弥彦山と角田山の間を県境とし燕山、三条山、長岡山より北側に位置する
東北地方の県である
旧国名は羽前(山形県は羽中)
県庁所在地は荒川の南西部、高坪山の麓にある村上市である
村上市は戦国時代、村上氏が居城にふさわしい場所を求めた際、仙台に近いという
理由から選ばれた土地である
隣接する高田県(北国地方)とは距離が離れているだけでなく県境であり、その間に聳え立つ
標高1000mを超える交通の難所である羽越山脈が横たわっており、そして
別の地方ということもあって隣接しているもかかわらず交流の希薄さは日本一である
仙村本線
村上〜今泉〜赤湯〜山形〜仙台
磐羽本線
羽後本荘〜坂田〜村上〜新発田〜水原〜五泉〜
〜会津若松〜郡山
羽越本線
水原〜新津〜三条(トンネル)〜長岡(トンネル)〜
〜小千谷〜柏崎〜直江津
山形新幹線
福島〜米沢〜山形(全線高架フル規格)
高田県は羽越山脈の南に位置する北国地方の県
県庁所在地は戦前までは高田市であったが
戦後直江津市との合併により市名は高田市
ただし実際の県庁は旧直江津地区に置かれる
直江津は幕末に開港場として選ばれて以来、ロシア革命が起こるまで
シベリア鉄道を利用したヨーロッパ諸国との貿易で栄えた洋館の立ち並ぶ
日本海側随一の港町であったがロシア革命後は一気に
貿易港としては衰退してしまったが、空襲を免れた結果
その当時の洋館がかなり残ったことにより、その後は
長崎、神戸と並ぶ異国情緒溢れる観光都市となった
高田県は高田市から十日町市にかけて広大な魚沼平野が広がっているために
日本海側の県では積雪はさほど多くはない
そして直江津港沖1キロ先には明治時代まで大量の金の産出の輸出を誇っていた佐渡島がある
昭和40年代に念願であった佐渡島と本土を結ぶ
佐渡大橋が完成した
高田市とは松平家50万石の城下町であり明治時代になり
開港場に選ばれた直江津市との間で県庁の誘致合戦が起こったが
最終的には行政の中心を高田に、経済の中心を直江津にするということで
県庁は直江津と合併するまで高田市に置かれることになった
村上県と高田県の県境である羽越山脈の海岸沿いに横たわる
国上山から角田山は標高1000mからの断崖になっており
歩いて渡るのはほぼ無理な難所であり、名称も
『親不知』と呼ばれている
そして国上山のすぐ脇には信濃川が流れており
また角田山のすぐ脇にも阿賀野川が流れているために
鉄道すら通すのも難しい難所である
その反対に高田県、富山県の県境そして村上県、山形県の海岸沿いの県境は
標高30m〜50m程度のなだらかな丘陵が広がっており
古くから交通の要所として多くの旅人で賑わいを見せていた
ちなみに信濃川、阿賀野川両方とも
河口は幅3km水深100m
つまり湾になっている
高田県と群馬県との間をつなぐルートは今現在一本も無い
過去に清水トンネルという名称でのトンネル建設の計画が何回かあったが
地盤が世界一軟弱な山脈であるために
工事中には度重なる岩盤崩落と記録的な大量の地下水の噴出により
これ以上計画を進めていくのは無理であり
何の利益にもならないとして
とうとう高田と群馬間のトンネル建設計画は断念せざるを得なくなった
そのことが後に長野県と高田県を関東地方に組み入れる関東甲信越という新たな枠組みが持ち上がった時
「群馬県とまともなルートが通っていない高田県が
関東地方になっても意味がない」
という考えが多数を占めた結果、長野、高田、富山、石川、福井という
従来どおりの北国地方という枠組みが維持されることになった
ただし高田県は基本的には東京志向である
ただ旧直江津を中心に神奈川特に横浜志向も強くなっている
大学進学先は次の通りである
地元ー15%
東京ー25%
神奈川ー20%
千葉、埼玉ー15%
それ以外の東日本ー5%
地元以外の北国地方ー10%
関西ー5%
関西以外の西日本ー5%
高田は新潟より長野や富山が近いからな
村上は知らんけど
村上県の高校生の大学進学先は次のとおり
地元ー30%
東京ー15%
東京以外の関東ー18.5%
宮城ー20%
宮城以外の東北ー10%
北海道ー3%
その他東日本ー2%
関西ー1%
その他西日本ー0.5%
村上県民にとって上京するということは
東京で骨を埋めるということ
結局のところ村上県民にとっての身近な都会にあたるのは仙台というわけになる
つまり村上県は仙台志向