イスラム教の聖典であるコーランにははっきりと異教徒を殺せと書いてあり、またイスラムの開祖でありコーランを記した預言者ムハンマド自体も戦争によって実際に異教徒を殺している。
だが、コーランの中で異教徒に対し攻撃を促す部分は少なく、大部分の教えは異教徒に対しても「寛容」を説いたものであり、信仰を無理強いする事を禁ずる教えもコーランには存在している。
イスラム教の多くの者が、この寛容な教えと攻撃的な教えの間で揺れている。ここで一つその均衡を「平和な方」へと傾ける提案をしようと思う。
神話や神の言葉とは複数の意味を持つ事が多く、つまり「密意」があるものであり、それはコーランにおいてもおそらく例外ではない。
故にコーランの中の異教徒を殺せという教えもまた、言葉そのままではなく違う意味に取る事が出来る。
つまりはコーランでいう異教徒とは自身の心の中にある神の教えに反し冒涜しようとする欲望なり悪意なり弱さなりの「自分自身」であり、異教徒を殺せとは自身の中のこれら悪心を殺せという意味に取れる。
異教徒が喜捨を差し出すなら許せとは、喜捨を差し出すとは自身が起こした神の為の行動や、教えを守り自身を律し続けるなどの神に捧げた具体的な行動を意味し、
しかし自身を責めたり我慢し続ければ心は辛くなり時に耐えられなくなるから、ある程度神の為の行動や教えを守る、つまり喜捨を差し出したのなら、
たまには自分の中の欲望や弱さという異教徒に自由を許してやれよという事を意味しているとも取れる。
また、同じようにメッカとは心の中の聖地、つまり心や記憶の中の信仰の礎たる侵され難い心の聖域という意味に、
ムスリムとはイスラム教という宗教団体に所属している者という意味ではなく、真の神の意に従い行動する者という意味に、
啓典の民とは単にユダヤ、キリスト教徒という意ではなく、神の意を直接は汲めないが預言者達の残した聖典からそれを断片的に知れる不完全なムスリムという意味にそれぞれ取れる。
このように考えれば、攻撃的な教えは自身の心の中の戦いという平和的な教えに解釈できる
この解釈を単なるこじつけだと、特にテロ組織の者達や攻撃的なイスラム指導者などは言うだろうが、
しかしジハードとは本来戦いを意味するのではなく神の為の努力を行う事を意味し、またムハンマド自体、戦争は小さなジハードで心の中の戦いこそが大きなジハードだと心の中の修跋をこそ重要視していたらしい事からも、
この解釈はイスラムの精神に合致した解釈であると言え、
この解釈を完全に否定し、攻撃的な教えをそのままの意味でしか認めぬ者達は、思慮浅く神の意を汲めぬ愚か者であると言えるだろう。
重要なのは、攻撃的な教えにも「裏」があるという事を示す事であり、つまりは戦いの際、攻撃的な教えをそのままにとるかこの解釈をとるか、
「今の場合どちらが正しいのか?」と常に彼らに思索する余地を与える事が出来るようになるという事であり、
つまりこの解釈は攻撃的な教えを根拠にした戦闘を僅かにでも正当化し難くし、また相反する教えの間で迷う人々を少しでも戦いに向かわせ難く出来るという事である。
是非とも世界平和の為に今日本で頑張っている左の方々にはテロ組織とは言わずとも欧州などのイスラム移民らの前などでこの解釈を国会デモのように声高に主張して頂きたいと言いたい所ですが、
左の方々は自分達さえ非武装ならば攻撃されないと信じているようですが、十中八九殺されるとは言わずとも攻撃はされるだろう為止めてください。
ムハンマドが戦ったように、私はイスラムの攻撃的な教えが全くこの解釈の通り内面の戦いのみを指すとは考えていない。
例えば右頬を打たれたら左頬を差し出せというキリストの教えを言葉そのままの通りに解釈し、無抵抗主義を貫いた為に「アメと鞭方式」で悪人に「調教」されて最後には魂まで悪に堕ちるキリスト教徒のように、
或いは、「悟り」を単なる精神的境地、或いは思索や瞑想で至れる単なる思想の一種など、自己の内面だけのものだと勝手に解釈し、外の問題に対峙する事を避け続けた結果全く現実に即さない机上の空論に到達し、
勝手に悟ったと思い込んだまま無意味な自己満足の中で死んでいく仏教関係者達のように、内面的な戦いばかりでも人は道を誤るのであり、
外敵と戦う、というより外の問題と対峙しなければならない場面は確かにあると思っている。
とはいえ、今のテロ組織などのやり方は曲解も甚だしい間違ったものだと言えるだろう。
コーランはイスラム教の聖典であり、故にそれが燃やされたり破り捨てられたりした際にイスラム教徒は怒って暴れ、時にそれは殺人にまで発展する事がある。
しかしイスラム教徒にとって大切なのは物質としての書ではなく、その中の教えそのもののはずであり、
