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皇室制度に賛成の国民が極めて多いので、こういうスレは今まで長続きしていない。この
スレに反天教徒が乗り込んできて甲論乙駁になるようなら面白いが、おそらくそんな度胸の
有る反天教徒はいないだろう。
天皇犯罪。
天皇は皇宮警察を連絡かかりとして、警察庁にやらせている。
民主党でも自民だろうが、政権も超えた犯罪。
天皇は時の総理大臣も検察に捕まえさせたり、マスコミと連携して辞任させたりしている。
明仁天皇は政治家にも弱みをつかむ為に普段からやっているはず。
平成からの犯罪。
アメリカの要望だろう。警察が主要な実行犯。
もちろん尾行に関しては民間人。
警察特権を利用しての調査、聞き込み、盗聴んはもちろん不法侵入や窃盗、マイクロウェーブ兵器の部屋への設置(ブレーカーや電源付近、照明など)
この国民へのスパイ活動、工作活動維持の為に明仁天皇は常時行っている。
車のダッシュボード付近や家の電源周辺に設置するのはアキヒト天皇の指令なはずだ。
これの実行はアメリカではない。
明仁天皇はこの集団ストーカー活動の情報を聞いていますよ。
明仁天皇は国民に謝罪しろ。世界に拡散しましょう。もう広まっていますが。
明仁天皇は集団ストーカーとマイクロウェーブ兵器使用をやめろ!
http://www.icaact.org/
http://www.eucach.org/
皇室が犯人
公安は天皇の部下。
総理よりも天皇のほうが上。
国民の税金から活動費用が出ている
平成元年は昭和64年 1989年
のせいにしようとする手口
アメリカが手口を教えている
電磁波兵器の指導もアメリカだろう。
天皇が関係してないわけがない。
行政がやっているからだ。
周波数兵器。
昭和天皇はこの集団ストーカーはやらなかった。
もしマコカコやヒサヒトが電磁波兵器の攻撃を受けたら警察は何も対応できないでしょうか? 吉田裕「日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実」
・・・三つ目の問題意識は、「帝国陸海軍」の軍事的特性が
「現場」で戦う兵士たちにどのような負荷をかけたのかを具体的に明らかにすることである…
…この問題にこだわるのは、「死の現場」の問題を
もう少し大きな歴史的文脈のなかに位置付けてみたいと思うからである。
こうした分析を通して、アジア・太平洋戦争における凄惨な戦場の実相、
兵士たちが直面した過酷な現実に少しでもせまりたい。
第三四師団歩兵第二一六連隊の戦記は、宣晶に向かう長い行軍の状況について次のように記している。
なお、同書によれば、一人ひとりの兵士が多くの弾薬や食料、
日用品などを携行したため「この時の各兵士の装具の重量は小銃を含めて三十キロを軽く超え」たという。
灼熱赤土の道を行軍する兵士の中から、日射病・熱射病で倒れる兵士達がぼつぼつあらわれてきた…
小銃は肩に喰いこみ、帯革〔バンド〕は腰部に擦傷を作る。体重・荷物は両足に物凄い負担をかけ、
日に二十キロ近くを行軍するため靴傷〔靴ずれ〕ができる。内地のハイキングで作る豆のさわぎではない。
まず水疱状の豆が…つぶれる。皮はずるむけになり、
不潔な靴下のため潰瘍となりさらに進行すると…完全に歩行はできない。
広大な予野平野はただでさえ水が乏しい…小休止中、「ドカーン」と物凄い爆発音が聞こえる。
「敵襲!」と兵士達は銃を手にして立ち上がる。そうではない。「やったか……」と兵士達は力なく腰を降ろす。
中隊長たち幹部がその爆音のした方へ駆け寄る。ああ…。
体力・気力の尽き果てた若い兵士…が苦しみに耐えかね、自ら手榴弾を発火させ、
胸に抱いて自殺をするのである。肉体は焼けただれ、ほとんど上半身は吹き飛び、見るも無惨な最後である。
この宣晶作戦間にこの連隊において三十八名の自殺者を出した。
(『歩兵第二百十六連隊史』)
日中戦争やアジア・太平洋戦争でどれだけの数の日本兵が自殺したのかは正確にはわからない。
しかし、特に絶望的抗戦期の部隊史や戦記を見てみると、
苛酷な行軍や激しい戦闘のなかで、あるいは飢えと病が蔓延した悲惨な退却戦のなかで、
自ら命を絶った兵士たちの存在が数多く記録されている。
…実際の兵士の記録を見てみよう。
たとえば、独立工兵第二〇連隊の曹長だった西地保正は、インパール作戦の記録を絵の形で残しているが、
そこには自殺した兵士の状況が繰り返し描かれている。…西地は、この絵に次のような説明文を付している。
「今日は体調がいいから先に行くぜ」と出ていった兵が、道の真中で自決していた。
あとからこの道を〔戦友が〕通るから〔自分の遺体を〕始末してくれるとやったことだ。
まだ歩けるのに早まったことをしてくれたと一同は残念がった。
分隊の足手まといになることは彼の性格から許さなかったのだろう…。
(『神に見放された男たち』)
目撃していた「病兵」によれば、この兵士は、小銃の銃口を口にくわえ…
足の親指で銃の引き金を引いて自殺した。
インパール作戦は、一九四四年三月に開始された…進攻作戦だが、
補給を無視した無謀な作戦を強行した結果、日本軍が英軍に完敗した作戦である。
多数の餓死者や戦病死者を出したことでも有名であり、
日本軍の退却路は「白骨街道」や「靖国街道」などと呼ばれた。
…形式上は戦死か戦病死に区分されているものの、実態上はまったく異なる死のありようとして、
非常に数が多いのは日本軍自身による自国軍兵士の殺害である。
その一つは、「処置」などと呼ばれた傷病兵の殺害である。
一九三五年三月、日本政府は、
「戦地軍隊における傷者及病者の状態改善に関する一九二九年七月二七日の
『ジュネーブ』条約」(赤十字条約)を公布した。
戦地における傷病兵は「国籍の如何を問わず」、
人道的に処遇しその治療にあたらなければならないことを定めた条約である。
その第一条には、退却に際して、
傷病兵を前線から後送することができない場合には、衛生要員をつけて、
その場に残置し敵の保護に委ねることができるという一節があった。
つまりは傷病兵が捕虜になることを容認する条文である。
海軍は、一九三七年五月…陸軍も同年一一月…
この段階では、日本の陸海軍ともに傷病兵が捕虜になることを国際条約上認めていた…
ところが、その後、一九三九年の五月から九月にかけて、日ソ両軍の間でノモンハン事件が勃発した…
この大規模な戦闘では…ソ連軍の猛攻によって壊滅する部隊が相次ぎ、多くの日本兵がソ連軍の捕虜となった。
…停戦協定…成立後、捕虜となった日本軍将兵が日本側に送還されてきた。
このとき陸軍中央は、「捕虜を禁じる法律的根拠はないから、
軍法会議の前に将校には自決させて戦死の『名誉』を与え〔自決すれば戦死とみなすということ〕、
下士官兵は軍法会議で審理し負傷者は無罪、そうでないものは
『抵抗または自決の意志がなかった』と見なして『敵前逃亡罪』を適用」するという厳しい方針で臨んでいる
(『日本人捕虜(上)』)。
捕虜になることを事実上禁じるという方針の明確化は、
傷病兵や衛生要員の残置容認という従来の方針に見直しをせまるものとなった。
…こうしたなかで、陸軍は傷病兵の残置を認めない方針に転換する。
…こうした転換を決定的にしたのが、一九四一年一月八日に東条英機陸軍大臣が示達した「戦陣訓」である。
…この「戦陣訓」は、「生きて虜囚の辱めを受けず」という形で捕虜となることを事実上、禁じた。
これを受ける形で、明示的に捕虜となることを禁じた文章がこの時期に作成されている。
同年一二月に陸軍航空総監部が作成した『航空勤務者の嗜み』がそれだが、この小冊子には、
「敵地上空において、ひとたび飛行不能に陥り友軍戦線内に帰還の見込なき時は、
…潔く飛行機と運命を共にすべし。いやしくも生に執着して不覚を取り、
あるいは皇軍軍人の面目を忘れて虜囚の辱めを受くるが如きこと断じてあるべからず」
と明記されている。
…アジア・太平洋戦争の開戦後しばらくの間は、傷病兵の「処置」は、ほとんど問題とならなかった。
日本軍が優勢で傷病兵の後送が不可能になるような事態が生じなかったからである。
しかし、連合軍の反攻作戦が始まると、状況は大きく変わる。…捕虜になるのを防止するため、
自力で後退することのできない多数の傷病兵を軍医や衛生兵などが殺害する、
あるいは彼らに自殺を促すことが常態化していったのである。その最初の事例は、ガタルカナル島の戦いだろう。
この戦いに敗北した日本軍は一九四二年一二月に同島の放棄を決定、
翌四三年二月に駆逐艦による撤収作戦を実施して撤収は成功する。
しかし、このとき、動くことのできない傷病兵の殺害が行われた。
陸軍の正規将校出身で、戦後は自衛隊に入って軍事史研究に従事した近藤新治は、次のように書いている。
敵弾で戦死したと思われるのは30%程度。残り七割の日本兵は次のような比率で死んだ
…六割自殺…一割他殺…一部事故死…。(『小笠原兵団の最後』)
…つまり、すでに、七割の兵士が戦死・戦病死(その多くは餓死)し、三割の兵士が生存しているが、
そのうち身動きのできない傷病兵は昇汞錠で自殺させた上で、
単独歩行の可能な者だけを撤退させる方針である…
当時、第一七軍参謀長としてガタルカナル島に派遣されていた宮崎周一少将も、
…佐野忠義第三八師団長から、
自分の部隊では、第一線撤退にあたり、今後「単独行動不能の者」は自決すること、
「その際その時を以て戦死と認むる」ことを部下に伝えたところ、
「銃口を自ら口に含みて最後を遂げたるもの少なからず」という話を聞いている。
(『大本営陸軍部作戦部長 宮崎周一中将日誌』)。
…一九四四年のインパール作戦では、戦闘に敗れて退却する過程で、多くの傷病兵が行軍途中で落伍した…
しかし、軍は捕虜になるのを恐れて落伍者に対して容赦ない方針で臨んだ。
この作戦に従軍した独立輜重兵第二連隊の…黒岩正幸によれば、
中隊に部隊の最後尾を歩き落伍者を収容する「後尾収容班」がつくられたが、
その実態は、「落伍兵に肩を貸すどころか、自決を勧告し、強要する恐ろしい班」だった。
また…新たに編成された「落伍者捜索隊」も、「落伍者を発見すると、歩けるかどうかを問いただし、
歩けない者には自決を勧告し、…ちゅうちょすれば強制し、応じなければ射殺した」という
(『インパール兵隊戦記』)。
…また、「処置」に抵抗する傷病兵もいた。
ルソン島で兵站病院に勤務していた陸軍曹長の大島六郎は、
「…動けない者は、自決でなければ他殺が不文律だったのである」としつつ、
撤退時の病院内の混乱について長い回想を残している。
要約するならば、一九四五年一月…撤退に際して「処置」の命令が下った。
命令を受けた衛生兵たちは躊躇しながらも、
熱が下がり元気になる薬だと称して、傷病兵に薬物を次々に注射してまわった。
そのとき、ある傷病兵は、「おい衛生兵!きさまたちは熱が下がるなんぞ、いい加減なことをぬかして、
こりゃ虐殺じゃないかッ」と抗議し、
これに同調し何人かの傷病兵が怒号をあげたという(『処置と脱出』)。
メリットだらけで、何から書いていいか迷っている内にスレチが連投してるしw
中田整一「トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所」
太平洋戦争中に、米国陸軍情報部(MSI)が作成した
極秘スケッチが、ワシントンの国立公文書館の多数保管されている。
「皇居地域・東京市」とタイトルがついた一枚が、その中にある。作成日は一九四五年(昭和二十年)一月二十四日。
これは皇居内の建物の配置を細かくしるした図面であった。北側には現在の北の丸公園の部分も含まれている。
建物には通し番号がふられ、全部で四十六ヵ所の皇居の建築物と場所が手書きで示してある。
驚くほど詳細かつほぼ正確な図面である。
北の丸陸軍近衛師団司令部、教育総監部、旧本丸跡、西の丸にあった(明治)宮殿と宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)。
賢所のうしろにある天皇、皇后の斎戒、…綾碕殿…ここだけは英語に翻訳するのがむずかしかったのか、
〈RYOKIDEN〉と、ローマ字でしるしている。
さらに宮中の料理を司った大膳寮、女官たちが控えるお局、伏見櫓の近くにある戦没記念御府。
日清・日露戦争の戦利品や殉国者の氏名や写真をおさめていた木造建物は現在も存在しており、
倉庫がわりに使われている。「809番」のスケッチ・ナンバーがふられたこの図面から推察できるのは、
日本本土の空襲に際し、皇居も爆撃目標のひとつとして米軍が考えていたということであろう。
「こんな図面は初めて見ましたね。宮城の内部の建物配置は、ほとんどこのとおりです」
永年、宮内庁の秘書課長や宮務主管などを歴任した
長門保明氏(現・昭和天皇記念館館長、七十八歳)も、驚きをもって「809番」スケッチをみつめた。
スケッチは1番から1104番まで、
その九割近くが、日本本土内の軍事基地、重要工業地帯およびその工場の分布、
さらには工場内部の機器の配置まで事細かに図示してあった。
横須賀軍港、佐世保軍港、熊谷、調布、立川、岩国など主要な航空基地、東京、浜松、名古屋、大阪、神戸、
それに関門海峡、福岡、大牟田、米軍の本土上陸が予定されていた鹿児島県薩摩半島――。
日本列島をくまなく、あらゆる角度から調査しつくした観がある。
スケッチは、空からの航空写真との照合も行なわれていた。
さらには、満州や朝鮮など日本が支配した地域もカバーしている。
スケッチ作成はそこに付された作成日によれば、
一九四四年(昭和十九年)十月から終戦前月の七月までつづいていた。
日本が米軍の本格的な空襲にさらされる時期と重なっていた。
最後のナンバー「1104番」は、埼玉県川口市の「日本ディーゼル株式会社」だった。
荒川の左岸、赤羽鉄橋と川口駅に沿った現在の京浜東北線の東側に位置していた。
スケッチ・ナンバー「841番」には、「三菱重工業名古屋発動機製作所」内の各工場が詳細に図示されている。
同工場は日本最大級の飛行機製造工場であった。
このスケッチは一人の捕虜の尋問記録と対をなしたものだった。
アメリカ軍は、捕虜の証言をもとにエンジン工場内の詳細を描き上げたのである。
図面には生産ラインがつぶさに描き込まれ、エンジンが最終的に組み立てられる場所が特定されていた。
また、完成したエンジンの試験は建物1番2番の南側で行なわれること、
建物は鉄筋コンクリートでできていることも明らかにされている。
アメリカはこうした情報をもとに爆撃を効果的に行ったのである。
アメリカ国立公文書館に残る資料によると、尋問は一九四四年十一月四日から十五日にかけて行われた。
捕虜は、名古屋工場で製造するB29迎撃用の
局地戦闘機「雷電」のエンジン工場内部の様子を詳しくしゃべっていた。
四月までこの工場で旋盤工として働いていた労働者だったからである。
かれは七月に「玉砕」したはずのサイパン島で捕虜となって連れてこられたのだった。
尋問調書にはこうある。
《エンジンは二十四時間稼働で一日五十個生産する。そのうち五パーセントが不良品、
出来上がったエンジンの試験は、建物1番と2番の南側で行なわれる…
建物4では、雷電の最終組み立て。建物5では、零戦、一式陸上攻撃機の最終組み立てを行なう》
>>17 そうだね。じゃ、先ずは「今の日本が変わらない」かな。
国家クソバカ対立煽り分割統治
法律は集合論を適用すると穴しかないのでサブカル未満
情報量を意識すると全て美文になる、ターゲットに合わせた堅実なタイトル
同じことを二度も書かないこと
初心は理念ではなくマキャベリズムで実行する
プログラミング言語は手段、自然言語のほうが優れている
ゲーム理論は不信前提のゴミ
やさしく誠実にするだけで相手はもっとも動く
モテるし、会社もよくなる
ネットで陰口叩くと嫌われる
データベースインターネットにあるなら大学いらん
階級社会で政治家とかいう寄生虫が特権階級になるためのもの
SNSで世界動かせるぞつながっているから
岸田秀「〇〇〇〇〇」
…この文章は「文芸」の昭和五十八年十二月業に掲載されたが、
奇しくも「中央公論」の同年同月号に
アメリカ軍の爆撃機に乗り込んで爆撃地点を指示した日本兵の捕虜の話が出ている。
岩川隆が同誌に連載していた「決定的瞬間」の最終回である。
わたしはこの話を敗戦直後の中学生か高校生のときに知り…以来心…に棘のように…ひっかかていた…
この“captured Japanese Lieutenant”は…○○○○・○○○という少尉だったとのことである。
彼が爆撃地点を指示している現場を撮影した写真を残している当時の海兵隊…D.D.ダンカンは
「全世界にショックを与える信じがたい行為、明白なる不忠、反逆行為」と呆れたとのことである。
岩川は「しかし、自分がそのような場に置かれたとき
同じような行動をぜったいにとらないと言い切れるかどうか、私は幾度も繰り返して考えた」
と言っているが、正直いってわたしにも同じ思いがある…
○○○○・○○○の行為は
自分の妻子や両親の頭上に爆弾を降らせる行為と同じなのではないかと私は思った。
『当時の教育を受けた者からみると、この行為は理解できない』という感想を私は面接官の多くから聞いた…
そのたびに私は戦時教育とか民主教育とか、戦争世代とか、そのようなことは
○○○○・○○○の行為とかかわりはないのではないか。
戦友の頭上に爆弾を落とすことができるか、妻子の頭上に爆弾を落とすことができるか、
という問いにたいする答えは、教育とか思想の段階ではなく
それ以前の個人の倫理や感性にかかわる問題だろうと思った。
国家をさきに考えるような『愛国心』はけっきょく○○○○・○○○と同じようなうらはら、
新しい権力集団に追従する『裏切者』を生むのではないか。
状況が変わろうと支配体制が変わろうと、
その変化にゆるがされぬ頑固な日本人としての個人の倫理観をそれぞれが自由に育て、
保持して行くことが結果的に『愛国心』の保持ということになるのにちがいない…
>>25,
>>26 云いたい事は解る。当時は「日本人」も広範囲に居たからねw無論「日本兵」もw
「○○○○・○○○」氏は実際の日本人なのかな?wもしかしたら現在は「在日」と呼ばれてるか半島に居るかもw
或いは動画など無い時代のこと、投下位置でなく自身の実家や自宅を指差していた写真だったら?w
縦しんば指差した直後に投下されたとしても、その後の写真なり音声なり残ってる?w
残ってるとしても、それを公開できる?wやってみなよw嘘だって判ってるけどねw反証例も有るからw
電磁波犯罪 日本の超党派政治家 明仁平成天皇による拷問犯罪 戦争法規 ジュネーブ条約違反
アメリカ政府 在日米軍
米軍作成の暴動鎮圧非殺傷 指向性エネルギー兵器 ADS(Active Denial System)など。
95ギガヘルツのミリ波の電磁波を人間に向けて照射して動脈硬化などの様々な障害を与える兵器。
高周波。
種類はマイクロ波、電磁波パルス(EMP)、ソニック。
依頼者 アメリカ政府 実行者 日本政府超党派 天皇
依頼側 アメリカ政府、日本側 天皇、カルト団体創価学会、フリーメイソン(会員はほとんど在日米軍関係者)。大統領の関係、警察。
天皇を善玉だと決めつけると犯人がわからなくなってしまい、解決が遠のくので注意。発癌の危険性が高くなるなど、死に関わる事なので。
総理大臣も天皇の官僚命令で辞任させられる事があるので、関与はあるはず。
アメリカが外国に頼んでるからといって、世界中で電磁波犯罪が行われているわけではない。
各国は法整備で組織ストーカーや電磁波兵器の違法化で対策しているのだから。アメリカの犬もやっていない。
天皇 (日本政府超党派)→ 警察 設置、リモート操作?
自民党、旧民主党
一般市民の家の電源
民主党政権で自民党や公明党が下野しても、この一般市民攻撃兵器の使用が行われていた。
反日カルト以外の総理大臣は1年くらいでマスコミと官僚総勢で辞任させる明仁天皇。
日本政治の黒幕犯罪者。
天皇は反日の犯罪者。
豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」2008年
…第三章は、昭和天皇とマッカーサーの第八回会見から通訳を務めた
外交官の故松井明が書き残した「天皇の通訳」と題する文書(「松井文書」)の「写し」を朝日新聞社が入手し、
それを筆者が研究者としてただ一人閲読し分析する機会に恵まれたことを踏まえ…
この「松井文書」によって、一一回にわたった昭和天皇とマッカーサーの会見のなかでも、
政治的にきわめて重要な意味をもった第四回会見の全貌が明らかとなり、
さらに、天皇が本格的な「外交」に乗り出す契機となった第九回、第一〇回会見の詳細も知られるところとなった。
また、両者にとって最後の会見である
第一一回会見において昭和天皇が、東京裁判について「謝意」を表していたことも明らかとなった。
この「謝意」発言も言うまでもなく、
天皇の靖国参拝中止の背景を解き明かす重要な手掛かりを提供するものである。
「松井文書」にはさらに、マッカーサーを引き継いだ
リッジウェイ最高司令官と昭和天皇との七回に及んだ会見の記録も含まれていた。
これらの会見記録によって、昭和天皇が
朝鮮戦争をめぐる軍事情勢にいかに重大な関心をよせていたかが確認されるとともに、
サンフランシスコ講和条約に“絶賛”とも言える高い評価を与えていたことも明らかとなった。
以上のように「松井文書」は、マッカーサーやリッジウェイと会見した
昭和天皇の「肉声」を詳細に記録したものであり、この文書によって、
占領下において昭和天皇が日本をめぐる内外情勢をいかに認識していたかが
きわめて具体的に知られるところとなり…
第四章は…拙著『安保条約の成立』(岩波新書、一九九六年)で提起した「仮説」を
今日の時点で改めて検証する作業を通して…新たな構図を描き出そうとする…
その「仮説」とは、占領下において昭和天皇が
「天皇外交」とも称すべき「高度に政治的な行為」を展開することによって、
戦後日本の安全保障体制の枠組み形成に重要な役割を果たしたのではないか、というものである。
この「仮説」を再検証するにあたり…
昭和天皇が占領下において直面した脅威を二つの段階に区分けして論じている。
第一段階は、敗戦直後から直面した戦犯として訴追されるのではないかという危機と、
憲法改正作業において天皇制が消滅するのではないかという未曽有の危機である。
特に、後者の問題の深刻さと事態の展開を把握するためには、
日本占領の全権を掌握しているはずの連合国最高司令官マッカーサーとは別に、
なぜワシントンに憲法改正問題を担う極東委員会という
占領政策の最高決定機関が設置されることになったのか、という問題を解明することが不可欠…である…
つまり、日本占領を国際的な文脈のなかに位置づけ直す…ことによって、
なぜ憲法改正がマッカーサーによる“押し付け”という形態をとらざるを得なかったのかという問題が、
初めて明らかになってくる…
第一段階の危機を切り抜けた昭和天皇が第二段階において直面したものは、
言うまでもなく共産主義の脅威であった。
世界が冷戦対決の時代を迎える前後から昭和天皇は、
内外の共産主義が天皇制の打倒をめざして直接・間接に日本を侵略してくるのではないか、
という危機感に苛まれていた…
こうした差し迫る脅威に直面した昭和天皇にあっては、非武装を規定した憲法九条によっても、
機能を失った国際連合によっても日本を守ることは不可能である以上、
天皇制の防衛は米軍という「外国軍」に依拠する以外ない、
という結論に至ったことはきわめて自然の成り行きであった。
かくして、米軍駐留に基づいた安全保障体制の構築は、いかなる政治勢力や政治家にとってよりも、
昭和天皇にとって文字通り至上の課題となった。
ここに、「象徴天皇」となって以降も、
なりふり構わぬ「天皇外交」を展開した決定的な背景を見出すことができる…
つまり、安保体制こそ戦後日本の新たな「国体」となったのである。
このように、本章において筆者がとった基本的なアプローチは…
占領下というきわめて“特異な環境”のもとで、
天皇制の防衛を至上の課題とする「政治家」としての昭和天皇が
内外情勢をリアルに分析していだであろう“同じ地平”にたって問題のありかを再構成する、というものである。
こういうアプローチによって…「立憲君主」という自己規定の枠組みを乗り越えて昭和天皇が、
“超憲法的”に「高度に政治的な行為」を展開した背景を捉えることができる…
これだけの準備を経た「御答」における「東条非難」という核心部分において当局は“待った”をかけ、
「大きな騒動」さえ危惧しつつ回答の訂正を行った…一体この間に何がおこったのであろうか。
九月二五日付の『ニューヨーク・タイムズ』の一面トップに掲載されたクルックホーンの記事に、
「ヒロヒト、インタビューで奇襲の責任を東条におしつける」という大見出しが付されていたことも
何らか影響していたのであろうか。確かなところを知ることはできないが、
当時の外相であった重光葵の以下の指摘(『続 重光葵手記』)は重要な意味をはらんでいる…
そもそも彼は、天皇の側近たちが「米国新聞記者」やマッカーサーと会見して、
戦争責任について「東条大将以下の軍閥」を攻撃して「自己弁明」をはかっていることをきびしく批判していた。
ところが天皇までもがクルックホーンを謁見し、さらには「米国大使館に行幸、
マッカーサー将軍に敬意を表せられた」のである。
この事態について重光は、
「聯合軍総司令部に対する媚態は要するに戦争責任に対する自信のなきより生ずるものであって、
全然内兜を見透かされてしまったのである」と評した。
彼の立場がこのようなものであった以上、早くも九月一七日には辞職を迫られ、
代わって「マ元帥と話しの出来る外相」として吉田茂が抜擢された…
さて、この重光が当時最も危惧したのは、
「若し夫れ、陛下御自身真珠湾攻撃に責なきことを公然言明せらるるに至らば、
国体の擁護は国内より崩壊を見るに至らんことを恐るるに至れり」ということであった。
彼はその「恐れ」の背景として、「蓋し軍部の玉砕派は降伏、終戦に対し、
今日尚陛下の御聖断に対し内心平ならざるもの多きものあればなり」と指摘するのである。
この国の政治は天皇が元凶
この流れはずっと続く
国事行為の委任で、官僚が総理より偉い。国事行為は政治も含まれる。
天皇が国政トップ。
警察庁OBが実質天皇の下。
その下が官僚、
その下が総理大臣。
独裁政治。
民主主義の否定国家。
1億人を超す国民が選べるのは、国政4位の総理大臣だけ。
ゴキブリ天皇は不要
http://tennoukougoukousitu.seesaa.net/article/457885842.html 郵便番号の管理が捗る(郵便番号の基準点を知ってれば誰もが思う)
日本政治の黒幕は、明仁天皇だよ。
官僚とマスコミのトップ。
当たり前の事だが、天皇が最高権力者。
天皇が隠れすぎている。
天皇をどうにかしないと、日本政治は良くなるわけがない。
日本では天皇と政権による暗殺が多発している。
政権だけの犯行ではない。
政権、政党を超えた犯罪だ。
日本の官僚の最高司令官は、天皇だ。
国民には社会見学をする、姿しか見せていない天皇皇后が犯人だ。
天皇という独裁者が支援している、安倍、麻生。
2019年までの皇室法と即位の為に、天皇が安倍支援している。
明仁天皇批判が一番効果があるぞ。本当だ
>>38 そして、キミが崇拝するマサオキ天皇を掲げようってコトだねw
メリットは外国の王室や国家元首との交際では
天皇がやや有利になるとか?
豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」
天皇より…“新憲法作成への助力に対する謝意”などについての御発言がある。
(『昭和天皇実録』一九四六年五月三一日)
これは、GHQ(連合国総司令部)憲法草案の提示をうけ日本側での起草作業を経て、
一九四六年四月一七日に日本政府草案が公表され枢密院での審議に付されていた最中に行なわれた、
マッカーサー(連合国最高司令官)との第二回会見における昭和天皇の発現を記したものである。
天皇はマッカーサーに対し、
…この度成立する憲法により、民主的新日本建設の基礎が確立された旨の御確認を示され、
憲法改正に際しての最高司令官の指導に“感謝の意”を示される。
(『昭和天皇実録』一九四六年一〇月一六日)
これは、一九四六年一一月三日の日本国憲法の公布を前にして行われた、
マッカーサーとの第三回会見における昭和天皇の発現を記したものである。
右の二つの記述はいずれも、
新憲法の制定におけるマッカーサーの助力と指導に対する昭和天皇の「謝意」が示されている。
戦争裁判(東京裁判)に対して貴司令官が執られた態度に付此機会に“謝意を表したい”と思います。
(『松井明文書』一九五一年四月一五日)
この記述は、朝鮮戦争の軍事作戦をめぐる対立によって最高司令官の地位を解任された
マッカーサーが一九五一年四月一六日に帰国する前日に行なわれた最後の会見における昭和天皇の発現を、
通訳を務めた内閣総理大臣秘書官の松井明が書き記したものである。
東京裁判に際してのマッカーサーの態度に、昭和天皇が「謝意」を表したことが示されている。
そもそも日本は敗戦に伴って国の内外から「国家改造」を迫られ、
憲法改正と東京裁判という未曽有の事態に直面することとなった。
問題の深刻さは、天皇制の存続自体、
さらには昭和天皇の地位そのものが危機に瀕することさえ予想されたところにあった。
この歴史的な危機にあって昭和天皇は、
天皇制の維持が確保された新憲法の制定と、自らは免訴となった東京裁判の結果を、
内外情勢を踏まえつつリアルな判断で受け入れ、事態を主導した
マッカーサーに対して率直に「謝意」を表したのである。
時代は下って、一九七〇年代後半になって靖国神社へのA級戦犯の合祀が問題となったとき、
昭和天皇は「親の心子知らず」と厳しく批判した…。
「親」とは、占領期に側近中の側近として昭和天皇を支え続けた宮内大臣の松平慶民であり、
「子」とは、靖国神社の宮司として一九七八年に
「東京裁判を否定しなければ日本の精神復興はできない」との信念でA級戦犯の合祀に踏み切った、
慶民の長男の松平永芳のことである。
昭和天皇にあっては、「松平親子」の関係が問題なのではなく、
A級戦犯の合祀が天皇家と靖国神社の関係、靖国神社の存在それ自体、
さらには国際社会における日本の立ち位置を危うくすることが問題であった。
だからこそ、逝去の前々年の一九八七年八月一五日には、
「靖国とは国をやすらかにすることであるが、とご心配」になって、
「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」との御製を詠んだのである
(徳川義寛『侍従長の遺言』)。
米国から高官が来日し、日本側と講和問題で話し合う場合、
日本政府や連合国最高司令官が承認する人物と会うだけではなく、
現在公職追放中であれ、日米双方の信頼を得た善意と経験ある人物とも会うべきである旨、
また講和条約に関する最終決定前に官民双方で構成する諮問委員会を作るべきである旨、
また公職追放令の緩和が日米双方に最も好ましい影響を与える旨などが記される。
(『昭和天皇実録』一九五〇年六月一四日)
この記述は、対日講和問題担当の米大統領特使ジョン・フォスター・ダレスが、
一九五〇年六月下旬に初めて来日した際に託された「天皇の伝言」について、
帰国後に国務長官に提出した報告書からの引用である。
この「天皇の伝言」の核心は、講和条約の軸となる安保条約が「最終決定」される前に、
当時の吉田茂政権とは別に、公職追放中の人物たちをも加えた「諮問委員会」が作られ、
米国側と話し合う機会が設けられるべきである、ということにあった。
当時の昭和天皇の地位は、
三年前の一九四七年五月三日に施行された現憲法において「象徴天皇」と規定されていた。
ダレス特使は〔日米〕二国間協定について、
日本の要請に基づき米国軍隊は日本とその周辺に駐留するであろうと述べた…
この説明に応えて、皇帝〔昭和天皇〕は全面的な同意を表明した。
(『米国対外関係文書一九五一年・六巻』一九五一年二月一〇日)
この記述は、一九五一年一月末に第一次の日米交渉のため来日した
ダレスと初めて会見した際の昭和天皇の発現である。一〇日間近い交渉の結果をうけて、
日本側からの「要請」に基づいて米軍が駐留するという安保条約の論理の核心をダレスが説明したのに対し、
天皇は「全面的な同意」を表明した。なぜなら、この論理こそ、
前年六月の「天皇の伝言」以来、天皇が求め続けてきた論理そのものであったからである。
当時は吉田政権の閣僚レベルであってさえ、交渉の内実を何ら知らされず、
議論さえ行われていない段階であった。
それでは、なぜ昭和天皇は、「象徴天皇」という規定を無視して、
高度に政治的な問題そのものである安保条約の成立に深くかかわったのであろうか。
それは、共産主義による天皇制の打倒という脅威に対処するためであった。
天皇にあっては、天皇制の危機を乗り越えることは、憲法規定を遵守するよりも重要なことであった。
以上に見たように、昭和天皇は日本の敗戦から講和条約の締結に至るまでに、
天皇制の維持それ自体が危機に瀕するような、二つの重大かつ深刻な危機に直面した。
まず第一の危機として、憲法改正作業の成り行き次第では天皇制が廃止される危険性があり得たし、
さらに東京裁判の展開次第では昭和天皇自身が訴追される恐れもあった。
そこには、退位を迫る内外からの圧力が加わった。
こうした、敗戦に伴う深刻な危機を、新憲法の成立と東京裁判の決着という形で乗り越えた昭和天皇が、
とりわけ一九四七年以降に直面することになった第二の危機が、
内外の共産主義による天皇制打倒という脅威であった。
この脅威に対抗するため天皇がなりふり構わずに選択したのが、米軍による天皇制の防衛という、
安保体制の形成に他ならなかった。
日本国民個人個人の命そのものに直接的に関わるような、または日本国民個人個人に対する重大な人権侵害に関わるようなことでもない限り、
天皇制を“メリット”とか“デメリット”とかの政策的視点で見ようとすること自体がナンセンス
例えばキミが暴走族を結成したとしよう
どんどん仲間が増えるが、そのうち1丁目グループとか3丁目グループとか
仲良しな小グループができてくる
そして、アイツは俺が襲われているときに助けなかっただの、
貸したガス代を返さないだのトラブルが発生して、そのうち分裂してしまう
そんなときに喧嘩の強いカリスマ総長がいれば
その求心力によって、グループ内の細々な問題は大きくならずに組織を維持できる
実際に喧嘩が強くなくても強いんだぞという思い込みを与えればよい
国民に戦争させようと思ったら天皇にカリスマ性を持たせて求心力を与え一致団結させるわけだ
そんなファシズム天皇によって満州奪還とか訳の分からない戦争までもが可能になる
>>48 現憲法においては天皇に政治的権能は認められていないのでそれはできません。
政府が日本国発の明らかな侵略戦争を起こそうとして、つまり暴走してそのために天皇を利用などしようとしても、
今の日本国民はそんなものにはついていきません。
天皇自身もそんなことは望みません。
あなたが先の大戦のトラウマなのは分かりますが、そんな過去のトラウマ視点だけで現代の判断をするのはナンセンスこの上ない。
天皇の名の下で今の日本が侵略戦争仕掛けるなんてあるわけないっしょ。
今考えなければいけないのは、アメリカがまた侵略戦争を起こしたとき、
日本が間接的にそれに加担させられる可能性や、北及び中国の脅威が現実になった場合、
自国による防衛ができるのか、アメリカの力が不可欠であるならば、
そのアメリカとの関係をどうするか?
