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ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
※「反応してる」「妄想してる」など、単発他者評価レスで自己矛盾を人になすりつけるのはやめましょう。
※また他者批判のため「だけ」にレスをしないようお互い心がけましょう。
※「正統派マインドフルネス」とされるジョン・カバットジン博士
※またその源流である禅宗を尊重しましょう。
※(日本における)テーラワーダ理論はパラダイムの狭いものなので、あくまで参考程度に。
※大乗に包摂されるものという諒解でお願いします。
マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
当スレで採用するマインドフルネス瞑想の定義については、Wikipediaをご参照ください。
マインドフルネス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/マインドフルネス
『マインドフルネス(英: mindfulness)は、今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる。
マインドフルネスの語義として、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある。』
マインドフルネス瞑想は、その源流となった仏教瞑想を越えて、広い範囲でマインドフルネスの名称が冠される状況であり、宗教、健康法、心理学の各分野に今や広い裾野を持っています。
当スレが話題の対象とする「マインドフルネス瞑想」は上記定義のものですが、それ以外のマインドフルネスを冠する技法や、
瞑想一般の話題、呼吸法、マインドフルネス状態を喚起する瞑想以外の方法についても、禁止ではありません。
単発IDであっても過剰な発言量にならないよう程々に情報交換しましょう。
また、感情的なレスのやり取りは周りにも迷惑ですので控えてください。
前スレ
マインドフルネスPart.36
http://2chb.net/r/psy/1600060546/ マインドフルネスの定義
こうしたマインドフルネスの爆発的な人気にもかかわらず、意外なことにその
操作的定義(operational definition)は未だに確立されていません。2014年に
トロント大学の心理学者たちが中心となって具体的な定義を試みたのですが、
なんとその記述のためだけに12ページを要し、挙句の果てにマインドフルネスとは
(1)注意の意識的なコントロールによって現体験に対する認識が高揚し,(2)好奇心と
オープンで寛容な態度が伴う,という2点が強調されました。
マインドフルネスの定義が困難とされる最大の理由は,その源流となった仏教の
「マインドフルネス」瞑想が多様性に富み,「これこそがマインドフルネスである」
と一元的に特定できないからです。現在のところ,カバットジン(2007)がMBSRの説明
として用いた「注意を払う特定の方法で,意図的であり,現時点に焦点を定め,
価値判断を下さない」という記述が作業定義(working definition)として
一般に受け入れられています。
マインドフルネス入門講座 大谷彰
マインドフルネスストレス低減法
(mindfulness-based stress reduction (MBSR))
は正しくは
「マインドフルネスに基づくストレス低減法」
です
お間違いなきよう願います
>>3 マインドフルネスの爆発的な人気にもかかわらず、意外なことにその
操作的定義(operational definition)は未だに確立されていません。
プラユキ・ナラテボー(公式)·9月11日
現実に人に何かを指導したり、相談事に乗ったりしている人たちは、
正論など通用しないことを痛いほど知り、タイプの異なる多様な人々の
様々なニーズに応じ、悩みの軽減や成長を促すための言葉(方便)を用いている。
何の結果も出さず、そうした人たちを正論で批判したり貶したりしている人は哀れである
ハマーンは自分で提案したのだからちゃんと守ってね
フリをするのではなく
31 ハマーン・カーン 2020/09/01(火) 04:33:35.15 ID:jTsT4int
誰にでもある認知の歪み
・白黒思考
・過度の一般化
・選択的抽出
・マイナス化思考
・結論の飛躍
・拡大視、縮小視
・感情的理由付け
・「べき」思考
・レッテル貼り
・自己関連付け
こういったバグを減らすには“気づく”こと。
自分を観察する習慣をつけたい。
有言実行でお願いしますね
950 ハマーン・カーン 2020/09/25(金) 06:59:31.85 ID:Q3soUjyb
脳みそ勝手にワ〜ワ〜ワ〜引き摺られ、
https://twitter.com/rxNyQnGqmjzFyim/status/1158476748742221824?s=20 心の呑み込まれ暴走を二ローダ(調御)し止め(正定)、習慣化(戒)して参りたいものです。
マインドフルに注意深く気をつけて
以て、不放逸
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
意識的なマインドフルネスにおける問題点、課題
永井均
@hitoshinagai1
マインドフルネスも今では色々に批判されているが、最も根本的な問題は、
判断せずにありのままに(客観的に)見るなどといいながらも、
その見る主体の側も見られる側の情動・気分に自ずと染まってしまうことだ。
慣れれば慣れるほどそうなる。しかも重大な場合には必ずそうなる。
つまり、役に立たない!
だから課題は、自ずと染まってしまわないためはどうすればよいかであることになり、
そのための練習がすなわち瞑想であることになる。当然、瞑想中なら見られる側の
情動・気分に染まらずにただ見ることもできるようになるが、
それはそのために開発されたことをしているのだからあたりまえのことだろう。
「八聖道分の中の正定は、多くの経典の中、たとえば《大念処経》において、仏陀はそ
れを初禅、第二禅、第三禅、第四禅である、と解説している。」パオセヤドー
つまり、初禅以上でないと八正道は成り立たない
拾い
『教理をしっかり理解していない人が瞑想などによって、下手に言語慣習の剥落を経験してしまうと、言葉の消え去った心的状態というのは、事物の区別、自他の区別がなくなってしまうことですから、誤解が生じやすいのです。例えば「世界の実相そのものに触れ、それと合一を果たした!」というふうに、神秘授業中的な意味づけをしてしまう。』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『唯一の比類なき「この私」を起点とするというと、仏教は「無我にて候」ではなかったのか、などと反論されかねませんが、私は入り口は個人主義でなければならないと思っています。端から縁起説的な関係主義ではいけない。なぜいけないのかというと、その相互依存的な関係性ないし共同性を、個を、超えた"より大きな主体性、大我"と誤認する心の働きが生じるからです。個我の不全感をナショナリズムによって補完するみたいな話ですね。この大我には「この私」が仮託され、投影されています。無我どころか肥大した自我を呼び出してしまう。』
ときに瞑想実践者が戒の遵守や禅定体験を盾に他者を頭ごなしに裁いたりなど横暴に振舞い出すことがある。「瞑想随煩悩(瞑想病理)」の一種で「エゴ・インフレーション」と称され、禅定から智慧へと展開されず、そこに満たされない承認欲求などが絡んだ退行現象である。
ハマーン、単コロはこれを理解してない
永井均@hitoshinagai1 8月28日
「医療現場もあと2週間したら大変な混乱になる可能性もありますよ」と誰かが言った場合、
2週間後に「大変な混乱」にはならなかったら予想が外れたと言われるらしいことには、
いつものことながら驚かざるをえない。一般の人は「可能性」という語の意味が理解できないのだろうか。
純粋に語の問題として。
自明なことではあるが、この言説を批判するには、2週間前の時点においてその2週間後に
「大変な混乱」になる可能性がなかった(そのことが合理的に推定できた)ということを論証する必要がある。
その論証はできる可能性もある。いずれにせよ2週間後に現実に何が起きたかは関係しない。
世の中には問題を形式的に捉える能力がない人がいるらしいので一言。
これは、誰かが「Aになる可能性がある」と言った場合に、Aにならなかったら「予想が外れた」と言えるのか、
という問題で、Aの内容にはまったく関係ない話です。
いつものことながらAの内容に関する話を始める人がいるんだよなあ。
>>12 (続き)
禅定ですらなく、編成意識トリップ乖離現象でも同様のことが起こるようです。
その証拠に、安定性も再現性の具体的なプロセスを一言も彼らは説明できません。
魔境!魔境!を超えろ!というだけで
非常に特殊な事例なので、お気をつけ下さい
0785 ハマーン・カーン 2020/09/23 06:55:24
>>781 たまたまなんかの弾みで、スンゴイことに3回なったけど、安定性も再現性もないからノーカウント
>>16 うん、なんかブラウザの調子がヘンだったみたいで
いけね、コテ外してたんだっけ
三回こっきりじゃなくて、その後も再現してることは書いてるし
安全性についても書いているので
>>15 頭ワーワーにならないで、落ち着いてよく意味を読み取るようにして下さいね
意味盲人のハマーンさん(^^)
呼吸が0.1秒たりとも見る事が出来ないハマーンが、禅定を目の敵にするのは
ただの酸っぱい葡萄です、止めましょう
君はわからないことなのだから謙虚に「わからない」としておくべき話です
それはそうと
このスレはサマーディを体験した人は居そうですよね
あの一体感のある至福を
僕はまだ入口を見ただけだから
このスレは興味あります
というか神からだらしない生活をしてるから
悪夢とかを見せられて
夢の中でさえ夢と気付く
その自我を落とす困難さに躓いてるというか
いやーキツいなあと改めて険しい道だなと思っている道中です
>>21 書いたことありませんね
脳みそ拡散し続けるばかりで
マインドフルなしで、どうやって瞑想状態にあなたは入っているのでしょうか?
と、いうか他にそこまで楽しいと思えることが無い
僕にとっては生死を超えるのは
まあ、向こう側ですよ
向こう側というか自我なんですけどね
とにかく体験してるならそれです
>>25 君は誰?カムイ?野良?
>>26 君が読み取れてないだけ
つまり、まだそれを心配する必要のあるところに来ていないということですね
>>22 > 呼吸が0.1秒たりとも見る事が出来ないハマーン
こう判断した根拠は何?
観察(俺→空)をやると空っぽ=自分は割と簡単に知ることが出来る
けれど、主体は変更せず、簡単に魔境に落ちるので
ジャンプした錯覚に落ちると危険です
「空の方に渡りきっていない」という感覚が重要です
僕自身は二十歳前後くらいでそんな体験をして、ハッキリと渡らないことを選択しましたから
そう危険なことはありませんでしたが
尤も、指さしやるだけで本当にジャンプ(サマーディになる)する人も中には居るでしょうけれど
少し危ういものだろうと考えてます
二重構造(般若心経)など世界観の理解や、八正道、菩薩行などの具体的な生き方込みでないと
非常に混乱しますから
ただし、サティは起こります
気づけば終わり、気づきは「入る」ものであって
「気づきを入れる」ということは全く必要ないです
>>30 前スレをよく読み直して下さい
頭ワーワーにならずにマインドフルに、意味盲人になることを避けて
とにかく僕はこのスレは本当に知ってる人が
居そうだから待ちます
僕が言いたいことはそれです
あの体験といえばわかるでしょうから
何かこのスレは別格に詳しい人居そうだから
ハマーンが0.1秒も呼吸見てないことは前スレでハッキリしました
見えていたら、絶対にそこは間違えないところを間違えまくってるので
口先だけでなく、見えるようになったらわかりますよ
>>33 自スレ建てて、他のスレはロムっておればええじゃろうにw
それでも日本は仏教徒が多いはずなんだけど
不思議ですね
まあ、いいや
そんな思考
>>29 いつまで経っても高飛車ごまかし
そんな事一日中やってて虚しくなんないの
私はもう虚しくなったから、じゃね
>>25>>33
私とレスやりとりしたことあります??
「俺→空」で空っぽと感じている場合、渡りきれてないと感じるのは
これは誠実です
その矢印には断絶がありますから
入り口の所まで来ても渡れないと感じるのもよくわかります
それは無理して渡ろうとしないほうがいいです
では無理なく安全に渡るにはどうすればいいのか?
空、もう一つの意識と呼んでいるものの特徴は(僕の認識では)
・温感や微細感覚といった身体感覚であり、瞑想で形を失い体の外に出る
・そこから肉体、思考の次元を見る時に慈悲喜捨の心として現れてくる
・そこから肉体、思考の次元を見る時に無常苦無我と見える
ということが言えます
それを踏まえてこの瞑想をやれば多少の手応えを感じると思います
https://www.onedhamma.com/20-07-26/ >>37 つ鏡
> 37 ハマーン・カーン 2020/09/27(日) 16:26:38.17 ID:s2T6hdG1
>
>>29 > いつまで経っても高飛車ごまかし
> そんな事一日中やってて虚しくなんないの
>
> 私はもう虚しくなったから、じゃね
>>39 お初です
僕が個人的に聞きたいのは
サマーディを体験されたということで
身の周りにめちゃくちゃ奇跡というか
そういったことが多くならないですか?
それが正直言って僕は凄い重荷なんですよ
神様がやることだから間違いないんだろうけど
世間一般の人達と世界観が違い過ぎませんか?
あと、地水火風は遍在するものの循環の中にあるものとしての肉体の捉え方、
肉体を無我のものとして見ていくということです
肉体感覚の側としてはボロボロ、ザラザラとしたものが土、滑らかなものが水、
合わさって硬い固形が出来上がる
火は熱および冷たさ、風は力(姿勢を支えたりする)です
>>43 元々から多かったですけど
サマーディを体験した後は桁違いですね
>>44 前から奇跡があったということでしょうかね
サマーディになってから悪魔が出てくるようになりましたか?
えっと、クリスチャンの方?
>>45 何を言ってるんですか?
サマーディですよ
全て一つなのに悪魔とか分別ある訳ないじゃないですか?
>>43 まあ
とにかく無いと
首を傾げますけど?
個人差があるんですかね?
>>41を読むと、慈悲の瞑想をされると良いと思いますけどね
これはサマーディに入る前、入ってからしばらくの間は決定的に重要になってきます
>>46-47 では
>>25で書かれている悪夢というのは何時の話なんでしょう?
時系列がちょっとわかりませんね
悪魔、悪夢も色ですから
色即是空空即是色です
主客なく空と一体ですよ
しかし、空の側に渡って見るならば
悪魔、悪夢は消えていきます
僕が言いたいのは
そういった技術論ではありません
あの体験をしたら誰が本物か見抜けるからです
僕が言いたいのは純粋に同じ体験した者との共感なのです
あれだけの物を見て地味にひっそりと
みんなに黙って生きれるメンタルあるなら凄いですね
テレビのニュースとかと温度差ありすぎますよ
みんな世間の人達は非常に唯物主義過ぎます
あるヨギの自著伝ですかね?
あの話が本当かどうかは知らないけど
インドのどこかに行けばそういった
奇跡とか見慣れて何にも思わない所が
あるということなんでしょうか?
日本人の感覚と違い過ぎますからね
ヴィパッサナーとはサマーディ以降の瞑想のことを便宜的に指したものです
そこには対象があります
対象と観察者には主客がない
ちゃんとやってれば全て消えていきますが、これは再現性のあることです
サマーディには強い喜悦感、軽楽感が伴うので
そこで「私のもの」という事で何かを掴んでしまうとえらく苦しみますよ
怒りや苦しみが生じます
そこの中途半端なところで世界を作ってしまうと、似非スピリチュアルになりますね(^_^;)
注意したほうが良いです
それをすべて捨てたところからがマインドフルネスです
どうも話が通じないですね
僕が言ってるのは物理的な話です
同じ事ですよ
物質的なことは全て妄想ですから
その外に立つということが本当のサマーディなのですが…
うーん?
よくわからないなあ
伝わらないなら残念です
ちなみに本当に悟らない限り
完全に悟らない限りは二元性は消えないはずです
今、現在はサマーディに入ってはいないから
物質世界は物質世界として在り続けてるはずです
妄想ではありませんよ?
つまり、サマーディを体験しようがしまいが
人間は誰しも肉体とあの世の生命を同時に生きています
その事に気づいてもそれを生きることは却って難しくなります
マインドフルネスとはそこのところの、技術寄りの話ですから
「俺は特別な体験をしたんだ」という主張はしたくありませんし
しているつもりもありません
>>54 アスペを物質的に殴っても全て妄想で済むんだな
>>57 それでも事実は事実じゃないですか?
僕はヨガナンダの話は信じてませんけど
ハッキリ言いまして
でもそういった奇跡話を普通にするのは
別に執着が無ければ悪いこととは思いませんけどね?
知らないととぼける理由がわからない
それはつまり偽りをしたということだから正直では無いです
>>56 仏教において(マインドフルネスにおいて)サマーディは悟り未満です
そこから悟りまではいくらか精進が必要です
しかし、本質的にはそこには既にもう二元性はなく見えています
それだからヴィパッサナーということが出来るんです
>>41 たくさんはないけどありますよ
ただし、他人には全く役に立たない系ですね。
胸のあたりがモヤモヤ気持ち悪くなり、胸がチクッと痛みがさしたと思った瞬間、地震がおこったり。でもそれは一度きりだし、直前に予知してもなんの役にもたたないし
その時は「このような能力は要りません」って自分に宣言しました。
もし数日前に巨大地震が予知できてもなんの役にもたたないかもしれないっすね…
あとは、明晰夢で目にリアルに潤いのある目薬のようなものが入ってくる体験をしたあと、
実際に角膜炎になり、角膜炎にはたまになるけどいつもなら治る時期になっても治らなかったり…
最近も、あることでデジャヴのような感覚がして、(いつもならスルーすることを)気になりだして調べてちょっとした事実が判明するとか
でも他人には役に立たないし、霊能で人のオーラが見えるとかもないし、結果的にはあってもなくてもどうでも良いことばかりです
人の悩みの原因は話を聞いていればわかるけど、霊能ともちょっと違います。
ただ、修業を進める上で、これらは執着すべきではないものの、自分を信じるという指針にはなったと思います。
信じる支えになった経験はここには書いてないですが。
ちなみにサマーディの体験体感の度合いは人によって違うようです。
>>57 それと一言
言いますけど、
肉体とあの世の生命だとか二元性はありません
全てが一つだからサマーディなのです
>>59 客観的事実の世界にはサマーディもマインドフルネスも悟りもありませんよ
いわゆる現実、いわゆる事実とは妄想です
しかし、それを軽んじることはありません
>>62 空から見れば一元ですよ
しかし、現実、物質から見たときには一元ではありません
とにかく僕は競い合うようなものでは無いと思うのです
だって我々は同じ求道者じゃないですか?
あの至福を知ってるなら仲間ということですよ
それで充分ではないですか?
>>66 あの、ではなく、この、ですね
まあ、さっきのリンクの瞑想やってみてくださいよ
「あの」ではなくなりますから
「あの」だったのはもう過去のことなんです
和紙さんはそれがわかるかもしれない
わからない人が多すぎてね…(^_^;)
よく来る人ではウサぐらいなもんです
再現するようになれば、それは決して「俺だけの特別な素晴らしい体験」
ではないことを知りますよ
確かに禅定の階梯は同じ順序を歩むのは当然であると同時に不思議ですね。
あとから先人の書いてあるのを見て同じだ…!と
和紙さんならきっとわかると思うけど
ここにそれらをあまり書かないのは、不思議体験に執着する以前に、
都合よく解釈して批判の材料にして(それだけならまだしも)結局批判してる本人が苦しむ、みたいな流れが、このスレでも起こるからです
宗教板なのに宗教的な話もままならないという(苦笑)
スピリチュアル板ではおそらく禅定相当だろうと思われる人たちが
「神様と結婚した(信仰ではなく、アイドルヲタのノリで)」
とか真剣に言ってて、またそれに憧れる人もいたりしてね。
禅病は勝手にやっててくださいとは思うけど、凡夫を禅病に誘導したくないですね。
サマーディではまだ自我残ってるんだよね
ウペッカーでもまだ本当は残ってる
第八禅定まで行っても残ってる
けれど、そこにあるもの全て無我と見ることでヴィパッサナーが成り立つ
マインドフルネスも成り立つ
それを発見されたのがお釈迦様ということになると思う
そして第九禅定を発見された
なるほど
そうですね
他のスレでも言われたけど
奇跡やオカルトめいた物に執着するのは
カルトにみられる特徴と言われました
確かに淡々と技術を語るほうが危うくは無い
わかりました
あおり運転も罰則化されたのはドライブレコーダーがあるからなんですよね
そんな個人的な体験なんか証明しようが無いですからね
>>72 そう言われるとお釈迦さま凄えな(*^^*)
喜悦感で何かスピリチュアルな世界を描いて掴むということは
可能だけれど僕はそういうのはやらないな
高校生の時にそんな様なことがあったが…
まあ確かに奇跡じみたことが起きていたけれど
「その様に見ようとしていた」というのが本当だと今では思ってる
何故ならその状態に入ることが再現出来なかったからだし
出来ないのなら身の丈に合わないことなのだから、と捨てた
記憶において自分のものとはしていない
「奇跡だ!俺がサマーディに入ったから奇跡が起きた!」
という捉え方だとそれは長期的には再現できない
なんならやってみればいいが、裏表でスコッと足すくわれると思うよ
自分自身に
私が明日発つと言わないで
なぜって いま もうすでにここに着いているから
深く見つめてごらんなさい 私はいつもここにいる
春の小枝の芽になって
新しい巣で囀(さえず)りはじめた
まだ翼の生え揃わない小鳥
花のなかをうごめく青虫
そして石のなかに隠れた宝石となって
私はいまでもここにいる
笑ったり泣いたり
恐れたり喜んだりするために
私の心臓の鼓動は
生きてあるすべてのものの
生と死を刻んでいる
私は川面で変身するかげろう
そして春になると
かげろうを食べにくる小鳥
私は透きとおった池で嬉しそうに泳ぐ蛙
そしてしずかに忍び寄り 蛙をひと飲みにする草蛇
私はウガンダの骨と皮になった子ども
私の脚は細い竹のよう
そして私は武器商人 ウガンダに死の武器を売りに行く
私は一二歳の少女
小さな船の難民で
海賊に襲われて
海に身を投げた少女
そして私は海賊で
まだよく見ることも愛することも知らぬ者
私はこの両腕に大いなる力を持つ権力者
そして私は彼の「血の負債」を払うべく
強制収容所でしずかに死んでゆく者
私の喜びは春のよう
とても温かくて
生きとし生けるもののいのちを花ひらかせる
私の苦しみは涙の川のよう
溢れるように湧いては流れ
四つの海を満たしている
私を本当の名前で呼んでください
すべての叫びとすべての笑い声が
同時にこの耳にとどくように
喜びと悲しみが
ひとつのすがたでこの瞳に映るように
私を本当の名前で呼んでください
私が目ざめ
こころの扉のその奥の
慈悲の扉がひらかれるように
『微笑みを生きる』ティク・ナット・ハン著
内山興正「興正法句詩抄」
『蒼穹』(あおぞら)
みつめても みつめても
みきわめきれない その深さ
明るく透きとおっているのに
み据えられない その奥行き
雲たちを思いのまま飛ばせながら
ゆきづまらない その広さ
地上一切までも やわらかく包んで
ゆるしている その大ほらかさ
有と無と分かれる以前のすがたで
蒼穹はある
有るかぎりの在るものも
すべてみな 蒼穹のごとくに
あるのではないのか
この私自身までもふくめて
内山興正著 『大空が語りかける - 興正法句詩抄』(柏樹社)p.6~7
貼り忘れたので
コテハンつけるのもおそれ多いので外して貼りました(^_^;)
>>73 どっちかというとヨガ的サマーディの話ですね?
私もサマーディは色々体験しましたし
奇跡というよりは超能力神通力としか思えない
(と思えてしまう)
体験はたくさんありました
ただここからは個人差があって
私の場合はそんなことには全く興味が無く
それよりも苦しいのをなんとかしたい
本当のことを知りたい
そっちの方が強かったので面白い話程度の扱いでした
寧ろ魔境 修行者の足を引っ張る
トラップとさえ思っていました
要はその程度の体験では
何も変化を受けなかったということです
そしてそれは短い期間 時には一瞬
時には2週間程度で消えていきました
世界中で多くの人が体験している現象なので
特別なことと捉える必要もないと思います
サマーディを体験して様々な体験をしたなら
わかると思いますけど
本当に不思議ですよね
非常に微細なこの世界はこの世界の向こう側
夢が覚めた先は何なんだろうなとつくづく思います
本当の事を知りたいのは僕もそれが全てですね
我々は肉体を身体を真実だと思いこんでいる
そうでは無く夢から覚めた夢の向こう側を知りたい
僕もそれだけです
本当の事を知りたい
神は生命力であり
研ぎ澄まされた意識であり
我々のような感情も無い
粒子より細かく微細であり
無から有を操れる
そのようなものと感じてますね
不思議で仕方がない
毎日が不思議の連続ですよ
本当に不思議ですよね?
僕は不思議で仕方がない
この大宇宙の果てまでも神の偉大な力の現れだと
思ったら不思議で仕方がない
我々はなんて小さいんだと思ってしまう
そうですね
それは常にあります
そして逃げませんから
和紙さんは慈悲の瞑想やっただけでジャンプしそうな感じがするけどなぁ
それがですねえ
僕は直接に神から夢を見せられて
欠点を指摘されてる訳なんです
だから自分の弱点克服は
とにかくね
強烈な自我が悪いらしい
実際に意識が外界に向かいたがる
落ち着きは無いんです
>>2 マインドフルネスは魔境
ソースはこのスレの書き込み↑↓(笑)
日本中には1億人居ますからね
知ってるからここにいるんだと
僕はそれを前提に話してます
1億も居たら知ってる人達は居ないとおかしいとさえ思います
>>85 うーん、神仏が何が言ってくるのは良くないと思いますけどね
囚われないほうが良いですよ
洗脳されない。
深謀遠慮。要領良く生きる。自分さえ助かれば他人はどうでもいい。真っ黒な心で生きていく。
洗脳されない。頭の中がお花畑になってしまったらお仕舞いだ。
深謀遠慮。要領良く生きる。自分さえ助かれば他人はどうでもいい。真っ黒な心で生きていく。
洗脳されてはならない。頭の中がお花畑になってしまったらお仕舞いだ。
深謀遠慮。要領良く生きる。自分さえ助かれば他人はどうでもいい。真っ黒な心で生きていく。
洗脳されてはならない。頭の中がお花畑になってしまったらお仕舞いだ。
深謀遠慮。真っ黒な心で生きていく。
洗脳されてはならない。頭の中がお花畑になってしまったらお仕舞いだ。
深謀遠慮。要領良く生きる。
洗脳されてはならない。頭の中がお花畑になってしまったらお仕舞いだ。
深謀遠慮。要領良く生きる。真っ黒な心で生きる。
心臓が止まって脳死して火葬されても、その人のマインドフルネスは生きています
それが死んでも死なない命ということです
マインドフルネスはこの世に生まれる前からあるものです
何故それが分かるのか?というと
それは生まれる前から知っているからなのです
「厳密に言うと、マインドフルネスは坐禅ではありません。歴史的文脈がまったく違うからです。禅は東アジアの大乗仏教の中で、マインドフルネスは、実は、東南アジアのテーラワーダ仏教━━スリランカ、タイ、ミャンマーなどアジア南方に伝わる仏教。上座部仏教、南伝仏教とも呼ばれ、初期仏教、原始仏教に近いとされる━━の中で、それぞれ発展してきました。」
山下良道
806 神も仏も名無しさん 2018/11/07(水) 17:59:16.60 ID:jch51mtw
>>804 呼吸か体感かと言う問いには答えられていない
どちらでもないにしても、お前はどうたったか、が語れないお前は
何も語っていないし、誰のためにもならないマウンティングをしているだけ
お前みたいなインチキマウンテン野郎はNGにする
地獄に落ちろドアホ
「どうもマインドフルネスというのはテーラワーダから来ているらしいということがわかりました。ティク・ナット・ハン師は、ベトナムの臨済宗の僧侶です。中国の臨済宗は、韓国(曹渓宗)、ベトナム、日本に伝わっています。しかしハン師は、パーリ語の経典を徹底的に読まれて、パーリ語の解説をされます。じつは禅宗とテーラワーダの両方が入っているという今の私に近い立場の方なのですが、あまりそのことは言われず、法話ではパーリ経典を使われます。パーリ経典だったら、それは当然テーラワーダです。」
山下良道『青空としてのわたし』
何もわからないのに意識が二つあるなんて話を延々と聞かされて、二つの意識を想像して、絶望や挫折をしなきゃもうひとつの"意識"には入れないなんて話を聞いて絶望を意識的に目指すようになって、まあこんなスレ見てたらロクなことにはならんわな
かぶった
>>99 「目指せ」と言ってないことは最低三回書いたよ、君に対して
サマーディ自体はまだ悟りでも真理でも何でもありません
特別なものだと思わないで下さい
向こう側に置いて、無闇に特別化したり逆に怖れたりしないで下さい
そこからがマインドフルネスのスタートなのだから
もう一つの意識だって何も特別なことじゃない
ただ、そこに留まることはほとんどの人が出来ない
マインドフルネスにならない
考えごとをしている時には聞こえてなかった音が、耳をすますことによって聞こえてくる
特に何も気にしてなかった掌が、注意を向けることによって、そこにビリビリした感覚があることに気づく
これはサティ?
