
人生における「最後の通過儀礼」のはずだが
戒名授与は人生における「最後の通過儀礼」として、極めて重要な役割を果たしている。
しかし人々の意識との間に乖離が起きていることは否めない。
ひとつは戒名に「グレード(階級)」があることが問題を生じさせている。
たとえば、徳川家康の戒名は「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」、いかにも格が高そうだ。
昭和に活躍した著名人の例を挙げてみよう。(敬称略)
石原裕次郎「陽光院天真寛裕大居士」
美空ひばり「茲唱院美空日和清大姉」
坂本九「天真院九心玄聲居士」
複数の葬祭業のホームページをみると、宗派・ランク別の戒名が書かれ、「戒名代」の目安が記されている。
ある寺のサイトでは「院号居士が推定60万円」「院号大居士が推定200万円」「院殿大居士が推定500万円」などとある。
カネさえ払えば位の高い戒名が得られているのが実状である。
本来、戒名は故人と遺された者、あるいは菩提寺とを結びつける有益なコミュニケーションツールでもある。
仏教界は現代社会に対応した柔軟な戒名の運用を考えていくべきではないだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3493d45a62d07d7fce4b1640dc5f574eb59b29d1