http://www.osaka-jc.or.jp/2017/about/fe_daiosaka01.html
温故知新 大大阪時代を歩く 第1回 ダイビル本館
ダイビル本館。エントランスの2階吹抜。
1920年代、大阪が日本の経済・文化の中心として栄華を極めた時代があった。この頃、大阪市は東京市(現・東京23区)をしのぐ発展を遂げ、アジア最大の工業都市として「東洋のマンチェスター」とすら呼ばれるに至った。
そして、この時代「大大阪」という名称が生まれる。この特集では当時を振り返り、現代に受け継がれる大阪の創造性や活力に迫る。
第一回は、大大阪時代の建築の象徴、旧ダイビル本館(完成当初の名称は大阪ビルヂング)を復元したダイビル本館を訪ねた。
堂島川対岸北西より臨むダイビル本館。左は中之島ダイビル、右は関西電力本社ビル。
レンガの壁にギリシャ風の彫刻を施したクラシックな造り。中央玄関の上には、帝展審査員を務めた大国貞蔵作の「鷲と少女の像」が飾られている。
ビルの前を歩くと、まるで歴史あるヨーロッパの町にいるような気分にさせられる。
が、目線を上げれば、その重厚なビルの上にガラス張りの近未来的なビルがそびえ立つ。
その現代アートのようなコントラストが面白い。
2013年に完成した地上22階のダイビル本館は、6階までの下層階にレトロな佇まいのビルが復元されている。
このビルこそ、大大阪時代のシンボル、旧ダイビル本館だ。この建物が完成したのは1925年のこと。
大阪の経済・文化が活気にあふれ、「大大阪」と呼ばれていた時代である。この頃、大阪は「天下の台所」として築いて来た豊かな経済基盤のもと、地下鉄御堂筋線の建設、大阪城天守閣の再建、御堂筋の大規模な拡幅を進め、近代的な町へと発展。
多くの若者は、上京ならぬ“上阪”を夢見たという。
1923年に発生した関東大震災も大きな後押しとなった。被災者の一部が大阪市に転居したことで人口は日本最多の211万人に膨れ上がり、東京市の混乱により、臨時首都の役割も担うことになったのである。