というようなことでしょ。
そういう事柄に対して、
一義的には天皇云々は関係ない。
政府に間違った権力行使をさせないためにどうすべきか、が肝要。
そこに天皇云々を無理やりねじ込むことには何の意味もない。
ゴキブリ天皇と皇族が安倍を支援しているんだよ
法改正を期待して。 あいつら国賊だよ
しかも一般市民の寄せ集めの一族
>>50 お前には天皇が安倍晋三を本気で支援してるように見えるんか?笑
政治的権能を憲法で禁じられてるから、我慢に我慢を重ねてるってえのが真実だね。
憲法破ったら国民に迷惑かかるからね、しかし個人的心情としては、はらわた煮えくり返ってると思うね。
しかしながら、政府や自分たち皇族の立場やプライドがどうしたこうしたとかよりもまず国民のことを考え想ってるんだよ、天皇皇族の方々は。
ただの適当寄せ集め一族だったらそんなことは出来てねえよ。
中国朝鮮人的発想が有り有りだな、お前。
>>4 中学生の作文か。事実の証明がまったく無いな。
>>36・38
今度は小学生の作文か。憶測・伝聞では事実の証明にはならない。
天皇制度批判スレッドは人気があるのに
賛成スレは人気が無いね
>>54 人気の問題じゃないみたいだよw反対派はケータイ無しでも困らない環境下に住んでるからw
PCではアクセス出来ないスレだからスレの存在自体に気付けないだけさw
>>55 「にんき」じゃなく「ひとけ」かも知れない。
まぁそもそも、物事、基本アンチスレの方が
アンチが書く→ファンが反論する→アンチが再反論する……となるので
伸びやすくはあるわな。
>>57 現代の「人モドキ」に成るより遠〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い昔の、ちゃんとした「朝鮮の人」だねw
>>58 まぁその調子でいくと、人類皆アフリカ人なわけだがな。
にしても、動物としてのヒトに民族による性能の差違なんて本来ないはずなのに
何であそこまで退化したのやら。
…………腐れた儒教の影響かねえ?
>>57 立証をどうぞ。私は利口なんだよと言っても、誰も信じまい。主張したいなら立証しろ。
>>54 天皇制の“メリット”
なんちゅう捉え方自体がズレてる。
メリットとかデメリットとかの範疇で評価するような対象じゃないんだよ。
日本国における現状社会での様々な方面での様々な有り様を見ると、むしろ国民の方が天皇陛下を陛下として戴き得るレベルにあるのかどうかを自問しなきゃいけないんじゃないか、とすら思えるね。
やっぱ国民に戦争させるときは天皇は必要不可欠だよ
ナチスにはヒトラーのカリスマ性は絶対に必要だった
そのカリスマ性が末端の兵士に必要かどうかでなく
中間層の指揮、管理する者に必要なんだ
例えば、学校では「男子だるもの天皇のために死ね」と教えている
勝てる望みが無くても「天皇バンザイ!」と叫びながら突撃する
沖縄での戦いをアメリカ人が書いた記録によれば、
アメリカ人が欧州戦でも経験したことのない死闘が繰り広げられ
物量で大差をつけているアメリカは簡単に終わると思っていたが
米兵が次々に精神に異常をきたして恐ろしい状況だったと書いている
イスラムの自爆兵士もそうだが、
死ぬことを恐れない兵士を作るには神がかりな朝鮮天皇は必要だった
もし下劣な朝鮮天皇が居なかったら日本兵はそこまで頑張らなかったのではないだろううか
>>61 それは天皇が良いものというまなざしですね
>>62 特攻や死闘の例は、王族がいない国でも山ほど有る。
君が不勉強なだけ。
実際、特攻隊の手記は「天皇のために死ぬ」ではなく
「家族のため、少しでも占領政策が穏便になるように死ぬ」等々の物だらけ。
太平洋戦争で米国が予想外の激戦を強いられたのは
彼らが苦手科目の「塹壕戦」だったから。
つか、ベトナム見て分かるよーに、あいつらが地上戦甘く見て大火傷するのは、伝統芸でしょ
つか、君は
「僕、家族のために命を賭けるとか無理!」ってことかしら?
太平洋戦争でも天皇陛下の為に
戦争に行ったという人達は少ない
>>64 20年の8月16日付けで飛び立つ筈だった父は遺書に「皆の未来の為に」と書いたそうです。
彼は、きっと家族であれ彼女であれ、自分以外の誰の為にも戦う気は無いと思う。
奴隷民族ジャップはなんで中韓人天皇に税金貢いでるん
>>66 貴方のお父様のお気持ちは素晴らしい物だと思う。
大東亜共栄圏の思想は手放しで賞賛されるべきものではないし、
特攻戦法も、採用者は指揮官として越えるベきでない一線を越えたと言わざる得ないが、
それでも、末端の兵士を「洗脳されて戦わされてた愚者」と嘲笑うことは
許されない行為だと感じる。
>>67 「君らと違って」日本人は差別主義者じゃないからさ。
大和民族の役に立ってくれるなら、どこのルーツの人だろうが、正統な報酬は払うとも。
他の民族とあらば、文化財を盗もうが、特許を剽窃しようが、無罪とほざく君たちと
一緒にしないでくれ。
それに、おそらく君の論法を適用すると、どーせ
日本人の殆どは中韓人になり、それ以前に日本人も中韓人も全てはアフリカ人だ。
つまり、君のハチャメチャルーツ論は、気にするに値しない。
奈良をヤマト民族というんやから、奈良人と一緒にはされたないなあ
ナラ=朝鮮語で国
奈良は朝鮮人植民地
奈良人の代表者 明石家さんま 辻元清美 天皇明仁 ←朝鮮顔しかおらへん
やっぱね
奈良時代ころに移民してきはったんやろ
中国と半島から
日本人やないね、天皇はん
皇帝ごっこの新興宗教、信じひんよ
日本の先祖はアイヌ
>>69 大東亜共栄圏構想は手放しでは賞賛出来ない
ましてや特攻作戦は戦術や戦略としては最低ですね
>>67・68
で、お前さんは自分がチョンでーす、と発表しているわけだな。
>>70 〜 73
植民地ではない。入植地。
半島で食い詰めた奴らが「ここに置いてください」と泣きついてきたので、入植を認めて
やったのだ。
奈良というのは現代の言葉。むかしは「ヤマト」だったから、お前の説は間違い。
天皇家は宮崎から移動して入られた。
FhZは考えることが軽薄で、思想が薄っぺらいわな。小学校から勉強し直せ。
>>67 >>68 ↑
おい、おめえよ、
天皇が朝鮮半島出身とかなんとかて、卑下する目的でほざいとるんか?
それやったらな、“中韓人”とか言わんと、“チョン公野郎”とか、“チュン公野郎”とか、
そういう表現使こうてみいや笑
ほれ、笑 言うてみいや、笑
なんだ、笑 言えねえのか?
そりゃ、つまり天皇が“朝鮮半島出身”だっちゅう主張は、朝鮮出身であることを卑下する目的で言ってるじゃなくて、
“天皇は朝鮮出身なんだよ”ってことにより朝鮮民族がいかに優れた民族かということを主張したいいうことでっかぁ?笑
もしそうなら、
パクリ盗作盗っ人猛々しい、が本能として宿ってる中韓人らしい主張だな、
としか言いようがない
ってことにもなりかねんでよ笑
>>79 >“天皇は朝鮮出身なんだよ”ってことにより朝鮮民族がいかに優れた民族かということを主張したい
…んだとすると、無駄レスですなw今の朝鮮民族と同じ憂き目に遭わない様に逃げて来たんですからw
>>80 “日本に逃げてきた”?笑
お前もそのクチなのがバレバレだな。
天皇家が中韓人の末裔なのは自明。
大陸から排除された天皇の先祖が縄文後期にほぼ無人化していた西日本に亡命した。
当時は文字もなかったので「天皇」という文字も当然しらない。無名の中国東部民だった。
飛鳥時代ころ関西の奈良に定着、大陸で起こした内乱でも敗走、
任那を失い、同盟国だった百済人と共に朝鮮語でナラ(国)を宣言、
遣隋使を通じ朝貢した隋皇帝から倭奴の称号を得た。
このころ中国人皇帝の神話上の祖・三皇の一人から天皇という号を借用しだす。
古墳時代を通じ全国に存在していた縄文文明の指導者らを弾圧、主権を侵害した上で、歴史改竄により記録抹消、
自らを中国大陸から渡ってきた神とし、古事記、日本書紀を聖典とする自己崇拝教である神道を捏造、
支配正統性を王権神授説で糊塗した。
先住権をもつ日本人は各地で天皇軍に反抗し独立をとりもどそうとしたが、
たびたび弾圧を受け、殺された。やがて徳川家が内乱を統一するも、
そのころ天皇は部下扱いした地位を授ける事で権力を維持する戦略をとっており、
百済の末裔が住む山口県の農民であった伊藤博文が権力簒奪し、
以後、首相を天皇が任命する、という形で天皇は地位を維持した。
GHQは軍事的に日本を征服したが天皇はGHQに傀儡として利用される形で同等の地位を維持した。
天皇は中韓人が日本へ侵略する形で成立した、自己崇拝教と合わせた中華皇帝模倣者であり、
その存在は日本人の奴隷化にしか役立たない。つまり日本人の主権と対立し続けてきた。
天皇の次位に置かれた権力者は天皇が与えた地位を権威の源泉にしようとした、という解釈もあるが、
これは王権神授説に基づく将軍制、首相制を無視したGHQの存在で否定される。
天皇の存在は純粋な独裁者なのであり、国権の一切を支配しているままである。
>>82 「自明」とは認められないから、立証して下さい。立証できなければ82はすべて無駄レスだね。
天皇家に縄文時代以前の日本における歴史がなく、
そのはじまりが、中国大陸から長崎県(日向国)へ侵入した神武東征だから。
縄文時代・石器時代は約5万年
弥生時代は2800年前
神武東征とされる時期は弥生時代
習うってなんだろう
日本で生まれて日本で研究した日本人は自力で歴史考証してるに決まってるだろう
文科省の検定教科書(笑)で「習った」、薩長史観・皇国史観まみれの虚構を、
君はどの教育段階まで本当に真だと思って生きてきたのか
学問が政府の御用期間だと思ってる時点で低知能確定
もう歴史学の土俵に乗れないね
まあ浅学の君らにゃ 解んねえべよ
遺伝子学的には沖縄人とアイヌ人がよく似ている、これらが
日本原住民ではないか、そこへ弥生人が米文明をもって大陸から侵入
これらが日本武尊蝦夷征伐で日本列島を我がものにした
そして人種が交わる よって日本列島は台湾と同じく
人種は大陸から来たので日本列島は我が中国のものであると判明した
だれも異論はない
>>82 こじつけ丸出し部多すぎ。
そう思いたい、信じ込みたいんだろ?
笑
チュン公民族としてはよ 笑
中国人のものではないよ
主権は日本国民にあるんだから
それと弥生人が「わが物とした」というのも、大雑把過ぎて間違い。
縄文・アイヌ・琉球人が主権をもったままの地域が明治まで存続したし、
途中では徳川政権のよう、縄文系とも考えられる一族が覇権を取ったこともある。
現時点でも主権は個々の日本国民にあり、その中には純潔の先住日本人も含まれる。
>>89 まあ、仮にそうだったとしてだ、笑
日本国は“中国のもの”になってるんでっか?現実によ。アハハ笑
共産主義政党一党独裁やおまへんで日本は。
民主主義に基づいた憲法がありまっせ、日本には。
ロリコン毛沢東爺さんが文化大革命とやらのうわごと喚きながら盛んに自国民同胞を何千万人も虐殺しまくってた
“戦後の”十数年の間、日本は経済成長を実現して、あんたらチュン人達との生産性に繋がらないシガラミから“イチ抜けた”しとりまっせ、日本は。
あんたらチュン人にとって戦後の日本は、嫉妬ねたみの対象なのはようわかってるからさ。
マッタク、チュン人チョン人特有の、“パクリ盗作居直り盗っ人猛々しい”を絵に描いたような野郎だな、コイツ。笑
>>89
“日本列島はわが中国のものと判明した、誰も異論はない”←笑WWW
↑
これ、何度みてもワロタwww
戦後70年以上経ってる現代国際社会の“現実”において、
今どき、自国以外の他国に対してそれを丸ごと
“我が国のものだ”
とか喚く阿呆はオメエ以外いねえよ。
笑
逆に戦後70余年の現在において、中国は日本のものだ、とかチョン半島半島は日本のものだ、とか喚く日本人はおらんよ。笑
ちゅうか、第一要らねえし。
肥溜め便所みたいなもんが幾つもあったって臭えだけだわさ。 >>94 毛沢東政権下で日本に亡命した中国人の多いことwねw
私の高校時代の友達にもペンネームが「秋津島 倭」っていう純血中国人が居たよw
>>87 あのね、現存する資料を「捏造」とし、自身の主張の根拠は「消去された」と言い張り
ウリナラファンタジーを展開することを、この国では
歴史公証とは言わないよ。
朝鮮人が国を「ナラ」と呼称し始めたのは中世以降。
時系列が合わないな。
朝廷が強大な軍隊を持ってた時期なんてごく僅か。
反乱なんてあったら、速攻消えてる。
明治政府の要職を握ったのは旧薩摩と旧長州。
伊藤博文は維新当初はそんなにビッグネームって訳じゃねーよ。
そもそも日本神話(というかアニミズム全般)は
王権神授説には使えんよ。精々権威付け止まり。
無駄なウリジナル設定の盛り込み。
日本の歴史への根本的な不理解。
韓国人が唯一知ってるだろう日本人の伊藤博文の過大評価。
似非キリスト教国特有の多神教への無知。
……正体見えてるよ。マッコリあおってとっとと寝なさい。
>>96 中国人でありながら日本の本州を示す「秋津島」となw
もしや「倭」は「ヤマト」と読むのでわ?w
>>98 そうです(^^)「アキツシマ ヤマト」。本名は「イェ チュンミン」なんですけどね(^^)
>>99 イ…「イェ」?漢字で、どう書くの?「家」…は日本読みだし…
本名を日本読みで提示して貰うと「個人情報」云々て言われるし…どうすればいい?
【今週の御皇室】「高御座」移送と修復〜過度なコスト重視に何の意味が? / 講演報告(伊勢・三重県神社総代会)[桜H30/4/19]
ダウンロード&関連動画>>![](https://img.youtube.com/vi/UtgwP-qQLkc/0.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/UtgwP-qQLkc/1.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/UtgwP-qQLkc/2.jpg)
@YouTube 来年10月22日の「即位礼正殿の儀」で、新しい天皇陛下が即位を宣言される際にお立ちになる「高御座(たかみくら)」が、
皇后陛下が立たれる「御帳台(みちょうだい)」と併せて、京都御所から東京へ移送され、修復作業が行われる件についてお伝えするとともに、
その費用を問題視するかのような報道が一部で見られることに対し、疑問を呈します。
また、即位にまつわる儀式が、ぜひとも古式ゆかしい装束で催行されるよう、改めて提言します。
そして、4月17日に伊勢の神宮会館を訪ね、三重県神社総代会でお話しした講演についても報告いたします。
出演:清水有子(皇室評論家)
昔、小室直樹が「危機の構造」で
日本の精神文化は『想ったことが現実である』の世界であり、この考え方はとても危険である。
と言っていた。と記憶している。
西欧文明は人間の思い込みの“外に”『動かぬ真理が存在する』の世界であり、日本と全く逆である。
(本来の)朱子学も、「理」(=宇宙の原理)と「気」(=生成する生命=人間が持つ動物的情動)の世界を表し、
「理」によって自己が持つ「気」を統制するように思想が組み立てられている。これは正にプラトン哲学だ。
《そこでは、自己と社会、自己と宇宙は、理という普遍的原理を通して結ばれており(理一分殊)、
自己修養(修己)による理の把握から社会秩序の維持(治人)に到ることができるとする、
個人と社会を統合する思想を提唱した》《なお朱子の理とは、理は形而上のもの、
気は形而下のものであってまったく別の二物(「理気二元論」)であるが、
たがいに単独で存在することができず、両者は「不離不雑」の関係であるとする》
《この「理気二元論」の立場に立つ存在論から、「性即理」という実践論が導かれている。
「性即理」の「性」とは心が静かな状態である。この「性」が動くと「情」になり、
さらに激しく動きバランスを崩すと「欲」となる。「欲」にまで行くと心は悪となるため、
たえず「情」を統御し「性」に戻す努力が必要とされるというのが、朱子学の説く倫理的テーマである。
つまり、朱子学の核心は実践倫理である。朱子学は、この「性」にのみ「理」を認める(=「性即理」)のであり、
この「性」に戻ることが「修己」の内容である》
ところが天皇制は『思ったことが現実だ』の世界であり、
立場の強い者の(現実を乖離した)《想い》が《真の現実》とすり替わる世界である。
そしてそれが立場の弱い者に強制される世界である
(だから一生懸命公文書を改ざんしたり消去したりしている。それを強制された者が命を絶っている)。
宇宙を表現した絶対不動で唯一の《超越的な規範》によって
(立場の強い者=独裁者を含む)人間の“思い込み”を正すことが出来ない世界である。
だから勝てもしない太平洋戦争を強行し、安全でも無い福島第一原発を稼働させ続けて破裂させている。
つまり個人の勝手な思い込みが《種》=組織全体を危機に曝している。これが「危機の構造」である
(何故社会がこの病的状態にまで至るのか。これを精神心理学的に深く分析した開祖がフロイトであり、
更にそれを発展させ、深く分析した者が〇〇〇〇の精神医学者である〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇である)。
これは正に(ヒトラーを生み出しそれに熱狂するような大衆を生み出す)《大変危険な世界》である。
カレル・ヴァン・ウォルフレン「日本/権力構造の謎」
…さらに、ジャーナリストや学者たちが、
自国の社会を論じるのに西欧製の社会や政治・経済の概念を日本に誤って転用するので、
…日本…について誤った理解をすることになる。
…というのは、日本の社会でいう“現実”とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、
心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき“リアリティ”だからである。
… その結果、…文化人類学者クリスティ・キーファーが言うように、
真実が社会的に構成されるようになったのである。
…西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、
妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。
ギリィシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫い…た戒め…は、「矛盾を育むなかれ」ということ…
この戒めは論理、数学、科学の根本法則である。
…だが、はっきりしていることは、他のアジアを詳しく見ても、
日本ほど“リアリティの管理”がおこなわれている国はほかにないということである。
…どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、
基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。
これには、日本に長く滞在した西欧人もアジア人もたいていびっくりする。
… 超越的な真理を認めない政治的文化の本質を西欧人が理解するには、なみはずれた知的努力がいる。
… 西欧の知的・倫理的な伝統は、
普遍的に通用する何らかの信念があるという前提に深く根ざしているので、
このような前提を欠く文化がありうるとは、とても考えおよばない。
西欧では子供を教育するのに、
人間の欲望や気まぐれな考えとは関係のないところに宇宙を支配する究極的な論理があるという前提を、
それとなく教えこむのが、暗黙のうちに了解されている一般的な慣行である。
>日本の社会でいう“現実”とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、
>心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき“リアリティ”だからである
>だが、はっきりしていることは、他のアジアを詳しく見ても、
>日本ほど“リアリティの管理”がおこなわれている国はほかにないということである
>超越的な真理を認めない政治的文化の本質を西欧人が理解するには、なみはずれた知的努力がいる。
>… 西欧の知的・倫理的な伝統は、
>普遍的に通用する何らかの信念があるという前提に深く根ざしているので、
>このような前提を欠く文化がありうるとは、とても考えおよばない
堀田善衛「上海日記」
三人で、渡辺さんを加へ話したことだが、どうも僕は、
日本はアテネやスパルタのやうに滅びるのではないかと思ふ。
この大東亜戦争が恐らく第一弾のものではないのか。
何しろ日本人ほど何かをやりたい、やりたい、やりたいといふ
慾情につかれた人民ばかりで成り立つている国家といふものはないであらう…「かつて東方に国ありき」……と。
ともあれ、もはや世界には日本と戦争をしなかったといふ国はないのである。いはゝ゛世界の札つきである。
上海に来て僕の感じたことのうちで大きいことは、日本人といふものは、余程特異な存在であるといふことだ。
その風俗習慣、物の考え方に、国際的に共通、意識共通なものは殆どないといふこと。
しかも世界の如何なるものをも理解出来るらしいといふこと。
これはともあれ余程特異な人間の集まりである。余程余程特異なのだ。
この堀田善衛氏の言うことは、何となく
漠然と分るようで具体的に何を意味しているのかが(今まで)今一つ解らなかった。
尋ねようにも既に堀田氏はこの世の人ではない。
だからまあ《堀田という人が敗戦前後の上海でそう感じたのね…》ぐらいで
(深い意味を読み取らずに)“軽く”受け流してしまう。
しかし堀田善衛氏は(250年も鎖国した上でアジアへ進出し、国際都市の上海を占領した日本軍と、
結局その母国の惨敗=占領者から敗残者となって、進出した大陸からの
命がけの逃避行という空前絶後の帰結を前にして)何かを深く認識し、その上でこの言葉を発したのではないか。
堀田善衛氏の他の記述を見ると(痛ましい戦乱の描写と共に)それが見える。『余程特異』を何度も繰り返している。
骨身に滲みて出る言葉である。それでもこの短い言葉から何が言いたいのか意味が良く汲み取れなかった。
>どうも僕は、日本はアテネやスパルタのやうに滅びるのではないかと思ふ
>この大東亜戦争が恐らく第一弾のものではないのか
>日本人ほど何かをやりたい、やりたい、
>やりたいといふ慾情につかれた人民ばかりで成り立つている国家といふものはない
>日本人といふものは、余程特異な存在であるといふこと
>その風俗習慣、物の考え方に、国際的に共通、意識共通なものは殆どない
>しかも世界の如何なるものをも理解出来るらしい
>これはともあれ余程特異な人間の集まりである
>どうも僕は、日本はアテネやスパルタのやうに滅びるのではないかと思ふ
>日本人ほど何かをやりたい、やりたい、やりたいといふ慾情につかれた人民ばかり成り立つものはない
>しかも世界の如何なるものをも理解出来るらしい
先行する文明が築いた成果を羨望し、自分も持ちたいと思っている。
が、肝心の自分自身が目指す理想は無い。
それで後出しでそれをパクろうとする。パクって先行者を追い落とし自分が取って代わろうとする。
という欲望に取りつかれている。
(そこら中の他人の領分に後から押し入り彼らの《宝》を横取りしようとする、ような考えに取りつかれている)
だから滅ぶんじゃないか。
>上海に来て僕の感じたことのうちで大きいことは、
>日本人といふものは、余程特異な存在であるといふこと
>その風俗習慣、物の考え方に、国際的に共通、意識共通なものは殆どない
世界中のものをパクりながら自分の心の中には世界に通じる価値観が無い。
(進んだ世界が持つ“モノに”羨望しつつも)他人に理解不能な主観しかない。そうやって結局日本は敗けた。
物理的に敗けただけではなく、思想的に敗けている。
ということが日本の大陸進出・惨敗・撤退という一連のプロセスから見えてきた。
日本が(“後出し”で)造るモノが世界に通用するのはそれが元々
普遍的理念を基に設計されたもののパクリだからで、
日本人とその社会が世界に通じる普遍的な思想を(自前で創り出し)持っているからではない。
そのような人間集団が他人の領分に押し入った上で
(理念は一切共有せずに)モノをパクッて大暴れした末に自滅に至った。
日本がパクった手本の文明は
《何が組織、社会、国家、民族、ひいては人類“全体に”とって正しいのか》を考究し、
モーセの一神教、プラトン哲学を生み出した。
それに則って(社会“全体が”動き世代交代して、都度知識が受け渡され)ニュートン力学が生れ、
単なる経験に留まらない、普遍的理論に支えられた技術文明が発祥した。
日本にはこのような歴史上のプロセスが無い。
他人の進んだ文明をパクるのは(技術を知って)個人が権力を握りたいからで、理念を知りたいからではない。
自分が上に立ちたい、立ちたい、立ちたいと、
進んだ文明をパクリまくって(意志統一も無く其々が、手前勝手に)権力を振り回していたら
(本国もだが)(文字通り、日本が大陸に造った傀儡国家の満州)“国が”消えていた。
瞬時に消えて統治する側から石で追われ、戦車で追われ、叩き出される側となった。
統治機構が崩壊し、支配者のような生活をしていた庶民が命からがら逃げ出した。
だから《どうも僕は、日本はアテネやスパルタのやうに滅びるのではないかと思ふ》なのだ。
それでその第二弾が、
(4号機の燃料プールが燃えていたら)もう少しで国土消滅していた福島第一原発事故である。
だからこういう個人や社会の価値観を変えない限り第三弾は来る。
国や歴史は個人の寿命に比べて非常に長い。
『そんなことはある分けがない』と思っていても昔と“共通の”《構造》は続いている。
それが或るとき(環境変化で)表に出てくる時期がある。
そのような感覚を念頭に堀田善衛氏は《この大東亜戦争が恐らく第一弾のものではないのか》と言っているのだ。
上海という国際都市にきて、敗戦前後に27歳の堀田善衛氏がこう考えた、ということは重いのではないか。
プラトン全集12 『ティマイオス』『クリティアス』岩波書店
『ティマイオス』解説 種山恭子
本編には、そうした自然学説を批判しながら、『国家』の理念を支えるような宇宙論を展開している
『国家』では、魂の正常なあり方と、国家の正常なあり方とがパラレルに置かれて、
次のように論じられていた…個々一人一人の人間にも、理性、激情、欲望の三種類の魂が宿っており、
それに応じて、国家の成員にも、理性的人間、激情的人間、欲望的人間が存在する。
その三種のどれが主導権を握るかによって、個人のあり方も、国家のあり方も左右される
他人の生殺与奪の権を握ることや、自分の欲望の無際限な拡張と充足とに、無上の生甲斐を感じる手合い
(『ゴルギアス』中のカリクレスが代弁しているような連中…)が、政界をまかり通る時に生じる破綻は、
アテナイの現実からも十分見て取れるところであったろうが、
プラトンがまた、「権力政治」から「金権政治」へ、そこから「民主政治もしくは衆愚政治」へ、
そしてついに、最悪の形態たる、
個人の恣意にすべてが委ねられる「専制政治」への必然的な雪崩現象を予測していたこともつけ加えておこう。
「激情の種族」も「欲望の種族」もたしかに、個人においても国家においても、主導権を握る資格のない存在である。
国家で政治の枢要の位置を占める資格のあるものは、「名誉心に憑かれた者(ピロティモス)」でもないし、
「金銭に執着する者(ピロクレーマトス)」でもなく、ただ「知を愛する者(ピロソポス=哲学者)」――
つまり、冷静に推理し、全員にとって何が真に“善い”かを追求し、それを最大の関心事とする者――
だけであろうし、個人においても、衝動的・盲目的な「激情」や「欲望」でなく、
「理性」が主導権を握る状態が、もっとも正常なのである。
逆に言うと、人間の「理性」と同質の、しかしもっと純粋で…もっと強大な「宇宙の魂」が万有を動かしているのだ。
われわれは先に、『国家』では、個々の人間の構造と、国家全体の構造がパラレルに置かれて、
どちらにおいても理性の種族が主導権を握る“べき”だと言った。
本編では、人間の構造が、宇宙全体の構造とパラレルに置かれており、
しかも、宇宙においては、“じっさいに”、理性を宿す宇宙の魂…がすべてを動かしているのである。
「天にある理性の循環運動」は、われわれの「思考の回転運動」を矯正するモデルとなるものなのである…
われわれの理性と同質の、もっと純粋で強力な知的存在が宇宙全体を支配しているという点は、
…まさにそうした…この宇宙論全体の、大前提をなしているものなのだ
>つまり、冷静に推理し、全員にとって何が真に“善い”かを追求し、それを最大の関心事とする者――
>だけであろうし、個人においても、衝動的・盲目的な「激情」や「欲望」でなく、
>「理性」が主導権を握る状態が、もっとも正常なのである。
>「天にある理性の循環運動」は、われわれの「思考の回転運動」を矯正するモデルとなるものなのである…
>われわれの理性と同質の、もっと純粋で強力な知的存在が宇宙全体を支配しているという点は、
>…まさにそうした…この宇宙論全体の、大前提をなしているものなのだ
上記の《精神的歯止め》が日本社会にはさらさら無い。権力者の主観の暴走しかない。
主観の押しつけしかない。だからパワハラでありセクハラなのだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180405-00102558-playboyz-pol 外国人特派員が森友「公文書改ざん」に見た日本の深刻な病
──この国みんなが“民主主義のお芝居”を演じているだけ?
4/5(木) 10:00配信
森友学園への国有地格安売却に関する決裁文書を財務省が「改ざん」していたことが明らかになり、
昨年から続く森友問題は新たなステージに入った。
公文書を改ざんするという、民主主義への冒涜とも言える暴挙を、
“民主主義国家の先輩”フランス出身のジャーナリストはどう見ているのか?
…仏紙「ル・モンド」東京特派員、フィリップ・メスメール氏に聞いた――。
─国会では先日、衆参両院の予算委員会で佐川宣寿前財務省理財局長が証人喚問を受けましたが、
「公文書改ざん」はメスメールさんにとっても驚きでしたか?
メスメール
正直に言うと、あまり驚いてはいません。
むしろ「改ざんの事実が明らかになったこと」に驚いたと言ったほうがいいかもしれません。
朝日新聞の報道によって大きく動き出したわけですが、私はこの問題に関して
これまで自分が見聞きしてきたことのすべてが「日本の民主主義というシステムが、
あらゆるレベルで深刻な病に侵されている」ことを示しているように思えてなりません。
─あらゆるレベルで、とは?
メスメール
政府も官僚も国会も司法もメディアも、そして国民もです。
まず、政府と官僚ですが、森友問題は安倍首相率いる政府と、財務省という行政機関、
官僚組織の非常に歪な関係に端を発した問題です。
その過程で財務省が公文書改ざんという、常識では考えられない行為に出たことが明らかになった。
近代的な民主主義国家において、公文書の信頼性とは
「行政の信頼性」を根元から支える文字通りの「根幹」であって、
それを省庁が組織的に改ざんするなどあり得ない。
それは行政の信頼そのものを損なうことを意味するからです。
第二に国会です。財務省が改ざんした虚偽の文書によって国会が欺かれたにもかかわらず、
国会はこの問題を徹底的に追及することができていません。
第三に司法ですが、一連の出来事に対して「司法の独立性」を示せていないように思います。
そして、最後に国民です。この問題についてもっと大きな声で怒りや疑念を訴えるべきなのに、
デモに集まるのはせいぜい数千人規模でしかない。
…これほど酷い問題が起きても、日本人には権力に対して自ら異を唱え、
それを目に見える行動で示すことを「良しとしない」雰囲気がある…
民主主義の基本はひとりひとりの国民が「主権者」としての自覚を持ち、
自分たちの声を政治に反映させることに他なりません。
ところが、日本は政治に無関心な人が多い…政府も官僚も国会も司法もメディアも国民も、
日本の民主主義を構成するすべての人たちが表面上はそれぞれの役割を果たしているように見えて、
実際には「民主主義というお芝居」を演じているだけなのではないか?
という皮肉すら言いたくなってきます。それは森友問題に限ったことではなく、
加計学園問題、前川喜平元文科次官の講演に文科省が介入した問題、
そして南スーダン派遣に続いてイラク派遣でも
「なかったものが出てきた」自衛隊の日報問題などについても共通しているように思えます。
>正直に言うと、あまり驚いてはいません。
>むしろ「改ざんの事実が明らかになったこと」に驚いたと言ったほうがいいかもしれません
>これまで自分が見聞きしてきたことのすべてが「日本の民主主義というシステムが、
>あらゆるレベルで深刻な病に侵されている」ことを示しているように思えてなりません
>政府も官僚も国会も司法もメディアも国民も、
>日本の民主主義を構成するすべての人たちが表面上はそれぞれの役割を果たしているように見えて、
>実際には「民主主義というお芝居」を演じているだけなのではないか?
