)
もっと後の時代だが、汎用機運用が日単位から24時間連続運用
(週1で再起動)になった最初の週に通信系OSのバグで、
システムダウンしたことがある
その時のバグ原因のメモリ要求は、8バイト >>94 >>97
1ドル=360円の時代だから、円換算すると割高感が増える
初期の電卓にもコアメモリを持っているものがありました。
スペースシャトルもメモリーはコアメモリを使い、4台の小型コンピュータが
多数決方式で制御してたと思う。耐放射線的にはコアメモリは強い。
今の技術も頭打ちかねぇ
回路をどんどん細かくしていくと電気抵抗が大きくなるジレンマだし
量子コンピュータも実用的になっても用途は限られるんよね
通信の5Gも制約が多い
コンピュータの性能が頭打ちだとAIの性能も同様
自動運転自動車とかも厳しそう
宇宙関係は経済的限界
素粒子とかも同様
経済的物理的に実現できそうなものは実現されてしまったところもあるのかな
>>101
四台で多数決ロジック組むのか
NASAのエンジニアの考えることは常人の理解の範囲外だな 磁気コアメモリ製作は手作りで手間のかかる仕事だったとか
>>104
基本的に3台で多数決だけど同時に2台壊れてもいいように4台使ってた
ECCとか知ってればまぁ普通だね メモリじゃなくて磁気コアを使った演算器もあって、パラメトロンと呼ばれた
時代遅れの技術かと思われたが、超伝導でパラメトリック励振による計算機は
今でも研究が続けられているようだ
コアメモリの次に動作の高速化と高密度化を狙って
ワイヤーメモリ、磁気薄膜メモリなどもつくられたが、
広く普及する前にインテルが256ビットのSRAM、1024ビットのDRAMチップを
作ったので、コアメモリの次はそういった半導体メモリーになっていった。
いま再び、半導体技術を使った一種のコアメモリと同様の原理の集積回路が
不揮発性をウリにして作られ始めているのは、なんだか先祖返りのような
感じがする。
NIMSの予言する通りに、レアメタルが2050年で枯渇したら
半導体はどうなるん?
>報告では、資源が比較的豊富とみなされている鉄や白金についても、2050年までには白金は現有埋蔵量を超過し、鉄も現有埋蔵量に匹敵する量の消費が予想されています。
> 2050年に現有埋蔵量をほぼ使い切るもの
鉄(Fe), モリブデン(Mo), タングステン(W), コバルト(Co), 白金(Pt), パラジウム(Pd)
> 2050年までに現有埋蔵量の倍以上の使用量となるもの
ニッケル(Ni), マンガン(Mn), リチウム(Li), インジウム(In), ガリウム(Ga)
> 2050年までに埋蔵量ベースをも超えるもの
銅(Cu), 鉛(Pb), 亜鉛(Zn), 金(Au), 銀(Ag), スズ(Sn)
これで今の文明維持できんの?
磁気メモリとか、今では失われた技術が復活することで多少は社会の激変緩和できる?
それとも一気に産業革命前夜まで人類衰退?
値段が高くても良ければ、石油も、貴金属類もレアメタルも幾らでもある。
そもそも宇宙空間に棄ててしまうのでなければ、元素は地球上から消滅する
わけでもない(原子力でウランを中性子をあてて壊しているなどは除く)。
エネルギーさえ幾らでも投入してよければ、海水から金を取り出すことも
可能。単にコストの問題だ。日本は人件費が高くなったので、石炭も
佐渡の金山も国際価格に見合わず高くつくから閉山になったが、
仮に将来日本がうんと落ちぶれてしまい、人件費がただも同然になれば、
石炭採掘や佐渡の金山もまた復活するかもしれない。
エネルギーとか労力を問わなければ、金もプラチナもレアメタルも
地球上に存在するものは、それを選別し抽出し濃縮し精錬すれば手に入る。
>>45
プリンターが不具合を起こすとフリーズする俺のパソコンみたいだなあ。 >磁気コアメモリ製作は手作りで手間のかかる仕事だったとか
最初はペルシャ絨毯の織物をつくるような手作業だったが、
IBMは自動でコアメモリプレーンを編む装置を完成させたので量産化が進んだが、
それから10年たたずしてICメモリに技術はシフトした。
コアメモリのコアの径はサイクルタイムを減らすのとコアの材質と
回路技術の進歩により、年代と共にだんだん小さくなっていった。
が、やはり集積回路による微細化にはかなわなかった。
大規模なコアメモリシステムは冷却が必要で、温度が変わると
磁性体の特性が変化するため、油に漬けて冷やしたりしていた。
多分、1機で容量が世界最大サイズのコアメモリシステムは、
東大にあったHITAC8080の1MW(4MB?)だったのではないだろうか?
