きっと日本国民のほとんどが学会員になっていたでしょう。
僕は学会員だったころからこんな妄想をしました
私の想像では、初代会長は地方の武士で、先祖代々日蓮正宗です。
子供の時から文武両道にひいで、元服後は江戸に出て藩邸にすみながら洋学をまなびます。
黒船の到来に危機感をもった初代会長は、いまこそ折伏のときと学会を結成するのです。
士農工商のわくをこえて折伏はすすみます。
明治政府になって初代会長は、会長職を友人にゆずり、新政府の官僚となりますが、やがて下野し会長に帰り咲きます。
そんな彼をささえたのは、坂本龍馬と勝海舟でした。
龍馬は暗殺未遂事件のあと、明治になってから岩崎弥太郎らをしたがえて大財閥を気づきます。
坂本財閥は、学会に多大な寄付をし、また外国人への折伏に励みます。
勝海舟は、海軍将兵に創価学会員を増やすとともに、旧幕臣や、東京の庶民、特に任侠の人に創価学会をひろめます。
こうして拡大した学会は、昭和に入った頃は日本国民の半数に達します。
そして、公明党単独政権が誕生し、農地解放・財閥解体(真っ先に模範をしめしたのは坂本財閥です)、朝鮮独立、台湾返還などを行います。
第二次世界大戦が勃発すると、日本・大韓帝国・中華民国の3カ国は「欧州大戦はアジアに無関係」と中立を宣言します。
戦後はさらに折伏も進み、陛下も入信。
経済政策の違いや、また独裁をさけるために公明党は分裂しますが、学会員の総理大臣が就任しつづけて、もう80年くらい。
いまや、わが国は、貧富の差も少なく、犯罪も少ない地上の楽園となり、モルモンをまねた折伏制度もできて若者は宣教師となって世界各地で2年間の折伏に励んでいます。
幕末に生じた他の新興宗教、天理教や金光教と同じような道をたどり
大した教団にはならなかっただろうな
会員の大半を占める朝鮮人がやってきたのは昭和からだぞ
第二次世界大戦で中立しようとしてもアジア太平洋戦線のドイツ権益があるから無理じゃね
廃仏毀釈に悪乗りして、神社を燃やしまくっていただろうな。
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「創価学会」という名前じゃないけど、江戸時代には実際に、大石寺門下の講中がいくつか結成されている。
江戸時代は、菩提寺を変更する「宗旨替え」「改宗」が禁止されていたから、彼らは寺請制度に背く者として激しい弾圧を受けた。
そのため、江戸時代はあまり積極的な信仰活動はできなかった。
明治を迎えたころには、すっかり衰退してしまった講中も多い。
仮に彼らが「創価学会」をいう名称を名乗っていたとしても、同じ結果になっただろう。
>>1
生活保護の口利きが出来ないから、すぐに潰れるよ。
天理教はなんだかんだと言っても、最後まで面倒は見ているからな。