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@YouTube 過去と未来を断ち切ればなにもできない
「自由」「民主」「革命」の言葉に誑かされるな! 歴史を顧みて本質をみよ。
TOKYOMX 西部邁ゼミナール 『日本人とは、そも何者ぞ!』
そのー、先生仰った訳の分らなさっていうのは実は当時私も10歳だったんですけれども、
多分国民みんな訳が分らない感じが…、
一つ印象深かったのは10歳の私にも分ったぐらいですからかなりあれだったんですけれども、
戦後はこう明るかった訳ですよ、オリンピックがあったり、高度成長…お芝居の用語で「暗転」って暗くなる…、
何かこう暗がりが出てきた、陰りが出てきたのがこの1970年、
そうしたら浅間山荘事件、新左翼のまあ内ゲバで、
あのやっぱり内ゲバで内部の人間を殺して行ったてのは…、化粧すると『反革命だ!』って殺すとかね、
それと三島事件ですね。
結局、高度経済成長が終わって、
次の時代に来たその象徴的なのがその1970年の二つの事件、そこでまあ時代が暗くなっていった。
《暗がり》。
👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) で、三島由紀夫は丁度1970年の7月7日、
産経新聞で『果たし得ていない約束』という短いエッセイを書いているんですよ。
ここに、彼はこう書いています。ちょっと長いですけれど、
《私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないか、という感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、
抜目ない、或る経済的大国が東洋の一角に残るであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである》
これやっぱりあの鋭い文学者が、時代の変化、
時代が何処へ行くのかをこう読み取って言葉にした文章かな、と思いますが、
この言葉が凄く象徴的、こっから何かこう舞台が次のステージに変わって行った、
それがいいのか悪いのか分りませんが、
正にそのー、浜崎さんたちの新しい世代が登場して来る訳ですけれど。
三島由紀夫「果たし得ていない約束」 昭和四十五年七月七日
私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。
…二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
…それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである…
政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、
私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。
その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。
…それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、
のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。
…二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、
その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、
しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であったかに唖然とする。
これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。
戦後の捻じれを解いて《属国》を止めるには、正しい戦争責任の理解以外無い
三島由紀夫のように自分と同年代の者らが徴兵されて
(個人はその時代状況には逆らえず、ものも言えずに)死んで行く時代に自分は徴兵を免れ、
平和な時代がきて戦争する可能性の無いときに(思想的に=頭の中で)戦前回帰する。
皆が戦前の価値観を失ってアメリカの《開弁》=属国をやって(経済的な繁栄を謳歌して)いるときに
自分はそれに疑問を感じて戦後批判する。
戦争中は徴兵を免れ(おそらく周囲の他人=)世間から白い目で見られていた
(と感じていた?)戦前を思い出し、
白い目で見ていたお前たち日本人、そのお前たちが戦前と全く逆の生き方をしているではないか。
俺を白眼視したお前たちは今、自分が難詰していたことを自分がしているではないかと。
あれだけ日の丸の小旗を振って《真珠湾奇襲》に沸き、それが正義だと煽られて、
皆で『鬼畜米英』と言っていた。にも係わらず、その日本人が
(英米に戦争を仕掛けて自国を潰し自国民を大量死に追い込んだ、
昭和天皇と極右・軍部がGHQ・マッカーサーに寝返って、
天皇の人間宣言、国家神道廃止、東京裁判、平和憲法を受け入れる代わりに戦争責任を免じられ、
更に日本を極東の《反共防波堤》としてアメリカに差し出す“見返り”にMSA協定などが結ばれて、
これによってアメリカが日本に対し技術支援、資源供給、市場開放して)
『経済発展できたら属国でも開弁でもいいではないか』と過去をすっかり忘れている。
(2・26事件の将校らは対英米戦争を止めるため昭和天皇を諫めようとした。
だが昭和天皇側が決起将校らを断罪して対英米戦へと突き進んだ。その結果、自国が潰れるはめとなった。
ところが敗戦するとその首謀者らがそっくり敵に寝返った。
《天皇の沖縄メッセージ》に典型に、
自国を敗戦させた戦争首謀者側こそが『米軍の日本列島駐留の継続』を要請した。
日本人の中の、敗戦の責任を問う者らや中ソと組んだ共産主義者によって昭和天皇の首が飛ばないように。
こうしたGHQとの取り引きによって今、日本は経済発展している。
それで『経済発展は良いことだから、それ以外の都合の悪いことは今更考えない』と。
自国を潰して310万人もの死者を作り出したことの責任と教訓を問わないこと、
によってこの体制が成り立っている。死者310万人は置き去りとして。経済発展はその見返りである)
君たち自身の過去を思い出せと。戦争反対者を《非国民》と罵ったあの時代の自分らを。
かつて他人を『非国民!』と罵った君たちは今、その《非国民》ではないか。
俺を(おそらくは陰で)誹謗したであろう君たちは今、
かつての俺より酷い対米従属の《属国》に笑顔で応えているではないかと。
どうだ俺は今、立派に過去に殉じて死んで行くぞと。
あれが正義だと信じて死んで行った者らと同じように。
だが、三島由紀夫が投げた問題意識に向き合う一般日本人は居なかった。
異論のススメ 1968年は何を残したのか 欺瞞を直視する気風こそ 佐伯啓思
朝日新聞 2018年5月11日
いまから50年前の5月10日、パリのカルチエラタンは学生に占拠され…
学生反乱はフランス社会全体を巻き込んでいった。1968年5月革命と称される出来事である。
この学生反乱は、先進国全体に共通する動きで…日本ではいわゆる全共闘運動である…
68年の…7月には無期限ストで授業はなくなった。
69年1月には東大の安田講堂での攻防があってバリケードは撤去され、授業が再開されたのは3月であった。
これは「革命」などといえるものではなく、
フランスでは学生の「反乱」を押さえつけたドゴール大統領は68年6月に総選挙を行い大勝した。
日本でも、70年の大阪万博を前にした高度成長の頂点の時代で…
人々は、アポロ宇宙船による月面着陸の方に歓声をあげていたし、
政治的にいえば、佐藤政権による沖縄返還の方がはるかに重要な出来事だった。
私は、全共闘運動に…さしたる共感ももっていなかった。それは…まわりに…
マルクスやら毛沢東から借用したあまりに粗雑な「理論」を、疑うこともなく生真面目に信奉し…
まるでピクニックにでも出かけるようにデモに参加する連中をずいぶん見ていたせいでもある。
しかし、それでも…共感するところがあった。それは、この運動が、どこか、戦後日本が抱えた欺瞞、
たとえば、日米安保体制に守られた平和国家という欺瞞、戦後民主主義を支えているエリート主義という欺瞞、
合法的・平和的に弱者を支配する資本主義や民主主義の欺瞞、
こうした欺瞞や偽善に対する反発を根底にもっていたからである。
だから、これらの欺瞞と戦うには、合法的手段ではありえない。暴力闘争しかない…
そして、事実、暴力は内向してあさま山荘事件や内ゲバへと至り、全共闘運動は終焉する。
戦後日本の学生主体の新左翼は、こうして暴力主義の果てに崩壊する。
これはほとんど必然的な成り行きのように私には思われた。
むしろ、私が衝撃を受けたのは、70年に生じた三島由紀夫の自衛隊乱入、割腹自殺事件の方であった。
米製の憲法を理想として掲げて、米軍に国防を委ねる平和国家を作り、
あの戦争を誤った侵略戦争と断じたあげくに、とてつもない経済成長のなかでカネの亡者と化した日本、
こうした戦後日本の欺瞞を三島は攻撃し、一種の自爆テロを起こした。
三島自身が述べていたように、三島由紀夫と全共闘の間には、深い部分で共鳴するものがあったのだが、
全共闘はそれを正面から直視しようとはせず、三島はそれを演劇的な出し物へと変えてしまった。
そのころ、評論家の江藤淳が「『ごっこ』の世界の終ったとき」と題する評論を書き、
全共闘の学生運動も、三島の私設軍隊(楯〈たて〉の会)もどちらも「ごっこ」だと論じていた。
学生運動は「革命ごっこ」であり、三島は「軍隊ごっこ」である。どちらも現実に直面していない。
真の問題は、日米関係であり、アメリカからの日本の自立である、というのである。
確かに、フランスやアメリカと比較しても、日本の学生運動は、どうみても「革命ごっこ」というほかない。
機動隊に見守られながら「市街戦ごっこ」をやっているようなものである。
三島の方はといえば、効果的な「ごっこ」を意図的に演出していたのである。
日本の左翼主義は、その後、急速に力を失ってゆくが、
私には、それは、多くの人が感じていた戦後日本のもつ根本的な欺瞞を直視して、
それを論議の俎上にあげることができなかったからではないか、と思う。
沖縄返還問題にせよベトナム戦争問題にせよ、その根本にあるものは、
米軍(日米安保体制)によって日本の平和も高度成長も可能になっている、という事実であった。
そのおかげで、日本は「冷戦」という冷たい現実から目を背けることができた…
この欺瞞が、利己心や金銭的貪欲さ、責任感の喪失、道義心の欠如、
といった戦後日本人の精神的な退嬰をもたらしている、というのが三島の主張であった。
フランスの68年は、それでもポストモダンといわれる思想を生み出したが、日本は何も生み出さなかった。
そして左翼主義は、その後、ただただ「平和憲法と民主主義を守れ」に回収されてしまった。
私は68年をさほど評価しないが、それでも今日の大学や学生文化にはないものが当時はあった。
それは、社会的な権威や商業主義からは距離をとり、既成のものをまずは疑い、自分の頭で考え、
他人と議論をするというような風潮である。
その自由と批判の気風こそがかけがえのない大学の文化なのである。
>それは、この運動が、どこか、戦後日本が抱えた欺瞞、
>たとえば、日米安保体制に守られた平和国家という欺瞞、戦後民主主義を支えているエリート主義という欺瞞、
>合法的・平和的に弱者を支配する資本主義や民主主義の欺瞞、
>こうした欺瞞や偽善に対する反発を根底にもっていたからである。
>日本の左翼主義は、その後、急速に力を失ってゆくが、
>私には、それは、多くの人が感じていた戦後日本のもつ根本的な欺瞞を直視して、
>それを論議の俎上にあげることができなかったからではないか、と思う。
>沖縄返還問題にせよベトナム戦争問題にせよ、その根本にあるものは、
>米軍(日米安保体制)によって日本の平和も高度成長も可能になっている、という事実であった。
>そのころ、評論家の江藤淳が「『ごっこ』の世界の終ったとき」と題する評論を書き、
>全共闘の学生運動も、三島の私設軍隊(楯〈たて〉の会)もどちらも「ごっこ」だと論じていた。
>学生運動は「革命ごっこ」であり、三島は「軍隊ごっこ」である。どちらも現実に直面していない。
伊丹万作「戦争責任者の問題」 昭和二十一年八月
多くの人が今度の戦争でだまされていたという。おれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。
民間のものは軍や官にだまされたと思っているが、軍や官の中へはいれば、みな上の方をさして、
上からだまされたというだろう。…いま、一人の人間がだれかにだまされると、
次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、
つまり日本人全体が夢中になって互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、
さては町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織が
いかに熱心かつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかる
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、
そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、
だれの記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、
あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの
小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といったように、
我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であった
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした
国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。
また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。
ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、
いっさいの責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度をみるとき、
私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。
「拝啓 マッカーサー元帥様」占領下の日本人の手紙 袖井林二郎
史上初めての敗戦とそれに続く軍事占領は、
日本人の国民性の深部まで明るみにひき出す、すさまじい経験であった。
それを裏づける一つの証拠に、
占領軍総司令官として君臨したマッカーサーとその総司令部(GHQ)にあてて、
人々が書き送った推定約50万通の投書がある。
日本全国各地から文字通り老いも若きも、男も女も、旧軍人から共産党員までが、
思いのたけをこの外来の支配者に書き送った…
手紙の群れは、日本人がどのような民族であるかを雄弁に物語っている。
…外来の支配者を自分に対立する異物としてでなく、
自分の側に取り込んでしまう。あるいは、
身をすり寄せていって占領者と一体化してしまうという行為が、国民的規模で生まれるにいたった。
権力者と対決することなく一体化するというこの行動様式は、占領期に初めて見られたのではなく、
他に逃げ場の無い島国日本に、あるいは封建的集落…に長い間生きてこざるを得なかった日本民族にとって、
ほとんど本能化していたのではないか
…手紙の大部分は占領に対して好意的であり、書いている本人は意識しなくとも、
そこには権力者に身をすり寄せていく姿勢が見てとれる。
旧来の、つまり自国の、権力者に不信を表す形で、新しい支配者への支持と賞讃を表明しているものも多い。
すべては自発的な投書であり、強制されて発した声はない。…一時の狂気や絶望から発したものではない。
…オクターブは高いが、それはいわば時代の昂ぶりであって、
むしろ危機と激動のなかでしぼり出された日本民族の生の声というべきではないだろうか。
だとすれば、これらの手紙は日本人とはどういう民族なのかを考える上で、
この上もなく貴重なデータとなる。
最初にあげる手紙は「昭和二十年九月七日」付の封書で、
ミズーリ号艦上の降伏文書調印式から五日しか経っていない。
GHQはまだ横浜税関にあり、
この手紙の宛名も「横浜市ニューグランドホテル内進駐軍総司令部気附」となっている。
…敗戦からわずか三週間という時点で
「マッカーサー元帥ノ万歳ヲ三唱」し「無事御進駐ヲ御祝ヒ」すると、この人はいう。
その心理の底には、敗北という事実をできるだけ早く忘れ去り、
新しい秩序を合理化したいという意識がある。
…戦後ワシントンを訪れる日本人の政治家が「米国は米の国、
日本も米を主食とする瑞穂の国、だから日米は仲良くできる」とぶって、
通訳を大いに悩ませたという話があるが、その原型がここにある。
謹テ マッカサー元帥ノ万歳ヲ三唱シ併シ貴国将兵各位ノ無事御進駐ヲ御祝ヒ申上ゲマス
二十年前ヨリ自己ノ趣味トシテ姓名学ヲ研究シ
知名者当ノ運名(ママ)ヲ判断シ地方新聞及雑誌当ニ掲載シタルコトガアリマス…
マッカーサー元帥ノ御尊名ヲ日本ノ文字ニ訳シテ御判断ヲ申シマストキハ
松(マツ) 嘉(カー) 佐(サー)ト読書シ
「松」ハ古来ヨリ日本ニ於イテハ何時モ緑ノ色ヲ変ヘヌ常磐木トシテ重宝ガラレ
毎年、…正月三日間は「松の内」と称し日本全国各戸に「松飾」と…
「佐」は松の美しき松の緑と「嘉」を輔ケ助ケルことを意味し
…千年モ万年モ動キナキ美シキ…
コノ意味ニ於イテマッカーサー元帥ハ今後益々御栄進セラレルコトヲ判定スルコトガ出来マス
岐阜県会議長 〇〇〇〇
これは新しき支配者に捧げる「うまし言葉」のオンパレードである。
しかし「岐阜県会議長」という肩書きが目に入った時の衝撃にも似た思いは去らない。
県会議長といえば知事と並ぶ地方の名士であり、
戦時下では戦時遂行の国策を担う重要な指導者だったに違いない。
「いざ来い、マッカサー」と歌っていたかもしれないといったのは、そのためである。
その人物が…新しい支配者と支配の構造を受け入れるために、
かくも麗々しき合理化を行っていたという事実は重い。
マッカーサーは「東洋人は勝者にへつらい敗者をさげすむ習性がある」と常に語っていた。
…そしてまた日本人は敗者をさげすんだ。
敗者とはここでは自分のことである。敗戦によって民族の自尊心がどん底まで落ち込んだ時、
人々は自らをおとしめつつ勝者アメリカにすがって救済を求めようとする。
…入稿してから校正刷りが出てくるまでの間に私はアメリカを訪れたが、
GHQで日本人の手紙の翻訳にあたったという、
ハワイ生まれの沖縄系帰米二世の元ATIS隊員にロスアンゼルズで会う幸運に恵まれた。
「日本人ってつまらん民族だと思ったね。あんな手紙をマッカーサーに書くなんてサ」とその人はいう。
彼の厳しい言葉は、差別に苦しんだ沖縄人が大和人(内地人)に向けて放つ批判の矢だと私は受けとった。
あのような手紙書く民族は、自分より劣っていると見なした人々に向かっては、
傲然と胸をそらして見下すのではあるまいか。
「日本人はこういう手紙をもっと読む必要があります」という先の永井氏の言葉は、
そうした傲慢さへの歯止めとしての意味だと、私は思う。
戦後の日本というものは、一見(波風の立たない)平和に見えていて、
このような激烈な価値基準の転向という異常状態を通過して出来ている。
異常を異常と感じない状態で社会が成り立っている。
人間の精神中に意識されないダメージを与えていると思われる。
というのも、その代表例が三島由紀夫だからだ。
あれだけ誹謗していたアメリカの、今《開弁》になることによって昭和天皇も旧軍部も極右も安泰である。
彼らに従っていた一般日本人も昭和天皇以下の《転向》に従って転向した。それで今、日本は経済発展している。
戦前戦中に《英米と戦って死のうとしない者》をあれだけ誹謗して
(一般の国民が国民自身を「死」へ強制して)きた日本人は生き残ってほとんど全部がアメリカ側に寝返った。
『鬼畜米英』を信じ、或は強制されて《英米と戦って死んだ人間》は置き去りになっている。
生き残った者らは全て、死者に対する《裏切り者》である。
この《裏切り者》が“アメリカによる”経済発展を謳歌している。
謳歌しながら『日本はアメリカの属国で怪しからん!』などと言っている。
敗戦して日本をアメリカの《属国》下に置いたのは昭和天皇以下であるにも係わらず。
それで自分らはアメリカ側から戦争責任を免責されたにも係わらず。
>>120 〜 143
長々とご苦労さん。だけど長文は誰も読まないよ。マスターベーションしているのか?。
昭和天皇陛下も三島ももはや亡くなった。今では過去の繰り言でしかない。
ここは政治板。政治とは未来を考えるものだ。過去を論じても意味は無いよ。
いやいや過去は振り返らなきゃいけない
歴史を知らない奴は政治が全く見えない
そういう奴は、歴史を知っている者からするとまるで子供のように見える
しかしコピペ荒らしが邪魔なのは同意だ
そんなもん読みゃぁしない
ここで必要なのは議論だ
>>146 判っていないな。お前さんのほうが無内容だろうが。だから過去しか書けないわな。
丸山真男「日本の思想」
近大日本の基軸としての「國體」の創出
明治二十一年六月、枢密院の帝国憲法草案審議が天皇臨御の下に厳かに開始された日の劈頭に、
議長伊藤博文は憲法制定の根本精神について所信を披瀝し、つぎのようにのべた
――「憲法政治ハ東洋諸国ニ於テ曽テ歴史ニ徴証スヘキモノナキ所ニシテ、
之ヲ我日本ニ施行スル事ハ全ク新創タルヲ免カレス。
故ニ実施ノ後、其結果国家ノ為ニ有益ナル歟、或ハ反対ニ出ツル歟、予メ期スヘカラス。
然リト雖モ二十年前既ニ封建政治ヲ廃シ各国ト交通ヲ開キタル以上ハ、
其結果トシテ国家ノ進歩ヲ謀ルニ此レヲ舎テヽ他ニ経理ノ良途ナキヲ奈何セン…
…欧州ニ於テハ当世紀ニ及ンテ憲法政治ヲ行ハサルモノアラスト雖、
是レ即チ歴史上ノ沿革ニ成立スルモノニシテ、其萌芽遠ク往昔ニ発セサルハナシ。
反之我国ニ在テハ事全ク新面目ニ属ス。故ニ今憲法ノ制定セラルヽニ方テハ先ツ我国ノ機軸ヲ求メ、
我国ノ機軸ハ何ナリヤト云フ事ヲ確定セサルヘカラス。
機軸ナクシテ政治ヲ人民ノ妄議ニ任ス時ハ、政其統紀ヲ失ヒ、国家亦タ随テ廃亡ス。
……抑、欧州ニ於テハ憲法政治ノ萌セル事千余年、独リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラス、
又宗教ナル者アリテ之カ機軸ヲ為シ、深ク人心ニ浸潤シテ、人心此ニ帰一セリ。
然ルニ我国ニ在テハ宗教ナル者其力微弱ニシテ、一モ国家ノ機軸タルヘキモノナシ。
仏教ハ一タヒ隆盛ノ勢ヲ張リ、上下ノ人心ヲ?キタルモ、今日ニ至テハ已ニ衰替ニ傾キタリ。
神道ハ祖宗ノ遺訓ニ基キ之ヲ祖述スト雖、宗教トシテ人心ヲ帰向セシムルノ力ニ乏シ。」
(清水伸『帝国憲法制定会議』八八 頁)。
つまり、伊藤は日本の近代国家としての本建築を開始するに当たって、
まずわが国のこれまでの「伝統的」宗教がその内面的「基軸」として作用する
ような意味の伝統を形成していないという現実をハッキリと承認してかかったのである。
(ここでは儒教のことが言及されていないが、それは儒教が伊藤の言った意味での宗教ではない上に、
統一的な世界像としての儒教思想は前述のようにすでにこの時までに解体し、
元田永孚すら認めていたように、個別的な日常徳目の形でだけ生きのびていたからである。
この個別的徳目としての儒教は元田と伊藤、井上らの「教育議」をめぐる論争を通じて
やがて教育勅語の中に吸収されたことは周知のとおり。)
自由民権運動との陰惨な闘争の記憶がまだ生々しい藩閥政府にとって、
「基軸」のない憲法政治の姿は想像をこえたおそるべきものと映ったであろう。
こうして「我国ニ在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ。
是ヲ以テ此憲法草案ニ於テハ専ラ意ヲ此点ニ用ヒ君権ヲ尊重シテ成ルヘク之ヲ束縛セサラン事ヲ勉メリ。
〔中略〕乃チ此草案ニ於テハ君権ヲ機軸トシ、偏ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、
敢テ彼ノ欧州ノ主権分割ノ精神ニ拠ラス。
固ヨリ欧州数国ノ制度ニ於テ君権民権共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是レ起案ノ大綱トス」( 同、八九頁)
という結論が「憲法政治」の絶対の前提として確認されたわけである。
さきにのべた「開国」の直接的結果として生じた、国家生活の秩序化と、
ヨーロッパ思想の「無秩序」な流入との対照は、
ここに至って、国家秩序の中核自体を同時に精神的基軸とする方向において収捨されることになった。
新しい国家体制には、「将来如何の事変に遭遇するも……上元首の位を保ち、
決して主権の民衆に移らざる」
(「明二二・二・一五、全国府県会議長にたいする説示」、『伊藤博文伝』中巻、六五六頁)
ための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたる「基軸」をなして来た
キリスト教の精神的代用品をも兼ねるという巨大な使命が託されたわけである。
このことが日本の「近代」にとってどんなに深い運命的な意味をもったかは、
戦後言い尽され「陳腐」になったように見えるが、
やはり、この問題に触れないで近代日本の精神史的なパターンを語るわけにはゆかない。
>憲法政治ハ東洋諸国ニ於テ曽テ歴史に徴証スヘキモノナキ所ニシテ、
>之ヲ我日本ニ施行スル事ハ全ク新創タルヲ免カレス
>然リト雖モ二十年前既ニ封建政治ヲ廃シ各国ト交通ヲ開キタル以上ハ、
>其結果トシテ国家ノ進歩ヲ謀ルニ此レヲ舎テヽ他ニ経理ノ良途ナキ
>欧州ニ於テハ当世紀ニ及ンテ憲法政治ヲ行ハサルモノアラスト雖、
>是レ即チ歴史上ノ沿革ニ成立スルモノニシテ、其萌芽遠ク往昔ニ発セサルハナシ
>欧州ニ於テハ憲法政治ノ萌セル事千余年、独リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラス、
>又宗教ナル者アリテ之カ機軸ヲ為シ、深ク人心ニ浸潤シテ、人心此ニ帰一セリ。
>然ルニ我国ニ在テハ宗教ナル者其力微弱ニシテ、一モ国家ノ機軸タルヘキモノナシ
>我国ニ在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ。
>是ヲ以テ此憲法草案ニ於テハ専ラ意ヲ此点ニ用ヒ君権ヲ尊重シテ成ルヘク之ヲ束縛セサラン事ヲ勉メリ。
>乃チ此草案ニ於テハ君権ヲ機軸トシ、偏ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、
>敢テ彼ノ欧州ノ主権分割ノ精神ニ拠ラス。
>固ヨリ欧州数国ノ制度ニ於テ君権民権共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是レ起案ノ大綱トス
>軸ナクシテ政治ヲ人民ノ妄議ニ任ス時ハ、政其統紀ヲ失ヒ、国家亦タ随テ廃亡ス
人民ノ妄議に任さなくても(太平洋戦争で、福島第一原発事故で)自滅しているではないか。
最初から世界標準の憲法、では無かった明治憲法
西欧の立憲主義とは時空を超えた真理によって《動物たる人間》個人の
(自分だけに都合好き、自分だけを正当化する、自分だけが正義と唱える)
情動を統制する思想である。その価値観を支える精神性は一神教に遡る。
《西欧の憲法政治は(数)千年に及ぶ歴史の積み重ねを持つ、宗教=一神教を基礎として発芽してきている。
人民はこの宗教に慣れ親しんで心を一つにしている。
ところが日本社会には(欧州のように機能するような伝統的)宗教の力がほとんど無い。
精神的な基軸とするものは皇室ぐらいしかない。(国民社会の側に憲法を生み出すような精神性が存在しない。
よってこの日本に憲法(らしき体裁)を導入するには、
国民の心をその一点に集中させることが唯一可能な、他からの束縛を受けない
=排他的・絶対的な)天皇の威信によって憲法を“国民に強いる”以外無い。
欧州では三権分立が常道であるが
(=欧州では国民自身が革命を起こし、独断的な君主を倒して国民の利害を調停する総意=
とは、社会が持つ《内発性》が生み出した=超越真理によって国家を作ったが、
この日本では、“外国の”支援で守旧体制を倒した反主流派が“外国に”承認され(たが故に、
外国から最新技術や兵器を得)て政権を盗っている。
故に天皇が反対勢力に倒されては困るから)我が日本では主権の分割=分有は考えない》
(中味は徳川時代と変わらない専制国家の)絶対君主が『単に欧州から自国が近代国家と見られたい』がために
(中味の専制体制を覆い隠す)飾りの憲法を制定して導入し、(実態は専制国家だから)三権分立などは考えず、
普通は《権力側の自由》を憲法で縛るところ、絶対君主が(見せかけの)憲法を“国民に”強制する。
つまり(中味は専制君主が統治する専制国家だけど
(統治される側のお前らは(『西欧と同じような立憲主義国と思い込め!』と
《国民にそう演じること》を強制する)(日本社会とは西欧社会と《逆さまの社会》であり)
明治の最初から、明治憲法は本当の憲法ではない。見せかけの憲法である。
このような国と社会を、敗戦した後も70年間以上、放置してきた日本の法学部とは何だろうか。
精神性の追求無き所に只字面だけを追ってきた末に今、憲法を無視するような者ら
(=日本会議、元「生長の家」信者ら、及び彼らを支持者とする政治家ら)を公然と許している。
実体=現実はそうではないのにも係わらず、(権力者の都合や強制によって)そうであると思い込み、
或は(世間や他人に対して皆であたかも)『そうであるかのように振る舞い行動しろ』と
絶対権力から強いられている社会とは何なのか。
《創作されたイメージ》=《偽りのイメージ》によって操作されている社会である。
これは(『演じている』と認識しつつ《演じている》者が、実際には精神病者でなくとも、
実体とは異なる《イメージ》を『現実だ』と思い込む、ことを強制されている)精神病の世界である。
坂野潤治「未完の明治維新」
ちなみに、尭舜三代の治績とアメリカ初代大統領ワシントンを崇拝する小楠が、
眼前の日本の神道、儒教、仏教をひとまとめにして否定していることは注目に値する。
すなわち、「我が皇国これまで大道の教え地を払ってこれなし。
一国三教の形ご座候えども、聖人の道は例の学者[朱子学者]の弄びものと相成り、
□□(ママ)は全く荒唐無経(ママ)、いささかの条理これなく、仏は愚夫愚婦を欺くのみにして、
その実は貴賎上下に通じ信心の大道いささか以てこれなし。
一国を挙げて無宗旨の国体にて候えば、何を以って人心を一致せしめ、治教を施し申すべきや」、と
(同前書478頁)=(「沼山閑話」「日本思想大系55」)
ちょうど今から百五十年前の安政三年の日本が、当時の横井小楠の眼に
「一国を挙げて無宗旨の国体」と映っていたとすれば、二十一世紀の日本で声高に叫ばれる「伝統」とは、
いつの時代までさかのぼれば出会えるものなのだろうか。
福沢諭吉「文明論之概略」
また一種の学者は、今の人心の軽薄なるを患い、
これを救うには国体論を以てするも功を奏すべからざるを知り、
…耶蘇の宗教を施して人心の非を糺し、安心立命の地位を与えて、衆庶の方向を一にし、
人類の当に由るべき大目的を定めんとするの説あり。この説も決して軽率なる心より生じたるものにあらず。
…今の人民を見れば、百人は百人、皆その向かう所を異にし、
政治上の事に就て、衆庶一定の説なきな勿論、宗教に至りても神か仏か定むべからず。
甚だしきは無宗旨と名づくべき者もあり、
人類に於いて最も大切なる霊魂の止まる所をも知らず、安ぞ他の人事を顧るに遑あらん、
天道を知らず、人倫を知らず、…あたかもこれ現在の地獄なれば、
いやしくも世を憂る者は、この有様を救わざるべからず。
>>156 皇国とかいう概念も
神道や仏教や儒教などを基に作られたものなんですね
まあ俺がボケ切らずに辞世の句言えればこんな意味は見込めるよwww
まあw 簡単に言えば
人間なんぞ あんまりいつまでもショウも懲りなく調子こんじゃあ将来ろくなことはないということwwwwwww
墓場逝き直前にちゃんと正気で見た景色や心の感じた事が本当の人生の意味だ
正気(意味は深いよ)で最後で生きられたのか?が重要
>>153 >>154 日本社会が西欧とは異なった近代国家を形成していったわけですね
大日本国憲法って当時の列強ドイツのドイツ国憲法を参考に作ったというだけの話なんだよな。
ドイツ国憲法を軽く見ればわかるけど、その権力は皇帝に集中されてるんだよな
戦後憲法はアメリカの憲法がベースになったにというだけの話
他にもマグナカルタやフランス憲章などの精神が組み込まれて今の形になってる
ドイツ国憲法の社会権を他の国が取り入れたように、現代憲法ってなにも一つの憲法から出来たわけじゃないんだよね
歴史の中で憲法が相互に影響を与えた結果、現代的な憲法に至ったということ
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@YouTube National Anthem: France - La Marseillaise NEW VIDEO IN DESCRIPTION
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@YouTube 【グロ注意】映画 フランス革命 戦闘シーン集 日本語字幕表示推奨
ダウンロード&関連動画>>![](https://img.youtube.com/vi/seP9E2F95Jo/0.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/seP9E2F95Jo/1.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/seP9E2F95Jo/2.jpg)
@YouTube 【グロ注意】映画 フランス革命 グロシーン集 虐殺 処刑など【日本語字幕表示推奨】
http://2chb.net/r/seiji/1517566115/116-118 >実際には「民主主義というお芝居」を演じているだけなのではないか?
モーセの一神教、プラトン哲学、デカルト哲学があって、
ルネッサンス、宗教改革、フランス革命があって、啓蒙思想を確立し、という西欧と、
応仁の乱、戦国時代で一度文明秩序が瓦解して、
その後に徳川が国民を恐怖支配の監獄に閉じこめていたところ、
外国と結託した別の暴力集団がクーデターを起こし、
挙げ句に自国を潰して占領され、その下手人が外国の手下をやりながら右翼を騙り、
その作り話を誰一人怪しむ者もいない、ような日本とでは歴史の内実が全然違う。
別にオレはフランスが特別好きな訳では無い。心酔している訳でも無い。
だが、例えば数学史の《フランス革命期》のところを読むと、
人間の暴力性の爆発の“裏に”ちゃんと精神的な成熟が存在して、暴力性を圧倒して行く過程が存在する。
そこが日本とは全然違う。「水戸学」の、会沢正志斎の《テロ思想》とはレベルが全く違う。
この時代のフランスには、ガスパール・モンジュ、ラグランジュ、ラプラス、ルジャンドル、
カルノー、コンドルセのような人が居た。彼らは20世紀につながる文明を、この時代に創造した。
日本には表向きに『尊王攘夷』を唱えながら外国と結んでテロを仕掛け、
それを自己正当化する思想しか無かった。
この内実を知ったなら、ひねくれ者ではない、真っ当な人間はその精神性の効力を認めざるを得ないだろう。
中学生でもできる確実稼げるガイダンス
時間がある方はみてもいいかもしれません
googleとかで検索すればどう?ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
6U44A
もう70年代半ばには状況は転換し始めていた。
271 :250:2013/06/13(木) 17:33:04.42
参考
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/343f26ed1118cc163df8d30f3ece8735 http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/0e4f78a3a9c2499c5f8cb42f9b85523a 沖縄返還時に佐藤栄作首相はニクソン大統領と密約をした。
ニクソンの地元の繊維産業に配慮して輸出を抑えると。
元はといえばその輸出攻勢をかけた繊維のナイロンも米国の特許技術を導入したものだ。
だが佐藤首相はその密約を自民党の政治家どころか同じ派閥にすら知らせなかった。
佐藤氏は帰国して秘書に語っていた。「おれは誰にも言わん」と
(雑誌「文芸春秋」2008年7月号、春名幹男氏の記事)。
密約して返還が実現したこと、を政敵に叩かれるからか?手柄だけを独り占めするためか?