>>113
会社入って研修で渡されたのがHITAC8000シリーズのシステムマニュアルだったよ
そして、「ほんとにIBMのパクリなんだ」と思った >>19
メモリの基本回路は双安定ヴァイブレーター=フリップ・フロップ
という真空管を2本使った増幅回路で1ビットを記憶する。
真空管をトランジスタに置換し更に回路を集積したのが現代のSRAM >>79
オレはマイコンCPUscnpとTTL8回路双方向3ステートバッファ74245、
SRAMをワイヤラッピングで配線しようとしたが
ワイヤの多さに辟易して諦めた。
TTLICを組み合わせたデジタルクロックだけは完成した。
スペース・インベーダが大当たりした時は74245が入手困難だった。 電源を入れるとシャキッとリングが揃って、
計算する度にガチャッ!、ガチャッ!、って音がしてたよ
なんか健気な奴で可愛かった
そうだHITACの8800/8700だった。
命令セットはどうだったっけ?
IBM360の互換?それともRCAのマシンと互換?
>>120
> HITAC8000シリーズのはじめから命令はIBM互換だったみたい
> http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0009.html
> (2) IBM S/360シリーズとプログラムの互換性がある
HITAC 8000シリーズでも8800/8700の両モデルは少し特別で下位モデルにはない特殊な命令を有していた
従って、IBM S/360・370シリーズの命令セットに対しては8800/8700は上位互換になるので
HITAC 8800/8700のプログラムでIBM S/360等では動かないものが存在する
そういうプログラムの典型例としては例えば、HITAC 8800/8700専用に作られたオペレーティングシステムOS/7は
HITAC 8000シリーズの下位モデルでは動かず従ってIBM S/360でも動かなかった筈
OS/7は面白く実際に使っていて気持ちの良いOSで、MITで開発された(が当時のハード性能にとっては余りに高度すぎた)
OSのMulticsから様々なアイデアを受け継いでおり、日立が(通産省の指導によって富士通と組まされて)ハードだけでなく
ソフト(OSやコンパイラ)もほぼ完全にIBM互換になったMシリーズのOSであるVOS/3(はIBMのMVSのかなり古いバージョンのコピペ)よりも
遥かに使い勝手の良い(例えばTSS処理でのレスポンスが素早い)優れたOSだった
何よりもVOS/3とは違ってバッチ処理と対話処理=TSSとが区別なく全く同じコマンドによって使えた
(OS/7のコマンドは一見すると見掛け上はIBM流のJCLに見えるsyntaxを採用しているが、処理のしかたなどはUNIXなどでの
シェルコマンドやシェルスクリプトに遥かに近い)
HITAC 8800/8700とOS/7とに関しては、そのころの東京大学大型計算機センターで助教授をしておられた
石田晴久氏と日立の村田健郎氏との筆による『超大型コンピュータ・システム』(産業図書)に詳しいので
HITAC 8800/8700やOS/7に関心のある方は一読されることをお勧めする
HITAC 8800/8700なんて懐かしい名前を見てつい長々と書いてしまったがご容赦の程を なぜMシリーズではOS/7は動作させなかったのかな?