それともサティというのは禅定を経ないと分からない非常に特殊なもの?
サティは禅定を経ないとわからないけど、特別ではないこと
第一発見者は旦那さん。
・・・まさか!?
俳優竹内結子さん自殺か
東京都内の自宅で死亡
https://togetter.com/li/1598971 亡くなる前日26日夜も4人で過ごしており、普通に会話を楽しんでいたという。
中林大樹容疑者?
つまり、耳をすまして周囲の音を聞くとか掌の感覚を感じる等することは、サティではないということですね
これらのように常に普通にあるけど、思考に隠れてみえなくなってるようなものではなく、禅定を経なければ絶対に分からないものだと
これは個人的な考えですか
それとも殆どのマインドフルネスの指導者も同じように言うことですか
このスレのサティ(マインドフルネス)は、悟りもしくは悟り寸前くらいの境地を意味していますね。
>>106 > つまり、耳をすまして周囲の音を聞くとか掌の感覚を感じる等することは、サティではないということですね
とは言ってません
人と場合によるからです
音を聞く、手のひらを感じて、何が起きるかによります
>>107 これらは修行者に向けた説法でしょう
775.(768)
足で蛇の頭を〔避ける〕ように、
彼が、諸々の欲望〔の対象〕を遍く避けるなら、
彼は、世における、この執着を超克する
――〔常に〕気づきある者として。
こんなことを
>>107は意識的な「気づき」で出来るのですか?
この世における執着を超克してるんですか?
>>108 実践上知らないことを分別しないようにしたほうが良いですよ
アラブで石油ファンヒーターを売りまくるような話は面白いけれど、杓子定規な真理を売るような話は面白くない
果てしもなく続くと思われた絶望のもがきからの脱出。
時には宗教的体験を伴って。
こうしたことは、事実としてあるとます、実際、私もそうした体験をした人たちをよく知っています。
それ自体は大変喜ばしいことです。
今、絶望の淵にある人にそういう体験を語って”いつかトンネルは抜けるものだよ”と励ますことは大変有効でしょう。
ただ、冷徹な事実としては、それはやはり僥倖であって万人に保証されているわけではありません。
だから、どれほど素晴らしい体験が自分に待ち受けていたからといって、特に今深刻な絶望に至らず普通に暮らしている人に絶望を勧めたり強いる言説は浅慮だと私は思います。
そういった人々には、その人に応じた穏やかで確かなやり様があると思います。
人は様々ですから杓子定規は通用しません。
それからソフトランディングの問題
鬱でも抜けた時期が一番危ないと言われます。
本当に絶望にある時は、死ぬ気力さえありませんから。
抜けた時の高揚感は、そう続くものではないですよね。
かといって以前のような状態に戻るとも思えない。気力も割とある。
しかし、高揚感も再びまた来る気配もない。宙ぶらりんな状態。気持ちの持って行き場がない。
高揚感を求めてドラッグに手を出したり。そこまでいかなくとも、お酒を飲んだり周りの人に八つ当たりしたり。
やがて、鬱再発。
マインドフルネス認知療法も元々は、鬱再発(鬱治療ではなく)に実績をあげて広まったそうです。
鬱再発率40%が35%に。たった5%ですが、これでも大きかったのでしょう。
釈尊が指し示した徒らに求めることなく、不放逸で地に足着いた丁寧な暮らしが、どんな薬物療法より、結局良かったということなのでしょう。
それは、もちろん、健常者であっても有効であることも。
修行僧においては、基盤として当たり前すぎる印象を受けるのだと思います。
>>112 長文珍しいね
こちらは基本的には面白い面白くないではなくのっぴきならない瞑想的な事実を話してる
> 特に今深刻な絶望に至らず普通に暮らしている人に絶望を勧めたり強いる言説は浅慮だと私は思います。
何度も言ってますが、僕は強いていません
そう見られる様なことを言ってる理由は幾つがあるけれど
まず、ちょっと指差し実験などをして意識の変容が起きました、程度のことを
ジャンプだと言ってる浅はかな人に向けて言っている
昨日一昨日あたり書いた「空っぽ」の問題があるからだ
(これはハマーンのことではないよ)
また、より広くの人には、やがてくる全くの絶望に耐えられるように実践を進めていって欲しいということ
誠実にマインドフルネスをやるならばいずれ、どうしたって起きるものだと僕は考えている
そこを超えなかったら入り口に入れずどん詰まり、グルグルだね
瞑想は自分自身が作ってしまったものを自分が見るということだと言えるが
それが本当に出来る準備が出来なきゃそうそう絶望なんか出来ない
絶望にならなければエゴはどんな事をしてでも、ほんの僅か先の未来に希望を繋いでしまうものだ
ハマーン個人に向けて言えるのは
本当に今ここに留まるならばそれは絶望、恐怖なので
今ここどうのと言ってきた君は矛盾してる
凡夫の自分には「今ここはわからない」「呼吸は見えない」
わからないままでいい、それがソフトランディングする道でもある
蒼穹に落ち着くということだ
ハマーンは僕がぼかしてるというが、わざとぼかしてるんだよ
誰にでもくっきりと描けてしまうような話だったら、エゴはガリガリと絵を描く
エゴは神だって天使だって仏だって捏造するからね
何であれ描いてそれを目指してしまうならまるで違ったことになる
僕は日本には1億人も居るんだから
誰かは知っているのは当たり前だと信じたい
個人的には修行を完成させるのは
この宇宙を創造した神の意思だと信じてるんです
人類の正しい進化だと
自分がその正しい方向に向かうなら
先祖も正しい
関わった全てが正しいとそんな風に思うんですよね
大宇宙の正しい流れです
実際に私の周りでは神が指示してるような奇跡が起きている
その大宇宙の創造主や神と思えるものは自分なのだから、奇跡と思えることが起こっても不思議でも何でもない
創造主や神の世界では何でも起こりうるから、その創造主である自分にも何でも起こりうる。
世界や宇宙を形成する「ガワ」がσ(゚∀゚ )オレ、であるということ。
そしてみんなそれぞれのσ(゚∀゚ )オレ、が宇宙の創造主である。
和紙さんのいう神とは、和紙さんそのものなんだよ。和紙さんが世界の創始創生の神なんだよ。
また和紙さんは一瞥体験をされてるということだけど、
そのくらい集中力が成長してくると、奇跡的出来事にも気が付きやすくなるんだよね
本当はみんなにも起こってるんだろうけど、心が曇ってると気が付かないんだよね。スルーしちゃう。そして奇跡なんてないとただの偶然であると軽視してしまう。
>>113 アラブで石油ファンヒーターを売りまくるような詐欺話は面白いけれど、杓子定規な真理を売るような詐欺奇跡話は面白くない
>>117 なんでそうなるんだよ
僕は見たこともないインドの道を案内してるわけじゃないんだよ
君と違って
>>109 何が起きるかまでいくとヴィパッサナーの段階なのでは
そうだね
ヴィパッサナーがなかったらマインドフルネスもないよ
>>8をよく考えてみて
ハマーンは仏教用語振りかざしながら
「禅定なんかダメだ、光とかバカジャネーノ
慈悲の瞑想なんかオナニー」
とか言ってるんだぜ?
ハマーンによればお釈迦様は詐欺奇跡話をしてるってことなんだろうな
ハマーンの語る仏教はお釈迦様より正しいから、当然スマさんや山下さんより正しい
こういう論理かな?
ちょっといい加減ダメ筋押してることに気づいて欲しい
知らないわからないことは「わからない」がありのままの事実だ
禅定とかジャンプとか光とかなにそれ怖い!
という不安を持ったとする
マインドフルネス的にはその時にすべきことは
自分にとって未知のもの、禅定、ジャンプ、光などを闇雲に叩くのではなく
「不安」を観察することだ
ハマーンはもっともらしげなことを吹聴しながら、
二年間こんな事もできてなかったんだよ
不安や恐怖から物事を見るならばどんな事も間違えるよ
瞑想を「意識的なマインドフルネス」という呼び名で断罪されてしまったら、瞑想自体できなくなってしまう
>>123 日課にすればいいだけ
自分に課したオツトメだからやりたくなくてもやる
坦々とやる
>>124 しかし、その行為は「意識的なマインドフルネス」だとして、このスレでは批判の対象になるわけですよね
>>121 >ハマーンによればお釈迦様は詐欺奇跡話をしてるってことなんだろうな
あいも変わらず、ブッ飛びますね〜
ジャンプしますね〜
そんなあなたを私は「わからない」がありのままの事実なのだ
これから15分シェスタ
じゃね
>>125 いや、お前の不安のことだよ
あと、リンクの貼り方教えただろ前スレで
低知能
>>127 呼吸が見えない異端のハマーンにとっては
「わかりたくない」だろ、そこは:D
>>126 >>8をよく読んでそう思うなら会話通じる気がしないんだけど?
>>114 信じようとして形作ることからは真実の方向には向かわないし
必ず君を苦しめるよ
>>130 永井さんのツイートを、あなたは意識的なマインドフルネスの問題点として認識したわけでしょう
>>133 それは論点から外れると思うけど
一応続きがあって永井はその問題として話してるよ
そうか
なるほど
確かに真我は神様なんだから
神様と私の二元があるのはおかしいですよね
体験はしたのは本当なんです
強烈な至福でした
一体感
ただ段階というのはあると思う
その先の完全に自我が消え去った悟りには間違いなく僕は到達してない
有名な聖者ラーマクリシュナですら
完全に自我は消え去ってないと思います
あの人でさえ、神様と個我の二元はギリギリ残ってたと思います
とにかく体験です
今、現在が救いを確信していないと救われてないのは確かなんですから
お互いサマーディの中に今在るように精進しましょう
エゴは神様くらい簡単にでっちあげるからね
なんならサマーディに入ったらそこにある光をいろんな形に変えてみなよ
喋らせてみればいい
それをやったらそんなものに執着しなくなる
>>115 あー、でもσ(゚∀゚ )オレは神ではないよw
「俺」ではない方がその人の世界の神だね
>>135 肉体(と脳)がある限り自我や2元は消えないよ
神(というかマインドフルネスは仏教由来なので、我々は仏と呼んでるが)の自分と
自我まみれの凡夫のσ(゚∀゚ )オレの二重構造で
どっちも間違いというものではないんだ。
ただ、ド凡夫は二重構造であることを知らない
修業は二重構造であることを(頭の理解だけでなく)サマーディの力を借りて体得すること。
禅定で体得することで、仏の自分がマインドフルネスによって凡夫の自分の自我や煩悩をありのまま見てくるようになる。
そこは意図的なものはない。ただありありとありのまま見えてくる。それと瞑想修業を続けることで煩悩は少しずつ消えゆく。
今のあなたが意識的に自我や煩悩を消そうとする必要はなくて、そうすると余計に自我は騒ぐからね。
修業がすすめば自ずと消えるんだと思ってていいよ
だからそのためにやることと言ったら、瞑想修業する以外ないw
僕は神のビジョンを見たことがあるんですけど
病気で本当に参った時に神に救いを求めたんです
ならキリスト教の本が昼間なのに非常に眩しく光って
この世的な光では無いんですよ
目を開けてられないくらい眩しいのに熱はない
その時に感じたサマーディの世界は
非常に遠い存在でした
気を失うくらいです
後日カーテン越しの薄明かりの中で
目覚めてボーとしてたら
瞼の裏側にイエス様の顔をハッキリ見ました
10秒以上はあったと思う
僕の経験からは完全に自我が消えた本当の悟りは
まだまだ遠い
ラーマクリシュナさんも気を失ってたと思います
しかも何日も
いや、和紙の体験は疑ってないよ、わかる
けどなるべく体験そのものは書かないほうがいいんだ、執着になるから
クリスチャンなら柳田神父のところに行ってみたらどうだろう
https://www.donboscosha.com/product/786 https://www.donboscosha.com/product/1371 クリスチャンではありません
洗礼は受けてませんから
その時は宗教に興味を持ち始めたばかりで
たまたまキリスト教の本を買っただけなのです
キリスト教は有名ですから
とにかく今、現在に救いを確信していないなら
僕は救われてないと思います
サマーディを知ってるなら何時も
あの体験の中に在る
それで充分では無いですか?
昨日にそう言ってましたよね
それは完全同意します
宗教なんでもよいなら仏教がよいよ
テーラワーダ以外で
>>143 > とにかく今、現在に救いを確信していないなら
> 僕は救われてないと思います
>
> サマーディを知ってるなら何時も
> あの体験の中に在る
うんそれはわかりますよ
けど、いつしかそれはフッと世間的現実の中に埋没していくことになります
記憶を維持するために、何らかのストーリーに頼る様になる
そのようにして行くと真実からは離れていきますね
> それで充分では無いですか?
お釈迦様は生涯サマーディは繰り返されました
八正道にもサンマーサマーディが入ってますし
それに、体験してない人は話が通じないのでね…
ウサも知ってるけど
しかし、サマーディを体験した人はきっと精進すれば再現出来ますから
特別なものとして向こう側に置かないで下さいね
何らかの思い描きのためにエゴがそれを利用してしまいますから、長期的には魔境を起こします
是非、瞑想されたほうが良いですよ
一番手っ取り早いのが
>>39の瞑想だし
イエス様が見えたなら
>>142をやるのもいいかもしれないです
エゴは自我は自分自身だから
なかなか捨てれないですよね
僕は霊体験も多くて
何回か成仏してない霊の想いを感じたことはありますけど
肉体は無い脳も焼かれて無いはずなのに
霊になっても強烈にこの世に未練を残してましたから
実に霊になっても自我は捨てれないんですよね
それくらい自我を捨てるのは難しいという話です
今度その神だの霊だの見たら、イメージの中でしめ殺したほうがいいですよ
嘘のデタラメとは思ってません
だからこそです
その(誰かの?捨てられない自我の)霊を見たとか言ってるのがあなたの自我そのものなんです。
てゆーか、肉体が尽きたら自我は消えますよ。見たという霊は自我ではないようですね。といって、霊の存在を否定するわけじゃありません。思ってるのとちょっと違うということです。
神とか霊とかに囚われてると、自分の苦しみを軽減する修業が止まっちゃうんですよ。
神とか霊とかをどうこうするのは、修業が進んだあとでもいいと思います。
そうは言ってもですね
そういったオカルトなことは生きててあるんだから
仕方ないですよね
スッタニパータを読んでみてください
お釈迦さまは神通力で地獄の風景を見てきたと書いてありますから
大体が我々が使ってるインターネットだって
お釈迦さまの時代から見たら超能力みたいなものでは無いですか?
こうやってやりとりしてるのに
これは幻だとか思わないでしょ?
そういった実際にあることまで全否定する意味が僕にはわからない
まあ、修行の妨げとか言うなら個人の自由だと思いますけど
そうは言ってもお釈迦さまは神通力があって
一般人が見えないことが見えていた
それは本当だと思いますし、地獄も涅槃すら信じないなら
誰でも死んだら終わり唯物主義では無いですか?
それは正覚者だから言って良いんです
過去世も阿羅漢しか語ってはいけない筈ですよ
なるほど
修行の途中でそんな話をするのは
あなたがたには禁句なんですね?
それは理解しました
僕的には今もサマーディの中に在ればいいと思います
悟れば全て幻として消えますから
昨日からそれが結論だと終わった話のはずなんですけどね
光を描くことは人間は出来るからなぁ
確かめてみれば良いんですよ
自分はオバケ、霊だって否定して生きてきたけど
サマーディ以降、何度かキョーレツなの見ましたよ(^_^;)
けどオバケがいるのではなく自分が描いてるだけです
お釈迦様の場合は教導、政治のための方便としてそういうことを語ってると思いますけどね
デーヴァダッタが過去世で師であったとかね
僕はそうは思わない
こうやってやりとりしてる
あなたたちを僕が想像した自我の幻だとか思わないですね
あなたたちは実在してると思いますけど
そのありのままを語るのがそんなにおかしいことですか?
確かめずに思いを優先するということならば
そう思いたいんでしょう
体験には無我の部分と自我の働きが交じるものです
ハッキリ言います
神通力を証明したいなら
誰も知り得ないあなた個人の隠しごとを
言い当てればいいんですよ
お釈迦さまはそれが出来たから
全員が信じたんだと思います
キリスト教の預言者もそうやって試されました
おそらくそういった神通力を持たない
自称に悟った人達が修行の妨げになると
オカルトや奇跡の話を全否定したのだと思います
じゃないと誰も信じないでは無いですか?
それが出来ないで何をもって悟りを証明するのですか?
神仏とか霊の体験に執着するのなら必ずそれによって苦しみますよ
何故なら断言するけどエゴの描きだからです
>>157 それで信じてしまうならば、神通がない人にも騙されてしまいますよね
イエスは神と一つであると言うのなら
その証をしてみろと試されたのがキリスト教なんです
そして死刑から生き返りました
お釈迦さまだって一緒ですよ
無くした鍵の在り処を言い当てる
そういった事が日常的に出来たから
誰も見たことが無い地獄を弟子たちは信じたのだと思いますよ
>>158 悩み事まで言い当てられたら信じるしか無いでしょう?
誰もあなたの内面まではわかるはずは無いんだから
そういうの読み取るのが上手い人はいますよ
だからって「この人悟ってる」とかは全然思いませんね
世界や宇宙と一つであるというなら
何時に地震が起こるとか台風が来るだとか
問われて答えられないなら
自分のことが何故にわからないのか?みたいな話になるのは当たり前だと思いますよ
あなたとわたしは一つであると言うなら
内面を言い当ててくださいみたいな話になるのは当たり前だと思います
悟りを開いたと断言するなら神通力で言い当てて
証明するのは当然の成り行きですよね
それが証になるというなら詐欺師も悟ったことになるでしょう
悟りとはそういうことではないと思います
まあ
とにかくいいです
やめましょう
とにかく今、現在もサマーディの中で生きて
救いを確信すればいいんですよ
それは意見が一致してるんだから
それでいいでは無いですか?
僕個人の話をさせて貰うと
詐欺師とか気にする必要は無いです
自身の悟りの中にあればいいんです
お釈迦さまもそういってたし
しつこいですよ
本当
何回も同じやりとりを
サマーディは悟りではないし
和紙はその体験への執着が故に苦しむことになるよ
信じ込みたい世界を描いてるだけなのだから
マインドフルネスはそれを捨てたサマーディに入ったところからの話です
そこからが悟りへの修行です
>>145 仏教って、仏陀の教えですよね。
お釈迦さまの直説であるパーリ三蔵経典を、原型を留めたそのまま
のかたちで奉じているのがテーラワーダ仏教なのだが、釈迦牟尼を
否定せずに、どうやってテーラワーダ、あるいは上座部を否定できるの?
テーラワーダというか
今の日本のテーラワーダはマインドフルネスの方針が変だからやめたほうがいい
ここはマインドフルネスのスレだからね
何度も言うけど神通力や霊や目に見えないものを否定するわけじゃないんだよ
マインドフルネスの修業には執着すると妨げになるってだけ
霊を信じるのは自由だけど、それマインドフルネスじゃないから意見を通すつもりならスレチだよ
スピリチュアル板のほうがいいんじゃない?
8段階のジャーナがあって、5段階目で超能力が出てきて、それを利用して8段階目で涅槃に至る、というやり方の瞑想センターもミャンマーにはあるらしいよ
自称テーラワーダは仏教ではないとは言わないけど
十六観智などはマインドフルネスでやる必要は全く無い
これが大きな理由だね
テーラワーダ文化圏の出家者でなければ分析なんかやっても全く意味ないよ
>>170 それほんとにテーラワーダなん?(^_^;)
ちなみに山下良道によれば初禅入ったなら第八禅まではマニュアル通りスイスイ進むそうな
>>172 テーラワーダは色んな派閥があるんだって
で、禅定系は、ここでやられてるのと同じく、ウチこそが本物だと強く主張しがちなんだって
>>173 悟ってない人のブログによると、でしょ?
つまり
「禅定入らずにマインドフルネスやったっていいじゃないか!」
↓
「実は…二十年経っても修行中です」
これが事実でしょ?
>>178 何も言えない不確かな微妙な情報持ってきて何が言いたかったの?
>>179 >>173みたいなのもあるよと、それだけ
逆にあなたは、わからないことをそのままにしないで、想像で自分で納得できる答えを作り上げて、それで満足なんですか
お釈迦様自身、禅定やってるからなぁ
>>180 質問には答えられないのにそういうこと言うのはひどいなぁ
君の言うとおりなら修行中なんだから悟ってないでしょだって
それじゃあ、君自身は一体何が言いたいと思ってでてきたのだろう?
と思って質問したよ
満足ですか?知らないことを決めつけるのは良くないですよ
答えなんか作ってないでしょ、まんま言えることを並べただけ
違うなら指摘すればいい
そもそもその修行者のブログ貼れないわけでしょ?頼りなくて
>>181 知らないことを知ってるとは言えないよ
知らないことは知らない
>>182 自分で納得したい答えを並べただけでは?
そんなどこの馬の骨ともわからない海外に自分探ししに行って
いつまでもダラダラ乞食してるポンコツなんかどうでも良くて
君自身が思う君のありのままの瞑想の話をしてくれれば、別に無碍に否定しないのに
>>183>>184
くだらん( ゚д゚)
とっととURL貼って「ア○ペ、これ読め」で終わりだろ
ミャンマーにはそういう瞑想センターもあるらしいよ、というだけの話でしょ
>>174-175に、そうですよと答えたとして、あなたは実際には何も知らないのに「やっぱりそうだ」と納得して終わった話として流しても、本当は何にも知らない
>>187 > らしいよ
そうだね、知ってるよ、だから何?
それが君のイイタイコトだろ?
つか、どーでもいい情報だよねそれ
テーラワーダスレじゃないし
何かそれを知ることでみんなの利益になる情報だと思うならば
せめてURL貼ったら?
和紙という人が求めてるような人は、ミャンマーにはいっぱいいるんじゃないのということで書いてみた
あなたはそもそも関係ない
その発話意図を隠す必要なくない?と思うけど…
まあいいや(^^)
しつこくてごめんね(^^)
>>169 ジャンプも、ジャンプしたことがない人にとってはオカルトとしか理解されないよ。
言葉で伝わる概念というのは、みんなそう。
>>195 そんなわけで各種マインドフルネス系スレは、北川カレーパン麻子に監視されてますね
日本の大乗仏教だろうとテーラワーダだろうと、出家したお坊さんで生まれ変わりや
六道輪廻、三界がないと思っている人なんて居ませんよ。
三界や六道があるということは、そこに住む衆生もいるということを意味している。
テーラワーダは迷信的思考だけど、大乗仏教はそうじゃない、などと思っているとしたら
全くの誤解と言わざるを得ない。
ないと思って決めつけているのは、在家の瞑想できない人とか
思い込みと主観で反射して結論を断定する一般人だけです。
だけど、そういう人が人類の99%ぐらいを占めているわけ。
だいたい、初心者スレまで作ったのにどうして頓挫した。
あっちはジャンプしてない人向けだろ
だからこっちに移ったのに、カレーパンはこっちに粘着する
>>197 そういうことじゃないよ
ジャンプするまではそれ系に執着するなってこと
生まれ変わりがあるとかないとか、真実かどうかの話じゃない。
しかも日本のテーラワーダ否定してるのはそのこととは別の話だよ。
貴方はスレちゃんと読んでないし、ここでの流れわかってないでしょ
>>167 エゴを捨てた青空としての私がマインドフルネスをしないと意味がないんですよね
>>202 意味がないと言うか起きないからね
二重構造の青空の眼がないと
第四図の自分にはマインドフルネスは起きない、出来ない
それは矛盾してしまう
ジャンブがしてない人にはオカルトに見えるのはわかるし別に良いけど
オカルトと見てるような人が、ジャンプより先のことを語ってるからね
八正道とか第五図とか…
もちろんハマーンのことだけど
それはダメでしょ
何か世の中に伝えるべきまとまった主張があるなら、論文なり書籍にまとめておいて下さい。
あるいは、テンプレに入れられるようにウィキかかブログに書き出しておいて下さい。
2ちゃんはログが流れる仕組みであるのに加えて、匿名なので「おれが前に何度も書いた」
というのは理由になりません。
テーラワーダ仏教の理論=釈迦牟尼の理論体系を覆せるような画期的な理論があるなら、
是非とも書籍にまとめて世に出して下さい。
現代マインドフルネスの提唱者であるティク・ナット・ハン、カバットジン、
ジャンプの山下良道。
いずれもテーラワーダの瞑想体系がマインドフルネスと矛盾しないどころか、
源流であると述べているわけです。
何を以てテーラワーダ仏教=釈迦牟尼仏陀が教えた瞑想体系がマインドフル
ネスではないと主張するのでしょうか。
根拠を述べてみて下さい。
できっこないでしょう。
匿名掲示板だからと思って、無責任にいい加減なこと言うんじゃないよ。
文脈も行間も読めてないから誰だかすぐ分かるよ
迷信的思考がいい悪いじゃなくて執着するなという話をしてるだけ。
それはテーラワーダが迷信的思考だ(だからだめ)という主張はしていないし
大乗には迷信的思考がないという主張でもない。そんな話はしてない。
日本テーラワーダを否定するのはマインドフルネスの捉え方が変だから。
血の巨神さんは、マインドフルネス修業で十六智観は不要だからと言ってる
説明してるのに何が問題かとまた聞いてくる。頭が悪いのか?