何も知らされない宮沢喜一通産大臣は繊維交渉でニクソンの要求を突っぱねる。
「密約の資料があるから佐藤に聞け」と米国側から言われた宮沢氏は佐藤首相に問い正すが
「わしは知らん」としらを切られ
その通りアメリカ側に伝えて“日本に裏切られた”と感じたニクソンは激怒した。
272 :250:2013/06/13(木) 17:33:40.21
はっきり言って沖縄返還と日米繊維交渉は、
日本の高度成長を終わらせ冷戦を終わらせたターニングポイントになったとさえ言えるだろう。
当時ベトナム戦争を終わらせるために米国は中国の協力を必要とした。
その時ベトナム戦争で米軍の戦車やトラックの修理を請け負っていた日本は、
その補修部品を作る過程で米国から貴重な技術を移転されただろう。
そうやって戦争特需で儲けておきながら佐藤栄作総理がニクソンを裏切った。
ニクソンは中国と和解しようとしたがそれを頭越し外交と恐れた日本が米国より先に国交回復を画策した。
「中国との国交回復は米国が先、日本はその後」と事前に約束していたにも関わらず、
反感を持つ陸軍幼年学校を出た人間が下準備して、田中首相がそれを破り、
キッシンジャーは「ジャップはあらゆる裏切り者の中で最悪の裏切り者」と国内の会合で語ったという。
また「日本を経済発展させるべきではなかった」と周恩来との会談で語ったという。
273 :250:2013/06/13(木) 17:39:02.54
米国は増税ではなく債券発行でベトナム戦争を遂行した。そのばら撒かれた資金で日本は潤っていた。
だからばら撒きの圧力に耐え切れず高インフレが来た。石油ショックが来た。
ドル円の固定相場を維持できなくなった。円高になった。これを日本は単純に米国の裏切りと解釈した。
その後もどんどんドルは安くなって行った。イラク戦争以後の世界と全く同様だ。
そしてそのドル全面安と基軸通貨から滑り落ちる事態を阻止するために、
レーガンの高金利政策が取られた。米国企業がそのベトナム戦争の後処理である高金利でダメになる中、
日本では円が安くなり日本企業は仕返しであるかの如く空前の輸出攻勢をかけた。
この時代が「JAPAN AS NO1」の時代であった。だがそれはプラザ合意で修正されることになる。
日本はそれを米国による日本潰しの裏切りと考えたが、
それは米国がベトナム戦争遂行のために輪転機を回し続けた結果の、回避不能の必然だ。
日本はその朝鮮(戦争)特需、ベトナム(戦争)特需で経済復興した。
先に裏切ったのは日本の方だ。米国から導入した技術や生産設備で過剰な輸出攻勢をかけたのは日本の方だ。
米国に支援され保護されながら米国に喧嘩を売ったのは日本の方だ。
だから米国はケ小平に中国近代化を約束した。それで日本の発展は終わったのだ。
中国との和解によって冷戦の一角が破れたのだ。
佐藤栄作首相こそ冷戦終了の必要性を超大国に自覚させその引き金を引いた男と見た。
それは日本の将来に引導を渡した男でもあったのだ。
日本の20年に渡るデフレはこのときにある種方向付けられたと考える。
だが日本人はその現実を心理的に「否認」した。
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1343171261/545 545 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2012/08/02(木) 19:04:32.69
破綻した戦後日本の「体制」=洋の利用と和装でそれを否認する思想
戦後の日本は真実を欺瞞で“心理的に”否定した。
大雑把に云えば日本経済が発展できた舞台裏の真実とは、
先進国家から“既に効力が確証された”技術、方式、コンセプトを導入したからで、
それを“手順通り”若い労働力と固定の為替、
低く誘導された金利の環境を使ってものを造り戦後に解放された先進国市場に輸出した。
その能力には日本人は優れていた。
しかし「アメリカの世話になって復興した」では自分の体面が保てない。
だから「物語」が必要になった。
それが歴史作家や京都の学者が日本の“体面を保つ”ためにでっち上げた「偽学問」である。
日本の経済発展を支えたのは、本当は西欧近代合理主義とその成果の方で、
それはギリシャに始原を持ち、
デカルト、ニュートンに受け継がれた“思考様式”の延長線上に築かれた。
ところがそれらは要素還元論、機械論的で、
既に非線形理論や最新物理学で否定されており、これからはホーリズムである。
最新物理学の成果が東洋古代思想に“やっと”追いついた、云々の
フリチョフ・カプラのニューエイジサイエンス、フランス戦後思想の「ポスト・モダン」、
ニーチェ、ハイデガー、「反哲学」などのアレンジである。
547 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2012/08/02(木) 19:07:02.99
西欧は古色蒼然の近代だが、日本は西欧を超える「ポスト・モダン」であると。
これで日本は経済的にも思想的にも欧米の優位に立った。
舞台の“裏側では”西欧近代合理主義の成果を利用して発展しながら
それを“表で”否認する日本優位の思想、戦後版「近代の超克」。
ところが今やこの欺瞞は行き詰まった。
人口の急激なる高齢化、既存産業のアジアシフトによって。
「立身出世」を裏に隠した“欺瞞の大義名分”は破綻した。
他文明が既に確立した「手順」を使った急速なる発展により、
設備投資、インフラ、人口が急拡大しその後天井を打った時、
産業は既にアジアにシフトしていた。
利益率を失い高コスト体質となった日本株式会社は
莫大な国家負債を積み上げながら働けない高齢者を多量に抱え込む。
「内発力」という支えを持たないまま、キノコのようにせり上がった
この「オーバーハング」は今や傾斜を開始した。
体面の「偽学問」に押され、社会が合理性から離反して
後戻り不能の非合理・不条理世界へ死のダイブを敢行する。
「構造体」は核燃料を使い切った巨大恒星ベテルギウスのように
自らの質量を支えきれず中心に向かって崩壊する。
その状況変化はバブル崩壊で決定的となった。
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1324300987/498 498 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/24(土) 03:39:34.20
詭弁島の九官鳥は今日も鳴く 「アメリカは最悪、最悪、最悪」、と
日本は何で発展できたのか。あまりにも明白だが日本人はその事実を否認したいのだ。
アメリカが空と海、宇宙から厳重に守る島に、
既に世界で成功が検証済みのアメリカ由来最新技術が移植され、
それを世界より安い労働力、安い金利で(過労死寸前まで働き)正確に作って先進国市場に売った。
「1970年当時、日本はまだ先進国の中で最も若い国。六五歳以上の人の数が人口の七%以下」。
だがこのビジネスモデルは破綻した。「日本の年齢構成が変わるのに要した期間は二十五年、
米国七〇年、ドイツ百年、フランス二百年」
「こうした変化の日本での衝撃は、欧米のどことも比べものにならないほど大きい…
なぜなら、日本社会が依拠する基本政策は、過去の年齢構成、過去の教育構造、
過去の農村社会、過去の消費パターンを前提としているからである」(ピーター・ドラッカー)
「現在(2001年時点)の成人労働人口と退職者人口比率は四対一だが、
二〇二五年にはその比率が二対一になる(J・ショッパ)」。
(多量の生産設備と借入金を持ちながら)急激に高齢化して働けない人間が激増し、
多量の財物を既に所有して、需要が減少した社会をこのモデルで支え続けることは出来ない。
技術革新で市場を創造するか、後進地域の近代化を支援して資源を得るか、労働力を活用するか、
移民を受け入れるか、それとも金融が破綻して資本主義と社会が崩壊するか。
それを選択しなければならない。ドラッカーはそれを78年には指摘した。
500 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/24(土) 03:40:00.36
だがその米国に守られ米国由来技術で発展した島の中で、官僚と政治家が米国に悪態をつきながら、
その仕組みで得たその儲けを地方に配ることで政権を維持し続けて来た。
マスコミも学者も評論家も国民も、その流れにただ乗っていた。
島内の良い「社会的位置」だけを競い合って。
閉ざされた島の中だけで通用する戯言を口角泡を飛ばしながら。
曰く「民主主義とは…、社会主義とは…、非武装中立とは…、防衛費1%枠とは…、政治改革とは…」、と。
しかし日本経済はビクともしなかった。
何故なら、世界で既に検証された米国由来技術を、正直且つ、正確に再現する、
日本の技術者・職人達が確実に動作し利益を出す製品を生み出し続けてきたからである。
米国がそれを黙って引き受けてきたからである。
日本はアメリカの軍事的脅しをバックにしたドルを受け取って、
世界中から石油や小麦を買うことが出来たからである。だが、この安眠を貪る欺瞞
(アメリカに守られアメリカの用意した枠組みに支えられながら
アメリカに悪態をつき続ける自己都合の構図)も今や破綻した。
501 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/24(土) 03:40:35.05
自民党は最外郭を米軍に守られた、数々の民間人の下働きによって成り立つ、
この島の「最高級住宅街」に閉じこもってアメリカに悪態をつき続けた。
自分をアメリカに支えさせながら、同時に国民から喝采を受けるナショナリストを装いつつ。
「利益は自分のポケットに、厄介事は赤の他人に」の態度によって。
それでアメリカから見放され、日本株式会社の利潤率は減少し続け、税収は落ち続けて、
地方に配るものを無くして政権を失った。そして公務員や規制産業の利益を守る、
その民間の経済活動から上がるところの税収を当てに生きる、もっと逆向きの民主党が政権を取った。
過去からのあの白熱した数々の欺瞞の政治論議は効力を失って雲散霧消した。
技術移植されて発展した初期段階の、人口動態とビジネスモデルに矛盾の無い、あの若い日本。
その旨みを総取りした世代は既に鬼籍に入った。
残されたのは莫大な負債と今後もっと老化する人口、破綻した外交である。
アメリカはこの9月、かつての仲間である「反共抜刀隊」=「ジャパン・フリーダム・ファイター」をテロ指定した。
自民党がたとえ政権に復帰しても、もう「戦後」には戻れない。
日本国民は、あの麗しい経済成長と安定の時代へは戻れない。
何故なら自分達で創り出した枠組みではないのだから。
それはアメリカによって20年も前に「解除」されていたのだから。
身の程知らずの生意気なことを言ってしまいました。皆さまどうもすいません。
日曜に想う インコやオウムが飛び交う空 編集委員・大野博人
朝日新聞 2018年3月25日
初版として印刷したのがたった12部。けれども、著者がそれで満足していた本がある。
1639年に出た「クーデタをめぐる政治的考察」。ガブリエル・ノデというフランスの碩学が書いた。
近代的な図書館の仕組みを考案した司書としても知られる人だ。
本は、国家統治の要諦を論じている。「クーデタ」はフランス語で国家の打撃や一撃という意味。
現代では国家や体制を転覆する行動を指すが、当時は逆だった。国家が社会に加える打撃である。
ノデは、統治にはそれが必要と説く。
君主や宰相たる者は、道徳や法律を尊重しているだけではダメだ。
そこから外れても公益のためなら、ごまかし、だまし、ときには暴力的手段も使わなければならない。
つまり「クーデタ」という手法…「隠し偽ることができない者は、統治することもできない」
なぜなら大衆は「獣より百倍も愚か」だからだ。
本能に従うだけの動物とちがい頭を働かせるから始末が悪い。ペテン師、反逆者、迷信などに影響される。
…そんな大衆には密かにあるいはいきなり衝撃を与え、操る…
民主主義研究で知られる仏歴史家、ピエール・ロザンヴァロン氏は著書の中で、
「統治の新手法」の確立に決定的な役割を果たした論考のひとつに挙げる。
今も為政者はその手法に頼るが、目的は公益というより権力の維持だという。
最近この国で明らかになった森友文書もその一例にほかなるまい。
法や道徳を棚上げし、公文書を改ざんして問題点を隠蔽する…
それがばれても、「誤解させる」ための改ざんを「誤解されない」ためだったと
人を食ったような一撃で切り抜けようとする。
今月、改ざんの事実は明るみに引きずり出された。
けれども、国民が正しい説明を受ける機会を奪われたままだった昨秋、
安倍晋三首相は解散総選挙に踏み切り、それに勝った。
ノデ流にいえば、社会に対する「クーデタ」は成功し、権力を維持したというわけだ。
たしかに、名古屋市の中学校の授業についての文部科学省の「調査」も、
まるで陰険な「クーデタ」政権が、教育現場に浴びせかける一撃みたいである。
「クーデタ」政権がつねに気にするのは正統性の弱さ。
それを補強する言説を振りまき、疑いのまなざしをそらす情報戦略は欠かせない。
森友文書や講演調査の問題でも、ひたすら政権の擁護に走ったり、
官僚をあしざまに言ったりする国会議員や言論人が登場した。
その姿にノデが本で触れている伝承話が重なる。
権力を握ろうとする者が人々をたぶらかす方法について語る中に出てくる。
人々にあがめられたいと願うプサフォンという男がいた。
彼はおびただしい数のインコやオウムを飼育し、
「プサフォンは神だ」という言葉をしっかり覚えさせた。そして、解き放った。
あちこちから繰り返し降ってくるこの言葉を耳にした人々が、
彼のことをほんとうに神だと信じるようにするために。
プサフォンが放ったインコやオウムは今も、私たちの空を飛び交っていると思った。
詭弁島の九官鳥は今日も鳴く 「日本は最高、最高、最高」、と
>1639年に出た「クーデタをめぐる政治的考察」。ガブリエル・ノデというフランスの碩学が書いた
>本は、国家統治の要諦を論じている。「クーデタ」はフランス語で国家の打撃や一撃という意味
>現代では国家や体制を転覆する行動を指すが、当時は逆だった。国家が社会に加える打撃である
>ノデは、統治にはそれが必要と説く
>隠し偽ることができない者は、統治することもできない
>「クーデタ」政権がつねに気にするのは正統性の弱さ
>それを補強する言説を振りまき、疑いのまなざしをそらす情報戦略は欠かせない
>おびただしい数のインコやオウムを飼育し
>「プサフォンは神だ」という言葉をしっかり覚えさせた。そして、解き放った
>プサフォンが放ったインコやオウムは今も、私たちの空を飛び交っている
>たしかに、名古屋市の中学校の授業についての文部科学省の「調査」も、
>まるで陰険な「クーデタ」政権が、教育現場に浴びせかける一撃みたいである。
>「クーデタ」政権がつねに気にするのは正統性の弱さ。
>それを補強する言説を振りまき、疑いのまなざしをそらす情報戦略は欠かせない。
>森友文書や講演調査の問題でも、ひたすら政権の擁護に走ったり、
>官僚をあしざまに言ったりする国会議員や言論人が登場した。
>その姿にノデが本で触れている伝承話が重なる。
この日本で対米独立など、政治戦略として成り立たない
鳩山由紀夫と小沢一郎が反米政治をやったからアメリカから超円高などを仕掛けられ、
電気メーカーの経営が傾いて台湾メーカーなどに身売りした。
当事国のアメリカやEU(はその後、ギリシャなどによってEU危機はあったが主力)は
リーマン・ショックからV字で経済が回復していったのに日本はその後3-4年ぐらい低迷した。
それで内紛に次ぐ内紛。それを国民は覚えているから誰も野党の政治家を選ばない。
アメリカは腐った親米の独裁国家と反米の民主国家のどちらを選ぶかと言えば、親米の独裁国家を選ぶ。
憲法改悪で専制社会を目指そうという、安倍政治を止めたければ反米の民主的な政党はダメだ。
親米の腐った独裁国家がアメリカと結託して潰しにくる。
目指すなら親米の民主国家を目指すべきである。
対米独立とか反米とか言っている奴は、結局、腐った親米の独裁国家が続く手助けをしているに過ぎない。
耕論 世界史の中の朝鮮戦争 菅英輝さん、朱建栄さん、山本昭宏さん
朝日新聞 2018年6月6日
「基地」「平和」、日本に矛盾 山本昭宏さん(神戸市外国語大学准教授)
朝鮮戦争は、戦後の日本の方向性を、事実上決定する役割を果たしたと思います。
そして、朝鮮戦争が60年以上休戦のままで、
北朝鮮が脅威であり続けたことを、自民党政権はナショナリズムを喚起するために使ってきました。
敗戦後しばらくは、日本の進路は流動的でした。
東西双方との講和を主張する全面講和論と、西側との講和を優先する片面講和論があり、
平和についても、非武装中立論から自主防衛論まで多様な立場が存在していました。
しかし朝鮮戦争勃発時に、日本は占領下にあったため、
西側陣営に組み込まれて米国頼みが鮮明になりました。
多様な立場はかき消され、「軽武装・日米安保体制」へと収束したのです。
自主防衛論だった右派は、「反共」で主流派と一体化し、
非武装中立や全面講和論だった左派は、批判勢力として野党化します。
そして、対米自立論は潜在化することになりました。
自民党の長期政権を可能にした「55年体制」は、朝鮮戦争が準備したといえます。
ただ国民の受け止め方は両面的でした。戦争特需の好景気を国民は歓迎し、
「米国のもとで経済的に得をする」という、
したたかな生活優先主義が広まり、自民党政権を支える基盤となっていきます。
一方で、戦争は嫌だという空気もありました。
手塚治虫の「来るべき世界」(1951年)では、二つの大国が戦争を始め、和解するまでが描かれます。
きっかけは朝鮮戦争で、「もう戦争はごめんだ」という思いが増したことだと手塚は回想しています。
トルーマン米大統領が朝鮮戦争で核使用もありうると明言すると、日本社会で核の記憶が再燃します。
粘り強い平和運動のなかで被爆者が注目され、国民の間で「平和国家」への意識が強まりました。
西側陣営最前線の「米軍の基地国家」でありながら、建前は「平和国家」であるという、
日本の戦後の二重構造はこうして形成されたのです。
冷戦後も、朝鮮半島の分断が続いたことを、日本の政権は利用してきました。
事あるごとに、北朝鮮という格好の「敵」に言及し、ナショナリズムを喚起して、
国民の支持を「調達」してきたので』
自民党政権は、会談後も北朝鮮の脅威を強調し続けるのではないでしょうか。
そうではなく、戦後の「平和」の矛盾を直視する機会にすべきだと思います。
「基地国家」でありながら「平和国家」を自任するという、
朝鮮戦争が作り出した二重構造を再考する時期に来ています。
>朝鮮戦争は、戦後の日本の方向性を、事実上決定する役割を果たした
>自民党の長期政権を可能にした「55年体制」は、朝鮮戦争が準備した
>戦争特需の好景気を国民は歓迎し、
>「米国のもとで経済的に得をする」という…生活優先主義が…自民党政権を支える基盤となっ(た)
>西側陣営最前線の「米軍の基地国家」でありながら、建前は「平和国家」である
>という、日本の戦後の二重構造はこうして形成された
>事あるごとに、北朝鮮という格好の「敵」に言及し、ナショナリズムを喚起して、
>国民の支持を「調達」してきた
>米朝首脳会談で、朝鮮戦争が「終戦」したら、一番困るのは日本
>戦後の「平和」の矛盾を直視する機会にすべきだ
>「基地国家」でありながら「平和国家」を自任するという、
>朝鮮戦争が作り出した二重構造を再考する時期に来ています
https://twitter.com/hatoyamayukio/status/998003246382829568 鳩山由紀夫? @hatoyamayukio 17:51 - 2018年5月19日
先日赤坂の通りを歩いていたら、すれ違いざまに怖い形相で「ルーピー」と叫んで立ち去った方がいた。
以前はショックも感じたが、最近はそういう方を可哀想に思うようになった。自信のなさの裏返し。
世界が平和になることを、もっと前向きに捉えれば良いのにとも。彼らに真の友愛を伝えられたらと思う。
ダウンロード&関連動画>>![](https://img.youtube.com/vi/yw92Mc5tPFA/0.jpg)
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@YouTube 安倍政権が2021年まで戦後最長不倒政権という記録を残す!?
民主主義国家ではありえない!
『白金猿(はっきんさる)』出版記念シンポジウム
白井聡・金平茂紀・猿田佐世 2018.5.17
鳩山由紀夫と小沢一郎、白川日銀の時代に超円高が進み、
少なくともシャープやエルピーダ、ルネサス等、
電機・半導体メーカーが潰れたり中国系に身売りされたりしたのだから、
(当事者や下請け、家族の)関係者の中には一生忘れないぐらいの恨みが蓄積されただろう。
第一次の安倍と麻生が鳩山と小沢(政権)を生み出し、
鳩山と小沢が第二次の安倍と麻生を生み出したことを忘れてはならない。
>>195 今の日本ではだーれも「戦争に対する責任」は無い。頭が狂っているな。
時はどんどん過ぎていくことを知らんのか。ふるーい頭しか持っとらんのか。過去の時代へ行け。
【パスまわし、九条″】 無謀な勝負に出て失点 <奇襲、玉砕、特攻> 専守防衛で攻めずに時間稼げ
http://2chb.net/r/liveplus/1530671116/l50 九条改悪はパス回し(専守防衛)を禁じるもの、戦わずに勝った名将、西野監督を、防衛大臣にしよう!
皇室は皇統が変わったと言っていた。韓国人の天皇アキヒトとミチコの部下が。
少数の韓国人で日本人を支配するという野望を持っている皇族ども。
皇統が変わったじゃねえだろ。皇族どもめ
日本人は韓国人の天皇など認めない
日本から消えろ! 韓国人 皇族どもめ
平成になってから帰化人ばかりの総理になったのは韓国人天皇のせいだ
日本人の敵 皇族
諸悪の根源は今の天皇家
日本の天皇明仁が韓国国籍を離脱できない。共産主義の脅威を騒ぐ世界の恥 警察のトップ天皇、皇族 37【皇室ブログちゃんね
https://goo.gl/5ZLzio 天皇制のメリットは同和のような朝鮮人には大アリだが
日本人は搾取されるだけ
天皇の特別会計でイスラエルを支援したり、アメリカ軍産を支援しているが
それで国債を発行されて国民が納税で払うことになるが
同和朝鮮人は祖国に1円でも送金すると、日本で納付した税金は全額還付される
朝鮮人大勝利だ
金子光晴「絶望の精神史」1965年
明治の開国当時の列強は、僧服をつけた狼たちであった。
そこで、負けん気の日本犬が、狼のすることをまねて、
大けがをしたというお伽噺ができあがった。
明治からの行きかたが正道だったと、このごろになってうそぶいている御仁もあり、
敗戦の二十年の日本を、新しい出発と考える人もある。
明治からの国是が正しいという人にとって、「大東亜戦争」の敗北は十分な教訓となっていない。
つまり、条件がそろい、実力がつけば、
同じ無謀をくり返しかねない人間の、性悪な情熱を代表している。
…しかし、このような問題の以前に、僕の知りたいことは、
日本人のもっている、つじつまの合わない言動の、その源である。
たとえば、今度の敗戦にしても、人心の裏返りの早さは、みごとといってもいいくらいだ。
あれほど、アメリカやイギリスを憎み、
米英にけものへんをつけて「?米?英」などと書いていた連中が、
とたんに新米・親英の旗手になった。
また、皇居へ足をむけては寝なかったような人間が、舟を乗り換えるように共産党に大量入党した。
表面は恬淡として、無欲な日本人、無神論者の日本人。
だがその反面、ものにこだわり、頑固でうらみがましく、
他人を口やかましく非難したり、人の世話をやくのが好きなのも日本人である。
その点、そばに比較対象物のない…日本のような国では、
自分たちが、ほんとうに幸せなのか、不幸せなのかがわからなくなる。
だから、統治者が、日本は神国だと言えば神国ということになり、
日本ほど美しい、すぐれた国はないと歌えば、それがすぐ全国民の合唱となる。
客観的に正しいときは文句がないとしても、
それが真実から遠い、統治上の宣伝であったりした場合には、
傲慢不遜な国民や、狂信的な国民ができあがる。
明治末年に近い、僕が知ってからの日本の民衆は、
国力を知っている政府当局者にとっては、すこし迷惑なくらい、自信たっぷりだった。
はでで、強気で、「もっとやれ。もっとやれ。何をためらっているのだ」といったふうで、
国力の信頼が度を越して、いい気持ちになっているようなところがあった、
こうした性格は、日本人の現実を軽く見たがる、軽はずみなある特徴となって、いつまでも残った。
大正という時代が、あれほどさかんに、あれほど自由に人間の真実やヒューマニズムについて検討し、
世をあげてそれを支持したようにみえながら、それが新しい伝統として根づかなかったのは…
気むずかしく、好悪の情がむらで、そのくせ芯の弱い、日本人としての特質を、
その身に備えていながら、そういう自分を、一度も反省してみたことがなかったと思う。
僕の心には、主人が駆り出されて蕎麦屋の店をしめた家をのぞいた、寂しい印象が残っている。
死の危険よりも、もっと耐えがたい、柄にもない悪鬼羅刹の立場を強制されることで、
極端に自己を圧縮され、破裂しそうになっているのだ。
彼らを戦力として、あやつっている軍の幹部たちのほうは、長年の夢が実現して有頂天となり、
いまや、なにごともわが思いのままになる快味にひたっている。
軍の名で、非理を押し通すことを、いたって当然のことのように思い上がっていた。
兵士たちは、ほんとうの胆が自分でも決まらないという精神の混乱状態にあった。
兵士たちの軍人精神も、懐疑と憂慮でかすんでみえた。
それは、大正文化の所産で、この戦争が大詰めに近づくほど、矛盾ははっきりしてきた。
追いつめられた苦戦のなかでは、不動のはずの軍の階級も実力に追いやられ、
上官の命令は、一蹴されるにいたった。
このような無規律の原因は、軍指揮者の腐敗にあった。
部隊長たちは、城地を占領するなり、王侯の楽しみに溺れて動こうとしない。戦線は膠着状態となる。
僕は、日本の孤立した地理的条件と、
湿潤な風土がかもしだす抑圧された精神の異常な発酵とに目を向けてみたい…
それらが、近代日本人の歴史的な性格まで作りあげたものであるからでもある。
つまり、近世の旧幕時代にあった義理人情の世界が今日まで温存されている…
…人々の迷信深さを利用して、不条理な世界へ追い込んでいる。
それというのも、明治精神をつくりあげるための根固めとして、日本人は、
天皇を中心とする義理人情の結束を強めるために、合理精神のかわりに、神秘主義、
つまり亡霊の世界を呼びだしてきたからであろう。
それが小国日本のただ一つの手持ちの駒だったのであろう…
「見ざる。聞かざる。言わざる」の消極的な小天地のなかで、
よそへは通用しない、横柄で小心、悟りすましているようで勘定高い、ちぐはぐな性格ができあがった。
今日の日本人のなかにも、まだ残っている、あきらめの早い、あなたまかせの性格や、
「長いものに巻かれろ」という考え方から出てくる、看板の塗替えの早さ、
さらには、節操を口にしながら、実利的で、口と心のうらはらなところなどは、
江戸から東京への変革のあいだを生き抜けてきた人々の、
絶望の根深さから体得した知恵の深さと言っていいものだろうか。
…こうして亡霊たちに気を使う習性は、滅びた権力や、家柄、格式、老舗などに、
実質はさておき、無条件に頭を下げる日本人の事大主義として、われわれの心に残った。
亡霊に続いて、この湿潤な風土が生んだ陰惨さは「山椒大夫」のような人買いの話、
「紅皿欠皿」のような継子いじめの話、
柳の老木の精が人間の男と契って別離を悲しむ「三十三間堂棟木由来」や、
女の執念が蛇となる「日高川」や「細川の血だるま」のような、男色関係の血なまぐさい物語や、
「武道伝来記」にある仇討ちの話などに満ち満ちている。
どれ一つとして、陰惨でない話はない。
そして、その話が、日本の風土や生活形式に、どんなにぴったりしていたことか。
僕の知り合いの知り合いができたパソコン一台でお金持ちになれるやり方
一応書いておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
8RZ
国民が大統領を選べる外国、総理大臣すら選べない日本 https://goo.gl/c7sYpR
皇室と日本政治について考えてみよう ユーチューブ https://goo.gl/bAkzNv こっそり反ユダヤ アキヒト事大主義 韓国天皇
2000年頃から2ちゃんねるでユダヤ批判をしていたのは天皇の手下の警察
だから国内の政治批判は皇族によってすべてアメリカやユダヤに向けられてきた
今でもそう。ずっと。
ユダヤ系長文は警察の用意したコピペだろう
アメリカ批判もそうだ。
だから国内の政治家に向かうべき批判は、アメリカ、ユダヤ批判にすりかえられてきた
これは皇室の常套手段
国内批判が続くと、皇室にむかってくる
そこで天皇とミチコは警察OBの侍従に指令してロスチャイルド批判、ロックフェラー批判を展開させた
過去スレを見てみよ!
外国批判してもしょうがない国内政治。
長年、韓国人天皇アキヒトは国内批判を外国批判に摩り替えた。
天皇アキヒトとミチコはニコニコ笑い、低姿勢で人を欺き、人気者気取りの悪党である。
警察は通信の隠ぺいが得意だから、いくらでも正体を隠せる
指摘するとすぐにやめるが、気がつかないと続ける
韓国人天皇とミチコによる擦り付け。
公安調査庁も宮内庁の警察OBと連絡して、宮内庁の天皇側近の情報をよく聞いて知っている。
天皇アキヒトは韓国人だから事大主義者だ。
中東問題でも暗躍した韓国人天皇。手下の公安はこっそり反米的活動をしていた。
それだけではない。その韓国人天皇は韓国大統領とも何かある。
明仁のせいで日本は韓国に対して腰が低い。
日本からすれば韓国は格下だが、天皇がチョンだから立場が逆転しているのだ。
アキヒト天皇が韓国大統領の手下。管理下。
日本の技術なんか韓国に盗まれているのだ。まともに文句すら言えないでいる。
韓国の大統領が、在外韓国人にたいする法律の改正でもしたら、天皇アキヒトや皇族は強制的に韓国に呼ばれてしまうのだ。
つまり一生おどされて金をふんだくられる存在なのだ。
日本国民にとってこの外国人天皇アキヒトは、日本の金を韓国に取られる諸悪の根源である。
日本人がどんなに創意工夫をし、働いても、韓国人にその努力の結晶を盗まれてしまうのだ。
いままでそうだったろう。
こんな変な奴のせいで!
一度は偉大な?悲劇、二度目は背筋が凍る笑劇?の、日本近代に巣食う妖怪ども
日本の戦後は戦前の反復になっている。それがこの対GDP国家負債比率のグラフに現われている。
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/30210307.html 何故そうなっているのか。先ずは強者=先進国にすり寄って蜜月となり、
その時代に自分が持たない先進技術を取得して近代化
(というよりも精神性を伴なわない“表面的な”産業化・工業化)と富国強兵を図り、力をつける。
他国の戦争(第一次世界大戦、朝鮮戦争・ベトナム戦争)に便乗して戦争景気を謳歌して
(一時的な)経済強国となる。そして自分が手本とした先進国が苦境に見舞われた、その時
(例えば英仏がドイツの猛攻により本国で手一杯で、アジア植民地から眼が離れているとき、
或はアメリカがベトナム戦争、米ソ冷戦、米ソ宇宙競争で手一杯のとき)を狙って《裏切り行為》に出る。
戦前も、山本五十六、大西瀧次郎が霞ヶ浦でイギリスのセンピル卿から飛行技術
(空母上での航空機運用、水平爆撃、航空魚雷の使い方)を教わったのが1921年である
(その他にも日本の軍用航空機メーカーにはアメリカからライセンスが渡り、製造設備が渡り、
アメリカ人技術者が日本の軍事工場で技術指導していた)。
その僅か20年後にマレー攻略(でイギリス東洋艦隊のプリンスオブウェールズ、レパルスを撃沈)、
真珠湾奇襲を行なっている。
ダウンロード&関連動画>>![](https://img.youtube.com/vi/cBr9j0evjLY/0.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/cBr9j0evjLY/1.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/cBr9j0evjLY/2.jpg)
@YouTube 「川崎航空機」東京シネマ1958年製作
戦後も朝鮮戦争を切欠に「MSA協定」(1954年=昭和29年)を結び、
(日本に弾薬製造、戦車やトラック、ジェット戦闘機の整備を行わせるため)
アメリカは日本に対して技術供与した。
その僅か20年後に日本はその技術を使ってアメリカに経済戦争を仕掛けた。
例えば(ニクソン大統領が佐藤栄作、田中角栄首相に激怒した)日米繊維摩擦だ。
敗戦国にも係わらず(その戦争責任者である昭和天皇共々、極右と軍部
=旧支配層をそのまま政治・経済の中枢に残すなど)日本を助けてやった。
それにも係わらず我々から得た技術を逆用し、我々の苦境時
=ベトナム戦争を戦う最中に、朝鮮戦争・ベトナム戦争で大儲けしながら切りかかってきた。
その後も日米自動車摩擦、半導体摩擦と続いて行く。アメリカに戦争責任を免除された日本の支配層は、
このアメリカの日本批難を『不当な圧迫だ』と叫び自己正当化を謀った。
その(アメリカ“逆”批難の)《キャンペーン》によって国民を煽った
(煽られた国民は『アメリカが悪い!』と思い込んだ)。
だから湾岸戦争でアメリカが日本に戦費を要求し、日本がそれを断ったときアメリカは激怒した。
『ベトナムの時と同じことをするのではないだろうな?』
(ベトナム戦争では我々からの発注で大儲けし)
(我々から技術を得ながらその技術を逆用して、我々の“背後から”《弾》を撃つのではないだろうな?)と。
軍事でアメリカを叩けない
戦後日本はこうして経済力で(ベトナム戦争で手足を縛られた)アメリカを追い詰めた。
アメリカの核の傘に護られながら(しかもGHQによって戦争責任を免除された者らが)。
アメリカから得た技術+国民の過重労働でアメリカの民生品市場に殴り込み、
ベトナム戦後の経済環境=FF金利20%以上の高金利で喘ぐアメリカ企業を叩きのめし、
貿易黒字を稼ぎ出した。その莫大な貿易黒字はアメリカ側の大赤字となり、
それは《ドル暴落の危機》に直結した。ニクソン・ショックである。
アメリカはベトナム戦争を戦うために(国民に配慮して)増税しなかった。国債発行で戦費を賄った。
そのため高インフレの素地が形成されていた。
そこへ更に巨額の貿易赤字が加わるような、
日米貿易摩擦は《ドル基軸通貨体制の揺らぎ》につながる大問題となった。
だからアメリカは日本に対し、『過剰に輸出するな』と警告した。
だが日本側は『安くて良いモノが売れて当たり前、何が悪い』と開き直った。
その結果起ったのが『プラザ合意』である。
1ドル=360円の固定レートは(極東の《反共防波堤》である)日本が輸出し易いように設定された優遇だった。
だが本来、輸出ばかりして輸入しない国の通貨は値上がりする
(のは自然の摂理だ。稼いだ莫大なドルを売って少ない円を買うと円が値上がりする)。
つまりアメリカに逆らったことで、戦後日本の“優遇が”解除されたのだ。
ところが日本は朝鮮戦争を切欠に復活した輸出主導の産業構造を変えようとはしなかった。
(アメリカから得た技術で築いたそれは)日本の支配層の、支配の源泉だからだろう。
大事故を起こした原発などもその典型だ。
それで一向に輸入しようとはしなかった(自分たちを守るために)。それでどんどん円高が進行して行った。
そして(バブルも崩壊した95年に)1ドル=79円となり、日本企業は“本格的に”海外に工場を移転し始めた。
そして今やこうした職(製造業)は日本から消え去った。
地銀の預貸率は98年頃には98%あった。それが2013年には65%になっている。
それだけ地方では貸し出す先が無い。それで地銀は余った預金で国債を買っている。
ところが黒田日銀がマイナス金利にした。
アメリカから得た技術で築いた輸出産業(と、今もそれを支配する、日本を敗戦に追い込んだ者ら
=GHQと取り引きして罪を免れた者ら)を守るために日本経済が壊死している。
今日本で起っていることは、満州事変以降で起ったことと同じである。
(中国の皇帝に代わって)《昭和天皇が大東亜共栄圏の盟主になる》という
“妄想”に囚われて日本本土に落すべき資金を満州、中国、仏印と、使い果たして破綻する。
つまり自国民を見捨て、他の国へ行ってそこの経済を支えるために日本の資金が使われている。
それがこの対GDP国家負債比率のグラフに現われているのである。
https://facta.co.jp/article/201307029.html アベノミクス「落第」地銀全リスト
政権与党が切り込む「地銀再編」。「預証率」が高く、「中小企業向け貸出比率」が低いダメな地銀を狙い撃ち。
2013年7月号 BUSINESS [地銀はもっとカネを貸せ!]