大切な教えが書かれた書が粗末に扱われて怒る気持ちはわかりますが、
しかしもはや世界中にコーランが存在しムハンマドの教えが完全に失われる恐れの無い現在において、
その為に暴れまして殺人まで犯すというのは、コーランと言う物質の書そのものを神に見立てて崇めているようなものであり、
その心性は彼らが禁じる偶像崇拝者となんら変わりがないように個人的には思われる。
物には霊が宿る。悪霊も多く宿るが、中には神霊(天使、仏)が宿る事もある。
悪霊が宿る偶像は確かに破壊しなければならず、また争いを好み人を貶める事や欲望を貪る事をよく行う穢れた心性の下では悪霊が宿る事が多いが、
しかし物に宿り働かれる神霊もある為に何でもかんでも破壊すればいいという訳では無い。
イスラム、キリスト、ユダヤ教などで偶像(或いは特定の対象物)へ拝む事が禁止されているのは、西洋人達の心性に依る所も大きいと思われる。
また「祈り」(礼拝や供養という形式そのものの意味では無い)は、なるべく主神にだけ(主神に向けて)行うべきであるという事も確かなようである。
とかくイスラム教の開祖ムハンマドの言行を元として作成されたイスラム教の法「シャリーア」の一般的な解釈によれば、強姦は加害者が罰されるべきであるとされている。
しかし多くのイスラム国家は何をどう曲解したのか女性が加害男性を訴える際にはイスラムではその証明には4人以上のムスリム男性の証言が必要だという事にしているようであり、
そして強姦などは大概人の居ない場所で行われるのであり、つまりほぼ全ての場合において強姦された女性は訴える事も出来ずこれらイスラム国家では逆に女性側が男性を誘惑したとして被害者の女性が処刑されている。
強姦の立証に四人の男の証言が必要、などという訳のわからない法律はムハンマドの教えにも根拠が無い上に、
脳みそか良心が少しでもあれば欠陥があるのはすぐにでもわかるはずであり、このような法がこれらイスラム国家において大きく問題視される事も無く受け入れられているなどは、
全くムスリム共が最も大切な内面のジハードを怠った結果としか言えず、
またこのようなムスリム共の中にはイスラムの中の寛容の教えや節制の教えを全く無視し、イスラム教の女性でなければ強姦しても罪にはならないという考えの者達までいる始末であり、
果たして本当に神の名を汚しているのは誰なのかという話である。
イスラム教に入れば天国にいけるというのなら、
イスラム教徒の国といいながら同じイスラム教徒ばかりを殺し悪逆の限りを尽くし、
神の為といいながらその実、イスラム国家ではない某国等がイスラム教を内部から破壊する為に使っているに過ぎないテロ国家のメンバー達も天国にいけるという事になる。
イスラム教徒達もせっかく天国にいってもそこでまたテロ国家のメンバー達に再び会う事になるとなれば堪ったものではないだろう。
各地でテロや戦争を起こす侵略的なイスラム過激派達は、自分達はムハンマドと同じ事をやっていて、最もイスラムの教えに忠実であると思っている事だろう。
だが、彼らは最も重要な事を無視している。
ムハンマドが侵略は行ったのは神からの直接の命令や許可があったからであり、神の直接の命令や許可なくば侵略を行わなかったという点である。
コーランの教えに従っていると彼らは言うだろうが、しかしコーランには寛容の教えの方が多く、
攻撃的な教えにのみ従っている者達は、しかし大部分を占める寛容の教えに反している為に、
神の教えの一部分に従っている一方で、同時に彼らは神の教えの大部分に反してもいる。
故に、神からの直接の命令や許可なく、ただムハンマドの行動の表面だけを真似ているだけの彼ら侵略的なイスラム過激派達は、
最も肝心な部分が欠けている「似て非なる者」、全く以って「単なるまがい物」の「偽イスラム教徒」であると言えるだろう。
これらのような旨の事を、世界中のイスラム移民達やイスラム国家の者達に広めてみるのも、あるいはいいかも知れません。
先に書いたように直接に言うのは危険なのでなるべくは避けるべきですが。
私達の国である日本は神武天皇の東征よりはじまり、天皇は神武天皇の末裔である。
イスラムと日本とは遠いようだが、しかしどちらもはじめは神意を受けた者が武力によって開いたのであり、
実は日本とイスラムは似ていると言える。
「日本書紀」「先代旧事本紀」においては、スサノオは朝鮮半島にあった新羅のソシモリという地に高天原から天降られたとされ、
また、「古事記」においては「三韓征伐」を成し遂げた神功皇后は、新羅より渡来した天日槍の子孫であるとされている。
だが、これは「古事記」「日本書紀」にともに記述のある「三韓征伐」において、神功皇后の夫である仲哀天皇が朝鮮半島の存在を知らず否定した事と矛盾している。