>>122
幾つかの理由が考えられるが、
まず、技術的な理由として推測できるのは
当初のMシリーズが当時のIBM機と同じくアドレス空間が24ビットしかなかったのに対して
OS/7が作られた目的のハードであるHITAC 8800/8700は31ビットのアドレス空間を持っていたので
24ビット空間しかないMシリーズでは動かすにはOS/7を手直しする必要があったと思われる
だが、何よりも大きい理由は、恐らく
Mシリーズの最大の目的であるIBM機との完全互換路線に反する
ということであって、そもそもHITAC 8800/8700とOS/7(さらにはそれ以前のHITAC 5020も含めて)という
日立独自路線がコンピュータ事業の赤字の最たる原因として、独自路線を主張する技術者・研究者を
当時のコンピュータ事業本部の本部長である三田勝茂が追放したことにある
つまり独自路線の象徴であった独自OSのOS/7をMシリーズに移植することは事業本部長に対する
明確な反抗として受け取られることが確実な状況で、当時の日立のコンピュータ事業本部や関連研究所の
内部的な判断からすればOS/7をMシリーズで稼働させようと考えることすら決して有り得なかったと推測される
因みに、IBM完全互換路線を強引に推し進めた唐のコンピュータ事業本部長の三田勝茂は
その路線転換によるコンピュータ事業の黒字化が彼の最大の業績として高く評価され
1981年に第5代社長となったが、その2年後の83年にIBMに対する日立(ならびに三菱電機)による
産業スパイ事件がFBIに摘発されることになる
この事件の根本的な原因は明らかに三田が事業本部長として強制したIBM互換路線と独自路線の完全放棄で
あったにもかかわらず(そして日立が機密情報に対する代金として支払った額が当時の日立製作所の内規では
社長決裁がなければ支出できない規模の額と言われていたにもかかわらず)、
社長の三田が事件に関して僅かなりとも(例えば減俸という形ですら)責任を取ることは一切なかった 日立はモトローラ-と提携関係にあったので、68000シリーズのクローンも作って
いたような気がするが、あれも当初は外部24ビットアドレスだったけれども、
論理アドレスは32ビットあって、その気になれば、OS/7のようなOSを
(機械語は違うが)載せることはできたかもしれないが、既に人を追放していて
リバースエンジニアリングでIBMのOSと関連アプリにパッチを当てて日立製品に
していた状況では、何ともしようがなかったのかもしれないな。
まったく馬鹿らしいことだった。
IBMのメインフレームは360の時代から、アドレスレジスタなどは32ビット分
あって、将来の拡張への含みはあったと思う。だから互換機であっても、どこか
の制御レジスタ・フラグを入れるだけでアドレスモードを24ビットにしたり、
31ビットにしたりすることはできたことだろう。そうしてアプリを24ビット
モードのものと31ビットモードのものを混在させることだってできたはずだ。
だが、そういうことはまったくしなかったようだ。
OSを独自に作ることを放棄した段階で、もうCPUやアーキテクチャー、
などなどに関する自己決定権を棄てて、ひたすらIBMのバッタものを
作るだけの、ハードを製造することだけに特化した模造品メーカーになった
というわけだ。
俺が中学生のころ70年代後半に大阪の日本橋のジャンク屋にはいっぱい転がっていたな!