政権与党の立場から成長戦略の政策立案を担う自民党の日本経済再生本部(本部長・高市早苗政調会長)が、
5月10日に発表した中間提言で地銀再編に切り込んだ。
「地銀は大量に集まった預金を地元で循環させずに、国債ばかり購入してきた」。
自民党議員がこう語気を強めるように、
中間提言では日本経済が20年にわたって停滞した理由に「金融機関の消極的な与信姿勢があった」と指摘。
地域金融機関がバブル崩壊以降、その役割を十分に果たしてこなかったことを踏まえれば、
自民党が地域金融を槍玉に挙げるのも無理はない。
金融機関の本来的な役割は、いうまでもなく
顧客から預かった預金を貸し出して経済を活性化させる「金融仲介機能」にある。
その代表的な指標が、預金残高に対する貸出金残高の割合を示す「預貸率」。
日本銀行の統計資料などをもとに政府が自民党に提出した資料では、
1998年4月末に97.95%あった全国銀行の預貸率が、2013年2月末には64.67%にまで落ち込んでいる。
この体たらくぶりに金融調査会メンバーを中心とする自民党議員たちが激怒。
「いくらアベノミクスで金融緩和したところで、地銀が金を貸さなければ経済は上向かない」
「国債で運用するだけならバカでもできる」。
貸出全体に占める中小企業向けの比率は、有力地銀で軒並み20〜30%台の低水準にとどまり、
昨年度は遂に地銀平均で40%を切る非常事態に陥っている(表2)。
「もはや地銀の存在意義は失われている」。
中間提言のとりまとめ作業が進む4月中旬、自民党内ではこんな声まで聞かれるようになっていた。
地方経済では、当然ながら地銀にその役割が求められる。
だが、「リスクを取れない地銀に、地域の企業をリードする役割は果たせない」(中堅議員)
ところが、リスクを取らずに安全資産ばかりで運用してきた地銀に、その思いはなかなか伝わらない。
各地銀が策定する今年度の貸出計画をみても従来と変わった様子はなく、
「まともに金を貸せる先があるなら、とっくの昔に貸している」と逆ギレする始末。
こうした地銀の肌感覚を感じ取った金融庁幹部は、「
地銀はリスクを取らないのではなく、取る能力を失ってしまっているのではないか」と真顔で心配する。
既に『日本“全体が”輸出基地である』という構造は壊れてしまっている。
大企業は日本の下請けを切ってアジアへ出て行った。
にも係わらず金融緩和してその上部構造だけを助け、もぬけの殻の地方で地銀の尻を叩いている。
過去に莫大な貿易黒字を稼いでアメリカに経済戦争を仕掛けたので、優遇の円安が消え、
持続的な円高で国内輸出産業が維持できず、それらの多くが外へ出て行った
(日本の支配層は経済戦争を仕掛けて“またも”敗け、産業と工場の海外移転を受け入れ、
つまり或る階層部分の産業とそれに関する国民の職を『差し出す』ことによって
その責任を“またも”アメリカから免除されている)。
産業の空洞化で地銀が貸し出す先が無い。アメリカに経済戦争を仕掛けたこれは罰である。
だから第三次アーミテージ・ナイ・リポートは『これを8月15日に発表するのは偶然ではない』
(=君たちは既に敗けている。この《新ポツダム宣言》を受け入れよ)と宣言しているのである。
今の日本の政治はかつて《自国を潰して敵に寝返り罪を免れた者ら》が、
『夢よもう一度』で経済戦争を仕掛け、再び敗けて、
その敗けが確定した戦後日本(を引き受けさせられてしまった後の世代の支配層が、そ)の現実を、
国民の眼から隠し責任回避して、(自分が現役、或は生きている間だけ)時間稼ぎをする。
そのための“事後処理の”政治である、と思われる。
といった構図を考えてみましたが、あくまでこれは妄想です。真偽のほどは自身でお確かめ下さい。
バカのくせにまた偉そうなことを書いてしまいました。皆さまにお詫び致します。
復古右翼運動が脚光を浴びるのか?
いくら旧仮名遣い氏がネット掲示板で叫んでも
一般社会では脚光を浴びる事は無い?
一般社会ではパワーハラスメントや
セクシャルハラスメントや
人権運動が盛んになり
外国人が守られている日本が
更に移民政策を進めて行くだけだろう
>>225 最う戰後の新左翼、革新、自稱リベラルの云ふ抽象的な言論なんぞ平成の今社會では殆ど影響力は無い。
パラダイムは固定されぬし、常に移り變る。
豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」2008年
戦後日本の枠組み形成において、
やはり重要な意味をもったのはマッカーサーと天皇との直接的な会見であったとおもわれる。
これまで一般に確認されているところでは、
両者は一九五一年四月のマッカーサー解任に至るまで併せて一一回会見している。
しかし、それらの内容についてはほとんどベールにつつまれたも同然である。
ただ、一部明らかになったところから判断するならば、
とりわけ重要な政治的内実を有しているのは、第四回の会見とそれにつづく天皇の行動であろう。
この会見が行われたのは四七年五月六日のことであった。
この日をはさんで、四月二五日の総選挙では社会党が第一党となり、
会見当日には吉田内閣において辞表がとりまとめられ、
五月二〇日には遂に同内閣は総辞職し、六月一日には社会党の片山哲を首班とする新内閣が成立した。
そして…会見の三日前、五月三日からは新憲法が施行された。
このように激動する情勢のただ中で行なわれた会見であったが、
会談内容は…極秘とされた。
…しかし、翌七日付の東京初AP電は重大な情報を伝えた…
だた、問題のAP電とマッカーサーによるこの否定については、
GHQ当局の検閲によって国内では一切報道が禁止され、
しかも第一回の会見につづいて通訳を担当した奥村勝蔵が情報をもらしたとの理由で懲戒免職に付され…
会見内容は再び厚いベールにつつまれてしまった…
ところが一九七八年になって、
第一回会見と同じくこの度も児島襄によって会談記録の一部が公表された(『日本占領(3)』)。
しかもその内容は、ほぼ上記のAP電に沿うものであった。
…会談では冒頭から新憲法、とりわけ第九条をめぐって議論が交わされた。
天皇はまず、「日本ガ完全ニ軍備ヲ撤廃スル以上、ソノ安全保障ハ国連ニ期待セネバナリマセヌ」と、
切り出した上で、しかし「国連ガ極東委員会ノ如キモノデアルコトハ困ルト思ヒマス」と、
四大国が拒否権をもっている極東委員会をひき合いに出して、
事実上は国連に期待できない旨を強調し、マッカーサーの意見を求めた。
これに対し、第九条の挿入に熱意をかけたマッカーサーは、
破壊力の飛躍的な増大によって今後の戦争には勝者も敗者もないであろうこと等を指摘し…
「日本ガ完全ニ軍備ヲ持タナイコト自身ガ日本ノ為ニハ最大ノ安全保障デアツテ、
コレコソ日本ノ生キル唯一ノ道デアル」と、改めて“第九条の精神”を天皇に説いた…
さらに国連についても、現状はともかく「将来ノ見込トシテハ国連ハ益々強固ニナツテ行クモノト思フ」と、
天皇とは異なる評価を展開した。
しかし天皇は、第九条にも国連にもおよそ期待をかけていないかのように、
「日本ノ安全保障ヲ図ル為ニハ、
アングロサクソンノ代表者デアル米国ガ其ノイニシアチブヲ執ルコトヲ要スルノデアリマシテ、
此ノ為元帥ノ御支援ヲ期待シテ居リマス」と、米軍による日本防衛の保障を求めた。
そこでマッカーサーは、「米国ノ根本観念ハ日本ノ安全保障ヲ確保スルコトデアル。
此ノ点ニツイテハ十分御安心アリタイ」と答え、具体的な軍事戦略上の問題に議論をすすめたが、
…奥村の記録はここで切除され、後半部は破棄されている…
実は両者は四六年一〇月一六日、新憲法発布の三週間ばかり前に行なわれた第三回の会見ですでに、
天皇が「戦争放棄を決意実行する日本が危険にさらされる事のない様な世界の到来を、
一日も早く見られる様に念願せずに居れません」と第九条に懸念を表明したのに対し、
マッカーサーが「戦争を無くするには、戦争を放棄する以外には方法はありませぬ」と、
第九条の意義を強調する議論を交わしていたのである…
以来およそ半年を経て天皇は、事実上第九条に代わる日本の安全保障のあり方、
つまりは米軍による防衛の保障をマッカーサーに求めた訳であった。
それにしても、わずか一年九カ月前まではアジア・太平洋諸国を「危険にさらしていた」国の「象徴」が、
その償いも何ら果たしていない段階で、しかも戦争放棄の第九条がなぜ求められることになったのかという
歴史的な経緯もほとんど認識されていないかのように、
ひたすら自らの国が「危険にさらされる」ことのみを考え、アジアや世界に眼を向けることもなく、
もっぱら占領者のアメリカに「安全保障」を求めるという発想方法には、ただ驚かされる…
否、むしろ天皇のこのような発想こそが、
戦後日本の歩みをそれこそ“象徴”しているのかもしれない…
最近の災害続きは、皇室のせいかもしれない。来年4月に上皇、カメ子天皇予定でしょ。
日本はアメリカの人工降雨と人工地震の実験対象になっているっぽい。
政権を超えた天皇犯罪。(日本側は)
皇室の目的 考察
その人工の偽装災害の後、天皇と皇后、そしてナルヒトと悪魔崇拝者の雅子が被災地に行って
『いい人たちだなー』と、何も知らない奴が言うのを期待しているのだろう。
(しかし、これは最近指摘されて、ばれてきているのでやらないかもしれない)
大雨による災害が続いているのに、外国みたいに人工降雨で被害を防ぐ事をまったくしようとしていない。
今の軍事技術は人工降雨が可能という事をかくしているでしょ。たぶん。
今の平成天皇のせいで日本はアメリカの人工地震と人工降雨テロの実験台になってしまっていると思う。
人工降雨で災害を防ぐという案が政府から出ないことがおかしい。
明仁は韓国王室関係者。
韓国(朝鮮王)といえば、古代から日韓併合まで朝鮮王の下 モンゴルや中国の属国になっていた元凶。
頂点に外国の奴隷か服従をしている王が統治していた失敗政治体制。
平成天皇 明仁は 朝鮮王の関係者だ。 つまり 李明仁だ。 李一族は今の東宮と秋篠宮家。
明仁本人が朝鮮王との関係を認めた。李明仁の祖国は韓国。
そして気象兵器使用がばれた時の為に日本側の人工テロの犯人を李明仁天皇ではなく、
他人にすり替える為に安倍を長期政権化させている。
偽装自然災害は自民党以外の時にも行われていたし、気象兵器を使用するにしても警察公安による調査などの準備期間がある。
安倍長期政権化は なすりつけを安心して李明仁が出来ると考えているからだろう。
アメリカの犬 李明仁が日本の最大の悪だ。
こいつらが居る限り政権交代も無意味だ。
豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」2008年
まず、「不平等条約」と言われる旧安保条約の内容はいかなるものであったの…か。
何よりも、日本には米軍に基地を提供する義務があるが、
米軍の日本駐留はあくまでも権利であって米軍には日本防衛が義務づけられていない。
しかしその一方で、米軍には日本の「内乱」に介入する権利がある。
さらに、「極東条項」がおかれ、米軍は「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するという、
国連憲章の裏づけもないあいまいな目的のために日本の基地を利用することができる。
しかも、その基地については、提供地域が特定されない「全土基地化」の権利が米軍に与えられている。
また裁判権の問題にかかわって、米軍には事実上の「治外法権」が保障されている。
最後に、この条約には有効期限が設定されておらず、
その失効には米政府の承認を必要とすると規定されているのである。
昭和天皇の側近達は、朝鮮戦争の帰趨と天皇制の将来を直結させて、深刻きわまりない危機感を抱いていた…
つまり、彼にとって「朝鮮有事」とは「日本有事」であり、そして「天皇制の有事」であった。
この点で、「大陸の政治動乱がわが島国を直接に脅かさなかったことは歴史の事実」との…判断を背景に、
「朝鮮有事」と「日本有事」を峻別した吉田とは情勢認識を大いに異にしていた…
昭和天皇の側にあっては、朝鮮戦争で米軍が苦境にたつならば、
それはソ連による直接侵略が国内共産主義者による間接侵略かはともかく、
「革命」と「戦争裁判」と天皇制の打倒につながるものと看做されていたのである。
この未曽有の危機を救えるのは米軍以外にないという結論に至るのは、きわめて自然の成り行きであった…
従って、吉田が基地提供という「根本方針」でいささかなりとも“動揺”を示すことは許しがたいことであり、
ましてや、基地提供を交渉カードに使うといった発想それ自体が認められないことなのである。
つまり、日本の基地提供と米軍駐留は、天皇制の死守をはかる昭和天皇にとって絶対条件となったのである。
こういう昭和天皇の立場にたてば、日本はあくまで無条件的に米軍駐留を「希望」「要請」し、
基地の「自発的なオファ」に徹しなければならない…それこそが、安保条約の「根本趣旨」なのである。
さらに「内乱条項」は、きわめて重要な位置を占めていたであろう。
こうして、皮肉な表現を使うならば、「国体護持」を保障する安保体制こそが、
「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったのである。
昭和天皇によるこの「口頭メッセージ」が、
基地問題への吉田の対応と密接な関係をもっていたであろうことは、
同五〇年八月にまとめられダレスに送られた「文書メッセージ」によって、一層明確になってくる…
カーンは、七月に帰米してハリマン国務次官補と会食した際に…
パケナムに日本側と文書化作業をすすめるように指示した。
こうして、八月に入って松平は葉山の御用邸に隣接する自らの別荘にパケナムを招き、
数日間を費やして天皇メッセージの文書化の作業が行われたのである。
そこには、「天皇の側近達」も参加しており、パケナムとの間で率直な議論が交わされた。
パケナムによれば、側近たちは占領改革によって警察組織が弱体化し
共産主義者の活動が活発化したことを批判したという。
さらに、朝鮮戦争において仮に米軍の側が負けるようなことがあれば、
側近達の全員が「首切り」にあうのではないかという恐怖感にさいなまれていた、という。
日米の関係者による作業を経てまとめられた昭和天皇の「文書メッセージ」では、
これまで「無責任で代表的ではいアドヴァイザー達」が占領当局に影響を与えて
「多くの誤解が生じてしまう」という恐れがあったので、
今後は「信用ある経験豊かな人々によって構成される諮問グループ」が組織され
アドヴァイスできることが望ましい、と強調されている。
具体的には、「現在は沈黙しているが、もし公に意見表明がなされるならば、
大衆の心にきわめて深い影響を及ぼすであろう多くの人々」がいるのであるが、
彼らの多くは「追放」に処せられているのであり、
従って「追放の緩和」こそが日米両国に「最も有益な効果」をもたらす行動、とされるのである。
さて、問題は…この「文書メッセージ」の最後の締めくくりにおいて昭和天皇は、
「口頭メッセージ」では直接的には触れなかった吉田への批判を、明確かつ具体的に打ち出している…
つまり、右に指摘されたような人々が「仮に彼らの考え方を公に表明できる立場にいたならば、
基地問題をめぐる最近の誤った論争も、
日本の側からの自発的なオファによって避けることができたであろう」ということなのである。
ここで言われる「基地問題をめぐる最近の誤った論争」とは、
先に触れた六月二二日の吉田・ダレス会談での吉田の対応とともに、
この「文書メッセージ」の作成作業が行われる直前の国会における吉田発言を指していることは疑いない…
実は七月二九日の参議院外務委員会において、
「内外とも吉田さんは、軍事基地を貸すつもりでおるのだ、腹はそう決まっておるのだ、
という声は消えて行かない」との社会党議員の追求に対し吉田は、
「私は軍事基地は貸したくないと考えております」
「単独講和の餌に軍事基地を提供したいというようなことは、事実毛頭ございません」と明言したのである。
昭和天皇は「文書メッセージ」において、「日本の側からの自発的なオファ」という方向をとるならば、
こうした事態は避けることができると主張した…
以上のように、昭和天皇は新憲法の施行から三日後のマッカーサーとの会見で、
「日本の安全保障を図る為には
アングロサクソンの代表者である米国がそのイニシアティブをとることを要する」という、
政府や外務省も何ら決定していない安全保障問題の核心的な問題について「自らの方針」を語った訳であったが、
天皇は米軍による日本防衛の確保にむけて、さらに高度な「政治的な行為」に踏み出した。
それが、第四回会見から四カ月を経た九月一九日に
マッカーサーのシーボルト政治顧問に伝えられた「沖縄メッセージ」であった。
http://2chb.net/r/seiji/1517566115/233-237 >米軍には日本の「内乱」に介入する権利がある。
>さらに、「極東条項」がおかれ、米軍は「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するという、
>国連憲章の裏づけもないあいまいな目的のために日本の基地を利用することができる。
>しかも、その基地については、提供地域が特定されない「全土基地化」の権利が米軍に与えられている。
>また裁判権の問題にかかわって、米軍には事実上の「治外法権」が保障されている。
>最後に、この条約には有効期限が設定されておらず、
>その失効には米政府の承認を必要とすると規定されている
>昭和天皇の側近達は、朝鮮戦争の帰趨と天皇制の将来を直結させて、深刻きわまりない危機感を抱いていた…
>つまり、彼にとって「朝鮮有事」とは「日本有事」であり、そして「天皇制の有事」であった。
>この点で、「大陸の政治動乱がわが島国を直接に脅かさなかったことは歴史の事実」との…判断を背景に、
>「朝鮮有事」と「日本有事」を峻別した吉田とは情勢認識を大いに異にしていた…
>昭和天皇の側にあっては、朝鮮戦争で米軍が苦境にたつならば、
>それはソ連による直接侵略が国内共産主義者による間接侵略かはともかく、
>「革命」と「戦争裁判」と天皇制の打倒につながるものと看做されていたのである。
>この未曽有の危機を救えるのは米軍以外にないという結論に至るのは、きわめて自然の成り行きであった
>こういう昭和天皇の立場にたてば、日本はあくまで無条件的に米軍駐留を「希望」「要請」し、
>基地の「自発的なオファ」に徹しなければならない…それこそが、安保条約の「根本趣旨」なのである。
>さらに「内乱条項」は、きわめて重要な位置を占めていたであろう。
>こうして、皮肉な表現を使うならば、「国体護持」を保障する安保体制こそが、
>「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったのである。
>こうして、皮肉な表現を使うならば、「国体護持」を保障する安保体制こそが、
>「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったのである。
昭和天皇が安保条約と地位協定をダレス側と結び、こうして戦後、米軍によって守られる天皇制が生れた。
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1507299396/279-280 田原:
…国民の側では、東京裁判で天皇は裁かれなかった、
だから責任はないんだとか、逆に責任逃れだなどという議論があった。
でも…天皇が訴追されなかったのは、GHQの占領政策をうまく運ぶためだった。
こういう認識を国民的に共有する機会のないまま時代は平成に突入し、いまの右傾化につながっていく…
後藤:
'89年は世界の構図が変わった年であり、分水嶺だった。
以後、日本社会の歪みはさらに増していったように思えます。
ある意味で呪いの年とも言えるかもしれません…
田原:
私は冷戦が崩壊したことの意味を、日本人が理解できなかったことこそが呪いだと思う。
冷戦期は、日本は西側諸国の「西の端」であって、
ソ連に対抗するために米国が守らなければならない場所だった。
その状況が変わったということを、日本人はその後10年くらい気が付かなかった…
後藤:
こうして話していると、'89年を考えることが、戦後70年を迎えたいま、
日本が抱える矛盾と課題の源流を探ることに重なっていると気付かされます。
http://2chb.net/r/seiji/1517566115/227-230 http://2chb.net/r/seiji/1517566115/233-237 こうした学者の調査・研究によれば、
戦後日本を《捕虜収容所状態》に置いたのは自国を潰したその罪を
“免れようと”米軍の庇護を求めた昭和天皇自身であった。
そこを見ない限りこの戦後日本の《捕虜収容所状態》を抜けられない。
日本が起こした(特に満州事変以降に続く)太平洋戦争とは何だったのか。敗戦とは何だったのか。
そこで日本の(戦争)指導者らが如何に動いたのか。外国と交渉したのか。
自分らの野心のために世界と日本国民とを犠牲にし、
その罪の追求をかわす=免れるために占領国に庇護を求める。
その“見返り”として自国(の国土と権利)を売り渡す。
それで戦争責任追及が出来ないように《暴力と情報宣伝》を使って封印する。
とするならば、これは彼らが戦後日本にかけた《呪い》である。
それにしても、自国を潰し自国民を大量死に追い込みながら、
敗けたら敵と煽ったその旧敵に寝返って、
(東條英機元首相ら少数のA級戦犯と、自分らが命令した現地司令官ら約千人のBC級戦犯に罪を着せ)
罪を免れた者らが振り回す国旗、国歌とは何だろうか?
http://2chb.net/r/seiji/1517566115/227-230 http://2chb.net/r/seiji/1517566115/233-237 >日米の関係者による作業を経てまとめられた昭和天皇の「文書メッセージ」では、
>これまで「無責任で代表的ではいアドヴァイザー達」が占領当局に影響を与えて
>「多くの誤解が生じてしまう」という恐れがあったので、
>今後は「信用ある経験豊かな人々によって構成される諮問グループ」が組織され
>アドヴァイスできることが望ましい、と強調されている。
>具体的には、「現在は沈黙しているが、もし公に意見表明がなされるならば、
>大衆の心にきわめて深い影響を及ぼすであろう多くの人々」がいるのであるが、
>彼らの多くは「追放」に処せられているのであり、
>従って「追放の緩和」こそが日米両国に「最も有益な効果」をもたらす行動、とされるのである。
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1505776734/635-637 マーク・ゲイン「ニッポン日記」 解説 中野好夫
デイビッド・E・カプラン、アレック・デュブロ「ヤクザが消滅しない理由。」2003年(要約)
四六年アメリカ当局はすべての超国家主義者組織を禁止しそのリーダーたちを追放した。
だが、こうした組織を禁止する立場にあるはずのG2が、
実際には左翼をスパイし弾圧するのにヤクザを使っていた。四七年になると右翼追放は完全に勢いを失った。
『ニッポン日記』の著者マーク・ゲインは四八年にその嘆かわしい情況をこう記している。
「右翼追放は今日では見せかけのものになった」…「戦争犯罪者たちは国会議員、閣僚、裁判所判事になり、
新しい『民主的』な法律を作成し…戦争犯罪者は教科書を『改訂』し、報道機関を管理し、
ラジオや映画製作業をも支配している…
思想統制機関は何度も追放を受けながらも、ふたたび重要な位置に姿を現すようになっている。
それも…アメリカの援助のもとで、だ」と。
占領時代のほぼ全期間中、ヤクザたちは左翼や組合へ攻撃を続けていた。
四九年SCAPは本格的な右翼追放政策の停止解除に乗り出す。
これこそ占領下で起きた悪名高い「逆コース」であった。
その内容は、朝鮮戦争の勃発までに一万人の公職追放を解除し、次の一年半で合計二〇万人を解除した。
公職追放が撤廃されて右翼暴力団への加入の数が大きく増え、
占領期の終わりまでに団体数は七五〇にもなった。
フランス共産党員に対しCIAがコルシカマフィアを利用したのと同じように、
占領軍はヤクザと超国家主義者を使うことによって日本の体制を左翼や共産主義から守ることに成功した。
しかしこうした政策は好ましくない副作用を生むこととなる。
CIAがフランスの暗黒街を支援したことにより、
コルシカマフィアがアメリカへ大量のヘロインを売りさばく仕組み、フレンチコネクションを築いた。
日本でも「秘密作戦」の後遺症はフランスの場合と同様の深刻なものとなった。
G2や(講和後に)その仕事を引き継いだCIAによって
右翼やその武闘共闘者であるヤクザに与えられたカネと特権が、その後数十年に渡って続く権力機構の中に、
腐敗の構造を作っていった。ヤクザは江戸時代からの伝統的のヤクザではもはやなく、
米国をバックにした圧倒的な強い立場を誇示し、日本の政界へカネや腕力を提供した。
企業の用心棒として労組のスト、学生運動、公害反対活動を暴力的手法で粉砕した。
ケーディスは一九四七年の記者会見で、「ボスやチンピラや、ゆすり、
たかりをする連中が結合して党派的に裏で動くことは、
アメリカによる日本の民主化という目標にとって最大の脅威である」と主張したが、
これは未来を予感させるものであった。
アメリカが権力を誤用し、日本の民主化への道を封じる勢力に手を貸してしまったことは、
今となっては誠に残念なことである。
アメリカの占領が、ヤクザをこのうえなくのさばらせてしまったと言っても過言ではない。
ヤクザの全盛期はここから始まったのである。
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471762772/151-153 永野健二「バブル−日本迷走の原点」
>大株主の三光汽船の立場を認め、提携関係から合併にいたるという選択肢は、
>ジャパンラインにも興銀・運輸省にもあり得なかった。交渉の窓口は興銀にゆだねられた。
>水面下の交渉が始まる。興銀は、裏社会で隠然たる力を持つ児玉誉士夫を代理人として使うことを選ぶ。
>おそらく、中山素平が友人の財界人を通じて、児玉誉士夫につないだのだろう。
>児玉は戦前に諜報機関で活躍し、戦後は保守勢力の再編に力を注ぎ、
>山口組など暴力団にも直接パイプを持つ右翼の巨頭だった。
>そしてもう一人の代理人として、そごう社長の水島廣雄が登場する。
>水島は興銀出身の経営者であり、学者でもある一方で、児玉という闇の世界の人脈にも通じていた。
>興銀が水島に大きな借りをつくり、
>90年代のそごう倒産にいたるまで、抜き差しならない関係になったのは、この事件がきっかけだった。
>興銀の宿痾は、この時に始まった。
>ある興銀幹部が自嘲気味につぶやいていた。
>「歴代の頭取以下、あらゆる幹部が、ジャパンライン問題の当事者なんです。
>だから、誰にも責任を取らせることは出来ないのです」。
>ジャパンライン問題は、興銀の「終わりの始まり」だった。
>しかし、この問題で責任をとった経営幹部はいない。
>そして、興銀とアングラ社会のつながりは80年代のバブル時代の「そごう問題」、
>「尾上縫事件」にまでつながり、興銀の命脈を絶つのである。
或る意味、バブルとバブルの崩壊、
それ以降の数十年に渡る日本のデフレ経済も、《敗戦後の構造》が裏に存在して起っている。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962 終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた
「次から次へ、体じゅう痛くて…」
貴志 謙介 元NHKディレクター・プロデューサー 2018.8.15
ところがここへ来て、思いがけず、戦後ゼロ年をめぐる新しい視野がもたらされようとしている。
原動力のひとつは、機密資料の公開である。
たとえば、2007年に機密解除された10万ページのCIA文書があり、
150万点に達するGHQの検閲記録がある。
A級戦犯に対するIPS(国際検察局)の尋問記録やアメリカ戦略爆撃調査団の調査報告も公開された。
こうした極秘文書を多くの証言とつきあわせていくと、驚くべき真実が続々と浮かび上がってくる。
日本政府がつくった「性の防波堤」
この日、組閣された東久邇内閣の国務大臣に就任した近衛文麿がなによりも急いだことは何だったか。
実は近衛は入閣直後、ただちに警視総監の坂信弥を呼びつけ、
米軍相手の売春施設を作るよう要請したのである。
40万人の占領軍上陸を2週間後に控え、
日本の戦争指導者がもっとも恐れたことは、兵士による性犯罪であった。
そして「性の防波堤」と位置づけられたのが、
「国策売春組織」、すなわち「特殊慰安施設協会(RAA)」であった。
電光石火のごとく霞が関が動いた。外務省・内務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁など、
主要官庁がこぞって協力。座長役を務めたのは、大蔵省の主税局長・池田勇人(のちの首相)である。
池田の号令で大蔵省がポンと3300万円を出す。現在の価格に換算すれば10億円を超える。
占領が始まる前に、政権の中枢にいた政治家や軍人、そして官僚が何を置いても、
外国の軍隊による性暴力にこれほど強い恐怖感を抱いたのは、なぜだろう。
国家が主導した売春施設を準備した警視総監・坂信弥は、内務省の資料のなかでこう証言している。
「東久邇さんは南京に入城されたときの日本の兵隊のしたことを覚えておられる。
(略)それで、アメリカにやられたら大変だろうなという頭はあっただろうと思います」
〈(RAA協会は)戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の難事業を課せらる。
(略)『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、
(略)「国体護持に挺身せんとするに他ならざることを重ねて直言し、以て声明となす〉
敗戦国であるドイツやイタリア、あるいはソ連に占領された東ヨーロッパの国々にも、
占領軍を相手にする売春婦は大勢いた。
しかし、国家が号令を発して、莫大な予算を投じ、官僚がプロジェクトを組み、
「国体護持」のために女性を犠牲にするという“理想”を高らかに掲げた国はほかにない。
8月27日、RAAは、占領軍の上陸地点に近い品川の大森海岸に「慰安所第一号」として、
「小町園」を開店した。ポツダム宣言の受諾からわずか2週間しかたっていない。
戦後ゼロ年のブラックホールに迷い込んだのは、国家の「いけにえ」となった女性ばかりではない。
占領下の東京には、いたるところに、ブラックホールが存在していた。
あらたに発掘された映像からも、その痕跡がみつかる。
たとえば、東京湾から引き揚げられた大量の金塊の映像。数兆円にもおよぶ日本軍の隠匿物資の一部である。
もとはといえば、本土決戦のために軍が国民から徴用した物資であり、
こうした莫大な財産は国民には返還されず、
高級軍人や官僚など特権階級に横領されて、ヤミ市に横流しされていたのである。
もし、隠匿物資が国民を救うために使われていたら、どれほど多くの戦災者が救われていたことだろう。
人々を苦しめた敗戦直後の地獄は、物資の隠匿に狂奔したエリートの不正によってもたらされたのである。
その事実を、私たちの記憶のなかに、あらためて刻み込んでおかなくてはならない。
膨大なCIA文書から、戦後ゼロ年にどのような権力構造が生まれていたかを知ることもできる。
たとえば、占領軍は、表向きは「日本を民主化し、軍国主義者を追放する」政策を推進したが、
裏では大本営の参謀を戦犯の訴追から外し、対ソ諜報戦の手先にしていた。
米軍の諜報機関に囲い込まれた軍や特務機関の残党は、
アメリカの後ろ盾を利用して密輸や謀略を重ね、密かに影響力を拡大していく。
軍国主義の残党、ヤミ成金、官僚や政治家を問わず、
占領軍に深く食い込んだ者だけが権力を確保し、利権を得た。
こうして戦後ゼロ年を出発点として、アメリカの秘密工作に積極的に協力した
日本の支配層との合作で「世界最大の親米国家ニッポン」が造られていく。
そのときできあがった権力構造のDNAは、いまも日本を支配している。
戦後ゼロ年は、戦前のしがらみを断ち切った年ではなく、むしろそれを温存し、
戦争を推進した旧支配層を取り込んで、
アメリカの国益に沿った日本社会の改造が開始された年だったのである。
『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』という本では、
いままで視界から失われていた闇を見つめ、わたしたちの記憶の欠落を埋めていくことを試みた。
復元された戦後ゼロ年の姿を現在の日本と重ね合わせれば、
いまの日本を呪縛する仕掛けも見えてくるにちがいない。
こんなスレだーれも書き込まないなw
2もありえないだろう
大川周明(おおかわしゅうめい、1886年12月6日 - 1957年12月24日)
貴族院議員の《徳川義親侯爵と親交が深く、徳川から金銭的援助を受けており》、
徳川は、大川やその他日本改造主義者たちの経済的パトロンであった。
三月事件・十月事件・血盟団事件など殆どの昭和維新に関与し、
五・一五事件でも禁錮5年の有罪判決を受けて服役。
徳川義親(とくがわよしちか/ぎしん、1886年10月5日 - 1976年9月5日)
1886年10月5日、元越前藩主である《松平春嶽の五男》として生まれる。
1908年4月、尾張徳川家当主徳川義禮の養子となって義親と改名する。
同年5月、養父の後を受けて同家19代となり侯爵を襲爵する。
松平永芳(まつだいらながよし 1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、
日本の海軍軍人、陸上自衛官、神官。
靖国神社第6代宮司(1978年 - 1992年)時代には、A級戦犯の合祀を実施したことで知られる。
東京に生まれる。《祖父は松平春嶽》。父は春嶽の長男・松平慶民(子爵。宮内大臣戦後は宮内府長官)。
母幸子は、新田家一門岩松氏の男爵新田忠純の四女。 妻充子は、侍従武官・侯爵醍醐忠重(海軍中将)の二女。
また、尾張徳川家を継いだ侯爵《徳川義親(靖国会初代会長)は、叔父》に当たる。
吉田裕「昭和天皇の終戦史」1992年
宮中グループを中心にして、ファシズム期における
日本のパワー・エリートの内部構成を分析した岡部牧夫は、
「武家、公卿、皇族のような伝統的特権支配層と、
明治以後の新階層である藩閥政治家ないし官僚、軍人、ブルジョアジー」とが、婚姻を通じて、
「多角的に接合」している事実に注目し、
そこにパワー・エリート内部の「意図的な血縁同盟」の存在を見出している(「日本ファシズムの社会構造」)。
本書にたびたび登場する松平康昌を例にとるならば、本人は福井藩主松平春嶽の孫にあたり、
夫人の綾子は公爵徳川家達(いえさと)の長女、妹の銀子は三井財閥のトップ、三井高公の夫人、
また、重臣の岡田啓介は福井藩の旧藩士であり、
その関係で岡田内閣の組閣の際に岡田は組閣費用を松平から借りている(『岡田啓介』)。
宮中グループは、このような婚姻関係を通じて、
さまざまな勢力との間に独自の人脈と情報のネットワークをつくりあげることに成功していた。
東条首相の秘書官でその側近の一人であった元陸軍大佐の赤松貞雄は、右の松平康昌について、
「親しく交際していくにつれ、宮中、政府内、財界、政界および言論界の各方面にわたって
なかなか強い潜在勢力を持っており、広い情報網を握っていることを、痛い程理解させられた」としながら、
「当時の華族関係、貴族院関係など、いわゆる雲の上の状況を知ることは、
東条首相も私も不得意であったので…
松平氏の世話にならざるを得ない実情であった」と回想している(『東条秘書官機密日誌』)。
この「独白録」の作成に際して、天皇からの聞きとりにあたっているのは、
侍従次長の木下道雄、敗戦時の宗秩寮総裁で四六年一月には宮内大臣となった松平慶民、
宗秩寮総裁の松平康昌、宮内省御用掛の寺崎英成、
松平康昌のあとをうけて四六年二月に内記部長に就任した稲田周一の五人だが、
この五人は、天皇からの聞きとりの会を「五人の会」と称したようである。
「独白録」の政治的意味あいを知るためには、この「五人の会」の活動がポイントとなるが、
そのなかでも、とりわけ重要な政治的役割を果たしていたのは、寺崎英成と松平康昌であった。
「五人の会」のもう一人の重要人物は、松平康昌である。
松平が四五年中からGHQ関係者との接触を開始していたことはすでに述べたが、
四六年五月に東京裁判が開廷すると、その活動にいっそうの拍車がかかった。
外務官僚の加瀬俊一によれば、高松宮は、「天皇と裁判を分離するために」、
GHQの幹部を夫人同伴で高松宮邸の晩餐にさかんに招待したが、
その人選には松平と加瀬があたっている(「高松宮の昭和史」)。
また、前掲『天皇家の密使たち』が明らかにしているように、
松平はキーナン主席検察官と来日早々から頻繁に接触していただけでなく、
自宅にも東京裁判の関係者やGHQの幹部を招待して派手な饗応をくりひろげた。
その晩餐会では宮内省大膳寮のコックが直接料理を担当したというから、
このような「接待攻勢」は、まさに宮内省ぐるみの活動だった…
当時、主厨長として、「天皇の料理番」をつとめていた秋山徳蔵も、
GHQ要人の接待の際には、自分が直接料理を担当しただけでなく、
彼らへのさまざまな付け届けなども欠かさないようにしていたと回想している。
秋山によれば、この時代は、「太鼓もち同様のことをやった」という意味で、
「一生のうちで最も屈辱的な時代であった」…。
同時に松平は、国際検察局の尋問にも積極的に協力して、
戦争を推進したと目される人物についての彼自身の人物評を供述している。
たとえば、四六年五月二〇日の尋問のなかでは、
すでにA級戦犯容疑者として起訴されている人物について言及している。
その内容は、橋本欣五郎・星野直樹・永野修身・大島浩・嶋田繁太郎・鈴木貞一は対英米開戦を支持し、
広田弘毅はなすべき時に何もなさずみずからの責任を回避した、
また、松岡洋右は最もドグマティクな人物で、
大アジア主義を実現するための戦争と三国同盟を強く支持した、などというものである。
>この五人は、天皇からの聞きとりの会を「五人の会」と称したようである。
>「独白録」の政治的意味あいを知るためには、この「五人の会」の活動がポイントとなるが、
>そのなかでも、とりわけ重要な政治的役割を果たしていたのは、寺崎英成と松平康昌であった。
>「五人の会」のもう一人の重要人物は、松平康昌である。
>そこにパワー・エリート内部の「意図的な血縁同盟」の存在を見出している(「日本ファシズムの社会構造」)。
>本書にたびたび登場する松平康昌を例にとるならば、本人は福井藩主松平春嶽の孫にあたり、
>夫人の綾子は公爵徳川家達(いえさと)の長女、妹の銀子は三井財閥のトップ、三井高公の夫人、
>また、重臣の岡田啓介は福井藩の旧藩士で
豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」2008年
「口頭」と「文書」の天皇のメッセージは、それが送られたタイミングとその内容において、
文字通り「天皇外交」と称することのできるものである。
「口頭メッセージ」は、朝鮮戦争が勃発した翌日の五〇年六月二六日に、
天皇の側近松平康昌が、宮中と太いパイプをもつ
米誌『ニューズ・ウィーク』の東京支局長パケナムを介してダレスに伝えたものであった。
豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」
その上でキーナンは田中に、「最後はマッカーサー元帥が定める所であるが、
私としては、天皇を無罪としたい。貴君もそのように努力してほしい」と、“支援”を要請したという
(田中隆吉「かくて天皇な無罪となった」『文芸春秋』一九六五年八月号)。
さらに、同じ頃に同様の天皇発言を田中に明かしたのが、
キーナンと密接な接触を続けていた松平康昌であった。
田中の狙いは、
「出来るだけ少数の人に重い罪を背負ってもらって、その範囲をしぼるように努めるよりほかはない。
またそれが多数の容疑者を救う唯一の途でもあるし、
誰も罪をかぶらないと、お上に責任が及ぶことになりかねない」というものであった。
従って、満州事変の実行者をはじめとした、数々の内部告発の激しさを非難されると
田中は「おれの真意が分らぬのか。
俺は天皇を裁判にかけないことに努力しているのだ」と反論したという(吉田前掲書、一一三頁)。
いずれにせよ右の田中証言から明らかなことは、
昭和天皇の「全責任」発言は、まさに“裁判対策”として活用された、ということなのである。
そうとすれば、「絞首台に上がる」覚悟を固めていたはずの昭和天皇が、
クルックホーンへの「御回答」や英国王への「親書」や、あるいは独白録において、
ひたすら東条などに責任を負わせ、自らの戦争責任については釈明に次ぐ釈明に終始したことも頷ける…
すべては、東京裁判への訴追を回避するという至上の課題に絞り込まれていた
http://2chb.net/r/seiji/1517566115/42-43 豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」
>この歴史的な危機にあって昭和天皇は、
>天皇制の維持が確保された新憲法の制定と、自らは免訴となった東京裁判の結果を、
>内外情勢を踏まえつつリアルな判断で受け入れ、事態を主導した
>マッカーサーに対して率直に「謝意」を表した
>時代は下って、一九七〇年代後半になって靖国神社へのA級戦犯の合祀が問題となったとき、
>昭和天皇は「親の心子知らず」と厳しく批判した…。
>「親」とは、占領期に側近中の側近として昭和天皇を支え続けた宮内大臣の松平慶民であり、
>「子」とは、靖国神社の宮司として一九七八年に
>「東京裁判を否定しなければ日本の精神復興はできない」との信念でA級戦犯の合祀に踏み切った、
>慶民の長男の松平永芳のことである。
>昭和天皇にあっては、「松平親子」の関係が問題なのではなく、
>A級戦犯の合祀が天皇家と靖国神社の関係、靖国神社の存在それ自体、
>さらには国際社会における日本の立ち位置を危うくすることが問題であった
靖国神社にA級戦犯を合祀したのは松平慶民氏の長男である松平永芳氏である。
貴志謙介「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」
…この本では、戦後ゼロ年の東京、
すなわち、一九四五年九月のマッカーサーによる東京進駐から始まって、
翌年の夏、敗戦一周年を迎えるまでの虚脱と狂乱の一年間を、
おおむね時の流れに沿い、追体験していく。
そして、新たに発掘された資料や映像を手掛かりとして…
戦後ゼロ年の時空を俯瞰するパノラミックな透視図を作ってみたい…
もし、その透視図を現在の東京の姿と重ね合わせることができれば、
“なぜ日本社会がこうなっているのか”、その仕掛けがおのずから透けて見えてくるに違いない。
戦後ゼロ年の「東京ブラックホール」には、時空を超えた通路がある。
おそらくその通路は、七三年後のいまに直結する、秘密の抜け道になっている。
>もし、その透視図を現在の東京の姿と重ね合わせることができれば、
>“なぜ日本社会がこうなっているのか”、その仕掛けがおのずから透けて見えてくるに違いない
>(東京ゼロ年と現代との間には)時空を超えた通路がある。
>おそらくその通路は、七三年後のいまに直結する
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471762772/151-153 永野健二「バブル−日本迷走の原点
>ある興銀幹部が自嘲気味につぶやいていた。
>「歴代の頭取以下、あらゆる幹部が、ジャパンライン問題の当事者なんです。
>だから、誰にも責任を取らせることは出来ないのです」。
>ジャパンライン問題は、興銀の「終わりの始まり」だった。
>しかし、この問題で責任をとった経営幹部はいない。
>そして、興銀とアングラ社会のつながりは80年代のバブル時代の「そごう問題」、
>「尾上縫事件」にまでつながり、興銀の命脈を絶つのである。
太平洋戦争は“彼らの”戦争であって日本国民の戦争では無かった?!