勝手に誤読して話を広げないでくれよ、頼むから
マインドフルネスは、ア○ペフルネスではないのだよ。
ストレス低減法に苦滅が必要ないんだったら、カレーライスにカレー要らないと言ってるのと同じだろうがよ。
釈迦は第八禅定を極めたあとで苦行に入り、その後苦行をやめてヴィパッサナー瞑想して悟りを開いた。
釈迦は禅定に入ることができるからヴィパッサナー瞑想ができたのだ。
日本テーラワーダでは、在家修行者に禅定はほぼ無理だからという理由で、禅定に達してないのに
「ヴィパッサナー瞑想はお釈迦さまの瞑想法である」と在家の禅定未満の修行者にヴィパッサナー瞑想させる
(禅定に達してないので原理的にヴィパッサナー瞑想にはならない)
その日本テーラワーダ推奨の似非ヴィパッサナー瞑想は、いっときだけスッキリするかもしれないが、再び修業前以上の苦が戻ることが予想され、更には禅病を招きかねないとても危険なメソッドだから問題だと言ってる。
日本テーラワーダも出家者や禅定に達した修行者をを対象にしてる分には特に問題はない。
実際日本テーラワーダじゃないけど似非ヴィパッサナー瞑想のようなことやってる北川カレーパンが、おかしげなTwitterで禅病になってるいい例じゃないか
ストレス軽減法としてマインドフルネスを参考にするなら
短期間でやめるべきだね
そして指導者や受けて結果良くなった患者には、その方法は厳密にはマインドフルネスではないという自覚を持ってほしい
ストレス軽減法が効果があったからといって、禅定未満においてラベリング瞑想修業を続けるべきではない
釈迦様はヴィパサナーやってないと思うんだけどな
経緯を考えると救いが1mmもなく追い詰められ
絶望からの悟りのような気がする
悟りの直前
ごく短い時間で一気に
ヴィパサナーが進んだって可能性もあるだろうけど
その場合は意思とは関係なく勝手に起こっただろうし
まあ どっちでも良いんだけど
ヴィパッサナーってのはメソッドじゃないからね
やったとしても瞑想してたらそうなった、というだけだろうね
でも発見をしたんでしょ?
255 凡夫ア○ペ界の痴の虚塵 sage 2020/09/15(火) 00:24:20.19 ID:urkepv1w
サンガジャパン「ティク・ナット・ハン」特集
山下良道
(パオの修行者たちにもティク・ナット・ハン(以下タイ)の本が読まれていた話)
ただ、タイのマインドフルネスの捉え方が、テーラワーダとは全く違うことに
比丘達は気づいていたか?
(略)
私においてタイと「1.0」が出会ったとき、タイにおける
「マインドフルネス」というものが、消化不良なものとして残りました。
タイと「2.0」が出会ったとき、同じく「マインドフルネス」を実践していながら、
その意味するところが全く違うことが明らかになりました。
そして「仏教3.0」という視点を入れることで、タイの謎の言葉が
すべて理解されたのです。このことは私がビルマから戻り、
日本での活動を再開してから特に感じるようになりました。
私が「仏教3.0」という考えを樹立していくとき、その多くの
インスピレーションをタイのテクストから受けたことを告白しておきます。
>>208 > 何を以てテーラワーダ仏教=釈迦牟尼仏陀が教えた瞑想体系がマインドフル
> ネスではないと主張するのでしょうか。
テーラワーダ理論は仏陀の真理未満の仏教ですね
最も重要なところが解釈から抜け落ちてしまってる
知る限りテーラワーダ系のどの本を読んでも訳が間違ってます
これ謎掛けしてあるのでどなたかに早く答えていただきたいものですが…
もちろんティク・ナット・ハン、山下はそこはちゃんとおさえてます
大乗ですから
歩行瞑想で一歩一歩がお浄土、涅槃であり、歩行瞑想は仏陀である
なんてテーラワーダの人は言うわけないのでは?
しかしそれが正しいですよ、マインドフルネスです
ストレス軽減法(?)のラベリング瞑想って、どこでやってるんだ?
瞑想は行住坐臥。
ラベリングは、呼吸瞑想の導入段階における数息と同じで
導入段階における補助輪。
>釈迦はヴィパッサナーやってない
釈尊の時代、たとえばアーナンダが阿羅漢果に悟った時の状況は、
臥所に横たわる動作の最中。
理論的には、坐る瞑想の「膨らみ縮み」は、ちゃんとやったら近行定ぐらいには入れる。
そのまま預流果まで頑張れば、一来向以降の段階では三結が取れて五蓋も弱まって
いるため、禅定に入るのはそんなに難しいことじゃない。
むしろ預流果未満の修行者がサマディ体験にひっかかると、その方が横道に逸れて危ない。
サマディ体験をした素人が増上慢に陥って、正統な三宝を誹謗するようになるとか
瞑想修行者としてはほとんど致命的。
>>220 > 歩行瞑想で一歩一歩がお浄土、涅槃であり、歩行瞑想は仏陀である
なんてテーラワーダの人は言うわけないのでは?
言うんじゃないかな
「おぉバヒヤよ、色を見るときはいつも、見ることだけがあるようにしなさい。声を聞く時はいつも、聞くことだけがあるようにしなさい。香を嗅ぐ時は、 嗅ぐことだけがあるようにしなさい。味を味わう時は、味わうことだけがあるようにしなさい。身の感覚を経験する時は、感覚であるだけにしなさい。
思いが起こるときは、自然な現象(感覚)だけが心に起こるようにしなさい。このようであれば、自己はなく「私」はありません。自己がなければ、あちこちさまようことはなく、どこに留まることもないのです。そして、それが Dukkha <苦>の滅尽です。それが涅槃なのです。」
いつでもこのようであれば、涅槃です。もしそれが続くなら、継続する涅槃です。一時的であれば、一時的な涅槃です。言葉を変えれば、これがたったひとつの 道なのです。
プッタタート比丘
>>220 訂正
訳が間違ってる→訳が一つの意味しか書いていないが別の意味が超重要
>>225 なるほど、ブッダダーサさんは大乗的でうんたらと言ってたからな、山下さん
ネットで見たインタビューもそんな感じだった
>>224 お前前スレでも同じ事言ってなかった?
580 凡夫界の痴の虚塵 2020/09/21(月) 12:42:30.51 ID:getjOMEu
仏教では、「三宝に帰依する」ということが言われてきた。「三宝」とは、仏教を構成する三つの大事な要素で、
「仏・法・僧」のことである。「仏」とはブッダであり師であり、「法」とはブッダの「教え」であり、「僧」と
は修行する人たちの集団(サンガ=僧伽)である。
ティク・ナット・ハンは、三つの宝を拠り所にするというのは、まず第一に、「自分自身を拠り所にする」こと
を意味するという。自分の中のブッダを拠り所にし、自分の中の法(ダルマ)を拠り所にし、自分の中のサンガ
を拠り所にすることだと言う。「三宝」は、外にあるわけではなく、自分の中にある。それを見出していくの
が、マインドフルネスの練習(プラクティス) なのだ。
>>223 そのことは和紙にご忠告していたところです
お前は理論だけでサマーディ入れないのかい?
ならヴィパッサナーなんか無理だね
スタートラインだよ
いつも朝の三時半に出てくるのは
腐った揶揄レス書く奴だったけど、テーラワーダヲタだったんだなぁ
山下さんはテーラワーダ教えてる訳ではないと最新法話でも言ってる
山下さん最近の別の法話でも言っている
テーラワーダの修行はいいんだけど中途半端なところで
何か言っちゃうからワケわからないことになる
とっとと最後まで行って下さいよ
ってね
…テーラワーダだと話はそこからですからね
それに、ヴィパッサナーの標準的な説明の仕方だと、初歩的なところから矛盾が起きる
とも話してますね
その同じ矛盾をこのスレでもやってる人はよく見かけるところです
何故そうなるか?わかりやすいから
誰でも説明聴いてわかってしまえるから
ちなみに、別の話しになるけど
魚川のゼロポイント読んでもこの話はわからないですし
別の超重要なところがズッポリ抜けてます
それらが抜けたらいかにシンパティックであっても大乗は「奇妙」なままでしょう(^_^;)
都合のいい弱い敵をバーンと殴るみたいで悪いけど:D
自分ならその抜けたところを山下に投げかけますけどね
そこがわかったら大乗の正当性は完全に証明されますから
完全にです
けれどそれはテーラワーダが気づかなきゃならない話であって
大乗サイドはそんなの大昔に解決してることなので
なので、魚川は書か(書け)なかっただけではなく、そもそも眼中になかった
ということがあの対話から見えてきます
それで山下からのお呼びがかかってない、ということはほぼ確信していますよ
仏教詳しくてもそれを洞察出来ない人が山下を叩いていたということです
もし、何のこと言ってるかわからないならテーラワーダ理論詳しくても
マインドフルネスのポイントを確実に外してます
別に仏教ではなくやってる人はわからなくて良いですよ
最後まで行かないと意味ないんですよテーラワーダは
中途半端なことやってる無明こそがテーラワーダを絶対化しすぎる
それは仕方ないでしょうが
しかし、それはここではなくテーラワーダスレでやってください
>>226 「 」は、パーリ経典小部ウダーナ1-10より
釈尊は、バヒヤに対し禅定マウントフルネスなんてしてませんね
>>231 バーヒヤさんは阿羅漢がいるということで会いに行った
お釈迦様たちはこれから托鉢に行くところだった
ウザ粘着をしたバーヒヤさんにお釈迦様は塩対応をした
それでもウザ粘着をしたので
>>225のウダーナの様に手短に
「私にはこの様に見えている」ということだけを話された
最大限の譲歩だね
大して修行もしてないバーヒヤさんはそれを真似しているうちに
牛にぶつかって死んでしまった
ハマーン的にはそれがマインドフルネスということで良いわけ?
山下さんが言ってくれてるだろ
ハマーンだって禅定入れるよ
何にも特別なことじゃないから
>>232 訂正
ハマーン的にはバーヒヤさんのマインドフルネスはソフトランディングなわけ?
とにかくお釈迦さまの言葉は古すぎますよ
2500 年前じゃないですか?
ダンマパダも入滅後何百年も経って書かれたとか
相変わらず一貫性もへったくれもない
頭の知識での揚げ足取り、知識マウントしか出来ない
可哀相なハマーンは放っておくとして:D
さて真面目な話、サマーディに引っかかる危険というのは、エゴなんだよやっぱり
和紙は少し危ないところに居るというのが僕の認識なのは
昨日の会話を読んでもらったらわかると思うが
形作られたものなんて全てエゴの思い描きなので
それがどんな聖典を読んで形作ったものだろうが執着したら駄目なんだ
それはどうしたって凡夫のエゴによる解釈でしかないから
そのせいでサマーディで引っかかる人は居るだろう
けれど、仏教ではサマーディなんてものは悟りでもないし
むしろそこからマインドフルネスがスタートなわけだよ
そこをどう安全に超えるか、ということは必須テーマだと思うけどね
そこを何とかしないと知識を活かすことは出来ない
そこの引っ掛かりを問題にして回避しているならば
その人は無常・苦・無我なんか本当にはわかってないですよ
特に無我はわかってないと断言出来る
頭だけの理解
僕的には最高の奇跡が悟ることだから
とにかく悟りを優先しなさいが釈迦の教えだったように思うんです
神も神通力もスッタニパータでは否定していない
それが本来の釈迦の教えだと思いますよ
それより上の奇跡が個人の悟りなんだと
それが仏教の始まりだと思います
>>235 それは神通を言葉通り信じていた君の言うことではないのではないかなぁ(^_^;)
ちなみに、僕は悟りには興味がない
何故ならそれは階級のようなものを作ってしまうという意味でね
お釈迦様の教えは苦しみに終止符を打つということだよ
神通だの何だのは方便に過ぎない
だから、僕は誰でも安全にサマーディに入り、そこで魔境に彷徨わないこと
そここそがマインドフルネスの肝だと思っている
とにかく最高の奇跡は悟りを完成させる
それが釈迦の教えなんです
神通力や神や霊を釈迦はスッタニパータで否定してない
それより最高の奇跡は悟ることで自らに安住しなさい
それが最高の奇跡で救いであるということなんです
釈迦の教えてをみなさん信じてください
最高の奇跡は悟ること
お釈迦さまはそれで誤解されますけど
先駆者だっただけです
2500 年前の話ですから
奇蹟というのは思い描きだ、というのが僕の認識
というか事実、そんなものは作れるからだよ
お釈迦様は悟りを完成させてから、その悟りを人に伝えることは不可能だと考えられた
そのまま一人で死んでいくつもりだったんだよ
神通が言葉通りの「客観的な事実」であるならば
そんな話にはならないさ
神通力や奇跡は
単にる偶然ではない
デタラメとか、ないがしろにしろ、という意味での妄想でもない
でも自分で創り出したものだから執着するなというのは、なかなか理解は難しいかもね
ものの定義や現象、体験に執着してたら一向にたどり着けないと思うの
肉体自我が精神の働きに物理的な制限をかけているだけで、精神現象は
もともと人智を超えてる。
わたしの自我が頭で考えて分かることではない。
わたしの自我を捨てたところに元々ある意識が、元から知ってる。
神とか神通とかいう名称をつけて概念化するのは、人間の自我が行う
思考概念化の行為であって、思考概念自体は「それ」を指し示す記号
であって、「それ」自体じゃない。
要するに、神通力はあるけど、人間が頭で考えて空想したり妄想したり
しているイメージとは全く別で、全然関係ない。
我々が頭の中で空想している神や神通がないのは当たり前。
そんなもん、ピカチュウやドラえもんと何も変わりが無い。
悟った人々が言っている神通力というのは、それ(妄想イメージ)じゃない。
それの話じゃない。
返されたレスをガン無視するお前は独り言言っとけ:D
ちなみにスマさんが神通語ってるけど、あれ出鱈目だからね
ご本で読んだだけ
完全、完璧、バーフェクトに間違ってると未来永劫言い切れるところがある
彼は全く見たこともないことを断言してるよ(´・ω・`)
信じるか信じないかはm9(^Д^)あなた次第
>>216 ストレス軽減法というのは、どういう内容の瞑想なんですか?
>>251 ウサは詳しくない
テーラワーダの在家の信者が患部や内蔵を「観る」というメソッドをして良くなったと聞いたことある
北川カレーパンが詳しいようだよ
まあどうせこの粘着ぶりは
北川カレーパン本人だろうけど
ジャンプするとウサさんみたいに、よく分からないおかしな思い描きをして、それを相手に戦うようになるのですか
>>99 絶望に意識的に向かう方法はあるんです
絶望と聞いたら何か酷い目に合わないといけないような
そんなイメージを受けがちですが
話は単純でほんの1秒 何かに釘付けになって
それ以外の動きが停止する
その方法そのものがマインドフルネスだったり
ヴィパサナーだったり
何かに意識的だったとしても
やっている間に意識的が消えてしまう
お腹すいたなー あれ食べたいなー
と思っていてもいざ食べ始めると考えはもう無くて
一心不乱に食べるだけ味わうだけ
北川カレーパンは巨人さんにはコテつけろと言うくせにつけてると文句言う
本人は名無しで単コロする
こんな頭おかしい人の話は聞く気がしない
>>259 (一瞬の)絶望する、その瞬間まではその方法はサマタですね
傍から見ればこのスレの
コテ全員オカシイぞ
自我の正当化に執着しまくりで悟りのさも見えていない
忘れてほしいなら書くなよw
それにここは悟りスレではないよ
>>259 その通りですね
「いまここ」には凡夫の自分は居られませんから絶望します
悟りに至らんとも魔境楽しむのも瞑想の楽しみ
瞑想ジャンキーは瞑想するのが目的であって悟りなどフヨウラ
スッタニパータにはこう書いてあるんですよ
お釈迦さまは地獄の風景も天界も見た
この世の全てに救いがあるか探してみた
別に神通力も霊も神も否定はしてない
それらは究極的な救いにはならないから
自己の内面を制して自らの安住を求めよと
悟ることが究極の奇跡で
最上の救いであるとそう言ってるんです
お釈迦さまの悟りは個人的にはレベルが高すぎると思います
お釈迦さまは人は何回も生まれ変わると説きました
インドで野宿で修行してる人達でさえ
人は、何回も生まれ変わる
1回の生でどれだけのことがわかるのか?と感想してたのに
人にはレベルがあると思うんですよね
お釈迦さまが選んだ弟子たちはもちろん普通では無いレベルですよ
我々みたいな世俗的な人間に教えを説いてる訳では無いですよ
疑うなら出家とか乞食みたいな生活をしながら瞑想なんか出来ますか?
僕は山の中で蚊に刺されるだけで集中できませんよ
野良犬とか怖いじゃないですか?
お釈迦さまだけでは無い
周囲の弟子たちも相当にレベルは高かったんですよ
そういったことはあると思います
それが生まれ変わりですからね
お釈迦さまの悟りはレベルが高すぎるから
誤解されてヒンズー教では神の化身とされながら
嫌われてますよね?
それの誤解を解いたのが僕は不二一元論の創始者
シャンカラだと思うんですけどね
どちらにせよレベルが高すぎるから
一般人には理解が困難なのは変わらないですけど
僕でさえ
何が言いたいのか?よくわからないと言われます
悟るとは超個人的な物事なので他人には伝わらない
と、いうか神様がそのようにこの世を造ってるからだと思います
麻酔無しで歯を抜いてもその痛みはその人にしかわからないですよ
それがカルマなのですよ
瀑流はある。
たしかに瀑流はある。
だがしかし、瀑流を渡る。
お釈迦さまの周りではそうだったんでしょう?
国を挙げて悟るために全力を注ぐ
現代人の我々には理解出来ないような
それくらいの覚悟があった時代があったんでしょう
それを言ってたら聖書時代のクリスチャンもそうですよ
凄い数の信者が殉教したらしいです
現代みたいな人権とか無い時代ですから
覚悟が違いますよ
現代人は、唯物論を前提とする論理の範疇に閉じ込められてるので
覚悟以前に、無知の知が壊滅的に無いですね。
肉体自我が五感を通して認識している現実というのは、
五感というフィルターを介して感受した、肉体内部の反応であって
本当は外界なんて見えてなんかいないわけですが、人間はどうも
それを「現実」と思ってしまうものですね。
音も光も、五感が完治できる範囲の刺激しか受け取ってないし、
それ以外は見えてないから、構造的に見えないし、知るはずもない
んですから、宿命的に無知なんですよ。
その自覚がない。
そこを教えているのがブッダやイエスなどの聖人や、賢者と言われる人々なのですが、
人智で知り得ないことを教えているのだから、信じるか、修道で自ら掴むしかないんです。
賢人の教えを素直に信じられる人というのは、愚かなのではなくて、賢いんです。
賢人の教えと、カルト宗教や妄想の区別もつかない愚か者のくせに、古代人より賢い
つもりなのが、現代の先進国の人々なわけです。
世界最高峰の大学の名誉教授クラスまで含めて、現生人類の9割方は
無知の知も知らない愚か者です。
そのためにサマーディがあるんですよ
今、現在に救いの確信が無いなら我々は救われてない
それが結論でいいと思います
>>278 現実という現象
サマーディという現象
それでいいんじゃないでしょうか
救いや真理に絡めて、そんなに必死に結論づけなくても
>>275 神はこの大宇宙を人類の魂の成長のためにわざわざ
創造されたんですから
しかもこれまで数十億年
恐ろしく辛抱強い
人類が心と身体のコントロールを極めて
この現実という絶対的な唯物的な夢から覚めた
真の現実
悟りの世界を気付くのを待ってるみたいです
本当によく出来た夢だと思います
悟ると本当の自分に気付くのです
生きながら生死を超えられる
向こう側を知れるのです
僕の個人的にはサマーディ
悟りの世界を知る者は世の中の9割知らないどころでは無い
もっともっと少ない
非常に少ないような気はしてます
>>281 あなたはそのサマーディをさめて観ていますか?
9割どころでは無い
イスラム教徒やユダヤ教徒に
世界中に何億居るんですか?
イエス様がヨハネ福音書で不二一元の境地を
あれだけハッキリ書いてあるのに
まったく理解出来てない人達ばかりですよ?
驚くことに圧倒的に少数派の一部の我々は
修行を完成させて人類を導かないといけない
気付いてる者は上下は無い仲間です
サマーディの中に在って今、現在に救われてるなら
救いの確信にあるならそれが全てです
>>285 あなたがその中に在ればいいんじゃないですか?
僕に聞く必要は無いです
>>286 あなたが勝手に喋っとるだけやん
突っ込んでもええやろ
同意しなくても
来世の準備をしないといけない
>>275 あなたは来世で僕の仲間になってください
お互いに完全なる悟りをめざしませんか?
和紙へ言うことは一昨日のレスでほぼ尽きてるので
落ち着いてよく読んで頂きたいのだけど(^^)
やって確かめることは事実です
本を読んであれだこれだと考えるのは妄想に過ぎません
いつも書いてることですが、そこに入っただけでは大変に混乱が起きるものですから
落ち着かないのは仕方ないことです
物質、思考の自分と
物質、思考、概念の届かないところに微塵も混乱のないもう一人の自分が居るということです
落ち着かないのは凡夫たる自分なんです
何度でもやって確かめてみて下さい
一度起きたなら、出来ると思いますよ
けど、坐らずに凡夫の自分が妄想してもダメです
ただし、渇望して目指しても出来ません
一行目に戻る
最後の「ただし」は削除で
渇望して目指すから妄想に縋ってしまうのでね
和紙はそのままサマーディ入らずに入っているつもりでいると
逆奇蹟に逢いますよ
現に、消えて薄れていく光の記憶をもとに暗闇をさまよい歩いています
まだマインドフルネスのスタートラインです
ヴィパッサナーでも只管打坐でも良いから坐ってみて下さい
ともかく悟りを思い描かないことです
>>284 聖書には、体系的な瞑想修行のメソッドが説かれていないので、ほとんど
の人にとっては理解不能なんじゃないでしょうか。
聖書の民でも、極一部の修道僧は、瞑想ではなく祈りを通してサマディを
体験しているようですが、それも大多数の人々にとっては意味が分からない
でしょう。神秘主義などと呼ばれてオカルト扱いです。
その一方で、ユヴァル・ノア・ハラリ氏はユダヤ教徒ですが、仏教瞑想の
実践者ですね。つまり、体系的なメソッドを見つけたわけでしょう。
これから、そういう人が増えてくるのではないでしょうか。
今日も元気に(5ちゃんでしか出来ない)指導者ごっこ
現段階では、わたしには5ちゃんでしか無理ですね。
現代社会の文脈でこれを話すためには、適切なエトスもパトスも持ち合わせておりません。
お釈迦さまのような、社会に認められるパーソナリティが必要なのです。
エトス ・・・ 誰が言うか
パトス ・・・ どのように言うか
ロゴス ・・・ 何を言うか
わたしに伝えられるのは、ロゴス(しかもその極一部)のみ。
逆に言えば、ロゴスだけなら伝えられます。
これを受け取って、精神性を取り戻す人がひとりでも増えてくれたら、望外の喜びです。
わたし個人は、また修行寺に戻って、誰にも知られずに黙々と瞑想する日々に戻るでしょう。
>>288 ありがとうございます。
お互いに頑張りましょう。
他人事だと思ってるならば放っておきますよ
勝手に魔境に入っていってオシマイですからね
突き放して、「妄想、錯覚、キチガイ」とか言っていれば良い
しかし、そんな事言ってる人にマインドフルネスは無理なんですよ
>>284 それは境地ではなく真実ですよ
どういうこと?
人間はみんなイエスなんです
ただ、その仕組になってる事を覚知しないだけで
だから、浄土真宗、阿弥陀如来信仰では死んだらホトケなんです
ハラリもそうだし、一神教で伝統的に作り上げられた誤解が崩壊する時が来てるのではないかなぁ
本当は仏教的な真理と全く同じ事を違うバックグラウンドに合わせて説いたものですよ
神との契約とは何か
本当は不忘念でしょう(^^)
>>295 ウサもごちゃんでしか無理です。
もちろん誰かを導くようなタマでもないです。
また下界?に来たらこのスレにも立ち寄ってください
まず世界を慈しむこと、非、共苦、つまり慈悲の眼で見ること
つまり、マインドフルであることを忘れないことです
それが言葉よりもずっと大事だと思います
言葉だけの世界である5chでは逆に難しいと思ってます
それはもちろん前提
ごちゃんしかないってそういう意味じゃないよ
>>296 神様に願っておきます
どこかで会いますように
仲間ですからね
神は自分であるというのにどこの神に願うんだ
神は奇跡は起こせない
奇跡だと思ってるのは凡夫だからであって
神は自分の能力は当たり前だと思ってるのだから、どんなに超越した出来事も、神にとっては奇跡でもなんでもない。凡夫が勝手に驚き崇め奉ってるだけだ。
神のくせに、奇跡や霊を見たとか言ってる時点で、まだ自分の能力を使いこなせてないようなものだよ。
それはまだ、真の神や奇跡ではない、分離した何かだ。
だから神をみたらイメージの中で殺せという。
イメージの神を殺すことで、奇跡を起こす能力を真に自分のものにするためだよ。
あなたが見たものを真っ向から否定するために言ってるわけではない。
>>261 何をサマタと定義するかによりますが
例えばサッカーのリフティングをしながら
太腿 太腿 太腿
の感覚を感じ続けるのは
私の場合はマインドフルネス ヴィパサナとしています
それに一点集中しているのでサマタだ
とする場合もあるかもしれません
どのみち進んでくると
ヴィパサナ サマタは重なってくるので
そんなに厳密な話でもないかもしれませんね
>>295 そういうのでは無く
サマーディだけでいいと思いますよ
不二一元の境地です
伝説では無い
今、現在に救われるのです
禅定に入る(入れる)ところまでがサマタで
禅定に入ってからがヴィパッサナーというのがテーラワーダの基本線でしょう
清浄道論の通りで
原典主義のパオだと四禅までサマタだけど
初禅から、近行定からという人も居るみたいです
ウ・ジョーティカは近行定からと書いてます
ヴィパッサナー、マインドフルネスと呼んでいることをやって行けば
初禅(相当の状態)に入るというのは実際そうだと思いますが
つまり、結局は同じという事になると思います
実際上そこにはかなり幅があって
道元禅師は坐れば仏だし、山下良道は微炭酸から、いや無条件降伏からです
そこからヴィパッサナー相当のところを坐って、その先までちゃんと行くわけです
なので線引を下げても良いとしても
問題は禅定(相当の状態)に入っていくかどうか
ということでしょう
二年前の11月くらいから基本的にはこういう見方をしてます
禅定相当に入ったら、仏教ベースならばそう問題なく瞑想は進んでいくと思うんですが
ヨガベースな考えの人だとサマーディと言っても
ウペッカーのサマーディになる前に掴んじゃうみたいですね…
サマーディは悟りじゃないですよ
たった一回コッキリのサマーディなんて何時までも続きません
>>307 何処にも噂になっている形跡がないんですが(汗)
>>312 ここは難しいところですね
本人が嬉しさ楽しさをまだまだ味わえる境界ならば
ヨガ的神秘も人生のスパイス
それどころか何か確信や自信や希望を持って生きていければ
素晴らしいことだと思うんですよね
掴んでしまうってことはまだまだ充実して生きていたい
ってことだと思いますし
自分の苦しさ度合いが指標の人は
神通力で空を飛べるようになったり
目から殺人ビームが出せるようになっても
いやー 違うんだよな.... 何も解決してねーよ
ってなるでしょうけど
でもそんな人の方が少ないというか異常というか
一番良のは自分に合った先生が
その時その時の段階で現れるというか見つかるというか
仕事はじめたらメンタルフルネスになりました。
あてのない状況がだめ。
自分に自信をつけようとするからだと思いますね。
うーむ
嬉しさ楽しさを味わえる境界、の人って確かにいるみたいね
占い師とかスピリチュアリストみたいな人。コーチングの先生とかも?
