いつものようにベンチに腰を下ろして俺に向かい合っている岬ちゃんは、やはりいつも のように秘密ノートを覗き込んだ。
「えーと、今夜のメニューは、会話の仕方!」
「はぁ?」
「ひきこもり人間は一般的に言って、会話がヘタクソです。
他人とお喋りするのが苦手な このために、余計に部屋に籠もります。今夜からは、その辺りを矯正しようと思います」
「ほう」
「そうゆうわけで、これからあたしが素晴らしい会話テクニックを伝授してあげます。よ く聴いていてください」
岬ちゃんは秘密ノートにちらちらと目をやりながら講義を始めた。俺はよく聴いた。
「人と話すと緊張する。だからドモったり、困ったり、青くなったり、舞い上がったりする。
それでますます精神の安定が無くなって、どんどんと会話がへたくそになっていく」
「そのような悪循環を断ち切るにはどうしたらよいのか??答えは簡単です。
緊張しないようにすれば良いんです。なら、緊張しないためにはどうするか?
なぜ人は、緊張するのか??
それはですねぇ、自分に自信がないからです。自分が相手にバカにされているのではないか、
相手に見下されているのではないか、相手に嫌われているのではないか、そ のようなことを考えてしまうからなのです」
だからどうした、と口を挟みたいところではあるが、岬ちゃんの口調は真剣だった。
つまり問題は、いかにして自分に自信を持つかという、その点に尽きます。
ですが自信を持つ。それは実際、ずいぶんと難しいことです。はっきりいって、普通のやり方では不可能です。
だけどあたしは不可能を可能にする、すごく画期的な方法を考え出しまし た。
その方法、知りたいですか??知りたいでしょう?」 ?
そう言って俺を見る。うなずくしかない。 すると岬ちゃんは、重々しく口を開いた。
「いいですか、よく聴いてください。発想のコペルニクス的大転換なんです。
つまり自分に自信が持てないのなら、相手を自分よりもダメ人間にしてしまえばいい!そうゆうことです!」
まったくもって、意味がわからない。
「ですからね、会話の相手を、自分よりもさらに酷いダメ人間だと想定するんです。人間のクズだと仮定して、思いっきり見下すんです。
そうしたら、緊張することなく、落ち着 いてスラスラと話せます。のんびりします。和みます。ね?」
「だけど、注意点があります。内心で思ってることを、わざわざ相手の人に教えちゃダメですよ。怒られるから。
佐藤君だって、面と向かってクズとか最悪とか人間失格とか言われたら、きっとすごく落ち込んじゃうでしょう?だからあたしは黙ってます」
これはもしかして、ものすごく遠回しな、俺に対する悪口なのか? それにしては、岬ちゃんの表情はずいぶんと無邪気だ。 俺は訊いた。
「もしかして岬ちゃん、その会話テクニック、日常生活でも実践してる?」
うん、してるよ。でもねぇ、やっぱりなかなかうまくいかない。たいていの人はあたしよりも立派な人だから、会話の相手をダメ人間だと思いこもうとしても、普通は失敗する。
だけどその点、佐藤君なんかが相手だと、すごく自然にすごく自然にやっぱりいいや。言うと傷つくから」
とっくの昔に傷ついている。
「気にすること無いよ。佐藤君みたいな人でも、それはそれで人の役に立ってるんだから」 ?
そうして岬ちゃんはベンチから立ち上がった。
「今日はコレでおしまい。また明日」
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