過去最大の赤字を記録し、約7000人の人員削減も発表したJTB(写真/共同通信社)
9月14日、JTBが東京・天王洲の本社ビルをはじめ、保有するビル2棟を売却していたことが明らかになった。
「正直、愕然としましたね。残念としか言いようがない。万感胸に迫りますよ。いろいろな思い出もありますし……」
無念の表情でそう語るのは、天王洲の本社ビルに移転した2001年当時、JTBの社長を務めていた舩山龍二氏だ。
81歳になる舩山氏は1996〜2002年に社長を務め、退任後も日本ワーキング・ホリデー協会会長、国交省の交通政策審議会委員などを歴任し、旅行業界を引っ張ってきた大物経営者である。その目から見ても、今のJTBはかつてない逆境に立たされていると映るのだろう。
“過去の遺産”で資金調達
JTBが保有していた20階建ての本社ビル(1992年6月竣工)は、もともと宇部興産が本社として使用していたものだ。バブル崩壊のあおりで経営が悪化しJTBに売却した経緯がある。
当時は多くの企業がバブルの後始末に追われていたが、旅行業界は好調が続いていた。1990年に1000万人の大台を突破した海外旅行者数は、円高を背景にバブル崩壊後も増え続け、2000年には1782万人に達した。
なかでも日本交通公社を前身とするJTBは業界最大手としての地位を確固たるものとし、「ガリバー企業」と称された。就職人気企業ランキングでも1位になるなど、文系学生たちの憧れの企業でもあった。
右肩上がりの時代の経営を知る舩山氏が振り返る。
「本社ビルを探す時は、80か所くらいは見たんじゃないかな。あの頃は赤字でビルを手放す会社が多く、ビルを買う力のある会社はなかった。ウチが買うと言ったら、宇部興産さんは『JTBさんでよかった』と言ってくれましたね。ちょうど2001年1月1日に本社を移しました」
JTBにとっては悲願の自社ビルへの移転だった。あるベテラン社員が当時の興奮を口にする。
「最初は丸の内の古い国鉄のビルの中にいたので、設備は古いし食堂もなかった。そこから独り立ちして立派な自社ビルに入ることになった時は、みんな大喜びしましたよ」
だがコロナ禍の煽りを受け、その自社ビルを売却することになった。
「聞いた時は衝撃的でした。とうとうここまで来たか……と。いまの状況では仕方がないと思いますが、やっぱり悲しいですね」(同前)
売却によって得られた資金は数百億円と報じられている。今後も賃貸契約を結んで同ビルで業務を続けるとされるが、同社が重大な岐路に立たされていることは間違いない。
淑徳大学経営学部観光経営学科学部長・教授で観光ジャーナリストの千葉千枝子氏はこう分析する。
「JTBは来年には創設110年の節目を迎えることもあり、“次の100年も生き抜く”という覚悟で売却を決断したのではないか。短期の資金調達として、過去の遺産の売却は正攻法です。まずは手元資金を保有することが先決と判断したのでしょう。自社ビル売却は、これからが正念場であることの象徴といえます」
来夏までボーナスなしを決定
コロナの影響が直撃した旅行業界。JTBも壊滅的な打撃を受け、2021年3月期の連結決算は、最終損益が過去最大となる1051億円の赤字に落ち込んだ。
売上高は1兆2886億円だった前年から71.1%減の3721億円に。部門別に見ると、国内旅行が前年比66.4%減、海外旅行にいたっては前年比94.9%減という惨憺たる数字だった。借入金も過去最多の1076億円にのぼっている。