ズブの凡夫でもなさそう、でもウペッカーには行ってないようだけど、神秘を信じて前向きに生き続けてる。それで商売までして広げてやってる人。
何年続くのかは知らないけど、その調子で何年もやってる人もいそう。
ウサは禅定の神秘にハマるパワーで、一時期は物理学とかにハマったけど、占いとか陰陽五行とか、そういうの極めてみようって気には全然なれなかったな。かと言って物理学者になるわけでもなし
あ!でも春分や冬至、月の満ち欠けなどは結構、第四図生活が影響受けてる感じがするから
参考程度にはしてるけど、これも掴んじゃってることになるのかな。
春分を絞め殺すってどこに首があるんだろ\(^o^)/
「我」の扱いなんだと思いますけどね
世間的に言われる「成長」も「充実」もマインドフルネスとは逆ベクトルですから…
仏教系ならば瞑想のどこかに無我を担保する仕組みがあるでしょう
地水火風とか、慈悲の瞑想とか、、、
けれど、そうじゃないで入っちゃった人は中途半端なサマーディで引っかかるんだと思います
世にいうスピリチュアル神秘体験とは殆どがそこの引っかかりのことなのでは?
それは実は、エゴが足引っ張って
「スゲー体験だったよな、イエス様出てきたべ?奇蹟起きたべ?
オレは悟りだよ悟り、もう入る必要ねーよ、やめようぜー」
みたいに囁いてるんだと思います
何故なら、サマーディはエゴの死刑台だから
>>317 季節の体調とかは気づいて観察してればそれはそれでいいと思うけどね
あと感情とか
それは普通に観察としてやったほうがいいと思う
>>323 月の満ち欠けはともかく、支点分点は人生の流れが変わるんだよね
雰囲気や気持ちが変わるのではなく
まあ禅定からまだ一年だし、どのみちこのへんは様子見スタンス
いずれ外れていくかもしれないし
>>321 自分が好きになれない人が、好きになるのは難しいですね
僕もそうだったけど
けど不可能ではないですよ
>>326 第四図は別に変化したって良いんじゃない
その変化が本質なのではないとわかっていればね
あーそうそう、
捨てるとか手放すって、諦めて世捨て人になれって意味じゃなくて
それを含んで乗り越えるってことだからね
乗り越えたあとにどうするか決めればいいんだよ
メンタルやられてる人はまず身体がやられてるに過ぎない
自分は昔から元々そう考えていて
気分に何か出てきた時は身体のどこに何を感じてるのかを見てたんです
考え方は違うかもしれないけど、山下さんの観察の説明と同じ感じで…
何でこう似てるかな…(^_^;)
ちなみに、僕はそれをサティ、マインドフルネスとは思ってないです
突然緊張感や不安感でてきたとき
なんでだろと思ってたら
ただおトイレに行きたいだけだったということはよくある(/・ω・)/
腸は第二の脳とはよく言ったものだ
女性に関しても男性に関してもそうだけど、
他人にいい人の顔でいるような人をなぜかよく思えない不思議ってのはある。
卑屈なのかな、だったら悪いが
>>331 それはよくある
我慢してると言葉遣いも荒くなってたりして:D
>>333 どっちもじゃない?
だって、いい笑顔だなと思える人も居るでしょう
作り笑いで頑張っていい人やろうとしてるのはキツイでしょう
そのキツさに共感してみては
>>335 あー、確かにね。
そういえばあの人‥になるな。
可愛いんだよ?
でも、それだけね
あくまで他者への評価だから良いとか悪いとか思っちゃうわけで
自分もコッソリ、別の場所で同じ様な作り笑いしていい人してみたら良いんです
一人でも良いし、例えばネットやりながらとか
キツいでしょうそれって
で、そのキツさって別のどこかで自分もやってるはずです
イイ人ぶりってわけではなくてね
可愛いのになんか嫌だなと思っちゃうのはコレかー
と共感できたら気にならなくなりますよ多分
ある意味、他人の弱さを見つけたって思えばいいんじゃないかな
強かったら、表裏もないし(使い分けで?)いい顔なんかする必要はないしね
私は天使のような人を嘘だと思う。
職場で多少なりがさつを見せるくらいが可愛い。
作り笑いする人って苦手かも…なんかやけに目が漫画チックな弧を描いてるんです
😊みたいに。でも、色々あるんだなーと流せるようになりましたね。
ガサツな人は好きですね。生活感が出てて、安心できるっていうか
作り笑いはない方が良いね。
機敏に安心を感じる方が良いね
>>341 見た目も所作も完璧な人?
そういう同級生いた。お家もお金持ちで。子どもの頃、その人が直接手をくださないけど主犯のイジメを受けたことがあるよ。
でもその子若くして乳がんで手術したよ。
今は病気も乗り越えて結婚して赤ちゃんも生まれたけどね(*^^*)
人生は決して人が思うような完璧なものではないよ。
がさつなヒトは見ていて安心できるというのは分かる。
素でいるのが分かるというか。
ウサは割とがさつです。
>>345 マジかよ
根までお嬢さんだな。
乳がんは大変でしょ、病気だからね。
でも同情を得る病気じゃない
イジメを報いなんだよ、その人は
醜いエゴ曝け出してる奴らは龍樹学んでもう一度自分を見つめ直せ
>>349 うん(^_^;)ちょっと例えが違ったかもね
>>347 田舎戻って再開して病気のこと知ったときは
まあ、報いというか、きっとこれは報いなんだろうと思おうとしたんだけど
そんな病気にまでなってその子は苦しんでるのに、
子供の頃のこと思い出して、それでもなお許せなかったんだよね。
醜いのはウサなんだよ。
今は、それは決してその子が報いを受けたとかではなくて、
ただ、ウサが自分の人生に過去に起こって関わった人のその後を見届ける能力に長けている(?)だけだと思うんだ。
フルネスだからね
何を書いても良いが他人に共有できる内容にしよう。
>>311 今晩ですね
どんなんだったか後で教えて下さいね
帰ってきた『アップデートする仏教』オンライン第2回/1995〜2020 仏教3.0視点で見る日本仏教の25年
https://udb20201001.peatix.com/ ・平成に入ってスマナサーラ長老という黒船が、マインドフルネスと慈悲の瞑想の二点を日本にもたらした
・それまで、北伝日本仏教にこの二点は伝来して来なかった
・道元禅師も何故伝わらなかったのかと遺言で嘆いていた
・内山興正老師もこの二点を知らなかったため、行き詰まった
・一方で、テーラワーダは一重構造のため、パオでは千人中三人程度しか瞑想に入れない
・自分がパオで順調に最後まで行けたのは世界観が大乗二重構造だったことに後になって気が付いた
・大乗二重構造(1.0)でテーラワーダのメソッド(2.0)を使えば誰でも瞑想ができる只管打坐ができる
それがワンダルマメソッド、仏教3.0
>>330 コーチングもそんな感じかもね
(感情など)原因が感じているもの「そのものである」というのは「思い込み」で、違うところにある、基本は相手ではなく自分のエゴにあるという深堀りするよね。
それ自体はマインドフルネスやサティではないよね。けど定未満だけど苦しい人はやってみたらいいんじゃないかなと思う
3000円取るからアスペさんは怒り狂って参加しない
歩く瞑想なんですけど、どうして手を組まないと駄目なんですか?
今
現在は悟るための修行をするには絶好の機会ですよ
過去の様々な因果から我々は人間に運良く生まれました
その機会を活かして今は修行に専念するべきです
これから地球温暖化の影響で世の中は荒れるかも知れない
そんなに余裕はありませんよ
今が最善の時です
>>358 何処かに行くついでにもったいなから
歩く瞑想もしようとか
この場合は動作は結構早めです
自然な歩行に近いので腕を振ってバランスを取ります
早いためよく感じられるのは足の裏の衝撃や
腕を振る感覚など 大雑把になります
また人によって感じやすい感覚も違います
一方30分1時間
全力で歩く瞑想だけに集中しようって場合には
踵が付く感覚 足の裏全体に広がる感覚
爪先で地面を蹴る感覚
足首周辺が前に移動する感覚 などなど
とことん特定の部位周辺に限定して精密に観ようとします
この場合は動作を非常にゆっくり
というよりも精密に感じようとすると
自ずとスローモーションになります(少なくとも最初は)
この時には一歩一歩非常に慎重に進むため
腕でバランスを取る必要がなくなります
また腕を固定した方が
腕が振られる感覚を排除できるため
一層足だけに集中し易くなります
冬の期間に毎日1時間以上歩行瞑想をやっていましたが
大体500mで早くても45分
10m進むのに1分前後でした
腕をブラーンと振らずに下げっぱなしでも出来るでしょうが
振る訳ではないので
逆に不自然な感覚で違和感の方が大きいのではと思います
(個人差あり 色々試すのが良)
>>355 オンラインの申請してないので後日アップされてたら見るよ
>>356 外にばかり向いてる注意を内に向けていくということだからね
>>358 組んだほうがやりやすいというだけで
「でなきゃダメ」ということではないですよ
“I have arrived. I'm home. In the here, in the now”.
When you practice walking, you might begin by: "I have arrived. I'm home".
You take refuge deeply in your step. “I'm home”.
ティク・ナット・ハン、IPリトリート
わからないことでもシッタカしてレスしなきゃ気が済まない人
↑
※「反応してる」「妄想してる」など、単発他者評価レスで自己矛盾を人になすりつけるのはやめましょう。
※また他者批判のため「だけ」にレスをしないようお互い心がけましょう。
誰へのレスかわからないけど
ヨロシク
>>361 チケットまだまだ空きがあるみたいですよ
周波数が違いすぎて、もはや視界に入ってこない・・・。
これからオンライン化が進んでいくと、どんどんこういう傾向が強くなっていくと思うから、
いまのうちに大切な人との繋がりを確保しておいた方がいいね。
>>365 今日そんなのがあることもすっかり忘れてたんだけど…
ハマーンは残ったチケット売りたい運営なの?
>>368 別に...
ただ、仏教3.0も盛り下がって来たのかなと
>>370 盛り下がるどころか仏教3.1にバージョンアップなんじゃね(^^)
>>371 チケットの売れ残りが増えるだけなんじゃね
ここにも最近一瞥体験したひとが現れたしね
魔境を招くからあんまりエゴを刺激することは書けないけど、
そういう流れに入ってきてるのかもね(*^^*)
山下さんはお金の管理はどんぶり勘定だとどこかで聞いたか読んだよ
チケットが売れ残っても気にしないと思う
>>360 まだまだ歩くときに周りを意識してしまい
瞑想している気がしないんですね
まだ、気が向くときに少ししかしないし坐る瞑想ほど入り込んでいません
自分が落ち着いていられる体勢を身に着けたいものです
>>361 ちょっと悩んでしまいました…^^;
>>372 ハマーンさんにとっては仏教って売上で価値が決まるんですかね…
>>374 だろうねー
それよりも純粋にやりたいことやってる人だから
>>375 やりやすいやりかたで良いと思いますけど
一歩一歩、到着、ここがお浄土/我が家/約束の地、などと落ち着いていければ
それでいいと思います
>>375 目を瞑ればどうでしょうか
バランスが保てないようであれば、壁に手を当てて
>>375 歩行の瞑想の場合はそれはネックになりますね
非常にゆっくり精密にやる場合は部屋の中でもできます
といっても片付いているとかある程度の広さがあるとか
色々制約があるとは思いますが
座る瞑想中心なら歩く瞑想は
移動のついでぐらいの気持ちでもいいかもしれませんよ
自分がやり易い環境 方法が早く固まると良いですね
マハーカルナーさんは杖ついて目を閉じてやってたな…
仕事に集中しなさい。
嫌いな仕事、アルバイト
いいんだよ。
ブラックなアルバイトをして生きていた何年を消化していこう。
仕事に集中するんだね。
なにこれ
他人にいい顔してる人がムカつくって言ってるの、ハマーン北川カレーパンだったか
前にもマインドフルネス系スレで似たような愚痴書いてたよね、どおりでデジャヴ感じたと思ったわ
ムカつくってってことは羨ましいってことだから、自分でも他人にいい顔やってみたらいいんだよ
>>382 買えないことはないよ
高いって言ってる
『ダンマパダ』全詩解説―仏祖に学ぶひとすじの道 9900円
パーリ仏典 3-8相応部(サンユッタニカーヤ)六処篇II 14300円
以下略
仏教ヲタじゃあるまいしこれだけに何十万もかけられない
駒沢大近くの世田谷区中央図書館ならあるのかと思って検索したら無かった
地元くらいは寄贈したらどないやねん
山下良道解説のダンマパダなら五千円くらいは出すけども
片山一良の弟子とか言ってた人かな?
押し売りは良くないよ:D
>>376 ありがとうございます、とにかく少しずつ続けます。
>>377 別のいい体験が出来そうですね、自宅なら面白そう
>>378 移動のついで、隙間時間になっちゃいますね、今は
習慣化されてる坐る瞑想もこんな風に最初は苦労したので
長い目で見てますけど…
この人はちゃんと実践してる人
>>360 この人は格好だけつけてプライド守った気になってるだけ
>>361 この
>>360のレスはいいね
とくにこの部分は実践的だ
> 精密に感じようとすると
>自ずとスローモーションになります(少なくとも最初は)
>この時には一歩一歩非常に慎重に進むため
>腕でバランスを取る必要がなくなります
>また腕を固定した方が
>腕が振られる感覚を排除できるため
>一層足だけに集中し易くなります
ただ、これらの行を、どれ位の幅でやっているのか
ということが気になる
単に歩く時だけなのか、ってこと
それでもかなり良いんだけどね
ヨガの達人はテレビで検証してましたけど
瞑想中は脳波が変わりますからね
しかもそんなに達人でも無いかも知れない
あちらではそんな人は沢山いるのかも知れない
眠ってるのとも違うんでしょうね
たとえば、行のやり方としてはなかなか良いけど、考え方がより深く分かってないと
最期のところで上手く行かなかったりする
途中で挫折するか、行がより仙人的になっちゃう。
だから、逆にそうなるんだったら、歩行時のある一定時間だけ
集中するって方がいいかもしれない
本来こういう行は強制的、機械的にやらされるのがいい
僧堂とかで。
だけど今の時代自分でやるしかないわけだけど、そうなると、
行に自力的な力みがより多く入ってきちゃう
そこをどのように深い考え方で排除するか、調和させるか、ということ
ここら辺が上手く行かないと、行住坐臥の修行にならない
行住坐臥の行にならなければ、より深いものは得られない
自力的なものをより他力的なものにするには、より深いものが分かってないと出来ない
ここがミソなんだけど、ここをより深く洞察しようとする人はなかなかいないので
悟りに近いような人もほとんど見かけないよね。
足の裏が踏んでいる感覚、そこに全て預ける
息を吐いて、足を踏んでいく
そこに落ち着く
急がないで、そこに留まりつつ歩く
まず最初に意識してやるのはここまでだけで良いと思いますけどね
これを丁寧にやっていく
少し慣れたら
野外の刺激の中でやることなので、起きてくる感情などがあれば
それに伴って出てきている体感に注意を向ける、静かに、言葉を付けないで
その時は足を止めて、目を閉じても良いと思います
それがやがて消えていったら、自然と呼吸、足の裏の感覚に戻っていく
さっきよりも、呼吸も足の裏も鮮明に感じてます
そうして深く、歩行に落ち着いていく
そうしていくと全体のバランスが自然に保たれるようになっていくので
筋肉の動きとかは「気づこうとする」のではなく、自然に気づくようになる
そこでは二つの感じ方がある
これは言うと過剰に描かせてしまうからやめるたほうがいいか…
ともあれ「結果的に」細かく全て感じている
そうでなかったら、最初が不十分、落ち着ききってないということ
最初に戻る
そっちが本質的ですが、二重構造性が出てこないとほんとはそうならないと思います
なので、結果は焦らないことです
坦々と
そのためには無駄な力が抜けつつ、姿勢が安定しやすいのがいいので
手は後ろに組むのがやりやすいということです
>>396 力まず坦々と、やると決められてることだからやる、というのが良いですね
ダンマパダでは
とにかく座りなさいみたいなこと
書いてあるけど
スッタニパータはそんなに座りなさいみたいなことばかり書いてないですよね?
確かにお釈迦さまは瞑想はかなりしてたんだろうけど
そういうとにかく座りなさいみたいなのとも違う気はするんですよね
自力とか他力とか考えている時点で自力だからな
考えているのか考えさせられているのか調べたほうがいい
まあどっちでもないんだけど
本当は、歩行瞑想も二重構造になってないと上手く行かない
凡夫の自分では出来ない
マインドフルネスの自分でないと
けれど、ジャンプしてなくても
外の刺激のある中で意識を内側に向けていくという練習になると思う
訊かれてないけど、もちろん僕も歩行瞑想は仏陀です(^^)
けれど「俺が仏陀」なのではない:D
>>396さんの言いたいこともそういうことではないかと思いました
その仏陀は誰にでもいますよ
それは一度、エゴが落ちきらないとわからない
もっと話してほしいですか?:D
過去には「あたかも他力」などと形容してきました
なぜ他力ではなく「あたかも」なのかといえば、そこに覚めた意識があるからです
浄土真宗ならば、お念仏でも自分から渇望して頑張って唱えてもダメで
悪人正機で自ずと出てくる、それは阿弥陀様のお念仏
それが自分の口から出るんです
あたかも他力として
落語にある話ですが
富くじに当たって飲んだくれて帰ってきました
朝起きたらそんなの全部夢だったんだよ、と女房に言われて
真面目に働きに出ました
けれどお金は全部隠してあったんです
その女房が「あたかも他力」ですよ
あの話はとても良いと思いますね(^^)
悟ったと思ってもそれは酔っ払いの夢です
夢としたけど、本当はある
富くじに当たらなくても、誰にでも仏はある
しっかりした覚めた女房、ウペッカーにしかそのありかはわからない
その女房は既に仏なんです
テンプレにエゴを入れまくってる奴が何を言ってるのか
君は毎日そんなことばかり言われながら暮らしてるんでしょうね(T_T)
マインドフルネスっていうのがあるのでやるといいですよ:D
一人で勝手にルールを作って、他人に守れと強制する強烈なエゴの塊
それがアスペさん
本質は歩きじゃなくて坐禅だと思う
仏の自分は1ミリたりとも動かない存在。仏の動かない自分を中心にすべてが動くという仕組み。
身体は歩いたり走ったり動くかもしれないが、それは肉体という乗り物が動くだけ。
走る電車に乗れば動くのが電車であっても意識から見れば風景のほうが流れていくのと同じ。
歩きに重点を置きすぎると動かない自分がわからなくなるよ。
文字の知識としてしか知らないことを書く人をシッタカという:D
体験として知っていることを、用語を間違えるのはシッタカとは呼ばない:D
歩行瞑想ネタはまだまだあるけど
あまりいっぺんにあれこれ言っても野良さん混乱するし…
悪質単コロが復活してきたので止めとく:D
そうなんだよねー
単コロがシッタカで余計なチャチャを入れるから
せっかく分かってる人が書いても、おかしな方向に持っていかれるんだよなあ
お浄土とか言って、うっとりしている
うっとりフルネス
構築された物語の中の名称でしかないからね
そこに乗っかって、うっとりしているアスペ・シッタカダ尊師
君もK1ファイターになれるかも!?
1.覚者と自称するもの。
2.統合失調症の方
3.知育障害の方
4.認知症の方
5.ニートの方
6.その他(応相談)
障害を負いながら、また世間の冷たい目に晒されながらも惑うことなく己の道を邁進し掴んだ栄光、それが覚者の自称!!
ここに集え、自称覚者たちよ!
次のK1王者は誰だ?
m9 (`・ω・´) ビシッ!
バカムイはK1チャンプになる気満々の様だなw
錚々たるK1ファイター達!!
チャンピオン(暫定)
一撃必殺の毒舌漢 ポッタン(ひふみ)
智慧の声に導かれた闘士 鬼和尚
立ち上がる黄金の炎の男 ぽったん
問答無用のネグレクター 野良(出禁)
長野のファーマーキング 魚
木刀を振う狂気の増上慢 カムイ
スキンヘッドの異言使い 暇人
仙台のレイシスト包丁人 こじ(休場中)
30の人格を持つ操縦士 ホラフキン
知性に隠された欺瞞仮面 天空のシャウエッセン
龍神の謎を秘めた伝道師 和紙
次のK1王者は誰だ?
m9 (`・ω・´) ビシッ!
K1グランプリ審査員
栄進軍曹、ジャンキー大山、(その他募集中)
>>407読んでウットリとか言う単コロは意味盲人でしょ…
単コロは一言レスでもシッタカなんだよなぁ:D
ありゃ、なんだこのハンドル(^o^)
間違えて入力しちゃったみたい
あと、歩行瞑想ほんのちょっとだけ
半眼、後ろに組んだ手は手のひら上あるいは親指上にする
そうすると胸が開いて姿勢良くなる
素足が本当はベストだと思うけどハードル高いよね
靴によっては足に気が滞るからね
医療従事者用、工事用の静電防止サンダルや靴なんかは良いと思う
アスペさんのは全く読む価値ないけど
>>360さんの話は色々聞いてみたいな
>>398 >力まず坦々と、やると決められてることだからやる、というのが良いですね
まさにその通り。
ただ、一人でやるときは、この “坦々と” というところがまた難しくて、
日常生活のありのままをそのままにして、淡々と出来るかってところが問題だね
親鸞はそこらへん、素晴らしいやり方だったけど
>>397 ちょっと少なすぎるね・・
「他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものよ、幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ。」
スッタニパータ145 慈悲 中村元訳
他の識者とはバラモン教、ジャイナ教とかの事でしょうから、それは良いとして
ハマーンは仏教に「幸せ」という言葉はなじまないようなこと言っていたけど
中村先生はそう訳してるぞ(^^)
>>425 参考になれば幸いです(^^)
>>426 親鸞さんは歎異抄しか読んでない浅学なのですが
マインドフルに暮らすということはどのように説かれてますか
道元さんの只管打坐もまた坦々と、望まない、渇望しないで坐るものでしょう
典座教訓がマインドフルだというのはそうなんだろうけど…
己のエゴをテンプレに入れるような下劣な行いを決してしてはならない
公益性あるでしょ、お前以外のみんなにとっては
※「反応してる」「妄想してる」など、単発他者評価レスで自己矛盾を人になすりつけるのはやめましょう。
※また他者批判のため「だけ」にレスをしないようお互い心がけましょう。
>>401 光の中のマインドフルネスにも書いてあった、
「自分がしゃしゃり出ない」瞑想をするってことですかね?
マインドフルネスの自分って。
自分が歩行瞑想してるぞ!としゃしゃり出るのをやめたときに
ただそこに歩行がある…という風に歩くと。
一人で勝手にルールを作って、他人に守れと強制する比類なきエゴの塊
それがアスペさん
>>430 二重構造性の「俺」ではない方、もう一つの意識です
そこは頭でわかろうとしなくていいですよ
>>427 道元さんはそうですね、ただ座る、そこに分別を挟まない、
つまり、望まない状態ということですね。
永平寺の修行は、座禅と作務と作法によって成り立っていると
言っていいでしょうね
もちろん、お経を読んだりということもありますが
作法というのは例えば、ごはんの食べ方から、顔の洗い方、トイレの入り方まで
細かく作法が決まっているわけです。
修行者はただ坦々と作法を守るだけですよね
それによって常に今に意識が向かうわけです
どういう風に意識を向けるか(自力的)? ということより、作法が決まっているので
自然に今に意識が向かうようになってる
他力的ですよね
座禅もこれと同じで、ただ型を守るだけです
そこに自力的なものは挟む必要はないという感じで
なので、道元さんの只管の行というのは、自力的な関与を省く行
と言ってもいいでしょうね
>>424 何でも聞いてみて下さい
>>430 本を読んでいないのでホントのところは良くわかりませんが
これは話を慎重にしないといけません
しゃしゃりでないことは確かに必要ですが
本来的にそれは一瞬でいいんです
その一瞬を作るために色んな師匠や先生があれこれ
方法を考えてきました
その一瞬に向かって普段からしゃしゃりでない練習を
する方法もあるでしょうし
全く逆に大袈裟にしゃしゃりでて
それが余りに徹底しているため
もうこれ以上しゃしゃりでれない...