ワンチップマイコンができるまえの、DTLやTTLを使って組まれた
(もっと前はトランジスタを使って組まれた)電卓などにも
きわめて小容量だけれども、コアメモリは使われていたと思う。
Hの路線は完全プラグコンパチブル。
IBMで稼働しているシステムでハードを全部Hの相当品に取り換える(もちろん安い)と、
OSからバイナリーから全部そっくりそのまま全く同じように動作する、
これが売りだった。
だからIBMのユーザから市場を奪い取れたんだ。
Fはもうちょっとソフトだと思う。
OSや言語プロセッサはF製で、コンパイルし直さないと動かなかったんじゃないかな。
Hのやり方は無理があったね。
製品を買って来てリバースエンジニアリングすること自体が難しい。
だから情報収集に血道を上げることになるが、最後はおとり捜査に引っかかった。
Fも事件こそ起こさなかったが、
IBMから訴訟をちらつかされ、巨額の和解金を払っていたという噂があった。
っが、x86が台頭すると、
最後はIBMが無償で互換情報を出していたという噂もあった。
この辺、NがPC98全盛の時代互換機のEPSONを訴えていたが、
PC98が落ち目になると互換情報を無償で渡していたという噂があった。
こっちはたぶん本当。
歴史は繰り返すw
理系で水素社会を推進するような研究成果を出すのは馬鹿
無駄飯食いの商社儲けさせるだけ
理系がやるべき研究は自宅の屋根のソーラー発電で電気を
全て自給できるようにする研究や自宅で光合成してエネル
ギーを全て自給できるようにする研究
要するにエネルギーを無駄飯食いの商社を介さずに得られ
るようにする研究
トヨタのミライを出すのは自宅で水から水素を自給できる
ようになってからでないとダメ
そこを理解してない理系が意外に多いことに驚く
このスレを見ている理系に人としてのモラルがあるなら、
資源や穀物を右から左に動かして中抜きしてるだけの姑息
で卑しい連中をこれ以上のさばらせるな
もしあなたが水素社会を推進するような開発を任されたら、
重要なデータを見なかったことにしてスルーしたり文系男
の真似して毎日会社でぼけーとして給料貰っとけばいい
どうせ特許は会社の物だ
無能文系に何かを開発する頭は無い、理系が水素社会を推
進するような研究成果を出さなければ無駄飯食いの商社潰
せる
コンピュータのない時代に
会計計算などをする職業の人たちを
コンピュータと呼んでいた
ポチな
NASAのロケットうち上げを始めた初期のころ
弾道計算などをする専属の女性たちがいて、
全員コンピュータと呼ばれていた
今でも真空管使ってるところあるからな
小さくすればいいってもんじゃない
メモリ技術としてIC半導体メモリが登場するまでは、コアメモリがメモリの主流で
長く使われてた。
その前は回転する円筒状のドラム表面に磁性体を塗布したものに
複数の固定ヘッドが読み書きをする「ドラム記憶装置」で、
機械的な動作(回転)があるので、読み書きには回転待ちをせねばならなかった。
そのまた前は水銀遅延線メモリとかかな。これも水銀の詰まったパイプに
音響波を循環させて記憶を作った。
ランダムに高速アクセスできるメモリとしては、ブラウン管式メモリがあったが、
機械動作がないので比較的高速にアクセスできたが、これがなかなかの難物で
1本あたりあまり容量がとれなかった。
コアメモリは機械動作が無くて、読み書きが比較的高速であり、容量も
数メガバイトも実現可能な安定した記憶を実現できた大発明だった。
コアメモリが登場していなかったら、1960年代の電子計算機の
大発展はなかったろう。
コアメモリ最初の頃はたしかサイクルタイムが1μセカンドぐらいだったが、
次第にコアのサイズを小さくするとともに、サイクルタイムが短縮されて
500ナノセカンド、300ナノセカンド150ナノセカンドぐらいまでは行けた
様な気がする。そうしてその頃にICメモリが登場してきて、。。。。
コアメモリの変種としてワイヤメモリ、磁気薄膜メモリなども作られたが、
ICメモリに駆逐されてしまい、あまり普及せずに終わった。
1980年ごろまで、バブコムと言うパソコンがあった。たしか、磁気メモリーが付いてた
それはバブルメモリー(磁気バブルメモリー)という、
機械的動作を伴わない外部記憶装置の一種だろう。
磁気バブル、などで検索されたい。
いまのコンピュータには、磁気コアメモリはまず使われてはいない。
だが、言葉として、コアダンプなどの用語は今でもなお使われている。
どこにもコアなど無いのにも関わらずに。
そりゃフロッピーなんて見たことない奴が使うExcelだって保存アイコンはFDだし
>>142
おお、なるほど、言われてみればw
当時の人たちは、将来コンピュータがこれほど大量のメモリを積むことになるとは、思ってもみなかっただろうな
でも何十年か後の人たちも同じことを言っているかもしれないな クロスポイントメモリーは、コアメモリの一種の生まれ変わり転生だ。