
[寄稿]朝鮮半島で“ホロコースト”を防ぐには : 社説・コラム : ハンギョレ
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![ナチ「ユダヤアカホモガイジは○せ」→世界「属性を悪魔化して潰すのは辞めよう」→ジャップ「チョンホモガイジは○せ」なぜなのか [253473865]->画像>10枚](http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2017/1013/150790387796_20171013.jpg)
イラスト=キム・デジュン//ハンギョレ新聞社
アウシュビッツを経験した結果、人類は誰も非人間化ないし悪魔化してはならないという教訓を得たかに見えた。
だが、最近の欧米圏や日本ないし韓国の保守マスコミの北朝鮮報道を見れば、ホロコーストの悲劇は人類に何も教えられなかったのかとさえ思える。
現在進行中の北朝鮮と北朝鮮の人々に対する悪魔化は、結局平壌(ピョンヤン)や元山の民間人を大量殺傷する爆弾を何らの呵責もなく落とす潜在的戦犯を育てている。
一つの社会を、世界を威嚇する悪魔的指導者に従属する洗脳されたゾンビの群れとして描くということは、非倫理的であり同時に犯罪的だ。
何日か前、私は息子の学級を引率してアウシュビッツを見学した。
息子の学校で実施するホロコースト教育の一環でアウシュビッツを訪ねたのだ。
ガス室や被害者の切られた髪で作られた織物を見た時に感じた感情は、言葉で描写することさえ難しい。
そのような事を犯すことができる人類に属するということ自体が気まずく感じられるほどだった。
人間があそこまで極悪非道になるならば、果たしてこの地球が人間の存在をいつまで持ちこたえられるだろうかとさえ思った。
被害者の最後の瞬間を想像すれば、今ここで気楽に贅沢三昧していることが申し訳なく感じられた。
私にも忘れられない瞬間だったが、私の息子の級友にとっても戦争と虐殺という単語の意味を体験させる希有な機会だった。
韓国の子供たちも平和、反戦、非暴力教育の次元で長期休暇にあわせて大邱(テグ)の嘉昌ゴルのように“国父 李承晩”の下手人が保導連盟虐殺という韓国史上最悪のジェノサイドを犯した現場を訪ね、
悲痛に亡くなった方々の霊を慰め、国家暴力の醜悪な姿をありのままに見る機会を持つべきではないだろうか?
アウシュビッツの一枚の立て札に書かれたジョージ・サンタヤーナの「歴史を記憶できない者、その歴史を再び生きることになるだろう」という名言は真実であるためだ。
しかしアウシュビッツを見学した時、被害者の苦痛の他にもう一つ私の頭を離れなかったのは加害者の心理だった。
アウシュビッツ訪問の前後に私が手に入れられるアウシュビッツ収容所のナチ親衛隊所属看守、管理者の手記や日記、インタビュー記事をすべて読んだ。
最も信じられなかったことは、彼らの中には晩年まで「罪悪感はあまりない」と答えた人が想像以上に多いということだ。
アウシュビッツ勤務当時には、大多数が罪悪感はもとより問題意識さえも別に感じなかったという。
その理由の一つは、彼らがユダヤ人や“アカ”、そして“あえて味方に抵抗する”ポーランド人などの“劣等なスラブ民族”らは人間ではないという教育を徹底的に受けたために、それを信じたということだ。
彼らにとって特にユダヤ人の“殲滅”は、人間の姿をしてはいるが実際には害虫に過ぎない存在に対する“清掃”であった。
ユダヤ人に対する非人間化、悪魔化はこうして結局虐殺者を産んだのだ。