正に《占領期に造られた構造》が今につながっている。
それが様々な未解決事件の裏に在るのかもしれない。何故ならそれは権力犯罪だからだ。
或は権力の過失だからだ
故に国民に開示できない。開示したら権力の権威が失墜する。正統性が崩壊する。
だが『戦後ゼロ年』が今につながっている“だけ”ではない。
『戦後ゼロ年』に自分らが仕掛けた大戦争の、責任回避に動いた者は誰なのか。
松平慶民や松平康昌ではないか。彼らは松平春嶽の実子であり、家督を譲った養子の子だ。
ペリー来航で250年の権威=幕府に外圧がかかり、その権威・権力が動揺した。
そのとき、その“揺らぎに”乗じて幕府主流に《クーデター》を仕掛けた“非主流派が”居た。
幕末に徳川斉昭と松平春嶽は幕閣主流派の井伊直弼と(開国か否か、及び次期将軍を廻って)対立し、
井伊を桜田門外で切り殺した。殺したのは斉昭の配下、水戸藩「天狗党」である。
靖国神社に祀られる者らの“3割は”水戸藩関係者(「天狗党」)だ。
春嶽はその斉昭の盟友だった。それで斉昭らは、実子の一橋慶喜を次期将軍にゴリ押しようとした。
(自分らだけでは不安だった)彼らは徳川“内部の”クーデターに、
加勢として薩摩の島津斉彬と西郷隆盛を引き入れた。
だが西郷は後に長州と組み、(外国である)イギリスの力を借りて徳川“自体を”滅ぼした。
斉昭と春嶽らの徳川“内部の”《クーデター》は
(外部をまき込んで拡大し)徳川“自体を”潰す結果に終わった。
27歳のとき、近衛文麿は「英米本位の平和主義を排す」を書いて、
英米が仕切る(欧米が多くの植民地=資源地帯を抱え込んで“澄ました”顔をしている)「平和」に
“軍事力で挑戦する”(先行する支配文明が築いた《世界“主流”秩序》に対して
軍事クーデターを仕掛ける)ことを宣言した。
それで昭和に入ると春嶽の五男、徳川義親が大川周明を通じて昭和のテロの殆どに資金提供し、
親英米派の政治家らを政治中枢から一掃する。
更に対英米戦争に反対していた皇道派の将校らが226事件を起こしたものの、
昭和天皇が激怒して鎮圧される。こうして日本は対英米戦争にまっしぐらに突き進んで行く。
だが、世界の主流派英米に(奇襲攻撃で)“クーデターを”仕掛けたものの、
自国を潰し自国民を大量死に追い込んで惨敗する。
つまり(幕末の学者が既に唱えた「東南アジア=資源地帯への侵攻」を、
若いころに近衛文麿が構想し、「開戦の詔書」を発して昭和天皇もそれに乗った)
松平春嶽の五男らが仕掛けた“世界に”対する《クーデター》は自国を潰す結果に終わった。
つまり幕末の徳川斉昭、松平春嶽らの系統が行う家業=《クーデター》は
(自分らの母体である)徳川を潰し、
更には(“空前の”損害を出しながら)日本“自体を”潰す結果に終わった。
すると春嶽の別の子である松平康昌と慶民がGHQにすり寄って、
(世界に向かって自分らが仕掛け、自国を潰す結果に終わった)戦争責任回避の工作をする。
そして康民の子(つまり春嶽の孫)である松平永芳氏がA級戦犯を無理やり靖国神社に合祀する。
その靖国神社とは何なのか。
徳川主流派=南紀派の井伊直弼が仕切る幕閣に、《クーデター》を仕掛けて死んだ
水戸藩の「天狗党」(及び『尊王攘夷』を発案した「水戸学」に感化され、
徳川自体に《クーデター》を仕掛けた死んだ薩長の武士ら)を祀る神社である。
つまり彼らの《My神社》である。
更に奇妙な(?というよりも必然的な)事実が在る。
「日本会議」会長、田久保忠衛氏の曽祖父は水戸藩藩士で「天狗党」の残党だという
(田久保忠衛《千葉県生まれ。家は水戸藩士の家系。曾祖父は天狗党の乱に参加して、流罪になっている》)。
元「生長の家」信者らの「日本会議」と幕末の水戸藩「天狗党」は
(『戦後ゼロ年』が現代につながる“だけ”ではなく、何と《幕末》が“現代に”)“こうして”つながっている。
その「日本会議」が目指しているものが《保守革命》である。
つまり、ときの主流体制に《クーデター》を仕掛け権力の簒奪を謀ることである
(だがその《クーデター》は過去に二度も仕掛け、二度とも失敗に終わっている。
一度目は自分の母体を潰し、二度目は自民族に大損害を与えながら日本“自体を”潰している。
こうした者らが自分を《保守》と呼び、誇っている)。それを懲りずに“また”狙おうとする。
何故ならそれが(「水戸学」という、
クーデターを自己正当化する魔のイデオロギーを掲げた斉昭・春嶽以来の)《家業》だからだ。
徳川主流派と我々一般日本人は、今度こそ彼らの《クーデター》を阻止するべきではないか。
そうでなければ二度目の《日本の自滅》が起るだろう。
http://hbol.jp/64526 安倍政権と筆頭ブレーンが目指す「憲法改正」。
そして明言された「明治憲法復元]【草の根保守の蠢動 第17回】
2015年10月17日
日本政策研究センターは、前回も解説した「保守革命」路線…
8月2日、「第4回『明日への選択』首都圏セミナー」が都内某所で開催された…
レジュメで示された、「憲法改正のポイント」は大きく分けて以下の三つだ
1.緊急事態の追加
非常事態に際し、「三権分立」「基本的人権」等の原則を一時無効化し、
内閣総理大臣に一種の独裁権限を与えるというもの
2.家族保護条項の追加
憲法13条の「すべての国民は、個人として尊重される」文言と、
憲法24条の「個人の尊厳」の文言を削除し、新たに「家族保護条項」を追加するというもの
3.自衛隊の国軍化
法9条2項を見直し、明確に戦力の保持を認めるというもの
ここで注目すべきは、「改正対象」の順番だろう。
長年、改憲議論は「憲法9条」を中心に行われてきた。
しかし日本政策研究センターが提示する憲法改正リストのトップは、緊急事態条項であり、
憲法9条は一番最後に来ている。先に紹介したセミナー参加者も
「実際、最もウエイトを置いて語られたのは、
緊急事態条項の箇所でした」とセミナー進行の様子を語ってくれた。
長かったけれど、幕末と現代がやっとつながった。
彼らがやろうとしていることが何なのか、漸くその意味が見えたような気がする??有り難う!!
ダウンロード&関連動画>>![](https://img.youtube.com/vi/HleK43TrFCY/0.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/HleK43TrFCY/1.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/HleK43TrFCY/2.jpg)
@YouTube 安倍晋三氏・内乱予備罪・告発記者説明会
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471762772/117-119 靖国が祀らぬ「幕末殉難者」の悲劇 情報誌FACTA 2009年8月号
水戸天狗党と対決した諸生党殉難者は、逆賊の汚名を着せられ一切合祀されない……。
靖国神社に祀られた幕末期の「英霊」(祭神)の3割以上は、旧水戸藩出身者だ。なぜ、水戸藩なのか。
死者を峻別する靖国成立期の英霊の“正体”とは――。
水戸藩出身の殉難者が靖国神社に初めて合祀されたのは、1889(明治22)年5月だった。
明治維新から21年。大日本帝国憲法発布(同年2月11日)で国中が祝賀ムードに沸き返ったこの年、
12年前の西南戦争で朝敵となった国民的ヒーロー、
西郷隆盛の恩赦を大々的に伝える新聞記事に熱狂する帝国臣民はいても、
水戸藩関係者の靖国合祀のベタ記事に気づく者は少なかっただろう。内容もしごく簡単だ。
「かの桜田事件(『桜田門外の変』)の金子孫二郎、高橋多一郎、佐野竹之助以下
合わせて千三百三十名(注・千三百九十名の誤り)……いよいよ靖国神社へ合祀せらるる旨告示せり」
(東京朝日新聞、同年5月3日号)
皇室の秘密 公安4課
警察が保有する皇室関係の重要機密情報。なんだろうか。 当ててみよう。↓ほとんど全部事実。
1、明仁は韓国人。これはもはやおなじみの情報。今の皇室は飾り。見せ掛けだけ。外国人であり、害悪。よって廃止。
2、美智子が経団連。 皇后の立場を利用して税金を盗み放題で、親戚どもが、兆単位の資産をもっている。(かも)
3、明仁は他の朝鮮人と組んで毎年日本人を数万人単位 公安が殺している(変死体)
4、愛子は偽者多数(公然の秘密)
5、美智子は何人かいる。元々の美智子はすでに他界?(顔でか、肩せま)
6、明仁も東宮、秋篠宮、雅子も紀子もその子供も 韓国民族、つまり韓国国籍保有の韓国人(二重国籍)明仁は日本国籍がないらしいから韓国国籍のみ。
7、雅子の親がスイスで多額の金を盗もうとして逮捕された?明仁は無視?
8、皇族は反日であるという事(ばれないように声かけの言葉は練習によって緻密に考えられている。)
9、韓国、中国、北朝鮮、アメリカに多額の金を渡していた
10、外交は天皇がずっとやっていた。(秘書の侍従は日米合同会議トップ 元外務省北米局長)本当はこいつのせいだった駄目外交。
11、明仁はずっと重要決定をやっていて、ハンコを押して勝手に決めていた。(総理はそれに合わせていただけ。口止めされながら)
12、李ぎん、李く の親戚(血のつながった親戚かもしれない)ただ、本当に韓国の王室関係らしい
13、あと明治天皇の説。だけど明仁の段階で関係なくなっているから、それほど重要視されていない
14、他の在日と組んで日本支配を企んでいる。(アメリカの世界征服支配に便乗して。天皇の手先の公安課長徳永のから情報)
15、人工地震、人工降雨兵器をアメリカと共謀して、日本で実験している。証拠多数あり(皇族スレを見ろ)
16、宮内庁は警察トップのOBが多数、元検事総長、元外務省日米合同委員会トップ、元最高裁長官などがゾロゾロ居る
いくらでもあるだろう
というか、外国が皇族の家の盗聴やネット情報のパケットでも盗もうものなら、皇居で韓国語ではなしていたり、韓国料理ばっかり食っていたり、
韓国ドラマばっかりみていたり、(ビデオ録画も)、毎日重大情報が出てくるだろう(理由はチョンだから)
キリがないんだよ。
もう廃止しないと駄目だよ。
日本人が主権を盗まれているのはこいつら皇族のせいです。
>>275 その自分のレス内容をすべて立証して下さい。立証できなきゃ無駄レスだわな。
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1453477774/509-515 ダウンロード&関連動画>>![](https://img.youtube.com/vi/QWAwCiO3z24/0.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/QWAwCiO3z24/1.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/QWAwCiO3z24/2.jpg)
@YouTube 20170628 UPLAN 島薗進・石川健治・西谷修「教育勅語―なにが問題か:天皇・軍隊・人間」
45.37 …何故そういう人たちがですね、教育勅語を肯定する議論を作って行ったのか。
というのが大きな問題だと思います。これついての研究を見ておりまして、
色々良い研究が有るんですけれども『やっぱり薄いなー』というのがわたくしの今の感想です。
この準備をしながら、戦後の精神史の中で、教育勅語に対する批判の議論がですね、肯定論というものが、
どういうふうにせめぎ合って、そのー48年の結論になったか、
或は、それ以後のですね、教育勅語を復興させようという議論が続いて行く。
その中には1950年代初期の文部大臣だった天野貞祐、獨協大学の…だったですが、
天野貞祐がかなり教育勅語の価値を、まあ重要と見ていた。
『もし教育勅語を廃止するならそれに代わる道徳教育をどうするんだ』、
ということが基本的な問題意識としてある訳ですよね。
で、それに対して教育勅語というのはやっぱり復活させるべきではない。
『何故、何処がどういけないんだ』というね、この議論。これがやっぱりあまり研究されていない、ですね。
ですからわたしどもは明治維新のときに出来た神権的国体論、国家神道というものに対して、
どうこれを位置づけて、まあ克服して行くのか。
そこで提示されているようなモラルコミュニティのような観念をですね、
どう、こう引き継ぎ、違う何かを置くのか、というね。こういう宿題がずっとあるんじゃないかと思うんですね。
46年、47年、48年の段階で我々はどういうふうに、その、教育勅語的なものを克服する、
教育勅語が持っている権威主義的な、そして一体性を強調しながら個人の独立を軽視するような、
そして結果的に命の軽さ、尊厳を軽んずるような、そういう支障をもたらすのか、
ということについての、我々の思考過程というのが明白になっていないのではないかと。
まあそういうふうに思う次第です。
それからいうと私どもは、東アジア的な権威主義の伝統というものを、
どういうふうにこう相対化しようとしているのか。どういう経験を以て相対化して行くか。
…今のお話に二点ほど申し上げておきたいのですが、一つは…13条と書いたことに込めた思いですね。
これは今の「個」の尊重、ということになる訳ですが、
これは東アジア的というふうに言って良いのか、「個」自体、コントラバーシャルですけれども、
或るこの権威主義的な思考様式の中で
全体を演出することは得意だけれども「個」を演出することが出来ないというのが、これまでの在り方で、
教育勅語もその路線でやって来ている。
ですから、この戦前の体制ってのは、…35年以降ってのは、
個を全体に代表させる、全て個を全体に吸い上げてしまう、という論理構造が成立していて、
そのための装置として天皇制や、或はその、国家神道が使われていると。こういうことがあった訳ですね。
…やはりその伝統を封印するということの中に、どのようにして、そのー、正に13条の思想をですね、
個人の尊重、個人の尊厳、これをまあ組み込めるのか、というのが一つの在り方で、
組み込むためには先ず枠組みから作らなきゃということで、枠組みを作っている訳ですが、
魂がこもっているかどうかというと、これは別問題で、
その魂を何処から持って来るか、伝統から調達するようになるのか、返ってそれは危険なのかという、
そういう話なんじゃないでしょうか。
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1453477774/509-515 20170628 UPLAN 島薗進・石川健治・西谷修「教育勅語―なにが問題か:天皇・軍隊・人間」
教育勅語というのはやっぱり復活させるべきではない。
『何故、何処がどういけないんだ』というね、この議論。これがやっぱりあまり研究されていない
極東委員会が出した勧告の中で、教育勅語を厳しく批判していて…
近代日本の精神史を観る時にやっぱり天皇崇敬という要素をどういうふうに観るかが重要
教育勅語的なものを克服する、教育勅語が持っている権威主義的な、
そして一体性を強調しながら個人の独立を軽視するような、
そして結果的に命の軽さ、尊厳を軽んずるような、そういう支障をもたらすのか、
ということについての、我々の思考過程というのが明白になっていない
(過去にこの分野を研究していた西欧の精神医学者は、
自分の社会の病理を研究しようとしていたので)「教育勅語」を直接“まな板に”載せて分析はしていないが、
一般的に、あらゆる超越的価値観を排除した
(がる、階層構造=主従関係に拘った日本)社会が陥る精神病理は精神医学によってとっくに分析されている。
それはナルシシズムの社会である。
この、超越的価値観を拒否して成り立つ社会が落ち込む先は、《呪術祈祷》の世界である。
自分の主観に埋没し、その主観の実現を願う精神的な態度であり、主観を正当化しようとする態度である。
また、自分の主観に沿ってその他の人間を自在にコントロールしようとする態度である。
これが正にナルシシストの在り方なのだ。
そのナルシシストとナルシシストの主観同士が衝突し、
(弱い方は抹殺されて)最後に独裁者の主観が社会“全体に”押しつけられる。
このナルシシストの主観が偽の理屈、偽の物語(『アジアの解放』のような戯言)を生み出して、
これが現実とは異なる偽の《イメージ》を創り出す。
そして(真の現実を説明する正しい言葉から切り離された)
空虚な《イメージ》によって他人(と社会)をコントロールしようとする。
こうした状況に陥った典型例が、ナチス時代のドイツであり、戦前の日本なのである。
>>277 〜 281
すべてスレチ。よそへ行け。
http://www.nikkei.com/article/ 天皇陛下「生前退位」強く示唆
天皇陛下ビデオメッセージ全文 2016/8/8 15:00
戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、
ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、
この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、
天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、
私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、
日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、
更に日々新たになる日本と世界の中にあって、
日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、
人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、
加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、
これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、
どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、
また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。
既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、
これまでのように、
全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、
この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで天皇の務めとして、
何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、
同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、
その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、
天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、
常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、
私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、
国内のどこにおいても、その地域を愛し、
その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、
私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、
人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、
国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、
天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、
これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉(しゅうえん)に当たっては、
重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、
行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。
そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、
これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、
そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、
ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
>天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、
>私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
>日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
>日々新たになる日本と世界の中にあって、
>日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、
>人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
>これまでのように、
>全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
>私はこれまで天皇の務めとして、
>何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ました
>同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、
>その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
>天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、
>天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
>天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、
>常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
>これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、
>国内のどこにおいても、その地域を愛し、
>その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、
>私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、
>人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
>これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、
>そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、
>ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。
https://www.news-postseven.com/archives/20180930_771685.html 「陛下は靖国を潰そうとしてる」靖国神社トップが「皇室批判」
2018.09.30 16:00
天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日、
靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、
中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。
しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。
来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、
前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出した
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。
そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?
遺骨はあっても。違う?」
「そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。
はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
「あと半年すればわかるよ。
もし、御在位中に一度も親拝(天皇が参拝すること)なさらなかったら、
今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか?
新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」
静まり返る会議室で小堀宮司の高圧的な口調の“独演”と、速記のキーボードを打つ音だけが響く──。
この会議は、小堀宮司の意向もあって複数の出席者が記録のために録音していた。
宮司の「総括」から始まる110分に及ぶ音声データを本誌は入手した。
小堀宮司が語気を強めたのは、今上天皇が即位以来、一度も靖国を参拝したことがない一方、
かつての戦地を訪れ、戦没者の霊を慰める旅を続けてきたことを指しているとみられる。
「今上天皇が靖国を参拝されない理由はわかりません。
が、あえて推察すれば、昭和天皇が1978年のA級戦犯合祀以来、靖国においでにならなくなった、
その思いを咀嚼されたのではないかと考えられます。
今上陛下は戦争体験をお持ちで、戦中の国民の苦しみは直接ご存じでした。
だからこそ、国内外にわたるすべての戦地で慰霊を行ないたいというお気持ちになられていたと思います。
天皇陛下の慰霊の旅は、強い信念に基づいて行なわれているものでしょう」
その慰霊の旅が、小堀宮司の目には靖国神社を否定する行為に映っていると、靖国神社関係者が言う。
小堀宮司からすれば、英霊の御霊は靖国にこそあり、戦地にはない。
にもかかわらず、今上天皇は靖国よりも慰霊の旅を選んでいるとなると、
靖国の存在意義を否定することになってしまうという思いがあったのではないか
靖国神社は来年までに天皇の参拝を実現させようとしていた。靖国神社職員はこう語る。
「平成の御代のうちに天皇陛下にご参拝をいただくことは、私たち靖国神社からすると悲願なのです。
小堀宮司は、“平成の御代に一度も御親拝がなかったらこの神社はどうするんだ”と口にしていました」
この日の会議は、靖国の創立百五十年史略年表の作成・出版などについて話した後に
「戦犯に対する誤解や東京裁判の不当さについて調査考証する」という議題に入った。
そこで出席者の職員が「富田メモ」について言及したことが、小堀発言に繋がった。
この富田メモについて、職員が、
「もしそれが本当の昭和天皇の発言だったらどうするんだ、ということで私は真剣に考えましてですね」
と言い出し、合祀の経緯を振り返った上で、こう熱弁を振るった。
「このまま時代を50年、100年経過していったときにどういうふうな説明をして、
国民が理解していけるのか、
というところの先読みしたような考え方を持っていく必要があるんじゃないか」
ところがこの職員の発言を、小堀宮司はいきなり遮り、切って捨てた。
そうして、冒頭の発言が飛び出した。
つまり、小堀発言は富田メモから連なる、天皇と靖国の“複雑な関係”が伏線にあったのだ。
「富田メモについては靖国神社の中でも“タブー扱い”されてきた。
昭和天皇、今上天皇の御親拝が途絶えている真意についても触れないできた
小堀宮司は、そうした空気の中で、
トップとしての風格を見せる狙いもあってああした物言いをしたのではないか。
『戦う』『戦略』といった言葉からは、どんな事情が背景にあるにせよ、
とにかく天皇の御親拝を実現させたいという強い意思を感じます。
しかし、それが実現しないことの不満となれば、天皇陛下への批判となってしまう。
靖国神社が抱えるジレンマが、ついに噴出してしまったということでしょう(前出・靖国神社関係者)
>陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだ
>そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?
>遺骨はあっても。違う?
>はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだ
>わかるか?
>小堀宮司が語気を強めたのは、
>今上天皇が即位以来、一度も靖国を参拝したことがない一方、
>かつての戦地を訪れ、戦没者の霊を慰める旅を続けてきたことを指しているとみられる。
>その慰霊の旅が、小堀宮司の目には靖国神社を否定する行為に映っていると、靖国神社関係者が言う。
>小堀宮司からすれば、英霊の御霊は靖国にこそあり、戦地にはない。
>平成の御代のうちに天皇陛下にご参拝をいただくことは、私たち靖国神社からすると悲願
>小堀宮司は、“平成の御代に一度も御親拝がなかったらこの神社はどうするんだ”と口にしていました
>そこで出席者の職員が「富田メモ」について言及したことが、小堀発言に繋がった。
>この富田メモについて、職員が、
>「もしそれが本当の昭和天皇の発言だったらどうするんだ、ということで私は真剣に考えまして
>つまり、小堀発言は富田メモから連なる、天皇と靖国の“複雑な関係”が伏線にあったのだ。
>「富田メモについては靖国神社の中でも“タブー扱い”されてきた。
>昭和天皇、今上天皇の御親拝が途絶えている真意についても触れないできた
>靖国神社が抱えるジレンマが、ついに噴出してしまったということでしょう(前出・靖国神社関係者)
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1508205003/31-32 坂口安吾「続堕落論」
天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度…
けれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に存在したためしはなかった。
藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか…
それは…自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、
彼らは自分自身が天下に号令するより…天皇に号令させ、
自分がまずまっさきにその号令に服従してみせ…て号令がさらによく行きわたることを心得ていた。
その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、じつは彼らの号令で…
彼らは自分の欲するところを天皇の名において行い、自分がまずまっさきにその号令に服し…
自分が天皇に服す範を人民に押しつけ…て、自分の号令を押しつける…
自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能…
だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能…
彼らは天皇の擁立を自分勝手にやり…
天皇の前に…自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令し…た。
>>283 〜 301
コピペ。コピペは「無脳」のしるし。
天皇とか別にいてもいいけど、どっかの政治家が無くしますって言い出しても反対はしない
私は反対する。政治家なんかよりも天皇陛下のほうが大事だ。
権力者が(邪な偽計から、国民の眼を意識して)天皇に額ずいて見せたとき、
すかさず天皇は(英霊や、一般人の)聖人に向かって額ずいたら、権力者は果たして天皇を利用できるのか?
