さっきなんJに建ててたクソか?
小説は嫌い😡っつってんだろ
>>20 男の娘の為のアナニー教本かエネマグラ教典について語りたい
そういえば家畜人ヤプーの漫画読んだわ すごい世界や…
>>23 古書売ってる店のアダルトコーナーとかにその手のマニアックな雑誌一杯あったな
15、実存主義についての概略
実存主義という哲学用語がある。ぼくは長いこと「実存主義」とは何なのか、さっぱりわからなかった。
だから、手をつけるのがだいぶ遅れたのだが、面白い言説があり、特にサルトルの小説「嘔吐」は傑作だったので、
未熟者なりにぼくがまとめてみたい。
まず、実存主義が有名になったのはサルトルの「嘔吐」からでまちがいない。
大流行したらしき実存主義は、盛んに研究された結果、キルケゴールが起源だとか、
さらには十一世紀のイスラム哲学のガザ―リ「哲学者の自己矛盾」にまでさかのぼるとかいわれてるらしい。
いずれ、入手して読みたいものだが、まだ未読な状態で簡単に実存主義を紹介しよう。
サルトルの「実存主義とは何か」によると、実存主義とは「実存は本質に先立つ」と要点をまとめることができるらしい。
ぼくなりの解釈では、本質は物自体であり、実存は我々の表象として現れる現実である。
世界は、本質(物自体)が堅固であるのに比べて、現実存在は不安定でゆらめいている。
我々の存在は、神に愛され、存在を許された時に表出したのであり、我々の世界への出現において、
神の愛が記される。本質は、世界の根幹となる基盤であり、それは神の存在で満ちているのだろう。
これだけを記述すると、実存主義はバラ色の優しい世界に感じられるだろう。
しかし、サルトルはそんな凡庸なことでは終わらない。
サルトルが「嘔吐」で語るのは、「存在を望まなかった木」についてである。
存在を望まなかった木は、サルトルにとって異物であった。
神学者であれば「存在を望まなかった木」は悪魔としてとらえられるかもしれない。
愛を知らぬ被造物。それが「存在を望まなかった木」である。だから、実存主義者は神に対して孤独であり、
世界と離れて孤独である。もちろん、植物は、無機物のように、何も考えていないとされていた物体である。
サルトルは「実存主義とは何か」で
「かつて、キルケゴールにおいては、実存主義は宗教的信仰と切り離せないものだった。」と記述している。
存在することは創造主に愛されたことを表す。自分の人生が神に愛されていなかったのではないかという絶望がある。
実存主義は、キルケゴールに当てはめれば、神に愛されない死に至る病であり、絶望である。
あまり日本で読んでいる人は少ないので、ガザ―リの「哲学者の自己矛盾」という本の内容を紹介する。
ガザ―リによれば、世界(実存)の始まりより先に創造主(本質)があったはずである。
「世界の中に創造主はいない」という実存主義と考えられる主張が語られる。ガザ―リはサルトルとは異なる主張を展開する。
例えば、ガザ―リは「世界を創造する前に、創造主が存在した」という主張をとり、
「世界は始まりもなく、終わりもない。永遠の意志によって世界は存在する」という主張と対立する。
さらには、イヴン・スィーナーの主張をガザ―リは紹介していて、かなり興味深い神学が語られる。
それは、こういうものである。神は原因であり、世界は結果である。
原因より結果は優れているはずなので、創造主たる神より。結果であるこの世界は優れていて幸せに満ちているはずである。
つまり、神は、この世界より醜く不幸なはずだ。だから、この世界は我々が神として想像している概念よりも
もっと美しく幸せで誇り高き高貴な世界になるはずだ。神の創造したこの世界に生きる我々は
みな神より幸せであるようにこの世界は作られているはずだ。この世界の喜びは、神の優しさの現れであろう。
つまり、プラトンのいう「正しいものは不正な人より損をする」というところの、神は正しいものなのだろう。
キルケゴール「おそれとおののき」を読んだらまた加筆する。
読書部一応あるんやな
一時間制限のせいでなんjじゃいよいよもうあかんわ
今更なんだろうけど笹井宏之の歌集良かった!短歌面白い!
なんJ公認小説
変身
羅生門
限りなく透明に近いブルー
前に読書部兼ねた読書メーター部ってのあったけどおちたな