あっ.......?!‼︎
っていう方法もあります
前者は最初から理想のバッティングフォームを動画で見せ
力を抜いて脱力した時に最高の力が出る
と教えて導いていきます
後者はとにかくバッティングをさせて疲れ果てさせ
余計な力が抜けた時の自然なフォームを教えようとします
この違いは本質的なものではなく
どちらかというとテクニックや方便の部類に入ります
色んな考え 方法があります
どちらが合うかは個人差が相当あります
>>427 親鸞の教えなんですが、まず、念仏というのは
行住坐臥の行なんですよね
ある一定時間やればいいってことじゃなくて、行住坐臥唱えるわけです
唱え事に意識が向かうのも、座に意識が向かうのも、同じ今に意識が向かうようにしてあるで、
完全なマインドフルネスとも言えるわけです
念仏は一度でも唱えれば救われることになっているので、自分が救われるために唱えるものではない、
というわけですよね
ようはここでも自力的なものが排除されるわけです。
どんな不幸が出ても、不都合が出ても、もう阿弥陀様が救ってくれることは確定しているのだから、
全て阿弥陀様に任せればいい
あとはただ念仏をしていればいい、阿弥陀様を称えていればいい
ということになるわけです
いろんな不幸や想いが起こってきても、それと念仏をはっきり分けているんですよね
分けないと、不幸が起こった時に、阿弥陀様助けて〜、ナンマイダブ助けて〜、ってなっちゃう。
これでは分別の世界、自力の世界の一色になっちゃう
彼岸の世界というか、マインドフルな世界が消えちゃうわけです
阿弥陀様のお念仏が口から出てくるというのは、まさに、分別的な想いの世界の自分と、
マインドフルな世界とをはっきり分けているということですよね
分かれてあるから、想いの世界、分別の世界でどんなことが起きようが、それはそのままで関係ない
マインドフルな世界には影響を与えない
だから、そこに関与する必要はないわけですよね
自力というのはそこに関与しちゃう
どうしても反射的に関与しちゃう
だから難しいんですよね
>>434 「…」と濁したのは
形を守るのがマインドフルだというのは、ちょっと違うと思うからなんです
どうしてその形になるのか、というゲシュタルトが得られることがマインドフル
だと思いますし、個別の動作に何らかの気付きがあっても
それは結局のところ坐禅でしか統合されない
逆に、道元さんは悟りの立場から話してる
充分にマインドフル(不忘念)であったならどの様な道具を使う時に、そのような形になる
ということを仰ったのだろうと思うんですけどね
>>436 お念仏、本願というのは思わず口から突いて出てくる南無阿弥陀仏のことで
それが一度でも出たら浄土確定という事だと思いますけど…
凡夫として進退窮まり、悪人正機が起きる
阿弥陀様への帰依からあまねく衆生の救済のために、一度お浄土に渡る覚悟が出来る
その時に、南無阿弥陀仏が出る
これは他から指摘のあった「ウットリ」ではなく絶望の非常に覚めた意識でなされる筈ですよ
そこで、僕らの言ってる「ジャンプ」が起きる
即ち、観察主体の変更です
凡夫(色)たる自分から見ていたことが、阿弥陀様たる自分(空)から見える
親鸞さんは「あなたが阿弥陀様だよ」とは仰らなかっただろうけど
それは「俺」=阿弥陀様と勘違いする危険を避けるためでしょう
この様に言うと、ジャンプが悟りの様に取られそうなんですが
テーラワーダでいうと初禅ですから、悟りではない
マインドフルネスの本番が始まるところです
お浄土にウットリではないね
むしろ地獄に落ちる覚悟というか、地獄に落ちる諦めの末、気がつけばそこがお浄土への入り口であった
あと、マインドフルであること、マインドフルネスには形がないんです
ここは絶対に重要です
坦々と、はもちろんそうなのだけど
只管打坐の「仏」も、本当は形がない
阿弥陀様も、本当はアミダーバ=無量光であって形ではない
日本仏教は行住坐臥を形でなくマインドを取り戻さないとならないでしょう
既に伝統に伝わってるものを正としてそこに丸める形でマインドフルネスを
理解するということだと、またオウムみたいな異端が現れた時に持っていかれます
これは社会全体の深刻な問題ですから
日本仏教の方には山下良道さんの話を聞いて頂きたいです
あそこには、日本仏教として無矛盾にテーラワーダもマインドフルネスも飲み込んでしまう智慧がありますから
念仏、坐禅といったミニマムな修行で
「(他に)何もしない」ことを坦々とする
行住坐臥は坦々とというよりマインドフルに慈悲を以て(不忘念)
こうだと思います
そこにジャンプまで、ジャンプから
両方ありますね
>>437 道元さんに関してですが、念仏と同じで、ただ座る、というところに
マインドフルな世界があるという解釈なんです、自分的な
もっとも、一方の世界では、いくら型を守ったって、マインドフルになれない
凡夫の自分がいるわけですよね
でも、それとは別に、座という型を保ってる自分は、仏性そのものであるというか、
凡夫の自分と仏性の自分とが、ハッキリ分かれてるわけです
念仏もそういう感じで、自分が意識的に唱えようとも、それは
仏性が唱えている・・ という感じ
だから、表面的に唱えてる凡夫の自分と、中から唱えている仏性的な自分とが
分かれているわけです
悪人正機というのも、分別や我の想いに染まった凡夫の自分が悪人ということで、
だからこそ、この悪人と仏性的な自分を分けられるわけですよね
ところが、善人になるための修行・・ これは言ってみれば、自力によって我慾を克服しようとか、
分別によって、凡夫の自分をなんとか善いものにしようとしている人たち、
こういう人は悪人たる自分を捨てきれないわけですよね
一向に仏性的な自分の方へ向かわない
座禅の座という形を守ること自体は、即マインドフルということにはならないですが、
座という型をとっている自分というものは、その奥の仏性から来ていると言えるわけです
だから、歩行のマインドフルネスも同じで、歩行に意識を向けているのは凡夫の自分と言えますが
一方で、それを行っているのは、仏性的な自分が行わせしめている
最初はあれやこれやと考えているが、そのうちそれが剥げてきて、中から仏性が現れてくる・・
という言い方も出来るのではないかと
この二つに分かれているというのが要だと思うんですよね
>>440 マインドフルネスに型がないというのはその通りだと思うんです
どのような状況でも、意識を今に向けることができる
だからいろいろなやり方があるわけですよね
座禅というのはその中の最も効率的なマインドフルネスだったと思います
型を守ることによって、あたかも型に鎖を繋がれたもののように、悪人である凡夫の自分が
どのような状況であろうとも、必ず意識は型に還ってくる
逃げようがないわけですよね
自然に今(型という現実)に引き戻されるわけです
マインドフルという用語は、心(意識)が満たされている状態、ということだと思うんですよね
では、どこで満たされている状態かというと、それは今ですよね
今に心が満たされている状態
通常は今に意識が満たされてないわけです
だから、今に意識を向ける必要があるわけですよね
そのためにいろいろな手法があると思うんです。
良道
お箸の並べ方も全部決まっている。禅寺の生活というのはすべて立ち居振る舞いを徹底的に指導されます。トイレのドアの開け方からして。そういう修行はなんのためかというと、実は「マインドフルネスを養うため」。
『アップデートする仏教』より
禅寺特有の厳しい作務の日々は、坐禅などの静的な瞑想だけでなく、あらゆる場面で気づきを活かす日常の瞑想の基盤となった。またこの時期に師から授かった、日常の正念(マインドフルネス)修行の指針を偈でしめした「毗尼日用切要」は、こんにちよく知られるようになった彼の様々なオリジナルの偈の原型となるものだ。
沙弥時代に、部屋に出入りするときのマインドフルネスを指導されたというエピソードがある。言いつけられた用事を済ませて気がゆるんだ彼の荒い振る舞いを師に指摘され、「歩く瞑想でドアに近付き、マインドフルにノブに触れ、扉を開けて出ていく」こともまた大事であると、つねに気づきを保つことを教えられた瞬間でもある。
「ティクナットハンの軌跡」より
>>444-445 このスレの「禅定がマインドフルネスのスタート」というのを真に受けると、
トイレに入る前に禅定に入れや糞が、ということになるのかな
サマディにこだわると、サマディのない人を排除するようになるけど
それは指導経験も実績もない素人の証拠だよね。
出家者は別だって前から言ってるでしょ
なんで勝手に解釈してんの?
北川はトイレのドアに触れるときに気が緩んでいたら家族が注意してくれるとでも?
>>443 > ところが、善人になるための修行・・ これは言ってみれば、自力によって我慾を克服しようとか、
> 分別によって、凡夫の自分をなんとか善いものにしようとしている人たち、
> こういう人は悪人たる自分を捨てきれないわけですよね
> 一向に仏性的な自分の方へ向かわない
そうそう、そうなんですよね
だから「向かう」ということは出来ない
元々仏性はあるけれど発見していない
修証一等という捉え方で良いんだけれど、ジャンプしないとその意味はわからない
>>444 元来はそういうものだろうという話なのはしているところだからね
>>447 それは排除されたという君の被害妄想
そこに入らないと言えないことを、文字知識でモリモリ語るのは良くないよ
と言っている
いい加減日本語通じてもらえません?
>>448 出家在家なんて関係ない
できうる限り日常も瞑想として捉えるのがマインドフルネス瞑想
この人
>>435 はそうして過ごしてる
>>452 その人は禅定ありますからね
あなたにはない
>>453 禅定あるなしを関係なく日常も瞑想とするのがマインドフルネス瞑想
日曜語通じないのかなって何?
無色界と第四禅定の位置関係が分かった気がする。
無色界はウペッカーに至った人へもれなく贈られる宇宙旅行みたいなもの。
だから色界四禅より無色界のほうが深く高次元、高段階、ということになるんだろうけど
肉体がある限り、どんな宇宙飛行士も煩雑な地球に戻ってこなくちゃならない。
宇宙は見てきたけど、やっぱり地球の他のあらゆる生命と苦しみなく暮らすにはウペッカーが絶大に影響を及ぼす。
涅槃がどこにあるかというよりも涅槃を何処にするかということだろうね。
うん、無色界ってかなりしょうもないものだよ
なんであんなものを目指す人がいるのか理解できない
四念処経が説く瞑想法はどれもが、〈気づき〉を途切れさせないよう一日を通じて活用できます。
ティク・ナット・ハン
『ブッダ〈気づき〉の瞑想』
「修行者は前へ進むとき後ろへ戻るとき、その前進・後退にくまなく気づく。前を見る、後ろを見る、かがむ、立ち上がるときに、その動作にくまなく気づく。法衣を身につけるとき、托鉢の器を携えるときにも、くまなく気づく。食べる、飲む、噛む、味わう、このすべてに十分な気づきを向ける。排便わ排尿の際にも、十分な気づきを向ける。歩く、立つ、横たわる、座る、寝ても覚めても、話すときも沈黙するときにも、あらゆることを気づきの光で照らす。」
『サティパッターナ・スッタ 四念処経』
それ真剣にやってないでしょ、君は
禅定に入ったことなく、本当に途切れず四念処の観察をしようとしたら、
出来ないことを認めなければならない
それを出来た、わかった事にしてしまえばずっと勘違いのまんま
ティク・ナット・ハンは禅定に入ってからやれなんて言ってない
これらによって禅定を養うと言っている
やるなとは言ってないよ、昨日が一昨日その話したよな
観察として
本当に四念処の観察をよくやったら
自分が如何に不完全極まりないクソ凡夫であるか思い知るよ
「これほど世界は完全なのに、不完全なポンコツ凡夫たるこのオレなんかやることなすこと何の価値もない…」
みたいな感覚(考えではなく)に支配されると思うよ
圧倒的な絶望感が出てくる
だからジャンプするんだよ
だから、絶望とかジャンプの話題を嫌う人はまともにやっちゃいないのがモロバレなのね
ティク・ナット・ハンの場合はベトナム戦争という強制的な絶望を味わわされて
それを乗り越えることで養ってきたことだから
彼自身は書いているとおりにやったんだろうことは全く疑わないけどね
しかし、平時に平和ボケしてるお前やなんかがそのまんま言葉通りやったからって
同じ様になるわけがないじゃないか
同じ様になるのだったら、僕だって山下よりもタイの言ってることの方に重心を置くよ
その方が話しの通りが良いんだし
そもそも、そうなってるんだったらお前に話が通じないわけないし
>>470 観察というのは良いと思うけど、瞑想にはならないね
目を瞑ってないんだし、途切れずになんか出来ないんだったら
>>471 目を瞑らないと瞑想にならないなんてことはないでしょう
ベトナム戦争と瞑想の時系列の話は、いい加減な思い込みから言ってることだろうし、サティパッターナ・スッタにベトナム戦争は関係ないのでほっときます
>>472 君がそう思い込んでるというだけで、それ以上の反論はないわけだね
>>473 なにが、とは言えないのね>いい加減な思い込み
それとサティッパーナスッタとか修行者向けでしょ
>>468 > 468 神も仏も名無しさん sage 2020/10/03(土) 13:54:52.16 ID:xOsKfFq7
> ティク・ナット・ハンは禅定に入ってからやれなんて言ってない
> これらによって禅定を養うと言っている
それ自体は別に間違ってないよ
でも君は養われてないわけだよね
>>474 歩行瞑想を目を瞑ってやりますか?
このスレで、やってみれば?と言ってた人もいるような気はしましたが
ティク・ナット・ハンがベトナム戦争を体験したのと、四念処経で修行した時系列のことですよ
メディテーションなどの単語を「瞑想」と安直に訳してしまっただけだろうけどね
ともあれ、やってから言えと言う話だ
被害妄想とシッタカしていないでさ
>>476 半眼だね
眼をつぶるときもあるよ
>>477 目を瞑って歩行瞑想をやるとこもあるというだけの話なのでは
坐禅も目は瞑らないですよね
>>475 俺は養われていなくても、ドアの人はこの修行方法で養われてまくったわけでしょ
>>476 > ティク・ナット・ハンがベトナム戦争を体験したのと、四念処経で修行した時系列のことですよ
相当なア○ペなのかなこの人は…?
あの戦火の中、怒りと苦しみを乗り越えた智慧として慈悲、マインドフルネス
ということを説いてるわけだよ彼は
そこに彼の説得力がある
それまでも四念処経なんて当然やってると思うが
それ以降だったとしたら、四念処よりも重要な修行があったってことじゃないか
何でそう近視眼的、話の全体が見えないの?
>>478 どのみちジャンプしないと難しい話であることに変わりはないな
何だろうこの知的障害者と話してるような感覚…
>>481 それは物語性を利用したコピーとか宣伝文句的な意味での説得力でしょ
自分がそうだったということを他人にも当てはめるのは自分の記憶や過去の経験への執着が残ってる証拠
その執着が抜けたら自分にとってはそうだったというだけで他人がどのようにして何がどうなるかはわからないとしか言わなくなる
>>482 瞑想の難易度の話ではなく、瞑想をする時には目を瞑らなくては瞑想にならないというあなたの主張を検証してるんですよ
大丈夫ですか?
>>487 > 瞑想の難易度の話ではなく、瞑想をする時には目を瞑らなくては瞑想にならないというあなたの主張
え?そんな事言ったつもりないけどね
君の頭の中の検証したら?
目を瞑るから瞑想と呼ぶのだし、四念処や歩行瞑想が本当に瞑想になるのは
ジャンプしてからだという話をしてるぞ?
ほんと、話通じない
つまり、瞑想になったことがない人
>>488 この
>>471 目を瞑ってないんだし
↑
これは何ですか?
>>489 瞑想中に目をあけてやるのも閉じるのも好きにしたらいいみたいなことを、あなたの好きなラリー・ローゼンバーグが書いていましたよ
そんなこと論点にしてる時点でダメダメなのよ
>>492 瞑想になるなら良いんじゃないの
いくらやっても無駄
君の執着を満足させてやることは僕には出来ませんよ
>>493 お前は瞑想が出来てないと言いたいだけなんですかね
>>495 いいや、自分が出来てないこと、わからないことを論点にするなと言ってる
だからそうやって素直に相手のレスを読めなくなってるでしょ
>>496 素直に読めなくなってるのはあなたなのでは
瞑想なんか最初は誰だって出来ないことは書いてるわな、さっき
だから瞑想にならないことを指摘してマウントするとかは意味がない
しかし、瞑想になってない人が、なってないと言えない話を論点にするなら
それは止めたほうが良いから止めろと言ってる
君自身の瞑想がそこで進まなくなる
>>498 瞑想になっていようがなっていなかろうが、日常を瞑想修行とする方法論があることはわかってる
だからそれはあるという話をしている
>>500 だから?
>>469のレス読み飛ばしてるよね君
>>501 読んだけど、話の流れに関係ないことを突然言い出したから、脳内で戦いが始まってるんだろなと思っただけですね
>>502 そこじゃないんだけど??論点ずらししないでくれる?
>>503 あなたの脳内の執着がどこにあるかなんて知らないし関係ないすよ
>>469の後半は関係なくないですよ、全く
それが禅定を養うという言い方をしても良いだろ、って話なんだから
君は実際を知らないから話がつながって見えないだけで
>>468 > 468 神も仏も名無しさん sage 2020/10/03(土) 13:54:52.16 ID:xOsKfFq7
> ティク・ナット・ハンは禅定に入ってからやれなんて言ってない
> これらによって禅定を養うと言っている
>>504 いいや、
>>500へのレスはすでにしてあるという話なので
君がろくに日本語を読めてないだけ、という話
>>505 後半というのは、絶望やジャンプの話題を嫌うとかいう部分ですか?
よく読んでそう思うなら君にレスしても無駄だろうなぁ…
「だから、絶望とかジャンプの話題を嫌う人はまともにやっちゃいないのがモロバレなのね」
という部分が
「それが禅定を養うという言い方をしても良いだろ、って話なんだから」
からかかってるように読めてしまうのかねぇ…?
日常を瞑想とする修行方法があるということを言っただけなんですが
素直にレス読む気がないことがハッキリしたね
ケンカしたいだけみたいなんでNGしますわ
ID:1mkWcidwさんとのやりとりを見ればわかると思うが
日常にマインドフルを心がける、よく観察するということは肯定してるわな
今日もその話をしたところだが
ティク・ナット・ハンはそれが禅定を養うというのだから
何故そう言えるのかも説明もした
まともに話できる人が来るまではスルーしますわ
ちなみにティク・ナット・ハンは
身体に対する観察と気づきの練習で、一つひとつの動作の気づきを保つことによって、禅定を養うことが出来ると言っている
>>432 頭で分かろうとするんじゃなくて、後で気づけばいいのかもしれませんね
>>434 作法を決めてしまうというのは、生活面でも活用できそうです
>>435 前者は理想の形に合わせて体も心も委ねてしまう、
後者は自分に合った形を死に物狂いで探して力尽きて脱落したときに出る形・・・
私は五感をフルに使い出来るだけ感じるようにし考える隙を作らないようにすると
しゃしゃり出ないかな、と思いましたね
>>516 どちらになるかは自分では決められないですよ
動中の工夫は静中に勝ること百千億倍す
白隠慧鶴禅師
お師匠さんは坐る瞑想できるし、その弟子たちも出家弟子だから毎日
朝から晩まで坐る瞑想やってる。
それを前提として動中云々を解釈した方がいいのでは。
一般人の大乗仏教解釈は、貪瞋痴の肯定になるか
悟り・解脱しないことの正当化か、どっちかに必ず逸れるからな。
>>515 そう、後で必ず気づきます
想像しすぎると良くないんだけど、、、
自我的な意識が雲だとするなら、青空の意識が出てくる
雲は青空の一部だけど、雲からは青空は見えない
青空からは雲も青空も見える
そういうもんです
【大川隆法の孫/大川隆一】忌文字「隆」の恐怖
https://matomame.jp/user/1_li_84o0/95b4725ec213c10874cd 「隆」=刑罰など、社会的に抹殺され易い、という暗示あり。
「一」=吉と出るか、凶と出るか、良くも悪くも、極端から極端に転げ落ちる暗示あり。
瞑想するたびに、思い出さなくてはなりません。
「私は何かをしようとしているわけではない。
私はどこかに至ろうとしているわけではない。
私は以前に経験したことを経験しようとしているわけではない。
私はただ、いま起こっていることに気づいていようとしているだけだ」
ウ・ジョーティカ
「エゴのない状態」は未来のどこかにあるものではありません。
それを目標にすることは出来ないのです「エゴのない状態」も「さとり」も目標にすることは出来ないのです。
「さとり」を目標にすることは出来ないのです。「目標」というのは暗に未来を意味しているからです。
エックハルト・トール
そんな事言ってるから未だに何もわからないんだよハマーンは
意味盲人の失うものは大きい 永井均
ほんとだね:D
あるよ
頭に描いたマップで目指してるハマーンには無理だと思うけどね
アスペさんは、いちいち汚い言葉で煽りを入れないと気が済まないのな
>>534 必要充分だね
お前は人がどうかばかり言ってるが、それがワーワーなんだよ
いい加減気づこうな
そもそも僕は自分のやったことと、自分にも向けて言ってること
そればかりしか言ってない
>>538 良道さんは、身体がトランスフォームすると言っているけど、あなたの場合、インストラクションのどの辺りで(何分くらいで)、どんな風にトランスフォームするの?
わからないから聞いています。
https://www.onedhamma.com/20-07-26/ 他人の瞑想の時間まで聞いてどうするの?思い描きをするだけでしょ!
あなたはあなたの瞑想すればいいだけ!
>>540 この前言った通り、僕は一日中微炭酸だから…
そんな事訊いても君には何の足しにもならないと思うよ
>>542 微炭酸から強烈にトランスフォームするのでしょ
良道さん曰く
そのトリガーはどこ?
トリガーはやっぱり無条件降伏ではないかな…
自分は「強烈なジャンプ」その時その場所ではメソッドなんかなかったからね
うん。そうだね、無条件降伏だね
ウサもその瞬間まで修行も宗教もスピリチュアルもやってなかった。瞑想はできなかったからすぐにやめたし
やっべぇ
なんでちゃんねる辞めようと感じはじめたら楽しくなっちゃいましてなんでかな
>>547 僕も宗教的な知識とかは全くなかったな
「強烈」なというから思い出した
>>546の時のエグいやつは二回目のジャンプ
詳しく言わないけど、最初のジャンプは強烈というか鮮烈な感じ
この時は慈悲の瞑想を発見してるのでメソッドはあった
まあこの時も無条件降伏だったからこそ、そこまで行ったのは間違いないよ
しかし、そんなに何度も絶望する僕の凡夫人生ってどんなんだ:D:D:D
おとなになってからのジャンプはそんな感じ
子供の頃のプチジャンプなら鮮明に覚えてる事はある
永井さんの話はどっちかと言うとこっちだと思うんだけど
ウサはそういうのあった?
>>550 子どもの頃とか全然なかったよ
幽霊や神秘的な存在はめちゃくちゃ信じていたけどね。周りの女の子もそういうの信じて楽しんでた部分はあるな
ただ小6のとき、他校と合同の林間学校で、他校の児童であるはずの人の存在があとにも先にも一人消えてる経験はある。
詳しく調べたら勘違いだったのかもしれないけどね(^_^;)もう確かめようがない
まず無条件降伏して、最初の禅定と次の禅定の間に一つ絶望、無条件降伏はしたけどね。
あと、修行的なことがあるとすると
10年くらい前に「真理が知りたい!」と思って
普通、単なる常識としても、真理は宗教や哲学で見出すものなのに、そこには全くたどり着かなくて、別の学問に「真理があるに決まってる!」と学び始めたんだ
だけどその学問も初心者だから最初は教科書を書き写すようなことをしてたんだけど、一心不乱でやってて写経みたいになっていたw
写経もサマタのような役割になってるのだろうね
あと、信じる者は救われるw
>>528 ー
>>546 間、無限ループ
#system error
最近瞑想中に寝落ちなのか起きてんのかわからない状態になるんだがこれは寝てるのかな?
眠たさは全然ないんだが勝手に意識が落ちる
知覚の対象と知覚作用がなくなってく状態ですかね
外界を対象としなくなると内面が対象となるので起きているままで夢のようなものが見えたり
夢も見えなくなると起きているだけで何もなくなっていきますね
>>552 そういうのだと、たまに友達からも聞いたことあったな小中学生の頃
「みんなと遊びに行ったことのある素敵な場所」というのがあって
みんなでそこにもう一度行こうとするんだけど、そんな場所は物理的には見つからなかった…
とかね
>>553 二度の無条件降伏が割と短い間に起きたんだね
僕は二度目は大分後だったけど
勉強は、アタマでわかることで丸めてしまわなかったからジャンプしたんだろうね
>>554 システムエラーの外に人間が居る
>>555 呼吸はどうですか?
>>555 禅定に入る兆候とも聞いたことあるよ
ウサも経験ある
そんなときはもう少し瞑想を続けてみたらいいと思う
ハマーンが外に出ない限りループでしょう
だから、ジャンプしないかなぁと心待ちにしてるんだけど
プラユキさん、一照さん、魚川あたりの言うことはアタマでわかったつもりになりやすい
それが罠なんだけどな
ハマーンのアタマを尊重するとしても
理解でどん詰まるところまで真剣にやらなきゃダメだぜ
内山老師は入門した時に澤木老師に言われたんだよね
「お前の小さなアタマでどうにかなるもんじゃない」
って
それは病院に行ったほうがいいですよ?
脳の検査を勧めます
ただ座ってるまま動いてないなら
身体のコントロールは意識が無くても出来てるんですね?
サイババはインドでは聖人だが
日本ではイカサマ手品師みたいに思われてる
手品がバレても信じる人は彼を信じる
そして、彼が聖人であるということは奇蹟(手品)とは関係がないんだ
サマーディが深まれば歯の痛みとかは感じない
ズッキンズッキンしててもね
どんな感受も痛み苦しみから離れる
>>522 そうか、青空からも雲が見えるのか。
青空からみた雲と、雲が見た雲はどんな風に違うのか
あとで気づいてみたいですね。
微炭酸て、なんですか?
一応一法庵の音源にもあったので後で聞いてみますけど・・・
>>565 雲が雲を見るのは簡単ですよ
反応に反応してラベリングしたりするのは「雲→雲」の働きだし
これはよくよく考えてみると必ず矛盾が起きてる
けど、知識入れすぎると自分を騙してしまうことがあって
気づくことが出来ないまま、矛盾してないかのごとく信じてしまう
ここが瞑想の罠なので…
さらに深い罠があって…長くなるので止めますけど
なので、あまり理論的にスッキリと頭でわかってしまうことを目指さない方が良いです
まあ、アーチャンチャーとか山下良道に(わからないなりに)食らいついて行けるなら
そんな安易な誤解はしないと思いますけどね(^^)
呼吸は止まってない
突然夢見てるような骨董無形な妄想だか幻覚だかがおこる
寝落ちのような、そうでないような、、、
>>557 二度の無条件降伏ってなんか普遍的な現象なのかな?
確かに2度目は生滅、原因を見たのだ。
>>566 微炭酸は微炭酸です(^^)
シュワシュワってなってる感覚
ところで
ウィルキンソンだと強炭酸が売りだと思うけど(^_^;)
そこを突っ込むのはヤボというものかな:D
>>568 それらは掴まないで流せてる感じなんですね
見えたと思った次の瞬間くらいには意識飛んでるから掴めも流せもできてない
>>569 そこはそれ以上詳しくは言わないほうが良いと思う(^_^;)
二度というのはどうなんだろうね?
僕は間がかなり開いてる
一度目でハッキリした光で、後にパオの本にある通りだったと知ったけど
そこで喜悦も軽楽も一度捨ててるんだ
喜悦はこれは僕的には得体の知れない現象だったから「私のものではない」なんだけど
その後、時々間違えて軽楽は掴んでいた、ちゃんと捨てることもあったけど
それが十年くらいあって、からの、二度目
>>572 とは言え失神ではないんでしょう
慈悲の瞑想はされてますか
ジャンプというのは意識が飛ぶと表現することも出来るんですが
そこに(別の)明晰な意識は残ります
その別の意識には慈悲喜捨があるので、そこにしっかり留まれるならば
上手く言ってると言えると思います
ただ、どういう瞑想をしてるのかわからないので断定しませんが
一度身体に意識をしっかり落としてからでないと、気が頭に上ってしまうこともあるので
そこから意識飛ぶようだと危険かもしれませんし…
>>572 意識が飛んだ時、時間はどれくらい経ってる?
一瞬なのか、一瞬と感じてても、時間がかなり経ってるのか
失神ではないと思う
時間は、、数秒から数十秒だと思うがわからない。時間は気にしないようにしてるからはかれない
失神でない根拠は、突然ではなく、集中力が高まった瞑想中盤以降でしか起こらないから
神秘的な体験をすると、多くの人がその体験に魅了されてしまったり、自分は特別だと勘違いしてしまったりします。
禅の世界には「魔境に入る」という言葉があり、エキセントリックな瞑想体験にとらわれることを強く戒めています。
どんな体験も淡々とありのままに受け止め、常に呼吸に意識を向ける。ただ「今」に気づいている。これが、正しいあり方です。
山下良道
>>577 目は閉じて瞑想してる?
それとも、目を開けたまま?
>>568 >突然夢見てるような骨董無形な妄想だか幻覚だかがおこる
これは、不可抗力的な感じがする?
止められないというか、自分が集中しようと思っても、
勝手に湧いて出てくるというか
>>579 北川カレーパン麻子さんは神秘的な体験をした人に羨望からチャチャを入れないよう気をつけてください。
ちなみに今話されてるこの方からは勘違いとかではなく、淡々としたものを感じますね。
>>555 三昧に入ってる可能性もあるけど、ここまでの内容だとまだ何とも言えない
もし三昧だとすると、大したものなんだけどね
瞑想だけでここまで来るということは、相当やりこんでないとダメなんだけど
もうちょっと詳しく聞いてみないと分からないな
まだ瞑想始めて2ヶ月くらいだからそんな高尚なものにはまずたどり着いてない。
カッシーナ使ってるから、瞑想経験少ないのに上の領域に行き過ぎてんのかな?
意識飛びそうだなーと思ってから一度朦朧となり始めると突如来る妄想みたいなフラッシュは抑えられない。反応もしないけど
器具使ってる場合は同じの使ってる人に訊いたほうが良いかもね
そういうのは知らん
それより和紙怪しいな
北川カレーパンの自演じゃないの?
