(スポーツジャーナリスト)
リオ五輪卓球女子団体戦で、石川佳純(23)、伊藤美誠(15)とともに銅メダルを獲得した福原愛(27)。
「その字面から“銅は金と同じ”と話していたスポーツコメンテーターがいましたが、本当に価値のある銅メダルだったと思います」
(スポーツ紙記者)
2勝1敗で迎えた第4試合を任された最年少の伊藤が銅メダル獲得となる勝利を決めた瞬間、ベンチで声を張り上げて応援していた福原は、石川と抱き合うと涙がとめどなくあふれ出た。
その姿は、『泣き虫愛ちゃん』と言われていた頃と重なった。
「涙が止まらなくなってしまったのは初めて。本当によかった。
日本で応援してくださる方と同じで、私も祈ることしかできませんでした。足を引っ張ってばかりで、みんなに感謝しています。
今回の五輪は凄くいい試合もありましたけど、悔しい試合も同じくらいあって、苦しい五輪でした」
と福原。
シングルスでメダルに届かなかった無念。勝利をつかみかけながらも惜敗した準決勝(ドイツ戦)の悔しさなどのショックをすべて“帳消し”にする銅メダルとなっただけに、喜びもひとしおなのだ。
「彼女は2004年アテネ五輪に15歳の若さで初出場し、'08年北京五輪では日本選手団の旗手を務めました。
'12年ロンドン五輪では、女子団体で日本初メダルとなる銀メダルを獲得。“五輪の申し子”として輝かしい道のりを歩んできました」
(スポーツライター)
何よりも大きかったのは、福原の登場で、それまでマイナー競技扱いだった卓球の印象が一気にメジャースポーツになったことだ。
「彼女のおかげで、卓球のイメージがとても明るくなりました。彼女が登場するまで20万人程度だった日本卓球協会の登録者数は、昨年、32万7000人まで増えているんです」
(前出・スポーツ紙記者)
さて、福原愛は1988年11月1日、宮城県仙台市生まれの27歳。
「父母、10歳上の兄との4人家族。愛という名前は、母方の祖母から1字もらったそうです。
父親は3年ほど前に亡くなりましたが、“様々な事情”があって、その5年ほど前から絶縁状態にありました」
(ワイドショー関係者)
母・千代さんのコーチの下、3歳9カ月頃から卓球の英才教育を受け、4歳でテレビ初登場。
『天才卓球少女』『泣き虫愛ちゃん』と呼ばれるようになった。
「1000本ノックならぬ“1000本ラリー”が1日のノルマで、途中で失敗するとまた一からヤリ直し。
そんな時、卓球台より低い愛ちゃんは、悔しくてよく泣いたものでした。負けず嫌いは、この頃からです」
(テレビ局関係者)
こんな逸話がある。
「1993年といいますから、彼女が5歳のときです。
あるスポーツ紙の仙台支局長が各競技スポーツ大会の記録を整理していたところ“卓球大会の小学生低学年の部で幼稚園児が準優勝”していることに気が付いたんです」
(マスコミ関係者)
何かの間違い?と思い、宮城県卓球協会に問い合わせると、
「本当に小学生を倒す凄い子が出てきたということでした。“福原愛伝説”はここから始まったのです」
(前出・テレビ局関係者)
テレビ番組の収録で明石家さんまと戦ったこともあった。
「さんまの“口撃”に負けた悔しさで号泣しました」
(芸能ライター・常山洋氏)
続く
以下ソース
http://wjn.jp/article/detail/0242623/
http://wjn.jp/article/detail/6103047/
http://wjn.jp/article/detail/2601427/
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