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1479624750/638-641 マイケル・ジーレンジガー「ひきこもりの国」
欧米人の大部分は、自己を超えた唯一絶対の力を信仰している。
いっぽう日本人には、いくつもの信仰の対象がある…
倫理的価値観でさえ、状況によってさまざまに変わる…
日本人にはこのような相対主義的な信仰のシステムがあるため、絶対不可侵の神聖な教えとか、
倫理原則の確固たる「指針」といったものがなく…
「日本人にとって道徳的に正しいこととは、きょうの日本人の大多数が正しいと考えていること…」…
「ですからもちろん明日、日本人の大多数の考え方が変わってしまえば、
同じ行為が不道徳で間違ったものとされるでしょう」
…倫理的態度の変化がもっとも激しかったのは、鬼畜米英を撃破すると誓っていた国民が、
一九四五年に天皇の「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」という声を聞いたときであろう…
キリスト教徒もイスラム教徒も、事の善悪を判断をするとき、
「神の教え」や「聖典」に根拠も求める。
彼らには、損得勘定などでは揺れ動かず、まったく議論の余地のない、根本的な信仰がある…
日本の場合は、もっと相対的で、人間中心で、実際的だ。
「美徳」とは、ある時代、ある局面で権力を握っている者が「よい」と考えているものだ。
どんなに不信仰だといっても、今日の欧米人は、
この世とは別のところにある超越的な存在への信仰を失ってはいない。
この信仰は、何百年にもわたって、国民が指導者の行いを判断し、
責任を追及するさいに有効な羅針盤となってきたのだ。
私たち欧米人は、基本的なところでは、倫理的リーダーシップというものの存在を信じている。
だが、日本では、聖と俗、自己と自然、社会と自己、そして善と悪の区別さえはっきりしていない。
日本の歴史家、社会学者、精神科医およびその他の思索家たちとの対話で、たいへん印象的だったのは、
ほとんど誰もが、日本文化が西欧文化と異なる重要な点として、一神教の不在を挙げていたことである。
http://2chb.net/r/seiji/1525076633/756 カレル・ヴァン・ウォルフレン「日本/権力構造の謎」
…だが、はっきりしていることは、他のアジアを詳しく見ても、
日本ほど“リアリティの管理”がおこなわれている国はほかにないということである。
…どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、
基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。
これには、日本に長く滞在した西欧人もアジア人もたいていびっくりする。
… 超越的な真理を認めない政治的文化の本質を西欧人が理解するには、なみはずれた知的努力がいる。
… 西欧の知的・倫理的な伝統は、
普遍的に通用する何らかの信念があるという前提に深く根ざしているので、
このような前提を欠く文化がありうるとは、とても考えおよばない。
西欧では子供を教育するのに、
人間の欲望や気まぐれな考えとは関係のないところに宇宙を支配する究極的な論理があるという前提を、
それとなく教えこむのが、暗黙のうちに了解されている一般的な慣行である。
いまの平成天皇(明仁あきひと天皇)は125代目の天皇で、初代は紀元前660に即位した神武天皇(じんむてんのう)。
日本の天皇はざっと2700年もつづいている王家なんだ。イエス・キリストよりも古いんだよ。
ちなみに暦で使っている西暦はこのキリストの誕生した年を基点にしているんだ。だからキリストの歴史は今年で2018年、天皇の歴史よりも新しいんだ。
第3子(王子)を出産したキャサリン妃やダイアナ妃で有名なエリザベス女王・イングランド王朝でさえもまだ1000年くらいの歴史しかもってないんだよ。
ギネスブックによると世界一古い王朝は紀元前10世紀のメネリク1世を始祖とするエチオピア王朝なんだけど、1974年のクーデターによってなくなっちゃたんだ。
それで日本の天皇が現在までつづいている世界最古の王室になったんだ。
世界には27の王室があるんだけど、歴史の長い王室トップ5の1位が日本、2位がデンマーク王国、3位がイングランド王室、4位がスペイン王国、5位がスウェーデン王国。
そのくらい日本の天皇はすごい歴史をもっているんだよ。
井上寿一「戦争調査会」
幣原は、首相就任の前から、政府による敗戦の原因の調査とその結果の公表を考えていた。
一九四五(昭和二〇)年一〇月三〇日、幣原内閣は「敗戦の原因及実相調査の件」を閣議決定する。
この閣議決定に基づいて、ふたたび戦争の過誤を犯さないように、
政治、外交、軍事、経済、思想、文化などの多角的な視点から、
敗戦の原因を実相を明らかにする政府機関として、戦争調査会が設置されることになった。
委員・職員は総勢約一〇〇人が予定された。ここに戦争を検証する国家プロジェクトが始まる。
東京裁判の結果に基づく歴史観(「東京裁判史観」)の是非が争われている。
「文明の裁き」と肯定するのか、「勝者の裁き」と否定するのか。
このような二者択一の対立図式は戦争責任論を歪める。
「文明の裁き」論の過剰な 規範意識は、戦争の現実を見失わせる。
「勝者の裁き」論の敗者の怨恨は、戦前日本の無批判な肯定につながる。
問うべきは別の問題である。
なぜ戦後日本の政府と国民は自らの手で戦争原因を追究しなかったのか。
自立的な 戦争原因の追究は、大日本帝国の栄光の正当化に陥ることなく、
戦前昭和の功罪を明らかにすることができる。しかし自立的な戦争原因の追究はむずかしい。
敗戦国は責任回避に走り、証拠の隠滅を図る。日本も例外ではなかった。
陸軍は早くも八月一四日の午後から機密書類の焼却を始めている。
翌日正午の「玉音放送」後、中央官庁街を見渡すと、
外務省・内務省・大蔵省から公文書の焼却による煙が立ち上っていた。
第一回総会で異彩を放っていたのが渡辺銕蔵である。
…今日の研究水準の照らせば、日米戦争は直前まで回避可能だったことが明らかになっている。
もう一つ、渡辺のつぎの発言も注目に値する。
「『オッタワ』会議とか、英帝国経済『ブロック』会議で日本をいじめるとか云うふうなことが、
私共から見ますと正反対と云っても宜いような誤解があるのであります」。
一九三〇年代の世界恐慌下、たとえば英連邦諸国の特恵関税ブロックのように、
各国はブロック経済を強いていた。
ブロック経済から締め出され、国際的に孤立した資源小国日本は、戦争に至る。
このような普通の理解に対して、渡辺は異を唱える。「正反対」とまで言っている。
「正反対」とはつぎの二点を示唆する。
一つは日本がブロック経済ではなくて開放的な通商貿易体制の国だったことである。
もう一つは日本の方が世界経済のブロック化に挑戦していたということである。
実際のところ一九三〇年代の日本は、保護主義に反対して通商自由の原則を掲げ、輸出を拡大していた。
東南アジアの経済ブロックに閉じこもることなく、
アフリカや中南米などの地球の反対側にまで、市場の開拓を進めていた。
日本の集中豪雨的な輸出は経済摩擦を引き起こすほどだった。数字を挙げる。
日本の輸出は金額ベース(と数量ベース)で一九二八年を指数一〇〇とすれば、つぎのようになる。
一九三四年一一〇・一(一六三・四)。一九三五年一二六・7(一八五・三)、
一九三六年一三六・六(二〇二・五)、一九三七年一六一・〇(二一〇・七)。別の数字もある。
一九三三年前期の輸出額を前年同期と比較すると、
日本は中米で二四〇パーセント、南米で二二〇パーセントの急激な増加だった。
英連邦諸国内からは「日本驚異」論が台頭するまでに至る。渡辺の言うとおり、事実は「正反対」だった。
渡辺の指摘は近代日本の国際通商秩序をめぐるつぎのような研究動向と符合する。
「これまでの通史的理解にみられたような、通商的相互依存関係の希薄化によって、
三〇年代の日本は国際的に『孤立』化を余技なくされたのではなかった」。
なぜならば「ヨーロッパ本国の対アジア植民地経済『ブロック』化政策は、
日本にたいして徹底的に『排他』的であったのではなく、
むしろ日本製品の輸入取引を追認し、
植民地の第一次産品の対日本拡大を希求する点で、『開放』性を有していたのである」
(龍谷直人『アジア国際通商秩序と近代日本』)。
>第一回総会で異彩を放っていたのが渡辺銕蔵である。
>…今日の研究水準の照らせば、日米戦争は直前まで回避可能だったことが明らかになっている。
>もう一つ、渡辺のつぎの発言も注目に値する。
>「『オッタワ』会議とか、英帝国経済『ブロック』会議で日本をいじめるとか云うふうなことが、
>私共から見ますと正反対と云っても宜いような誤解があるのであります」。
>ブロック経済から締め出され、国際的に孤立した資源小国日本は、戦争に至る。
>このような普通の理解に対して、渡辺は異を唱える。「正反対」とまで言っている。
日本は経済的に追い詰められたから戦争に走ったのではない。
ずっと前(幕末、既に構想が存在した)から戦争を計画し、アジア侵略の機会を伺っていた。
それでドイツと英仏が戦争を始めたのでそれに乗じてアジアの『横取り』に出たのである。
その結果は惨敗であった。
http://2chb.net/r/seiji/1539760996/447-449 近衛文麿は27歳のとき、
「英米本位の平和主義を排す」を書いて《対英米戦争を辞さない》旨、表明している。
後に首相になって、その通りに行動しているのだ。
また昭和天皇の「開戦の詔書」にも、(よく読めば)『圧迫されたから自衛戦争だ』とは書いていない。
(驚くことに)『これ(=アジアの支配)は明治天皇の時代からの遠大な計画だ』と言っている。
『英仏蘭は平和的にそのアジア植民地を日本に明け渡せ』
(平和的な明け渡しを日本は望んでいるが、それにも係わらず、あくまで)『抵抗するなら武力攻撃する』
(抵抗したのは欧米のお前たちで、日本は悪くない)が「開戦の詔書」の内容である。
つまり(国民に向かって欧米の被害者を演じながら、対英米に対しては攻撃的な)“本心を”暴露しているのだ。
ヒュー・バイアス「敵国日本」1942
…生存の余地を奪われている国という日本の構図は、その現実を描いたものではなく、
将来の苦難を想像した極めて脚色された日本の見通しそのものなのだ。
「持てる国」と「持たざる国」という言葉に結晶したプロパガンダの構造は、
しょせんは粗雑な虚構にすぎない。
通商記録から明らかなように、日本は自国の産業に必要な原料を入手できたし、
中国との戦争で国家財政に破綻をきたすまでは、原料購入に支払う外貨にも困っていなかった。
…日本の主張に含まれている詭弁は、
日本が必要とする物資を自国内では調達できない、という事実だけを示唆している。
(…ランカシャーで紡いでいる綿花を英国で栽培していない…
米国は自動車のタイヤのゴムを自国で産出していないのと同じことである。)
日本自身の記録から明らかになるのは、日本が人口を倍増し、
生活水準を高め近代工業を築きあげることができたということである。
ヒュー・バイアス「敵国日本」 訳者解題・あとがき
それは『世界』の昭和二一年の創刊号であり、第二号だった。
のけぞるような驚きがあった。
それには編集者の「まえがき」があった。
「日本人は敵を知らず、己を知らないまま、存亡の大事を決行し……、
皮肉なことには、正にそこにこそ、
日本の最大の危険のあることをバイアスはこの書で指摘」していた…
http://2chb.net/r/seiji/1520311071/487 吉田裕「昭和天皇の終戦史」1992年
ここでは当時の宮中の雰囲気をよく伝えるものとして、侍従の入江相政の変化について簡単にみてみよう。
『入江相政日記1』によれば、入江は当初、対米開戦に大きな危惧と不安を抱いていた。
ところが海軍の侍従武官から勝算が充分にあるという見通しを聞かされてからは開戦支持に転じ、
開戦後の四一年一二月三一日の日記には、
「大東亜戦争の戦果による将来の帝国の振々乎たる発展を思い、全く感慨無量である。
みたみ〔御民〕われ、生けるしるしありと思い、かくも栄ゆる御代に会えるとは思わなかった。
もうどんな辛抱でもする。帝国民族一万年の計を樹立して、
東亜の天地、世界の天地に盟主として君臨しなければならない」
と書くまでにいたっている。
http://2chb.net/r/seiji/1520311071/488 >戦争前にカーチスライトの技師が生産指導に來所していて
>その能力を熟知していたこと
>全く勝ち味のないことが分かっていたからである
>緒戦の奇襲勝利後は、半年後のミッドウェーの惨敗以後、
>全くの一方的なものとなってしまったわけである
>それが、昭和17(1942)年8月から18(1943)年にかけ、
>ソロモンで戦った第二航空隊(途中、五八二空と改称)は、
>補充を繰り返しながら一年で壊滅
>昭和19(1944)年6月に硫黄島に進出した二五二空は、たった三日の空戦で全滅
>大東亜戦争の戦果による将来の帝国の振々乎たる発展を思い、全く感慨無量である
>かくも栄ゆる御代に会えるとは思わなかった
>もうどんな辛抱でもする
>東亜の天地、世界の天地に盟主として君臨しなければならない
松本崇「持たざる国への道」 解説 加藤陽子
一九三〇年代半ばになっても…欧米列強は、二九年の…世界恐慌の痛手から脱することができなかった。
それに対し、高橋是清蔵相による一連の施策…によって
いち早く恐慌を脱出できた三〇年代半ばの日本の経済や社会は、十分な輝きや勢いを持っていた。
著者はそのさまを、同時代人…宇垣一成の感慨
「その当時の日本の勢い…は世界を圧倒する…」を引用し…確認する…
日本…と、イギリスがその植民地向けに輸出した額の比較では、一億ポンドのラインで…競っていた
日英の順序は一九三七年に逆転し、この時点で日本が世界最大の植民地帝国となっ…た…
三七年七月…日中戦争の泥沼化とともに国民生活が逼迫し始めると、
その責任を国民に説明するにあたって国家は、
「英米のブロック経済が『持たざる国』である我が国を追い込んだため」と喧伝する。
しかし…三〇年代半ばの日本が英米の嫉妬を買うほどの好況であったとすれば、
「繁栄していた我が国が突然『持たざる国』になって窮乏化していった」…のはおかしくはないか…
むしろ、原因と結果が逆だったのだ。
経済合理性を無視して満州経営をおこなった陸軍…は…
通貨戦争…で、考えられないような愚作を華北分離工作でおこなった。
国民生活を窮乏化させた真因は、「軍部による経済的な負け戦」であったのに、
「英米の敵対政策のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を強め、
実はそれをもたらしている張本人である軍部をより一層支持するようになっていった」…
…かくて、戦争は終わった。
経済安定本部が戦後の一九四九年にまとめた太平洋戦争の被害総額の試算は、
六五三億円…戦費によって積み上がった公債残高は敗戦時で一四〇八億円、
政府補償の民間債務も九六〇億円に達し、被害総額をはるかに上回…った。
これら政府の国民への債務は、一九三四年から三六年の卸売物価指数を一〇〇とした時、
二万二〇〇〇を記録した四九年のハイパーインフレ…によって、事実上帳消しとなってしまう
当時の日本の当局は、こうした現実を正反対の説明ですり替えた。
松本崇「持たざる国への道」 P35当時の国定教科書
…「我が国は、さきに内鮮一体の実を挙げて、東洋平和の基を築き、
今また、日満不可分の堅陣を構えて、東亜のまもりを固めました…
米・英の両国は、重慶政府を助けて、支邦事変を長引かせるばかりか、太平洋の武備を増強し、
わが通商をさまたげて、あくまで、我が国を苦しめようとしました。
しかし、我が国は、なるべく事をおだやかに解決しようと、昭和十六年の春から半年以上も、
誠意をつくして、米国と交渉を続けましたが、米国は、かえって我が国をあなどり、
独・ソの開戦を有利とみたのか、仲間の国々と連絡して、しきりに戦備を整えました。
こうして、長い年月、東亜のために尽くしてきた我が国の努力は、水の泡となるばかりか、
日本自身の国土さえ危なくなってきました。
昭和十六年十二月八日、しのびにしのんで来た我が国は、決然としてたちあがりました」
(初等科「国史」下、昭和十八年)
だが現実は、自分から仕掛けた敵対行為によって自分の首を絞めていた。
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1455332876/196-197 松本崇「持たざる国への道」
>そのように好調だった日本経済は、二・二六事件の翌年に起こった盧溝橋事件(一九三七年)以降、
>日中紛争が泥沼化するに従って行き詰っていった。
>生活の窮乏化は英米のブロック経済が「持たざる国」である我が国を追い込んだためと受け止められた。
>その点は今日でもそう信じている向きが多いが、
>二・二六事件当時に「英国を始め合衆国ですら悲鳴を上げている」とされたほどに
>繁栄していた我が国が突然「持たざる国」になって窮乏化し…たわけではない。
>経済原理を理解しない軍部の満州経営や経済的な負け戦となった華北経営が
>我が国経済を国際的な孤立の中で、じり貧に追い込んでいき、
>その結果「持たざる国」になってしまったのである。
>軍部による経済的な負け戦は…国民生活を窮乏化させていった。
>ところが、それを英米の敵対政策のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を強め、
>実はそれをもたらしている張本人である軍部をより一層支持するようになっていった。
>そのような状況下で、本来戦う必要のなかった米国との大戦争に突入し
>国土を焼野原とされて敗戦を迎えた…
天皇がいると、海外から日本は異常な国だと見られるので
多少なりとも移民が減る効果はあるかも
【Vlog】日本人のねじれたアイデンティティ
一番大事な戦後史の、骨格の所が…
要するにGHQに検閲で色々言論統制をされて、『対米従属』ですよね、
そういう観念を刷り込まれたと、だから日本人は未だにアメリカに頭が上がらないんだと。
何て言うか、『GHQ陰謀論』ですよね。
よくあると言えばよくあるんだけど、今更…という感じですよね。
…むしろ左翼の人も最近言ってますよね。
孫崎享さんの『戦後史の正体』っていうのが出てから似たような感じの、
日本はアメリカの言いなりになって戦後ずっとやられっぱなしなんだと。
アメリカに頭が上がらない状況は確かにあるんだけど、もう占領が終わったのは1952年ですよ。
…それが何で未だに日本人が、アメリカに洗脳されたままそれ直らない訳ですか。
そこの所をちゃんと説明しないと。
占領が終わった後、本当にアメリカの言った事がインチキならば日本人はそういうのは止めて、
憲法改正してアメリカから自立するようにやれば良かった訳ですよ。
…ところがむしろ日本人がそれを拒否したわけですよ。アメリカから自立することを拒否して来た。
憲法改正することもずーと拒否して来た。…それは一体何故なのか。
それはアメリカが吹き込んだ、彼の言う所のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムてね、
正体不明の話が本当だとすれば、
そんな植え付けられた偽物の歴史観はとっくに卒業しているはずでしょう。
それが卒業出来ないのは何故か。
ペテン師の叫ぶ『国民の一票が怖い』(という落語政治)
(『だから真剣に政治をやっています!』という)日本の政治家が
アメリカに支援されながら国民に向かって『アメリカみたいに悪い奴は居ない!』と叫び、
国民(の中に紛れ込んだサクラ)が『そうだそうだ!』と叫ぶと
『だから皆さん、我々がアメリカの横暴から日本国民を守っているんですよ!』と、
それを真に受けた国民が『じゃあ一票入れましょう!』、
という“落語が”日本の政治である。
(米軍基地としての)自国領土と自国民の労働力(=経済力)とをアメリカに売り、
その見返りにアメリカに支援されて(他の一般日本人と)自他を差別化し支配者を演じる者が、
(例えばグローバル化等)『アメリカに圧迫されているから今のような苦境下の日本が在る!』と、
売り渡されて苦境下に置かれた一般日本人に向かって叫んでいる。
あたかも落語の《饅頭怖い》のような“現実(本心)すり替え”の話だ。
『お前は何が一番怖いんだ?』『俺は饅頭が一番怖い!』『そうかそうかw』で、
ペテン師の下に労せず『饅頭』が転がり込む。
アメリカに(向かって『お宅の世界戦略に協力しますから…』と、
相手の歓心につけ込みながら)“自分以外の”日本を差し出して
(苦境下に追い込みつつ)《見返り》を得る者が、その苦境の原因をアメリカに転嫁して、
犠牲者(=一般日本人)に向かい『俺が救ってやるw』からと
(自分が落とし込んだ、困窮する被害者の弱みにつけ込んで)更に“二重に”騙す、
国家的な《オレオレ詐欺》によって多大な支持(=『饅頭』)を集めている。
これが日本の戦後政治の常套手段=『型』であった。
アメリカに(例えば)沖縄を売りつつ技術供与を受けて経済発展し、
その儲けを地方にばら撒いて票を得る。
(自国を潰した一部のグループがその事実を隠蔽しつつ、それどころか“逆宣伝”で)
日本の支配者を続けるため=アメリカの歓心を買うためアメリカに何かを譲り渡し、
その不利益が日本社会に降りかかると『アメリカが圧迫している!』と原因と責任をすり替える。
国民の怒りはアメリカに向き、
(開弁がアメリカと取引して日本社会が苦境に陥る)《真の構図》は見逃され続けている。
それが日本の戦後政治であった。
プライムニュース 2015年5月4日
三島(由紀夫)から何を学ぶべきか 西尾幹二氏の提言
私は、反米では決してありません。
えーアメリカに占領されたのが、中国やロシアに占領されないで、良かったと、思っております。
それから、えー、アメリカは考えられる限り或る種の寛大な、あー帝国です。
それからもう一つ大事なことは、戦後、アメリカのマーケットを日本に解放した。
それで日本の経済が成長したということも、
アメリカに感謝して…、を致し続けなければいけない大きなポイントだと思っております。
しかし、日本人が自分で、破らなければ、踏み越えなければいけないのは、
アメリカという袋に…、の中に入れられてしまったら、袋の外から見ることは出来ないんですよね。
袋に入れられたものは、袋…、自分の姿を、見ること出来ないんですよ。
今の日本人は概ねそうなんですよ。ほんとに愚かにもそういう状況に陥っていると思います。
>しかし、日本人が自分で、破らなければ、踏み越えなければいけないのは、
>アメリカという袋に…、の中に入れられてしまったら、袋の外から見ることは出来ないんですよね。
>袋に入れられたものは、袋…、自分の姿を、見ること出来ないんですよ。
>今の日本人は概ねそうなんですよ。ほんとに愚かにもそういう状況に陥っていると思います。
《アメリカという袋》に日本を閉じ込めたのは誰でも無い。
敗戦責任を免れるため、日本をGHQに売り渡した○○天皇である。
會田雄次「日本への遺言 さらば欺瞞国家日本」新潮45 1995年2月号
…ただ、すこし判らないし、同時に心配なことは、この例でいうと現在五〇歳前後になっている人々が、
中、高、大学生、社会人となるに従って、単に大人になった、世間ずれがして来たというだけではなく、
急速に、自分自身に対し、社会に対し、欺瞞に満ちたものになって来る。
だんだん大人になって行くといった自然の展開とは何としても考えられないほどにということである。
それはかなり大雑把な表現になるが日本の社会自体の欺瞞化が深まって来た、
つまり敗戦直後の表面的で浅はかな偽善が堂に入った偽善になったということでもある。
こうなったのは、どうも戦後日本が再生へと踏み出した際、
独立国として生きて行くのに必要な、不可欠な要件を欠落させてしまい、
そのため、欺瞞でその欠落部分をかくさなければならなくなったためだ。そう私には思われる…
…とすれば戦後日本は国としての統一的アイデンティティを持ちようがない混迷状態にある、
つまり国ではないということになる。
そうなった原因を私はガスカールも大江氏も国でないフランス、国でない日本を国と考え、
それと対立したり、それに抵抗したり同調したことにあると考える。いやこの二人だけではもちろんなく、
日本人とフランス人の殆ど全体が自国をそのように錯覚したことでこの混迷は生まれた、
大江氏が日本のあいまいさをその奉じる民主主義の名において否定するなら、
そのあいまいさの根源である天皇制の正面的否定からはじめねばならないのではないか。
…ガスカールも捕虜収容所にあって戦時中のフランス軍の強力なレジスタンス戦を幻想し、信じ、
その結果戦後のフランスが米、ソ、英と並ぶ戦勝国とされ、
国連でも常任理事国とし我世の春をことほぐという欺瞞国家ぶりに何の疑問もいだかなかった。
だがそういうパフォーマンスだけの欺瞞国家を奉じかついで来たフランスは
戦後実のある何も生み出していないのではないか。
かれらの駄物を無上のものと押戴いてるのは日本だけではないか。
戦後における日本の最大の過ちは亡国、
国家でなくなった日本を国家と見せかけた欺瞞性にある。
国家はもともと理念という虚構の上に立つといわれるが、
その理念でなくこの欺瞞性というものを国家の基としている点ではフランスと共通する。
松本崇「持たざる国への道」 解説 加藤陽子
一九三〇年代半ばになっても…欧米列強は、二九年の…世界恐慌の痛手から脱することができなかった。
それに対し、高橋是清蔵相による一連の施策…によって
いち早く恐慌を脱出できた三〇年代半ばの日本の経済や社会は、十分な輝きや勢いを持っていた。
著者はそのさまを、同時代人…宇垣一成の感慨
「その当時の日本の勢い…は世界を圧倒する…」を引用し…確認する…
日本…と、イギリスがその植民地向けに輸出した額の比較では、一億ポンドのラインで…競っていた
日英の順序は一九三七年に逆転し、この時点で日本が世界最大の植民地帝国となっ…た…
三七年七月…日中戦争の泥沼化とともに国民生活が逼迫し始めると、
その責任を国民に説明するにあたって国家は、
「英米のブロック経済が『持たざる国』である我が国を追い込んだため」と喧伝する。
しかし…三〇年代半ばの日本が英米の嫉妬を買うほどの好況であったとすれば、
「繁栄していた我が国が突然『持たざる国』になって窮乏化していった」…のはおかしくはないか…
むしろ、原因と結果が逆だったのだ。
経済合理性を無視して満州経営をおこなった陸軍…は…
通貨戦争…で、考えられないような愚作を華北分離工作でおこなった。
国民生活を窮乏化させた真因は、「軍部による経済的な負け戦」であったのに、
「英米の敵対政策のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を強め、
実はそれをもたらしている張本人である軍部をより一層支持するようになっていった」…
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1455332876/196-197 >そのように好調だった日本経済は、二・二六事件の翌年に起こった盧溝橋事件(一九三七年)以降、
>日中紛争が泥沼化するに従って行き詰っていった。
>生活の窮乏化は英米のブロック経済が「持たざる国」である我が国を追い込んだためと受け止められた。
>その点は今日でもそう信じている向きが多いが、
>二・二六事件当時に「英国を始め合衆国ですら悲鳴を上げている」とされたほどに
>繁栄していた我が国が突然「持たざる国」になって窮乏化し…たわけではない。
>経済原理を理解しない軍部の満州経営や経済的な負け戦となった華北経営が
>我が国経済を国際的な孤立の中で、じり貧に追い込んでいき、
>その結果「持たざる国」になってしまったのである。
>軍部による経済的な負け戦は…国民生活を窮乏化させていった。
>ところが、それを英米の敵対政策のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を強め、
>実はそれをもたらしている張本人である軍部をより一層支持するようになっていった。
>そのような状況下で、本来戦う必要のなかった米国との大戦争に突入し
>国土を焼野原とされて敗戦を迎えた…
>大江氏が日本のあいまいさをその奉じる民主主義の名において否定するなら、
>そのあいまいさの根源である天皇制の正面的否定からはじめねばならないのではないか
大江氏に限らず、自国を潰し自分らを大量死に追い込んだこの《仕組み》自体と、
この《仕組み》の批判を封じ、称賛することこそが自国防衛につながると思い込む
=大矛盾から脱け出すためには天皇制とは何かを根本に遡って検討する必要が有る(のではないか?)。
豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」2008年
まず、「不平等条約」と言われる旧安保条約の内容はいかなるものであったの…か。
何よりも、日本には米軍に基地を提供する義務があるが、
米軍の日本駐留はあくまでも権利であって米軍には日本防衛が義務づけられていない。
しかしその一方で、米軍には日本の「内乱」に介入する権利がある。
さらに、「極東条項」がおかれ、米軍は「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するという、
国連憲章の裏づけもないあいまいな目的のために日本の基地を利用することができる。
しかも、その基地については、提供地域が特定されない「全土基地化」の権利が米軍に与えられている。
また裁判権の問題にかかわって、米軍には事実上の「治外法権」が保障されている。
最後に、この条約には有効期限が設定されておらず、
その失効には米政府の承認を必要とすると規定されているのである。
昭和天皇の側近達は、朝鮮戦争の帰趨と天皇制の将来を直結させて、深刻きわまりない危機感を抱いていた…
つまり、彼にとって「朝鮮有事」とは「日本有事」であり、そして「天皇制の有事」であった。
この点で、「大陸の政治動乱がわが島国を直接に脅かさなかったことは歴史の事実」との…判断を背景に、
「朝鮮有事」と「日本有事」を峻別した吉田とは情勢認識を大いに異にしていた…
昭和天皇の側にあっては、朝鮮戦争で米軍が苦境にたつならば、
それはソ連による直接侵略が国内共産主義者による間接侵略かはともかく、
「革命」と「戦争裁判」と天皇制の打倒につながるものと看做されていたのである。
この未曽有の危機を救えるのは米軍以外にないという結論に至るのは、きわめて自然の成り行きであった…
従って、吉田が基地提供という「根本方針」でいささかなりとも“動揺”を示すことは許しがたいことであり、
ましてや、基地提供を交渉カードに使うといった発想それ自体が認められないことなのである。
つまり、日本の基地提供と米軍駐留は、天皇制の死守をはかる昭和天皇にとって絶対条件となったのである。
こういう昭和天皇の立場にたてば、日本はあくまで無条件的に米軍駐留を「希望」「要請」し、
基地の「自発的なオファ」に徹しなければならない…それこそが、安保条約の「根本趣旨」なのである。
さらに「内乱条項」は、きわめて重要な位置を占めていたであろう。
こうして、皮肉な表現を使うならば、「国体護持」を保障する安保体制こそが、
「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったのである。
ダウンロード&関連動画>>![](https://img.youtube.com/vi/yBeIX-JNL78/0.jpg)
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@YouTube 西尾幹二全集刊行記念講演「ニーチェの言葉「神は死せり」」(後半)
今の我々は如何にヨーロッパ、キリスト教文明圏に包み込まれているか。
端的に言って自然科学、SCIENCEはアジアには無かった。
中国にもアラビアにもインドにもあったけれど地球を覆うことは無かった。
今のコンピューターにまで連綿と発展し続けることは無かった。
今のコンピューターの高みまで到達したのはキリスト教文明圏だけである。
自然科学はヨーロッパの精神史の問題で、キリスト教と切り離すことは出来ない。
数学的、幾何学的な観念はキリスト教の「天地創造」と何処か関係がある。
ちょっと上手く私は言えないが
自然科学の勃興というのはキリスト教の歴史と切り離して考えることは出来ない。
それはデカルトとガリレオの問題。
デカルトは世界を数学の方程式に還元して形とその変化、位置とその変化という、
幾何学と運動学とで世界は全て言い尽くせるという思想を展開する。
デカルトは主観と客観ということをハッキリ言って、
物質には色々な性質があるけれどもそれは主観に投影された「影」に過ぎない。
物質それ自体に宿るものではない。
色、音、味、手触りなどの感覚的性質は人間の精神の中だけに在るのであり、
ものそのものの固有の性質だとは言えない。
…この観念が自然の数学化という革命的影響を引き起こして…
感覚的性質を「もの」から排除して人間の意識或は精神の中に押し込めた…
これがコンピューター・グラフィックスまでつながっている。
この哲学的認識論は今では誤謬であったと言われている…
カントやバークレーの批判とは別に、ガリレオ、デカルトによる自然の数学化はもう
我々の日常の暮らしを無視するかの如くに独立した自然科学の方法論としてどんどん一人歩きをして、
人間的曖昧さを切り捨てて、科学によって構造化され立体化された、
数学化された世界が私たちを覆い尽くしている。
自然は只、幾何学的に死んだものとして線引きされ、数値化され、
それが客観世界として有無を言わさぬ勢いで私たちの目の前を支配している。
ガリレオ、デカルトの二元論が、理論として否定されても、
理論はともあれ実際には現代の自然科学は一大発展を遂げているのは覆せない事実である。
信じられないことだが、極小世界は素粒子の解析、極大世界は宇宙の開発という、
この二つの方向へ一層の細分化と遠方化へ向けて、精密分析力は終わりを知らない勢いである。
…自然の数学化という、16、7世紀以来のこの思想に我々はずっと支配されてきている。
これはキリスト教文明から出たのである。これを私たちはどう考えたら良いのか。
ニーチェはルサンチマンと言った…
ルサンチマンからキリスト教が生まれたと言ったことは非常にポイントを成している重要なことだと思う。
キリスト教文明には闇があるということ。野蛮だということ。
闇があるけれども普遍性もあり、人間の決断の美学もあり、科学的合理性もある。そういう二重性がある。
我々はそういう二つを見ている。そうするとそれは別のものなのかということ。
科学的合理性、近代の合理性は、光だけで成り立っているのか。
それとも背後の闇、闇が生み出したのであるか。ニーチェはそう言っている。
闇と光は一体で、闇が光を生み出している。暗いものが明るいものを支えてきたのだと。
巨大建造物のようなヨーロッパ近代の合理性は、例えば法体系にしても、今、世界を支配している。
国連、国際司法裁判所、全ては西欧の法律である。
そういうものの、キリスト教の信仰、闇を信じた、
訳の解らないものを信じた信仰が無ければ生まれなかったものである。信仰と切り離すことが出来ない。
…キリスト教は暗闇を抱えている。つまり悪を抱えているから合理性も同時に成立している。
今まで我々は明治以来、文明開化といって光だけ見ていた。しかし光の背後には闇がある。
それはアメリカと戦って分かったはずで、それでも「アメリカ民主主義万歳」のバカな日本人もいる。
陰も闇も無い理性など何処にも無い。只西洋人の信仰の心が、陰を隠していただけで、
愛だとか十字架への犠牲だとかそれを美化してそれが陰を隠していただけである。
ヨーロッパの美術館へ行って見ればキリスト教は慇懃残酷な世界である。特に中世末期の絵画は凄い。
つまり明るい合理的なヨーロッパは暗い非合理なものを隠して来た。
それがルネッサンスから近代として、明治以来の日本が受けとめた世界像である。
…合理性が非合理性を抑止して成り立っていたもの、これが我々の受け止めた近代である。
しかしニーチェの自覚によって、事態は明らかとなった。闇が急速に浮かび上がった。
ヨーロッパは衰弱して没落するとニヒリズムの到来を告げた。
狂人がランプを叩き壊して「神を殺したのはお前たちだ」というのは、
合理性の外側の、光の外側の闇が世界を覆い始めたことを告げている。
ニーチェはニヒリズムを宣言しましたが、
明るい近代の背後に虚無が居座っているということを我々に教えようとした。
キリスト教のスタートがおかしかったのだと。ルサンチマンに発した作り話だったのだと。
そのために大いなる文明は生まれたけれども二千年を経て遂に終わったと。
これは凄く深刻な指摘である。そしてそれに日本もまき込まれている。
この光と虚無の、合理性とキリスト教の二重構造というものがこの十年か二十年かで
日本人にも解りかけてきたのではないか。
ニーチェが最後に何故仏教に言及したか。仏教は光と陰の分裂を引き起こさないものであると。
正午の太陽である。光だけで陰を作らない。それが仏教である。
それがキリスト教の外の世界である。ニーチェはそれをツァラトゥストラで気が狂うまで追求した。
http://2chb.net/r/seiji/1517566115/342-345 >自然科学はヨーロッパの精神史の問題で、キリスト教と切り離すことは出来ない。
>数学的、幾何学的な観念はキリスト教の「天地創造」と何処か関係がある。
>ちょっと上手く私は言えないが
>自然科学の勃興というのはキリスト教の歴史と切り離して考えることは出来ない。
>それはデカルトとガリレオの問題。
>デカルトは世界を数学の方程式に還元し
>幾何学と運動学とで世界は全て言い尽くせるという思想を展開する
>これがコンピューター・グラフィックスまでつながっている
ダウンロード&関連動画>>![](https://img.youtube.com/vi/CCGekumdLLU/0.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/CCGekumdLLU/1.jpg)
![](https://img.youtube.com/vi/CCGekumdLLU/2.jpg)
@YouTube Blender Eye Rigging Tutorial
>ちょっと上手く私は言えないが
>自然科学の勃興というのはキリスト教の歴史と切り離して考えることは出来ない
ちょっと上手く言えないなら、代わりにこのアーパーのオレが言いましょう。
〇〇〇〇の如き人間が目指す《テクノロジー・カルト》国家の自己破滅
何が真実真理であるかを究明する態度を持つ西欧社会、
その思想の根幹がプラトン哲学であり、デカルト哲学である。
それを生み出す土台となった思想とは、エジプトのアメンホーテプW世が興したアートン教を元とする、
モーセの一神教である。この思想の根幹は、
(プラトンによって文章化された表現によれば)『自然界とは常に生成流転消滅しているので
(寿命を持ち、行動範囲が限られる一個の人間が、
眼に見える、体で感じる)その“一時的な一部分を”切り取って《絶対視》してはならない』というものである。
これをモーセの一神教が表現するに『妄りに偶像を創って拝んではならない』
『絶対視できる存在とは(決して目には見えない=人間の五感で感じ取ることの出来ない)神のみである』
というものである。この「プラトンの文言」と「一神教の戒め」は、結局同じことを言っている。
広大な宇宙空間(これまで宇宙は人類という種を遥かに超えて百数十億年の昔から存在し、
その全てを観測し切れないほど広大である)に含まれたこの地球の自然界は常に生成流転消滅している。
そこに生まれた一個の人間が経験する内実は、
常に自然界全体の顕れ、その《一時的な一部分》である(に過ぎない)。
よってそれを“絶対視”し(これを根拠、前提として)一般化してはならない。
例えば80年代初頭、日本の為替が(ドル高円安へと)安く動き、アメリカの金利が
(ベトナム戦争の戦費調達を増税で行なわずに債券発行=輪転機の回転で行なって高インフレを引き起こし、
――しかし一方の日本では、朝鮮戦争同様それは特需となって経済復興、高度成長を支えもした。
そして日本人は大いに自信を持った。しかしベトナム戦争終了=1975年と共に戦後日本の発展も終わる。
そして深刻な不況に襲われ以後赤字国債を垂れ流すことになる。
第一次大戦後に起こった不況と同じである――それがドル暴落=ニクソン・ショックを招いた。
この事態鎮静化のためにアメリカ政府が採った方策が、異常な高金利政策であった。
この、FFレート=)20%超となって
(異常な高金利の為にアメリカ産業界の勢いが失速して)いた特殊な時期を基準に
日本の産業力がアメリカのそれを“本質的に”凌駕した(『JAPAN AS NO1』)と考えてはならない。
また、アメリカがベトナム戦争(=米ソ冷戦)、宇宙競争で苦しんでいる時
その弱みにつけ込んで経済戦争を仕掛けたが(その後ベトナムの後遺症から立ち直ったアメリカに押し切られ)、
これは結局「プラザ合意」による超円高を招いた。
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1370648795/271-273 本質的に強靭な、相手の“一時的な”弱みにつけ込んだつもりが結局日本は惨敗自滅した
(だから第一次大戦前後から敗戦までの、敗戦後から現在までの
対GDP国家負債比率のグラフが同じカーブを描いているのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/30210307.html http://peace.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1436952329/212-217 第三次アーミテージ・ナイリポートは『これを8月15日に発表するのは偶然ではない』
(=君たちは既に敗けている。この《新ポツダム宣言》を受け入れよ)と宣言しているのである)
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1436952329/199-201 (正に福島第一原発事故は『想定する津波以上の津波は来ない』と思い込んで
=そのような《偶像を拝む》ことで起こった)。それは将来の、多様な変動を見逃す《視野狭窄》を引き起こす
(この《視野狭窄》は、内部支配体制にとって都合が良い。“視界の限定”によって自己正当化が容易だからだ。
しかし組織、国家、種族“全体に”とっては大いなる悲劇となる)。
広大に広がる、多様な(地域の、文化の)現場の人間が経験するあらゆる事柄を集め、
しかも世代(時代)を超えたそれらを集め(次々とこの世に生まれ出ては死んで行く存在である人類の、
多世代に渡るあらゆる(異なる)現場の個々人其々が「昆虫の複眼」を構成する《一点》になって、
この《一点》が観察経験した(本質的に限界を持つ)事柄、経験を時間的空間的に集約統合し)、
昆虫の複眼が画像を構成するように
(しかも不正確な観察と経験とが混ざり合ったそれらの集まりを数学的原理に照らし合わせて誤りを棄却し、
正しいものだけを残して一切の矛盾を体系から取り除き自然界=現実の)全体を再構成する。
この行為こそがSCIENCEとなる。
このようにモーセ一神教もプラトン哲学も、同じことを諫めている。
それは『現実に存在するものを絶対視するな』という戒めである。では、《絶対視できる存在
=決して目には見えない=人間の五感で感じ取れない=神》とはどのような存在(意味を持つもの)なのか。
これは絵や図では決して表せない(4次元、5次元…N次元…無限次元空間の如き)、
ずっと抽象的な表現=理論によって見えてくる存在のことである。これは何なのか。
数学によって表現されるような実態のことである。
このような表現力によって正に我々は(数学によって支えられる)現代物理学を得て、
それを通して(遥か彼方の)宇宙を理解する。超ミクロの世界を理解する。(そして真の)現実を理解する。
だからこそ数学者プラトン(そして数学者デカルト)はその哲学を数学的に(数学を土台として)構成しているのだ。
つまり一神教=プラトン哲学=(の土台とは)数学である。
総ての学問の基礎は数学に在る。覚えておけ、日本人。
http://2chb.net/r/seiji/1516891846/529-531 三島由紀夫「英霊の聲」
>北一輝は、スコラ哲学化した国体観を一切否定し、
>天皇を家長と呼び民を「天皇の赤子」と呼ぶような論法を自殺論法と貶し、
>君臣一家論を大逆無道の道教の論理となし、
>このような国体論中の天皇を、東洋の土人部落の土偶に喩えていたからである
フロイト「モーセと一神教」、プラトン「国家」のコンセプト
自ら文明を興してきた組織には聖職者が存在する。
何が真理であるかを見出し決定する役割を担うのだ。それが存在せずにどうして社会が結束できようか。
普遍的真理無くしてどうして社会が存続し続けられようか。
一時的な腕力と、一時的に出現した環境への適合によって、率いられた集団全体が何かの状況に適応する。
しかし次の瞬間にその状況は変異してしまう。何故なら自然界は常に生成流転しているからである。
大いに頼りになった大ボスの下、荒くれた海に乗り出したはずの船は山頂に座礁する
(前の民主党政治のように、一部の電機メーカーの経営のように、或いは原発行政のように)。
そこで大ボスが一心不乱に船員に指示を飛ばし叫んでいる。しかしここはもはや海ではない。
食料も水も尽き果て、集団は全滅する。ギリシャの昔から何故人間は普遍性を求め真理を希求してきたのか。
それは誤りの無い判断力の下、一致団結するためだ。そして生き残るためだ。
原人の時代から人類は権力と支配を求めて殺戮を繰り返してきた。ギャングの抗争のように。
ボスは自己の生理的好悪と偏った嗜好と判断の下、腕力で全てを支配し逆らう者を虐殺した。
やがて時は過ぎ、虐げられた手下らが結束しチャンスを掴むとボスは“生きながら”喰い殺された。
畏れつつ一方では崇拝するボス、その肉体を我が肉体とするために、ボスの力を我が肉体に取り込むために。
「その原人以来の人類の記憶は聖書の中にも残されている」と、フロイトは語る。
「この葡萄酒を我が血と思って飲みなさい、このパンを我が肉体と思って食べなさい」、と。
そしてその後に覇権を争う手下同士が互いに殺し合った。
後に、その中から全てを支配し統率する者がボスとなって再び登場した
(フロイトは語る。「ボス(=神)を殺した手下らの頭目こそがキリストだ」、と。
「組織、種族の長である“ボス殺し”、それが『原罪』の意味である」、と。
大ボスが危機に際して或る民族を率いてこれを救い、種族存続のためその民族に「聖なる掟」を与えた物語。
その無慈悲な大ボスがその後、手下らに殺されてしまった物語。
手下同士が延々殺し合いを続けた物語。その殺し合いの中から新たな統率者が再びボスとして復活した物語。
それは人類普遍の物語であった。それ故パウロは“確信を持って”この物語
――原父である「神」を殺した主犯格、「神」の子「イエス・キリスト」――
(の物語)を語ることが出来た。「これがユダヤ教とキリスト教の関係である」、と。
原父(=神)殺しの首謀者キリストは、
他の原父殺害参加者ら(=仲間)の罪をも一身に引き受けて、十字架に架けられた。
「全ての罪は償われた。《神》の言葉=《超越的規範原理》を信じよ、信じる者(と組織、種族)は救われる」、と)
このサイクルパターンは数千、数万年に渡って地球上の何処でも繰り返された。
そしてその(殺戮の連鎖の)教訓から(全ての「独占」を忌避する)《聖なる掟》が生まれてきた。
その不可侵の掟が「一神教」を生み出す源となった。権力と判断根拠は普遍化され超越的存在となっていった。
エドマンド・バークが語ったという、フランス革命は高慢な人間が起こした単なる理性の失敗か?