瞑想じゃなくてもまだ起きてる間でも寝入りの入眠時幻覚はそこそこあることだし
意識はしっかりあってもボーっとしてると一瞬何してたか間が抜けることもまあまあある
瞑想で知覚作用が対象に向かわなくなった瞬間に抜け落ちるのはそこそこよくあることだよ
それを繰り返していくと抜け落ちず対象を知覚したまま知覚対象と知覚するということに捉われなくなっていく
そう、呼吸瞑想ならまずそこだけどね
カシーナっていうのは光が点滅する機械だから
それ使ってどうなるのかは知らん
4 優しい名無しさん (アウアウカー Sa37-X6UQ [182.251.192.92]) [sage] 2020/10/05(月) 22:04:38.21 ID:cPgfp7Xza
ふとした時に隣に一人で運転している人をみかけるのが、
それを見たらホッとする、
羨ましい妬ましい気持ちが沸かないのが、本当のパートナーシップだと思います。
女性男性問いません
>>584 ゴーグルみたいなもので、色彩映像を見ながらってことなのか
そこらへんはちょっと分からない
魔境なのか、高い境地の一種なのか、ちょっと判断出来かねるね…
まぁ、こんなスレ見てまともに受け取ってたらロクなことにはならん
三昧に入っていたら、欲界不善心が抑制されて、色界浄心だけが前面にでてきているはず
だろうから、必ず心が清められるような感じが伴うはず。
>>594 今回は浄められて落ち着いたと言うのもあるが強烈に頭痛と倦怠感がきた
阿頼耶識みたいなもこから過去の変なもん拾ってきてるのか?
常識的な意味で、しっかり健康面のケアだけしておけば、あまり
気にしなくていいと思うけどね。
ジャッジになるから言いにくいけど
変な道具使って瞑想しないほうがいいよ
何らかの状態が現れるにせよ状態が消えるにせよ、それらが気になるのは状態という対象の違いを気にする自我が形成されてるからで
状態という知覚の対象側ではなく状態が現れるベースの側がハッキリしてくればそれらはどうでもよくなる
>>595 ごくごく軽い禅病(精神病)みたいなものだと思う
ヨガだと勝手にやるとクンダリーニ現象とも言われたりする。
阿頼耶識とかは皆にあるものだから考えなくていい
もしウサの見解が違って、高い境地だったとしたら、心配しなくてもそのうち自然とまたその境地に戻れるし。
>>582 色んな意味で勘違いしてるのはウサさんですね
>>600 バレたからって工作しなくていいですよカレーパンさん
>>601 それ、マインドフルネスからほど遠い言動の代表格だと思うけどね。
>>593 この人はマインドフルネススレに長年巣食ってる荒らしっぽいね
前に居たんだよ
自分の話を一切しないで、ただ叩きだけに長けてるヤツが
>>602 え、どこが?
それにマインドフルネスって他人がマインドフルネスかどうかをジャッジすることじゃないですよ
あなたこそマインドフルネスじゃないって証拠ですね
>>683 そう、地縛霊
ID二つで、別のID二つを単発で転がしてるのを確認してるよ
いっぺんに出てきて全部消える
僕はカレーパンさんなんか知りませんよ
最近にこのスレを見始めただけだしね
ウザイさんはアスペさんのせいで病状悪化しまくりの被害者
ハマーン北川カレーパンマンとかが中途半端な知識で批判してるような状態だからね
和紙が書いていたことは
だから自演なんじゃないの?と疑われてもおかしくないんだけど…
でも、違うんじゃないかな…
http://hissi.org/read.php/psy/20201005/N2VZY21XcU4.html ともかく、今すぐ気づくかどうかわからないけど
そのまんまなら勿体ないことです
「特別な」とか「大したことだ」とか「やりこめば」とか思わないことですよ
ほんとにそれが大事
手を動かすって手動瞑想のことなんだろうか?
でもあちら側に立つ自覚があるからハマーンじゃないっぽいね(^_^;)
このスレより、ゆるふわスピリチュアルの方がマシになってる。
ハマーンが自演してるのはバレてるんだからこれ以上分かってもわからなくてもどっちでもいいしー
ハマーンはゆるふわのほうが向いてるんじゃない?
全然聞いてないからよく知らないけど、山下良道podcastの中で何回くらい禅定やジャーナという言葉が出てくるのか一度調査してみたい
単に調べてみたいと言ってるだけなのに、何を勘ぐっているんだ
地道に修行をしないで、禅定やジャーナについておしゃべりするのが大好きな人がいる〜みたいに揶揄してた回があったことは知っている
やりもしないことを、やってみたいわざわざ言いに来るところが
いかにも口だけ、情報だけのゴシップ瞑想難民勢っぽいよね
すべての話を自分の次元に引き下ろさないと疎外感持ってしまうんだろうな
覚えてるー
山下さんが帰国して法話だか座禅会始めた当初、
お悟り情報集めて(これだけ知ってると)おしゃべりしたい人が結構多くて
あれ?とおもって
山下さんとしては外国で修行一筋で帰ってきたばかりだから、そんなお遊びみたいにやるつもりはなくて
そのうちおしゃべり目的の人は消えたと
この回を聞いたとき、仏教情報集めてるのって、きっとハマーン北川カレーパンみたいな仏教ヲタクなんだろうなって思ったの(^o^)
あれ?マジであの話はカレーパンのことだったのか
おしゃべり目的ではやってないと当時もはっきりと参加者に宣言してそうだし
だから逆恨みしてるのか
随分とひねくれてしまったお二人様
これがジャンプか……。
ジャンプしてしてること → 朝から晩まで5ちゃんねる
朝から晩まで海鮮繋ぎ変えても、多分ジャンプしませんよ(^_^;)
サマーディを定と漢訳したのは見事だと思う
念(マインドフルネス)を定める
念(マインドフルネス)が定まる
あー、自演を見破ったぞ俺は!
みたいな感じなのかな
ああ、そういう意味?
固定2+コロ2の前科あるからなぁ…
荒らしチンピラは
恥ずかしいからってレス流すなよ
( ´,_ゝ`)プッ
628 ハマーン・カーン 2020/10/06(火) 20:54:15.06 ID:36PlHTVO
サマーディを定と漢訳したのは見事だと思う
念(マインドフルネス)を定める
念(マインドフルネス)が定まる
見破ったぞ、っていうか
単コロは一貫した浅はかキャラだからわかるでしょ
そろそろドヤ顔でキュベレイが飛んでくるかな:D:D
慢を持して、ハ慢カーンさんに質問
サマーディ入ったの?
アスペさんみたいに課金して一日中5ちゃんやってる人なんてそうはいないから消えるのは当たり前
>>628 「良くという意味の Sam と、置くという意味の Adhi であり、
心を一定の対象に集中させることである」
これがもし言葉通りだとすると、サマーディはそれほど深い境地には思えなくなっちゃうな
深い境地としてのサマーディのイメージは、対象と一つになって、我の認知を忘れた状態
道元流に言うと、「覚知に交わるは証則にあらず」ということで、記憶に残らないほどの集中
元の意味はどっちだろうね
>>567 瞑想してる時も、雲としての私が瞑想していて
シンキング・マインドをどうにか動かないようにしている感じ。
いわゆる仏教2.0の瞑想をしちゃっています・・・。
で、きづくと呼吸を観ることに戻す、っていう
悟るためには知識だけで十分という方がいるんですが
たしかに無明を晴らすには分からないことを分かるようにすればいいですよね
自分に必要な知識は詰め込んでもいいですけど
どうじに不必要な知識も入ってくるわけで、本などの読み方が難しいのはそこです。
ラベリングというのは「気づき」に思考を入れる(分別しちゃう)ってことですよね?
思考はある程度は自分をだましてるなとは私も思います
だって一つの思考に過ぎないしそれにまた思考を重ねて罠にはまるのかも。
アーチャン・チャーは私に合ってる感じです^^
アップデート読んでますが私は今のところ藤田さんよりかなあ
でもどちらの意見も参考になります!
>>570 微炭酸ってあまりないですよね
私がよく飲むゼロサイダーは強炭酸かも(笑)
>>585 ツイッターやってるんですね。
観ましたがよくわかりませんでした、ごめんなさい(*_*;
>>645 なるほど
原義は「良く置く」なのですね
ありがとうございます
>>646 「不戯論」はどういう意味ですか?
良道さんによると、「人と無駄なおしゃべり議論をするな」という道元禅師の遺言の締めとのことですが
>>643 それが人に質問する時のあなたの態度ですか
無礼でしょ
ウサもそのTwitterと話が全くわからなかった
引用先ミスか、でなければ頭おかしいんじゃないの?
いいこと教えてやろう。
周りを蹴落とした上仕事が早いのは、遅い出来ないと同じだな
自己解決においては、なんぴとたりとも、周りを蹴落とすことは不可能だよ
屁一発も貸し借りできない
>>647 知識で〜なんて言ってる人は「雲→空」をやってるだけでジャンプすらしてないと思いますけどね
そういう人は言葉だけが本質だと言うでしょう
けれどジャンプすると全体像が変わるんです
言葉なんて決して本当の本質ではないとわかるんです
「雲→空」と言っても空は間違いなく自分ですから悟り気分は味わえる訳です
テーラワーダの説明も「雲→雲、空」の話です
永井さんも実はそれだと思ってますけど、彼は哲学者なので問題ないです
一照さんは宗教者ですが自分でそれだと自覚してます
そこから「空→自分」になるにはジャンプ、飛躍がある
一照さんはそれを自分の力で見つけたいんです
だから僕はこの二人は特に否定はしませんが、その微妙なところを踏まえておらず
山下ディスに使われたりするのが面倒ですね(^_^;)
なので過去「一照さんジャンプしろ」なんか言ってたことがあります
今も変わりませんが…
またジャンブ無しで立派なことを言うことによって悟った気になってしまうなら
これはどんどん蓋を閉めてしまうことになる
山下さんは「空→雲、空」になる具体的なメソッドを教えてます
これは実際にやってみてそうならないと「よくわからない」なんです
彼の説明はジャンプしてる人には「そうそう!」という話だけど
してない人にはまだるっこしい冗長でわからない話でしょう
そのわからなさは、自分自身についてのわからなさと同じ事なんです
あの人は「あーわかったわかった」と安易に片付けてしまえないように話しているんです
チャーさんは全然思考じゃ届かないことも言っておられるのはわかると思います
例えば「見えれば解決じゃ」これは言葉だけでわかった気になれないものでしょう
ここで二つに分かれる
・わかったことにしてしまう人(みたから解決だよなwとね)
・「見たと思うけど解決してない…こういうことじゃないんだな」と思える人
です
語義解釈や既存の理論だけからわかったことにしてしまうなら、わかってません
それをやってしまうと何十年坐ってもジャンプしないかもしれないです
僕やウサがハマーンに突きつけてるのはそこです
>>648 炭酸飲料を口に含んだ時のシュワシュワした感じはわかるでしょう?
それを五体に感じるということです
>>645,649
それが戯論
実際には知らないことを語義を弄り回して、情報として解釈する態度は戯論ですよ
そんなことやったらいけない
ハマーン北川カレーパンはこの様にかなり自惚れた人なので
だから「余程おきれいな方なんでしょうね」と言っていたわけですよ
失礼のないように遠回しにね
>>659 「戯論」の原義調べてみてね
参考程度なら悪くないんでしょう
>>658 いきなりの“エックハルト・トールさんのメッセージ”では難しいものなんでしょうね
私の説明不足は否めないのでしょうけど、千五百人以上の人が、みんなそう感じてるのかな
案外多くの人がこのスレに目を通しているみたいですね
ビックリ‼
だから頑張ってね
じゃね
https://twitter.com/rxnyqngqmjzfyim/status/1313681391792529410?s=21 “Aliveness”ビリビリ「微炭酸」は、そちらが専門家でしょ
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
>>663 だからさ、君はそこでも知らないことを飛躍させてるから
「あの人がこういった」しか言えないわけ
それが戯論
お前の両足が地に付いた話ではない
>>662 そうやって語義で「あたしちがうもーん」とか言ってるからお前はダメなのね
右手の微炭酸を感じたくらいで「揺るがない」までは実感しないと思うが
微炭酸を広げ、瞑想が深まり新しい身体になっていくなら、揺るがない地盤に立つことになっていく
そこまで言わなきゃ不親切だろう
「揺るがなさ」はジャンプが起きないとわからない
ちょっとシュワシュワしたくらいじゃ簡単にエゴに引き戻される
つまりトールさんの言ってるのもジャンプの話だ
ハマーンはわかってるのかな?
ジャンプとはエゴの丸ごと手放しだから、当然エゴは心理的に強烈な抵抗を示す
慈悲の瞑想に対する抵抗も同じ、歪んだエゴの悲鳴だよ
コロナ禍のような時に
本来の人間性に戻って、世界が苦難から逃れることを自分の事として乞い願うこと
慈しみ、共苦によってエゴの手放しは起こりやすい
これは小乗的な「俺の悟り」のことではなく
エゴを手放さなければならないのは自分だけではないんだということを
本当に実感することでジャンプする
だから、おサトリとか空理空論ではなくコロナの世界に慈悲を起こせと言ってきた
ティク・ナット・ハンのジャンプもそういうことだよ
だから、「私を本当の名前で呼んで下さい」を貼ってる
トールはそこに「新しい地球」があるという示し方をしている
ティク・ナット・ハンは世界にマインドフルネスの超宗教的サンガを作ろうと言ってる
同じ発想だね
それらは全く地に足のついた素晴らしい提案だと思うし
その方向に進まなければ世界はまた戦争をするだろう
いや、むしろ自分だけでもエゴを手放さなければならない、と思えるかどうかだな
そう、それに慈悲の瞑想は偽善だからできないと思っても、
そこはエゴが偽善だと喚いているということ。だから嫌な気持ちになっても、エゴは横においておいて偽善ぽくても慈悲の瞑想する。
それはジャンプしてない凡夫でも、これってエゴだよねって分かることだし
まして仏教的世界をアタマの理解してるなら分かるはずだ。
>>663 とうとうこのスレを卒業されてスピ板ゆるふわスレに行かれるのかな?
これまでお疲れ様でした
ハマーンの幸運とジャンプを祈ってます(人∀・)
Twitterのアクティビティ数が増えてるのはごちゃん経由じゃなくて、
「性的犯罪」「アク禁」系のフレーズにTwitter内の検索で反応したからだと思う
慈悲の瞑想、無条件降伏
こんなのエゴからしたら認められるものではないからな
そりゃハマーン、単コロが悲鳴あげながらバカにしてくるのはわかるけど
そこに尤もらしい理屈付けるほど戯論になる
バカ丸出し
ヴァン・ヘイレンさんのご冥福をお祈りします。
Jump
>>649 「良く置く」という意味なら、「定」という言葉と一致するよね
「定まって動かない」ということだから
これはおそらく、たとえば、ある状態で統一している時に、普通だったら怒りが湧くようなことが起こったとする
たとえば歩行に統一しているとして、そういうことが起こった時に、一瞬怒りが湧くんだけど、すぐに歩行に集中している自分がいる
そうすると、怒りが消えていくように感じる
戻るのが早いわけだよね
それが一瞬の怒りも湧かずに、歩行なら歩行に統一して動かない、ということになれば
それは定まった状態ということで、「定」ということになるんだろうね
それがサマーディだと
「良く、置く」まではまあ別に良いけど
しかし、なにがどう「良い」で「置く」なのかは、実際にそこに入って確かめることです
世間ですら言葉が実態を充分に表現してないことなんかいくらでもあります
サマーディというのは出世間の始まりですから
言葉という不十分で抽象的なものから頭でイメージしても駄目です
そんなことしてもグルグルをやるだけです
勝手なマップ描いて目指しても駄目ってことです
かなりぶっちゃけると
サマーディというのは(これまで生きてきた心の在り方から見ると)変性意識状態だよ
説明するまでもなく、いくつかの段階に別れてるのだけど、入った人皆に共通する心の状態が段階的に存在する。
空から鳥のフンが頭に落ちてきても、一瞬の怒りもわかずに歩けたら定だとか違うから。
しかもそれで、何があっても一切怒りのわかない自分なんて頭の考えで目指したらだめだ
怒りがわくことと定に入ることは別
>>676 「良く置く」ですが、置くというのは「意識」ですよね
動作に対して意識を置く、唱えごとに対して意識を置く
いろいろあると思うんですが、「良く」というのは「置き続ける」ということだと思います。
つまり、一定の状態を保ち続けるということで、「定」ということになると思うんです
>>677 ところが、最初のうちはずっと置き続けるということは出来なくて、意識があっちにとられたり、こっちにとられたり
散乱するわけです
これが「定」のところを調べると、「定散」として載ってますね
「定に反して心が散り乱れて動く状態を散といい、定散(じょうさん)と呼ばれる」
たとえば意識しつづけていても、合間合間で抜けてたり、長い時間忘れてたり、保てないわけですよね
それがたとえば怒りとか、感情的なものになればなおさら、定散の力が強くなる
>何があっても一切怒りのわかない自分
無感情を目指すということではなくて、分かりやすくいうと、「意識が逸れる」という感じですかね
統一していても、雑念や怒りによって意識が逸れるという言い方もできますが、反対に、
怒りが湧いても、意識を置いてる方に逸れる
だから感情が無いというよりも、あるんだけどそっちの方に意識が回らないほど、意識が定まってる
そういうニュアンスになると思います
変性意識というのは幅が広いでしょう
浅い変性意識ならば呼吸法、数息観、自律訓練法、指差し実験などなどで
2〜3ヶ月もやれば誰でも入れるだろうし、すっきり感は楽しめる
ハマーンだってそれくらいは入れるだろう
しかし単にその延長としてサマーディがあるわけではないよ
もしそのままサマーディになっていくならば、修行が進まなかったり失敗する人は居ないでしょう
まだ「雲→空」(空の自分に気づいてるだけで主体は雲)程度のこと
そこから何らかのきっかけで「空→雲」に主体が変更することがサマーディだね
これは驚くほど全く違う
>>588>>598の人の書いてるのが定の入り口だよ
単一意識として定を考えても決して良い説明はできないよ
最低限588,589まではハッキリとそうならないと二重構造性もわからない
語義から考えてもわからない
戯論だから止めなよ、意味ないし良いことは何もないから
思い描いて目指さしてやることではない
何故ならそれエゴの働きだから、必ずサマーディに入ることを拒む働きになる
>>674 色んな意見があるとは思いますが
あんまり難しく考えなくてもいいと思いますよ
サマディにつながるサマタ瞑想ですが
私の感覚ではマインドフルネスに役立つ
補助的瞑想って感じです
擬似的な死を段階的に体験することによって
定まって動かない 死(の雰囲気)
に慣れるってことだったのかな と思います
体の活動が低下して意識も落ちて体がカチカチになって
っていうのも先の方ではあるけれど
マインドフルネスの導入としては
ボーッと本当に何も考えが浮かばない 衝動も起きない
例え数分でもそういう状態に慣れる
そういうことが大事なんじゃないかなって思います
私の場合は最初はサマタ瞑想ばっかりやってましたが
面白い体験や体の急激な変化など色々体験した後
残ったのは
何分も無思考で居られるようになっちゃったな
ってことぐらいです
大きな変化は本当にそれだけ
まあ自分で気づかない変化はあったかもしれませんが
例でいうと歩行中はサマタで深く入っていないので
環境で起こったイベントに対して例え一瞬でも
怒り等の反応が起こると思います
初歩のサマディでも通過している場合には
反応が連鎖的に続かずどこかで止まるので
マインドフルネスがし易い
その状態でマインドフルネスが習熟してくると
「怒りが出た瞬間をほぼ同時に捉えられるし
もし連鎖が続いても高速で捉えることができます」
それを長時間 持続的な集中力で.....
の先に起こる面白体験を
サマディとしている人もいるんだろうけど
>>678 定散の力(つまり禅定から遠のかせる力?)というものはないよ
怒りが感情が多ければ多いほど禅定が遠のくわけではない
あと意識を置くという、「意識による行為」があるわけじゃない
意識を置くという言葉を使うなら
「意識は最初からずっとそこに置いてある」
置くんじゃない
置いてある
それは置こうとすることで見えてくるものでもないし、怒りからそれたところにあるものでは無い
サティの本質的なことは、怒りであれ何であれ表層的なところに現れる心が
形成される前に気づきが自動的に入ることですよ
それは、サマーディからヴィパッサナーをやっているから起きること
日常の二重構造だから起きることです
反応して素早くどうとか、それは意味ないです
清浄への渇望ですから
その場合はゆっくりでも良いので、ラベリングしないで
よく身体感覚を観察することですよ
>>682 >面白体験のあと残ったのは何分も無思考でいられるようになった、ことくらい
同じです
一重構造でしか考えてないから定散という考え方になるんだろう
zz'から外すシンキング、猿の働きのことだろうね
zz'に留まる、つまり対象に集中して外れないのはまだサマーディではないから
そこがごっちゃになった雑な当て字ってわけだ
そこから妄想するからますますポイント外す
>>682 訂正します
怒りの瞬間は何故か他と比べて捉えるのが
非常に難しいです
これまで最高に集中している時に数度捉えた程度.....
怒りの瞬間は難しいかもしれません
>>685 ウサさんもおんなじような感じだったんですね
他の人でも再現性があるのか
その人の心の状態で捉え方は変わるのか...謎だ
>>680 >>683 もちろん、「空→雲」という図式は最初からあるわけですよね
それが、「仏性」ということですよね
しかし、最初からそれは表せない
なので、「雲→空」ということで、ある程度「雲」の自分から「空」を目指さないといけないわけですよね
そこにどれだけ執着が入るか、それとも逆に、執着が入らないように誘導できるか、ってことだと思います
行をやっている側からすれば、「意識を向ける」という感覚になると思うんですが、
文章的に表現するならば、確かに、「意識は最初からずっとそこに置いてある」ということが正解でしょうね
つまり、「空→雲」は最初からそこにある
これらを踏まえて再度、「行」を行う側から表現するとすれば、「最初から置いてある意識に気づく」、ということが言えるんじゃないでしょうか
この「気づく」は、自然に気づきに向かわされるということもあれば、自分から気づいていくということもあると思います
捉えるんじゃなくて、形成される前にサティが入る、消える
それは一日中、瞬間を捉えてるだけで集中はしない
サティが入らない気づきなら観察するだけでそれが何なのかは判断しない
怒りであっても「怒り、怒り」などとラベリングしたり打ち消そうとしない
そんな感じだよ
>>689 うーむ
再現性というか
ウペッカーのあとは良いものも含めて、大したものは残らないんじゃないかなあ。
何事も大したものには思えないというか、無意味になっていくというか。
>>691 > もちろん、「空→雲」という図式は最初からあるわけですよね
無い
>>682 「怒りが出た瞬間をほぼ同時に捉えられるし
もし連鎖が続いても高速で捉えることができます」
つまり、怒りは無くならないってことですか?
そしてそれを確実にとらえられることが、サマーディということですかね
>>691 雲の自分が青空を目指すわけじゃないし(最初から雲であり、青空なのだから)
雲の自分が自分から気づいていくことはないよ!無い!
集中して捉えようとしているのはサマーディではない
サティでもないしマインドフルネスでもないですよ
抜けませんよそれは
>>691 それと、「雲→空」から「空→雲」は目指せないよ
目指してもどうしてもその転換が起きない、だからもう既に「空→雲」なんだと錯覚してしまう人も多い
ここは言葉にするととても紛らわしい話で混同されやすいんだけど
雲であることを手放すしか無い
しかし、これも図式的に考えて目指しても無理なんだ
思考できることは雲の領域でしか無いから
雲であるという自己認識が完全に矛盾して行き詰まってることに気づいて
無条件降伏しないと無理
>>694 あれ? 無いんですか?
「空」から「雲」を見ると、仏性という感じがするんですが
>>696 瓦も磨けば鏡になるのか、という話を思い出しますが、確かに、自分から目指して得られるものじゃないってことは分かります
自分が上達したものではなく、自分の延長線上にあるものではないですから
しかし、ただ観察する純粋な意識というのは確かにあると思うんですよね
それは世界と一体となっている
これはなんといっていいのか、うまく言えませんが、一番の目的は我を無くすということだと思うんですよね
もちろん、自分で我を無くそうとするのではなく、自然に我が転じていくような行をする、ということ
元からあるただ観察する意識というのは、もちろん、我は一切ないですから
自分もそこに近づけばいいわけですよね
じゃあ、それはどこにあるかっていうと、それは「今」ですよね
ただ観察している意識って、常に「今」の状態ですよね
そこに一致させていけば、おのずと我も消えていく、ということだと思います
>>698 「雲→空」から「空→雲」を目指すというのは、二通りの意味にとれると思うんです
一つは、「雲」がそのまま「空」になろうとする
もう一つは、おっしゃっているように、「雲」が自分を捨てて、「空」そのままが現れる
自分が言ってるのはどちらかというと後者の方ですね
サティは怒りなら怒りというものが形成される前に気づきが起きる
起きたと同時に消えていく
消えていってからそれが怒りを京成していた何かだとわかる
だから先に何らかの概念を貼り付けちゃ駄目なんです
それはありのままではないでしょ?
禅定に入ってヴィパッサナーするということがないと、苦しみの根っこは抜けないですよ
上に書いたサティも起きてこない
集中力でもぐらたたきやっても清浄に向かう渇望ですから
その集中自体が不浄です
また、そこに既に前提としてしまってる何かを覆い隠すだけです
最終的には必ずそこに矛盾が生じてることに気づくと思います
そこに越えられない壁が出てきますよね
もぐらはジャストルッキングで良いんです
まずサンマーサマーディに入ることです
そこでヴィパッサナーすることですよ
>>699 無いですよ、だからジャンプしてからが本番だと言ってるわけ
>>700 その後者が紛らわしい、よく誤解されてるところなんですけどね
ともかく最初からは無いです
さっきも書いたけれど、二ヶ月くらいでそれが出来たと勘違いしやすいことは
誰でも起きます
(禅定によりマインドフルネスが習得されてくると)
怒りが形成される前に「自動的に」サティ入り、怒りなどの感情の心が形成することを防ぐ
↓
感情がわく前に消えるので、対象を掴むこともなく、フンを落とした鳥や運の悪い自分にに怒ったり、こんな道歩かなきゃよかった!、などの後悔の思考も出てこない
↓
新たに次の苦しみの原因は生み出されない
(同時に瞑想修行により、古い記憶の苦しみが顕在化され、それらもマインドフルネスによりありのまま見ることで消されていく)
この辺の同時進行で苦しみの原因が減っていくループ?