スサノオの伝承を知る天皇家の人間であり、更に新羅から来たという天日槍の子孫である神功皇后を妻に持つ仲哀天皇が、朝鮮半島の存在を知らなかったというのは、
考えてみればおかしな話である。
「古事記」は、当時天皇以上の力をもっていたとされる藤原不比等の心証を損なわぬように記されねばならなかった。
藤原不比等の父である中臣(藤原)鎌足(或いはその父の御食子)は、実は新羅と同じく朝鮮半島にあったとされる百済からの帰化人であったのではないかとも言われており、
「続日本紀」などにはそれを示唆するともとれる記述が存在している。
私は鎌足は元々は三韓征伐の際に百済を統治するなどの為に百済に派遣されるかして百済人と婚姻し混血した天児屋根命の一族の者の子孫であり、
その縁で鎌足は日本に来た際に同じ天児屋根命の末裔の中臣家に養子として迎えられたのだと考えていますが、
もし鎌足や不比等、或いはその子孫である藤原氏が、今の韓国、朝鮮人やその血を引く者達のように民族的自負心を強く持っていたのならば、
「三韓征伐」自体を否定できないのならそれを行った神功皇后は元は自分達と同じ民族だったと捏造しようとしても不思議ではない。
百済ではなく新羅としたのは、内心嫌っている故に完全に自分達と同じとするのを嫌がった故であるとも取れる。
「古事記」口述者の稗田阿礼はおそらく「矛盾」という形で真実を隠し、そしてその目論見は、「日本書紀」にもこの「矛盾」が残っている通り成功している。
天日槍は本当はおそらく朝鮮ではなく、かつては同じ日本にあったが当時の大和朝廷とは違う国の人であったと私は考えている。
「日本書紀」も「先代旧事本紀」も不比等の時代、及びその子孫である藤原氏が権勢を誇っていた時代に成立したものである。
これら古記の記述よりスサノオは朝鮮人であるという説が存在しているが、これら古記には「子と共に天降った」とある通りにこれは誤りである。
スサノオが朝鮮人であるというのならば古記の「天降った」とは地上に生まれた事と読む事になり、
スサノオが朝鮮人の間に「人として」生まれたという事になるが、現界において(おそらく霊界においても)自分の子供と共に出産される人間などいない。
しかし、牛頭天王とスサノオは同じ存在であり、またスサノオが子(部下)と共に日本を離れ朝鮮に渡り、後にソシモリと呼ばれるようになった地を訪れた事があるのはおそらく事実である。
スサノオがソシモリの地を訪れた事などを日本が知ったのは、後に日本が朝鮮と関わるようになった際に当時の朝鮮に残っていた地名や史跡、伝承からそれを知ったのだと推測される。
はじめは影だった。
彼の父は殺された。しかし世間一般では病死という事にされた。
それは彼の父が殺されたという事が弱みとなり、全てが台無しになる事を避ける為だった。
父の死からほどなく、彼が父の代わりになった。
しかしすぐに彼もまた殺された。彼の父の死の時と同じく敵対勢力の手によるものと、彼らは偽った。
彼の父が彼らに殺された事は、既に遠く外国にまで噂が広まっていた。
彼はいずれその噂を聞いていただろう。そうなれば、いずれ自分達に歯向かうようになる。だから彼らは彼を殺した。
彼の周りの人達は、彼の代わりを立てねばならなくなった。
しかしそれが成るのを目前に彼の父と彼と立て続けに二代も殺されたと世間に知られれば、全てが台無しになるかもしれない。
それに彼の代わりになった者もまた、殺される可能性が高かった。
だから彼らは自分達の中から影を立てた。彼の周りの人達には、それが成り上手く軌道に乗った時に全てを明かすと偽って。
だから、彼の周りの人達は、影が彼の代わりになる事を黙認した。
彼の死は世間に隠された。影が彼だという事になった。
それが成ったのは、影が彼の代わりになって一年も経たない内の事だった。
彼の周りの人達は、彼らの事を怪しんではいた。しかし確たる証拠は掴めず、また、彼らに歯向かえば彼や彼の父のように殺されるのは目に見えていた。
そして何より、それを成すには彼らの力が必要で、彼らと反目する訳にはいかなかった。彼の周りの人達には、力が無かったのだから。
だから時を経て彼らの言葉が嘘だとはっきりとわかり、全てが手遅れになって尚、彼の周りの人達にはどうする事もできなかった。
影は、彼になった。
はじめは影だった。
それ以前の彼と、父の代わりになった後の彼とは、何もかもが違いすぎていた。
彼自身が変わったというには全てがあまりにも急速で急激すぎる変化だった。
田布施 蟻巣
大学生き放題の金稼ごうぶろぐどっとこむ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
2H27F