いや、フランス革命こそが、フロイト「トーテムとタブー」「モーセと一神教」のモチーフを
短期間の内に完全に再現している。
王殺し(大王の子孫ルイ16世の処刑)−仲間割れ(王を殺した者同士の殺し合い)−王の復活(皇帝ナポレオン)
−共和制政治(超越的真理を究明する数理物理学者が政治家を兼務する体制)への最終的移行。
人類が数万年をかけて繰り返してきたことを短期間に再現しているのだ。それが「フランス革命」の意味である。
これは原人から人類へと進化する過程の中で、社会がたどった経緯の驚くべき《縮刷》である。つまり
原人から人間へ、その進化に際してどのように精神の規律=SCIENCEが生み出されてきたのか、
それが如何にして社会を、国家を支える価値と成り得たのか、それを示す血文字で書かれた物語である。
フランス革命はその各段階と全体を人類にはっきりと示した。
何故一神教が人間組織に必要なのか。何故(動物たる人類その)個々人にとって理性=合理性が必要なのか。
何故「公共心」=倫理=超自我は数学(=幾何学)によって支えられるべきなのか。
プラトン、アルキメデス、ユークリッド、イブン・アル・ハイサム、
ロジャー・ベイコン、デカルトを経て何故、人間倫理は「数学(=幾何学)」に帰着されて行ったのか。
動物的な情動、呪術祈祷、生理的好悪、その無制限の発散、行使。
この、“自ら「高貴」と叫び”他を抹殺しようとする(「独裁者・英雄」、及びその待望論)
この価値観に対抗する最大にして最強の阻止者こそ、この「数学(=幾何学)的な精神性」にあったのだ。
これこそが“種としての”人類を救い「国家」を救う価値観となる。
革命が示したように、真理の参照無くしてどうして組織を守れようか、分裂を避けられようか。
理性無くしてどうして心穏やかでいられようか。日本にそれが許されたのは、
真理を生み出した文明が、予め“正しく動作する”その「成果」を分けてくれたからである。
http://2chb.net/r/seiji/1517566115/342-355 三島由紀夫「英霊の聲」
>北一輝は、スコラ哲学化した国体観を一切否定し、
>天皇を家長と呼び民を「天皇の赤子」と呼ぶような論法を自殺論法と貶し、
>君臣一家論を大逆無道の道教の論理となし、
>このような国体論中の天皇を、東洋の土人部落の土偶に喩えていたからである
天皇制は(天皇を担ぐ権力者のために存在し、論理的に、理論的に見て国民を不幸にする=)ダメだ。
外部の優勢な、“外国”を使った自国民に対する《裏切り行為》を正当化する政治的な方式で、
外国の《開弁》を土着の古い文化伝統(を装った偽り)でカムフラージュする“仕掛け”に過ぎない。
自国民に団結を与えるものでは無く、分裂を強いるものである。
それが薩長・イギリス連合軍の支配(=明治維新)に対する旧幕臣側の反乱
=大東亜戦争(=《東條幕府》による『アジアの解放』
=数千年の中国支配に代わって日本の天皇が東アジアを仕切る《大東亜共栄圏》構想)につながっている。
民族に対し、真に団結を与えるものはモーセの一神教でありプラトン哲学、デカルト哲学だ。
だから(色々問題が在っても)西欧文明が今、世界をリードしている。これは偶然では無い。
これで結論出たな。
>>358 詞が通用せるから其の實體があるかと云つたら必ずしもさうとは限らぬ。
>>359 ことばが通用すると、社会において通用する行動様式の実態があるということだ
実態があるんだな 特に天皇制廃止に対し、公安が生活妨害するという
行動様式が存在する
天皇制廃止のメリット板を立てよう
>>360 軍國主義と云ふ詞は普通に使はれるが、軍國主義と云ふ詞に明確な定義は存在しない。
使ふ個人の勝手な心象でしか使はれぬ詞だ
天皇制も亦同じ。
個々人が勝手な定義をしてゐる丈の詞だ。
>>361 憲法1−8条および皇室典範を総称して、天皇制といっていいだろう
天皇制天皇制て民間から嫁いだ海千山千の淫売が・・・w
>>362 PC(ポリテイカル・コレクトネス)の立場から云へば、惡意を以て造語された詞は固より遣ふ可きでは無い。
>>364 これだけ、この国で使用されていることばは、もはや、悪意をもって
使用されているとはいえない
悪意と言い張るなら、国民の大半が皇室に悪意あると、いわなければならない
>>365 国民の大半が天皇制って言葉を使っている
国民の大半というか
帝國憲法に復古するべきだという人達が
3%ぐらいでしょう
ネットでは多数派だと主張していますが
本気で帝國憲法に復古できると思っている人達は全国で50人ぐらいでしょうか?
民間民間から皇室にアレしても皇室皇室てめでたいなw
そらGHQに利用されるわな()
>>365 日本国政府の公式用語は「皇室制度」と言う。もの知らずだな。
公文書に天皇制という文言が明記されているケースがというがな
国会答弁だ
その政府とは、だれを差すのだ?
>>368 悪意と、ことばの意味は違うだろう
そのことばが支持されると、一人歩きするものだ
戦後民主主義憲法を、旧憲法より支持する国民(8割)が大半なことと類似する
よっぽど、戦前が好きなようだな 天皇批判者は死刑という法律まで作った
戦前を、か?
>>371 > そのことばが支持されると、一人歩きするものだ
だからこそ詞には氣を附ける可き縡が理會が出來ないらしいな。
秋篠宮様がお子達を学習院にお入れにならなかったのは、OBに麻生がいるからだろう。
>>373 麻生さんも結構失言が多い
安倍さんも自信満々ってわけではなく
帝國憲法に復古すべきとか安倍さんが言ったとしても
安倍さんが復古するだろうか?
帝國憲法に復古すべきとか安倍さんが言ったとしても
安倍さんが復古するだろうか?
帝國憲法に復古すべきとか安倍さんが言ったとしても
安倍さんが復古するだろうか?
戦前の日本の軍部や革新官僚が復古するだろうと思う
帝國憲法に復古すべきとか安倍さんが言ったとしても
安倍さんが復古するだろうか?
戦前の日本の軍部や革新官僚が復古するだろうと思う
帝國憲法に復古すべきとか安倍さんが言ったとしても
安倍さんが復古するだろうか?
戦前の日本の軍部や革新官僚が復活するだろうと思う
韓国寒文 ものならず
無視 が一番と言ったが日本人は人が好い
せっかく相手が騒いでいるから反応しよう
ウジ虫朝鮮人天皇がいるお陰で
あんな国に住みたくないと思われて
いくらかの移民は防いでいるはずだ
日本では報道されないが
天皇がフィリピンに行ったときはデモが起こってた
ネットの時代になって日本がやった戦争の真実が拡散されてるよ
日本の外務大臣がASEAN会議に出れば完全無視状態で
下手なこと言えば、お前の歴史認識はおかしいとボロクソに言われる
これまた日本では報道されないが、ASEAN会議の今の主役は周期音平だ
「お金と、権力欲にまみれた、
政治家どもが、日本のトップです。
総理大臣が日本の王です」
って、嫌じゃん。
日本には、人格者な王(天皇陛下)が、絶対必要。
人格者の王が、戦前、貧乏国でありながら世界一の資産をため込んだ
これは犯罪ではないか
天皇が死ぬと芸能人とのハメ撮りコレクションが流出してくるかも
皇室の貴重品がヤフオクに流出するくらいだからあり得るとおもう
>>387〜390 外国人の意識丸出しだね。日本から出て行け。半島へ帰れ。ここは日本
だぞ。お前たちの国ではない。 特攻特攻でびびって終戦だったけども朝鮮戦争でもっと死んだからw
スレの趣旨から外れてしまうが、特攻隊の話はエグいな
日米戦争というのは、ある目的があって行われたイカサマで
天皇は負ける戦争を請け負っていた
すると必死の特攻隊は無駄死にだったというか、みんなが無駄死になんだが
天皇は特攻隊が米艦に突っ込む様子を撮影させて
皇居の地下深くで上映して楽しんでいたんだ
それを見ての天皇の感想も伝えられている
つまり、マジで子供のゲーム感覚だったんだ
天皇制維持に掛かる主な経費
内廷費 平成30年度 3億2,400万円
皇族費 平成30年度 3億6,417万円
宮廷費 平成30年度 91億7,145万円
宮内庁費 平成30年度 114億6,582万円
皇宮警察本部予算 平成30年度 83億6653万9千円
計 296億9197万9千円
>>393 はい、妄想。自説を証明してから書くこっちゃ。
>>394 だったら、お前は、赤ん坊だな。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247411 本には苦い教訓…統計不正は安倍首相の“経済クーデター”
公開日:2019/02/13 14:50 更新日:2019/02/13 14:50
アベノミクスの統計不正について、
安倍政権は厚労省の政策統括官を更迭するなど官僚に責任を押し付けているが、
政治の問題として深刻にとらえないと国家の破滅に向かう。
過去の日本に苦い教訓があるのだ。
戦後、米国占領下の日本で、当時の吉田茂首相がマッカーサー元帥に、
「日本は政府軍部が統計を偽装して戦争を始めた結果負けた」と伝えていた。
衆院事務局に33年間勤めた元参院議員の平野貞夫氏は、
この話を直接、吉田茂や吉田の側近などから聞いたという。
「吉田茂は『健全な統計を日本が持っていたら戦争をしなかっただろう』とも言っていました。
それで戦後、内閣に統計委員会をつくり、国家統計機構を設立、それが復興の基盤となったのです。
統計は適切にも作れるし、誤って作ることもできる。悪人が統計を悪用すれば国を滅ぼす。それが歴史です」
今回の不正には、確かに政治の意図が見える。
2015年9月に安倍首相が「GDP600兆円」を掲げた後、16年3月、
高市総務相(当時)が経済財政諮問会議に「政府統計の精度維持・向上の仕組み」なる資料を提示。
「600兆円経済」をうたった同6月の「骨太の方針」に、
五輪やTPPと並んで「経済統計の改善」が盛り込まれた。
そして、同12月に山本規制改革担当相(当時)が諮問会議に臨時出席し、
「政治主導で統計改革を進めることが重要」と書かれた資料を提出したのだ。
統計調査に政治が介入したのは明らかだ。
平野氏は憲法破壊行為の「内乱予備罪」で安倍首相を告発しているが、統計不正についてもこう言う。
「解釈改憲で集団的自衛権の行使を容認した14年から憲法クーデターが始まり、
15年からアベノミクスの経済クーデターが始まったということです」
安倍政権に好き勝手やらせていたら、亡国へまっしぐらだ。
>戦後、米国占領下の日本で、当時の吉田茂首相がマッカーサー元帥に、
>「日本は政府軍部が統計を偽装して戦争を始めた結果負けた」と伝えていた
>平野貞夫氏は、この話を直接、吉田茂や吉田の側近などから聞いたという
>「吉田茂は『健全な統計を日本が持っていたら戦争をしなかっただろう』とも言ってい…た
>悪人が統計を悪用すれば国を滅ぼす。それが歴史
>今回の不正には、確かに政治の意図が見える
>2015年9月に安倍首相が「GDP600兆円」を掲げた後
>経済財政諮問会議に「政府統計の精度維持・向上の仕組み」なる資料を提示
>五輪やTPPと並んで「経済統計の改善」が盛り込まれた
>「政治主導で統計改革を進めることが重要」と書かれた資料を提出した
>統計調査に政治が介入したのは明らか
佐高信『闘う数学者、小倉金之助』(小倉金之助「われ科学者たるを恥ず」)
なぜ、私がいま、数学者の小倉金之助の著作をすすめるか。
それは、小倉が私と同じ酒田出身の偉大なる先輩だからではない。
もちろん、それがまったくないわけではないが、日の丸、君が代の強制など、
再びファシズムの足音が激しく、そして、高くなっているいまこそ、
それに抗して苦闘した小倉の著作に学ばなければならないと思うからである。
口絵に土門拳が撮った小倉の写真が掲載されているが、
やはり酒田出身の土門も、この同郷の先達を深く敬愛していただろう。
同郷故にではなく、V章にあるように「ファシズムとの闘い」を続けた故にである。
小倉のこの著作集は、「われ科学者たるを恥ず」から始まる。
小倉は、はげしい恥辱なしには「明治以来、日本の科学は非常な進歩をとげた」などとは書けない
というのである。この中には、こんな一節もある。
「自由民権運動の挫折とともに、多くの科学者教育者たちは、臆病で、
科学の〇〇〇を裏切るような傾向へと、堕ちていった。
日本の科学・教育は、〇〇〇を失った、“牙のない” 科学・教育となるような危機に陥ったのである」
「従来、日本の科学者は、あまりにも時代に無関心であった」が、それがなぜ許されないことなのか。
私はここで五味川純平の大河小説『戦争と人間』について書いた拙文を引きたい。
四百字詰め原稿用紙で八千枚を超すこの労作では、「戦争と経済」の関係に多くのページが割かれている。
五味川が生前、私に言った如く、まさに戦争は経済だからである。
一九四〇(昭和十五)年に東京外語の英米科を出て満州の昭和製鋼所に入った五味川は、
生産計画の基礎資料調査をやらされた。
当時は鉄や石炭をはじめ、すべての戦略物資が極度に不足していたが、
関東軍はもっと出せ、もっと出せ、と督促してくる。
「熔鉱炉は算術どおりにしか動かない」のに、精神力で出せ、と言ってくるのである。
作中で、作者の分身ともいうべき伍代俊介が指摘しているように「軍人は数字を精神で膨らませ」る。
軍部に協力して事業の発展を図ろうとする兄英介…に対して、
その俊介は、「昭和十五年度の戦略重要物資の日米生産高比較は、
石油が一対五一三、銑鉄一対約一二、鋼塊一対約九、銅一対九、アルミニウム一対七、
その他石炭、亜鉛、水銀、燐鉱石、鉛など、どれも比較を絶している。
これらの算術平均値をとると、日本とアメリカは、一対七四・二になる。
ソ連との比較だって…これに近い」と教える。
しかし、英介は聞く耳を持たず、「資料なんぞ、扱いようでどうにでもなる」と、うそぶくのである。
私が、数学者の小倉の鍛えられた思索に学ぼうと提唱する意味がおわかりだろう。
戦争は経済であり、もっと詮じつめれば数字だからである。
それを精神で膨らませたが故に、日本は悲劇を招いた。
わが師、久野収は、小倉よりちょっと後輩の、やはりファシズムに抗した哲学者だが、
その久野が一九七三年に勁草書房から刊行された『小倉金之助著作集』に寄せて、
次のような推薦の辞を書いている。題して、「三〇年代を代表する科学者、小倉先生」。
短文なので、それをそのまま引く。
「ファシズムと戦争の嵐をまともに受けた一九三〇年代は、
狂信と集団的価値倒錯が荒れ狂った時代であった。
ファシズムは、狂信的ナショナリズムであったし、戦争は、集団的価値倒錯の噴出であった。
だから反ファシズムと反戦の闘いの重要な戦線の一つは、
当然、理性と科学の精神をもってする狂信と価値倒錯に対する治療の闘いでなければならなかった。
小倉先生は、学会の長老的地位にいられながら、理性と数学の精神をもって、この闘いの先頭に立たれた。
われわれ当時の若ものたちが、先生の論文集『科学的精神と数学教育』その他に深く感動したのは、
最高の理性と科学の精神が一つ一つ、ファシズムと戦争に屈服していく状況があったからである。
先生の専門的労作『数学史研究』が専門をこえて大きな影響をあたえたのも、同じ理由にもとづく。
先生の完全な著作集が編まれるに際し、
その開拓者精神が戦後の若ものたちに正しく継承されることに大きな希望を託したいと思う」
この著作集には、自分が思いがけないほど影響を受けたという
フランスの思想家ルソーについての一文も入っていて、小倉の思想の奥行きと豊かさを示している。
小倉の「生涯とその時代」をたどった阿部博行の『小倉金之助』…
を併せ読まれんことを期待して、推薦の言葉としたい。
>「従来、日本の科学者は、あまりにも時代に無関心であった」が、それがなぜ許されないことなのか。
>私はここで五味川純平の大河小説『戦争と人間』について書いた拙文を引きたい。
>四百字詰め原稿用紙で八千枚を超すこの労作では、「戦争と経済」の関係に多くのページが割かれている。
>五味川が生前、私に言った如く、まさに戦争は経済だからである。
>関東軍はもっと出せ、もっと出せ、と督促してくる。
>「熔鉱炉は算術どおりにしか動かない」のに、精神力で出せ、と言ってくる
>「軍人は数字を精神で膨らませ」る。
>しかし…「資料なんぞ、扱いようでどうにでもなる」と、うそぶくのである。
>私が、数学者の小倉の鍛えられた思索に学ぼうと提唱する意味がおわかりだろう。
>戦争は経済であり、もっと詮じつめれば数字だからである。
>それを精神で膨らませたが故に、日本は悲劇を招いた。
佐高信(先生)が、小倉金之助を知っていて推してくるとは想像しませんでしたw
なぜ天皇侮辱を繰り返すのか?
https://www.mag2.com/p/news/386262 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:7bff9ed63942b4cd01610d20b2c06e65) https://this.kiji.is/468880968921908321 官邸意向で見直しか
厚労省勤労統計の手法 2019/2/15 05:44
厚生労働省が毎月勤労統計の調査対象入れ替え方法の変更を検討した経緯について、
同省関係者が14日、共同通信の取材に
「国会でも賃金の話が出ており、何とかしなきゃいけないと思った」と証言した。
公正であるべき統計に経済政策を重んじる官邸の意向が影響した可能性が出てきた。
2015年、当時の中江元哉首相秘書官に賃金伸び率の低下を説明した同省幹部は
「アベノミクスで賃金の動きが注目されている」として急きょ有識者検討会を設け、
短期間で結論を出すよう要請していた。
皇族+民間=50%皇族
50%皇族+民間=25%皇族
だいぶ薄まってきたな・・・ニヤニヤw
このまま存続すれば日本人で結婚したい奴が居なくなりウヨ共が大嫌いな中朝韓の奴らと婚姻関係を結び元首と崇める存在が
皇室が乗っ取られる=日本の国体が彼らに破壊されるというというウヨ共が最も危惧する状況になるだけだろうなw
その為に存続させたがってるのは日本人では無い。
政治板に「●天皇制廃止のメリットを書いていくスレ其の33●」を立ててくれ
天皇制もとい皇室の必要性をのスレよりも
不要論のスレの方が多く書いてあるね?
困ったねー。反天論者どもからも廃止のメリットが出て来ないしねー。
なにしろ向こうは有効レス三万の内、挙げられたメリットは2〜3レス。しかも日本人にはデメリット。
対して此方は向こうで依頼されて立てた唯一のスレ。無論、彼等が勝手に「無い」とだけ言う為に。
その割に「挙がらないじゃんか」とか言うので挙げとこう。
天皇が居ることで日本人に有るメリットは「社会が変わらない」。これで良しと。
小倉金之助「われ科学者たるを恥ず」
私はながい間、科学(自然科学)を学ぶ一人として、
また科学教師の一人として、生活をつづけてきた。
いま人生の黄昏にのぞんで、
ふりかえって見ると、科学者であることも、教師であったことも、
恥ずかしい気がしてならない。
最近、私は明治以来の科学の全貌について、再検討を加える機会に接した。
調べれば調べるほど、考えれば考えるほど、私はいっそうその感を深くするのみである。
なるほど、私たちは、いろいろと細かいことを研究したり…して、今までやって来た…
かずかずの業績も現れてきたし、湯川秀樹博士のような人も生まれ出た…
けれども私たちは、何よりも大切な科学の〇〇〇…を守り抜くことができなかった。
われわれは臆病で、つよい独立心をもたず、権力の前に屈服してしまった。
それがために私たちは、科学者としてまた教師として、太平洋戦争を食いとめるような、
合法的な運動を起すことができなかったばかりでなく、
近ごろでは、わが祖国の植民地化をいとわないような、独立心を失った、
あるいは独立心の欠如を恥ともしないような、多数の人々
――その中には科学者も教師も含まれている――を、眺めなければならないようになった。
科学や教育に対する、かような二つの見方の間には、きわめて大きな矛盾があり、大きな断層がある。
けれども私には、自らはげしい恥辱を感じることなしに、
「明治以来、日本の科学は非常な進歩をとげた」などと、書くことができない
なぜ私にはそのように感じられるのか。私は自らそれに答えるために、
ごく大ざっぱな感想を述べてみることにした。私は、科学史を研究する一人として、
われわれが尊敬すべき先覚者をもっていることは、十分に知っているつもりである。
そういう先覚者を恥ずかしめるために、私はこの感想を書くのでは決してない。
反対に…私と同じように恥ずべき科学者・教育者があまりにも多いということを、
きわめて率直に、国民大衆にむかって訴えてみたい…
明治維新のとき、日本の中心課題となったものは、西欧諸国から植民地化される危機をさけて、
日本の独立を守っていくということであった。
そのためには、西洋の進んだ自然科学や技術を学んで移植するよりほかに、取るべき道がなかった…
問題は、日本の独立を守るために、これまでの封建社会から近代市民社会へという、
そういった変革の方向には向かわないで、これまでの封建主義から、
一足飛びに、西洋の帝国主義に追いつこうとした点にある。
従って、西洋の科学・技術を急速に移植しようとしたのも、
それは近代市民文化として受け入れるのではなく、富国強兵のための文明開化であったのだ。
…わが日本では、科学および科学教育は、既製品として、上から与えられた。
しかも近代的市民社会を建設するための科学・教育としてではなく、むしろ反対に、
絶対主義専制による“富国強兵”の一環として、“文明開化”といった、きわめて表面的な、底の浅い形で
――科学的精神を抜き去った、ただ科学の成果ばかりが、温室的に、官憲の保護のもとに――与えられた…
科学界ではどうであったか…かれらは、
「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ、及其蘊奥ヲ研究スルヲ以テ目的トス」と宣言した、
文相森有礼の政策に迎合し…科学者はいまや官僚になった。官僚的科学者の全盛を誇る時代がやって来た…
全く同じように、これまで「教授法ノ研究」を目的としていた師範学校が、
高等師範学校となり、陸軍省から大佐山川浩を迎えて校長とし、軍隊的寄宿制度を行った…
しかしながら、じつは「新日本発展の指導者として雄々しく進」んだという師範教育こそは、
「専ら強圧的に行われ、専ら強権に屈服せしむ方法を取った結果、すべてが画一的に流れ、
何等其の間に個性の展開を許さない。従って青年教育者を人格的に殺してしまって、
皆無気力な、虚飾者、阿諛者たらしめ、徒らに知識の仕入売りの徒と化せしめた」
(前掲『教育五十年史』)のではなかったか。
「国家で統制されたものは、それが国家の運営に深い関連をもつときだけ改変せられ、
後は制度でものごとが動いて行き、国民は上からの命令によってでなくては動かず、
かようにして自由な人間の働きによる進歩は期待し得られないのである…
新しい働きが一般人の間から……盛り上がる傾向の少ないのは、
上からの統制によることはもちろんであろうが、
長い間の封建制がほとんど国民性のようになっているためであろうか」
と、かつての文部官僚、塩野氏に批判されるような始末になったのである。
…思えば、われわれは長い間、科学的精神を学び取らなかった。
近代的市民の精神的・物質的生活における科学の役割と意義について、ろくに考えたこともなければ、
近代における国民大衆が科学教育を、戦いとるまでの努力の跡などについて、
一度も感心をもったことがなかった。
そしてただ単に科学の成果と科学教育の形式だけを、移植したり受け入れて来たに過ぎないのであった。
お茶の水女子中】悠仁の机に刃物を置いた長谷川薫、天皇制を批判する供述【左翼
http://2chb.net/r/poverty/1556750877/ 天皇制などの目立つ事があると
あって良さそうなものは、あって良さそう
なくて良さそうなものは、なくて良さそう
これらの事に私たちが思いを寄せられるようになる事がメリットになると思う
そういうメリットがあり続けるようにするには
日本国憲法によって
日本で一番目立つ家庭が皇室になっているが
常に家庭として
日本で一番目立っていられるようには出来ないだろうから
皇室というモノも全家庭で共有して
全家庭の中の1つの家庭が
一番目立っている必要がある間は
その1つの家庭を皇室として扱えば良いと思う
-curl
lud20250123102042このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/seiji/1517566115/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
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