と言っても、鳥のフンが落ちてきても怒りはわかないかもしれないけど
ウキャー(T_T)ってなるとおもう(笑)
それに未だにポチポチと古い記憶が出てくる。衝撃的なのや理不尽なのは減ってきたけど、細いけど根の硬い草取りをやってるようだよ。これはまだまだ楽になるまでは時間掛かりそう
あ!大したものはないとさっき書いたけど
天体とか緑とか風とか鳥とか雲とか
それまで大したものでないと思ってたものが、かけがえのないものとは思えてくるね。
きっと手元に来るまで何人もの人の手がかかっている食事とか。
>>657 一照さんはそうですね、良道さんを離れたところから見てますね
そうか、そういう意見もあるんだね、と自分との違いを認めつつ穏やかに構えてる。
言葉の知識を集めてもそれは本質ではなく、本質を言葉に変換しただけ、という事ですね
知識は雲を大きくするだけなのでしょうか…
山下さんの本を読んで「そうそう!」が増えていけばいいな。
シンキングマインドで瞑想は出来ないことはすごく参考になりました。
ああいう事は、こういう事ではありません、という記述が多い方ほど、
本当の事を言ってるのかな?と少し感じていますけど…
とにかく実践しないと分からないんですよね。
>>658 なるほど、そういうことなんですね。
音源聞きましたがどこで言ってるのか分からずただ聞いてました。
>>704 あらら、記憶=苦だと繰り返しちゃうな(^_^;)
日常で、苦しさ辛さに伴ってる身体の感覚だけ、をよく観察する
「だけ」だよ、記憶とか言葉・概念はくっつけない
それをやっていけばじきに感覚は記憶に依らないことに気づいてくる
つまり結び目が解けていく
解けてしまうと実は苦しんでいたのも自分が求めていたことだとわかる
苦しさに記憶や概念を結びつけることで第四図の自分を作ってる
その作ってる心の働きがエゴだね
今ある感覚(苦しみ)はその感覚があるだけ
そのように観察できたら感覚は膨らまないので、無常として消えていく
>>706 アップデートする仏教は山下良道インタビューだと思います
色んな意味で一照さんが適役なのだろうし、ちょうどいい感じになってると思います
けど一照さんは結構頑固に意地張ってるところがありますから
素直に教わればいいじゃんとか思ってしまうけど(^_^;)
知識という話ですが、瞑想に限った話ではないのですが
まずありのままの事実がある、それをどの様に説明出来るのか
そこに便宜的に言葉や理屈があるんです
言葉や理屈は実体ではないです
ありのままの事実は言葉と関係なくただあるんです
なので、事実を直接知ることのないまま、言葉だけを扱ってしまうとまるで出鱈目な話になります
言葉が本質だと言ってしまうと、瞑想の次元の話は絶対に歪みます
何故なら瞑想は言語を超えたなにかのことですから
>>707 なんかちょっと思ってるのと違う
記憶=苦ではないよ
瞑想してると過去に辛いとか悲しいとか、ありのままに観なかったもの、がでてくるでしょ
その時の感情とセットで。(たいてい苦しい)
それが苦の原因となってるので、(これは妄想であるという前提で)観ていくわけでしょう
記憶はくっつけないとかじゃなくて、不意に出て来るの
今ある感覚のセットとして出てくるわけじゃない。
言葉で観すぎ
結局思考じゃんそれ
マインドフルネスを進めたいのなら
黙って実践した方が万倍マシ
進行度合いを他者にひけらかしたところで全く意味が無い
>>709 それを記憶=苦と言ってるんだけど
記憶は苦の原因ではないよ
よく見ていくとわかる
>>710 言葉で見たら駄目だね
言葉を付けないようにしないといけない
>>711 いや違う
記憶が苦ではなくて、ありのまま観なかったものが苦の原因になっているということ
それが記憶とセットで出て来るの
>>710 ここで話す以上は言葉に置き換えるしかない
言葉で置き換えられたものを見たくないならあなたもここに来るべきではない
それをわざわざ批判するとか、何を求めてきてるんだか┐(´д`)┌
チンピラとヤンキーの言葉を聞いても、マインドフルにならないからな。
>>713 それは出てきて見ていたら消えていく?
>>715 それは単コロくんがマインドフルではないという自己紹介なんですが:D
結局、言ってることは
→ここからスタート
「オレは分かってるが、お前らには分からない。」
「お前らには分からないが、オレは分かってる。」
「オレの言ってることは、言葉を超えている。」
「言葉を超えたことを伝えるには、言葉で語るしかない。」
「だからオレは語る。マインドフルネスを捨てて、マインドフルネスについて語り続ける。」
→スタートに戻る↑
こればっかりだろ。
もうパターンこれしかないだろ。
>>717 つまり、君は君の知ってることが全てだと思ってるんだね
「仏教3.0」では凡夫の醜さが全然改善されないことの証明
それがこのスレの存在意義です
参考になります
言葉でないところで瞑想しなかったら
「ありのまま、評価しない」なんて出来ないからね
マインドフルネスもヴィパッサナーも無理
こんなの「俺」(凡夫ア略)がどうとか関係ない:D
それが出来ないとマインドフルネスならないよ
という当たり前な話をしています
>>698 ここでいう矛盾とは具体的にどのような様なのか分かりやすく教えていただけます?
>>716 うん、消えていくよ
出てきたときは(サティが遅いせいだろうけど)記憶とその時の感情を一体と勘違いしてて反芻してるんだけど、
これは妄想だと気がついたら感情も離れる。
ついでにその時の出来事を思い出すようにすることもある。当時何を勘違いしてたか見つかることもあるから。
しつこく何度か同じ記憶&感情が出てくることもあるけど
たいていは、別の種類の思い出が単体で出てくるよ
>>722 例えば反応しない練習がそうですよ
心を清浄にする為に反応に反応して掃除しようとする
けれどその心の働き自体が清浄を渇望してるわけで不浄なんです
頑張れば頑張るほど反応の根っこを育てています
しかもそれは意識的にはお掃除なんですよ
その矛盾に気づかなかったらどんどん人格歪みますよね
マインドフルネスが深まる方向に行かないので他者評価に転嫁してしまったり
どんどんマインドレスな方に向かいますよ
本末転倒になります
>>722 巨人さんとはちがう説明になるかもしれないけど
すべての認識や現象は反応で起こってるものなのだけど、人間は自分の意思で起こしたもの、または出てきた思考は「自分のもの」と勘違いしてるんだ。
例えるなら、風が植物に当ってその勢いで葉が落ちた(反応した)ただそれだけなのに
植物が「自分で」身震いしたから葉が落ちた!と勘違いし、
その上、自分で葉を落とせるσ(゚∀゚ )オレすげえ、または無碍に葉を落とすσ(゚∀゚ )オレ駄目なやつ、と植物なのに思いこんでいるようなものなんだ。
それを雲と呼んでる。
でも、風が吹いて反応で落ちたのが真実な以上、こんな思い込みを続けていたら
σ(゚∀゚ )オレ頑張ってるのに葉が落ちてくれない…σ(゚∀゚ )オレまだがんばらないといけないのか?
(真実は風がしばらく吹いてないだけ)
頑張っても葉は落ちないし、頑張りには限界がある以上、どんづまりを起こす、うつ病にさえなるかもしれない。※なるとは限らない
自分で自分を徹底的に追い詰め、
自分は自分の努力で葉を落とせる存在であることを諦め無力だと認める、
または自分の努力とは関係なかった、風がやってただけだということにある日気がつく
ここまでくることを無条件降伏というんだ
>>725 説明不足だったのか、ゴメンよ(^_^;)
アスペさんみたいに人格が歪んでる人は、どうしたら治りますか?
ハマーンさん自身の人格の歪みを直せば、他人のことも歪んでるようには見えなくなりますよ
>>724 草薙龍瞬著の反応しない練習を読んだことありますか?
去年読んだけど、そのときはうまく言えないけどコレジャナイって思った。
悩みを確認するまでは良いけど、
その後でラベリングするんだよね
あと、よくあるあるの「今ここ」に意識しろっていうんだけど
悩みのある人は「今ここ」にずーーーっと意識向けられますか?
無理ですよ
今ここは凡夫の自分が意識するものじゃないですから
>>733 ウサさんには低評価だったんですね
ですが反応しない練習はAmazonのレビューを見るととても高評価です
ウサさんから見てそれはなぜだと思いますか
>>695 私はあんまり理論というか理屈というか
そういうものには興味がなかったんで
精緻に詳細に説明できる訳じゃないんですが
ただ実践 体験してきたこととしてお話しします
怒りやその他の感情 特定の傾向を示す思考
好みや嫌悪など
そういうものが剥がれ落ちて少なくなってくるのは
間違いありません
ただ普通の人が考える変化の仕方とは全く異なります
瞑想が深まった時にある日突然
一瞬にして自分の苦しさが理解でき
理解と同時に手放す 捨てる 強がるのを止める
弱さカッコ悪さを認める
そして開放され楽になるという現象が起きます
驚くべき嬉しい体験です
これらは本を読んだり自己分析したり友と話して変化する
そういう類の変化とは全く異なるものです
まずこのような変化の仕方が一つあります
もう一つは更に瞑想が進んだ時に
自分というのは現象の集まりで
ガンダムのコックピットにはパイロットが乗っているけど
自分のコックピットには誰も乗っていないんだ
と理解できる体験が起きます
こちらの変化は強大で
これまでの変化が雑魚に感じる程です
またここまでくると
今自分(体)は怒ってるわー
今自分(体)は喜んでるわー
とどこか他人事のように感じる
他人からみると深刻な悩みだろうけど
悩み続けることができない 悩まないといけないのに(?)
すぐにそのことから気が逸れてしまう
そういう感じになっているかもしれません
サマディの感覚はまあ
色んな意見を参考にされたら良いと思います
「雲→雲」を頑張っても矛盾する
その矛盾から目をそらしても何かを盲信するだけで深まらない
表面的な評価アタマを他者に向けてしまう様になる
他者評価だけしにくるようなマインドレスになる
そして何年も単発転がすようになる
完全に魔境でしょ
>>732 立ち読みしても全く読みたいと思わない
小池龍之介と同じで肝心なことが書いてないから
それらならカバットジン読むね
>>735 そこまではどんなメソッドでも二ヶ月くらいで行けるよ
仏教やマインドフルネスというのはそこから先のことなんだ
わかりやすいから売れる、それがホンモノだとするならば
ならそのわかりやすいことを誰も発見出来なかったのは何故?
禅僧が二十年三十年坐って悟れないのは何故?
仏教が理解されず若者がオウムに走ったのは何故?
売れてるけどニセモノだからでしょ
>>737 読んでもいないものを批判するのはどうかと思うのですが
読みもしないでこれはダメなんだと言っても納得出来ない人も多いと思いますよ
>>738 立ち読みで全て分かった気になったわけですよね
きちんと読んだ上で批判するなら分かるんですけど
>>735失礼しました、別の人と間違えました
>>737後半は撤回します
>>738 自分が厨高校生の時にやった程度のことしか書いてないと思うのでね
悪いけど
>>738-739 君が言うべきは
>>724に対する君の言葉による反論だね
>>734 エゴというのはそれだけ
私がある、というのは錯覚、思い込みであることを
認めたくない、認められたくない、何が何でも隠したい
そのような強固なものだからでしょう。
仏教とはそこから思い込みを外すためのメソッドなのに、そこにもまたエゴがしゃしゃり出るわけです。
そこに「引っかかる」と手の施しようがなくなります。誰かさんみたいに。
山下良道本はAmazonのレビューを見ると全部高評価
>>738-739 それと、これも答えてねちゃんと読んだのなら
↓
わかりやすいから売れる、それがホンモノだとするならば
ならそのわかりやすいことを誰も発見出来なかったのは何故?
禅僧が二十年三十年坐って悟れないのは何故?
仏教が理解されず若者がオウムに走ったのは何故?
売れてるけどニセモノだからでしょ
>>743 でもオカルトコーナーにあるらしいじゃないですかあ
山P個人はテーラワーダ(ミャンマーのパオ)と曹洞宗の両方で修行
してるから、言ってることは本当だろうし、参考になると思うよ。
指導者としての力量は、言葉の意味通りの意味で知らないけどね。
十力者じゃないんだから、仕方ない。
>>743 そうだね
恥ずかしい勘違いな人しか低評価付けてない
山下さんはああいうのも参考になると言ってたけど
まあ、山下さん自身は
「誰も言ってなかったことを言ってるのだから理解できないのは当たり前」
と言ってるけどね
体験でつかむべきものを、哲学的理論体系にまとめて言葉で伝えねばならんうえに、
非商業的な営みを、商業ベースの市場におけるマーケティングにも成功裏に流通させ
なければならない。
そこまでできたとしても、まず最初の関門として、悟りの智慧が素人の目を通して
Amazonの評価をベースに判断されるわけだ。
なんという無理ゲー
>>744 ちゃんと読んでないのに批判するのは変でしょってことです
言いたかったのはそこなので
だってそう思いません?
それと質問の答えは分かんないです
>>751 批判じゃないんですか?
そう取れたんですよね
違うなら私の勘違いです
すみません
ちゃんと読むも読まないも、何も難しいこと書いてないから売れた
違うのかな?
何か類書にはない深いことが書いてあるの?
>>742 誰かさんが誰か分かんないんですけど
ウサさんの意見はよく分かりました
ありがとうございました
反応しない練習
これタイトルからして原理的に無理なことだからね
その前段になる本があって、ある程度深いところまでやってく
それを踏まえた上で敢えて「反応しない練習」というタイトルで出すなら
内容次第ではわからなくもないけど
しかし筆者は単に勘違いしてるだけでしょう
内容見てもそれ以上のことは書いてないと思う
書いてあるなら教えて下さい
>>753 いやもういいです
この人読んでちゃんと意見してるのかな?と
思って聞いたことなので
>>756 要するに揚げ足取りたかっただけなのね
下らないね
揚げ足取りのためだけに8レスもするようになるなら読まないほうが良いな(^_^;)
>>757 違いますよ
何でそんなふうに受け取るんでしょう
残念です
>>759 ならばフェアにこちらのレスに応じたレスをしたら?
わかりません、なら揚げ足取りでしかない
>>759 そもそも君自身は『反応しない練習』を読んだのかな?
自分がこうやってできたから他人も同じようにしたらできる
自分はそれでできなかったからみんなもそれではできないはず
それみんな自分の過去の経験や記憶への執着からの思いだってば
僕は過去の体験なんて話はしていないのでね
違う人へのレスかな:D
結局、自分自身は棚に上げて他者評価の為だけに出てきたことに違いはないよね:D
↓
ID:mrHLB7pP
>>762 君は反応しない練習が矛盾したものだとは思わないの?
>>765 やる人の素養とやり方による
木から葉が落ちるのを見て何も気にしない人間もいれば悲しむ人間もいるし無常を知る人間もいる
>>766 単に何も気にしない人は心が清浄なんですかね?
例えば金儲けにならないと思うことは全く気にしない人とか
反応しない練習を本当に徹底してやったなら
僕やウサが言ってることはわからないわけがない
しかし、そんなこと本当に徹底出来る前に評価を他者に向けてしまうのがオチなんだよ
自己矛盾から目を逸してね
だから、たかが初禅とか言う話ですら
「特別な神秘体験に執着するな」
みたいな頓珍漢な、しかも自分が知りもしないことを分別してしまう
まずとことんやってから言えという話だな
で、ID:WZy/8mjAも他者評価勢なのかな?
>>767 それに対して鈍感か名色がさほど形成されてないか執着がないかどれかだろうね
>>766 そこで無常を知れる人はすでに凡夫ではないでしょう
確かに凡夫ではない人には「反応しない練習」は悪くないと思います
>>766,769
つまり他が見えないほど金に執着があっても名色分離智はあるということか:D
凡夫には「反応しない練習」そのものが反応するための原因を作ってしまう、
苦しみを減らすために良かれと思ってせっせとやってることが、実は悪循環であると言っているのです。
>>769 名色が分かれたら清浄なのかい?( ´,_ゝ`)プッ
>>773 そんなことをどこで誰が言ってるのかわからないね
何も草薙某だけを悪者にしてるわけじゃなくて
素養によるのではなく、ジャンプしないでヴィパッサナーなんかやったら有害だ
これがわからない人は確実にニッバーナになってない
執着云々なんか言えませんね
>>774 ならば君は何も言えていないね
>>769 こういう人には素養があるってこと?
苦しんでないなら、やる必要ないのでは?
逆に反応がある人には素養があるってこと?
木から木の葉が落ちて無常を知る、ってそれ小学生でも知ってないかい?
>>777 苦しんでやる人もいれば苦しみとは関係なくプラスアルファでやる人もいるでしょうし行為が何をベースに何から生じるかは人によるでしょうね
木の葉が無常だから自分も無常なのだ
なんて思える人が反応しない練習なんかするのかね?
>>766 で、反応しない練習が矛盾しない素養とは?
あいつがこう、こいつがこう、ではなく君が確かめた事実として言えることを言ってご覧
また、あいつは素養がある、こいつは素養がない、
と君が評価している根拠は何?
>>756 アスペ・シッタカダさんなので
知らないのに叩くのは日常茶飯事
まあ、何とでも言えるわなぁ、という戯論を小出しにしてるだけで
分別、執着丸出しなんだが:D
でさ、これを言うならばお釈迦様も
執着の塊みたいな人だったってことだよな:D
762 神も仏も名無しさん sage 2020/10/08(木) 18:31:17.50 ID:WZy/8mjA
自分がこうやってできたから他人も同じようにしたらできる
自分はそれでできなかったからみんなもそれではできないはず
それみんな自分の過去の経験や記憶への執着からの思いだってば
>>781 人それぞれに構成要素が違うからある練習が役に立つとか立たないとか言えないと言ってるんだけど
あなたはジャンプ基準でしか話してないけど例えばジャンプする手前の準備も様々にあるでしょう
ジャンプは基本的には心身の状態と無関係だから心身がどうであってもある意味かまわないが例えば心身に何らかの依存傾向があるならそれに反応しないことから始めるのも何もわるくないでしょう
ジャンプとは別に心身を整えるのは何もわるいことではないでしょう
心身を整えることが執着になるタイプの人にとって害になるだけでしょう
>>786 反応しない練習が心身を整えることになるのかい?
>>786 反応しない練習が矛盾しない素養について訊いてるよ?
ジャンプの準備ってなんですかね??はて???
>>787 反応しまくってるより反応しない練習で反応しなくなることで心身が整う人はいるんじゃないですかね
そういう人もいるでしょうしそうでない人もいるでしょうね
整いませんよそんな事したって
誰がやったって矛盾だもの
心を清浄にしよう、整えよう
と頑張ることが渇愛じゃないのさ
反応を嫌悪してるでしょ
そういう心の働きで何が整うのよ?
整う素養って何?
>>786 > ジャンプは基本的には心身の状態と無関係だから心身がどうであってもある意味かまわないが
いや、大いに関係ある
君、ジャンプしてないよねシッタカくん
この人何にもわかってないな…
わからないならわからないなりにしておけば、こんなやり取りにはならないから
止めときなよツバ吐いてくるのは
何でわかんないのに分かったふりして書き込むのかなあ
自分の体験ならまだわかるけど、
やる人や素養によって違うとか言っちゃって
最初のステップは、できるかぎり思考の「声」に耳を傾けることです
これが「思考を客観的にながめること」です
「頭の中の声に耳を傾ける」とか「思考を見張る」と言いかえてもよいでしょう
この声を聞く時には、あれこれ批判せずに偏りのない心で聞いてみてください
批判するという行為も「思考の声」に変わりがないからです
ああ、赤信号ね、反応しない反応しない、僕は急いでるんだからね…
こういう人は素養あるのかな:D
>>795 それが出来てたら彼はこんなレスしなかっただろうね(´・ω・`)
762 神も仏も名無しさん sage 2020/10/08(木) 18:31:17.50 ID:WZy/8mjA
自分がこうやってできたから他人も同じようにしたらできる
自分はそれでできなかったからみんなもそれではできないはず
それみんな自分の過去の経験や記憶への執着からの思いだってば
この人がすごいところは、お釈迦様全否定ですよ(^_^;)
>>710 これは全く最近そう思うよ
議論するよりも、自分が正しい修行方法を掴んでるなら、
それを実行していって、成果を得ていくのが一番じゃないかって
正しい修行方法を掴んでいて、それによって正しい成果を得ていく人
これが何を言っても一番強い人だよね
他の人のことはどうでもいい
ただ自分が最上のものを得れば、何も聞かない人にイチイチ説明する必要ないもんね
頭を下げて頼むくらいのことをしないと、説明する義務もない
自分だけがいいところにいればいいんだから
だけど、正しい修行、正しい成果が分からなければ、やっぱり議論していくしかない
自分がああだこうだ、すったもんだしながら、ヒントを得ていくしかない
ただやっぱり、自分がこの修行が良いんじゃないかって思ったら、それをしっかり修行して、
あまり言葉の議論はしない方がいいかもしれないね
自分の中の上手くいかない不満を、言葉で解消しようとすることもあるから
ただ黙ってやって成果を上げて、高いところでニコニコ笑ってる
こういう人がやっぱり一番強いよ
だけどなかなか成れんね
ついつい行を放ったらかして、言葉の議論に首を突っ込んじゃう
ジャンプする前に判断をしないようにしながら観察をしろと言ってる
>>795 >>799 考え方としてはまあまあ正しいんだけど
それは成り立たない
だから部派仏教が小乗だと批判された
意味わかります?
高いところでニコニコとか
勝手に理想を作り上げると自分で苦しくなりますよ
自己解決と人格は関係ないです
簡単に言ったら「俺だけ悟れば良いんだ」なんてことはホントは無理なのよ
夕方から今までで50レス以上透明あぼんされてるけど、毎日このペース
で2ちゃんにかじりつくとか、正気の生活スタイルとは思えんな。
どんなメソッドでも自分に嘘吐かずにやったなら
どうしたってここが問題になる
永井均
@hitoshinagai1
マインドフルネスも今では色々に批判されているが、最も根本的な問題は、
判断せずにありのままに(客観的に)見るなどといいながらも、
その見る主体の側も見られる側の情動・気分に自ずと染まってしまうことだ。
慣れれば慣れるほどそうなる。しかも重大な場合には必ずそうなる。
つまり、役に立たない!
>>730 歪んでるものは直せるけれど腐ってるものはどうしようもないです
それは大変だね(T_T)
無条件降伏したらいいさ:D
>>806 重大な場合
例えば愛していた親族が突然交通事故で亡くなったりね
そんなときに、
よーし、マインドフルネスでありのままにみて悲しみを癒やしちゃお!
なんて無理ね
動揺しすぎて椅子に座ってもいられないかもしれない
つまりマインドフルネスは役に立たないんだね
瞑想中に染まらないのは当たり前
瞑想外で染まらないのが問題なのにそれは無理ということね
一日中5ちゃんでチンピラ活動するのが大乗だという斬新な意見
>>810 そもそも役に立つってどういうこと?
マインドフルネスはあんたが妄想してるような役割は持ってないよ
>>812 じゃあ単コロするのが小乗なの?
それは合ってるかも(^_^;)
そういやチンピラファンネルの親分ハマーンが姿を現さないな
チンピラと言われるまで気づかなかったが
特定個人にだけ嫌われてるとでも思い込まないと精神の安定が保てないのかな?
ブッダ(おシャカ様)自体は、実は世捨て人集団である仏教徒達が創作した理想のペルソナ(人格)である可能性も否定できない。
トムって基本的にバカだけど、たまに核心を突くことがあるから侮(あなど)れない。
自画自賛。
>>819 名無しに対して特定したような気分を味わうのが好きなご様子なので
>>824 ボケが入ってるんでしょうか?
>>814 ちなみに、ファンネルって最低二人ハーロックとトチローがおるからな:D
ドロンジョ様認定なんかしとらん:D
バーカ:D
私たちは毎日の暮らしのなかで、運転をしたり、バスを待ったり、事務室や工場で働いたり、または電話で話す、自宅を掃除する、炊事する、洗濯するなど、さまざまなことをしています。
おおかたの日常的活動は呼吸によく注意しながらこなすことが可能です。
ですから、呼吸にくまなく気づく練習をふだんからつねに行っておく習慣が大切なのです。
出家者と同じく一般の人たちも、日常的な呼吸への気づきの方法を身につけなければなりません。
ファンネルって何だろうと思ってたけどガンダムなのか
アスペさんやっぱり50過ぎの老人なのでは
藤田一照さん、山下良道さんの対談来てた
20/10/01 1995〜2020「仏教3.0」視点から見た日本仏教の25年
https://www.onedhamma.com/20-10-01/ >>843 日常くまなく呼吸に気づけたらなかなかですね
タイのお名前を忘れたけれど元農夫の方で、ずっと呼吸に注意を向け続けて
しまいには出家なさって悟りを開いたという方の話を聞いたことがあります
>>708 言葉が本質ではないと思っても
他人からの言葉が自分を縛り付けちゃったりしません?
>>724 私なんか、怒りが良くないと思ってると怒りに反応してしまい
自分や他人に対し抑圧的になりがちです
その自己矛盾そのものが人格化してやめられなくなってる人が
沢山いると思います…・
反応せずに、自分の体の微細な動きを見るんでしたっけ。
>>727 自分の意思で起こしたもの、出てきた思考を
「自分のもの」=事実だと勘違いするってことですね
葉に例えると、人間の反応も葉の反応のようにごく自然なものなんですかね。
今こうやって書いてる時も、自分が頑張っていい文章を書くぞ!ではなくて
このスレの流れに身を任せる、流れに書かされているような感じですね
自分が頑張ってるんだ、すごいだろって思っちゃうときの体の微細な感覚も
私はいつも似たようなビリビリを起こしてます
そういう勘違いを起こしたら思考をやめるようにしてます(+_+)
風が吹かないときは風を待つしかないですか?
>>806 これってなるほどって感じもするんだけど
同意できるかっていうとそうでもないんだなー
瞑想に関わる以前でも
親しい人の死を前にして
それほど悲しみが湧き上がってこない自分に気付いて
もっと悲しい振りをした方がいいのか?とか
人を笑わした時にウケている自分を
気持ち良く感じながらも同時に
ナルシストだなと恥ずかしさを感じたり
そういうことって誰でも当たり前にあると思うんだけど
この状態からほんの少し進むだけで
長くはできないにしても3秒とか10秒はマインドフルネス
だと思うんだけど
それに何より自分で足を摩ったりつねってみれば
その間はずっとマインドフルネス
虫歯で痛さmaxの時は強制的マインドフルネスだし
痛みにフォーカスしたり
歯医者のイメージにフォーカスしたり
フラフラはするとは思うけど
単にやる気と集中力の問題が大きいと思うんだよね
子供の時に正座で4時間も5時間も
一心不乱にゲームできることを考えると
単純に本当は瞑想なんかしたくない
ってことだけじゃないのかな と
そりゃ最初は腰が抜けたりへたり込んでしまうような
ショックの時はできないと思うけど
そんなの戦争の兵士でも泥棒でも訓練されていく間に
ショックにに飲み込まれずに
何かを実行する って実力はついていくだろうし
二人組が、サンマ(正)状態とは到底思えない
ハイ!私の歪んだ我執シッタカ妄想分別思い描き低知能条件付けられた怒り反応戯論判断でしたー
>>852 2人は共依存恋愛のカップルのように見える
>>848 そう思っても縛り付けているのは他人ではなく自分自身です
その次元では言葉ではありません
>>849 肉体の自分は反応するものです、それは仕方がない
だからどうしたって矛盾するということです
>>851 それらってたまたま偶然にそうだったという話でしょう?
自分だって記憶ありますよ
でもそれを集中力で維持しようとしても出来ないもんです
>>852 評価乙
>>853 朝から自演しているかのように様に見える
>>850 おはようございます
勘違いは気がつけば十分です。思考も長く続くようならやめてみるのもよいけど、流れていきそうなら出るに任せるというのもアリです。
風は修行しながら待つということになると思います。
理想は風を待つことも放置しなければならないけど…
>>950 > 自分が頑張ってるんだ、すごいだろって思っちゃうときの体の微細な感覚も
> 私はいつも似たようなビリビリを起こしてます
> そういう勘違いを起こしたら思考をやめるようにしてます(+_+)
どういう現象なんだろうそれは?
本当にそうなりますか?
そうか、朝の挨拶忘れてた
みなさんおっはよー(^^)
>>856 自演に見えちゃうの?
思い込みが激しいね
思い込みの激しい人を人生の方向音痴って
言うんだって
道を間違っても気づけない
でも気づけないままが幸せなのかもね
>>862 ちゃんと自演を「共依存カップル」に差し替えて言うんだよ?
わかってる?
ドロンジョ様は自演実績あるからね
自分でも名無しで書き込んでるって言ってるし
「かのように」見えるのは当然でしょ?
>>863 ここにずっと居るから疑いの目でしか見られないんだと思うよ
君も人を貶す言葉を良く言ってるけどそれは自分に向けて言ってたんだね
二人組が、サンマ(正)状態とはやっぱり到底思えない
ハイ!私の歪んだ我執シッタカ妄想分別思い描き低知能条件付けられた反応戯論判断評価乙「共依存カップル」かのようにでしたー
>>865 君にとって「貶す言葉」に見える、ということね
真意はどうだろうね
>>866 ファンネル乙
>>867 捨て台詞でばーかとか言ってるでしょ
貶す言葉に思えちゃった
それ誰に言ってるの?
相手に?自分に?両方でしょ?
ごめん、単コロなっちゃった
これ私ね
今日も一日頑張って
三千くらいアクセスあるみたいよ
このスレが
じゃね
>>866 >>870 自分の発言が君の自演に見えちゃったみたい
疑いかけられちゃったね
ごめんよ
ファンネルじゃなくて本体だったか
ますます疑惑は深まった…
>>869 そうとう表面しか見られない人なんだな… お大事に…
>>872 もう言うのやめよ?
本当に違うから
ここで傷だらけになってるから
分かんないんだよ
>>866 > ハイ!私の歪んだ我執シッタカ妄想分別思い描き低知能条件付けられた反応戯論判断評価乙「共依存カップル」かのようにでしたー
の
> 「共依存カップル」かのようにでしたー
これはハマーンが言わなくても良いんだよなぁ
ID:pLuVPwCZに向けて言ったことだから
やっぱり自演であるかのように見えるなw少なくとも仄めかしてはいるからね
>>873 じゃあ慈悲の瞑想で自分を愛してあげようと思う
心配してくれてありがとうね
>>877 あの、自分の好きなハンドル付けてもらって良いんですよ?
アスさんはここにいて傷だらけに見えるんだ
どうかアスさんが幸せでありますように
>>877 そもそもやってる自覚あるもんな、自演認定に慣れているというよりも
同時に現れ、同時に去る
ますます疑惑は深まったなw
>>875 > 本当に違うから
何を言っているの?本人が言ってるでしょ?
870 名前:ハマーン・カーン[] 投稿日:2020/10/09(金) 08:16:25.39 ID:a9S3z+4f [2/5]
ごめん、単コロなっちゃった
これ私ね
>>845 晩と朝に分けて聞いたけど、一照さんは相変わらずな感じだな…
無事禅的
まだ3.0と名乗るには全然だな
はよジャンプせんか
坐相を正確に狙うというだけじゃなくて、無条件降伏もですぞ!!
>>884 参ったな
相当疑り深いね
こんなに人を疑ってばかりで
そんなんで疲れないん?
このスレに来る皆が幸せでありますように
>>887 ハマーンが疑うように仕向けてるのだから、それに乗っかってるだけ:D
>>888 そうなんだ
自分には仕向けているようには見えなかったんだ
でもそう見えて君がそう思うならそれが君の真実なんだよね
>>886 「無事禅」というワード攻撃武器をまた一つget!したのですね
カムイさんから
名無しでも書いてるから、気が狂わないように気をつけろ
だっけな:D
脅迫してたよなハマーンは
>>889 だから別に入ってこなくて良いんですよ?
>>891 そっか、そっか
分かった
りょーかいですっ!
ごめんね
>>893 ご心配ありがとうね
ハマーンは相当タチ悪いので、よく見てないと騙されるよ
>>895 知らない人のことは潜入感なしで見てみたいと
思ってるんだ
でも心配してくれてありがとう
>>894 良道さん (一部を除き)信じてくれないんだよー無条件降伏
今日も頑張ってね
じゃね
ドロン
>>900 ウサさんが幸せでありますようにー!!!
不思議なことに「あなたが幸せでありますように」というのを
マウントと取る人が居たんだよなぁ、過去
>>902 本当にやってるんだよ
なんでマウントになるのー?
ウサさんは偽善でもいいからやってみる、とまで
言ってくれてたよね?ここで?
なんかここにいると悲しくなって来る
確かにご指摘の通り朝からたくさん連投しちゃったし...
じゃあね
お付き合いありがとうね
>>903 > なんでマウントになるのー?
さあ?知りませんよ
慈悲マウントだー!とか言ってる人が居たと言ってるだけ
>>904 そうでしょうね
自演クイーンのハマーン、単コロと同一視されたら悲しいでしょう
そいつらずっとこのスレ荒らしてますから
>>905 うん、分かった
自分に言われてると思っちゃったんだ
なんかそれで悲しくなったんだよ
だからまず自分を対象にやるほうが良いですよ慈悲の瞑想は
>>749 >無理ゲー
自己レスだが、これもパラダイム=思い込みだな。
カバットジンやハラリは成功してるし、スマナサーラ長老も成功している。
ティクナットハンも成功している。
その一方で、チンピラフルネスに成功の見込みはないな。
すべてのメッセージの前提に「お前らは知らない」という思い込みが根付
いてて、そのことが明らかに伝わるので、誰の共感も得られない。
小乗仏教の権化。
>>908 自分にはもうやってる
でもまだ次の段階じゃないんだね
>>904 それは大変だ
慈悲の瞑想しなくては\(^o^)/
>>913 うん、ありがとう
ウサさんも勧めてくれてたしね
>>913 最後に教えて
慈悲の瞑想して自分を愛せるようになった?
今の自分はすき?
>>911 は?成功って何??
てか、これお前は糞詰まりの自己矛盾してるのに気づいてないよね
↓
> その一方で、チンピラフルネスに成功の見込みはないな。
> すべてのメッセージの前提に「お前らは知らない」という思い込みが根付
> いてて、そのことが明らかに伝わるので、誰の共感も得られない。
> 小乗仏教の権化。
>>912 やればいいと思いますけどね
悲しくなるならば公に書かなくてもいいかなと思います
>>918 悲しくなったのはアスさんの言葉に悲しくなったの
アスさん宛に書いたんだよ
これに悲しいと本当に思ったならば
そんな事を言う連中が延々一年以上も個人叩きをしてることを考えてくれないかな?
902 凡夫ア○ペ界の痴の虚塵 2020/10/09(金) 10:00:30.00 ID:/Al4VuE8
不思議なことに「あなたが幸せでありますように」というのを
マウントと取る人が居たんだよなぁ、過去
しかし、ただの5chネラーに成功とかなんとかなんて言われてもね
宗教関係の商売やってる奴なのかなぁ…?
アスペさんの特技
自分を棚上げすること
棚の上までジャンプ!
>>916 うん
ウサは凡夫のプロだけど(プロだからこそ?)
自己肯定感の高さだけは自信があるよ
好きか嫌いかは、どっちでも良くて、
時に煩悩の塊の自分がホトホト嫌になることもあるけど、
いつでもここに居てもいいんだって思ってる
ウサのこと嫌いな人も間違いなくいるだろうけど、それに関しては無関心だからいるようでいない。
ウサのこと好きな人はそりゃあ当然好きだろうと思う。
だってウサの中は鏡?光?になってて、空洞に近いようなものだから。
>>921 それに対して同じように返していたら
変わんないと思う
北風と太陽っていうし
名無しで別IDなら別人格のフリをして、思い込みだ妄想だというならば
僕は名無しで書いていたのに個人叩きされたからね
別の人も僕と同一視されたりしていた
それ、チンピラ連中の山下憎しから始まってることなので:D
ヨロシク
ちょっと言い換えよう
自分のこと嫌いな人はウサのこと嫌いだし
自分のこと好きな人はウサのこと好き
言葉では分かりにくいからとりあえずSNS等は抜きにして、対面の付き合いにおいての話。
>>925 無駄だよ、僕が大人しかった頃や、そのずっと前からやってるから
相手を「妄想」と決めつけられる様にID転がしてね
それが幾度となくみんなの話を阻害してる
だから、敢えて標的になってるだけ
そして、そのど真ん中に居るハマーンはキレイなツラして出てくるが
騙されないようにね
>>924 そっかー
詳しく書いてくれてありがとう
今度こそ本当に落ちます
瞑想して来るね
自分が幸せでありますように
みんな穏やかに山下良道さんについて話していたスレへ殴り込んできたアスペさんの発言の一端
806 神も仏も名無しさん 2018/11/07(水) 17:59:16.60 ID:jch51mtw
>>804 呼吸か体感かと言う問いには答えられていない
どちらでもないにしても、お前はどうたったか、が語れないお前は
何も語っていないし、誰のためにもならないマウンティングをしているだけ
お前みたいなインチキマウンテン野郎はNGにする
地獄に落ちろドアホ
>>932 まあ、普通にお行儀よくやってても無駄だね
それで誰も一時期書き込まなくなったんだから
一昨日初めてスマさんの慈悲の瞑想の動画見たけど、歌うんだね(^_^;)
ションベン引っ掛けて消えたから、ひょっとしてツイート見てほしいのかな、、
と思って見に行って頭抱えた(-_-)
わざと超絶頭悪い自己矛盾を演じてるのか??
進撃のカレーパン @rxNyQnGqmjzFyim 10月8日
正念を始め前七つ全てが前提となり総合されないと、ひょんなことからたまたま弾みの変性意識定トランスに
飛ぶことはあっても、安定的に再現される正定に下りることはないと思う
智慧にも繋がらない
好循環サイクルにいつまで経っても乗れない
幻の終着駅を造作戯論して執着してるだけ
進撃のカレーパン @rxNyQnGqmjzFyim 10月8日
慧 正見、正思惟
戒 正語、正業、正命
定 正精進、正念、正定
慧 正見、正思惟
・
・
・
わざわざTwitterを貼り付けて個人攻撃か
コイツどんだけカレーパンに執着してるんだよ
これってバカのテンプレかなんかあって、それに則って書いたのかな…
>>939 本人はこっちは下書きなんだそうだから、完成版貼ってもいいだろ?
バカの完成版を:D
アルツ入ってるんじゃないのか?
正念、正定ではなく
簡単にパッと見て挙げられる間違い
・自分に初めから智慧がある、理解出来てる前提に立っている:D
・入っても居ない正念、正定について話している:D
・事実としては知らないことを「だと思う」、それを根拠に推論するバカ論理:D
・バカ論理は最初の前提に帰結する破綻論理:D
トンデモ戯論グルグルマシーン北川ですな
・バカ論理が最初の前提に帰結し、さらに破綻した論理:D
こいつ論理に自身有りげなハッタリかましていたけど、こんなもんだよ
ポイント外れた魚川本読んで無事禅に結びつけてるご都合禅だもん
こんな事やってたら正念、正定は無理ですよ
止めましょうね
>>858 自慢気になる時の、身体の感覚です。
もしかしたらビリビリしてないかも・・・(*_*;
「坐禅をいくらしたからといって、それでマシな人間になることなど絶対にありわせん。
わしがこういう気合のかかった人間なのは、坐禅したからではない。
坐禅する以前からこういう人間だったので、坐禅したから変わったわけではない。」
澤木興道
>>945 そうだなぁ、、、アトピーだった頃は呼吸するごとに全身ビリビリしてたし
子供の頃、親に歯向かった時(^_^;)ビリビリしたことはあるけど(^_^;)
そういうんじゃないんだ
粛々と仕事を進めたり、静かに本を読んだり、瞑想したり
そういう時も微炭酸ある
けど、最初からいきなり目指しちゃ駄目だよ(^_^;)
無条件降伏で坐って、右掌にわずかでも良いから微炭酸があればいいんです
それをよーく感じるんです
自慢げというのも、自覚的なものだから野良さんが言ってるのと僕が受け取るのとが
同じかどうかちょっとわからない感じがするな
例えば自己評価が低いんだけど、まっとうなことをやって、
自慢げになってるかも?と少し気後れを感じてるとかね
そんなのはもっと自信持てる様になったほうがいいわけだから
(かと言ってそんなの簡単に持てないわけだけど)
瞑想していけばそれで良かったんだと思うかもしれないよね
>>943 あやふやなまま瞑想に入る前にまずは、正見、正思惟 で世界観のパラダイムシフトをするのが仏教3.0の特徴でもあったのではないのですか?
今手元にないから引用できないけれど、〈仏教3.0〉を哲学するで一照さんが永井さんを引き込んだのはそれもあってと述べてませんでしたっけ?
雲と青空
モンキーマインドと涅槃
コインの裏表のようなものだから
2.0的にチマチマやってないで、
ピッチャー交代!
一気に世界観を変える!
図地の転換
パースペクティブの旋回転換
それが3.0!
それで、良道さんも瞑想会のたびに実践に入る前に二時間も法話に費やすのでしょ
このために
https://mobile.twitter.com/rxnyqngqmjzfyim/status/1125500276041863168/photo/1 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
ルビンの壺を貼りたかっただけなんだけど、ごめんなさいね
まずは、ある程度の正見、正思惟
極端に捉えないで下さいね
「戯論」の原義は、スマナサーラ長老お得意のパパンチャ(papañca)ですよ
>>949 山下さんの場合は般若心経、第五図、二重構造が正見だという
しかし、そんなことは初めから理解できない
君だって理解してない
理解できないまま「そういうものだ」として、瞑想の実際に即して理解が進むだろう
疑ってたらそれは無理だが
しかし素直だからといってはなから理解できる訳ではない
例えば一照さんやネルケさんのは正見とは思わない
永井さんも実を言うと微妙だな
>>951 そうやってお情けの割引求めるならば
最初からおちょくったような軽口を叩くものではないだろう
汚らしい
「八聖道分の中の正定は、多くの経典の中、たとえば《大念処経》において、仏陀はそ
れを初禅、第二禅、第三禅、第四禅である、と解説している。」
パオセヤドー
>>952 文字を幾ら読んだって不戯論にはならない
止めたほうが良い
「坐禅をいくらしたからといって、それでマシな人間になることなど絶対にありわせん。
ぼっくんこういう
呼吸か体感かと言う問いには答えられていない
どちらでもないにしても、お前はどうたったか、が語れないお前は
何も語っていないし、誰のためにもならないマウンティングをしているだけ
お前みたいなインチキマウンテン野郎はNGにする
地獄に落ちろドアホ
人間なのは、坐禅したからではない。
坐禅する以前からこういう人間だったので、坐禅したから変わったわけではない。」
アスペ・シッタカ
自分自身正定でないのに「ひょんなことから」とか勝手に妄想してるのが
戯論でなくしてなんだと言うんだ
勝手に脳内で都合よく作った物語じゃないか
「お前は仏だ」
そんなのは一照さんとかの無事禅1.0では実感できないことなんだ
だから、それを空約束にしないのが山下さんの仏教3.0だな
>>958 君勘違いしとるよ
>>946よく読んで
スマさんや一照さんに意見するったってね
むこうは知識量も、それを護る理屈も構築してるプロだから
ネットで軽口叩いたところで、完全に非対称
何言おうがこちらの力なんぞ及ばない
ハマーンは同じただのネット民だからね、ほぼ対象だよ
ほざくだけほざき続けたんだから、こちらだって言わせてもらう
それだけ
誰もバチンと言ってくれないんだろ?
タケさんはソフトだからな(^^)
彼の言うこともちゃんと汲み取ってりゃ、ここまで言う必要もないんだろうと思うが
人には誰でも慢はあるけど
瞑想修行は英語や資格試験とは違うくらいわかるでしょ
心の段階を踏んでいかないと智慧は出ないよ
ハマーンはたくさん仏教知識や仏教本持ってるけど、それは智慧とは違うことくらい分からない?
いつからどうして自分に智慧がある前提で話ができるの?何が根拠なの?
すごい不思議なんだけど
まさか数息観が100回できるようになったからお悟りに近いとでも思ってるわけ??
スマナサーラは頭が良すぎるから
分別ですよねって指摘しても
方便である(`・ω・´)でゴリ押ししそう
スマさんも一照さんも博士だからね
僧として生きてきてるわけだし
そりゃ太刀打ちできませんわな、口では
>>963 数息観は確か300は超えてたと思うよ
ツイッターの自己実況では(^_^;)
何やってるんだろうなぁ…
何でそうなるんだろう、ホント不思議
>>966 彼女はとにかくレスバトルに負けたくないから、ここでは色々理屈を作ってるんだ、でもきっと頭ではうすうす凡夫だと分かってるんだ
と、ずっと思ってたんだけど
どうやら本気で勘違いをしてるぽい
自演もとうの昔にバレてるのに未だに新キャラ作って頑張ってしまうし
精神病を本気で疑っている
アスさんドンピシャだ
ハマーンは以前バイトで校閲の仕事してたらしいw
通りで。文脈把握や読解力は小学生以下なのに
単語一つ一つには異常な執着してると思った
ドラマの校閲ガールでは文脈チェックはもちろん、作家としての造詣までカバーしてる様子だったけど、
実際のお仕事はそこまではしてなさそうだね
僕は数息観は始めて一〜二ヶ月でバッチリ粗い雑念落ちるようになったもんだけどなぁ
集中術として知ったんだけど、二分もやれば無茶苦茶集中出来た
一から十、それが一回だけ
>>967 うん
山下さんや僕らは無事禅的な考え方を脅かすから
それを排斥する論理を無理に紡ぎ出そうとしてる様に見えるね
けど、どこにも確たる事実がないから空中で破綻してる
精神病気質もまあ疑ってはいるよ
>>968 ツイッターかな?
なんかまたガックリきそうであまり見たくない気がするんだけど(^_^;)
校閲とかやると文字、文章の読み方が歪んじゃうのかもしれないね
坐禅に無条件降伏すれば良いのに…
そう、Twitter
僧侶の無事禅は滑稽ではあるけどまだわかる。
僧侶だからって無条件降伏してるわけじゃないけど、宗教家なんだもんね。知識だけでも得たなら、人前でそれを出していくよね
葬式仏教すら、人が集まる以上何か説法していかないとならないし
ハマーンはなんなのよ
べつに宗教で食ってるわけでもないでしょうに(多分)
趣味なんでしょ?
ヲタクが自分のほうが詳しいから優越感持ってるみたいなノリですよ
このスレ見てて「無事禅でいいじゃないか、何が問題なんだろう…」
とか思ってた時もあったけどね僕も(^_^;)
マインドフルネス以前に既にジャンプしてたからそこの問題に気づけなかったんだ
無条件降伏というのは山下用語だからとか、お気に入りキーワードだからとかじゃなくてさ
無条件降伏は内山老師は言ってたはずだと思ってたから調べてみたんだけど
やっぱり言ってたんだよねー(^^)
>>971 サンキュー
普勧坐禅儀の内山老師訳から
「夫れ参禅は静室(じょうしつ)宜しく,飲食(おんじき)節あり。
さて参禅するには----
(大体,参禅とは,この我をなげ出して坐禅に「マイッタ」と「降参する」ことであり,
つまり坐禅というカタチにすべてをまかせてしまうことであるが)
まず静かな所がよろしい。
食べすぎていても,腹がへっていてもよくない。」
>>972 僧侶や学者は仕事として知識を扱ってるわけだからね
それによって苦から開放されるのかどうかとは関係なく
そちらに立ってマインドフルネス実践者を評価しにくるというのは
筋違いだわな:D
ハマーンのTwitterに主にアーナパーナサティで、「静かに念定まる」のを毎朝2時間日課にしてるそうだけど
ホントなの?!
そんなにやってるのに
朝から晩まで5ちゃんに張り付いて、見知らぬ他人にマウンティング
し続けることが、“大乗の菩薩行”だなどと思っているとしたら、残りの
人生無駄にすることになるから、みんな気づかせようとしてくれている
んだよ。
そういう、言葉の裏の優しさに気づけるようになったら、アスペルガー
とか人格障害などとは言われなくなるよ。
謙虚におなりなさいね。
ハマーンのマウンティングが他の人に向かうよりマシ
ハマーンは単コロでアスさんやウサに暴言吐いてるうちは全然マシ
ここでマインドフルネスや瞑想の話が盛り上がると、必ず名無しでやってきて、聖者ぶってシッタカする
聖者ぶるというのは、実際にここに聖人の人がやって来るのだけど、まるでその人の真似をするようなシッタカレスをする。なんならお勧めの本まで勧めるだろw
アスさんとウサにはバレてるけど、初心者だったら誰が正解か分からない
特に初禅に入った人がここに訪れたとしても、魔境のような立ち位置にすぐになりやすいから
ハマーンとは関わってほしくない
>>947 良道さんはまず右手から微炭酸をやらせるって言ってたんで私もやってみたら
観れば見るほどビリビリが強くなるのを感じました
普段全然観てないんだなあと実感。
>>948 そうそう、自慢は気後れを感じます
欠点をカバーするための見栄だったりね(笑)
感情が起こった時の独特の体の反応は人によって違うかもしれませんね
無条件降伏とは私が坐るんではない、瞑想が起きている状態ですね
>>977 アスペとチンピラは、自身のバカの壁に気づくような通常のマインドフルネスが備わっていないから無理ではないかな
まあ、ジャンプしてのマインドフルネスが世間に戻れば煩悩まみれで何の役にも立たないことを証明したのは他ならぬこの二人
有り難いことではあります(-人-)
なるほど人生の貴重な時間を朝から晩まで5ちゃんねるに費やして
こんな生き方をしてはいけないよ、とみんなの反面教師になってくれてるんだな
課金アスペルガー先生あざーす!
>>981 >通常のマインドフルネス
ほれ、全然わかってないわ
外部の状況に心が乱れ動くか、何らかの対象に統一していくか、この二つに一つなんだよ
中間の状況が真ん中にあって、乱れる方が強いか、統一するほうが強いか、
乱れるほうが強い場合は、統一に向かうのが崩れやすくなり、統一する方が強ければ
乱れるほうが消えていく
それが無くなるということは、不安や心配は一切なくなるということ
不安や心配の原因がある限り、そういうのは無くならないと思うかもしれないが、
統一に向かって消えるときは、その原因も一緒に消えてしまう
物理的な原因と見えるものは消えないが、実質的な原因というのは心的原因の方で、
心的原因が消えれば、物理的原因は全く関係なくなったも同然になる
統一するということは、その外のものに捉われるということが一切無くなり、
すべてが通り過ぎていく
通りすぎるというか、消えるという感覚だろう
こうなれば、たとえばお金が足りなくて心配している人が、統一力が強くなれば、
心配自体も無くなるが、お金が足りないという物理的な原因まで、どうでもよくなる
無ければ無くても構わないという心境
だから人はこの統一力を養わないといけない
これがあればあるほど、幸福感が得られるということになる
この幸福感は通常の幸福感ではなくて、何ものにも捉われないことによる幸福感
不安や心配が一切無くなるから、どんな物理的状況でも、幸福感に満たされているということになる
>>974 内山老師の「マイッタ」と「降参する」は、スコーンとただ爽やか。
一方、あなたの「無条件降伏」は、それによってジャンプが来る・涅槃に飛べる・俺は無敵の仏だ!・辛い現実を夢だと確信できる・一挙に全てが解決する・楽になれる・永遠の意識で死はもう怖くない・お浄土だ!
ガチャガチャと物欲しげな下心満載なんですよ
全然捨て身になってない
>>977 別名、「救済するぞ、救済するぞ」
英語で言うと、人生スウィンギング・ポール。
内山老師も参った降参の先にジャンプがあるんだけど
何が違うのやら┐(´д`)┌
マインドフルネスというのは「意識を向ける」とか、「意識に在る」という言い方が出来る
意識というのは今にしかないんだよ
その反対に、思考というのは過去や未来への執着、捉われによって成り立っている
簡単に言うと、過去の記憶を元に、未来への欲望が展開してるわけ
もっと得たい、もっと良くなりたい、というのはそういうこと
>>980 おっ、微炭酸出ますか
それをよく観察して広がるといいですね(^^)
それなら無条件降伏は出来てきてるんじゃないでしょうか(^^)
坐禅で言うと一照さんの坐相を正確に狙うというのと、
>>974の無条件降伏ですね
普勧坐禅儀 原文と内山老師現代語訳
http://junsoyo.on.coocan.jp/zen/fukan/fukan.htm >>979 ジャンプしても和紙くんみたいに違うもの掴むと遠回りします
僕も精進足らずからの三度のジャンプがあってもここの「情報」には
随分惑わされましたからね(^_^;)
一見、立派そうな情報、戯論は罠になりますね
まあ、結局は概ね正しいところに向いていくとは思いますが
>>987 > 一方、あなたの「無条件降伏」は、それによってジャンプが来る・涅槃に飛べる・俺は無敵の仏だ!・辛い現実を夢だと確信できる・一挙に全てが解決する・楽になれる・永遠の意識で死はもう怖くない・お浄土だ!
それはお前が勝手に読み取って妄想してるだけ
そんなこと微塵も考えてないんだが
定に入ってないドロンジョ北川にはそう見えるんだなぁ
山下さんの話もいつも取り違えてるし
内山老師も無条件降伏だよ
全ての思い計らいを捨てて坐ることだ
正見だの正思惟だの、誰のサマーディがどうたら、ゴチャゴチャワーワー
と念を握りしめて坐るわけじゃあない
>>985-986,990
外と中という見方で言えば同意見です
>>987 あとね、既に何度も否定していることを勝手に加えないで欲しいんだけどね
意味盲人、読解力皆無のドロンジョ北川さん
ドロンジョ北川はね、まず君の瞑想をやれば良いわけ
そこで誰それのサマーディがどうたら、全く関係ないでしょうに
頭に拵えた正見、正思惟も全く関係ないよ
そんな物全部捨てるのが無条件降伏だぞ
それがなかったら無事禅だ
内山老師は優しい方だが無事禅ではない
無条件降伏するときはその先のジャンプなんか目に入らないよ
修行としては理想としてあるものと理解しておくだけで※
どん底に落ちたときはそこへの希望も自分にはないと感じるんだと思う
それが無条件降伏だよ
※アスさんもウサも無条件降伏したときは先にジャンプだの何だの知りもしなかったのだよ。
地獄しかないんですね、我こそが地獄の住民として相応しい存在なんですね、ってハラを括ったからジャンプした
そうそう、まず無条件降伏とか微炭酸とか
その時その時があるだけ
ドロンジョ北川がシッタカぶって戯論振り回して
それを根拠に誰それを断罪してるから
「実際はこうだよ、これわかる?
わからないならそんな話はできないよ」
と言ってるだけで
忌まわしい過去の記憶があるならば
それも全て凡婦の自分にどうすることも出来ない事を知るべきだ
今ここにおいてそんなものは、頭の中で作ったことに過ぎない
坐禅、瞑想に無条件降伏したらいい
頭の中の山下も僕もウサも関係ない
頭の中で煮るなり焼くなり叩き切るなり好きにしたら良い
それ、本人じゃないし好きにして良いぞ
ジャンプが起きたならば、それは再現するよ
それは僕だけでなく誰でもそうだろう
だから和紙に精進したらいいと勧めてるわけで
彼の体験は否定してない
しかし捉え方はマズイ
どうまずいかは縷々説明した
ともかく別の人も書いてくれてるけど、今ここには過去は記憶でしか無い
一切が妄想だよ
エゴはあらゆる手段で無条件降伏を阻む
慈悲の瞑想も阻む
仏教用語を使って囁くかもしれないし
イエスの姿を現すかもしれない
そのエゴの囁きを一旦脇に置くことだ
-curl
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